【振り向けば、目映い】
風が吹く。草原の緑色がうねり、周囲にぽつぽつある木々も枝葉を揺らした。ざわざわと音が広がるそれらを一望できる緩やかな丘には、天使が数人座れるほどの大岩が置いてある。今そこには一人の大天使が座っていた。足を組み、少しだけ背を丸め、日ごろの几帳面さが崩れかかっている長身が見つめる先にあるのは――花だ。
草原には愛らしい小ぶりな黄色の花や、白色、薄桃色、紫色などの明るい色彩が満ちている。しかし、異彩を放つのは大天使の彼が見つめる先、赤黒い花が密集する一帯だ。大ぶりで鈴のような形をした、幾重もの花弁をまとった植物。異常だと思えるほど草原に似合わないそれらは、もちろん自生のものではない。僻地に数輪咲くだけの珍しい花だ。否、だった。たった一人の獣が手ずから植えた、綺麗に言うなら愛の花。
(ははっ……愛、ねぇ……)
彼は――大天使ラファエルは、自嘲するように口を歪めた。綺麗な言葉で包んでも内情を知る身では可笑しさの方が勝る。あれは姉へのプレゼントだ。姉の恋人がこっそり繁殖させて花束を作った、その跡地。大昔、闇夜に紛れて植えていた場面を目撃した時は不審者かと攻撃したものだ。
――二人の秘密な。
唇に人差し指を当てて笑う男の姿が、脳裏をよぎる。囁くような声が蘇る。どきん、と跳ねた心臓を思い出す。ラファエルは苦々しく舌打ちをしようとして、代わりに拳を握った。ゆっくりと息を吸って、吐いて、吸って、吐き捨てる。
「芽吹かなかったからと言ってもな、種のまま粉砕されれば、その残骸は残るんだぞ」
姉の恋人――レヴァイアが花束を姉に送ってだいぶ後、ラファエルは時折うずく心を持て余しながらも無視して彼の友人を続けていた。そしてある夜、無意識下に置いていた種を不意に砕かれたのだ。要するに、夜に二人きりで話していたら「なに期待してんの?」と意識してなかった甘さを看破され面白そうに指摘された、のである。今すぐ消し去りたい黒歴史というものだ。
だが残念なことに、整理し繕い平静に戻れても、砕かれた恋の種の残骸は心の隅に残り続けた。彼らが墜天しても、幾度の戦争を経ても、片付けることも昇華することも出来ていない。姉亡き今、口にも出したくない事柄だ。当時のあの夜だって、何のことだかと白を切り通した。レヴァイアとしても、ラファエルの気持ちを察したが有耶無耶に立ち消えたなんでもない過去の出来事と思っているだろう。
じゃあ、どうするのか。
「知るか」
こうして不機嫌になるとわかっていて、なおもこの場所に通う自分の愚かさに、もはや笑いも出ない。切り替えて部屋に飾る花でも摘むかと岩から下りて、赤黒い色と正反対の色の花をいくつか摘む。しかし「これ見たらここ思い出すよなぁ」と思い、その途端、勢い余って握りつぶしてしまった。
その時、である。
「ラファ兄ー! みっけー!」
弾丸のごとく飛んでくるのは、かつての養い子ヨーフィだ。主より養育を任されたが、基本的なことを一通り教え終わったあとは自由にさせている。今では仕事仲間兼友人という関係に納まった。しかし雛鳥のような刷り込みが為されていたらしく、向けられる親愛はいささか眩しい。
ラファエルは抱き着いてこようとするヨーフィを直前で避けた。小柄な体躯が、ラファエルの背後にあった大岩へとぶつかる。それでもすぐに立ち上がり喚きだすのが子供らしい石頭ヨーフィである。
「いってー!! 避けないでよ、ラファ兄!!」
「あんな突進を受け入れるはずがないだろう。少しは考えろ」
「何を言うか! またラファ兄がそこらで寝てんじゃないかって心配して駆けつけたのにっ!」
「頼んどらんし、私は徘徊老人じゃない。心配無用だ」
「自覚しないは本人のみ……」
確かにラファエルは大天使として聡明であり実力もあるが、ヨーフィの心配が的外れであるのではない。無趣味なラファエルを心配して多趣味なヨーフィがなんとか健康的な「散歩」を教え込んだはいいものの、「寝る」「歩く」以外の選択肢を持たないラファエルは出先で昼寝をするようになってしまったのだ。戦闘ではあれほどカリスマを発揮するというのに、日常生活は平和ゆえにマイペース極まりないラファエルである。
「もういいや……。さっきおやつ貰ったから一緒に食べよ――って、あーーー!!!」
「うるさっ」
「手ぇ! なに握りつぶしてんの、うっわ、汁でベッタベタじゃん」
ラファエルは己の右手を見た。そういえばずっと持っていたな、と気が付くと同時にヨーフィがぽんぽんと手をたたく。素直に手を開くとヨーフィは潰れた花を捨て、汚れたラファエルの手を自前のハンカチでぬぐい始めた。それぐらい自分でやると言いかけて、やめる。ふと昔のヨーフィを思い出したのだ。あの頃に比べれば、それなりに人の世話が出来るようになっている。他の天使とも交流を多く持つようだし、成長はしているのだ。身長はまったくもって伸びないが。
「もー何してたのさ。はい、できた。ラファ兄、帰ろ」
「ああ」
ラファエルは随分下にある金髪のつむじを見てから、顔を横に向けた。赤黒い花が風に吹かれなびいている。顔を戻して金髪を見下ろす。その時、忌々しい夜の思い出ではなく、快晴の空のもとで聞いた声が耳によみがえった。あれはいつのことだったか。大きな切り株に座っていたラファエルの目の前で、どのような話が展開したのかは忘れたが、ヨーフィが叫んだのだ。
――俺はっ、ずっとラファ兄と一緒にいる!!
赤い頬とうるんだ金の瞳。当時は何を言っているのかと一蹴したが、あの時の光景は目に焼き付いて離れない。眼差しと精一杯背伸びした姿には、親愛と忠誠が込められていた。それは今も変わらない。否、今の方が、もっと。
「……ヨーフィ」
「ん?」
数歩進んで止まる。前にある小柄な天使に呼びかければ、すぐに彼はくりんと振り向いた。
「なーに?」
「お前、片づけ……掃除はできるか?」
「え、普通にやればできるけど……」
きょとんとした目でヨーフィはラファエルを見る。
「そうか、じゃあ………」
心に残った過去の残骸。ずっと一緒にいるとのたまったこの天使がいるならば、いつかきっと、片付くのだろう。そう直感したのは天使としての第六感か、無意識のうちの夢想か。はっきりとわからないけれど鬱々とした気持ちがすっかり消えたことは事実で、ラファエルは高く澄んだ青空を仰いでから、自然な笑みを浮かべヨーフィを見つめた。
「期待している」
天使の中でも一等美しいその笑顔は、ヨーフィを一気に真っ赤にさせるほどの威力を持っていた。
□
ヨーフィ「えっ、なに、俺がラファ兄の家掃除するってこと!? 毎日完璧に自分でやってるのに!? えっ、違う? なになに!? 俺なに期待されてるの? いや、やるけど。全力で頑張るけど!! つかラファ兄、超綺麗! やばい!!!」
ラファ兄(こいつと話すと首が凝るな。早く帰ろう)
ヨーフィ「待って待って! なに勝手に終わらせてんの、俺の中では台風が吹き荒れてんですけども! ちょ、その顔ほかのこと考えてるでしょ!」
ラファ兄「うるさい」
ヨーフィ「結局何だったの、さっきの……」
おわり。
セツリ様、素敵なお話をありがとうございました。胸キュンキュンです///
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