【アザゼルの音楽祭】
1.天使の動揺
その日、ラファエルは自宅でのんびり読書をしていた。もともと無趣味であり、時間が空いたらふらふらと散歩するか寝るかの二択だったラファエルが読書をするようになったのはつい最近だ。手持ち無沙汰でぼーっとしているラファエルを心配した多趣味なヨーフィがいろいろ勧めてみた結果である。
何でもかんでも聞こえてしまう上に対人では相手の考えていることまで手に取るようにわかってしまう有能な彼にとって、無機物を相手にする読書という行為は暇つぶしに打ってつけだった。読了済みの天使にネタバレされないよう防音処理を施した結界内でないと読めないのが難点だが、自分で先を想像しながら作中でじわじわと真実が明かされていく過程をじっくり読んでいくのは楽しい。特に推理小説がお気に入りだ。
(こいつが怪しい……が、それは引っ掛けで実はあいつか…?)
どっぷり世界へ入り込んでいくラファエルは無意識のうちに自宅周辺にかけている結界を強めていた。防音効果がさらに高まり室内が無音に近くなる。ぺらり、とページをめくる音すら煩わしいと感じてしまうほどの音のなさ。
ゆえに、急速に近づいてくる気配と足音にラファエルの集中力は一瞬で奪われてしまった。
「ラファ兄ぃ!!」
「うるっさい!!」
勢いよく開かれた玄関に向かって分厚い本が投げられる。
「ぎゃんっ!」
本の角が額にクリーンヒットしたヨーフィはうずくまり痛みに悶えた。良いところだったのに…と、ラファエルは舌打ちをしながら本を拾う。結界は基本、誰も通さない。しかし日頃から『気を許した相手は通行可』という条件を付けていたため、長年の付き合いがあるヨーフィを通してしまったのだ。
「で、私の読書の邪魔をしたからには正当な理由があるんでしょうね?」
本のページにしおりを挟みながらラファエルはヨーフィに厳しい視線を投げた。ヨーフィは涙目で彼を見上げる。
「そんなに怒んないでよ~! 全力疾走で知らせに来たのに!」
「だから何だ」
ラファエルは居丈高に先を促す。するとヨーフィは事の重大さを思い出したのか飛び上がって両手をぶんぶん振った。
「そうそう大変なんだ! 来週開催の音楽祭にアザゼルがエントリーしちゃったんだよ!!」
「えっ」
音楽祭エントリー受付をしていた広場には、重苦しい沈黙があった。爽やかな青空と周囲の鮮やかな緑、そんな美しい自然の中に佇む天使。純白の衣と光を反射する金髪が集まったそこはさながら一枚の絵画だ。しかしどの天使も美しい顔を曇らせていた。
彼らがじっと見つめる先には一枚の紙。音楽祭エントリー用紙である。受理の判がでかでかと押されたその一枚にはとある天使の名前が書かれていた。
『アザゼル』
その名の天使は最近仲間になった新参者だ。大天使ラファエルに実力を認められ、周りも「人見知りでとっつきにくいけど良い奴」と打ち解け始めていた。初めての音楽祭だろうから新人もちゃんと楽しめるようにいろいろ説明してやろうな。そんな声も上がっていたほどだ。彼が音楽祭に関わるのはまったく問題ない。ないのだが…。
「非常にまずいな」
「ど、どういうことでしょうか…?」
ヨーフィに案内され現状を確認しに来たラファエルは用紙を見つめてうなった。そんな彼に恐る恐る判を押してしまった上級女天使が尋ねる。
彼女は受付として仕事をしている中、遠くでもじもじしているアザゼルを見つけたので親切心で話を聞きに行ったのだ。そして音楽が好きでエントリーしたいけど勇気が出ないとぼそぼそ話したアザゼルを励まし、勇気づけ「あの、じゃあ……これ…お願い」と用紙を受け取った。それが、多くの天使を絶句させる行為だったとは。
「どの天使も等しく参加の権利はあると思っていたのですが」
「ええ、そのとおり。貴女は正しいですよ。ただ彼が例外だっただけ」
ラファエルの言葉に他の天使が頷く。ヨーフィは言った。
「あいつはギター弾くんだけど、その演奏がさ、すげーのよ」
下手ではない。アザゼルのギターの腕はなかなかのものである。手が小さくてギターを弾けないギター素人ヨーフィから見ても、彼の指さばきは滑らかでためらいがない。しかし、彼の演奏が上手いかと聞かれれば首を傾げざるを得なかった。
「あの、すごいならエントリーしても……」
「すげー怖い」
「え?」
「アザゼルの演奏はマジで尋常じゃなく、怖い」
きっぱりと言い切ったヨーフィに続き、周囲の天使も口々に感想をこぼしていった。見えない何かがひたひたと迫ってくるようだ、と肩を震わせた天使に黙っていたラファエルも口を開く。
「しかもアレには自覚がない」
一斉に天使が手で顔を覆う。マスク天使アザゼルの脳は不思議な変換機能があるようで、本人が『春の日差しのような温かい曲』だと言って演奏する一曲は誰が聞いても『おどろおどろしい闇夜の曲』なのだ。しかもお気に入り過ぎてそれ以外は弾きたくないときた。心地よい無難な曲を教えようとした数人の天使は彼の頑なさに折れ、今では遠巻きに見守るのみである。
「ラファ兄、どうしよう。このままじゃ音楽祭が恐怖祭になっちまう」
天使ゆえに音楽祭で披露される曲はどれも穏やかで思わず微笑んでしまうものが多く、熱狂と言えるほどの盛り上がりはない。けれどもアザゼルが曲を披露すれば一気に盛り下がること間違いなしだ。
「期限は一週間ある。とにかくアザゼルを探して話を聞こう」
ラファエルは天使たちに向き直った。
「この件は私が預かります。お前たちはこのまま受付を続けなさい」
その姿は大天使に相応しく凛々しかった。
アザゼルは自宅でギターを練習していた。もちろん弾いているのはお気に入りの一曲。何度も弾いていてミスすることはもうないが、音楽祭で演奏するにあたって完成度を高めておきたかった。
「うーん、なんか……違う…」
しかしうまくいかない。趣味として弾くのと人に聞かせるために弾くのでは勝手が違うらしい。アザゼルはスランプに陥っていた。一週間しかないのに、どうしよう。
「あっ、そうだ」
ぴこん!とアザゼルの頭に名案が浮かんだ。
「ギターじゃなくて別の楽器でやってみよう。あんまり知られてない楽器なら、他と比べられてがっかりされることもないかも」
こうしてアザゼルの楽器探しの旅は始まった。
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