【01:胸焼けするほどの愛を捧ぐ:前編】


 その日、バズーとカインは買出しのために街を練り歩いていた。中央通りは相変わらずの賑わい。普段、買出しの作業はバズーとデイズの双子で行っているのだが今日デイズは他に用事があるとのことでバズーは暇そうにしていたカインに同行を頼み込んだのだった。
「なー、バズー! ま〜だ買うモンあんのか〜?」
「はい、まだまだ。もうちょっと」
「マジかよ、もう持てねーよ〜!!」
 両手いっぱいに荷物を抱えたカインの顔にはもう面倒臭い早く帰りたいという気持ちが正直に表れている。
 バズーは肩で溜め息をついた。普段一緒に買い物するデイズもなんだかんだキーキーうるさいが今日同行してくれたお兄さんも口を開けばダルいだの疲れただの腹減っただの文句ばかり。
「も〜、カインさん、誰のせいでこんな大量に食料買い込まなきゃいけないと思ってるんですか〜?」
「ああ、ルーシーのせいだろ? アイツ地味に大食いだからな」
「違うよ、その30倍くらい食べる人のせいだよ!!」
 バズーの指摘にカインは「へえー、誰だ?」と首を傾げたのち、暫くして「あ、俺か」と一人頷いて納得した。
「俺とデイズとルーシーの分だけだったら一人で買出し出来るんですけどね。どっかのお兄さんがよく食べるから一人じゃ持ち切れないんですよね」
 だからお手伝い頼んだのに、文句ばっかり言ってさ……と、小声で付け足してバズーは頬を膨らませながら自分より軽く頭二つ分は背の高いカインを見上げた。
「いや、あの、だ、だから悪いなと思って今日は素直に手伝ってやってんだろー!?」
「どこが素直ですか!! さっきから文句ばーっかり言うじゃないですか〜!! …………あ、カインさん。この店ちょっと見ますよー」
 乳製品を取り扱う店の前で立ち止まり、バズーは気を取り直すかのようにデイズに書いてもらったお買い物メモに目をやった。カインも横からそれを興味深げに覗き込む。
「さっきから気になってたんだけどよ。それ、何が書いてあるんだ?」
「ああ、主にグラタンの材料です。ルーシーが今日食べたいっていうから」
「ふーん。お前スゲーよなぁ。チビのクセしやがって文字が読めるんだから」
 ……果たしてその言葉は厭味なのか、はてまた真に感心しているのか……。どう反応したらいいものかとバズーが見上げたカインの表情は、ただただ感心の色に染まっていて悪意はうかがえない。が、チビのクセしやがってという言葉は決してバズーにとって嬉しいものではない。
「い、いやいやいやいや、カインさん酷いよ!! 読み書きに身長は関係ないよ〜!!」
「ああ、そうなの?」
 自分から振ったクセにもうこの話は興味ないといった風に気のない返事をしてカインはキョロキョロと街並みに目をやり始めた。お前は買い物、俺は荷物持ち、と、彼は無言でしっかり役割分担を押し付ける。品定めを手伝う気はまるでないらしい。
 まあ、買い物メモが読めないカインには上手く手伝いが出来ないのも事実だが、それにしてもさっき生鮮野菜店にてブロッコリーを取ってくれと頼んだバズーに何故かセロリを渡した挙句「これは違う」と、指摘すると「葉っぱなんざどれも一緒だろ」と、突っぱね、「いやいや覚えましょうよ」と、諭すと「俺どーせ野菜食わねーから関係ねえ後は任せた」と、吐き捨ててそっぽを向いてしまった。
 バズーは思った。この人、傍若無人過ぎる。と。
 女帝が日々、彼に向かって何かとギャンギャン喚いて説教する理由が今日、分かった気がした。
(このお兄さん実はスッゲー我が侭だよ〜!!)
 姉が相手ならバズーも気軽に文句を言えるが、カイン相手ではそうはいかない。何故なら、怒らせたら実に大人気なく自慢の豪腕で遠慮なく本気のパンチを放ってきそうな男だからだ。この腕に殴られたら一溜まりもない。と、その時、カインが後ろから「バズー、バズー」と言って顎でどこかを指した。
「何ですか?」
「ああ。なんかさー、いつもよりあの通り、異様に賑やかじゃねー?」
 カインが指す『あの通り』とは、お菓子の店が集中して立ち並ぶ女の子に人気のスポットだ。アイスやクレープ、ドーナッツ、ケーキ、新鮮なフルーツなど如何にも女の子が好きそうな店がズラリと並んでおり、あの女帝もよく此処を訪れてはお菓子を摘んで至福のひとときを過ごしている。
 に、しても、今日は特に賑わっているようで引っ切りなしに女の子たちが談笑しながらその通りへと入っていく。それが何故か、バズーはすぐに察した。
「そうですね、今は『時期』だから特に女の子がいっぱいいるのかも」
「時期ってなんの? お菓子の時期なんて聞いたことねーけど」
「あれ? カインさん知らないの? ……あ、じゃあもう頼まれたものは全部買ったしちょっと寄って行きますか?」
 どうも、と店員から袋に入れてもらった商品を受け取ってからカインは「大賛成!」と屈託ない笑顔をバズーに向けた。なんという純真な笑顔。何か食いたい何か食いたいという気持ちが素直に表れている。こういう無邪気な一面があるからこそ誰も彼を憎むに憎みきれないのだった。
「もう俺、腹減って腹減って。もちろんバズーの奢りな!」
「ええ!? ちょ、俺だってお小遣い少ないのに〜!!」
 しかしバズーの訴えなど軽く無視してカインはさっさと通りに向かって歩いていってしまった。
 甘い匂いの漂うその通りは想像以上に賑わっており、黄色い声ばかりが木霊す。普段から男の姿は少ないのだが今日は何故か一層少ない。いつもの比率が男2:女8くらいとしたら、今日は男0.1:女9.9といった具合だ。「なんか今日、雰囲気が違う」とカインが首を傾げるとバズーはまた「時期だから」と笑った。
「時期だ時期だって何なんだよ〜? 教えろよ、気になるじゃん!」
「焦らない焦らな〜い。すぐ分かりますから〜」
「何が〜? …………なあ、バズー。なんか、やたらとチョコばっかり売ってねー?」
「あ、気付きました? そうなんですよ、この時期となるとね〜」
 カインが言うように今日はどの店に並ぶ商品も普段と違ってチョコレートものばかり。それを女の子たちが楽しそうに覗き込んで品定めをしている。
「売ってるのがチョコばっかりとなればカインさんもう分かったでしょ?」
「ああ、分かった。魔界チョコ祭りってトコだろ? 悪魔は祭り好きだからなー。あ、あれ美味そう!」
 何を見つけたやら、カインはポカンと口を開けているバズーをよそにスタスタと一人、先を歩いていってしまった。
(惜しい! チョコ祭り惜しい……! ちょっと違うんだカインさん……!)
 しかしバズーの心の声が彼に届くはずもなく、はてどうやって正しい知識を教えてあげようかと考えながら先を行ってしまった大きな背中を追う。
(それにしても、勿体ないなあ〜)
 バズーはしみじみ思った。恐らく自覚などないだろうが、ただでさえ女の子だらけなこの場所にて長身に加え他に類を見ない白髪頭と赤い瞳を持つカインはとても目立つ。バズーの横を擦れ違う女の子たちが「あれカイン様だよね」「絶対そうだよ」「初めて間近に見たわ」「カッコイイなあ」「素敵だわ」などと口々にキャピキャピ言っている声が嫌でも聞こえてくる。
 なんというか、あの独特の近寄りがたい雰囲気と女帝の影さえなければ彼は今頃たくさんの女の子に囲まれていただろう……。
(勿体ないなあ〜! 勿体ないよ、このお兄さん!)
「バズー! これ美味そうだ、奢れ!」
 唐突に、アイスクリームのワゴンショップの前でカインは眩い笑顔でもってバズーに振り向いた。彼が「これこれ! 食いたい!」と指差すはカラフルなチョコがふんだんにトッピングされた実に可愛らしいアイスクリーム……。
「アンタ、顔に似合わずスゲー可愛い趣味してますね!?」
 辛抱堪らずバズーは思ったことをそのまま口に出してしまった。
「なんだよ、そのひでぇ言い草わッ!! だってこれカラフルで見るからに美味そうじゃん。……おねーちゃん、コレ一つ。ほらバズー、支払い頼むぜ」
 その声で他のお客さんの応対をしていた店のお姉さんは初めてカインの存在に気付いたらしく、途端に頬を赤らめた。
「いや、あの……、俺まだ奢るって言ってないのに〜!」
 押しが強いにも程がある。しかし逆らえそうにはない。渋々バズーは財布を取り出した。……店のお姉さんはそんなふくれっ面したバズーには目もくれずカインを見て頬を赤らめ続けている……。
 バズーは心の底から思った、全く、世の中は不公平だ、と。
「あ……。でも……。余計なお世話かも分かりませんが今からチョコを食べてしまってはきっと胸焼けしてしまいますよ。カイン様は色男なんですから必ず近々チョコを嫌というほど食べることになるかと」
「色男? ありがとう。でも、え? 胸焼け? なんで?」
 お姉さんの言葉にカインは「どういうこと?」と首を傾げてバズーを見た。はて、なんと言えばいいか……。とりあえずバズーは「どういうこともなにも、そういうこと」と押しておいた。
「代わりにこのストロベリーアイスクリームはどうですか? 甘酸っぱくて美味しいですよ。どうぞ、味見してみてください」
 お姉さんが使い捨て仕様と思われるプラスチックの小さいスプーンにアイスを一口分すくってカインに差し出す。そして「貴方もどうぞ」とバズーにもスプーンを差し出すと横目でカインの様子を確認してから「ちょっとお願いがあるんだけど……」と小声で耳打ち。何事かとバズーが首を傾げるとお姉さんは「ちょっとね」と言ってまたカインの様子を確認した。どうやら彼には聞かれたくない話があるらしい。
「この一帯の店全部、ルシフェル様から万が一カイン様が来店されてもチョコ菓子は売らないで欲しいと言われているんです。もっと押してくれたら助かるわ。お願いっ」
 だって女帝に怒られたくないもん、と、お姉さんがおどけた感じで笑う。そういうことか、とバズーは納得した。
「既に根回し済み……。ルーシーってこういうことに関しちゃマジ抜かりないな……。分かったよ、お姉さん。その代わりちょっとはサービスしてね?」
 そんなやり取りが行われているとも知らずバズーの横でカインはストロベリーアイスを味見して「うん、美味い」と一人で頷いている。
「カインさん! お姉さんちょっと大盛りにオマケしてくれるみたいだし、このアイスにしましょーよ!」
「ん? オマケしてくれんの? じゃあコレでいいや。美味いし」
「んじゃ決まり! お姉さん、このアイス2つくださーい」
 よしよし、彼があまり深く考えないタイプで良かった……。バズーがお金を渡すとお姉さんはそれはもう眩い笑顔で「ありがとう御座います」と会釈し、約束通りアイスを大盛りにしてくれた。

 さて、そんなこんなで殆ど女の子しかいない通りにて男二人が並んで壁にもたれ掛かってアイスを食べているわけだが……。

(まさかここまでアウェイとは思っていなかった……)
 この時期にこの場所に足を踏み入れたのは実を言うと初めてなバズーである。毎年、避けていた。デイズからもこの時期のこの場所は女の聖地、立ち入るべからずと言われてきた。姉の警告は素直に聞いておくべきだった……。まさに、後悔先に立たず。だが、カインも一緒なら大丈夫だろうと興味本位でもって自分から寄って行こうと提案してしまった手前、早く逃げようとも言えず……。
 そこはかとない居心地の悪さを感じているバズーとは反対にカインは「ホント、チョコだらけ!」と興味津々な様子でキョロキョロと周りを見渡している。
 そろそろ、ちゃんと答えを教えてあげるべきかもしれない。
(さ〜て、どう教えてあげようかな〜)
 バズーが先輩風を吹かせようとした、その時である。
「あれ、デイズじゃね?」
 キョロキョロしていたカインがある一点を見つめてボソッと呟いた。
「え? まさか、そんな」
 用事があると言って買い物を人に押し付けた姉がこんなところで遊んでいるはずがない。見間違いだろうと思いながら背丈の足りないバズーは軽くジャンプしてカインが指差す方向を確認した。
 ふむ、何やら沢山の買い物をしたのか大きな紙袋を抱えて尚もチョコ菓子を吟味している青い髪の少女がいる……。成る程、あの後ろ姿は間違いなくデイズだ。双子であるバズーが見間違うはずもないデイズ本人だ。
 バズーはまだ半分以上残っていたアイスをガツガツとハムスターもビックリな速度で口の中に捩じ込むとカインが「待て落ち着け」と制止するのも聞かずに人波を割って歩いて行き、デイズの肩をガシリと掴んだ。
「ん? えっ!? ちょ……、なんでアンタが此処にいるわけ〜!?」
 まさか弟と鉢合わせるとは思っていなかったのだろう。動揺したデイズはそれはもう鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして危うく手に持っていた荷物を落としかけた。
「逆に聞きたいよ!! 人に買い物押し付けといて自分は遊んじゃってるとかマジありえねー!!」
「べ、別に遊んでたわけじゃ……」
 普段バズーに対しては強気一辺倒なデイズだが今日はどうしたことかモゴモゴと口篭る。逆に普段は姉に頭の上がらないバズーが強気だ。
「遊んでるじゃん! どう見たって遊んでるじゃん! 今日どんだけ俺が大変だったと思ってんだよ!! 罰として今度はデイズがカインさんと二人で買い物しろよ、スゲーぞ、めちゃくちゃ大変だぞ超ワガママで!!」
「あ、そういうこと言うんだ?」
「そりゃ言いますよ、全くもう口を開けば愚痴ばっかり…………あ、いや、あの、な、何でもないです……」
 いつの間に背後にいたやら、カインの冷淡な瞳に見下ろされてバズーはオドオドしたいつものバズーに戻った。カインが両手に荷物を抱えていなかったら今頃ゲンコツの一発や二発降ってきたかも分からない。危ないところであった。
「……まさか、この時期に男二人で此処に足を踏み入れるとは想像もしてなかった、不覚だわ……。とにかく、見つかってしまったものはしょーがない、白状するわよ……。どーしても今日チョコの材料を買いたかったの。みんなに内緒で……」
 肩を落としてデイズがボソボソと語る。そのあまりにバツが悪そうな表情にカインとバズーは首を傾げて顔を見合わせた。何を内緒にする必要があるのだろうかと。するとその気持ちを汲み取ったのかデイズは「だって恥ずかしいから……」と小声で付け足した。
「あ、分かった。さてはデイズ、レヴァさんに本気の手作りチョコ渡すんだな?」
 バズーが言うと、見る間にデイズの顔が真っ赤に紅潮した。
「い、言うな馬鹿〜ッ!! も〜ヤダ〜!! いつも通り一応アンタにも義理でお裾分けしたげるから誰にも言わないでよ、ここだけの話にしてよ!? 誰かに言ったら殺す、ブッ殺す!!」
 地団駄踏みながら物凄い剣幕である。バズーは黙って頷くしかなかった。この姉を怒らせて得することなど何も無い。
「カインさんもお願いしますね!? ホント、あの、誰にも言わないでくださいっ!!」
「ああ、まあいいけど。な〜にそんなムキになってんだよ、たかがチョコレート如きで」
「た、たかがチョコレート如き……」
 カインの冷めた言葉にデイズは堪らず目眩を起こしかけた。確かにそうだ、言われてみれば、たかがチョコレート……、たかがチョコレートなのである……。
「そ、そう言われてしまうと返す言葉もないんだけど……。アタシにはどーしてもムキになっちゃう事情があるのよおお〜! とにかくとにかくお願いしますっ!」
「よく分かんねーけど……。いいよ、分かったよ。だから少し落ち着け……!」
 ほら、深呼吸! と諭すがデイズはカインの言葉を聞こうともせず「ありがとう御座います!」と繰り返し頭を何度もペコペコと下げたのち「じゃ、そういうことで!」と手を振って走り去ってしまった。
「……逃げやがった……」
 バズーがボソリ呟く。その横でカインは首を傾げて頭の上にクエッションマークを5、6個ほど浮かべた。もう、何がなんだか。ただのチョコ祭りと思いきや女たちが妙によそよそし過ぎる。一体、自分の知らないところで何が行われているのやら……。
「カ〜イ〜ン〜ちゃ〜〜ん」
 ふと耳元に聞き覚えのある声。この独特のイントネーションはヤツだ、ヤツしかいない。カインが振り向くと、やっぱり予想通りの顔が真横にあった。
「ミカエル……!」
 今日も水色の髪の毛と真っ白な服がとても眩いミカエルがニヤニヤと笑いながら人懐っこくカインの肩に顎を置く。
「も〜、ダ〜メじゃないですか〜ん。この時期に、たかが、チョコ如き! なんて言ったら女の子みんな敵に回しますよ〜ん?」
「なんでだよ?」
「あ、やっぱりこの時期のイベントをご存じないのん? ……ん〜、どーしよう、僕が教えて良いものかどうか〜……」
「なんだよ、勿体ぶらずに教えろよ」
「ん〜……。……明日! 嫌でもルーシーが教えてくれると思うよん。せっかくだからそれまで楽しみにしておくべきだと思うなあ! バズーもそう思わない?」
「ああ、確かにそうかも。明日ルーシーの口から聞くべきだよカインさん! 今日じゃないですよ、明日聞くんです! んでカインさんから聞いちゃダメです、ルーシーが自分から言ってくれるまで待つんです!」
「??? ……なんだよ、それ。よく分かんねーなあ〜……」
 とにかく答えを焦らされたことに変りない。茶化すように笑うミカエルとバズーに向かってカインはブゥと大人気なく頬を膨らませた。
 彼に文字が読めたなら、すぐに気付いていただろう。この一帯が「バレンタインデー」という単語で支配されていることに。どの店も「ハッピー・バレンタインデー」と書いた赤いリボンを飾っている。まあ、もしそれが読めたとしても彼はバレンタインデーという行事そのものの意味も知らないのだが……。
「ところでミカちゃん、その紙袋はひょっとして……。やっぱ例の憧れの人に手作りチョコとかあげちゃう系?」
 バズーが指差すとミカエルは「あっ」と声を上げて照れ臭そうに頬を指で掻いた。
「ヤダん、バレちゃったん! えへへ〜、勿論よん! いつまでもレヴァイア先輩には負けてられないからね! 凄い凄い張り切っちゃうつもり!」
 言って、ガサガサと手に持った大きな紙袋を揺らす。
 バズーは思った。いいな、みんな楽しそうだな、と。カインは間違いなく女帝から本命チョコを貰うだろうし、デイズはレヴァイアのためにチョコ作りに励む気満々、ミカエルもご覧の通り憧れの人に少しでもお近付きになろうと頑張る気満々である。自分はといえば姉から義理で少しチョコをお裾分けしてもらうだけ……。
「あ〜あ、俺だって、あと30センチ背が高かったらなあ……」
 その小さな小さな呟きは街の雑踏に掻き消されて誰の耳にも届かなかった。



 一方その頃、ルシフェルはバアルの城を訪れて意気揚々とレヴァイアに菓子作りを習っていた。暇を見つけては通いつめて今日でレッスン7回目。それなりにお菓子作りの手順は分かってきた。
 経緯は簡単、出来合いの高級チョコにするか手作りチョコにチャレンジするか散々悩んだ末にルシフェルは手作りチョコを選び、料理といえばこの男! と早速レヴァイアの元に駆け込んでお菓子作りのノウハウを教えてくれるよう頼んだのである。
「どうしてもカインに手作りチョコをあげたいんだよ〜。少しでも美味しいチョコをあげたいのっ。だからお願いレヴァ君、お菓子作り教えてっ」
 と、可愛い妹分から一生懸命に両手を合わせて頼まれてしまってはレヴァイアに断る術はない。あのズボラなルシフェルが恋のために料理を頑張ろうとしているのだ、嫌でも応援したくなる。レヴァイアはそれはもう胸を叩いて「任せとけ!」と承諾したのだった。
「さーて、そろそろ焼けたかな〜?」
 キッチンは甘い甘いチョコの香りに包まれていた。今日まずルシフェルがチャレンジしたのはチョコクッキー作り。材料をボールに入れてひたすら混ぜ、そのあと一口大サイズに分けてオーブンで焼くだけの簡単レシピである。実に簡単、しかし今日は最終試験とのことでレヴァイアはオーブンの準備をしたっきりキッチンから出て行ってしまい、後の材料を計ったり混ぜたりの作業は全てルシフェル一人で初めて行ったのだった。
「ちょっと待ってな。……ああ、もういいね。完璧に焼けてる」
 流石、料理の天才レヴァイアはオーブンを覗いてクッキーの色を見ただけで焼け具合が判断出来るらしい。料理の本には串で刺してみることって書いてあるのに……と、ルシフェルが心の中で呟いてる間にレヴァイアは手にミトンをはめて熱々のオーブントレーを取り出し、テーブルの上に置いた。
「うん、いい匂い。今日こそは一発で成功したかな〜?」
「ちょっと! 今日、こ、そ、は、って酷いよレヴァ君! 確かに失敗ばっかしてきたけど〜!」
 ルシフェルの言葉に「アハハッ」とレヴァイアが歯を見せて笑う。
「さ〜て、とりあえず味見、味見〜!」
 満面の笑みでもってレヴァイアは焼き上がったばかりのクッキーを口に放り込んだ。そして………………どうしたことかピクリとも動かなくなった。時が止まったかのように笑顔のままフリーズしている……。一体どうしたというのか。
「ちょ、ちょっと〜!? ま……まさか、失敗……!?」
 嗚呼またやっちまった、間もなく盛大に彼は口にしたお菓子をゴミ箱に吐き出すだろう「こりゃダメだ食えたもんじゃねえ焼いた蛾みたいな味がする!!」と叫びながら。嗚呼、やっちまった……、ルシフェルが肩を落としたその時である「なんちゃって!」とフリーズしていたレヴァイアが突如再起動した。
「ウソウソ! やったじゃんルーシー! 大成功だよコレ! 普通に美味いって!」
「え? え? え? ……なんだよビックリさせないでよ〜!!」
「大丈夫、大丈夫! バッチリ大成功! 自分でも食ってみ?」
 返事する間もなくルシフェルは「ほらっ」とクッキーを口に放り込まれた。
「……あ、美味しい! ちゃんとクッキーの味がする!」
 恐る恐る噛んだクッキーはちゃんとサクッとした歯ごたえと共にクッキーの味がした。決して焼いた蛾みたいな味ではない。
「何やら甘い匂いが」
 料理の成功を嗅ぎつけたかのように城の主であるバアルがキッチンに顔を出した。何気にこの王様はお菓子が大好きだ。いつも通り意気揚々とつまみ食いに来たのだろうことはその輝く笑顔が物語っている。
 しかし、彼が摘むのはいつもレヴァイアがレッスンついでの片手間に作ったお菓子であって決してルシフェルの失敗作ではない。まあ、それも仕方がない。最初のレッスンにてレヴァイアに「ガマガエルのアレみたいな味がする」と言わしめたルシフェル作のトリュフを口にした瞬間の、バアルの「うっ!」という今まで聞いたこともない低い呻き声を聞き端正な顔が思い切り歪んだ様を見てしまったらとてもじゃないが責められない。
 だが、今日は大丈夫だ。
「バアル、いいとこに来た! ちょうどついさっき焼き上がったの、アタシが作ったクッキー! 今日は大成功だよ、食べてみて食べてみて!」
「おや、いつになく自信満々ですね。じゃあお言葉に甘えて一枚頂きま〜す」
 しかし笑顔とは裏腹にバアルが「これ大丈夫なんだろね?」とレヴァイアに目を向けて確認した一瞬の仕草をルシフェルは見逃さなかった。今レヴァイアが「大丈夫だ」と頷かなかったら食べないつもりだったんだろうか。なんと失礼な……。いやしかし責められはしない。多少の失敗なら大目に見てくれるであろう優しい彼らに何度もハッキリ「不味い!」と叫ばせてしまったのだ、失敗の具合が多少でなかったことは明白である。
 そんな物を食べさせてしまった責任を取って自分でも味見をと思ったが、そのたびに「よせ!!」と真顔で止められてしまった。ゆえに焼いた蛾やらガマガエルのアレがどんな味だったのかルシフェルは知らない。
「うん、美味しい! ちゃんとクッキーの味がします。これならお茶菓子に出来ますよ。上出来、上出来!」
「バアル、それちゃんと褒めてくれてるんだよね……?」
「勿論ですよ。褒めてます褒めてます。あの小麦粉と片栗粉を間違え、砂糖と塩をも間違え、他にも主要な材料を殆ど見分けられなかったルシフェルが普通にクッキーを焼けるまでになった……、感無量です」
「バアルさ、何気にさ、ビックリするくらいマズイもん食わされたこと未だに怒ってるんでしょ……?」
「え? いえいえ、とんでもない」
 ……怪しい。いつも通り表情には朗らかな笑みをたたえているが、この男、腹の底では何を考えているやら……。いやしかし怒っていたとしてもそれは仕方がない、何せガマガエルのアレを食わせてしまったのである。とてもルシフェルには責められない……。
「ま、まあまあまあ! とにかくルーシー、お疲れさん! これを茶菓子にしてお茶休憩といこーぜ! さーて、お茶は何がいいかな〜っと。ダージリンでどうだ〜?」
 その場の空気を誤魔化すようにいそいそとレヴァイアがお茶の準備を始めた。その横でバアルはクスクスと笑いを噛み殺している……。
 なんだ何がおかしいんだ、とルシフェルが眉間に深い皺を寄せて見つめると彼は「可愛い」と言ってケラケラ声を出して笑い出した。
「全く、いつになく不安げな顔しちゃって。大丈夫ですよ、ルシフェル。今日やった通りにすれば何を作ろうとしてもド派手に失敗することはないでしょう。ちゃんとレシピを見て、正しい材料を揃えて、記載された分量を守って、決して下手に何か追加しようとか工夫しようとか考えず、それでいてオーブンからは決して目を離さないようにすればこの通り上手くいきます。それに……」
「それに、可愛い女の子がバレンタインデーに頑張って作ってくれたお菓子となりゃどんな味がしようと大概の男は喜んで食ってくれるさ! なあ、バアル!」
 バアルの言葉をレヴァイアが続けた。
「その通り。だから大丈夫ですよ、明日の本番も頑張ってくださいね」
「う、うんっ。ありがとう! この調子で頑張るよ!」
 二人の笑顔に押されてルシフェルは「アンタらアタシの失敗作を盛大に吐いたクセに……」と言いかけた言葉を飲み込んだ。まあでも、今日初めて二人は自分の作ったお菓子を『美味い』と言ってくれた。ルシフェルにとってこんなに嬉しいことはない。嬉しさのあまり何もかも帳消しな勢いである。
「でもさ〜。本当に明日、手伝わなくて大丈夫か?」
「うん、ちゃんとこうして一人で上手にクッキー焼けたもん大丈夫よ!」
 レヴァイアは散々本番も手伝うと言ってくれたがルシフェルはどうしても一人でやりたいと言い張った。こういうことくらい自分でちゃんとやりたいという意地である。
 よしよし、後は張り切って本番を待つのみ。なのだが……、まずバレンタインデーと言ってもあの男は理解してくれないかもしれない。バレンタインデーってなんだ、つーかなんでチョコなんだ、意味が分からないと首を傾げる姿が目に浮かぶ。けれどせっかくの機会だ、世の中に便乗して少しでも喜ばせたい、気持ちを伝えたい……などと、ついつい考えてしまったのは、やはり祭り好きな悪魔の血が身体に流れているからだろうか。……とにかく、少しでも喜んでもらえたら大成功である。
 野菜以外は何を口に入れても美味い美味いと連呼している様子からしてカインは甘いものを与えても「甘いものは苦手だ!」なんて言ったりせず普通に喜んで食べてくれるはず。と、なると後は本番でしっかり美味しいお菓子を作るだけである。
(こんなに頑張ったんだ、きっと大丈夫……!)
 ルシフェルは自分に言い聞かせ、上手に焼けたクッキーをしみじみ見つめた。
「しっかしまあ頑なにキッチンに立とうとしなかったあのルシフェルが恋のためともなるとこんなに頑張れてしまうなんて……。感傷深いなあ〜。可愛くなっちゃって本当に」
 愛おしげに目を細め、バアルが指でルシフェルの頬をフニフニと押す。巣立つ小鳥を見守るような心境なのだろう。横でレヴァイアもお茶を用意しながらクスクス笑っている。
「ところで明日の本番はなに作る気なんだ? 別に教えてくれたっていいのにさ〜。カインにバラしたりなんかしないよ俺たち」
「ダ〜メ! 二人にも楽しみにしといて欲しいから教えな〜い!」
 ルシフェルが言うと「だってさ」と二人の兄は肩をすくめて、おどけた顔を見合わせた。
「これは楽しみに待つしかなさそうですね。でも、やはり私たちのは本命のより若干手抜きだったり装飾が少なめだったりするのかな?」
「そんな差別はしません! だってバレンタインデーは日頃の感謝を伝える日でもあるからね……って、これ明日言おうと思ってた台詞なのに……。レヴァ君、アタシ先にクッキー持ってテラス行ってるからお茶よろしく!!」
 手早くクッキーをお皿に移すとルシフェルは逃げるように早足でテラスへと向かった。
「………………」
 キッチンに残された兄二人が静かに顔を見合わす。
「……日頃の感謝、ですって」
「改まって言われると嬉しいもんだな。ジーンときちゃったよ俺」
「レヴァ君、私、泣いてもいいですか?」
「気持ちは分かるけどそれは我慢してくれ。お前が泣くと色々大変だから」
「分かった、頑張る。しかし、あの子……本当に大丈夫でしょうか……? アレで結構メンタル弱いからねえ……」
「う〜ん、見栄を張って難しいレシピに挑んだりしなきゃ大丈夫だとは思うけど……。まあ、なんだ、カインはアレで結構ルーシーには寛容だし、失敗しちゃったら失敗しちゃったでそしたら俺らが元気づけてやればいい、大丈夫だろ! さ、お茶にしよーぜ。ルーシー待ってる!」
「ん〜、色々と心配だけど見守るしかないか……。ええ、お茶にしましょう」
 とにかく可愛い妹分が心配でならない二人がせっかくのお茶を零さぬようにとお得意の瞬間移動で音もなくテラスに移動すると、バツの悪そうな顔をしたルシフェルが椅子に腰掛けて景色を眺めながら小口でポリポリとクッキーをかじっている姿があった。
「お待たせ。はい、お茶」
 二人が笑顔でお茶を差し出してもその表情は変わらない。
「……おいおい、なに照れちゃってんだよコイツ〜!!」
「本当に本当に可愛いんだからも〜うっ!!」
「ぎゃっ!? ちょ、ちょっとやめてよ〜!! わああぁあああっ、特にバアルやめてお化粧が付く〜!!」
「心配要りませんよ私のメイクはちょっとやそっとのことでは崩れたりしない超ウォータープルーフ仕様ですから〜」
「どんなメイクだよ!? っうあああ〜〜ん」
 二人の兄に左右から抱き締められ執拗に頬擦りされてようやくルシフェルの表情は崩れたのだった……。
 暫くしてテンションがようやく落ち着いたところでルシフェルは「ねえねえ」とお茶を啜りながら二人に話を振った。
「ところでさ、バレンタインデーって本来は恋の女神様を讃える日なんでしょ? 到底叶わぬ恋をド根性で成就させたっつー伝説持ちの女神様の誕生日にあやかって2月14日は男女の愛の誓いの日になったって話だけど、恋の女神様ってどんな人だったんだろ? ひょっとして二人は顔、知ってたりする?」
「ああ、俺は会ったことあるよ。大昔ね。まだ俺らが天界で天使やってた頃。流石、恋の女神だけあって美人だったなあ〜」
「私も覚えています。しかしまさか彼女が後々の世でこんなにも人々に讃えられる存在になるとは、当時は想像もしませんでしたね」
 流石、天地創造とほぼ同時に生まれた二人である。何でも知っている……。
「やっぱり知ってるんだ、凄いなあ……。ねえねえ、女神様って今どうしてるの? つか本当はなんて名前の人だったわけ?」
「さあな〜。俺らも今までに会ったヤツらのその後を全部把握してるわけじゃないからなんとも。ホント、大昔に天界でちょっと顔を見たっきりだよ。それからどうなったかはちょっと分からないなあ。そんなだから名前も忘れちまったし」
 レヴァイアが言うとその横で記憶を辿るように目線を上に泳がせていたバアルも「同じく。私も覚えていない」と簡潔に答えた。
 この異常な記憶力を持つ二人が名前を覚えていないとなると、恋の女神様とやらは美人にもかかわらずどれほど影の薄い存在だったのやら。……いや、ひょっとして……。
「ねえねえねえ、まさか実は恋の女神様ってばバアルかレヴァ君の元カノだったなんてオチじゃないでしょうね? だから本当は覚えてるけど、思い出したくないと……!」
「え〜〜?」
 ルシフェルの言葉に二人の兄が同時に目を丸くした。
「得意げな顔して何を言うかと思えば……。内緒! ご想像にお任せしまーす」
「あ、否定も肯定もしないとかバアル、イヂワルねっ」
「なんだよルーシー、俺らの恋愛遍歴に興味あんの?」
「そりゃあるよ〜。勝手なイメージだけど若い頃は相当遊んでたんだろうなーとか、絶対モテるだろうに独身を貫いてる理由は何なのかな〜とか!」
「相当遊んでたんだろなって、本当に勝手なイメージですこと! ……まあ、否定はしませんが」
「全く人聞きが悪いぜ! けど、うん、俺も否定はしない」
「しないのかい!! ……で、二人とも明日はかなり大変なんじゃない? 街中の女の子がチョコを片手に押しかけてきそう」
「ないないない、そんなことない。それも勝手なイメージ」
 二人が声を揃えて首を横に振る。
「まったまた、よくゆーよ! せっかくだから彼女作ればいいのに〜」
「ムリムリムリ、もう女はこりごり」
 また二人が声を揃えて、払うように手を振る。
(こんなことばっかり息ピッタリなんだからもお〜……)
 そういえばこの兄二人はいつもバレンタインデーをどう過ごしていたのだろう。ルシフェルは今の今までこの日をそこまで特別に意識したことなどなかった。バレンタインデーというと何がなんだか分からないが「いつもありがとう」の言葉を添えてお小遣いで買ったチョコを渡すと父が涙を流して喜ぶ日という軽い認識だったのだ。そしてそのまま咽び泣く父と腹を抱えて笑う母と自分の家族三人水入らずでいつもより豪華なディナーを食べてのんびり過ごすというのが毎年のパターンだった。
 他に予定があったのか、それとも家族水入らずで過ごして欲しいと気を遣ったのか、バアルとレヴァイアはサタン、リリス、ルシフェルへのプレゼントを持って軽く顔を出すだけで、この日を一緒に過ごしたことはない。
 まだまだこの二人に関して、ルシフェルは知らないことがいっぱいある。
「……サタンがヤキモチ焼きだから今まで遠慮していたんですが……」
 まるでルシフェルの考えていることを見抜いたかのようにバアルが語り出す。
「この日は俺がリリスとリリンを独占する日なの、だからお前ら邪魔すんなよ! ってね。でももう知〜らな〜い。この場にいないサタンがいけないんでーす」
 ねー? とバアルが目配せするとレヴァイアもウンウンと頷いた。
「そーゆーこと〜。だから遠慮せず誘っちゃ〜う。……改めまして! 明日さ、みんなでウチに遊び来いよルーシー! 美味い料理い〜っぱい作ってやるからさ!」
「バアル……、レヴァ君……。うん!」
 ルシフェルは長らくこういうイベントを楽しむどころではない状況にいた。二人の兄も勿論その事情を知っている。それだけに、思い切り楽しませようとしてくれているのだ。両親がいない寂しさを感じさせないように。
「嬉しいなあ、ルシフェルと初めてバレンタインデーを一緒に過ごせる〜。やっぱり女の子がいるといないとでは大違いですからね、明日は。毎年毎年コイツなんかと二人で寂しくヤケ酒して過ごしてきただけに余計ですよぉぉぉ〜……」
「……そ、そんな悲しい過ごし方を……!?」
 ルシフェルが聞くとまた二人は息ピッタリに「うん」と強く頷いた。
「……彼女、作りましょうよ、お二人さん……」
「嫌だ。もう女はこりごり」
 またも揃って首を横に振る……。でも、そうだなあ〜言うだけ無駄か〜、だってこれだけ仲の良い二人の間に割って入れる女なんてそうそういないよな〜、と、ルシフェルは一人納得するのだった。



 日が暮れた。兄たちとのお茶を終えルシフェルが本番用のお菓子の材料を買って帰路に着くと、間もなくして双子がキッチンから夕食ですよと声を張り上げた。時間ピッタリである。
 ルシフェルとカインとバズーとデイズの四人でテーブルを囲んでのいつもの夕食。双子はルシフェルのリクエスト通りグラタンを作ってくれた。「美味しい!」と感想を述べると双子は「それは良かった!」と声を揃えて照れ臭そうに笑ってみせた。それからバズーが如何に今日の買い物が大変だったかなど、一日の出来事を簡単に報告し始める。いつも通り。いつも通りの光景である。しかし――。
(やっぱりアタシ、なんだかんだで緊張してるのかしら……)
 いつも通り和やかに食事をしていてもどーにも落ち着かない。デイズも同じくどこと無く落ち着かない様子。バズーは、なんと言うか、心なしか元気がない。いつも通りなのは隣のカインだけだ。野菜を殆ど入れてないチーズとホワイトソースとベーコンとマカロニだけの素っ気無い山盛りグラタンを最初の一口食べて「美味い」と言ったきり、いつもと変わらず黙って食事を口に放り込んでいる。彼は基本的に食事中、殆ど喋らない。
「あ、そうだ。ねえ、みんなちょっと聞いてくれるか〜い?」
 ルシフェルの呼び掛けに食事に集中していた三人が顔を上げた。
「レヴァ君が急に料理を山ほど作りたい気分になったからって明日のディナーにウチらを誘ってくれたのよ。みんな行くでしょ?」
「ああ、喜んで。なに食わせてくれるんだろ、楽しみだな」
 カインが言うと「俺も喜んで!」とバズーも続き、デイズは一呼吸おいてから「ア、アタシも喜んで……」と顔を赤らめて頷いた。
「オッケ、じゃあ後で返事しとくから……って、デイズ!? なんか凄い顔赤いけどどうしたの!? 熱でもあるの!?」
「えっ!? あ……、何でもないよ嫌だなあ〜! 多分熱々のグラタン食べたせいね! だってホラ普段血色の悪さピカイチなカインさんだってほっぺたちょっと赤くなってるし!」
「そっか? まあ、酒も飲んでるしね俺」
 いきなり矛先を向けられても実に淡々としているカインである。
「アタシもちょっとワイン飲んじゃった! だからだよ! 熱なんかないない! あ、さーてと、ごちそうさまでした! みんな早く食べちゃってよね片付かないから!」
 何やら必死に誤魔化したデイズだが、様子がおかしいことは見た目に明らかである。しかし誰もそれ以上追求しなかった。追求してはいけないだろうという空気がどこからともなく流れてきたからだ。
「……お前がドキドキしやがると俺にも少し連動するからスゲー勘弁なんだけど……」
 嗚呼、早く過ぎ去ってしまえバレンタインデー……。誰にも聞き取れないほどの早口小声でボヤいてバズーは深くため息を付き、その目の前でバズーの切ない心模様など知る由もないルシフェルは意気揚々と窓の向こうで待っていたバアルの使いのカラスにディナーの参加を伝えるメッセージを書いた紙を渡すと「よろしくね」と微笑んで手のひらを振った。また、明日がなんの日か知る由もないカインは我関せずお酒のおかわりを注ぎつつ明日のディナーは何が食べられるのかと想像を膨らませていた。



 ちなみにその頃、天界では夕飯の献立を考えながらラファエルが無人の市場を歩いていた。天界に貨幣は存在しない。必要なものを必要なだけ店から持っていくという自由なスタンス、それゆえに店は無人なのである。
 空腹が満たされればなんでもいい。ラファエルはパッと目に入ったパンとリンゴとミネラルウォーターの瓶をカゴに放り込んだ。すると「ラファ兄!」と背後から呼ぶ声。自分をラファ兄と呼ぶ者は一人しかいない。振り返ると案の定そこには同じく夕飯の食材を揃えに来たのだろうヨーフィがいた。
「奇遇だね! ラファ兄は夕飯なに……、あっ、ま〜たそんな超手抜き飯かよ〜! ちゃんと食べようぜラファ兄〜!」
「余計なお世話。腹に入れば何でもいい」
「ラファ兄ってホント、何が楽しくて生きてるんだが……」
 ついうっかり頭に思ったことをそのまま口に出してしまった。「蹴飛ばしてやろうか?」とラファエルに言われヨーフィは慌てて「何でもない何も言ってない」と口を押さえる。
「えーと……、ところでさ、ラファ兄は甘いものって好き?」
「甘いもの? あまり好きではないな」
 即答である。これはどうしたものかとヨーフィは一瞬言葉に詰まった。
「そ、そっか……。ちなみに! 明日がなんの日かは知ってる?」
「明日? ああ、まあ一応は」
「なら話は早いぜ! えっとね、俺は甘いもの大好き! マジ超大好き!」
 これでもかという程の満面の笑顔でもってヨーフィはラファエルを見上げた。はて、本人は遠回しに伝えているつもりなのだろうが……、実に分かりやすい。
「なんだ、菓子が欲しいなら欲しいと素直に言えばいいだろ、まどろっこしい」
 言うとラファエルはキョロキョロと店を見渡すと、パッと目についたウサギの形をしたホワイトチョコをヨーフィにポンと投げ渡した。
「え? あ、いや、違う……」
 唖然としつつ違うと訴えつつ、しかし反射的にヨーフィは投げられたチョコをキャッチしてしまった……。
「あ、あの、違くて……。こういうことじゃあないんだなあ、うん……」
 まず、今日じゃない、明日欲しいんだ。それと、一応俺にお似合いな子供っぽいチョコを選んでくれたのは嬉しいけど出来れば手作りがいいなあ。などと言いたいことが頭の中をグルグルと駆け巡る。が、
「なんだ、不満か?」
 ラファエルに真上から凄まれて言いたかった台詞など一瞬で吹き飛んでしまった。
「いえ! 不満などあろうはずが御座いません! ありがとうラファ兄! 嬉しいでーす!」
 と、言いつつもやっぱりこの結果は正直ちょっと寂しい……。ヨーフィはお礼を終えると「うわああああん」大声で嘆きながら明後日の方向に物凄い速さで走り去っていった。
「……変なヤツだ」
 遠のいていく小さな背中を見送りつつボソリ呟くと今度は背後から「ヨーフィ君、可哀想に……」という消え入りそうなくらい小さな声が。振り向くとそこにはいつも通り顔の半分をマスクで隠した天使、アザゼルが買い物カゴを片手に立っていた。彼も夕飯の食材を揃えに来たのだろう。カゴの中は色とりどりの野菜で一杯だ。いや、そんなことよりも……
「お前に背後から声を掛けられると流石の私でもビックリするな……」
 悪意はないのだろうが、彼は人を酷くビビらせるオーラを持っている……。何故だ。と、常々気になっているラファエルであった。
「なんかよく分かんないけど酷いこと言うねラファさん。酷いよ酷いよ。でもヨーフィ君に対してはもっと酷〜い。明日、手作りお菓子あげればいいのに。きっと凄く喜ぶよ?」
「断る。面倒だ。それにくっだらない。こんなイベントの何が楽しいんだか。由来となった女神の正体を知っていれば尚更だ。言わないでおくがな。世間一般の民は深く考えずに楽しんでいるようだから?」
 一応ここ天界も時期だけあってチョコレートやクッキーなどのお菓子がたくさん店頭に並んでいる。ラファエルはそれを至極冷めた目で見ていた。
「全く、お堅いんだから。いいじゃないの、日頃の感謝を伝えるって素敵なイベントだと思うけどなあ〜。世の中は楽しんだ者勝ちですよ〜?」
「アザゼル、それはどこぞの魔王と同じ考えだぞ」
 顔を半分隠していてもアザゼルが笑っていることはその細めた目を見れば明白であった。おちょくられた気がしてラファエルは眉間に深く皺を寄せる。と、その時、ふと聞き覚えのある足音が耳に入った。耳の良いラファエルだからこそ聞き取れた僅かな足音。その足音の主は恐らくラファエルのこの地獄耳を警戒したのだろう、一度地面を蹴って、それっきり地に足を付けていない。察するに翼を羽ばたかせて移動をしている。と、いうか、羽ばたいている音がしっかりと聞こえる……。
「ラファさん、どうかしたの?」
 アザゼルが急に黙ってしまったラファエルの顔を覗き込む。
「……何でもない。とにかくこの話は終わりだ。失礼する」
 アザゼルの返事も待たずにラファエルはその場から音もなく足音の聞こえた地点へと姿を移した。するとやはり案の定、見覚えのある水色の髪の天使が羽を広げてフヨフヨと足を浮かせながら宝石店を熱心に覗き込んでいる姿があった。
「やあ、ミカエル。裏切り者のお前がこんなところで何をしているんだ?」
 驚かせてやろうという確かな意図を持ってラファエルは後ろから勢い良くミカエルの肩を抱いた。ギョッと恐怖に見開いたブルーの瞳がラファエルを凝視する。まさか見つかるとは思ってなかったのだ。
「ラ、ラファエル……!? いや、あのあのあの、今日はね、あのね、スパイとかそういうんじゃなくてね!? ええと、どうしても僕お得意のお菓子を作るのに必要な材料が魔界にはなかったもんだから、と、取りに来ちゃったん! それだけ! なにも悪意はないのん! ホント! ホントだよ!? ちょっと材料を取りに来ただけ! ……見逃してくださーい、見逃してくださーい!!」
「全く、馬鹿ばっかりだ!! 緊張感が無いにも程がある!!」
 両手を合わせーの大きな目に涙を溜めて必死に頭を下げ哀願するミカエルに対してラファエルは逃がさんとばかりに強くその肩を捕まえたまま声を荒らげた。
「ひいいいっ! ラファさん、そんな怒らないで〜! ごめんなさーい、ごめんなさーいっ!」
 なんだか、今にも泣き出しそうな顔だ。情けない。ラファエルは怒りを通り越して呆れてしまった……。
「……ただ必要なものを取りに来ただけなんだな……?」
「は、はい! そうですんっ!」
 嘘偽りは一切ありませんと真っ直ぐに目を合わせてミカエルは何度も頷く。……仕方がない。ラファエルは大きくため息を付いてミカエルから手を離した。
「分かったよ。さっさと用を済ませて帰れ。一応、側で見張らせてもらうが」
「うわん、ありがとうラファちゃん!」
「気易く呼ぶな馬〜鹿!!」
 怒鳴りつけてもミカエルは反省の色もなく「テヘッ」と舌を出しておどけてみせ、意気揚々と宝石の物色を始めた。
「……お菓子の材料を取りにきたんじゃないのか?」
「は〜い、それもそうなんだけど〜ん。ホラ、あの人は光モノも好きだからプレゼントしたら喜ぶかなーって。あ、見てラファエル! コレなんかあの人に似合いそうじゃない!?」
「知るか!! 勝手にしろ!!」
 馬鹿ばっかりだ……と、再び呟いてラファエルは空を仰いだ。
「まあ、私も人のことは言えない、か……」
「え? なんか言いました?」
 ラファエルがうっかり零してしまった独り言にミカエルが振り向く。
「何でもない。いいからさっさと選べ」
 馬鹿だよな、本当……。心の中で呟いてラファエルは声も出さずに自分を嘲笑った。



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