【01:胸焼けするほどの愛を捧ぐ:中編】


 とうとう迎えた本番当日。打ち合わせ通り程良く朝食を終えたタイミングでレヴァイアが「食料品の買出しを手伝え」とカインを誘いにルシフェルの城へやって来た。
「ヤダよ、面倒くせー」
 第一声はいつもこうだが、カインは基本的に兄貴分であるレヴァイアの誘いを断らない。今日も「いいじゃん、どーせ暇だろ〜?」と押されただけで「まあな! 分かった、手伝うよ」と、すぐに頷いた。こんなにすぐ折れるなら最初から素直に返事すればいいのに、とルシフェルは常々思う。
「んじゃルーシー、カイン借りてくぜ〜」
「はいよ、どーぞどーぞ遠慮無く。タダ飯食らいなんだから遠慮無く重いモン持たせちゃっていいからね」
「なんだとコノヤロー!! テメーだって仕事っつー仕事なんにもしてねーだろがよーッ!! ……じゃ、行ってくる」
 悪鬼のような顔をして大声で怒鳴り返したと思いきやすぐにクールダウン。切り替えの早い男だとこれまたルシフェルは常々思う。
 コートを羽織って財布と煙草とジッポをポッケに入れるだけで彼の支度は終わる。彼の両耳を彩る沢山のピアスはいちいち着脱するのが面倒らしく、もうかれこれひと月は付けっ放し。ズボラでいられる男は楽でいい。だがしかしルシフェルはそれを許さない。
「待て待てい!! 寝グセくらい直しなさいよ、だらしない!!」
 頭のてっぺんでピョンと歪に跳ねている髪を指差し叫ぶとカインは「ああ、はいはい」と頷いて頭をガシガシと手櫛で適当に掻き回した。本人はそれで寝グセを直したつもりらしいが、どう見てもただ髪がグッチャグチャになってヘアースタイルが悪化しただけである。
「アンタね、レヴァ君ですら寝グセくらいちゃんと直してるのよ!? 全く本当にだらしないんだから〜!! はい、そこ座る!! 座りなさい!!」
「レヴァ君、で、す、ら、とわ、何事かなルーシー」
 悪口は聞き逃さないよとばかりにレヴァイアが微笑むと、ルシフェルは「しまった!」と小声で呟いて「言葉のあやで御座います」と即座に頭を下げた。
「まあいいけどね。いいけどね! 俺ってどーもそういうイメージで見られがちだからね! 慣れてるもん!」
「ああああ、いや、だから本当に言葉のあやってヤツでえええ……。んっもう、カインのせいだぞっ! とにかくその寝グセを直しなさい!」
「あんだよ、うるっせーなあ〜……」
 実に不服そうに、しかし女帝に逆らって得することなど何も無いと知っているカインは素直にルシフェルの指差す椅子に腰掛けた。その隣でレヴァイアは口元を手で隠し肩をビクビク震わせて実に分かりやすく声を殺し大爆笑だ。「笑いすぎ」とカインが凄んでも彼は肩の震えを止めない。
 そんなやり取りは我関せず、ルシフェルは意気揚々と自室から持ってきたヘアワックスを使ってカインの頭をワシワシと揉み整え始めた。
「なんか、猿の毛繕い風景みた〜い」
 レヴァイアがケラケラと笑う。
「テメ、今なんて言った!? ……おい、もういいだろ?」
「ん〜ん! まだ! もうちょっと!」
 ルシフェルはワックスのついた手を綺麗に洗うと今度は自身の愛用している赤のアイシャドウをポッケから取り出して「はい、目を瞑って。そのまま動くなよ〜」と前置きし、カインの目元に指でチョンチョンと塗りつけ始めた。
「なにすんだルーシー!! ボク男の子!! お化粧なんて要らないよ!!」
「ダ〜メ、アンタ血色悪いんだからちゃんと色を入れた方がいいの! それにメンズコスメは魔界のトレンドよ! 見なさい、レヴァ君ですらお出掛けの時はちゃんとアイメイクくらいしてるんだから! 少しは見習いなさい、はい、動かないの!」
 この女帝はカインが声を荒らげてもお構いなしである。なんだかもう情けないくらいに好き勝手やられ放題だが、しかし逆らうと面倒だ。とても面倒だ。ゆえにカインはいつもどれだけ弄ばれようと腕組して眉間にガッツリと皺を寄せ、ルシフェルが満足するまで大人しく耐えるのであった。
「よし、終わった! バッチリ! 可愛い、可愛い」
「はいよ、どーも。ったく、人を玩具にしやがって」
 ブゥ、と頬を膨らませカインは椅子から立ち上がった。
「嫌なら自分でしっかり身だしなみを整えなさ〜い。いつもそう言ってるでしょ〜?」
 ルシフェルが言うとカインはますます不服そうに唇を尖らせた。本当、ルシフェルはいつも言っているのだ。しかしカインのズボラは治らない。どうにもこうにも一向に治らない。隙あらばサボろうとする。しっかり身だしなみを整えるという習慣がどうにも彼には欠けているらしい。
「うるっせーなァ。悪いレヴァイア、待たせちまって」
 自業自得を自覚しているのだろう、言い返すのをさっさと諦めてカインはルシフェルに背を向けた。
「いやいや、気にしないよ。じゃ、ルーシー。改めてお兄さんお借りしまーす」
「はーい、どーぞどーぞ。便利に使っちゃってねー」
「そりゃあもう。ところでバズーは? ついでに誘おうと思ってたんだけど見当たらねーな?」
 人懐っこいバズーはいつもなら必ずレヴァイアが訪ねると顔を出す。しかしどうしたことか今日は姿を見せない。
「ああ、あの子ちょっと朝から様子おかしいから放っておいて平気」
 その言葉だけでレヴァイアは事情を察し、クスクスと笑みを溢した。
「なんだ、情けないヤツだな〜! 分かった。じゃあ行ってくる」
 こういう時は、そっとしとくに限る。レヴァイアは何を追求することもなくルシフェルに見送られるままカインを連れて城を出た。今日も良い天気だ。空が赤い。
「全く、女の子には敵わないよな。お互い」
 街に向かって歩を進めながら、ふと思い出したようにレヴァイアが言うとカインは堪らず苦笑いをした。
「ホンット、毎日毎日あれこれうるさくて敵わねーよ。どーにかしてくれ」
「でもなんだかんだ言って実は満更でもないんだろ?」
「…………お前もうるさいな!! どうにかなれッ!!」
 言うとカインは煙草を咥えて火をつけながらレヴァイアを早足で追い抜いていった。やれやれ、少しからかっただけですぐムキになる……。レヴァイアは必死に笑いを堪えた。
「坊や、お子ちゃまねー。そんなんだから女の子に言い負けちゃうのよ。ちなみに、まずはお前の大嫌いな野菜から買いに行くからなー」
 この言葉にカインは足を止めると実に不貞腐れた顔で振り返り、「そんなんだったらバアルに付き合ってもらえよ」と至極小さな声で呟いた。どうやら、すっかりひねくれモードに入ってしまったらしい。こういう時は……
「んな顔すんなよ。手伝ってくれたらちゃんとご褒美あげるからさ!」
「ちぇっ。お子様扱いすんじゃねーよ」
 と、言いつつカインの表情は目に見えて険しさが薄れた。実に分かり易く単純な男である。そうやって逐一しっかり反応するからルーシーにイジられるんだぞ……、と言ったらまたカインは拗ねるだろう。レヴァイアは言いかけた言葉を飲み込むと「さあ、行こう」と笑って誤魔化してカインの肩を叩いた。



 よしよし、無事にレヴァイアはカインを連れ出してくれた。ついでに今朝から気配が消えていたバズーも間もなくして魂の抜けたような表情でもって「いいんだ、俺は蚊帳の外だ……」という捨て台詞を残して街へと出掛けていった。
 バズーは一体どうしてしまったのだろう、ルシフェルの「どうせ街に行くならレヴァ君たちと一緒に行けば良かったのに」の言葉にも沈んだ顔をして「いや、今日はイケメンの側を歩きたくない……」という実にらしくない返事。見送りがてら「ディナーには来なさいよ〜?」と言ってもコクリと小さく頷くのみ。本当に今朝から様子がおかしい。何かデイズに心無い言葉でも浴びせられたんだろうか、それともただ単純に、モテないから拗ねているんだろうか……。遠ざかって行く小さな背中が今日はより一層、頼りない。
(まあ、とにかく今日はそっとしておいてあげよう……)
 何はともあれ、これで城から男はみんな出掛けて行った。これからが本番である。
「あ、デイズ。やっぱり手作りするんだ?」
 ルシフェルが意気揚々とキッチンルームに向かうと、そこには既に甘い匂いを漂わせてチョコ作りを始めている先客……というか、キッチンの主の姿があった。主は振り向くとニッと白い歯を見せて少し意地悪い笑みを浮かべてみせた。
「あらあら。珍しい人がキッチンにやって来たわね。買った覚えのない物が冷蔵庫の奥に入ってたから来るとは思ってたけど!」
「流石デイズ。目ざとく見つけてくれたわね……」
「私の視野の広さを甘くみないことよ。ところでさ、ルーシーに手作りなんて出来るの〜? 大丈夫? カインさん死んじゃわない?」
「失礼な! 手作りは愛があれば多分、大丈夫! んでカインはほぼ不死身だから何を食べても大丈夫! そんなわけで隣使わせてもらうよ。邪魔はしないからさ!」
「ん、分かった。しょーがないなー。じゃあそっちのテーブル使ってね。こっちはアタシの領土だから」
 女帝に向かってなんたる上から目線。しかし、仕方が無い。この城はルシフェルのものだが此処キッチンはすっかり彼女、デイズの縄張りである。デイズに家事全般を任せてしまっているのだからこの結果は当然だ。仕方が無いのだ。ルシフェルは喉から出かかった言葉を飲み込むと男どもに見つからぬよう冷蔵庫の奥に隠しておいたお菓子の材料を引っ張り出した。
(しっかしこう改めて見てみると、成長したわねぇデイズって……)
 ルシフェルがモタモタと材料をテーブルの上に広げている横でデイズは一切無駄のない流れるような動きでもって次々とお菓子を作り上げていく。この城に来たばかりの頃はカインの手伝いを借りてやっと料理を作れる程度だったあのデイズが、だ。成る程、諦めずに場数は踏んでみるものである。
(と、いうことは、まだまだアタシにも望みはある……?)
 ルシフェルはテキパキと料理をこなす自分の姿を想像して一人、ニヤけた。
「う〜わ、なに一人でニヤニヤしてんの? きもーい」
「ハッ!? いやいや別に……。って、女帝に向かってキモいとはなんだ、キモいとは!! 自分だってほっぺ赤くしながらお菓子作ってるクセにッ!!」
 見られた……。あれだけ料理に集中していたのだから気付かれないだろうとルシフェルは思っていたのだが、デイズは自分で言うだけあって本当に視野が広いのかもしれない。
「あーらヤダ、アタシのこのほっぺはルーシーの変態笑顔と全然違って恋する乙女のほっぺだからいいの!! 可愛いの!! 大丈夫!!」
「デイズ!! 自分で恋する乙女とか言っちゃうのもどうかと思うんだな、うん!!」
「いいの、言わせてちょうだい!! って、ルーシーなんかと遊んでる場合じゃないわ!! 集中しなきゃ、集中!!」
「ルーシー、なんかと……。デイズ超酷い……。そんなんだからバズーもあんなにイジケちゃうのね……」
 この呟きに対してデイズの反応は無かった。どうやら集中を取り戻した彼女の耳には入らなかったらしい。
「レヴァ君、喜ぶといいね」
 からかい半分に言ってみる。と、何故かこれは聞こえたらしい。デイズの顔が分かり易く真っ赤に染まった。
「そ、そっちこそカインさん喜んでくれるといいわね!」
「デイズ残念! アタシは照れたりなんか致しません!」
「あら、自覚ないの? 鏡を見てみなよ」
「嘘!! 赤いの!?」
「うん、たった今赤くなった。残念〜。って、ルーシー! ガールズトーク弾ませてる場合じゃないってマジで! 手を動かさなくちゃ!」
 せっかくうるさい男たちが席を外してくれたというのに、なかなか作業の進まない乙女二人であった。



 一方その頃、お喋りしてばかりの乙女と違って手早く仕込みを終えたミカエルは城の大広間にて優雅に紅茶を飲みながら一休みしていた。後は冷蔵庫に入れたチョコが冷え固まるのを待ち、仕上げ作業をするだけである。この調子なら無事レヴァイアがいない間に終わりそうだ。向こうは何も意識していないだろうが、ミカエルにとってレヴァイアは色んな意味で最大のライバルである。作り途中のチョコを見られるわけにはいかない。見たら恐らくレヴァイアはそれ以上の物を用意するであろう。何せライバルだ、そうに違いない。多分きっとそうだ。
(嗚呼、それにしても今から緊張しちゃうわん……。バアル様、僕のプレゼント気に入ってくれるかなあ……)
 不安を振り払うためにミカエルは想像してみた。プレゼントを開けた瞬間のバアルの表情を。あの普段はツンと澄ましている表情がゆっくりと綻んでいき、やがて長い睫毛の下にある金色の目がこっちを向いて……、そして柄にもなく照れ臭そうに言うのである「ありがとうミカエル、嬉しい」と。
「やっだあああ〜もおおお〜!! 照れちゃいますん照れちゃいます〜ん!!」
 想像しただけでどうにも耐えられなくなったミカエルは一人、両手で顔を覆ってその場でのたうち回った。仕方が無い、こうでもしないと耐えられないくらい全身が痒くなってしまったのだ。でも大丈夫、誰も見てはいない…………という考えは甘かった。
「何を想い巡らせているやら。朝から随分と御機嫌ですね?」
 背後からおっとりとした声。「キャッ!?」と一声上げてミカエルが振り向くとそこには今日もゴシック調の華やかなファッションに身を包んだ想い人バアルの姿があった。全くこのお茶目な王様は気配を消すのが妙に上手いのをいいことに、こうして人を驚かすのが大好きなのである。
「えっと、えっと、何でもないのん! 気にしちゃダメですん! バアル様こそ今日はなんだかご機嫌よろしゅう〜? 麗しゅう〜?」
 気のせい、ではない。悲しいことに未だ見えない壁があるようで、このようにバアルがわざわざ足を止めてしかも笑顔でミカエルに話しかけてくれることは稀なのである。機嫌の良い証拠だ。
「ええ、まあ。今日という日を思えば言わずもがな。私も男ですからね、否が応でも変に期待してしまうわけです。お察しください」
「へぇ〜、バアルさん程の人でもワクワクドキドキしちゃうなんて意外だなあ」
「自分でももっと澄ましていられたらなと思うんですけどね。申し訳ないことに、どっかのギスギスした地獄耳な大天使と違って私はどうもクールに成り切れないんですよ」
「それってラファさんのこと…………」
 と、その時ミカエルの言葉を遮るようにチリンチリンと来客を知らせるベルが盛大に鳴った。
「誰だろう? 見てきますよ」
「いえ、大丈夫。今日は私が応対します」
「え? でも……」
 戸惑うのも無理はなかった。普段、来客を出迎えるのはミカエルの役目である。バアルが直々に顔を出すことなど滅多にない。それが今日に限ってはどうしたことだろう。「いいから、いいから」と言ってバアルは颯爽と歩いて行ってしまった。何かあるのだろうか、ミカエルは首を傾げつつヤケにご機嫌な王の後ろを追ってみることにした。
「はい、いらっしゃい」
 バアルが門を開けると、その先には小さな女の子が八人ほど、両手にそれぞれ可愛らしいリボンを付けた箱を持って緊張の面持ちで立っていた。だが、彼女たちはバアルの顔を見るや否や「ああ、綺麗」「カッコイイ」「いい匂い」と歓喜の声を漏らし目を輝かせた。まるでアイドルを目の当たりにしたかのような反応である。
「あの……」
 一呼吸置いて一番前に立っていた女の子が口火を切った。察するにこのグループの中で一番のしっかり者なのだろう。
「バアル様、いつも天使から魔界を守ってくれてありがとう御座います! あの……だからコレ……、感謝の気持ちです! わたしたち一生懸命作りました! 受け取ってもらえたら嬉しいです!」
 女の子は頭を下げながら甘い匂いのする箱をバアルへと差し出した。後ろの女の子たちも「受け取ってください!」と頭を下げてお菓子が入っているであろう箱をバアルへと差し出す。成る程、バアルが朝から上機嫌な理由はこれだったのだ。バレンタインデーに理由をつけて子供たちが尋ねてくるのを楽しみにしていたわけである。
「ありがとう。レヴァ君と二人で美味しく頂きますね。さあ、どうぞ顔を上げて」
 バアルは朗らかに微笑み丁寧に箱を受け取っては一人一人の頭を優しく撫で、お返しと称してキャンディーの入った小袋を女の子たちに手渡した。
「うわー、ありがとう御座います!!」
 魔王バアルから頭を撫でられ、直々にキャンディーを貰えるなど滅多にないことである。女の子たちはキャッキャ声を上げてはしゃぐと何度も何度も頭を下げながら足取り軽く帰っていった。
「これだもの、朝から頬も緩むってもんですよ。いくら私でもね。あんな無垢な目で感謝なんて言われたら自分たちのやってきたことにも自信が持てますし」
 バアルはずっと隅で様子を見守っていたミカエルに歩み寄ると、両手に持ったお菓子の箱を見て目を細めた。子供たちからの感謝の気持ち、バアルにとってこれほど嬉しいことはない。
「成る程、納得。微笑ましいっ! ……でもちょっとジェラシー……」
「は? 何がです?」
「だってズルイ〜ん! バアルさん僕にもあれくらい優しくしてくださいよお〜!」
 微笑ましい、だがそれ以上にミカエルにとってあの光景は羨ましかった。それはもう羨ましかった。自分もあんな風に優しく微笑みかけられ、頭を撫でられたい! ……だが、バアルの目は冷ややかだった。
「やれやれ、数千年も生きてるオッサンが何を言ってるんだか」
「ちょっと!! なんて酷いこと言うんですか!! オッサンはやめてくださいよ!! そしたらバアルさん僕より年上ですよ、僕がオジサンなら貴方もオジサンですよ〜!?」
「いいえ、私は永遠の26歳です。オジサンではありません。そんなことよりミカエル、お菓子を早速楽しみたいから紅茶を用意してくださいな」
「そしたら僕だって永遠の24歳くらいで……あっ! 待ってくださいよ〜!」
 さっさと歩いて行ってしまった憧れの人を追いつつ、ミカエルはこの一筋縄では行かぬ相手をどう攻略するべきかまた頭の中でグルグルと策を練るのだった。



「なあ、いつも思うんだけどよ。俺の手伝いって要らなくね?」
 熱いコーヒーを飲みながらカインはボソリ呟いた。大量に購入した食料品はその場でレヴァイアがさっさと城のキッチンに瞬間移動させて収納してくれる。実にラクチンである。しかし、そうなると荷物持ちについてきたカインは何もやることがない。ただただ隣で手際よく食材を買い揃えていくレヴァイアを見ているだけ。俺は一体、なんのためにいるんだ? と、カインが首を傾げるのも無理はなかった。
「まあまあまあ、いいじゃないか。ほらよ、約束のご褒美! 此処の新商品のドーナッツが美味いって評判らしくてさ。俺も一度食ってみたかったんだよね〜」
 カラフルなドーナッツが10個並んでる皿を指さして正面に座ったレヴァイアが笑う。此処は大通りに面したオープンカフェ。一通り買い物を終えたので一休みにとレヴァイアの提案で立ち寄ったのである。
「ひょっとして、男が一人でドーナッツ頬張るのはどうかと思って俺を巻き込んだ?」
「まあな! だ〜って周り見てみろよ、女の子とカップルばっかり!」
「なに言ってんだか! そんなん気にするキャラかよテメー!」
「こう見えて結構気ぃ弱いのよ俺。いいじゃん、お前ドーナッツ好きだろドーナッツ」
 まるで眼鏡気分、ドーナッツを目に当ててレヴァイアがおどける。
「そりゃ嫌いじゃねーけどさ。……うん、美味い」
「マジ? どれどれ。……あ、ホントだ。美味い」
 食事を始めると一気に口数少なくなってしまうのがこの二人の特徴である。二人は美味いと言ったきりこのままドーナッツが無くなるまで一度も会話を交わさなかった。とはいえ二人は早食い、僅か5分で沈黙は終わった。しかし口火を切ったのはカインでもレヴァイアでもない、通りすがりの女性の「あっ!」という一言である。
 胸の谷間を強調し、それは水着ですかとツッコミたくなるくらい露出の激しいその女性はヒールを鳴らしてこちらにやって来ると迷いもなくレヴァイアの肩をバシバシと叩いた。
「いたいた、レヴァさん! 探したんですよ、城に行ったら買い物に出掛けたって言われたから〜!」
 カインは首を傾げた。流石、魔王だけあって街の中だとレヴァイアはとても目立つ。そのまま歩み寄ってきて声をかけてくる者も少なくない。しかしここまで親しげに肩を叩いて声をかけてくる者は稀である。
「あ、なんだ。久し振り。探してたって?」
 さして驚きもしない極普通のリアクション。レヴァイアはバアルに比べればまだ親しみやすい存在とはいえ、唐突に馴れ馴れしくされると眉間にこれでもかと皺を寄せる時がある。と、いうことは少しは見知った仲なのだろう。
「うん。だって今日はアレじゃん? だから昔のよしみってヤツでコレ渡そうと思って! 義理だけど!」
 言うと女性は可愛いラッピングを施した箱をレヴァイアに押し付けた。
「義理ならフツーに城の誰かに預けといてくれりゃ良かったろーに」
「いいの、義理でもちゃんと顔を見て渡すのが女の礼儀なの!」
「で、今日俺を探し回って義理を果たすくらいだからまだ独り身?」
「ちょ〜っと、そこは追求しないでおいてもらえると嬉しいかな! とにかく渡したわよ、食べてね!」
 そして彼女はポカーンと二人のやり取りを聞いていたカインの方に目を向けた。
「すみませんカイン様、男水入らずのところを邪魔しました。どうぞ楽しいボーイズトークを続けてくださいませ。では!」
「ああ、うん……。って、行っちゃった。知り合い?」
 早口に言うだけ言って風のように走り去っていった女性の後ろ姿を見送りつつ、カインは煙草に火をつけた。
「うん、俺の記憶が正しければ元、元、元……ええっと、10人くらい前のカノジョだった子。相変わらず元気そうで良かった」
「へぇ〜。って、それって昔、今の女と付き合ってたってこと?」
「うん、そーゆーこと」
 なんてこたないさといった口調。「昔だよ、昔」と付け足してレヴァイアは淡々とコーヒーを啜った。だがカインは動揺を隠せず、握った拳を嫉妬でブルブルと震わせた。
「えっと、え〜!? 嘘だろ!? お前みたいなチャランポランがあんないい女と!? ずりぃ!! マジずりぃ!! 紹介しろよコノヤロー!!」
「キミ今ボクをチャランポランと言ったね!? って、ヤダよ〜! 紹介なんか出来るわけないだろ、ルーシーに怒られちゃうもん!!」
「あ、ひでぇ!! マジひでぇ!! ああ、そーですかそーですかー。俺が狭〜い狭〜い地下牢で痛〜い怖〜い拷問に苦しんでいる間お前は街であんないい女たちと楽しく遊んでたわけだ。ふーん? いいなあ、魔王っていいなあ〜。んでもって俺なんて牢獄から出れたってゆーのにみんなから甲斐性なしって罵られる日々だわ、損なガキのお守りばーっか。街には綺麗なお姉ちゃんたちがワラワラいるってのに触れ合う機会ま〜るでな〜い。いいんだいいんだ、しょーがないよね、俺ってマジで甲斐性もないし? 所詮は人間だし? いいんだいいんだ、別に」
(出た、お得意の卑屈モード!!)
 ちょっと機嫌を損ねるとカインはいつもコレだ。こうやっていつもヨシ分かったと相手が折れるまで明後日の方向を虚ろな目で見つめてボソボソと卑屈なことを呟き続けるのである。
「よ、よしなよカイン君……。そんなこと言うもんじゃないよ……」
 と、言ってはみたものの……、今までの経験からしてコレは口で何を言ったところで簡単に収まるものではない。さて、どうしたものか。レヴァイアはこっそり周囲を見渡すと一番近くにいた店員を手招きして急いでドーナッツを持ってこさせ、それを問答無用でブツブツ呟き続けるカインの口に捩じ込んだ。
「もがっ!!?」
 呻いてカインが静かになったのを確認すると、レヴァイアは「ありがと助かった」と店員にドーナッツ代とチップを手渡した。
「よし、それ食って機嫌直してくれ兄ちゃん」
 レヴァイアの言葉にカインは何か反論したそうだったが、何せ口の中いっぱいにドーナッツが詰まっている。黙ってモグモグと口を動かすしかない。やがてゴクンと喉を鳴らすとカインは小さく「仕方ねぇな……」と呟いた。どうやら落ち着いたらしい。卑屈モードに入ったカインには食べ物を与えるのが一番有効なのだ。今回も大成功である。
「ったく、人をお子様扱いしやがって……」
 落ち着いたとはいえ、悔しそうだ。
(だって実際にお子様じゃん)
 実際に口に出して言ったらまた面倒なことになるだろう。レヴァイアは言いたくても言えないもどかしさに笑うしかなかった。
「まあまあ落ち着いて。もうちょっとしたら城に行こう。カイン、料理の仕込みもちょっと手伝ってくれよな。いいだろ?」
「ああ、いいよ。どーせ甲斐性なしだし雑用くらいやるさ」
「またそんなことを言う! 俺も似たようなモンだから気にすんなって!」
 やれやれ全く、ちょっとしたことでスグに口を尖らせる。おかげで何にでもすぐムキになっては怒鳴り散らしていた今は亡き友の顔がレヴァイアの脳裏に一瞬過ぎってしまった……。



 約束の時間、午後7時。まずは準備万端整えたルシフェルとデイズが、その後に今日はどこでどう過ごしたやらバズーもちゃっかりやって来た。
「お、来た来た。いらっしゃーい。って、俺の家じゃねんだけどな」
 三人を出迎えたのはカインだった。ルシフェルが「なんでアンタが」と聞くより早くカインは「レヴァイアもミカエルもバアルも今は手が離せないっつーからさ」と理由を述べ、「こっちこっち」と三人を手招いた。
(……なんだろう、どうしよう……)
 自分の前を歩いているのは別にいつもと変わらない、いつも一緒にいるカインである。しかし、今日はどうしたことかルシフェルは妙に彼に対して緊張をしていた。何故こんなに緊張するのだろう。ただ、いつもありがとう、好きよウフフと言ってお菓子を差し出そうとしているだけだ、ただそれだけなのに、こんなにも緊張をする……。
「ところで女二人、なんだよその荷物。持ってやろうか?」
 一応背中に隠しているつもりではあったが、ガサガサと音の鳴る紙袋に気付かぬカインではない。彼としてはただの親切心である。だが乙女二人はビクッと肩を震わし、全く乙女心が分かってないんだからと心の中で溜め息をついた。
「ええっと、私は大丈夫! これくらい自分で持つわ。ルーシーは?」
「あ、アタシも大丈夫、大丈夫! 気にしないで!」
「なんだ、珍しい」
 いつもはちょっとした荷物もすぐに「持て!」と命令口調で押し付けるルシフェルである。なんか変だとカインが首を傾げるのも無理はない。が、彼はあまり他人を詮索しない性分ゆえ、だからといって何を追求することもなかった。乙女二人としては大助かりである。
「お前ら、心ここにあらずって感じだな?」
 ソワソワと落ち着かない乙女二人へ、今の今まで黙っていたバズーが荒んだ目をしてボソリと呟く。はて、なんと返事していいものやら言葉に詰まってしまったルシフェルとデイズは「放っておこう」という共通の答えを出し、まだ何やらブツブツ呟いているバズーを無視して前を向いた。
 そうだ、放っておこう。今の二人にはイジケて卑屈になっている少年に構っていられる余裕はない。とはいえ、お腹を空かせる余裕はあったらしい。廊下を進むにつれて如何にも食欲をそそる匂いが漂ってきた。カインが案内してくれた先はいつもパーティーの際に使用している綺羅びやかな大広間。中を覗き込むとまず目に入ったのはテーブルの上にところ狭しと並んだ豪華な御馳走の数々とその中央にそびえ立つウェディングケーキばりに立派なケーキのタワー。レヴァイアがどれだけ張り切ったかが伺える。
「おーう、連れてきたぜ」
 カインの一声にいそいそとテーブルをセッティングしていたバアル、レヴァイア、ミカエルの三人が顔を上げた。
「いらっしゃい、お待ちしていました。さあ、座って座って」
 バアルに笑顔で手招かれ、ポカンと料理を眺めていたチビ三人はハッと我に返っていそいそと席についた。
「なんか、すっごいじゃん! 美味しそ〜う!」
「凄〜い……。正に豪華フルコースだわ……!」
 今にもヨダレを垂らしそうなルシフェルの横でさっきまで緊張で顔を強ばらせていたデイズも料理に目を輝かせ、沈んでいたバズーも「早く食べたい食べたい!」とはしゃぎ始めた。案内を終えたカインもクールに構えていると見せかけてちゃっかり目の前の分厚いステーキに釘付けである。
「だ〜って、バレンタインをこんな賑やかに過ごすの初めてだからさ〜! 俺スゲー張り切っちゃった! ……あ、バレンタインて言っちゃった」
 しまった! といった風に顔を強ばらせたレヴァイアだが、幸いカインはジッとステーキを見つめるのに忙しく、何も聞いてはいなかった。「セーフ……!」とおどけて誤魔化すレヴァイアの横で「やれやれ」とバアルが安堵する。
「でもレヴァ君をどうこう言えません。何せ恥ずかしながら私も同じく張り切っちゃった! と、いうことで、この生肉のカルパッチョと、このペスカトーレは私が作ったんですよ。食べてみてくださいね」
「流石バアルさん、作るものがお洒落ですん! あ、ちなみに僕は天界からパクッてきたハーブを使ってこの……」
「ところで皆さん、飲み物は何がいいですか? ミカエルの話は長くなるから放っておきましょう」
 ミカエルの話を遮ってバアルはちゃっちゃと脇に添え付けられているバーカウンターに行ってしまった。御馳走を目の前にしておあずけ状態のメンバーには「ちょっとバアルさん! 酷いじゃないですかあ! 言わせてくださいよ〜!」と喚いているミカエルをフォローする余裕もなく。「アタシはいつもの!」「俺はビール」「私は白ワイン」「デイズが白なら俺は赤!」と、それぞれが思い思いの酒をバアルに注文した。この城では料理担当はレヴァイア、お酒の担当はバアルと決まっている。氷を操るバアルがその力を利用しキンキンに冷えた手を使って注いでくれるお酒はとても美味いのだ。
「ルシフェルはいつもの、カインはビール、デイズは白、バズーは赤……ね」
 小声で反復しながらバアルはキラキラと氷の粒子を纏った手で可憐にお酒を注ぎ、ルシフェルのためにシェイカーを振ってカクテルを作った。その昔、お酒を飲んでみたいというルシフェルの頼みを聞いてバアルが作ってくれたピンク・ローズ・フィズという名のカクテル……、そう、何を隠そうこれはルシフェルが生まれて初めて飲んだ思い出のお酒。以来バアルに何を飲むか聞かれると決まってコレを注文するようになってしまった。
「何をやっても絵になる御方……。と、ミカエルの気持ちを代弁してみた。あ、俺はウイスキー、ロックでよろしく!」
 ケラケラ笑いながらレヴァイアがお酒を運んでいく。
「はいはい、ジョッキで入れてあげますよ。どーせすぐ飲み干しちゃうんだから。で、あんなこと言ってますけど、いいんですか?」
 不意に話を振られ、バアルの可憐な手付きをうっとり間近に見ていたミカエルは「あっ」と一瞬言葉に詰まった。
「いや、あの、正に言おうとしていたところだから反論出来まちぇん……あ、そうだ。僕はアイスティーでお願いしますねん」
「アイスティーね、分かりました」
「すいません、どうも未だにお酒は苦手で……って、分かってない分かってないバアルさん分かってない〜〜〜〜んっ!」
 ミカエルが奇声にも似た声を上げて慌てるのも無理はなかった。なにせ分かりましたと返事をしておきながらバアルはしれっとした顔でアイスティーとウイスキーをステアしてカクテルを作ってしまったのである。
「はい、どうぞ。アイスティーで作ってみました。私の城に来たからにはそろそろお酒の味も覚えていただかないと」
 これは、間違いなく確信犯だ。ニヤ〜ッとした笑みがそれを物語っている。
「で、でも……僕、お酒だけは、ちょっと……」
 魔界に来たとはいえ、今までの生活習慣はそう簡単に抜けるものではない。未だにお酒も飲めない菜食主義。ゆえに目で助けを求めてみたが、……席についている面々は料理を見つめるのに一生懸命で一向に気付いてくれない。
「おやおや〜? いけませんね、堅いこと言っちゃって。貴方は私の酒が飲めないんですか?」
「えっと、えっと……、分かりました、いただきます〜ん!」
「それでヨシ。さあ皆さん、乾杯しましょう。今日という日に感謝を。乾杯」
 実に満足気な表情でグラスを掲げるバアル。「お前それタチ悪い上司の鑑みたいな行動だぞ」というレヴァイアの呟きはおあずけも限界に来ていた面々の盛大な「乾杯!!」の掛け声に掻き消されてしまった。
「腹減った腹減った!! いただきまーす!!」
 勢い良くカインがステーキにかぶり付く。フォークで突き刺してそのまま丸かじり。横でルシフェルに「前菜から食え! つーかナイフで切れ!」と言われても聞く耳持たずである。
「アンタね、レヴァ君やバズーですらもうちょっと綺麗に食べ…………てなかった」
「も〜!! ボロボロボロボロ零すんじゃないの、みっともない!!」
 ルシフェルの隣の席、デイズがプリプリしながらバズーの周りをナフキンで拭く。「ごめんなしゃい」と食事もままならない感じで頭を下げまくるバズーがちょっぴり不憫だが、まあ、自業自得だろう。
「もご? にゃんか言ったかルーシー」
 斜め前の席には食べ物を詰め込みに詰め込んでほっぺをパンパンに膨らませたレヴァイアがいた。隣でゆっくり優雅に食事をしているバアルとは対照的である。
「口に物を入れたまま喋るんじゃありません。って、何千年も注意し続けてるのに直らないんだからどうしようもない。……お嬢さんたち、そんなにプリプリし過ぎないでくださいな。言って簡単に直るものではありません。彼がその証拠です」
「そうだけど〜、やっぱバアルの落ち着いた食事の仕方を少しは見習って欲しいなあ」
「お褒めのお言葉、嬉しい限りです。って、待った」
 今の今まで朗らかな笑みを浮かべていたバアルが料理を取ろうとしていたレヴァイアの手を突然フォークでドスッと一突きした。一瞬にしてその場の空気が凍てついたことは言うまでもない。
「いっで〜〜〜〜!! 刺した!! 刺した!! 俺の手ぇ刺した!! バアル、テメー!! あにすんだコノヤロー!!」
「だってそのステーキ、最後の一切れじゃないですか。私まだ一口も食べてない。譲りなさい」
「欲しいなら欲しいって口で言えよー!! いきなり刺すなよ痛いだろー!! 血ぃ出るかと思った、マジひでぇー!!」
「慌てちゃったんです、ごめんなさーい。うん、美味しい」
 喚くレヴァイアそっちのけで強奪したステーキを満足気に頬張るバアル。一見上品に見えても、やはり魔界の王は魔界の王なのだった。
「今の技なら見習ってもいいな」
 カインがボソリ呟く。
「ダメダメダメダメ、今のは見習っちゃダメ! 全くもう、男ってヤツは。ミッちゃんだけが希望だわもう」
「おお、いきなりこっちに振ってきたね!」
 周りのやり取りをただニコニコしながら見ていたミカエルが目を大きく瞬きさせた。
「確かにミカエルは行儀がいいよな。俺が押し付けた野菜も黙って全部食ってくれるし」
「アンタ、アタシに隠れてこっそりミッちゃんになんて酷いことしてんのよ〜!! ミッちゃん、ちゃんと文句言わなきゃダメじゃないの!! 親切にするとこの男すぐ調子に乗るんだからダメだよ黙ってちゃ!!」
「いやいやいや、僕はお野菜が好きだから別に」
「ほら、本人こう言ってんじゃん。全く、人を鬼畜みたいに言いやがって」
「こら、カイン!! 俺様の料理で好き嫌いするとはいい度胸だな!!」
 どこから話を聞いていたのかレヴァイアが身を乗り出した。
「しょーがねーだろ食えねんだから!! 前から野菜だきゃゴメンって言ってんだろ!!」
 何か言われるとすぐムキになるカインである。
「いやいや気に食わねえな!! せめて一口食ってから言いやがれ!!」
「分かってねーなホントに!! 一口食うのも嫌なんだよ!! とにかく嫌なのゴメンナサイッ!!」
「お前コノヤロー!! 根性なし!! そんなデケー図体して野菜が怖いたぁ情けねえ話だぜ!! こうなりゃ無理矢理にでも口に捩じ込んでやる!!」
「こらこらこら! やめなさい! や〜めなさいったら〜!」
 嗚呼、始まってしまった。さて、どうしようかとルシフェルが考え巡らせたその時、二人の間に挟まれていたバアルがバンとお皿が全部宙に浮くくらいの勢いでテーブルを叩いた。
「ええい、いい加減にしろ!! うるさいぞ!! それ以上騒ぐと、このナイフをどタマに突き刺す!! 分かったか!!」
 ドスの利いた一喝。カインとレヴァイアは顔を見合わせると「ゴメンナサイ」と謝って怖ず怖ずと席に座り直した。早く謝らないとバアルは本当にナイフを突き刺してくる。すぐに引っ込んだ方が賢いのだ。
「うん、よろしい」
 満足気に頷いてバアルはまた優雅に食事を始めた。
「あわわわ……。あ、バアル様! グラスが空じゃありませんか! どどどどどどうぞ!」
 あわあわと気を利かせて赤ワインをグラスに注ぐレヴァイアの姿は姉さん女房に頭が上がらない弱い亭主そのものである。女房などと表現したら男としてのプライドが高いバアルは怒り狂いそうだが……、とにかくデイズの目にはレヴァイアのそんな部分が可愛く見えるらしい。戦場では雄々しく、家ではフニャフニャ。ギャップ萌えというヤツだろうか……。
 一連のやり取りにクスクスと口元を手で隠してミカエルが笑う。やれやれ、きっと天界ではもっと行儀のいい食事風景が広がっているんだろうなあとルシフェルは思った。何せ天使と聞いて真っ先に顔の浮かぶラファエルがギャーギャー騒ぎながら食事をする姿など全く想像つかない。と、いうことはきっと行儀がいいはずなのである。
「ゴメンね、ミッちゃん。うるさい食卓で」
「ううん、賑やかで楽しい。天界にいた頃はこういう食事って全然無かったから」
 クスクスと笑ってミカエルは不慣れな酒を口に含むと「凄い味だわん!!」と叫んで端正な顔を盛大に歪めた。



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