【01:胸焼けするほどの愛を捧ぐ:後編】


 楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。気付けばあんなにところ狭しと並んでいた御馳走は殆ど平らげられてしまった。テーブルの中央にそびえ立っていたタワーケーキも跡形ない。こんなに沢山、まず食べ切れないだろうと思っていたが男どもの底無しの食欲たるや、恐るべし。
 ルシフェルはお酒を飲みながら周りを見渡した。大人に並んでガツ食いしたバズーは先程「う〜、苦しい……」と呻いて部屋の端にあるソファーに寝転び、そのまま寝息を立て始めてしまった。斜め前の席では慣れない酒のせいで酔っ払ったミカエルが聞き取れない独り言をブツブツ言いながら真っ赤に紅潮した顔に薄ら笑いを浮かべてテーブルに突っ伏している。カインとレヴァイアは煙草の煙が苦手なミカエルを気遣って離れた席に移動し、煙草と酒を嗜みながら何やら談笑中だ。そして真横には、緊張の面持ちのデイズ……。
「お嬢さんたち、そろそろ頃合いなんじゃないですか?」
 乙女二人の後ろからお酒のおかわりを差し出しながらバアルが呟く。そう、御馳走を食べるのに夢中で少し忘れていたが、本番はまだこれからなのだ。ルシフェルの身体を再び激しい緊張が襲った。お酒を飲んで美味しいものを食べればきっと緊張など吹っ飛んで良い本番を迎えられるだろうと思っていた。だが、甘かった。この緊張は酔いと満腹感ですっ飛ぶような代物ではない。
「あの、バアルさん……。もっと強いお酒、ください……。き、緊張、しちゃって……。とてもとても……」
 真っ赤な顔を俯かせてデイズが呟く。そうだ、まだ酔いが弱いのだ。もっと酔っ払えばなんとかなる。何故なら酒は万能だ! ……多分。そう考え「アタシも」とルシフェルも挙手して便乗した。
「か〜わいい二人とも緊張しちゃってっ。分かりました、お待ちを」
 バアルの指にほっぺをグリグリと捏ねられ、ルシフェルとデイズは思わず顔を見合わせた。女が一人じゃなくて良かったと思えた瞬間である。
「ルーシー、どうしよう……。緊張するなっていう方が無理だよねえ……?」
「うん……。なんか、こう、改めて好きですとか超恥ずかしいんですけど……。でもせっかく勢いでお菓子作っちゃったもん、最後までやり通さなきゃダメよね……?」
 ボソボソ小声で乙女会議。しかし逆恨みなんだろうが当事者だというのにこっちの気も知らず呑気に談笑しているレヴァイアとカインが実に羨ましいというか腹が立つというか……、乙女二人はなんとも言えない気持ちになった。
「はい、どうぞ。ウォッカベースのカクテルです。ご注文通り強めに作ってみました」
 眩い笑顔でバアルがグラスを差し出す。なんだか、楽しそうだ。とても楽しそうだ。
「バアルさあ、楽しんでるデショ……! 応援してるようで実は楽しんでるデショ……! ん、このお酒めっちゃ美味い……!」
 チビチビとお酒を飲みながらボヤくルシフェル。バアルは何を反論することもなくクスクスと肩を震わせて笑うばかりだ。と、その時、徐に向こうでカインが席を立った。
「あれ? ドコ行くの?」
「ん? ……オシッコ!」
 ルシフェルに真顔で答えてカインは部屋を出て行った。
「オシッコとか言うなっつーの……!」
 恥らいの無い男ってヤダわ、……と、ちょっと待て。呑気にそんなことを考えている場合ではない。これはもう勝負に出るタイミングかも分からない。
 一人残ったレヴァイアはというと煙草を灰皿に押し付けた後、バーカウンターで「なに飲もうかな〜」と鼻歌を交えながら呑気に酒を物色し始めていた。デイズもデイズでこれは勝負のタイミングである。
「ほら、二人とも。チャンス、チャンス」
 バアルがニッコリ微笑んで二人を後押しする。
(よ、よし、頑張るぞ……!)
 ルシフェルはグラスに残っていた酒を一気に喉に流し込むと「義理! 義理! 義理! 義理!」と声を上げながら問答無用でバアル、レヴァイア、意識朦朧のミカエルとバズーに次々とお菓子の箱を手渡した。
「よし、義理が渡せたんだ!! 本番も上手く渡せるに決まってる!! では行ってきます!!」
 無茶苦茶な理論だが、とにかく言いたいことを言ってルシフェルはビシッと敬礼した後、カインを走って追いかけて行った。
「……ルーシーの馬鹿……!」
 デイズは深く溜め息をついた。もっと普通に出発することは出来なかったのか。こんな空気の中を取り残された自分の身にもなってみやがれ。そう今すぐにでもルシフェルを追いかけて胸倉を掴んで訴えたかった。しかしそれはなんの得にもならない行為だ。ガサツな子と思われてしまうだけである。ならば、此処はいっそ便乗した方が賢い。
(しょーがない、こうなりゃヤケよ……!)
 ルシフェルと同じくグラスに残っていた酒を一気に喉に流し込む。そうだ、こうなりゃヤケだ。勢いに任せてどうにかしてやる。
「あ、あの、レヴァさん……!」
 ポカンとルシフェルに押し付けられたお菓子の箱を見つめているレヴァイアに向かって、デイズは意を決して声をかけた。「ん?」と首を傾げながら無邪気な顔が振り向く。相手は一見、親しみやすいように見えてもただの小娘が好意を抱くにはあまりにも恐れ多い男である。しかし、お菓子くらい渡したってバチは当たらないはずだ。デイズは緊張でひっくり返りそうになりながらも声を振り絞った。
「えっと、渡したいものがあって……。ちょっと此処だとみんながいて恥ずかしいから、どっか他で……。いいですか?」
「俺に? ああ、うん……」
 パチパチと瞬きをした後、レヴァイアはバアルの方をチラリと見た。あ、女房に頼りやがった! とデイズは軽くショックを受けたが、まあいい。想定の範囲内である。
 バアルのことだ、「行ってやりなよ」と微笑んでくれたのだろう。二人のアイコンタクトは一瞬で終わった。
「いいよ、じゃあちょっと外に行こか」
 言ってレヴァイアはルシフェルから貰った箱をバアルに預けるとデイズを手招きしてガラス扉を開け、薄明かりの照明が綺麗な中庭へと歩いて行った。
(よっしゃ、こんな機会滅多にないもん。大事にしなきゃ……!)
 気合を入れ、デイズはレヴァイアの背中を追った。途中、そっと振り返ると優しく微笑んでいるバアルと目が合った。なんだか微笑ましくて堪らないといった感じである。
「大丈夫、相手はレヴァ君です。絶対に喜んでくれますよ。頑張れ」
 また励ましてくれた。バアルが大丈夫というからには大丈夫だろう。ああそうだ、きっと大丈夫だ。デイズは「はい!」と元気よく一礼すると改めてレヴァイアの背中を追った。
(みんな初々しくて可愛いなあ。私も数千年前はあんな時期があったようななかったような。……なかったな。チッ)
 席に残ったバアルは自分ももっと可愛い心を持って生まれてあんな気持ちを味わってみたかったなあ〜などと考え巡らせつつ、ルシフェルがくれたお菓子をいち早く見てみようと箱の包装を解いた。若干緩んだリボンの結び方と包装具合が逆に不慣れなルシフェルが自力で頑張ったことを証明している。さて、果たして上手く出来ただろうか。練習の成果はあっただろうか。一生懸命にお菓子を作ったルシフェルの姿を想像すると否が応でも頬が緩む。いよいよ蓋を開けてみよう。と、その時、不意にテーブルに突っ伏していたミカエルが「フフフッ」と怪しい笑い声を漏らして顔を上げた。
「フフフッ。やっと二人きりになれましたね、バアルさん……。ぼかぁこの時を待っていたんでふ」
 ……明らかに目が据わっている。呂律も回っていない。相当酔っているのだろう。
「は? いや、ちゃっかり向こうにバズーいますよ? 意識は無いけれど」
「またまた、二人きりが照れ臭いからって嘘ついちゃって〜ん」
「はあ? いや、照れてねーし! 嘘じゃねーし! って、何をする!?」
「憧れの貴方様!! 好きでーす!! 好きなんでーす!!」
 思わず言葉遣いが崩れてしまったバアルへ思いのたけをぶつけながら勇敢にも抱きつくミカエル。いや、勇敢というよりも酔いが回っていて何も考えていないだけだろう。
「ええい、そんなに酔っているならもう休め!! 引っ付くな!! 暑苦しい!!」
 元はといえば面白半分にお酒を飲ませたバアルに非があるのだが、そんな気遣いもなくミカエルの顎を手で押して引き剥がしにかかる。一応、爪で刺さないだけまだ優しいのかもしれない。
「う〜〜〜……! しょんな冷たい貴方がますます好きでーす……ッ! と、いうことで渡したいものがあるんです〜ん」
 あんなにムキになって引っ付いていたクセに急に何かを思い出したようにミカエルはあっさり腕を離すと、何処からともなく綺麗に包装され綺羅びやかなリボンを付けた箱を出し、それを「はいドーゾ」とバアルに手渡した。恐らくは今の今まで冷蔵庫にしっかり入れておいたのだろう。ひんやりと冷たい。
「おやまあ、これを私に?」
「はい! バアルさんに! どうぞどうぞ開けて開けて開けちゃってくださいまし!」
 パッと見ホールケーキでも入っていそうな大きさの箱である。開けてと言われると焦らしたくなる性分だが、さあどうぞさあどうぞと目を輝かすミカエルの圧力たるや半端ではないのでバアルは素直に箱を開けてみることにした。
「一体なにが入っているのかな? …………おお、なんと……!」
 中に入っていたのは宝石と見紛うようなキラキラと輝く色とりどりのフルーツをふんだんに乗せたハート型のタルトだった。光モノ好きなバアルのどツボを押さえたお菓子である。
「どうですかバアルさん! 美味しそうでしょ!? 命がけで天界から材料仕入れて頑張って作ったんですよ僕! えっと、それからコレはオマケ!」
 今度はジャラリと何処からともなくアメジストのリングとネックレスとブレスレットを取り出しバアルの手に渡す、最早押せ押せ状態のミカエルである。キラキラしたものを急にあれこれ渡されたバアルの目は狙い通り輝きっぱなしだ。
「なんかバアルさんって僕の中ではイメージカラー紫なんでアメジストを選んでみましたのん。気に入ってくれましたん?」
「ええ、ええ、それはもう……! 嬉しい! 嬉しいです! ミカエル、今までごめんなさい。私は貴方を少し誤解していました。そういえば貴方は天界と魔界を自由に行き来することが出来たんですよね。素晴らしい!! 宝石盗み放題じゃないですか!! こんなに素晴らしいことはありません!! この調子でもっとどんどん奪ってきなさい!! オホホホホッ!! これで天界の宝石は私の物ですよ!! ざまーみなさい、神!!」
「そ、そっちか〜!! そっちの意味で喜んでたんですか〜!!」
 宝石を見つめて高笑いするバアル。なんだか僅かにミカエルの狙いは外れてしまった感じである……。まあ、でも、こんなにも大喜びしてくれてることだし、ミカエルはまあまあ成功と思っておくことにした。そうだ、こんなに喜んでくれているのだ、とりあえず大成功である。早速お菓子を食べるつもりなのか笑顔でいそいそとお皿やタルトに合いそうなシャンパンを用意している王の愛らしい姿を見れたことはミカエルにとって何にも代えがたい。ヨシとしておこう。
「さてと、いただきまーす。天界の新鮮な果物なんて滅多に食べれませんからね。ゆっくり味わうとしましょう」
 準備万端、意気揚々とタルトを頬張る王様。はてさて、酔って若干思考は鈍っていても、やはり憧れの人に手作りのお菓子を振舞うのは緊張する。どんな感想を言ってくれるだろう。ミカエルが心臓をバクバクさせて待っていると、バアルはしっかりと目を合わせて「美味しい」と微笑んだ。
「とても美味しい。ミカエルにはお菓子作りの才もあったんですね」
「あわわわ……!! ありがとう御座います〜ん!!」
 ミカエルは歓喜すると同時にヘニャヘニャと肩に入っていた力が抜けていくのを感じた。バアルはミカエルに対してあまりお世辞を言わない。と、いうことは本当に美味しいと思ってくれたのだ。これは嬉しい。
「うわああああん!! 僕もう死んでもいい〜!!」
「はいはいはい、泣かない泣かない」
 号泣するミカエルを適当にあしらってバアルはパクパクとタルトを口に運んだ。懐かしい味だ。遥か昔、まだ自分が天使だった頃によく食べた味である。
「うん。よくここまで私好みのタルトを作ったものです。ひょっとしてレヴァ君か誰かにコツを聞いたんですか? ……って、おい。起きろ。起きなさい」
 いつの間にかテーブルに突っ伏していたミカエルの脇腹を指で突っついてみる。しかし反応はない。どんだけ突っついてもただ穏やかな寝息が聞こえるのみである。……寝てる。完全に寝てる。バアルに喜んでもらったことで安心してしまったんだろうか。それにしてもこのタイミングで寝るとは……。
「せっかく面と向かって渡してやろうと思ったのに。残念でした」
 繰り返すが、元はといえばお酒を飲ませたバアルに非がある……。だが、この王に反省はない。と、いうことで「まあいっか」と悪びれることなく呟いてバアルは眠っているミカエルを抱き抱えソファーに寝かしつけると綺麗に包装されたジュエリーボックスをその手に握らせた。中身は、いつも雑用を頑張ってくれている彼にささやかなご褒美をと思って用意したアクアマリンのネックレスである。はてさて目覚めた時にどういう反応をするやら、楽しみにしておこう。



「で、俺に渡したいものって?」
 レヴァイアはベンチに腰掛けて真っ直ぐにデイズを見た。本当は分かってるんだけどネ、と言っているような悪戯っぽい笑顔だ。それもそうだろう。今日という日を思えば誰でも察しはつく。
(よし、来た!)
 薔薇が咲き誇り暖色の淡い照明の灯るこの中庭はムード満点、雰囲気は完璧である。そう、何もかも完璧だ。あとは自分が頑張るだけである。
「え、えっと、えっとですね、えっと〜……あれ? えっと……」
 ど、どうしたことだろう……。デイズは自分が信じられなかった。震えるばかりで声が出ない。しっかりと台詞も用意していたはずなのに、全て吹き飛んでしまった。頭の中が真っ白だ。
「どした?」
 ベンチに腰掛けてデイズと目線の高さを合わせてくれたレヴァイアが大きな目をパチパチと大袈裟に瞬きさせる。
 駄目だ、どうしても駄目なのだ。どんなに覚悟を決めても、どんなに酒を飲んでみても、やっぱりやっぱり酷く緊張をする。上手く舌が回らない。目を合わすことも出来ない。嗚呼、心臓がはじけ飛びそうだ。さっき食べたものが口から全部出そうだ。今にも白目を剥いて気を失ってしまいそうだ。呼び出しておいてこんな態度、失礼じゃないか。そう分かってはいても身体が言うことをまるで聞かない。
 今までの人生、こんなに緊張をしたことがあっただろうか。仲間に入れて欲しいとルシフェルの元を訪ねた時でさえここまで緊張はしなかった。
「そーんなに緊張しなくても大丈夫だよ。大丈夫。ね?」
 カチンコチンのデイズと違ってレヴァイアは実にいつも通りである。慣れていると表現していいものか分からないが、彼はこういう時にどんな顔をすればいいか知っている風である。遥か昔から幾多の悪魔たちを牽引してきた男だ、その姿を見て憧れを抱いた乙女は数知れず。やはり、こういう場面には今まで何度も出くわしてきたのだろう。勝手なイメージだがデイズはそう確信している。彼はモテる。絶対にモテる。女の勘がそう言っている。
「デイズ、座ったら?」
「えっ? あ、うんっ」
 と、返事はしたものの、一向に足が動かない。鉛になってしまったような感覚。せっかく隣に座りなよと言ってくれているのに……。なんだか、泣きそうだった。いや、むしろもう既に涙目だ。
 思えばデイズはこうしてレヴァイアと面と向かって二人きりで会話をしたことが殆どなかった。いつも他に誰かしらいる。だからと言ってまさかここまで緊張するとは……。こんなことなら普通にバズーに隣にいてもらえば良かったかもしれない。って、いやいやいや駄目だ。それでは意味が無い。こんな大事な場面であんなスットコドッコイな弟を頼るとは何事だ。一瞬でもそんな考えが頭に過ぎってしまったこと自体、情けない。
(あーもう! 頑張りなさいよデイズ! こんなチャンス滅多に無いんだからっ!)
「ごめんなさい、なんかアタシったら変に緊張しちゃって! 今更ですよねえ〜、嫌だなあ」
 長く続いてしまった沈黙を誤魔化すように苦笑い。効果あったのかレヴァイアはクスクスと小さく笑った。普段なら目の前でデイズが涙目になどなろうものなら「やめて泣かないでバアルに怒られる!」と慌てふためきそうな彼だが、今日はそんな様子は微塵もない。ちゃんと話を聞いてくれようとしている証である。
「ああ、ヘーキ、ヘーキ。気にしないよ」
 デイズを見るレヴァイアの眼差しはとても優しげだ。まるで子を見守るような温かさを含んでいる。これは決して、異性を見る目ではない。やはり彼はデイズを女としては見ていない。少し切ないが、それはそれで気が楽になった。
 自分は、魔王に憧れを抱いた沢山の乙女ちゃんの内の一人に過ぎない。最初から分かっていたことだ。
「えっと、あ、あの……、それで、渡したいものなんですけど……」
「うん。なに?」
 レヴァイアはずっとデイズの目を見てくれている。ここで頑張らなければ女が廃る。デイズは覚悟を決めた。
「はいっ。あの、今日は知っての通りバレンタインデーなわけでして、だからその〜、前の戦争の時に助けてくださったこととかモロモロ、日頃の感謝をいっぱい込めて! 一生懸命作ってきました! 受け取ってもらえたら嬉しいです! どうぞ〜っ!」
 勢いに任せ、ずっとモジモジしながら背中に隠していたお菓子箱を差し出す。やれやれ、本当ならもっと可愛い台詞でもってスマートに渡す予定だったのだが……。
「照れるねえ。ありがと! 早速開けてみていい?」
「はいっ! どうぞどうぞ!」
「よっしゃ! 中身はなんだろな〜?」
 包装紙を外し、箱を開けるとそこには様々な種類の手作りクッキーやチョコレート、パウンドケーキがいっぱいに詰まっていた。デイズの気合の賜物である。
「スッゲー!! 色んなのいっぱい入ってる!! 凄いなデイズ!! これ全部一人で作ったの!?」
 さっきまでお兄さん風を吹かしていたレヴァイアだが、これには素で驚いたらしい。
「はいっ。一種類だけだとつまんないし、もしあんまり好きじゃないものだったら嫌だから。そうだ色んなの入れたらハズレ無いだろと思ったらそうなっちゃった!」
「色々気にしながら作ってくれたんだ? 嬉しいなあ〜。……これも食えるのかな?」
「ええ、勿論……いや! それはただの飾りの造花だから食べちゃ駄目ですっ!」
「うん、だと思った。じゃ、ちゃんとクッキーいただきまーす」
「じゃあ何故聞いたんですかー!! って、うおおおおおおおおお!?」
 デイズは思わず裏返った変な声を上げてしまった。何故なら心の準備もままならぬうちにレヴァイアがクッキーを食べてしまったからだ。これは早くデイズを緊張から解放してあげようという彼なりの優しさである。
 斜め上に視線を向けながらクッキーを頬張るレヴァイア。さて、料理上手の彼から一体どんな感想が飛び出るだろう。緊張の一瞬である。
「……ん、美味しい!」
 レヴァイアは迷うことなく言い切った。
「え? ほ、ほんと?」
「嘘なんか言うわけないだろって! 本当! 美味しいよ!」
 この笑顔が嘘偽りであるはずがない。デイズは胸に温かいものが広がっていくのを感じた。一生懸命に作ったお菓子を、憧れの人が美味しいと言ってくれたのだ。こんなに嬉しいことはない。
「あわわわ……! ありがとう御座います!」
「いえいえ。お礼を言うのは俺だよ。美味しいお菓子、ありがとね」
「い、いえ、そんな……」
 大きな手に優しく頭を撫でられ、デイズはまた違う意味で泣きそうになった。だが、耐えた。ただ喜んでもらうことが目的だったのだ、これ以上の迷惑はかけられない。
「あの〜、みんなには中身ナイショでお願いしますね? ちょ〜っと恥ずかしいんで。誰を贔屓したとかバレちゃうしっ」
「オッケー、了解。特にバズーには見つからないようにするよ。なんだかんだでヤキモチ焼きそうだしな」
「確かにアイツ一番うるさそう……。じゃ、アタシ先に戻ってますね! 一緒に戻ったらなんかおちょくられそうだしっ! えっと、ホントに、受け取ってくれてありがとう御座いました!」
「確かに! じゃ、俺は後から行くかな。……ああ、こちらこそ。美味しくいただくよ」
 ニッコリと笑うレヴァイア。デイズはペコリ一礼すると大広間へと一直線に走って行った。
「可愛いもんだなあ、女の子ってのは」
 小さな背中を見送り、一人残ったレヴァイアは煙草に火をつけながらしみじみと呟いた。しばらく間を空けてから戻ってあげよう。本当はおちょくられるのが嫌ではなく早く緊張から逃れたかったデイズの心を彼はしっかりと読んでいた。なんだかんだで人生経験豊富、多少の女心は分かる男である。
 普段あんなに普通に接しているのに、ちょっと改まるとカチンコチンになってしまう不思議。あんなに強気な女の子も例外ではなかった。可愛いものである。
「ルーシーは上手くいったかな」
 ボソリまたレヴァイアが呟いたその頃、大広間に戻ったデイズはちゃっかり起き上がってバアルとテーブルを囲んで談笑しながら紅茶を飲んでいるバズーを発見した。
「あら、お帰りなさい」
「お帰り、デイズ」
 デイズに気付いた二人が同時に振り向く。
「あ、うんっ。ただいま! で、えっと、バズー、アンタくたばってたんじゃないの?」
「そりゃだってお前、どっかの誰かがド緊張するから心臓バックバクで寝てらんなくなっちゃったんだよ! 心臓爆発して死ぬかと思ったぜ俺! で、上手くいったの?」
「見事に連動しちゃったのネ。そりゃすまなかったわネ……。え? ああ、うん……」
 結果報告を待つ無邪気な弟の顔。あれは上手くいったのか失敗だったのか、デイズは判断に迷って一瞬言葉に詰まってしまった。
「なんだよ、失敗?」
「え!? ヤダな、失敗なんかしてないよ! ちゃんと渡せたし喜んでもらえたもん! ……でも、緊張してメチャクチャな渡し方しちゃった、今思うとちょっと悔しい。うえ〜〜〜〜〜〜んっ!」
「わ〜〜〜〜!! 泣くな、泣くな!!」
「あ、大丈夫。嘘泣きだから。んでは本番も終えたことだし、バズー、はい。義理」
「何のために嘘泣きしやがった!? あ、ありがと……」
 テーブルの下に隠しておいたお菓子箱を手渡すデイズ。義理とはいえ照れ臭いのかバズーは少し顔を赤らめた。
「おやおや、良かったじゃないですかバズー。俺は義理すら貰えないんだーって喚いてましたもんね」
 バアルが口元を手で押さえてクスクスと肩を震わす。
「アンタそんなみっともない姿を晒してたのね……。あ、バアルさんには、コレ! どうぞ! しっかり本命仕様です。いつもお世話になってますっ、受け取ってください!」
「まあ、私にも本命を? それは嬉しい。ありがとう御座います」
「ちょちょちょちょ!? デイズお前、本命二つってどんだけアバズレだよ!? そんなチンチクリンな姿して一丁前に魔王様二人を手玉に取るつもり!?」
「あ、アバズレのチンチクリン!? なんて酷いこと言うのよ馬鹿ッ!!」
「ぐえっ!?」
 咄嗟に放ったデイズの水平チョップが見事にバズーの喉笛を突いた。勢い良く椅子から吹っ飛び落ちるバズー。バアルが「あーあ、やっちゃった」と目を大きく瞬きさせる。
「アタシの言う本命は本当に感謝してますの意味なの!! 本命イコール愛ってアンタちょっとモテない男の考えよそれ!! だ、だからあの、ち、違うんですよバアルさん!! アタシは感謝の意味で本命って……!!」
「アハハッ。大丈夫、分かってますよ。ですから美味しくいただきますね。ありがとうデイズ」
「い、いえ、そんな……」
 いけないと分かってはいても面と向かってこの端正な顔に笑顔でありがとうと言われては、どうしても照れてしまう。デイズは咄嗟に赤くなってしまった頬を手で隠した。が、どうやら間に合わなかったらしい。床に転がったバズーが冷めた目で姉を見上げる。
「ちゃ〜っかり照れてやがる……。このクソぶりっ子め……。しかも感謝してますの意味とかぜって後付けだろ。やっぱり失敗だったんじゃん……」
「うわー!! 余計なことばっか言うんじゃないよ馬鹿ー!! あんまりそんな態度取るようなら義理すらよこしてやらないんだからね!!」
 これ以上余計なことを言われたら堪らない。手っ取り早く黙らせるにはどうしたらいいか考えた結果、気付けばデイズは弟に容赦なくチョークスリーパーホールドをかけていた。
「ぎゃあああああああ苦しいぃいいいいいいいいいいいいいい!!」
 喚くバズー。そしてそこに丁度一服休憩を終えたレヴァイアがやって来た。
「あ〜らら、元気なこって。でもデイズ、脚おっぴろげ過ぎだ。パンツ見えてんぞ」
 一応パンツが何色だったかは言わずにおいた紳士なレヴァイアである。
「ええっ!? んっも〜!! バズーの馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ー!! アンタのせいで台無しよー!!」
「ぐえええええええええ!! 八つ当たりにも程があるよ〜!!」
「こらこらこら、バズーはお腹いっぱい食べてお酒もいっぱい飲んだ後なんだからそんな締め上げたらゲロっちゃいますよ〜。で、お帰りレヴァ君。どんなん貰ったの?」
「ん? 恥ずかしいからみんなには秘密にしてくれってさ。だから秘密だよ〜ん」
「え〜? そう言われると気になるなあ〜」
 笑いながらバアルは僅かにフタの開いたバズーのお菓子箱の中をチラリと覗き込んだ。
「……どう思う?」
 バアルの目配せに、レヴァイアも一緒に箱の中を覗き込む。
「ん〜、少し形の悪いヤツを適当に詰め込んだっぽいな。でもその分、量は多いね。俺にくれたヤツの倍は軽くある。成る程なあ〜。バズーは形の良さを気にするタマじゃないから普通にいっぱいお菓子貰えたってことで喜ぶんじゃない? それに…………」
 ちゃっかり添えられたメッセージカードには「いつもありがとう」の文字。これが義理とはよく言ったもんである。
「意地張らんと普通に渡してやりゃいいのに」
「でも意地っ張りに関しては私たちも人のことは言えませんからねえ。さ、そろそろアレ止めますか」
「そうだな。このままじゃホントにバズーがゲロりそうだ。……お前ら! やめやめ!」
 バアルとレヴァイアはお互い目で合図すると二人がかりでギャンギャン喚きながら絞め技を掛け合う双子をベリッと引き剥がした。そのどさくさに紛れてバズーが「義理」と呟いてデイズのスカートのポッケに可愛く包装されたジュエリーボックスを捩じ込むのが見えたが、そこはまた黙っておいた。せっかくの可愛い意地の張り合いに水をさすのはナンセンスとバアル、レヴァイア二人揃って判断したからである。



 強い酒を煽ったうえ少し走ったお蔭でいい感じに酔いが回ってきた。よしよし、なんだか上手く行きそうな気がする。ルシフェルは意気揚々とカインが向かったと思われる大広間から最寄りのトイレの前で足を止めた。
 さて、どう誘おうか。シンプルに、ちょっと話があるから来い、で、いいだろうか。色々と考え巡らせている最中、頭上から「うおおおおおお!?」と雄叫びが木霊した。見上げるとそこには驚愕の表情を浮かべたカインの姿。ルシフェルが出入口を塞ぐような形でこんなところに立ってるとは思ってもみなかったのだろう。待っている場所が悪かった。
「ビックリしたあああああ!! なにお前なにそんなトコで黙って突っ立ってんだよ!? まさか俺の便所を覗こうとしてたのか!? うーわ、超変態なんですけど!!」
「ええ!? ち、違うわボケぇええ!! 何がどうしてそうなるのよ、アンタの小便姿なんか見たくもないわい!! ただちょっと話があるから待ってたのッ!!」
「話? なによ?」
 いつものことながら急にクールダウン。また怒鳴り返す気満々でいたルシフェルはズルッと拍子抜けしてしまった。
「あ、ああ、うん。ちょっと二人きりで話したいことがあって。だからちょっと付き合ってよ。いいでしょ?」
「今かよ?」
 楽しくお酒飲んでる時に何なんだよ、といったニュアンスを含んでカインが眉間に皺を寄せる。別の日にしてくれと言いたげだ。しかしルシフェルは引かない。
「そ、今! 二人きりで! どうしても! いいでしょ? ね?」
 ルシフェルの言葉にカインはあからさまに溜め息をついた。あー面倒くせ〜という心の声が今にも聞こえてきそうな態度である。しかし一度言い出したらなかなか引かないルシフェルの性分をカインは重々承知している。これは逃れられないと判断したのだろう。彼はガシガシと頭を掻いた。
「分かったよ。しょーがねーなあ〜。で、その話ってのはトイレの前でしてもいい話?」
「よっしゃ! あ、ううん。割とダメな話っ。出来れば他の場所がいいっ」
「へえへえ。じゃ、適当に場所を変えますか」
 言ってカインはスタスタと先を歩いて行った。
 ……いよいよだ。緊張の度合いが増していく。毎日一緒に過しているというのに、ちょっと改まって気持ちを伝えようと思うだけでどうしてこんなに緊張をするのだろう。心というのは本当に不思議な構造をしている。
「此処でいい?」
「うん。いいよ。完璧!」
 着いた先は月の薄明かりに照らされた二階のバルコニー。近くにあった階段を登ってすぐそこ。大広間から遠すぎず近すぎず、程良く二人きりになれる場所と思ってチョイスしてくれたようだ。ついでに吹きつける夜風が酔って火照った身体に気持ちいい。
「で、話ってなんだよ」
 コートのポケットに両手を突っ込み気怠そうに柵にもたれ掛かってカインはルシフェルを見やった。今日がなんの日か知らない彼には何故呼び出されたのか理由がまるで見当がつかないのだろう。良かった、誰もネタばらししなかった証拠だ。しっかし不機嫌そうな顔である。また面倒な話だったらヤダな〜というオーラがムンムン漂っている。ルシフェルは日頃から何か迷いが生じるとすぐにカインに相談してきた、ゆえに彼がこんな風に身構えるのも無理はない。
「大丈夫だよ。そういう話じゃないんだっ。ただ、ちょっと……」
「ちょっと、なに?」
 空に浮かぶ月と同じ色をした瞳が風に揺れる真っ白な髪の隙間から疑問符を浮かべてルシフェルを見下ろしている。燃えるような赤。ジッと見ていると吸い込まれそうになる。初めてこの瞳を見た時、ルシフェルは本当に綺麗だと思った。牢獄の中、底無しの闇にも負けず凛と光っていた赤色。きっと一目惚れだった。
「えーと、その〜……今日はバレンタインデーっつってちょい特別な日なのよ」
「特別な日?」
 何を言ってもピンと来ないらしい。カインはただただ首を傾げるばかりだ。
 きっと一目惚れ。何故その相手が彼だったのだろうと何度も考えたことがある。最初は亡き父の面影を押し付けていたと思っていた。でも違う。父親は関係ない。何故ならルシフェルにとってサタンはこんなに無愛想で口の悪い男ではなかった。ただただ優しかった。と、いうことは、こんなギスギスツンツンした男に父親の面影が重なるわけがないのである。
 しっかりとした理由なんてない。強いて理由を上げれば放っておくと果てなく無茶をする実に危なっかしい彼は、それまでただ周りから大切に守られる一方であったルシフェルにとって初めて自分から身を乗り出して守りたいと思えた男だったという一点のみ。あとは、とにかくこの曇ることのない赤い瞳に惚れてしまったとしか言えない。
「そう特別な日! バレンタインデーって言って日頃の感謝とか想いとかをプレゼントに込めて伝える日なの! だから……」
「へぇ〜、誰が決めたんだ、そんなん」
 ルシフェルの話を遮るようにカインが口を挟んだ。まあ、想定の範囲内である。彼は子供のように好奇心が旺盛ゆえ、疑問をすぐ口にする。
「え? え〜っと、誰が言い出したかまでは知らないけど、とにかくなんか恋の女神に想いを馳せて今日をそういう日にしたらしいよ。バアルが言うには急に決まったわけじゃなくて、徐々に徐々に広まって定着してったみたい。で、プレゼントは別に何でもいいんだけど、なんかチョコレート菓子が主流なのよね」
「チョコレート菓子?」
「そっ。つまり簡単に言うとバレンタインデーってのは主に日頃感謝してる人とか好きな人に想いを込めてチョコレートを渡す日なわけよ!」
「好きな人にチョコレート……。あ〜〜〜〜!! そうか、そういうことだったのか!!」
 やたらと賑わっていた街の甘味処、なんだかソワソワしていた女の子たちの姿、意味深だった周りの態度、それにルシフェルの説明が合わさってカインの頭の中でやっとパズルが完成した。そこまで気になっていたわけではないが疑問が解けてスッキリである。
「分かった? だからね、アタシ……」
「やっと分かった!! んだよ、そういう祭りなら祭りって早く誰か教えてくれりゃいいのにさ!! 畜生め、俺が無知なのをいいことに皆して変に勿体振りやがって、クソ!!」
「でええええええい!! いいからアタシの話を聞け〜!!」
 何度も話を遮るカインに業を煮やしてルシフェルは声を張り上げた。
「おお!? な、なんだよ!?」
「なんだよじゃないよ、ちゃんとアタシの話を聞きなさいっつーの!! だからね、今日はそういう日なわけだからね、アタシもね、こう……、便乗してみちゃってね、一応日頃の感謝とかさ、そういうの込めてさ、ちょっと……作ってみちゃったわけよね?」
「ふむふむ。何を?」
「何をって、だから、お菓子だよ。チョコレート菓子。下手なりに……、頑張ったんだ……。アンタに渡そうと思ってさ」
「お前、俺に感謝してたんだ?」
 そりゃあ驚いたなあと言わんばかりに大袈裟なくらい目を見開いてみせるカイン。からかい半分の気持ちが垣間見える態度である。
「キーッ!! いちいちおちょくるんじゃないよ馬鹿!! アタシは真面目に話してるんだからね!!」
「へえへえ、すんませんでした。どーでもいいけどスゲー顔赤いぞお前」
「ああ、そう赤い!? あらヤダ気付かなかったわ!! きっと照れてるのねアタシったら超可愛い!! って、うるさいわね〜!! いいからアタシの話をちゃんと聞きなさいよ、じゃないと火ダルマにするよ!!」
「お〜、こわっ。分かった分かった。ちゃんと聞くって」
「宜しい!! で、えっと…………、うわん!! 何言おうとしたか忘れちゃったじゃないのよ馬鹿〜!! ちゃんと日頃の感謝とか好きよアナタとか可愛いこと言ってやろうと思ったのに吹っ飛んじゃった、ムキーーーーッ!!」
 ルシフェルはその場で激しく地団駄を踏んだ。だがこれは上手くことが運ばないことに対する苛立ちのせいではなく、実はこうでもしないと既に気恥ずかさで立っていることもままならない彼女の照れ隠しであった。本当は自分が今すぐ火ダルマになってしまいそうなくらいルシフェルは照れくささに追い込まれていたのである。
「そりゃ良かった。お前にしおらしい顔で感謝なんか述べられたら気持ち悪いもんよ。……どうでもいいけど、そんなに暴れくさっていいのか? 背中に隠してる箱の中身グシャグシャ鳴ってるけど?」
「気持ち悪いとはなんだコノヤロー!! って、わ〜!! しまった!!」
 慌てて足踏みを止め、箱の安否を確認するルシフェル。良かった、リボンと包装はとりあえず無事である。……が、サプライズ的に差し出すつもりが普通に発見されてしまった。思い切りカインは箱をガン見している。
「それ、俺に?」
「あ……。うん……。あ、あのね。カインって自分の誕生日、分かんないでしょ? バアルとレヴァ君もそうなんだけど、だからあの二人バレンタインデーを自分からの誕生日ってことにもしてるんだ。実はアタシのパパとママもそうしてた。だって身近な人に感謝する日だから、みんながみんなに感謝してお祝い出来るからちょうどいいじゃんってことで。それで今日はあんなにディナーも豪華にしてたのよレヴァ君。これ此処だけの話ね。身内だけでやってきたことだからさ。で、えっと、それで……」
 目を泳がせながらも一生懸命に想いを伝えようと努めるルシフェル。その表情を見てやっと話を聞く気になってくれたのか、カインは変に口を挟もうとはしなかった。
「それで?」
「ああ、うん。だからこうなりゃアンタの誕生日も今日にしちゃえってアタシ勝手に決めちゃった! アンタ興味ないかもしんないけど、アタシは、ちゃんと祝いたいから。な、なんかもう本当はもっと色んな意味を込めてプレゼント渡したかったんだけど気持ち悪いとか言われるのは心外だから、とりあえず、誕生日祝いってだけにしといたげる……!」
「俺の、誕生日祝い……?」
 想像もしていなかった言葉なのだろう。あんなにルシフェルをおちょくっていた姿は何処へやら、カインはすっかり神妙な顔つきになってしまった。
「なあルーシー、祝いっつーけど俺の誕生日ってめでたいのか〜? ……とでも言う気ね?」
「な〜んで分かったよ?」
「分かるわよ、一応毎日顔合わせてるもん。あのね、ちゃんとめでたいわよ。そりゃアンタ自身は人生ちょっとアレなことばっかだったから自分が生まれたことなんて後悔しちゃってるかもしれないけどさ、でも、アタシは、あ、会えて良かったって、思ってるから……! アンタが生まれてきたこと、お祝い、したい……!」
 顔を上げてしっかり言い切ったルシフェル。すると聞いていたカインの顔がゆっくりと驚きの色に染まっていき、やがて真っ赤に紅潮した。
「お前……。バッカ野郎、マジな顔して何言ってくれちゃってんだよ!! ちょ、ちょっと待てよ、ふざっけんなよ!! なななななに考えてんだっつーのッ!!」
 何かスイッチが入ったように頭をガシガシ激しく掻きむしりながら右へ左へ右往左往し始め酷く落ち着かなくなってしまったカイン。どうやら、照れてしまったらしい。こんなに狼狽えた彼の姿をルシフェルは初めて見た。
「こら、ウロウロしない! 止まれ止まれ! そ、そんなわけでコレ、誕生日祝いの、プレゼント! い、一生懸命、練習して、作ったんだからね! う、受け取ってよ!」
「お、おう! そそそそそそうか、そりゃ嬉しいぜ!」
「ちょ、ちょっと!! やめてよアンタが照れたらアタシ余計照れるじゃん!! どうしてくれるのよ!!」
「し、知るかよ!! お前が急に気色悪いこと言ったせいだろがッ!!」
「な〜によ、お祝いしてやったのに気色悪いって〜!! とにかく早く受け取ってよアタシもう恥ずかしくてしょーがないんだからああああ〜!!」
「んなの知るかよ自爆じゃねーかテメーの場合!! 俺は感謝しろだの祝ってくれだの頼んだ覚えはこれっぽっちもねえ!!」
「な〜んて酷いこと言うのよ!! 誕生日をお祝いするなんて普通だしいつも一緒にいる人に生まれてきてくれてありがとって感謝するの当たり前でしょ!! って、またこんな恥ずかしいこと言わせたああああ!! もういいから黙って受け取れ馬鹿野郎ー!!」
 勢い良くプレゼントを突き出す。と、その時、ボッ!! と火柱の上がるような音が鳴った。何かと思って顔を上げると、……ルシフェルの両手の平で、本当に紫色の火柱が上がっていた。嗚呼なんということだろう、あまりにも緊張と照れ恥ずかしさが高ぶり過ぎたせいでルシフェルはついつい無意識に身体から火を出してしまい、カインに渡すはずだったプレゼントを一瞬にして炭にしてしまったのである。
「お、お前……」
 カインが呆気に取られたような顔でプスプスと煙を上げるルシフェルの手元を見つめる。
「あ……ああ……、や、やってしまった……」
 こんなことがあっていいのか。ルシフェルは頭の中が真っ白になった。さて、どうする、どうすればいい。ルシフェルは考え巡らせた結果、一つの打開策を打ち出した。そうだ、その手があったのだ。
「え、えっと、えっと……、あっ、そうだ!! とととととにかく食べてみて欲しいからさ!! えっと、形は違うけど味はおんなじ!! だから、ちょ、ちょっと待っててカイン!! パパの墓前にお供えしたヤツがあるんだ、それ取ってくる〜!!」
「なにぃいいい!? 待てー!! ちょっと待て!! お供えモンなんか食ってたまるか!! お前の親父に色んな意味で呪われちまうよ俺!! これ以上呪いが重なったら流石に困る!!」
 ルシフェルにとってはこれ以上ないナイスアイディアだったわけだが、カインにとってはトンデモないだけの話であった。それもそうだろう。詳しく理由を述べるまでもない。気持ちの問題である。
「だだだだだ大丈夫だって!! パパ優しいから許してくれるって!!」
「嫌だ絶対に嫌だッ!! お前とお前の親父が許しても俺が嫌だ俺自身が嫌だー!! はあ、はあ、はあ……! あー疲れた……! ………………。で、箱の中身、なんだったわけ?」
 呼吸を整え、カインは炭の塊を指差した。
「んと、ガトーショコラ……。めっちゃ上手く出来たのに……。だからやっぱりパパの墓前にお供えしたヤツ取ってくる……!」
「だからそれはやめろ……! …………ガトーショコラか。オッケー分かった。ちょっとぐらい焦げてても気にしねーよ。受け取らせてもらうわ。いただきまーす」
「え? ちょっ、ちょっと待っ――!」
 間に合わなかった。制止する間もなくカインはルシフェルの手の上で煙を上げている真っ黒コゲな炭の塊を掴むと驚いたことにそれを丸々口の中にパクリと入れてしまったのだ。漢らしいにも程がある。
「な、なにもこんな炭の塊を食べなくたっていいのに……」
 なんということだ、駄々をこねたせいでまた彼に無茶をさせてしまった。しかしルシフェルの心配を他所にカインは呻きも喚きもせず実に淡々とした表情で味を探るように斜め上に視線を向けながら炭の塊を噛み締め、やがてゴクリと喉を鳴らしてそれを飲み込むと「ゲフッ」と黒ずんだゲップを吐いた。
「ん。大丈夫、美味い。丸焦げだったけど僅かにガトーショコラの味が残ってた。焦げなきゃもっと美味かったんだろうな。ありがとよ、ごっそさん」
「……馬鹿……! 美味しいわけないじゃん、こんな炭が……! 口の周り真っ黒にしてカッコつけたって様になんないわよ……っ! ほらっ!」
 ルシフェルはハンカチを差し出した後、本当に僅かに甘い味が残っていたのか確かめてみたくなり、自身の手の平に残った炭を軽く舐めてみた。……思わず顔が歪んでしまった。鼻を突き抜ける度を超えた焦げ臭さと口の中に広がる強烈な苦味。なんかもう、率直に言えば身体が思い切り拒否反応を起こす毒物のような味である。
 カインはこれを表情崩すことなく食べてしまった。とてつもなく不味かったであろうに……。
「疑り深い女だな。食った俺が美味いって言ってんだから美味いんだよ。つーか、なんで半ベソかいてるわけ? ……お前も手ぇ真っ黒!」
 ハンカチで口の周りを拭った後、カインは自身の手を拭き、ルシフェルの手の平も拭った。そしてその華奢な手の平が震えていることに気付いてカインは顔を上げた。
「なんで泣く必要がある?」
「だって、なんでこう上手くいかないんだろって思ったら、ちょっと悔しくて……! ひいいいい〜〜〜〜〜〜んっ」
 大粒の涙が滴り落ちる。今日は、本当にただ喜んでもらうつもりでいたのだ。それが何故こんな結果になったのか。結局、面倒くさい目に遭わせてしまった。それに加えて泣いてしまったらもう完全に台無しである。しかし涙は勝手に溢れて止まらない。
「失敗だって思ってんの? 変なの。俺は普通に嬉しかったのに」
 両手が綺麗になったことを確認してからカインはルシフェルの頭をガシガシと撫でた。
「嬉しかった……? ホントに……?」
 ルシフェルが目を擦りながら聞くとカインは迷わず頷いてみせた。
「信じる信じないは勝手だけど、とりあえず俺はマジで嬉しかった」
 真っ直ぐな目、相手を見下すようないつもの勝気な笑顔。此処に嘘は微塵もない。ルシフェルはホッと胸を撫で下ろした。何故喜んでくれたのかは分からないが、やっと今日一日張り詰めていた緊張から解放された気がする。本当に、カインが言うとおり自爆以外のなにものでもない。彼はなんだかんだ言って大概のことは平然と受け止めてくれる。そういう男である。何をそんなに怯えていたのだろうか。全てやり遂げた今になってそう思う。
「じゃあ、良かった。泣いたりしてゴメン……」
「ヘーキ。テメーの泣きっ面には慣れてる。……けど、少し落ち着いてから戻るか。お前が泣いたとなるとヤツら絶対にうるさいだろからな……!」
 言うとカインは自身の胸に向かってルシフェルを片手で軽く抱き寄せた。深い意味はない。ただ、この体制で5分も経てばルシフェルは簡単に泣き止むと知っているからである。
「っ――」
 仮にも惚れた男の腕の中。ルシフェルは突然のことに泣くのも忘れてただただその胸に赤く紅潮した顔を押し付けた。
「……ホントのホントのホントに嬉しかったの?」
 素直に疑問を口にしてみた。
「あ? ああ、一応な」
 カインはやはり迷わず答えてみせる。
「まさかアタシが作った料理なら炭でも美味しいとな?」
「いや、そういうわけじゃねーけど」
「だったら、ちゃんと不味いって言ってよ。勘違いするだろ」
「あ〜? ったく。どう反応したって結局はふて腐れるんだからな〜」
「だって〜……。ううん、いいや! とにかく喜んでくれて良かった」
 なんだか煮え切らなかった。なにせルシフェルからしてみればただ両手いっぱいの炭を食わせてしまった挙句パニクって醜態を晒しただけ。どこに喜んでくれる要素があったのか全く見当つかないのである。しかしカインにとってはプレゼントが炭だろうがなんだろうが十分だった。産みの親である神から失敗作と罵られ、果てには世界の最下層に放り込まれゴミ同然の扱いを受けた彼にとって『生まれてきてくれて、ありがとう』という言葉ほど嬉しいものはなかったのである。

 ――会えて、良かった――

 自分の存在を感謝してくれる子のためならば炭だろうがなんだろうが平気で食えるというものだ。心頭滅却すれば火もまた涼しである。……と、言いたいところだが、実のところカインは痛覚ほどではないが『不味い』という感覚も僅かに麻痺しているのであった。ひたすらゲテモノを食わされるという風変わりな拷問を経験してしまったせいだ。あの経験を思えば炭程度、なんでもない。と、ネタばらししても良かったのだがなんとなく黙っておくことにした。格好をつけるためではない、それはそれでルシフェルはまた心配をするだろうと判断したからである。
「さてと、ぼちぼち落ち着いたか?」
「いいえアナタ、もうちょっとこのまま……」
「ん、大丈夫そうだな」
 きっちり5分経ったのでカインは問答無用でルシフェルを引き剥がした。……案の定、彼女はしっかり泣き止んでいた。
「なんだよケチ! もうちょっとって言ったのに!」
「はいはいはい。いいから戻るぞ。あんま長く席外してると要らねー詮索受けそうだしな」
「はーい」
 返事をしてルシフェルは先に城内へ戻った。なんだかんだあったが一応カインは喜んでくれたしハグハグもしてくれたし、満足である。……が、やはり一生懸命練習したお菓子作りの成果をしっかり見せられなかったのは心残りである。近々リベンジしたいものだ。
「あ、そうだ。ルーシー」
 後ろを歩くカインが何か思い出したような声を上げた。
「なによ?」
「ああ。お前の誕生日っていつ? 何せお祝いされちまったからなあ。俺もちゃんとお返ししようかなってよ」
 滅多に見れない優しい笑顔。ルシフェルが身体から湯気を上げたことは言うまでもない。
 二人が大広間に戻ると紅茶を飲んでいた双子とバーカウンターで色んなカクテルを作って遊んでいた魔王二人が一斉に振り向いて「お帰り」と笑顔で出迎えてくれた。ちなみにミカエルは未だソファーに寝転んだまま深い深い夢の中である。
「ルーシー、義理チョコ美味かったよ! ありがとね! で、カインさんも喜んでくれた?」
 バズーが空になった箱の中を見せつけニヤニヤとした表情を浮かべる。
「どうだったの? ん? どうだったのよ?」
 弟に続き、デイズも興味津々といった顔でルシフェルに迫った。
「な、なんのことかしら? アタシ別にカインに本命チョコなんかあげてないもんねっ。て、ゆーか、あ、あんまりアレよ、そういうこと追求するとアタシだって根掘り葉掘り聞いてやるからねコンチクショウめい! ねえ、カイン!」
「なんで俺に振りやがったのか分からねーが。とりあえずお前らが期待してるよーなことはなんにもなかったから安心しろ」
 しどろもどろなルシフェルとは対照的に表情一つ変えないカインである。
「え〜!? じゃあせっかくのバレンタインだったのに進展ナシですか〜!? チュウもキスもハグもその先の素敵なことすらナシですか〜!? 焦れったいにも程があるよ〜!!」
 双子が声を揃えて肩を落とした。
「マジで何を期待してやがった!? ないよ、ないない!! チュウもキスもハグもその先の素敵なこともない!! 勝手に悶々してろボケ!!」
 本当はハグだけウッカリしてしまったわけだが、正直に報告して得しそうなことは何もない。ゆえに「お前も否定しとけよ」とルシフェルに目配せしたのだが、ルシフェルの反応はカインのそれとは違っていた。
「やっだ〜、カインたら嘘つき。やだわ、もう、照れちゃって。そんなんじゃルーシーまで照れちゃ〜うっ」
 どういう解釈をしたのやら。ルシフェルは赤く紅潮した頬を手で押さえて身体から湯気を上げていた。
「なんだそのリアクションわ!! テメーはテメーで勝手に照れとけブス!! ……ん?」
 ふと、カインの視界にバーカウンターに隠れながら妙に眩い笑顔でもってこっちを手招きをしている魔王二人の姿が入った。早く来い、こっち来いと手招きしている。なんだろう。ロクな話じゃなさそうだが相手が相手だけに無視も出来ない。
 仕方が無いので「誰がブスだ、キーッ!!」と喚き暴れ狂うルシフェルを綺麗に無視してカインはバーカウンターへと向かった。大丈夫、荒れたルシフェルはデイズがすぐに「まあまあまあ」と落ち着かせて席に座らせてくれた。問題ない。
「なんだよ?」
 覗き込み、まるでカウンターの影に隠れるようにしゃがみ込んでいる魔王二人にカインは声を掛けた。
「まあ、いいから座って座って」
 笑顔で手招きするレヴァイア。カインは背後のルシフェル一同がこっちを見ていないことを軽く確認してから招かれるままにカウンターの影に潜り込んだ。
「で、なに?」
 カインが首を傾げるとバアルとレヴァイアは顔を見合わせてニッと笑った。
「私とレヴァ君で一口分ずつ残しておいたんです。食べ切る前に気付いて良かった。さ、どうぞ」
「あの料理下手がお前のためにどんだけ頑張ったか舌で感じてやってくれ」
 レヴァイアの差し出したお皿の上には生クリームたっぷりのガトーショコラが二切れ乗っている。食え、ということなのだろうが……。
「いやあ、少しお酒を飲み過ぎてしまったので夜風にでも当たろうとレヴァ君と一緒に中庭に出たら驚いたことにたまたま上から話し声が聞こえましてね。ええ、決してわざと聞き耳を立てたわけではないんですが、はい」
 何故どうしてと聞くまでもなくバアルが説明をしてくれた。成る程、つまりこの二人はルシフェルとカインのやり取りを殆ど聞いていたわけである。
「お前ら……!」
 彼らのことだ、狙って庭に出て耳を澄ませたに決まっている。そのわざとらしい笑顔が全てを物語っている。
「まあいいや。とにかく貰っとく」
 言いたいことは山ほどあるが何を追求しようと大いなるカウンターを受けてこっちが大火傷するのがオチである。いつものパターンだ。ゆえにカインは大人しく差し出されたガトーショコラを口に放りこんでモグモグと頬張った。
 第一声を待って魔王二人がジッとカインを凝視する。悪気は無いのだろうが、凄まじい圧力だ。これは、あえて「不味い」と述べてみるのも一興かもしれない。だがカインはそんな風に遊ぶ気にはなれなかった。
「……美味い……」
 素直な感想を述べる。すると緊張に顔を強ばらせていた魔王二人がゆっくりと微笑んだ。本当に、お世辞ではなく美味い。お酒好きのカインや兄たちのことを考えてかブランデーがよく効いていてほろ苦く甘い。そこにたっぷりの生クリームが合わさって絶妙なハーモニーを奏でている。
「でしょ。ルシフェル毎日練習頑張ってましたもの。貴方のために」
「や、やめろよ、そういうこと言うの……」
 バアルの言葉にカインは顔どころか耳まで赤くなった。どうにもこうにも照れ恥ずかしくて堪らない。彼はこういうノリが苦手なのである。と、その時、
「ルーシー!! カインがお前の作ったガトーショコラ美味いってよー!! カインのヤツ耳まで赤くして照れてんぜ!! 一口分残しといた甲斐があったよ!! 良かったな!!」
 突然レヴァイアが立ち上がってルシフェルめがけて叫んだ。カインは基よりバズー、デイズと呑気に紅茶を飲んでいたルシフェルにとってもコレはトンデモない不意打ちである。
「レヴァイア、テメー!!」
 憤りに我を忘れたカインが勢い良くレヴァイアに掴み掛かる。が、すんなり捕まるレヴァイアではない。彼はスルリとカインの手をすり抜けると「だってお前ら焦れったいんだもーん」と悪戯っぽい笑顔で言いながら大広間を軽快に逃げ回った。
「え? え? ……た、食べた、の? で、えっと、美味しいって……?」
 ルシフェルの身体からまたプスプスと湯気が立ち上がった。照れている証拠である。
「熱っ!! ルーシー超熱いっ!! ちょ、照れるのはいいけど発熱は御勘弁!!」
「ヤヤヤヤ、ヤバイよヤバイよ火ぃ出そうな勢いだよ!! 落ち着いてくれルーシー!!」
 双子が熱を上げるルシフェルをなだめにかかる。だが、一度熱を上げてしまったルシフェルをクールダウンさせるのは容易なことではない。不幸なことに普段ルシフェルをなだめる係であるカインは烈火の如く怒ってレヴァイアを追い回すのに夢中だ。
「うんうん。コレですよ、コレ。やっぱり祭りは賑やかに過ごすに限りますね」
 一番の常識人であるはずの王様も王様で今日は呑気なものである。ちなみにミカエルはどれほど泥酔してしまったのか、この騒ぎにもかかわらず未だ深い深い眠りの中にいるのだった。



 楽しい時間ほどあっという間に過ぎていく。時刻は午後11時を優に回った。もうすぐ日付が変わる。
 大いに酒が入って遊び疲れた双子は先程レヴァイアに休むよう勧められ客人用の部屋に向かった。今頃はベッドの上で深い眠りについていることだろう。
 ルシフェルも一通り騒いだ後、緊張が解けて一気に疲れが出たのかソファーの上でカインに借りたコートにくるまり大人しく寝息を立てていた。素直に客人用の部屋に引っ込まなかったあたり女帝と言えどもまだまだ寂しがり屋なお子様である。
 激高していたカインは全員総出でなだめた甲斐あって今は落ち着き、先程まで絞め技を掛け合っていたレヴァイアと簡単なツマミを食べながら仲直りの杯を交わしている。
 そして、ミカエルは相変わらずだ。これは朝まで起きそうにない。
「失礼、少し席を外します」
 カインとレヴァイアを無事に仲直りさせて間もなく、バアルは徐に席を立った。
「なんだよ、便所か?」
「さて。それは御想像にお任せします」
 カインの言葉を軽く受け流し、バアルは音もなくその場から姿を消した。
「……そういえば……」
 何か思い出したようにカインが呟く。
「なに?」
 さて次はどの酒を開けようかとボトルをチョイスしていたレヴァイアが顔を上げる。
「ああ、別に大したことじゃねんだけどさ。なんかお前と違ってバアルってトイレで気張ってる姿がイマイチ想像出来ねんだよなあ〜。アイツちゃんと出すもん出してんのか? 酒飲んでても滅多に途中で便所に行ったりしねーし……」
「なんつー話するんだ、お前!! ん〜、でも、そうか、他の人にはそんな風に見えるのか……。大丈夫、見せないだけでちゃんとやってるよ多分」
「多分、なのか」
「みなまで言わすな。みんなの前では生活感の無い崇高な存在でありたいのだよ、あの子わ。んだから俺がアイツ影でこっそりバレないように即出ししてんだぜ〜なんて言うわけにはいかない!」
「言ってるじゃねーかッ!!」
 カインの鋭いツッコミにレヴァイアはハッと目を大きく見開いた。
「あ、いや、えーと、大丈夫! そもそも俺ですらアイツのトイレは見たことないから本当に出してないかもしれないんだなコレが! アイツは俺らのミステリアス担当なんだから謎は謎のままにしておこうぜ、うん、それがいい。さ、お酒のおかわりドーゾ」
 ちゃっちゃと話を切り上げてウイスキーをグラスになみなみと注ぐレヴァイア。カインが「さては前にキツく口止めされたか一回便所覗こうとして半殺しにされたかしただろ?」と呟けど、これ以上の失言は命に関わるのかレヴァイアは無言。聞こえないふりに徹したようだ。
 一方その頃バアルはトイレとは全く関係のない城の屋上にいた。頭上には赤い月、ルビーをちりばめたような満天の星空。肌に触れる風は冷たい。
「やはり友人は選んだ方がいいと思いますよ。貴方が席を外した途端、彼らがどんな話題で盛り上がっているか教えてあげましょうか」
 背後から突然掛けられた声。しかしバアルは振り向かずとも音もなく現れた声の主が誰か既に分かっていた。
「大丈夫です。貴方ほどではありませんが私も少しは耳が利く。彼らには後ほど渾身の張り手を一発ずつプレゼントする予定ですよ」
「おお、怖い怖い。で、本当のところはどうなんです? 出すものはちゃんと出してらっしゃるんですか?」
「ん〜、どちらとも言えませんねえ。私は飲食したものは胃の中で氷でコーティングしぃの宝石のように綺麗にして口から出して処理していますから」
「よく言うよ全く。……それにしても今年は例年になく酷いどんちゃん騒ぎをしていましたね。このまま日付が変わってしまうかと思いました」
 声の主は、本来なら此処にいてはならない者である。金色の腰まである長い髪を揺らすその姿は魔界の風景に決して馴染まない。
「それは無い。私はこれでも一応それなりに約束は守る男です。もしも約束を違えてお前がイジケてしまったらきっと酷く面倒なことになるだろうしね」
「一応それなりに約束は守る男、か。成る程、貴方は自分をちゃんとよく分かっていらっしゃる」
 クスクスと小さく笑い声が木霊す。背を向けていても相手が笑って肩を震わせていることは明白だ。
「それはもう。客観的な視点で冷静に自分を見ることは怠りません。それが出来なくなったら私は神と同じになってしまいますから」
「そうですか、一世界の王でいるのも楽ではないな。私と共に戻ってくれたなら私が冷静な目で貴方を見つめてやるのに」
「やっぱり今年も勧誘は忘れないのですね、ラファエル。律儀な人だ」
 バアルは振り返り、しっかりとラファエルの目を見て不敵に微笑んだ。ラファエルもそれに対抗するように不敵に笑ってみせる。先程からの声の主は他でもない、彼ラファエルである。
「当たり前じゃないですか。貴方には天界に戻ってきて欲しくて仕方が無い。……それはそうと、お久しぶりです。元気そうですね」
「白々しい。顔を見なくとも私が元気に暮らしていることはその耳で聞いて知っていただろう? 貴方こそ元気そうですね」
「それこそ白々しい。神の加護の元に暮らしているからには元気でいるに決まっているでしょう?」
 やはりお互い言葉には若干のトゲがある。だが普段ならば目が合った時点で、いや、お互いの気配を察した時点で殺し合いを始める間柄の二人である。しかし今日はお互いに殺気がない。ゆえにお互い牙を剥くこともない。これは長年敵対してきた仲だからこその暗黙の了解が成せる技である。
「ところでバアル、どう思う。人々に崇められ、後に祭日まで設けられた美しい恋の女神が未だ独身でもって今や見る影もない道化のような厚化粧をした偏屈なジジイになっていたとしたらゾッとしませんよね。バレンタインデーの御利益って何それ食べれるの、と言いたくなりませんか」
「はて、質問の意味がよく分からないな。私の聞いた伝承は確か恋の女神は到底叶わぬ恋をしてしまったが、それでも一途な思いを貫いて生き、やがて思いを叶えた……という多くを語らぬ単純な話だったはず。厚化粧の偏屈なジジイになったなんて聞いたことがありません、ハイ」
「成る程ね、こんな自分が恋の象徴にされてしまって心苦しいとかそういう可愛い感情は一切無いんですね……」
「そりゃそうですよ。勝手に後世の者々が都合のいい解釈をして祭り上げやがったんだ、私は何も悪くない。って、違う! 私は一切関係ない!」
「あーあ、あんなに可愛かったのに……」
「おいコラ!! 人の顔をマジマジ見て溜め息すんな!!」
 どうにもこうにも毎度のことだがラファエルと喋ると言葉遣いが崩れてしまうバアルである。本人に自覚は殆ど無いだろう。一方、怒鳴られ放題のラファエルだが相手の確信をズバリ突いてやっている自覚があるからだろう、その表情は常に冷静だ。
「ま、でも一切関係ないなんて冷たいこと言わないでくださいよ。今日は貴方の誕生日だ。おめでとう」
 歩み寄りラファエルが差し出したのは如何にも高価な宝石が入っていそうなジュエリーボックス。バアルは少々バツの悪そうな顔でもって小声で「ありがとう……」と述べると遠慮がちにプレゼントを受け取った。実は面と向かってこういうことをされるとラファエルよりもバアルの方が酷く恥ずかしがる傾向にある。
「嬉しいなあ。敵方の大将の動揺した顔を間近に見れて。貴方、そういう顔してた方が可愛いですよ」
「うるさい黙れクソババア。今日だけは暴言を控えてやろうと思ったのに上手くいかないもんだな全くもう。ほら、受け取れ。今日は貴方の誕生日でもある。……おめでとう」
「ありがとう御座います」
 眉間にガッツリ皺を寄せているバアルとは違い爽やかな笑顔でプレゼントを受け取ったラファエルは中身は何かなと箱を耳元でカサカサ振った。
「相変わらずですね、その貰ったプレゼントを振るクセ。お子様だなあ〜」
「仕方が無いじゃないですか。こうやって音を聞いて中身を予想するのが好きなんです」
 ラファエルは子供の頃からこうなのだ。何か貰うとすぐに振って鳴らす。一度だけ箱の中身がケーキだった際にこうして振って台無しにしたこともあった。遙か昔のことだがバアルはよく覚えている。
「分かった、これはピアスでしょう」
「当たりだし!!」
 いつからだろう。いつからか、どちらかがはっきり言い出したわけではなく暗黙の了解で今日という日にお互いプレゼントを渡し合うようになった。敵対しているがゆえにこっそりと。ラファエルはバアルの部屋に面したベランダこっそりプレゼントを置き、バアルはバアルで恐らくやって来るであろうラファエルのためのプレゼントをベランダに「持って行け」とばかりに置いて用意しておいたりした。こんな風に面と向かって祝うようになったのはごく最近のことである。
「あ、本当にピアスだ。大当たり。ダイヤモンドか。綺麗ですね」
 プレゼントを開けて早速ピアスを耳につけるラファエル。意気揚々としたその姿は昔と変わらぬ彼の呑気な一面を覗かせ、バアルをなんとも言えない気分にさせた。
「貴方は飾りっ気がなさ過ぎる。せっかくあげたんだから、ちゃんと付けてくださいね。あと何年か前にあげたピアスみたいに紛失するのは論外ですよ」
「あれは貴方が戦争のどさくさで私の耳を切り落としたのが悪いんじゃないですか。私は大事に大事に毎日身に付けていたのに。……似合いますか?」
 ラファエルが長い髪の毛を軽く掻き上げ、ピアスをつけた耳を見せる。「似合う似合う」とバアルが頷くと彼はそれはもう満足そうに微笑んだ。
「良かった。今度こそ大事にします」
「うん、私もなるべく耳は狙わないよう気をつけます多分。ところで私も早速つけてみたんですが」
 ラファエルがくれたのは大粒のサファイアと白銀で作られたブレスレットだった。こっそりちゃっかり既にプレゼントを開封して身に付けていたバアルである。
「素晴らしい、見たままそのまま業突く張り感バリバリでよく似合ってますよ」
「なんだと!?」
「半分冗談です。貴方こそ、それ大事にしてくださいね。職人にわざわざ特注させたんですから」
「わざわざ特注とか、そういうのは言わないでおく方がお洒落ですよ」
「と、いうことは貴方もわざわざ特注してくれたんですね、これ。照れる」
「そういうわけじゃ別にないけれどッ!!」
 いい具合に確信を突かれてばかり。やっぱりどうにもラファエルと喋ると言葉遣いが崩れるバアルである。
 ふと、街の方から僅かに重厚な鐘の音が聞こえてきた。
 時刻を知らせる鐘。日付の変わったサイン。
 今をもって祭りは、終わったのだ――。
「さてと、渡すものも渡したし区切りもいいしそろそろ帰ろうと思うんですが、その前に一つだけ聞きたいことがあります」
 先程まで冗談めいていたラファエルの眼の色が変わった。鋭利な金色の瞳が真っ直ぐにバアルを捉える。
「バアル、やはり私と共に天界に来る気は……」
「ありません、微塵もありません」
 みなまで聞く必要もないと判断したバアルはラファエルの言葉を遮って首を横に振った。
「早ッ!! 断るの早ッ!!」
「毎年確認してくれるけど私の心は今年も揺るぎません。残念でした」
「んっとに偏屈で頑固なジジイだな……!」
 こうもバッサリ断言されてしまっては逆に引っ込みがつかない。ラファエルはガシガシと頭を掻いた。
「私は貴方のためを思って言っているんだ。本当に」
「ありがとう。貴方の気持ちは嬉しい。けれど譲れない、これだけは。そして私から言わせれば貴方の方こそ心配だ。そろそろ此処へ堕ちてきたらどうです? 歓迎しますよ」
「御冗談。私は貴方と違って絶対不可能な夢を追える程の馬鹿にはなれません」
「ならば、そういうことです」
 お互いに引く気はない。そうなるとこの話は延々と平行線を辿るだけ。暫く続いた沈黙の後ラファエルは苦々しく「分かりました」と呟いた。その悔しさ滲む表情にバアルは胸が痛んだ。だが、それでも譲れないのだ。こればかりは、どうにもならないのである。
「では最後に。負け惜しみというわけではないが」
 言ってラファエルは不意に両手でバアルの顔を捕まえた。普段のバアルであればこんな馴れ馴れしい行いを許しはしない。だが、今日は黙ってネコ科の動物を思わせる縦長の黒目を丸くしてキョトンと背の高いラファエルを見上げるのみ。咄嗟に爪を立てることもない。それだけ気を許していたのである。
「ほら、今の顔ですよ。いつも今みたいに振舞えば可愛いのに。あまり気取りすぎているとその顔、本当に血の通わぬ人形のようになってしまいますよ」
 それは暗に「お前に王の立場は似合わない」と言われたようなものである。
「余計なお世話だ。その言葉、そっくりそのままお前に返す」
「やあ、私は何気に喜怒哀楽はっきりしていると評判だから大丈夫です。心配要りません。……どうでもいいけどスゲー酒臭いなアンタ。なんかもう香水と合わせて凄まじい香りですよ」
「ぁあん!? 失礼だ!! 失礼過ぎる!! 私を臭いと思うなら早く顔離せっ!!」
「冷たいなあ。あーあ、毎年結局こうやってギスギスして別れるんですよねえ。今年こそは和やかにと思ったのに」
「私もそう思っていました、それなのにッ!!」
「ほら、今の顔も可愛いですよ」
「ええい、それ以上言うとヒールでお前の足を思い切り踏んでやるから!!」
「おお、怖っ。……なんだか今年は私の方が優勢ですね。大満足です」
 ニッコリと笑うラファエル。一方バアルの眉間には皺が寄ったままである。
「満足か、そうか、よし、もう帰れ性悪ババア」
「誰が性悪ババアですか失礼な」
 暴言も全く意に介さない様子でラファエルはそのまま長い腕を回しバアルを強く抱き寄せた。だが、この行為は親愛から来るものでない。一瞬にしてバアルの背筋に走った寒気と彼の腕から感じる冷徹さがそれをはっきりと物語る。
 このまま本気を出せばお前の身体を締め上げて真っ二つに裂くことも出来る、だが今はその時ではない、と。
「次に会った時はまた、容赦しませんから」
 不敵な笑顔でラファエルがバアルの耳元に囁く。
「貴方の心を必ず圧し折ってみせる。覚悟してください」
「その台詞、千年以上前から何度も聞いてる。来るなら来い。しかし私の心は何を以てしても折れはしない」
「貴方の答えも千年以上前から変わらないな」
 そうして不敵に笑って見つめ合う二人の表情は古き友に向けるそれではなく、既に殺気立った敵将同士のものへと戻っていた。
「さてと、あまり『彼の縄張り内』で調子に乗るのは自殺行為ですね。遊びが過ぎて貴方の飼っている獣に喉首を掻き切られる前に帰るとします。獣は殺気に敏感なようだから。……さようなら王様。また会う日まで」
 ゆっくり腕を離すとラファエルは音もなくその場から姿を消した。
「さようなら、ラファエル。また会える日を楽しみにしています」
 一人残ったバアルは軽く星空に目を向けて宿敵を静かに見送った。
 獣は殺気に敏感、耳の良いラファエルのことだ。バアルより先に彼の気配に気付いていたのだろう。
「心配かけてしまいましたか?」
 バアルが階段の影に声を掛けると案の定レヴァイアが少しバツ悪そうにヒョコッと顔を出した。
「一応、ね。アイツの勧誘はしつこいから。……話の邪魔しちゃったかな?」
「いいえ。けれど、私があんな誘いに応じるわけないでしょう?」
「そら99.9%お前は応じないって思ってるよ、大丈夫だって。けど0.1%でも不安だと結局不安っつー話でさ。……カッコ悪い?」
「いいえ、とんでもない」
 しっかりとバアルは否定をする。しかしレヴァイアはバツの悪い表情のまま目を逸らして煙草を吹かし始めてしまった。後ろめたいのだ、僅かでも友を疑ってしまったことが。
「ゴメン、俺少しナーバスになってるみたいで」
 先頭を引っ張っていたサタンはもういない。そして自分は不甲斐ない。全ては自信の無さが原因である。レヴァイアは自分を嘲るような歪んだ笑みを漏らした。殺すならいっそ殺せとでも言い出しそうな顔である。にもかかわらずバアルはそんな相方を微笑ましく見つめていた。
「レヴァイア、久々に弱音を吐いたね。嬉しいよ」
「は? なんで?」
 言葉の意味を理解出来ず、レヴァイアは思わずといった感じで顔を上げた。
「それってちゃんと心を許してくれてる証拠かなってね」
 言ってバアルはレヴァイアの左手中指のリングをツンと小突いた。大きなオニキスをはめ込んだこのリングは今朝バアルが誕生日プレゼントとして彼に贈ったものである。
「心配して見に来ちゃったり私の贈ったプレゼントを早速身に付けてくれてる貴方は可愛い」
「ちゃ、茶化すなよ。お前だって早速付けてんじゃん!」
 仕返しとばかりにレヴァイアはバアルの右手中指のリングを小突いた。この大きなブラックダイヤのリングは今朝レヴァイアが誕生日プレゼントとしてバアルに贈ったものである。
「だ〜って見てすぐに気に入ってしまったから。ねえレヴァイア、貴方あっての私なのです。その貴方を置いて私がわざわざ死ぬほど嫌いな神の元へ行くわけがない。ご安心あれ」
 これまた恥ずかしげもなく言ってのける。
(全く、敵わないなァ)
 レヴァイアは心の中で呟いた。大概のことは笑って受け流し、掴みどころのない態度を取る。レヴァイアは昔からそんなバアルに翻弄されてばかりだ。
「そして貴方が真に謝るべきは私のトイレ云々という汚い話題で大盛り上がりしたことです。全く失礼極まりない。死ね」
「えっ!? あ、いや、それは……。そ、そもそも言い出したのカインだし!!」
「ああそう、人のせいにするんだ。ふーん?」
「……スイマセンした……!」
 これはもう、謝るしかない。レヴァイアは深々と頭を下げた。
「謝れば宜しい。……ところでカインは?」
「ああ、暴飲暴食に加えて手の平いっぱいの炭食ったもんだから腹が猛烈に活性化したらしくてさ。トイレ行ったきり帰って来ないから俺こっちに顔出せたわけ。客人をほっぽらかしになんかしてないよ、大丈夫」
「成る程、私のトイレ云々言ったバチが当たったのですね。オホホホッ! ざまーみなさい! さあ、戻って温かい紅茶でも飲みましょう。オホホホッ!」
 満足気に高笑いし、バアルは先に音もなく姿を消した。成る程、話のネタにされて実は物凄く憤慨していたようだ。
「……怖い……。ホントに敵わねーや……」
 思わず実際口に出して言ってしまったレヴァイアである。そして後を追って大広間に戻った彼が見たものは、ちょうど若干ゲッソリして席に戻ってきたカインに「夜はまだまだこれからだよ」と言って尚も酒を勧めるバアルの姿であった。流石のカインも酔い潰れて間もなく眠ってしまったことは言うまでもない。
 クールなカインや冷徹なる王すらはしゃぎ回る賑やかな一日は、こうして幕を閉じた。

 ちなみに翌朝。一同はバアルからのプレゼントに気付いたミカエルの悲鳴にも似た凄まじい歓喜の声で目が覚めたのだった。


END



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