【パパはだーれ?】


3.混乱

 重苦しい空気の中、女の子、ミミの高い声だけが浮いていた。
「パパ?」
 ミミの軽やかな声はずんずん周囲の温度を下げていく。そんなことは露知らず、幼いミミはカインのズボンを引っ張った。何度も、何度も呼びながら。
「ねぇ、パ「違います!」
 カインはミミの声を遮った。しかし、その言葉はミミに向けられたものではなく、俯いて立っているルシフェルへ放ったものだった。敬語になってしまったのは、嵐の前の静けさを体現しているようなルシフェルに恐怖したからかもしれない。彼女のヒステリーは、毎回ひどい。
「違います! 子供の勘違いです! 俺はパパじゃありません!」
 誤解をとこうとカインは声を張り上げた。しかし、それに反応したのはルシフェルではなくミミである。
「……パパ…ちがう……?」
 潤んだ瞳が、雨に打たれ濡れそぼった捨て猫のように愛らしさと悲壮感を醸し出した。それを見てしまったカインは、うっと言葉に詰まったが、なんとか顔をそむけた。同情してパパです、と言ってしまったら、みんなが不幸になってしまう。そうだ、ここは耐えるんだ。
 けれど、カインの身近に耐えられない者がいた。
「泣かないでー! 大丈夫、だから! 泣かないで!」
 それはバズーだった。
「……パパ、ミミのパパ?」
「そうさ! ミミちゃんのパパは、君を捨てたりなんかしないよ!」
「ずっとパパ?」
「当り前さ!」
「おい勝手に何言ってやがるテメェ!」
「パパ」
 にこにこ、にっこり。まさに可憐な花のよう、柔らかくあたたかな笑顔。そんなものを向けられて怒鳴れるほど、カインは鬼ではなかった。
「う……」
 パパ、と呼ばれている今、はいと返事をしてしまうと大変なことになる。そんな気がして、カインはどうしようと唸った。自分はパパじゃない。けれど、こんな子供を突き放せるほど大人でもない。
 そんな葛藤をしていると、目の端にルシフェルを見つけてそうだった!とカインは慌てた。先ほどからじっとしているルシフェル。今までの経験からして、いきなり泣きわめいて火を出す可能性が極めて高い。違うと否定はしたものの、彼女の思い込みの激しさは折り紙つきなのだ。
「る、ルーシー?」
 恐る恐る、という感じでバズーが声を掛けた。ミミを庇ったが、やはり彼もルシフェルの反応が気になっていたらしい。
「ルーシー、あのさ…」
 その時、ルシフェルの顔を上がった。
「いいわ! 愛人と隠し子のタッグより本妻の方が強いってこと、思い知らせてやるから!」
「どんな想像の末の着地点だそれは!」
 目に涙は溜めていたものの、ルシフェルが我を忘れて暴走するような兆しはみえなかった。その点だけ、カインはほっと胸をなでおろした。話が通じるなら、まだ誤解をとく余地がある。
「いいか? 俺は隠し子いないし、愛人っつーか付き合ってる女もいない! パパとか言ってるのは完全に子供の勘違い! 勘違いして城までついてきた! 理解したか!?」
「え、街の女とこっそり付き合ってて子供作っちゃって、隠していたけど父親の愛情を欲して娘が押し掛けてきて、でもそんな娘の行動も実は母親の策略で、本妻の座を奪い取ろうという黒い計画が――」
「昼ドラの見すぎ! っつか、本妻気どりでいた訳お前は……じゃなくて!」
 カインはがしがし頭を掻いた。伝わらない歯がゆさを表しているようだ。その時、今度はわたわたと慌てたバズーの声がした。
「わ、ミミちゃん、あのね、ややや、大丈夫だから! 何がって聞かれると困るけど、でもね、あーっと、そ、そうだお菓子! お菓子食べる?」
 下から覗き込むようにして、バズーは泣きそうなミミを宥めようとしていた。パパ、と寂しそうに呟く様が同情心を掻きたてるが、どうしようもない。
「とりあえず、街に行って母親捜すしかないよな」
 そう言って頷いたカインは、そっとミミに一歩近づいた。しかし、ミミのもとに辿りつく前に、台所に人影が現れる。
「ちょっと! 荷物放り出してなにやってんのよアンタたち!」
 むっとした表情のデイズがそこにいた。掃除の計画を狂わせられた怒りがありありとうかがえて、般若になる一歩手前といったところか。
「ほらほら、玄関の荷物持ってきて! カインさんにはまだ物運んでもらわなきゃいけないんですから。バズーも掃除の続き始めて。ルーシー、私が言ったところまで掃除終わった? それから――」
 デイズの視線がミミに止まった。一秒、二秒、三秒。間を開けて口が開く。
「その、カインさん似の女の子、誰ですか?」
 デイズの言葉は、大変な力を持っていた。ハッと何かに気付いたようなルシフェルの表情、嬉しそうに緩んだミミの表情、それらを見て慌てるカイン、ヤバイと悟って隅に避難するバズー。
「バカ! 似てないだろ!」
「や、だって目の色同じ」
「そんだけで似てるって言うな!」
「え、なんなんですか一体」
 眉をひそめるデイズの質問に答えずに、カインはルシフェルを見た。
「デイズが見ただけで似てると思うほど……そっくり…父親……やっぱり愛人……本妻抹殺計画……」
「ストップ! その思考ストップ!」
 ぐいっとカインはルシフェルの腕を掴んだ。しかし、時すでに遅し。パシンっとそれは弾かれた。
「おめおめと殺されてなるものか! 愛人&隠し子撃退計画を練る為に、実家に帰らせていただきます!」
 脱兎の如く駆けだしたルシフェルを追おうとしても、カインは服の裾をミミに掴まれてできなかった。とりあえず、それは勘違いだ愛人も隠し子も全部勘違いだ、と突っ込むよりも。
「お前の実家はここだろがー!!」
 そんな叫びが城にこだました。



<<< BACK * HOME * NEXT >>>

* 破葬神話INDEX *