【01:眠る少女】


 どれだけ眠ろうと、この夜は明けない。それでも眠らなければ。
「おやすみなさい」
 バルコニーに出て真っ赤な星々の散らばる夜空に挨拶をしたのち若干13歳の女帝ルシフェルは趣味丸出しの豪華絢爛な自室に戻って窓を閉め、馴染みのベッドに潜り込んだ。少女が一人で寝そべるには大きすぎるくらいの装飾美しいお姫様ベッドだ。
 背に当たる以前と変わらぬ滑るようなシーツの肌触りにやはり本当に今この大きな城には自分がただ一人で住んでいるのだと痛感する。
 毒虫の侵入を恐れて窓を閉めたのは失敗だった。静か過ぎて眠れない。暫く横目に天井からぶら下がっている星形のシャンデリアを眺めて睡魔の訪れを待ってはみたが、どうにも落ち着かない。
 結局横になって5分と経たないうちにルシフェルは起き上がって再びバルコニーに出た。真っ黒なネグリジェの裾がふわりと浮いて心細さが増す。
 けれど、すぐに気分は上向いた。
 手入れする者を失った庭から響く虫の声や眼下に見渡せる眠ることを知らない街から風に乗って僅かに流れてくる賑やかな音色、遥か正面に霞んで見える親愛なる兄たちが住まう巨城の姿、それ全てに『大丈夫だ、見守っているよ』と返事をされた気がしたからである。いや、気のせいでなく実際に彼らは口には出さずともこちらをしっかり見守ってくれていることだろう。
(うん。大丈夫、ちゃんと寝れるよ)
 窓は開けたままにしよう。兄たちの監視が届いている限り望まぬ客人が此処に来ることなど有り得ない。……虫は少し入るかもしれないが。
 安堵したところで改めてベッドに入り――しかしすぐ横にならず、ルシフェルは眠る時ともなれば必ず枕元に置いている父から貰ったレイピアと母から貰った短剣をそれぞれ両手に持って刃に反射する自身の桃色の左眼と水色の右眼を見据え、吹き込む静かな風に銀色の髪を揺らした。
 やはり、どうにも夜に一人きりとなると心に深く刻み込まれた色々なことを思い出す。とはいえ『あの日の記憶』は少しばかり途切れ途切れで曖昧だ。
 だが「ちょっと出かけてくる」とルシフェルに留守番を頼んだ両親がいつもと変わらぬ様子で出掛けて行った姿は鮮明に覚えている。
 産後の肥立ちが悪く寝たきり生活を強いられていた母がようやく歩けるまでに回復した。ゆえに当時リハビリ兼ねての散歩が両親の日課となっていた。
「暇だったら街に行くなり向こうの城に行くなりしていいからな」
 出掛ける際、父は必ず少し贅沢なランチが食べれるほどのお小遣いを置いていってくれた。しかしルシフェルはもっぱら大人しく城に残った。兄たちの住まう向こうの城に行く手もあったが当時は読書に熱を上げていたため自宅の城にある図書室に篭もるのが好きだったのである。
 今日も図書室で本を読もう。文字を通してまだ見ぬ広い世界に思いを馳せよう。そうすればあっという間に夕刻が訪れ、いつものように両親が街で何かお土産を買って帰ってくる。はて今日は何を買ってきてくれるのやら。昨日はチョコ菓子だったから今日は甘酸っぱいものがいい。そんな具合に両親が大好物のお菓子を買ってきてくれるよう祈ってルシフェルはお気に入りの紅茶を片手に図書室へ篭った。
 何もかもいつも通りだ。夕刻に両親が『ちゃんと帰って来なかった』ことを除けば、何もかもいつも通りだった。
 創造神との戦争は続いていたのだ、いつ日常が崩れるか分からない覚悟は幼いながらにしていたつもりでいた。しかしあまりに唐突な日常の崩壊の前では少女の甘い覚悟などなんの役にも立たなかった。
 きっと当時の記憶が途切れ途切れなのは現実を受け止めきれなかった証なのだろう。
 赤い月がより赤く染まる夕刻に両親は血に塗れて帰ってきた。子供が一目見て『もう駄目だ』と直感するほど沢山の血に塗れて。
「パパ……、ママ……」
 力任せに開け放たれた玄関扉の音に驚いて何事かと駆けつけたルシフェルは夕暮れの月明かりと血で真っ赤に染まった両親を見て言葉を失い、立ち尽くした。
 文字通り頭の中が真っ白になって指先一つ動かせない。決して受け止めることの出来ない光景を前に、頭が思考を完全に放棄してしまったのだ。
「俺たちを、喰え……!」
 何を述べるよりも先に、僅かも動かない母を抱えながら父が、立ち竦むばかりの娘を見据えて言い放った。
「喰え……!」
 真っ直ぐに目を見据えての言葉。
「喰ってくれ、リリン……!」
 念を押す父の目には断ることなど決して許さないという強い意思がはっきりと見て取れた。
「喰え……! 無駄死にするのはゴメンだからな、お前に託したいんだ。俺の全てを……」
「え……? でも、でも…………」
 どうしたらいいのだ。
 ただ言葉の意味に戸惑い両親の血に塗れた姿に目を丸くした己の不甲斐なさ……。何があったのか、どうしてこうなったのか、誰にやられたのか、咄嗟に聞きたいことが山ほど浮かんだ。しかし察した父に「時間がない」と早口に釘を差された。とはいえ説明もなしにこの状況を素直に受け止めることなど若干13歳の少女には無理な話。
 ルシフェルは頭を抱えて目に映る光景を拒絶した。
「だって……、こんな……こんなことが……!」
 こんなことがあるはずない。そうだこれはきっと冗談好きな父の手の込んだ悪戯だ。そうに違いない。違いないと思いたかった。だが、願えど願えど鼻に届く血の匂いはどうあっても本物であり、少女の拒絶を許してはくれなかった。
 どうすればいいのだ。
 絶対の存在だと思っていた父と母が、死ぬ。死んでしまう。今の今まで考えてもみなかったことが現実になろうとしている。
 ルシフェルは言い知れぬ恐怖にただただ涙を零した。
「お前、まだ生きたいんだろ。この世界でその身体で、まだ生きたいんだろ。なら、力が必要だ。俺たちを糧にして先を生きろ」
 震えるばかりの娘に父が優しく諭すように言葉を紡ぐ。しかしルシフェルは首を横に振るばかりで父の声を聞こうとはしなかった。
「じゃあ、お前が俺に喰われるか?」
 とても冗談とは思えぬ口調。ルシフェルは更に強く首を横に振った。
「や、やだ……。食べられたくない……」
「そんじゃ頑張らなきゃいけねーよ。申し訳ないけど俺を喰うか俺に喰われるか、お前は絶対にどっちか選ばなきゃいけない」
 言われてもルシフェルは更に更に強く首を横に振った。純粋に『死ぬのも死なれるのも嫌だった』のだ。喰ったら父も母も死んでしまう。喰われたら自分が死んでしまう。そうしたら全てお終い――どんなに幼い子供でも分かることだ。
「そんなに拒否んなって。俺がいなくてもお前が生きていけるように……、自分を守れるように……、せめて力だけでも残してやりたい親心だよ。でも、どーしても要らないって?」
 言われて今度は無我夢中に何度も何度も頷いた。力など要らない。父と母にこれからも生きて欲しい。だから、要らないと。
「まあーそのー……、出来れば俺だってまだお前と一緒に生きたいさ。でも俺もう駄目なんだわ……。ごめんな。至らない親で本当に、ごめん……」
 渋る娘に父は一つ大きく息を吐き、なおも言葉を続けた。
「怖いだろうけど、大丈夫だよ。俺の姿は見えなくなる、存在も感じられなくなる、声さえ届かなくなると思う……。でも、ちゃーんとお前のことは今までどーりすぐ側で見守ってやっからさ、大丈夫!」
「ホント? アタシのこと、一人にしない?」
 震えながら、回らぬ舌で必死に問う。すると父は娘の期待に応えて勝気な笑みを返した。
「しないよ。絶対にしない」
「絶対……」
「ああ、絶対だ。俺が言う絶対は本当に絶対だ」
 血に染まった口元に笑みを湛え迷わず頷く父の姿にルシフェルの胸は揺らいだ。
 赤く染まった、しかし自信に満ち溢れた父の笑み……。この笑みには叶わない。何故なら父がこんな風に笑う時は只の一度も間違った試しがない。希望の神である彼の言う絶対は本当に絶対なのだ。
 けれど、ルシフェルはまだ頷けなかった。
「でも、パパ……。この世界にはアタシじゃなくてパパの存在が必要なはずだよ。アタシにこの世界が救えるとはとても思えない……」
 瞬間、穏やかな色を湛えていた父の表情が一変した。
「世界がどうしたよ……! 俺はお前に生きたいかどうかしか聞いてない……! 世界なんざ関係ない、お前が生きたいか生きたくないか、それが全てだ! 答えろ!」
 目を大きく剥き牙を剥き出した正に鬼の形相。父にこんな顔を向けられたのはこの時が最初で最後だった。
「い……っ、生きたい!!」
 ルシフェルは怒鳴られた恐怖で咄嗟に本音を露呈してしまった。……狙ってのことだったのだろう、娘の心からの本音をやっと耳にすることが出来た父は満足気に再び優しい笑みを湛えた。
「それでいい。一つだけ言っておくぞ。世界のために生きようとするな、自分のために生きろ。そうすれば全部上手くいく。そもそもお前に全てを譲ろうって俺の判断に間違いはないんだ。いいな?」
「う、うん……」
 信じなければならない。信じなければ。父の下した決断の先には大きな希望が待っている。ならば自分が生きたいと思うことは間違っていない、そうだ親を喰らってまで生きたいと願っていることは間違っていないのだ。
 少女は決意を固めて真っ直ぐに父の目を見つめ返した。
「アタシ、パパの分もママの分も精一杯に生きます。ついでにパパの無念も晴らしてみせるよ。安心して全てを託してください」
 そしてルシフェルは両親を喰らい、血の味を噛み締めながら親殺しの業を背負って父と母の全てを受け継いだ。希望の概念と凄まじく強大な力、帝王の地位、仲間との絆、革命を成し得なかった無念――両親が築き上げてきた全てのものを一瞬で手に入れたのである。
「ごめんな、こんなことになって……。でも、これからも守るから。リリスと俺とで、ずっと側でお前を守るから……。幸せに、な」
 これが父の紡いだ最期の言葉だった、と、思う。なにせ記憶が曖昧だ。自信などない。自分がまず父の身体のどこへかじりついたかも覚えていない。けれど殆ど色を失ったあの日の記憶の中で鏡越しに見た血塗れの己の姿だけは何度も色鮮やかに瞼の裏を通り過ぎて行く。
 忘れることなど許されない。忘れたくもない。己の犯した罪を都合よく忘れてなるものか。
 口の中に広がったなんとも言えない肉と血の味、噛み締めることに躊躇してむりやり飲み込んだ臓物が喉を流れていく感触、ガリガリと小刻みに固い骨を噛み潰して食べたこと、ふと鏡に映った血塗れの自分と目が合った瞬間に覚えた鈍い眩暈――後にも先にもあれ以上に醜い自分の姿を見ることはないだろう。
 母に可愛らしく結ってもらった銀髪は完全に乱れていた。口元からは両親の血と臓物の欠片が滴っていた。
 バケモノだと思った。
 鏡の中に自分と瓜二つのバケモノがいる。その途方も無い醜さに堪らず頭を抱えて叫声を張り上げた。だが叫べど叫べど鏡の中のバケモノが消えることはなく、けれどもこの血肉を全て喰らえば恐怖は振り払えるはずだという朧気な希望に縋ってルシフェルは我武者羅に両親を貪った。身体が勝手に動いていると錯覚するほど我武者羅に。
 やがて思考が麻痺し始めた。
 勝手に動く身体、起伏を止めた感情、気付けば物音も耳に入らなくなっていた。
 静かだ。外の雑音も、鳥の声も、風の音も、自分の咀嚼音も何も聞こえない。ただひたすらに、静か。その静寂の中で、やけに鮮明な視界が悪戯に現実を頭の中に叩き込んでくる。そこら中に散らばった血の赤。どこを見ても赤がある。赤、赤、赤……。鏡の向こうには相変わらずのバケモノ。しかし、もう不思議と恐怖を覚えることはなかった。何故ならこの姿は父の願いを叶えた証である。ルシフェルは幼いながらに父の願いを叶えたのだ。そうとも父の願いどおり『実の親を殺して跡形もなく喰らった』のだ。正しいことをしたのだ。
 なのに、胸に広がるこの空虚は一体なんだ。徐々にせり上がってきた焦りに汗が止まらない。
 太古の昔、ルシフェルの父サタンは希望の概念を担う者として天使たちの頂点に君臨していた。誇り高く勇敢で恐れを知らなかった彼は創造主から自慢の子とされ、誰からも称えられる存在であった。だが彼は親である創造主の期待を裏切り、バアルとレヴァイアの親友二人を連れ沢山の天使と共に反旗を翻した。これはこの世界に生きる誰もが知っている話だ。
 しかし何故どうして父が神に反旗を翻したのか、詳しい理由をルシフェルは正直なところ未だよく知らない。狂乱した神に我慢がならなくなったという大まかな理由こそ聞いてはいるが、世界を揺るがす大戦争が起こったのだ、単純明快な話ではないだろう。
 ゆえに父は幼い娘に当時の詳細を語らなかったのだとルシフェルは信じていた。
 どうあっても私利私欲で武器を手に取るような父ではない。反逆を決意するには余程の覚悟と理由と生きるに耐え難い世界があったはず。しかし反乱は失敗。刃を向けられた神は己の咎に気付きもせず、敗北した父や天使たちをこの魔界に落とし反逆者の汚名を着せた。それが全ての終わりで始まり。ルシフェルが把握していることの全てでもある。
 反逆戦争を皮切りに天使と悪魔は数千年の間に幾度も戦争を繰り返し、父サタンは沢山のものを失ったという。それでも希望を捨てずバアル、レヴァイアという二人の親友と共に先頭に立って戦い続けてきたのだ。『一人じゃなかった、アイツらがいたから俺は戦ってこれた。生きることが出来た』、口を開けば友人の自慢を始める父の姿をルシフェルはよく覚えている。
 そうとも、サタンはルシフェルの父であると同時にバアルとレヴァイアにとっては数千年来の友であり、魔界の人々にとっては希望を具現化した存在であった。
 その父を、「生きたい」という身勝手な理由でルシフェルは殺めたのだ。
 ゆえに吐き気に耐え我武者羅に血肉を貪りながらルシフェルは様々な記憶に思いを馳せ、徐々に膨らむ罪悪感を誤魔化した。これは仕方のないことだったのだ、と。
 落ち着け。
 よし、落ち着いた。頭の中は冷静だ。
 物音は何も耳に入らない。
 静かだ。
 外の雑音も、鳥の声も、風の音も、自分の咀嚼音も何も聞こえない。ただひたすらに、静か。その静寂の中で、やけに鮮明な視界が悪戯に現実を頭の中に叩き込んでくる。
 そこら中に散らばった血の赤。どこを見ても赤がある。赤、赤、赤……。
(それでも、生きなくちゃ……。生きなくちゃ……)
 生きたいと答えて両親の血肉を喰らったのだ、どんなに胸が痛もうと前に進むしかない。
 やがて両親の骨すらもしゃぶり尽くした後、父の友人バアルとレヴァイアが城に駆けつけた。
(ごめんなさい……)
 両親を喰らった後ろめたさから、鬼気迫った表情で分厚く重たい巨大な入り口扉を勢い良く開き走ってくる二人の姿に少し恐怖した。そして…………そこまでだ。ルシフェルは二人が駆けつけた後のことをあまり覚えていない。
 ところどころ途切れた曖昧な記憶。だが「両親を喰った」と視線定まらぬ状態で二人に告げたことは覚えている。
 目を見開いたままルシフェルが告げた言葉に二人は「そうか……」と、だけ答えて静かに頷いた。既に覚悟を決めていたように、その一言しか言わなかった。
 曖昧な記憶の中、特によく覚えている部分の一つだ。
 だが、そこまでだ。
 この日の記憶はここまでしかない。

 罪の意識に潰された影響だろうか、ルシフェルの記憶は此処で完全に途切れた。

 次に気がついた時、ルシフェルはバアルとレヴァイアの二人に見守られながらベッドの中にいた。
 長い銀髪を少し乱していたバアルと、一晩中泣いていたのか目が腫れていたレヴァイア。どれだけ両親の死を悼んでくれたのか痛い程に伝わるその姿にルシフェルはすぐに現実を思い出し、「アタシは、今日から名前を『ルシフェル』と改める」と宣言した。「そして、父に代わってみんなの希望になる」と続け、父が堕天と共に剥奪された『明けの明星』を意味する名を己に与えた。
「いいのか。その名前は決して軽くないぞリリン」
 破壊の神であるレヴァイアがすぐに案じてくれたが、ルシフェルの意志は堅かった。
「大丈夫。っていうか、もう背負っちゃったもん。しっかりやるよ」
 既に退路が無いことを、窓ガラスに反射した色違いの瞳が告げていた。
 もう、何もかも、背負うしかなかったのだ。
「でも暫くは一人じゃ大変かも。手伝ってね」
 強がって笑ってみせたルシフェルに二人も「ええ」「ああ、もちろんだ」と笑顔で返してくれた。
「安心なさい。今まで以上に気合を入れて私とレヴァイアが貴女を守ります。それはもう、しつこく守ります」
「そうそう。寂しい思いなんて絶対にさせねーから覚悟しろよ」
 この言葉に安堵で緊張の糸が切れたルシフェルは大声を張り上げて二人の兄にしがみつき、狂ったように泣き続けた。
 両親を失った途方も無い寂しさと罪の意識、そして二人の兄から生きることを許された安堵に涙が止まらなかったのである。
 陰鬱な気分は、涙とともに身体の外へ流れていった。

 ――早いもので、あれから半月。

「あーあ。この頃はボーッとして物思いに耽ってばっかだなー。いけない、いけない。年寄りみたい」
 赤い月の下、荒れ地の真ん中でルシフェルは腕を振り上げて大きく伸びをした。
 そうとも、後ろを振り返ってばかりでは前には進めない。
(私はもうただの少女じゃない。私は女帝。悪魔の先頭に立つ帝王。私は弱音を吐いちゃいけない。ヤツの――神の首を手にして、両親を弔うまでは)
 ルシフェルは決意を胸に、元は銀色、しかし父と母の血を次ぎそれぞれ変色した水色の左目、桃色の右目を凛と開き、焼け爛れたように赤い空を見上げた。
「父さん、母さん、生まれ変わったアタシの新しい一日が今日から始まるよ。少しは見守っててね」
 塞ぎ込んでばかりでは何も始まらない。ゆえに今日は女帝になってから初めての遠出。一人で出掛けるのは恐い、などと言ってはいられない。踏み出さなければ何も始まらないのだ。
 しっかりと自分の足で歩いて、遠くへ。
 まず向かうは前方、遠くに霞んで見えるバアルの城。
 これから色々と面白いことが起こりそうである。悲しんでいる暇は無い。己の身体が壊れることを覚悟して自分を産んでくれた母のためにも、全てを譲ってくれた父のためにも、これからは大いに生き、戦い、そして喜び、楽しまねばならない。
 ――産んでくれてありがとう。
 最後の最後までそう思えたら、それだけで神には勝ったようなものである。そうとも、神よりも父の方が優れた親であったと証明出来るのだ。
 ルシフェルは、その時を迎えるのが待ち遠しかった。



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