【06:地下へ置いてきたもの】


「早速だけど、爪の間に針刺されたことある?」
「ぶぇっほ!!?」
 出だしがそれかよ! とルシフェルはお茶を吹いて咳き込んだ。
 台所の隣のリビングにてテーブルを挟んで二人向かい合って座り、さあお話しましょうと笑顔を向けてすぐの言葉がコレである。
 テーブルの中央にはコーヒーと紅茶、適当に持ってきたお菓子が並んでいる。カインがいきなり振った痛い話のせいでさっきまで美味しそうに見えていたそれらが一気に色を失ったのは気のせいだろうか……。
「ないよ、そんなの」
 少し不貞腐れた声が出た。痛いこと言うなとカインを睨む。だが相手に悪びれる素振りはない。
「アレはかなり痛いぞ。んじゃ、針山の上に裸足で立たされたことは?」
「それもないっ!」
「アレも痛いんだわ、これが。んじゃ、両手両足を鎖で繋がれて骨が全部外れるまで引っ張られたことは?」
「ないっ! も〜、いいよ〜、そんな痛い話〜っ」
「なんだよ弱虫。それでも魔界の女帝か?」
 嫌がるルシフェルの反応を楽しむようにカインはニヤニヤしながら牢獄での体験話を続けた。
「まだまだ色々あったなあ。全身を針で刺されたり鉄の固まりで潰されたり、油かけられて燃やされたりさ。燃やされたのはキツかったな。足掻くにも全身鎖で固定されてて動けなかったし。あぁ、あと野獣けしかけられて肉食われまくったこともあったなあ〜。俺の目の前で俺から引き千切った腕をバリバリ音鳴らしながら食いやがんの。アレは肉体的な痛みよりもちょっと精神にキたな〜」
 なんでそんな話を平気で言えるのか……。ルシフェルはカインの図太さが逆に心配になってきた。彼は牢獄生活の影響で様々な感覚が麻痺してしまったとはいうが……。どうやら牢獄はルシフェルの想像以上に凄まじい場所なのだろう。

 さて、そんな調子でどれくらい時間が経ったか。

 カインは平然とした顔で時々コーヒーを口にしながらこの『痛い話』を続けた。
 負けるか〜とルシフェルはビクビク震えながらも話を聞き続けたが、ここでちょっとした疑問が生じる。その疑問を彼に聞けばこの『痛い話』は更に長引くことは予想出来たが、溢れる好奇心には勝てなかった。
「ねえ待って。ところで、その拷問って誰がやってたの? 見張りのヤツら?」
 その割に見張りと罪人は第三者の目には少し仲良さそうに映った。だが、拷問をけしかけてくる相手と仲良くなど出来るものだろうか……。それがルシフェルの頭に浮かんだ疑問だった。
「いや? 見張りのヤツらはただの飾りだよ。実際ただ通路に立ってるだけ。アイツらも囚人みたいなもんだしな。拷問、誰がやってたか知りたい?」
 カインが真顔でルシフェルを見つめる。
 ルシフェルが頷くと、カインは「よしよし」と頷いてニヤリと笑った。
「天使」
「え……?」
 天使、という簡潔な言葉にルシフェルは硬直した。
「今更驚く話でもねーだろ。神のご命令とあらばアイツらはなんでもやる。勿論、罪人の拷問なんて汚い仕事もな」
 固まったルシフェルを他所にカインは淡々とコーヒーのおかわりをカップに注いだ。
「嘘……。だって仮にも天使だよ!? アイツら、そんなことまでやるの!?」
「やるよ。どんなことでも」
 だからなんだと余裕の表情でコーヒーを飲む彼にルシフェルは「そんなに飲んだら余計眠れないぞ」の言葉も出なかった。敵対している手前、決して天使に聖なる存在というイメージを抱いていたわけではないが、なんだか複雑な思いだ。
「飽きずにまあ〜、何千年もちゃんと牢獄に通い続けてくれたっけね。俺は特に神様から目の敵にされてたから大物が来てたなあ。ラファエルだろ、ヨーフィだろ……まあ、言っても身分高いのはコイツらぐらいだったか。暇だなオイって思ったもんだよ」
 カラカラと笑うカインとは対照的に、ルシフェルは無言になった。胸の奥に、神と天使への憎しみが湧いてくるのを感じる。鎖で繋がれた無抵抗な相手に何千年も拷問を続けるなんて非道極まりないことだ。本当に、それぐらいの報復をしなければならないほど牢獄の罪人たちは大きな罪を犯したのだろうか?
 少なくとも今、目の前にいる男は、そんな大罪を犯したようにとても見えない。彼が救い様のない罪人だったのだとしたら今こうして黙ってしまった自分を覗き込み「どうした? お茶で舌でも火傷したか?」などと穏やかな口調で声をかけてくるはずがないのだ。
 彼は、優しい。自覚の有無は分からないが、その態度の悪さでは隠しきれない程に、しっかりと優しい。
「に、してもお前は自分の敵のことをまだ全然知らないみたいだな」
 カインがまるで慰めるような、憂いを帯びた声で言った。痛いところを突かれ、ルシフェルには返す言葉も無い。
「あぁ、そーいや何より一番酷い拷問もされたな〜。なんだと思う?」
 聞きたくないと言えば嘘になる。ルシフェルは好奇心に負けて思わず「何?」と顔を上げて聞いてしまった。
「犯された」
 早口で、カインがまるでおちょくるように目を丸くして言った。
「お……か……?」
 ルシフェルは彼が何を言ったのか分らなかった。
「え〜。何それ? それって何されるの?」
 キョトンとした彼女を、カインは真顔で見つめる。
「だーかーらー……。いいや、やっぱやめた。冗談だよ、冗談。敵を知れって言ってもこの話はあんまりだったな。お子様は知らないほうがいい」
 ルシフェルにはその言葉の意味も、何故彼が苦笑いしたのかも分らなかった。若干13歳、『そういう知識』は、まだ浅かった。
「それって、とにかく酷いことなの?」
「だから冗談だって。大人になったら教えてやっから」
 カインは流石にいけないことを言っちゃったかなと反省した。子供には少しキツい話だったかもしれない。しかし、サタンの娘とはいえ彼女が普通の13歳の少女であることを知って、何故だか安堵した。もう保護者気取りかよ……、と、己を自嘲しながら。
「さて話を戻そうか。お前、抉られた自分の目玉を口に突っ込まれて食わされたことはある?」
「ないよ!!」
 また聞きたくもない痛い話を再開され、ルシフェルは声を荒げた。
 カインの痛い話はその後も暫く続き、はてさてどれくらい時間が経った頃だろう。
「う〜ん。カインがしょぼくれたジジイみたいな姿してた理由が分かってきた……!」
 一通り話を聞いたルシフェルは腕組してうんうんと頷きながら冗談ではなく真面目な顔で呟いた。
「ジジイって言うな……。俺も気にしてたんだけど、髭も剃れねえ、髪も切れねえ、風呂もねえんだぞ」
 カインはさり気なく自分をフォローした。一応は精神はまだ年頃の男。見た目に気を遣わないヤツだと思われたくないらしい。
「アンタ、よく生きてたねぇ〜」
 ルシフェルが感心すると、カインは「そんなこと……」と、鼻で笑った。それはルシフェルに向けたものではなく自分自身に向けての嘲笑いだった。
「……あのさ……」
 目線を下に落とし、ルシフェルを見ずに彼は静かに口を開いた。
「ルーシー、拷問よりも何よりも、一番辛いことってなんだと思う?」
「えっ? ……分かんない」
 頭の中で辛いであろうことをいろいろ考えたが、どれも当たっていそうにない。
「降参?」
 カインの言葉にルシフェルは悔しながらコクリと頷いた。
「正解は、『死ねないこと』だ」
「死ねないこと……?」
 ルシフェルが「どうして?」とカインを見ると、彼はそれに応じて落としていた視線を上げ、ルシフェルと目を合わせた。
「今の俺は、まあ多分だけど心臓を抉られれば死ぬ。死んだことないし試してないから分らねーけどよ。死ぬと思いたい。でも他の何処を刺されようと千切られようと死にはしない。あっという間に治っちまう。つーか牢獄に繋がれてた時は心臓破られても死ななかった。つーか死ねなかった。死にたくても死ねない。それがどういうことか、分かるか? それがどんな苦しみか、苦痛か」
 想像が出来ない……と言っては失礼だろうか。ルシフェルは何も言えなかった。「分かりにくい?」というカインの問いかけに素直に頷く。
「普通、生き物ってのは死ぬのが何より苦痛だ……と、思うもんだろ。でも神はあえて永遠の命を俺に与えた。神様ってのもそうそう死ねない御身分だろうから生き続けるってのがどういうことか知ってるんだろうな。みんな終わりがあるから始められる。始めただけで終わりが無かったら、苦痛以外のなにものでもない、だろ?」
 尚も首を傾げる彼女にカインは目線を上に向けてどう説明しようか考えた。
「えーと。じゃあ、たとえばお前の飲んでる紅茶。一度飲み始めたら最後、そのまま永遠に飲み続けなきゃいけないとしたらどうする? 飲んでも飲んでも紅茶が無くならなかったら? ……もっと単純に例えると、一度寝たら最後、永遠に眠り続けなきゃいけないとしたらどう思う? 嫌なもんだろ。何も出来やしなくなる」
「うー……、うん……」
 返事を濁してしまったのは上手く理解が出来なかったからである。しかしなんとなく彼の言いたいことは分かった。そしてこれが、不死を強いられてきた彼だからこそ言える言葉だということも。
「なんとなく、だけど、分かった気がする。ってか、カインって意外と賢いこと言うんだねえ!」
「意外ってお前……。今まで俺のことどう思ってたんだよ……! だてに長生きしちゃいねぇぞ一応は……!」
 ルシフェルからすれば褒めたつもりの言葉だったのだが……、彼にはそれが癇に障ったらしい。カインが不服そうに腕組をしてフンッと鼻を鳴らす。
「あ〜……。ねえ、今もそうなの? もし今すぐ死ねたら死にたい?」
「そんなこと思ってそうに見えるか?」
 目だけをルシフェルに向けて静かな声で彼は答えた。しかし、見えるかと聞かれても彼は顔を見ても何を考えているのかまるでよく分からない男。なのでルシフェルはとりあえず「いっや〜、見えないね!」と笑っておいた。それは正解だったようだ。「だろ?」とカインも笑った。
「せっかく釈放されたんだ、生まれ変わった気分でまだまだ生きる気満々だよ俺は」
 だってそうしなきゃ勿体無い、と一言付け足し尚も屈託無く笑う。
 どうやら一見するとポーカーフェイスに思えるが、意外にも喜怒哀楽が顔によく出る性格らしい。

 ――彼を選んで、良かった。

 ふと思ったことだ。彼を選んで良かった。彼が楽しそうに笑うたび、何故だか胸が温かくなる。
「ところでお前。どうなん? そろそろ睡魔さんは来てくれたかい?」
 クッキーを口に放り込みながらいきなり話題を変えた彼にルシフェルはハッとなった。あんな痛い話ばかりを聞かされて逆に目は爛々に冴えてしまった――と、いうか、話を聞くのに夢中になって眠くなりたいという思いをすっかり忘れていた。
「ごめん……。全然だわっ!!」
 ガーンと頭に両手をつけるルシフェルにカインは「あ〜あ」と溜め息をついてテーブルに力無く突っ伏した。
「言い忘れてたけどよ……」
 テーブルに突っ伏しながらカインが静かに溢す。
「俺、あんまり喋るの得意じゃないんだよね。慣れてなくて疲れるんだよ」
「ブッ!!」
 これだけ喋っておいてそんなアホな! と吹き出すルシフェルにカインは顔を上げて「なんだよ、笑うな!」と反抗した。
「じゃあ、これ以上喋らすのは可哀相だし、寝てあげようかな〜」
「そうしてくれ!」
 意地悪く笑うルシフェルからカインは少し不貞腐れた風に顔を背けた。
 事実、遥かに年の離れた少女相手に喋るというのは疲れる。何故なら変に気を遣う。まさかそんなこと正直に言えはしないが。
「じゃっ、お先にね」
「へえへえ、どーぞどーぞ」
 手を振り、人に話すだけ話させておいてサッサと部屋に帰っていく少女の後ろ姿を見ながらカインはコーヒーを啜った。まあ、なんだかんだで思い出話をしたことで何か胸がスッとしたことだし、いっか……。と、思うように、した。
 牢獄にいた時は誰とも何も話せなかっただけに反動が来ているのだろう。本来なら誰が相手だろうと本当に喋るのは得意ではない。自分は無口な方だ。……多分。
 今クッキーなんて可愛いものを夢中で頬張っているのもきっと反動の一つ。牢獄では食べ物も一切口に出来なかったため、今は口に入るもの全てが美味しく感じてしまう。
 ……太りそうだ。
 そういえばテーブルの上に置いてあったお菓子を殆ど食べてしまった。「これじゃレヴァイアのことを言えないな……」と先日のお茶会のことを思い出して一人ニヤける。
 しかしちょっと前までは、ただただ虚無と憎しみだけで生きてきた自分がこんなにも女の子相手に普通に喋っている……。何か不思議に感じてならない。
 カインはぼんやりと思いを巡らす。もしかしたら自分はいいものを牢獄に忘れてきたのかもしれない。
 なんだか、まだ、夢を見ているような気分だった。
 これは現実なのだろうか。ひょっとしたら長い夢ではないのか。本当の自分はまだ牢獄に閉じ込められたままで、外に出たという夢を見ているんじゃないだろうか。これは何もかも夢なんじゃないだろうか。
 気の遠くなるような長い長い年月を牢獄で過ごし拷問を受け続けたカインは痛覚が殆ど麻痺してしまった。ゆえに答えを求めて手を抓っても何も感じない。
(でも大丈夫、これは現実だ。夢なんかじゃない)
 何故なら今飲んでいるブラックコーヒーは目が覚める程に苦い。この口の中に広がる苦味は間違いなく、現実だ。



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