【11:死神となった泥人形】


 その頃、頭に二本の小さなツノを生やし背中には小さな黒い蝙蝠羽をつけお揃いの黒服に身を包んだ子悪魔二人が街の雑踏の中を潜り、ルシフェルの城に向かって歩いていた。
 髪の色こそ違えど同じ背丈、同じような顔……。二人はきっと双子だ。服装こそ意図的に揃えてるのだろうが、顔と身体は意図して揃えられるものではない。
「この街ってホント意外と広いのよね。でもお城の頭が見えてきたわ。もうすぐよ」
「でも着いたら着いたで、いきなり帰れって言われたりしたら……ど〜しよっか」
「その時はその時よ。とにかくルシフェル様に会ってみなければ始まらないわ」
 そんな会話を交わしながら小悪魔二人は足を速めていた。



「ねぇ〜……、まだ買い物するの〜?」
 ルシフェルは全身から「もう帰りたい」というメッセージを発しつつ荷物を沢山乗せたカートをカラカラと引っ張りながらカインの後ろをついて歩いていた。
「なに言ってやがる。まだ酒と食料と服と生活用品しか買ってねーじゃねぇか」
 カインはまだまだ元気な様子で大量の紙袋を手に持ち、意気揚々と立ち並ぶ店を順に眺めながら早足で先を歩いていく。
「あのさぁ、普通は逆じゃな〜い? 男が女の長〜い買い物に付き合わされてくたびれるってのは分かるけどさ〜……」
 ルシフェルの溜め息交じりの言葉にカインは「ごめんね〜」と一切悪びれない口調で返した。本当に悪びれない。足を止める気配も一切ない。初めての買い物ということですっかり楽しんでいるようだ。何もかも初めてなのだから楽しんでくれる分には構わない。が、そもそも全部ルシフェルの奢りである。まあ、カインは無一文であるしルシフェルは女帝ということで金には不自由していないので別にいいのだが……。奢っているのだから「ぼちぼち休憩しようよ」と繰り返すルシフェルの言葉に一度くらい頷いて答えてくれてもバチは当たらないだろうに、彼は断じて足を止めない。
(ホント、子供みたい)
 僅かな休憩さえも惜しんで目を輝かせながら歩き続ける男の背中を見つめ、ルシフェルはしみじみ思うのだった。と、その時、カインがピタリと立ち止まった。やっと休憩か!? とルシフェルは淡い期待を抱いたが、残念ながらそうではなさそうだ。
「ルーシー、この店いいか〜?」
「え?」
 カインの指差した店は偶然の一致かルシフェル行き着けの『煙草専門店』だった。
「あれ〜? アンタ吸うの?」
「あぁ、ちょっと興味あって。いいか?」
 カインが葉っぱに興味を持つのも無理はない。街には煙草を美味しそうに吹かして談笑している悪魔たちがそこら中にいる。影響を受けるのが自然だ。
「いいよ。アタシもちょーど買い置きがなくなっちゃったトコだったのよね。じゃ、入ろっか」
「えっ? お前、吸ってんの?」
「まあね。少しだけだけど」
 言いながらルシフェルは店のドアを開けた。ドアに掛かった鈴が揺れてチリンと音を鳴らす。これは店主にお客が来たことを知らせるサイン。煙たい店内の奥で煙草を吹かしながら椅子に座り行儀悪くカウンターに足を置いて何やら古びた本を読んでいた赤い髪の男が鈴の音を聞いて顔を上げた。
「あ〜? あ、ルシフェル様いらっしゃい。んで、えーと、カイン……だっけ? ど〜も、初めまして〜。噂はもう耳に届いちゃってるよーん。俺、耳イイんだわ」
 女帝を前にしても臆することなくダルそうに挨拶をするこのアクセサリーをジャラジャラと身につけタンクトップ着で両腕にビッシリと刻まれた彫り物を晒し頭には派手なバンダナを巻いた如何にもガラの悪そうな男が店の主人である。
「アンタ、いつもだけど態度悪いなぁ〜。作る煙草は美味いのにぃ〜……」
「え〜? これでも超丁重に接客してるつもりなんだけどねぇ〜……。まあゆっくり見てってくれや」
 男はブーツの底に煙草を押し付けて火を消すと店の端にある水の入った大きなゴミ箱に吸殻を指で弾いて投げ入れた。女帝の前にもかかわらずこの適当な振る舞い。横目で見ていたカインもこれはどうかと思ったのだろう「なんか随分な接客態度だけど、いいのか?」とルシフェルに耳打ちした。
「しょーがないわ、誰に対してもこうやって平等に接するスタンスらしいのよ。レヴァ君は勿論あのバアルの前でもこうだもん。レヴァ君の話だと何気にこのお兄さん今現在、街で1、2を争う年長者らしいよ。だから上下関係なんて気にしてないんだと思う」
「年長者か……。ふーん、見た目じゃ分からねーもんだな……」
 ルシフェルの耳打ち返しにカインは成る程ねと頷いた。悪魔は基本的に不老、ゆえに見た目は全くアテにならない。彼はまた一つこの世界のことを学んだ。
「ま、そんなことよりも色々と見てみなされ」
 いっぱい色んな種類の煙草があるよとカインに商品棚を指差してからルシフェルはカウンターで大あくびをしている男に「ねえ」と声をかけた。
「いつものある? グレープフルーツフレーバーでメンソールのアレ」
「ああ、は〜い」
 常連らしい注文に男はゆっくりと立ち上がり後ろの棚を荒っぽく開けた。
「いくつ?」
「じゃあ買い溜めとして100箱くらい頂戴」
「……100箱!?」
 のんびりと商品を眺めていたカインが過剰に反応して素早く振り返った。
「なによ。アタシって吸わない時は吸わないんだけど、吸い始めると止まらないからこれぐらいでいいの」
 それだけ言ってルシフェルは金貨と引き換えに男の差し出す大量の煙草が入った紙袋を受け取った。
「ヘビィだな。お前」
「あっら、アタシなんか全然マシな方よ。魔界一のヘビスモ疑惑があるレヴァ君なんかこの何倍かも分からないんだから〜」
 ねえ、とルシフェルが目をやると男は素直に「うん」と頷く。
「ああ、そう……」
 まあ、人それぞれだよな……と、考え直してカインは商品棚を再び見渡した。そしてふとレヴァイアが吸っていた箱全体が黒一色な煙草を発見。早速手にとって見つめる。
「あ〜、それ一応商品棚に置いてるけど買ってくのレヴァさんだけなんだよね。なんたってタール58ミリもあるからさ。箱が真っ黒なのはレヴァさんが別に箱のデザインは適当でいいよっつーからお言葉に甘えて」
 カインが商品に見入っていると気付いて男が後ろから説明を入れる。が、単位を言われたところでカインにはいまいちピンと来ない。
「一般的には14ミリくらいからが強い煙草って言われてるね。レヴァさんはその約4倍のモンを吹かしてるわけだ」
 知識が浅いとみて男が付け足した。
「なるほど。58……、どんなもんだか想像も出来ないな……。ま、いいや、俺コレね」
 言ってカインは白地に赤い模様、銀色のロゴが入ったデザインの箱を手に取った。見たところ普通っぽいので選んだらしい。
「なんだよ普通の煙草選びやがって〜。もっとキッツイのにしなよ、キッツイの!」
「はあああん!?」
 せっかく選んだものを真っ向から否定するルシフェルに向かってカインは頬を膨らませた。
「すいませんね、これでも一応『元・人間』なんでね。悪魔とは身体が違うんだよね、身体がっ!」
「嘘ばっかり〜」
 そんなどうでもいい言い合いを続ける二人の後ろで男はカインが選んだ煙草を無言でせっせと紙袋に100個詰め込んでいた。
 で、袋に詰められてしまったものを今更そんなに要らないとも言えず、男に「毎度ありがとさん」と見送られて二人は膨れ上がり悪化した大量の荷物を抱え店を出た……。
「なんか、悪化したね、物凄く」
「ああ、悪化したな……」
「言い忘れてたね。あの店、1個だけ買おうとしても絶対問答無用で100個とかまとめ買いさせるのよ……。チマチマ買いに来られると面倒だからって……」
「なるほど、そりゃ不覚だったな……」
 手に持った荷物がずしりと重さを増してくるのを感じ、二人は言葉数が少なくなった。
「もう、今日は帰ろう……。これ以上は持てないよ。続きはまた明日にしよ?」
「そうだな、今日はもう帰るか……。腹も減ってきたしなあ」
 よし、帰ろうと二人は揃ってぼんやり空を見上げた。

 その時だった。

「キャーー!! 誰か助けて!! 天使が……、天使が来たー!!」
 突然、甲高い悲鳴が街中に響いた。
 聞き間違いではない、甲高い悲鳴は次々に重なりその大きさを増していく。この街には悪魔しかいない。しかし悪魔とはいえ誰も彼もが天使と張り合える程に強くはない。非力な者やまだなんの力も持たない子供も沢山いる。
 二人は先程の情けない表情とは打って変わってキリッと目元を引き締めるとお互いの顔を見合い、それを合図として悲鳴のした方へと駆け出した。勿論、今日せっかく買った荷物はちゃんと大事に持ったまま……。
「ちょーどいいや! カイン、これアンタの初バトルにしちゃいなさいよ。力量、見せてもらうわ!」
 ルシフェルは大量の荷物を乗せたカートをしっかり握って走りながら隣のカインを見やった。
 カインがちゃんと戦いで使える男かどうか知りたくてずっとウズウズしていたところである。それによって今後の接し方も変わるというもの。もしも全く使い物にならなかったら女帝の側近から女帝のパシリに身分降格決定だ。今後、偉そうな態度は許さない。
「ああ、分かった。じゃあ見てな」
 初バトルと言い渡されたにもかかわらずカインに緊張する様子はない。これは自信がありそうだ。
 天使の出現した場所は逃げてくる民衆の反対方向、尚且つすれ違う悪魔たちが「あっちにいます!」と揃って教えてくれたお陰ですぐに分かった。
「なんか、たまにこうやって馬鹿な天使が独断でウチにちょっかい出しに来るのよ。凄く迷惑だから見せしめ兼ねて徹底的にやっつけていいからね! ……あ、いた! あれだわ!」
 前方に、天使特有の白い服を身に纏い白い羽を広げた三人の男が得意げに剣を振りかざしている姿が見えた。
「汚らわしい下等生物どもめ、お前らを刻んで血の雨を降らせてやろうぞ!」
 およそ『聖なる存在』と思えぬような言葉を放ちながら天使たちは逃げ遅れの人々に容赦なく斬りかかっている真っ最中であった。既に何人かの悪魔が血塗れになって地面に倒れている姿も確認出来る。
 許せない。
「カイン、殺れ。アンタがやばくなったらアタシが加勢してやるから安心して行け」
「ふん、ガキの手助けなんかいらねぇよ。しっかり見とけ!」
 言い放つとカインは自分の手荷物をルシフェルに勢いよく投げ渡し、天使めがけて真っ直ぐに駆け出した。
「ちょっと待て〜〜! なんでアタシが荷物全部持っててやらにゃいけないんだ〜!!」
 大量の荷物に潰されつつルシフェルは大声で怒鳴った。が、戦闘モードに入っていたカインは振り向きもしなかった。
「誰だ!?」
 走り寄るカインの気配に気付き、天使たちは逃げ遅れの悪魔を斬り刻む手を止め、一斉に同じ方向を睨んだ。そしてカインと天使たちとで目が合った。瞬間、お互いがお互いを間違いなく敵であると認識した。無言で通じ合えるというのは素晴らしい。
「あっ、そういえば俺って丸腰じゃん!? ま、なんとかなるか……」
 凄まじい速さで走り殺気に目を光らせつつ、しかしカインの頭の中は至極呑気だった。なんの緊張もない、何せ『素手で天使を殺すことには慣れている。鎖に繋がれてない状態で戦うのは初めてだが』、まあ、まず大丈夫。臆する必要は何も無い。
「なんだ、貴様は!」
 まず一人の天使がカインめがけて剣を振り下ろした。だがカインはその一撃を難なく身体を逸らして紙一重で避け、相手天使の首を片手で豪快に鷲掴み思い切り空に向かって持ち上げた。
「が……っ!?」
 首を絞められ息が出来ずヨダレを吐き散らしながらもがく天使は、恐らく混乱したのだろう。手から剣を落としジタバタと暴れもがいて必死の形相でもってカインの手を振り解こうとした。が、カインの方が圧倒的に力が勝っているらしく、天使の首は締め付けられる一方。
 仲間が容易く捕らえられた光景を前に残り二人の天使はただただ「信じられない」といった表情を浮かべて硬直していた。それはこの光景だけが理由ではない。この光景を作っている白い髪に赤い目をした見覚えのある男の顔が二人の天使を「信じられない」と言わせ、硬直させていた。
「よお〜」
 カインが持ち上げている天使を汚いモノを見るような目で睨みつけ、不敵に微笑む。
「久しぶりだなぁ。天使君たち。長いこと世話になったな! 俺だよ俺、白髪のカイン! 世話したことなくても名前聞いたことくらいあるよな!?」
 仕上げとばかりにカインは手に渾身の力を込めた。瞬間、骨の折れる小気味のいい音と肉の潰れる湿った音が響き、天使の首と身体の『二つ』が鈍い音を立てて地面へと落ちた。
「お〜。凄いじゃないか。天使の首を手で潰し切るなんて普通の力じゃないぜ〜……」
 少し離れたところで見守るルシフェルが「いいねいいね」と一人、頷く。カインがこんな怪力の持ち主だったとは知らなかった。今後、頼りになりそうだ。
「白髪のカイン……。お前、どうやって外に!?」
「それはナイショ!!」
「な、内緒とはなんだ、内緒とは!!」
 堂々言い切ったカインの態度に天使たちはカチンと来たようだ。明らかに顔つきが変わった。その様子を見ていたルシフェルが「短気だなあ〜」と、こっそり溜め息をつく。しかし天使は目の前の男に気を取られており、隠れて嫌味を吐いているルシフェルの気配などまるで察していない、彼らの怒りに満ちた目は一直線にカインだけを捉えている。
「生意気な口を!! 大罪人の分際で!!」
 怒鳴り声を上げて天使二人が同時に切りかかる。だがカインは物ともせず先程首をもいで身動き取れなくした天使の胴体を素早く持ち上げ盾の代わりとして使った。
 目の前を仲間の身体が塞いだ、しかし突き出した剣を刹那に止める術はなし。
 ザクザクと肉の切れる爽快な音が響いた。天使の身体に二人の剣が深く刺さったのだ。一人の剣は天使の身体の心臓部分を深く貫いていた。己の防御ついでとして確実に止めを刺すため心臓部分を破壊させる、カインの狙い通りだった。
 天使の多くは身体の核である心臓部分を破壊しない限り死に至らない者が多い。誰に教わったわけでもないがカインは今までの経験でそれを知っている。
「小癪な真似を!!」
 一人は仲間の身体に突き刺さった剣を素早く抜いて後方に飛び退き間合いを開けたが、もう一人は剣がすぐに抜けず舌打ちをした。その隙を逃すカインではない。カインは手間取った天使の背後に素早く回り込むと鋭く爪を立てた手を相手の背中から心臓部分に向けて槍の如く突き刺した。
 確かな手応え。カインの手に身体を貫かれた天使は大量の血を撒き散らし、悲鳴も上げず絶命した。
「相変わらず天使ってのは名前ばっかで大したことねーな」
 突き刺さった手を引き抜くと、カインは残る一人の天使を睨みつけて不敵に微笑んだ。
「貴様あああああああ!!」
 怒り狂った天使が端正な顔を歪ませ、剣を構える。力の差はもはや歴然、しかし仲間をあっさり殺された恨みがあるのだ、この天使は決して退かないだろう。せめて一太刀だけでも浴びせようと捨て身で斬りかかってくるに違いない。
 捨て身になった相手を甘く見るべからず。しかし、どうしたものか。このままでは買ったばかりの服に血が付かないか心配だし手も汚れまくるし……と、戦いながら変なところに気が向く。
(なんか不利だよな〜)
 カインは武器になるものがないか周りを見渡した。そして、発見した。なんて幸運なのだろう。こんなすぐ横に武器屋があるじゃないか! 逆に今まで目に入らなかったのが不思議な程。しかも出店だ、道に商品が剥き出しだ、なんて取り易い!
 よし、なんか借りてしまおうと決めたカインは咄嗟に天使の顔に向かって勢い良くツバを吐きつけた。すると予想通り「ギャッ」と小さく悲鳴を上げて天使は顔を押さえた。
(今だ!)
 カインはそのまま武器屋に飛び込むと一番大きくて強そうに見えた大鎌を迷うこと無く手に取った。死神が首を狩るのに使っていそうな大きく禍々しい鎌だ、扱いは難しそうだが、まあなんとかなるだろう。
「あっ、オイ!」
 奥に隠れていた店の主人らしき男が顔を出してカインを引き止める。しかし足を止めてる暇はない。
「悪いな、金は後で払う!」
 ルシフェルがね、と付け足してカインは天使めがけて駆け出した。
「よくも……、よくも!! この私に唾なんぞ吐きつけおって!!」
 肌が擦り切れるのではないかという程にツバを受けた顔を手の甲で執拗に拭い、天使は怒りに我を忘れて剣をカインに向けた。刹那、刃と刃がぶつかり合った甲高い音とザックリ肉の切れた刻みの良い音が響いた。

 何が起こったのか、それはある程度の力を持つ者でなければ肉眼で確認出来なかったであろう。

 少し離れたところで全てを見ていたルシフェルは微笑み、大量の荷物を抱え直して意気揚々と歩き出した。
 普段こういう迷惑な天使に対しては見せしめも兼ねて魔界の中でも特に巨大な力を持つ者が相手をし、それはもう直視出来ないほど木っ端微塵に叩きのめす。誰が決めたわけではないが、それが暗黙の了解だ。ゆえにバアルやレヴァイアが直々に相手することもあれば街に住む上級悪魔が誰かしら駆けつけ喜んで相手をする。
 だが、今日は誰も来なかった。
 理由は一つしかない、誰もがカインの力量をその目で確かめたかったからだ。ルシフェルもその意図に気付いていた。だからこそ口出しすらせず見守ることに徹したのである。
(ひょっとして天界もそれを意図して今日このタイミングで天使を故意に送り込んできた?)
 ルシフェルは考え巡らして首を傾げた。だが、答えを確認する術は何もない。どうにもならないことは考えるだけ損なので気にしないことにした。
 刃をぶつけ合った両者は動かなかった。暫くの沈黙。……先に動いたのはカインだ。彼が振り返ると一瞬の間を置いて天使は心臓部分から血を吹き出し、挙句、身体は縦に真っ二つとなってまるで潰れたトマトのように地面へと崩れ落ちた。
「楽勝」
 簡潔に勝利台詞を吐き捨て、カインは『先程まで天使だった肉の塊』を見下ろした。
 久々に天使を殺した……。一体、いつ振りだろう。とにかく勘が鈍っていなかったことに安堵し、深く息を吐く。と、不意にカインは柔らかな手に肩を勢いよくポンッと叩かれた。
「やったじゃん、カイン! アンタ出来る男だよ!」
 手の主はルシフェル。彼女は輝く笑顔でもってカインを褒め称えた。
 ルシフェルは、嬉しかった。とことん嬉しかった。カインが出来る男と分かって嬉しかったのだ。
 相手は身なりからして中級天使であろう。それをあっさりいとも簡単に倒してみせた。これだけの力があれば女帝の側近を担うに相応しい。
「そ、そんなに褒めるなよ……」
 大袈裟だなとカインは目を丸くするばかり。しかしルシフェルの褒めちぎりは止まらない。
「いやいやいや! アンタ凄い、強い、かっこいい!!」
「本当に凄いよ、ありがとう兄ちゃん!」
 ルシフェルに便乗するかのように何処からともなく逃げ隠れていた街の住人たちも駆け寄ってきた。先程血塗れで倒れていた人々も大事には至らなかったらしく「ああ、ビックリした」と苦笑いしながら次々と立ち上がっている。流石は悪魔。頑丈な身体だ。
 万事解決。しかし褒められることに慣れていないのか「よくやった、よくやった」と四方八方から讃えられ住人たちの笑顔に取り囲まれたカインは「べ、別に、大したことしてねーよ……」と、ひたすら狼狽えていた。
「ん?」
 恐らくはバアルとレヴァイアもこの一部始終を何処かで見守っていたのだろう、二人がそっと微笑んだ気配を察してルシフェルは背後を振り返った。しかしそこにはバアルのメルヘンチックな城が遠くに見えるだけ、二人の姿は無い。だが、確かにあの二人もこの一部始終を見ていたはずだ。
「あのー、ちょっと、旦那」
 大騒ぎの中、一人落ち着いた声の男がカインに向かって静かに歩み寄ってきた。「あ、あの武器屋の主人だ」とすぐにカインは気付き、お支払いがまだだったことを思い出す。
「悪い、今払うわ。これ、いくら?」
 先程刻んだ天使の血をポタポタと垂らした大鎌を指差して苦笑いのカインである。こんな派手に汚してしまったのだから買い取りは免れない。状況を察したルシフェルが気を利かせ隣でポケットから金貨を出そう……と、したところで「待った! 違う、違う!」と、男が両手をバタバタと振った。
「その大鎌は旦那にやるよ。それ重すぎて扱える人いなかったんだ。唯一レヴァイア様は平気で持ち上げてくれたんだけど使い難いから要らないってバッサリ言われちまったしで……。だから止めたんだが旦那はそれを簡単に振り回しやがった。だからそれ、みんなを助けてくれたお礼ってことで受け取ってくれ。どうせ売れなかったもんだしさ」
 言って、主人が朗らかに微笑む。
「え? 何? つまりタダでくれんの? マジで? ありがと。でも悪いよ。ちゃんとお金払うって。ルシフェルが、だけど」
「そうそうアタシが。って、そうだよ、アンタそうやってカッコつけて遠慮してるけど結局お支払いするのはアタシじゃん!!」
 なんだか納得がいかないルシフェルである。
「いやいやいやいやいやいやいや、ホントにそのまま貰ってやってくれよ。その大鎌も誰かに使ってもらえた方が幸せだろうしさ。じゃ、そういうことで!」
 逃げるが勝ちと思ったのかビシッと手のひらを見せると主人は人波を掻き分けて走り去って行ってしまった。
「あ……。分かった、ありがとよ!」
 カインの返事は簡潔で素っ気なかったが、顔はしっかりと喜んでいる。どうやら満更でもないようだ。
「くれるって言うんだから貰っとくが吉ね! とにかくカイン、今日は華々しいデビューが飾れて良かったじゃないか。これでみんな絶対アンタの顔を覚えてくれたよ!」
 どうにもルシフェルはまだ興奮が冷めず、カインの袖をグイグイ引っ張りながらはしゃいでみせた。
「ああ、うん……」
 人々の歓喜の声とルシフェルのはしゃぎぶりに流石のカインも照れを隠せなかった。全く、どうしたらいいやら。だが、そんな表情とは裏腹に彼は先程手にこびりついた天使の血を強くハンカチで拭いていた。ヌルヌルしていて、気持ちが悪い。それに、もしこの血でルシフェルを汚してしまったら、嫌だ。そう思うと喜び切れず、冷静に手を拭ってしまう自分がいたのである。



 騒ぎが一段落ついたところで二人は城へと帰り始めた。
「ルーシー、荷物重いだろ。やっぱ俺が少し持つって」
「いいの、いいの。今日は特別! それにアンタそんなデッカイ大鎌持ってるんだからいいって」
 強がりを言いながらルシフェルは大量の荷物を一人で抱えてヨロヨロしながらカインの隣を歩いた。片手には大量の荷物を乗せたカート、もう片手には大きな紙袋。ルシフェルは荷物で前が全然見えていない、ゆえに足取りがかなり危なっかしい。
 せめてもとカインはそんな彼女が転ばないよう横について補助をしてあげていた。
 今日カインは頑張った。だから荷物は自分一人で全て持つ、という祝いの気持ちは嬉しい、だが……、どうなんだろう。面倒が増えただけ、俺が持った方が絶対早いとカインは思った。しかしルシフェルは譲らない。カインは今日、一度コレと決めたらなかなか曲げない女帝の頑固な性格を知った。
「お〜、もう城の入り口まで来たぞ〜。頑張れ〜。あとは階段登るだけだぞー」
 カインの棒読みな応援。しかしルシフェルはその言葉に反論する元気もなく、素直に「はい、ありがとう」と返した。
「も、もうちょっとだね。オッケー、オッケー……」
 息切れしながら荷物を少し持ち直す。ルシフェルの手足は完全に疲れ切っていた。
「ほーら、門を潜ったぞー。もうちょっとだぞー。もう目と鼻の先だぞー」
「門、くぐった……。もう、目と、鼻の先……」
「よし、玄関到着。ご苦労様」
 両手塞がった女帝の代わりに大きな玄関ドアを開けてカインは先に入れと顎で合図した。
「やった、家だ……。家だ〜〜! 到着だ〜!」
 歓喜の声を上げてルシフェルは城の中へ駆け込んだ……が、突然ピタッと足を止めて後ろでドアを押さえているカインを振り返った。
 今、名前を呼ばれた気がしたのだ。
「アンタ今、アタシのこと呼んだ?」
「は?」
 ルシフェルの言葉にカインは首を傾げた。
「いや、俺は何も言ってない」
「おかしいな、確かに聞こえたんだよ。アタシのことを呼ぶ声が後ろから……」
 その時だった。「ルシフェル様!!」と、幼い子供のような可愛らしい声が二人の耳に入り、合わせてパタパタと軽快な足音までもが城の門の方から響いてきたのである。
「ほら……、誰かが……」
「ああ、お前にお客さんみたいだな」
 ルシフェルとカイン二人揃って声の方へと首を向ける。すると、背中に黒い小さな蝙蝠羽を広げお揃いの黒服に身を包んだ子悪魔二人がこちらに走ってくる姿が目に入った。



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