【12:刃を握る小さな手】
銀髪と青い髪の小悪魔二人は息を切らしルシフェルたちの側へ走り寄ってきた。ルシフェルはこの二人の顔を何処かで見たような思いに駆られながらも今は荷物の重みで記憶を巡らすどころではない。
足を止めたのは失敗だった。一刻も早くこの荷物を何処かへ置きたい……。と、その時、目の前までやって来た銀髪の小悪魔が顔を上げカインをジッと凝視した。
「ルシフェル様、久しぶりです! 俺たちを覚えてますか!? あぁ、こんなに逞しくなられて……! まるで男の人のようだ……!」
言うが早いか銀髪の子悪魔はカインの手をギュッと力強く握った。
「ええ!?」
カインはそれはもう顔をキョトンとさせた。確かに今、女帝の方は荷物に潰されてる。手ぶらなカインの方が偉そうには見えるかもしれないが……。
「バズー、何を考えてるのよ! ルシフェル様は女性よ! 男の人のようだも何もその人どっからどう見たって明らかに男じゃないの!」
銀髪小悪魔の行動を横にいた青い髪の小悪魔が叱った。
「えっ? えっ? じゃあ、ルシフェル様はドコに?」
バズーと呼ばれた銀髪の子悪魔はカインの手を握ったまま困惑の表情を浮かべた。
「えっと、こっち」
ことの成り行きを見守っていたカインが握られていた手を離し、ルシフェルをそっと指差す。これが女帝ですよと。
「こ、ここにいま〜す!! アタシが女帝でーす!!」
ルシフェルは必死に手を上げて一同に自分の存在をアピールした。
「あ〜!! そちらがルシフェル様でしたか!! これはこれは大変な失礼をば!! あの、俺バズーです!!」
言うと彼は気を取り直して今度はルシフェルの手を勢い良く握った。本当に勢い良く。よってルシフェルはバランスを崩し荷物を落としかけたが、状況を察したカインが横から素早く手を差し伸べた。親切というかなんというか今日買ったばかりの服やら何やらを地面にぶちまけたくなかった一心である。しかしそんな困っている二人を見てるのか見ていないのか、バズーと名乗った彼は一方的に「俺です、俺!!」と満面の笑みで話を続ける。
「ルシフェル様、俺ですよ!! バズー!! 10年ぶりです!! 覚えてますか!? 覚えてますよね!?」
覚えてますかと繰り返しグイグイ詰め寄るバズー。しかしそんなに連呼されてもルシフェルには彼が誰なのか全く見当つかない。
「バズー、そんなに慌てて喋ったってダメよ。ルシフェル様が困ってるじゃない!」
少し口うるさそうな青い髪の小悪魔がやっと呼吸を整え「やめなさい」と興奮気味のバズーを首根っこを掴んだ。
「ギャーッ!! デイズ、離せよ〜! 分かったってば〜〜っ!! やめろよルシフェル様の前だぞ、俺かっこ悪いじゃん!! ちゃんと分かったから〜!」
「分かった? んじゃあ、よし!」
デイズと呼ばれた青髪の小悪魔はバズーの返事を受けると「よしよし」と頷いて手を離した。
なにがなにやら、である。
ルシフェルはカインに荷物を半分持ってもらい、やっとのことで体制を立て直した。
「えーと、一体アンタたちなんなの? アタシに何か用なわけ? いきなり駆け寄ってきたと思ったらワーワーキャーキャー……全く意味が分からないんだぜッ!」
二人を交互に見つめ問いかけるルシフェル。瓜二つな銀髪の少年と青い髪の少女……。何処かで見たことのある顔だ、しかしハッキリと彼らが誰なのかは思い出せない。
「あれ〜〜。ルシフェル様まさか俺たちのこと全然覚えてない系〜?」
急にモゴモゴと口篭ってしまったバズー。すると彼に代わって隣のデイズが「では自己紹介をいたします」と改まった口調で言った。
「先程から大変失礼を……。私はデイズ。こっちが弟のバズー。今は亡き上級貴族を親に持つ双子の姉弟です。ルシフェル様がまだ幼かった頃に一度だけ会ったことがあるんですけど、覚えありませんか?」
デイズの、つい先程までのお転婆口調を完全に殺した丁重な言葉を聞いてルシフェルは「やっぱり一度会ってたんだ」と頷いた。どうりで見たことのある顔だったわけだ。
「ちょっとだけ、覚えがあるかも」
ルシフェルが言うとデイズは「ありがとう御座います」と朗らかに微笑み、言葉を続けた。
「ルシフェル様、私たちの両親は天使によって見るも無残な酷い殺され方をしました。だから、仇をとりたいんです! どうか私たちをお仲間に加えてください。今日私たちが此処へ来たのはそのお願いをするためです! 決して足手まといにはなりません! お願いです! 私たちを仲間にしてください!」
デイズが語気を強め、深く頭を下げた。姉にならって同じくバズーも頭を下げる。しかしルシフェルは「よし」と言わなかった。
「えっと……。両親を殺された無念の気持ちは分かる。けど、子供を戦地に向かわせるわけにはいかないよ。ごめんね」
言い聞かせるような静かな口調で二人に語るルシフェル。その直後に黙って頭を下げていたバズーが「子供だって!?」と、素っ頓狂な声を出した。
「ちょっとちょっと!! 俺らそこまで子供じゃないよ! こう見えてももう18歳だ!!」
「へっ?」
今度はルシフェルが素っ頓狂な声を上げてしまった。そして思わず後ろのカインと顔を見合わせる。カインもカインでバズーの発言には驚きを隠せなかった。だってだって彼らが18歳だなんて、そんなハズはない。18歳というとルシフェルより5歳も年上……。確かにルシフェルは父サタンから受け継いだ力の影響で成長の早い子供ではあった。しかし今は歳相応の13歳。彼らの外見年齢は明らかにルシフェルと同じくらいか、それより下である。とても18歳には見えない。
そうか、これは嘘だ。仲間になりたいがゆえの嘘なのだ。ルシフェルは正直に「嘘つくなよ」と笑って返した。が、二人は本当だと言って譲らない。
「そんな年齢詐称なんてするわけねーじゃんって! マジで俺たち18ッス!」
「私たち、ルシフェル様が3歳の時に会ったことがあるんですよ。思い出してください。そしたら私たちの年齢が嘘じゃないって分かるはずです」
デイズが真剣な目で訴える。
「3歳? 3歳か……」
ルシフェルは目を閉じて記憶を辿った。3歳の頃……。確か一度、魔界の王族と上級悪魔一同で晩餐会を開いたことがあった。いつも戦地にて最前線で活躍している悪魔たちがお互いを労い更なる親睦を深めようと御馳走を持ち寄って催したものだ。そこでルシフェルは自分より何歳か年上に見える少年少女に会い、一緒に遊んでもらったような覚えがあった。晩餐会に紛れ込んでいた唯一の子供同士、すぐに気が合ったのである。
その記憶の中の少年少女の顔は――今、目の前にいる二人と瓜二つ。
「あ〜〜〜〜っ!!」
ルシフェルは目を大きく見開いて叫びに近い声を上げた。
「いた! アンタたち晩餐会にいた! そーだ、そーだ、アタシったらアンタたちと会ったことあるわ! でも、アンタたちその時から見た目全然変わってなくない!?」
横で突然の大声に驚いているカインには目もくれず、ルシフェルは興奮そのままに言葉を紡いだ。
そうだ、そうだ。だから見覚えがあったのだ。確かに彼らとは一度会ったことがあった。思い出せそうで思い出せない突っかかっていたモノが取れてスッキリなルシフェルである。
「私たち身体の成長が遅いんです。そんなわけでこの通り身体は小さいけど力で劣ってるつもりはありません! みんなと並んで戦えます! だから、どうか仲間に入れてください!」
「お願い! 父さんと母さんの仇を討ちたいんだ!」
デイズとバズーが揃ってまた頭を深々と下げた。
「うーん……」
ルシフェルは腕組して考え込んだ。まあ、上級悪魔の子ならば間違いなく戦力にはなるだろう。それと――――不意にルシフェルの目に大量の荷物が映る。そして散らかった城の情景が脳裏を掠めた。
「よし! いいわよ!」
いいこと思いついちゃった、とルシフェルは不敵に微笑んだ。
「……で、仲間が増えたっつーかアイツらを雑用係りに雇ったわけだ」
肩で溜め息をつき、カインはベランダに出て空を見ていたルシフェルに背後から声をかけた。
「いいじゃない。賑やかに越したことはないし今度から買い物も楽になるし城は綺麗になるし! 良いこと尽くしよ!」
胸を張って言いのけ、ルシフェルはメンソールの煙をフゥと空に向かって吐いた。
「可哀相に……」
カインがボソッと呟く。
「え? なんだって?」
聞き逃さなかったルシフェルがピクリと反応した。
「別になんでもねぇよ」
素っ気なく返し、カインは今日購入したばかりの煙草に火をつけた。いちいち対応するのも面倒くさいといった感じだ。
「なんなのよ〜っ」
吸い終わった煙草を石造りの床に落として火種を踏み消し、ルシフェルはカインに詰め寄った。
「なんでもねぇって。まあ、同居人が増えて賑やかにはなったなってだけ」
言いながらカインは煙草を静かに吸った……途端に、激しくむせてしまった。
「ダサイぞ〜……」
今度はルシフェルがボソッと呟く。
「ぁあん!?」
カインが不機嫌に振り向く。しかし臆するルシフェルではない。
「なんでもないですよ〜だ」
意地悪な口調で返すとルシフェルは舌をベーッと出してみせた。目には目を、というヤツである。するとカインは火をつけたばかりの煙草を「やる」と言ってルシフェルに押し付け、背を向けてしまった。
「なによ、どこ行くの?」
「今日買ったもん整理すんだよ。煙草はまた後で練習するわ」
「なによ〜、寂しいじゃないのよ〜」
「そんなに言うなら片付け手伝ってくれても構わないが?」
「それは遠慮しとく。……あ、そういえばカイン! これって間接キスよ! いいの!? アタシありがたく吸っちゃうわよホントに!」
一人舞い上がるルシフェルの声がカインの去った後のベランダで聞こえた。勿論、カインにはなんの目論見もない。たんに火をつけたばかりの煙草をすぐ消してしまうのが勿体無いから目の前にいた小娘に押し付けたというだけである。
それはともかく、逃げるようにベランダを出たはいいが、此処は何処だ。カインは四方八方を見渡した。
「……あっれ〜、俺、迷子になった?」
いや、まさかな……と一人で呟き、カインは自身の部屋に向かってのんびり歩いた。この城は広い。未だに何処に何があるのか完璧には分かっていない。ゆえに、ちょっといつもとは違うルートで自分の部屋を目指してみたわけだが、はて、此処は何処だろう。長い廊下の遠くを見ながら自分の部屋が何処か考え巡らす…………その時だった。「面倒くさがらずにやりなさいよ! ルシフェル様からカレー食べたいという命令よ! 遂行しなくちゃ!!」とデイズの金切り声が遠くから響いてきたのである。それから、なにやら聞き取れないがバズーが不満気にボヤくような声も耳に届いた。
一体なんの騒ぎだろうか。カインはなんとなく声のする方へと向かい、キッチンへと辿り着いた。
中を覗いてみるとバズーとデイズがギャーギャー言い合いを繰り広げつつまな板の上で甲斐甲斐しく野菜を切っている姿が目に入った。一体なんの騒ぎやら。
「お前ら、何やってんの?」
思わず背中に声をかけるカイン。すると小さな二人がパッと元気よく振り向いた。
「はい! ルシフェル様がカレー食べたいって言うから作ってるんです」
デイズがニッコリ微笑んでまな板に並んだ材料を指差す。やる気満々といったところだ。しかし一方のバズーは頬を膨らませ、見るからにヤル気なさげな態度である。
「なんで俺たちがカレーなんて作らなきゃいけないわけ? おかしいよ、絶対っ! 仲間に入れてやるからカレー作れアタシはカレーが食べたいってどーゆーこと!? ルシフェル様、意味分かんない!」
彼の言葉は最もだった。そりゃそうだ。自分たちも戦いたいと言いにやってきたのに、だったらカレー作れと全く関係のない要求をされたらこういう反応にもなる。カインもそうだよなと思った。が、デイズの解釈は違ったようだ。
「なーに言ってんのよバズーはホントに馬鹿なんだからもう馬鹿ッ!! 腹が減っては戦が出来ない。つまりこれは重大任務ってことよ! ルシフェル様が元気に戦えるかどうかが、私たちのカレーにかかってるのよ!!」
烈火の如くな口調。
んなわけねぇって。とカインは苦笑いした。が、バズーは違った。
「そうか……。そうだったのか!! これは重大任務なのか!! クソ〜、なんで気付かなかったんだろう!! ゴメン!! 俺は間違っていたよ、デイズ!!」
どうやら、姉の解釈に心から賛同してしまったようだ。先ほどまでの不満気な顔は何処へやら、バズーは急に目を輝かせて「これは重大任務なんだ!!」と、元気良く野菜を切り始めた。
「そうよ!! だから頑張って美味しいカレーを作るしかないわ!!」
デイズも負けじと凄い勢いで野菜を切り始める。トントントントン、包丁がまな板を叩く刻みの良い音がキッチンに木霊す。実に微笑ましい光景である。そう、微笑ましい光景である。しかし――
「……おまえら……」
カインはなんとも言えない気持ちになった。アホなのか真面目なのか、この二人の言動は何か違う気がする。
もうちょっと、疑うということを覚えるべきではないだろうか。
(でもせっかく真っ直ぐに頑張ってるところに汚い大人の入れ知恵しちまうのは気が引けるかなあ、うん……)
カインは思った。彼らはこのままでいいと。
そうだ、このままでいい。そっとしておこう。しかし、よく観察してみるとデイズは料理上手だがバズーの方は何か包丁の扱いが危なっかしい。何度か包丁を滑らせて手を切りそうになっている。
そっとしておこうと思ったが、これはちょっと見ていられない。
カインは静かにバズーの隣に行くと余って置いてあった包丁を手に取ってジャガイモの皮を剥き始めた。カインとて料理の経験などありはしないが、このバズーよりは上手くやれる自信がある。
「カインさん……?」
バズーが予想しなかったカインの行動に顔をキョトンとさせた。
「……手伝ってやる……」
ボソッと一言。すると小さな双子は揃って歓喜の声を上げた。
「おおお……っ! 俺、カインさんってもっと怖い人なのかと思ってた……! なのに、なんて、なんて優しいんだー!!」
バズーが大袈裟なほどに感動の涙を流し、羨望の眼差しをカインに向ける。
「あぁ、なんて男らしいの!! そんな低音ボイスでボソッと一言手伝ってやるなんて言われたら惚れてしまいますわ私!! 嗚呼、なんと素敵なナイスガイ!!」
デイズはデイズで頬を赤らめカインの横顔をうっとりと見つめた。
「……いいから料理しろ、料理……」
俺、子供に交じって何やってんだろ……と、自戒の念にかられつつ、カインはジャガイモの皮を次々に剥いていった。
「なんか、このカレーの野菜すっごいキレイに切られてるね。二人とも料理上手じゃん!」
ルシフェルは熱々のカレーを頬張りながらテーブル越しに目の前でソワソワと女帝の評価を待っていた双子を褒め称えた。これだけ家事が出来るとなると彼らを城に招いたルシフェルの判断は正しかったわけである。
「いやあ、野菜はほとんどカインさんがやってくれたんだよ〜」
ねっ、とバズーがカインに向かって微笑む。
思わずルシフェルは夢中でカレーを頬張っていた手を、止めた。同じくカインもピタリと食事の手を止める。余計なこと言いやがってとバズーに小声で訴えるも時すでに遅し。
「えっ!? カ、カインが!?」
ギョッと目を見開き、ルシフェルはバズーと、その隣に座っているカインを交互に見やった。だってそんな料理を手伝うなど彼のキャラに似つかわしくない。
「……ああ、うん。見てらんなかったもんでな……」
カインは静かに答えると、また黙ってカレーを頬張り始めた。
「じゃあ、このルーは? 辛さが丁度良くて凄い美味しいんだけど」
言ってルシフェルはおかわり! と、デイズに空になった皿を渡した。
「それは私がやったんだけど、カインさんが色々と助言くれたの。おかげで美味しく出来たわ!」
デイズがご飯を皿に盛りながら嬉しそうに話す。
「い、意外だ。意外過ぎる。全然キャラじゃない……」
おかわりを待ちながらルシフェルはカインをジッと凝視した。
ルシフェルからしてみれば自分に対してはツンケンした態度ばかりとるこの男が親切に料理を手伝うだなんてそんな一面をこの双子に見せたなど、やはり信じがたいものがあるわけで……。
「……そんな目で見るな。誰だって意外な一面があるもんだろ」
言うとカインは席を立って部屋の端に行き、窓際にポツンと置かれた椅子に腰を下ろした。彼の皿は綺麗にカレーが無くなっている。と、いうことは、どうやら端に行って食後の一服をするようだ。
「こら!! ご飯を食べ終わったらごちそうさま言いなさいって昨日も教えたでしょ!?」
すかさず注意をするルシフェル。その女帝の女房気取りな様を見て双子がクスクスと声を殺して笑う。
「ぁあ? ああ、忘れてた。ごちそーさん」
悪びれない口調で返し、そういえばそんなこと言われたなあと記憶を巡らせた後「今度こそ……」とカインはコートの胸ポケットから煙草を出して火をつけた。
頭がクラクラする。そしてむせる。
(ひょっとして俺には向かないのか?)
揺らぐ紫煙を目で追いながら考え巡らす。最中、隣にバズーがニコニコしながらやって来た。
「カインさん、なに吸ってるの? 銘柄教えて〜」
言うとバズーはテーブルに置かれたカインの煙草を手に取ってパッケージを見つめた。
「あっ、これ俺のと同じだ! 奇遇ッスね!」
嬉しそうな声でもってバズーはズボンのポケットから自分の煙草を出した。成る程、カインの煙草と同じパッケージである。
しかしカインは奇遇だと喜ぶより先に「お前、吸うのかよ」と疑問に満ちた表情を浮かべた。なにせバズーは幼い見た目をしている。自分が上手く吸えないものをこのチビが吸えるとは思えない。
「これ、無難って言われるけど美味いんだよね! 香りもいいし」
言うとバズーはカインに凝視されていることなどお構いなしに慣れた様子で煙草にジッポで火をつけると美味しそうに煙を吐いた。
成る程、しっかり吸っている。お前に煙草なんか似つかわしくないぜと言いたかったが、なかなかどうして様にもなっている。カインは開いた口が塞がらなかった。
その向こうでデイズが「アンタ、禁煙するって言ってたじゃないのよ、嘘つき〜!」と頬を膨らませた。
そんなこんなで夕飯終了。
無性に悔しさを感じたカインはみんなが食事を終えて部屋に戻った後も一人リビングで煙と戦い、しばらくして一度もむせることなく煙草一本無事に吸い終えることに成功した。
「……よし、極めた。俺は極めた!」
こんなの極めてどうするんだと聞かれたらそれまでだが、理由など元からどうでもいい。全ては男のプライドの問題である。ごく単純に、みんなが吸えるのに自分だけ吸えないというのが嫌だったのだ。
しかし、もう苦悩は終わった。なにせ無事に煙を極めることが出来たのである。心の中でカインは力強くガッツポーズをとった。と、そこに丁度ルシフェルが様子を見にやってきた。
「どう? 上手くいった? そんなん極めてどーすんのってツッコミはとりあえず控えておいてあげるよ、アタシ良い子だから」
言いながらルシフェルはカインの隣にチョコンと座る。
「ふふ、もう完璧だ。もう俺はむせない」
こんな小さなことで何故か少し自慢げな顔をしながら答える男、カインである。まあ、上機嫌であることは良いことだと考えルシフェルは「良かったね」と微笑んで、さり気なく彼が極めたらしい煙草のパッケージを見た。そして僅かに首を傾げた。
「なんだよ」
何か言いたげなルシフェルの視線に気付いてカインが眉間に皺を寄せる。
「ああ。これ、アタシの吸ってるのより少しタール弱いみたいだねって、そんだけ」
それだけ言うとルシフェルは席を立ってリビングからスタスタと出て行った。
「弱い……? 俺がお前より弱いだと……?」
サラッと言い放たれた女帝の一言を過剰に解釈したカインがそれはもう落ち込んだのは言うまでもない。
弱い……弱い……。
弱いという言葉を頭の中で繰り返しながらカインは尚も一人その場に残ってコーヒー片手に煙草を吹かして物思いに耽った。
どんな些細なことでも女の子より弱いものがあるということが許せない。情けない。と、いうか、こんな些細なことでムキになっていること自体情けない。しかし許せないものは仕方がない。
(いつか、いつか超えてやる!)
結論を導き出したカインは一人、強く頷くのだった。と、そこへ今度はバズーがやってきた。
「カインさん、まだ此処にいたの?」
「ま〜ね。コーヒーのおかわりが目と鼻の先で出来るから便利だし」
「成る程ねー。あ、俺は一服しに来たんス。部屋がデイズと一緒なんで嫌がられちゃってさ」
バズーは苦笑いをしてカインの隣に座った。
「ご一緒させてもらってもいいよね?」
「どーぞどーぞ。俺に縄張り意識なんてのは皆無だ、気にすんな」
カインの返事を聞いてバズーは「それは良かった」と微笑み、煙草に火をつけた。そしてひと煙を吐いたところでおずおずとカインを見上げた。
「あの〜……、聞いていいッスか?」
「何を?」
カインのぶっきらぼうな返事。しかしバズーは怯まなかった。既にカインという男はこういう喋り方なのだと理解していたからだ。とはいえ恐いものは恐い。少し肩をすぼめてしまうのは仕方がなかった。
「えっと……カインさんはどうしてルシフェル様と一緒にいるんですか? 良かったら、教えてください。気になったもんですから。あっ、嫌なら別に……その……」
心細そうに言って新しい煙草に火をつける。カインの導火線が何処にあるやらまだ分からないがゆえの恐怖である。なにせ相手はぶっきらぼうな口調に加えて目つきが異常なまでに悪い男だ。何をきっかけに激高するか分かったものではない。
しかし当の本人はまあ話し相手になってやってもいいかという具合に至極呑気に構えていた。
「へぇ〜、俺に興味があるわけか」
カインは意地悪な笑みを浮かべると得意の持ちネタを怯えながらも好奇心に目を輝かす少年相手に意気揚々と語り出した。
カインの持ちネタといえば牢獄での痛々しい経験談に他ならない。好奇心に目を輝かせていた少年が顔を歪めるのに然程時間は掛からなかった。
「もうヤダ、グロい!!」
バズーはカインの過去を一通り聞き終わるとそれはもう簡潔に素直な感想を述べた。
「グロいは褒め言葉だ、ありがとよ」
カインは自慢のグロネタに対して素直に反応した彼にニヤリと笑った。
「俺の過去は教えた。お前は? あぁ、無理には言わなくていいけどな」
「いやいや、カインさんが言ってくれたのに俺が言わないなんて失礼でしょ。お望みならいくらでも!」
「いや、そんな頑張らなくていいから。必要最低限なところだけ言ってくれれば……」
バズーが興奮し易い性格なのは今日の様子を見て知っている。あまりにもな長話には付き合いたくない。カインは「マズッたな」と呟いて少し冷えたコーヒーを喉に流し込んだ。
バズーはそんなカインの心情を理解したのかしていないのか、とりあえず「分かりました!」と威勢よく返事をしてから話を始めた。
「デイズと俺は上級貴族な両親から双子として生まれたんです。『本当に双子としてちょっと俺ら変な身体で生まれちゃった』けど、そんなの気にならないくらい両親にはホント不自由なく大事に育ててもらって、だから俺ら父さん母さんが大好きだったんだけど……」
そこでバズーは一呼吸置いた。
「でも、数年前にその両親が……戦死したんです。天使軍が攻めてきた時にいつも通り最前線に突っ込んでって……とうとう殺されちゃった。戦争が続いてるんだもん、いつかはそんな日が来るんじゃないかって子供ながらに覚悟はしてた。でも……」
「……でも?」
「ただ殺されたなら諦めはついたかもしれない。でも、普通の死に方じゃなかったんだ」
「なに?」
カインの眉間に皺が寄った。
「両手両足、生きたまま切り落とされた痕跡があった。血が異常に飛び散ってたから分かったんだけど。そうして生きたまま傷付けて弄んだ後に、父さんと母さんは心臓を一突きされて殺された……!」
バズーが語気を強める。カインが視線を落とすとギュッと強く握られている彼の小さな拳が見えた。
「いくらなんでも酷すぎるでしょ……? だから、仇を討ちたいって思ったんだ。……なーんて、ありきたりッスね! カインさんに比べたら全然大した理由じゃないや」
そこまで話すとバズーは苦笑いを浮かべた。こんなつまんない話をしてしまってスイマセンの意味である。しかしカインは首を横に振った。
「いや、お前らの方が偉いよ。親の無念を晴らすために戦うんだろう? 立派じゃねーか。……俺は、ただ自分の復讐のためだけに戦おうとしてる。気楽なもんだよ。何も背負っちゃいない」
「またまたそんな。バレバレっすよ、カインさん!」
「……バレバレ?」
「カインさんの顔を見てれば分かるよ。自分のためだけに戦おうとしてる人はそんな目してないって」
バズーはカインの目をじっと見つめたまま顔をズイッと近づけた。
「俺なんかよりも全然優しい目してる。それは誰かを守る目だよ」
誰かを守る目……。カインは改めて窓ガラスに反射した自分の顔をチラリと見やってみた。だが、そこには赤い瞳をギラつかせた目付きの悪い男が映っているだけ。いやはや本当に目付きが悪い。とても誰かを守る目とは思えない。
「そんなことを言われたのは初めてだが……」
いまいち納得のいかないカインである。
「確かにパッと見は怖……ゲフン、ゲフン!!」
「あ? なんだって?」
相手が何を言わんとしたかは容易に想像がつく。カインは怪訝そうな顔を浮かべた、その顔がまさに恐い。しかしバズーはあえて笑顔を返した。
「エヘヘッ。とにかく俺カインさんと会えて良かった! お兄さんが出来たみたいで嬉しいッス! これからどーぞ仲良くしてください! んじゃ、俺もう寝まーす!」
照れくさそうに言うとバズーは席を立ってカインに背を向けた。
「待った。最後に聞きたい。お前は亡き親のため、それだけを理由に戦うのか?」
去っていく小さな背中に向かって声をかける。
亡き者の無念を思い、恨みを晴らすためだけに戦う……。それは言うほどに簡単な道ではない。もしもバズーとデイズがその真っ黒な感情のままに走ろうとしているならば、とても手放しに応援は出来ない。カインは一人の大人として『やめろ』の一言を告げなければならない義務がある。
バズーが足を止めて振り返った。迷いの無い目がカインを見る。
「家族みんなで笑っていたあの場所にはもう戻れない。どうせ戻れないなら、俺は前に進む。行き先が分らなくても、立ち尽くしているよりマシだと思ったから。それがもう一つの戦う理由ッス」
ニッコリと微笑むバズー。とても「やめろ」の一言で決心揺るぎそうもない顔だ。
「へぇ、難しい言い方するじゃないか。なるほどね」
「へへっ、でも自分で自分が何言ってるのかよく分かってないんスけどね」
言うとバズーは一礼したのち、軽快な足取りで部屋を出て行った。
「……自分で自分が何言ってるのかよく分かってないって、ダメじゃねぇかそれ……!」
カインは去って行ったバズーの背中に向かって声でない声で呟いた。
だが、あんなのは照れ隠しで言ったことだろう。あの目を見れば彼が本気であることなど容易に分かる。
(それにしても、なかなか可愛いヤツだな)
お兄さんが出来たみたいと言われて悪い気はしないカインである。
しかし、そんな可愛いことを言う彼が復讐を口にするご時世なのだと思うと、改めて複雑な気持ちにさせられた。
バズーとデイズが両親に可愛がられて育ったことは、あの人懐っこい様子を見ていれば分かる。だが、そうして自分たちを大事に育ててくれた親が殺された……。
(親、か……)
親が殺される、それは一体どんな気持ちがするものなのだろう。どれだけ大きな悲しみを味わうのだろう……。親のいないカインには想像することしか出来ない。
改めて、泥から生まれた自分の存在が異質に思えてきた。
「ん……?」
ふと、廊下の方からコンコンという軽い足音が聞こえてきた。
まさか……と、入り口の方へ目を向けると案の定ルシフェルがひょいと顔を出してきた。
「カインま〜だそんなトコで一人ポツンと一服してるわけ〜? やーね無趣味な男って」
「さっきまでバズーがいたよ」
「へえ〜。じゃあ彼とお話してたんだ?」
喋りながらルシフェルはカインの方へと歩いてきた。
ルシフェルもルシフェルでなんだかんだ人懐っこい。やはり、大事に育てられた子なのだろう。
「ああ、まあね」
「アタシはデイズちゃんと話してた。あの子たち面白いね〜。仲間に入れて良かった!」
「ふん、『雑用係』にして良かったの間違いじゃないのか?」
「そんなことないもん! 人聞き悪いったらないなあ! ちゃんと仲間として受け入れたわよアタシ!」
カインの言葉を受けてルシフェルが頬を膨らましプイとそっぽを向く。
まったく。ちょっとからかっただけで大きなリアクションが返ってくる、そんなお前こそ面白い。カインは声を殺して笑った。
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