【14:最果ての地にて】


 バアルは腕組をしながら物思いに耽っていた。
 どうにも胸騒ぎがする。『嫌な予感』。この『嫌な予感』は今の今まで一度たりとも外れたことがない。
 ――そうだ、間違いない。近いうちに、この魔界へ天使軍が攻めて来る……!
「バアル!!」
「え?」
 至近距離からの呼び声にバアルは我に返った。いけない、いけない……。顔を上げると心配そうにこちらの顔を覗き込むレヴァイアと目が合った。いつから彼はこうしてバアルを覗き込んでいたのだろう。バアルには分からない。何せ完全に意識が飛んでいた。
「あ……。なんですか?」
「なんですかって、お前……」
 バアルのとぼけたような返事。普段キビキビと振る舞う彼を思えば滅多にない気の抜けた声である。レヴァイアが口をあんぐりと開くのも無理はなかった。
「ああ。客人がいるのにお前がボーッとするなんて……って思ってさ。どうかしたの?」
「あ……。ええ、まあ……。ちょっとね。ん? お客さんって誰でしたっけ?」
「はあああ!? 意識飛びすぎだろ!! お前、大丈夫か!?」
 レヴァイアが大袈裟な言い方でもって尚もボーッとしているバアルの肩をしっかりしろとばかりに掴む。
 此処はバアルの城にある玉座の間。ふと向こうに目をやるとルシフェルやカイン、先程新しい仲間だと紹介されたバズーとデイズが輪になってテーブルを囲み、のんびりとトランプゲームをして遊んでいる姿があった。
 ゲームはカインが勝ち続けているようだ。他の三人が眉間にガッツリ皺を寄せて不機嫌そうにトランプを握り不満を口にして騒いでいる。どうやら先ほどまでレヴァイアも参加していたらしい。ゲームが行われているテーブルには五人分の椅子が並んでいて、そのうちの一つが不自然に空席となっていた。
「ああ、だってお前が焦点合わない目ぇしながらボーッとしてたからさ……」
 せっかく勝ってたのにとちゃっかりボヤいてレヴァイアがルシフェルたちの方へと目を向ける。
「そうでしたか……。御免なさいね、心配かけて」
 言ってレヴァイアにそっと微笑んでみせるバアルだったが、長年連れ添っている相棒にそんな形だけの愛想笑いなど通じない。普段ヘラヘラとしているレヴァイアが眉間に皺を寄せた様を見てバアルは肩を落としてしまった。
 一方あちらのテーブルはトランプに夢中で誰もバアルとレヴァイアのやり取りを気にしていない様子。だが、カインだけは何かおかしいと気付いているのか、チラチラとバアルの玉座へ目を向ける。魔王二人が真剣に話し込んでる姿というのは本来とても気になるものだ。遊びに夢中で気付かないお子様三人がおかしいのである。
「ちょっと! なに余裕ぶっこいて余所見しちゃってんのよ気に食わないわねー! なんでルール教えたばっかりなのにアンタばっか勝ってるのよ畜生!」
 ルシフェルが勇ましく煙草を吹かしながらカインにグチった。その姿はまるでカジノにいるガラの悪いオッサンそのものである。しかしルシフェルは見た目に気を遣っている場合ではなかった。なにせ気に食わない。レヴァイアはこういう遊びが得意だから勝っても良いとして、ルール覚えたてのカインに連敗の嵐を叩きつけられるとは、とても納得の出来ることではない。ルシフェルは復讐に燃えた。しかし相手はルシフェルの熱視線などどこ吹く風で淡々と紅茶を啜る。
「元々の才能じゃね〜?」
 頬杖つきながらダルそうに紅茶を啜ってカインは手持ちのカードを眺めて戦術を練った。と、いうか、練るまでもない。なにせレヴァイアが席を外した今、どの相手もカインにとっては弱すぎる。
 バズーはただただ頭を抱えてどうして勝てないのか悩んでいる様子。デイズはバズーにだけは負けまいと意地になっているのが表情で分かる。
「んじゃ、これでどうよ! キングのスリーカード!!」
 ルシフェルが勝ち誇ったような笑顔でもってカードをテーブルに叩きつけた。
 バズーとデイズの二人が「ひゃ〜〜っ!」と悲鳴をあげる。どうやら対抗出来るカードを持っていないらしい。
「ワッハッハッハ! どう? みんなパス? パスかな〜? カインもパスかな〜?」
 今度こそ私の勝ちだねと挑発するような口調でルシフェルはカインの顔を覗き込んだ。が、しかし当のカインは無反応。
 ルシフェルは思った。おかしいなと。
(カインの手持ちのカードは3枚だ。私の出したカードに勝てる確率は超低い。あ、あれだ、ピンチ過ぎて無表情決め込むしかないんだな。なーんだそうか、ザマーみやがれ。さあ、負けろ。そしてそのポーカーフェイスを崩すのだ!)
 念じながらカインの顔を凝視するルシフェル。しかし、それでも相手は淡々とした態度を崩さない。
「お前ら二人、カード出せないのな?」
 カインの言葉にガックリしながらバズーとデイズが頷く。
「じゃあ俺の番だな。はい、Aのスリーカード。んで俺の上がり」
 ポイッとカードを投げてカインは意地悪い笑みをルシフェルに向けた。
「嘘〜!? ……嗚呼……。ま、また負けた……」
 なんてこった、今回は自信があったってのに……。ルシフェルは力なくテーブルに突っ伏した。が、すぐに顔を上げた。
「しかし二位にはなるぞ! お前らには負けるもんか!!」
「あ、なにそれ! こっちだって負けないわよ!」
「俺はそろそろビリから抜け出したい……」
 それぞれ決意を叫びながら残る三人はカードを出し始めた。
(お子様だねぇ〜)
 仲良く遊ぶ子供たちの様子を見届けた後、カインは静かに席を立った。向こうでバアルとレヴァイアがなにやら真剣な面持ちで話し込んでいるのがどうにも気になる。何を話しているのだろう……。自分なんかが顔を挟んでいいものか迷ったが、カインは正直に行動することにした。
「どうかしたのか?」
 このカインの呼びかけにバアルとレヴァイアが同時に振り向く。
「ああ、カイン。私の予感は昔からよく当たるんですよ。趣味のタロット占いは滅多に当たらないんですけどね」
 少し沈んだような口調のバアル。隣でレヴァイアは黙ってバアルに説明を任せている。
「それで?」
「これはあちらのおチビちゃん三人にも言わなきゃいけないことなんですが、どうやらゲームに夢中なので後でいいとして……。貴方には先に話しましょう」
 おチビちゃんとか言っているが、しかしバアルの言葉は僅かも冗談じみていない。きっと重要な話なのだろう。
 バアルの金色の瞳が言葉を待つカインの赤い瞳を見つめた。
「不穏な風が吹いている。間違いなく近いうちに天使軍がこちらに攻めてきます」
 ……確信に満ちた、しかしあまりにもあっさりとした物言い。だが、これが事実だとすれば大事である。カインはパチパチと瞬きをしてみせた。
「は? マジで?」
「大マジですよ、カイン。そうですね、今から4日後くらいに彼らは此処へ来るでしょう」
「4日後……」
 バアルの真剣な眼差しに、これは虚言ではないとカインは悟った。何千年も戦いを続けてきた彼の経験に狂いはないはず。これは決して虚言ではない。
「そーいやカイン、ルシフェルから聞いたぜ。中級天使を簡単にブッ殺したんだって?」
 突然レヴァイアが横から口を挟んだ。
「情報が早いな」
 カインが苦笑いしながら「そうだよ」と頷くと、レヴァイアは嬉しそうに白い歯を見せて微笑んだ。
「バアル、こりゃイケるかもしれないな」
「そうですね」
 レヴァイアの言葉にバアルが静かに頷く。
「レヴァ君、カインに軽く説明をお願いします。戦地のことなら貴方の方が詳しい」
 言うとバアルは椅子に深く腰掛け、脇に置いてあったゴージャスな装飾のポットを手にとって紅茶を入れ始めてしまった。後は任せた……と、いうことなのだろう。レヴァイアはカインに向かって「ちょっと聞け」と目で伝えた。
「俺の説明で伝わるかどうか、なんだけどネ。敵の数を見なきゃ正確な戦略は決められないが、基本的にバアルが指揮、ルシフェルは〜……援護かな。そんで俺が特攻で悪魔軍の先頭に立ちーの先陣切って敵のど真ん中に突っ込んでくって役割だ」
「成る程」
 カインは軽く頷いて相槌を打った。
「まず、戦術を決めてからバアルとルシフェルが援護をする。そこで相手が少し怯んだところを俺が突っ込む。敵軍の幹部に接触出来るまで俺が掘り進んだら後は全軍突破。これでやってくつもりだ」
 そこまで言うとレヴァイアは紅茶を啜るバアルの方へ目を向けた。すると、どのタイミングで話を振られるのか彼は分かっていたのだろう。目を向けることなくバアルは「続きは私が説明するよ」と無言でティーカップを口から離した。バアルとレヴァイア、この二人が紡ぐ阿吽の呼吸は赤の他人から見ると素晴らしいものがある。
「カイン、貴方にはレヴァ君と共に特攻の役割についていただきたい。現状ですと兵が少し力不足なのでレヴァイアの負担があまりにも大きいんです。前は問題なかったんですが……」
「昔のことは言うなっつの。俺は全然大丈夫だから。昔から俺はよく一人で特攻やってたじゃないか」
 バアルの言葉にレヴァイアが苦笑いをした。
 前というと、サタンが健在だった時のことだろうか……と、思ったがカインは口に出さなかった。サタン――彼は優れたリーダーシップを持ち合わせ、頭も良く、もちろん戦術においても文句のつけようがなかった、とだけは聞いている。そんな彼の名前を出したところで哀れな思いをするのは自分だ。到底、自分には代わりなど務まらない相手である。
「もう気付いてますね。正直、サタンが亡くなってからの戦争は今回が初めてなんです。彼が抜けたことが、私たちには本当に痛い。だから、不安に苛まれているのが正直なところです。申し訳ない……」
 バアルが悲しそうに眉をひそめた。
「あ〜、そんなわけで今はちょっと特攻が弱い! だからお前にも一緒に特攻やってもらいたいんだけど〜……」
 空気を変えようとレヴァイアがわざとらしく明るい声で言う。しかし自信満々に誘わないのは、特攻が危険な役割だからだろう。それはそうだ。敵のど真ん中に突っ込んでいくのだ。とても笑顔で勧められる仕事ではない。
(ってことは、そんな役割を今までやってたレヴァイアは偉いな……)
 カインはまた少しレヴァイアを見直した。彼レヴァイアは、決してただのアホではない。
「異議無し。俺はどうせ特攻くらいしか出来ないだろうからさ。喜んで引き受けるよ」
 この迷いのないカインの返事にバアルとレヴァイアが微笑んだ。
「ありがとう御座います。こんな危険な役割を引き受けてくださって」
「おう! でも俺が一緒なんだ、お前は殺させねえよ! 頑張ろうぜ!」
 輝かしい笑顔でレヴァイアが手を握ってくる。カインは照れ臭さを隠せなかった。事実、自分には特攻くらいしか出来ない、むしろそれが出来るだけまだいい。そうなれば頷くのは必然。当然の返事をしたまでなのだ、彼らがこんなに喜ぶことではない。それに……「お前は殺させねえ」の言葉が、何より嬉しかった。誰に守られた経験も無いカインである。この照れ臭さはとても隠せない。

 ちなみに。男三人がそんな大真面目な話をしているとはつゆ知らず、向こうでは初めてゲームに勝利したバズーが歓喜の大声を上げ、まさか負けるとは思っていなかった相手に完敗したルシフェルとデイズの女二人は「そんな馬鹿な」と頭を抱えて大いに嘆き、テーブルに突っ伏していた。



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