【15:今宵、茨の咲く丘で】


 バアルが不気味な予感を感じてから4日が過ぎた。彼の予感が当たっているならば今日にも忌々しい白い羽を持った者たちが此処へやってくるだろう。……だろう? いいや、『必ずやって来る』。かつてはサタンもバアルの予感には絶対の信頼を寄せていた。なにせバアルの予感が外れたことは、今の今まで一度もない。



 ルシフェルは気怠く目を擦った。やっぱり朝は苦手だ。身体に力が入らない。どうしてこんなにも朝が苦手なのだろう。治そうにも治らぬ体質。先程カインに叩き起こされた際も「テメェ、もうちょっと朝に強くなれよ」と言われてしまった。少し、胸が痛い。
 ふと、棚の上に飾られた両親と自分の映っている写真に目が行った。まだ幼い自分を挟んで笑顔の両親が映った写真……。
「皆の無事と、今度こそ決着がつけられるように……。見守っててね。お父さん、お母さん……」
 ルシフェルは亡き両親に祈りを捧げてから部屋を出た。両親に無事を願ったのだから大丈夫、大丈夫と自分に何度も言い聞かせて。
 階段を降り玄関先へ向かうとそこには女帝の到着今や遅しと待っているカインとバズー、デイズの姿があった。
「遅いんだよ」
 開口一番、カインがルシフェルの顔を見るなり素っ気なく言い放つ。彼の準備はもう完璧だ。昨日、鍛冶屋に磨いてもらったピカピカの大鎌を持ち、お気に入りの黒いロングコートに身を包んでいる。
「まあまあまあ。女の子の支度ってのは長いもんです。とにかく今日は頑張ろう! よっしゃあ初陣だー!」
「アンタ、頑張りすぎて空回りしそーで超心配」
 張り切る弟にチクリと刺す姉。バズーとデイズの二人も準備は完璧である。お揃いの黒服に身を包み腰には両親から加護を受けたというお揃いの短剣を下げている。仲の良さがうかがえる可愛らしい姿だ。しかし明るく振舞ってみせてはいるが二人はこれが初めての戦い。やはり表情はどこか強張っている。
 熟練した者ならば彼らの表情を見るなり「そんなんでやれるのか」と指摘出来たであろう。だが、ルシフェルは何も言えなかった。なにせ自分自身が大した経験を積んでいない。
 女帝の地位に立って間もない彼女はまだ2回ほどしか戦いに参加したことがない。最初に参加したのは7歳の時。次が10歳の時である。しかしこれも参加したと言えるのかどうか……。後ろで援護をしながら勇ましい父の背中にただ見入っていた。それだけだ。ルシフェル自身は何もしていない。何も出来なかった。
『俺の娘として生まれたからには、これは見ることを避けられない光景だ。よく見て、覚えておけ。そして、お前がこの光景を哀れだとか愚かだと思ってくれたら、嬉しい』
 あの時の父の言葉が鮮明に思い出される。
 だが、哀れだとか愚かだとか思える余裕などまだ幼かったルシフェルにはなかった。ただただ、臓物が飛び散り血肉の焼ける臭いに満ちた荒れ地の真ん中に凛と立つ父を、美しく思っただけ。迷いなく道を突き進む男というのは、こんなにも美しいものなのかと。
「おーい? 何ボーッとしてんだよ。大丈夫か〜?」
「え!?」
 カインの少々不機嫌な言葉にルシフェルはハッと我に返った。
 それにしても……なんだろう、今日は朝からカインの機嫌が安定していない。流石に緊張しているのだろうか。
「ゴメン。じゃあ、行こうか」
 今日、敵が攻めてくる。しかしいつ来るのか、その詳細な時間までは分からない。だが、いつでも迎え撃てるように備えていなければならない。そのため離れ離れにいるのはあまり好ましくない――――そう判断したバアルから当日はうちで朝御飯を御一緒しませんかと誘われていた。
「やっとかよ。俺もう腹減って死にそうだ……。マジ早く行こうぜ。ったくもう!」
 カインが語気を強める。……あーあ。ルシフェルは分かってしまった。彼は緊張しているんじゃない。ただ空腹なだけなのだ。腹が減って苛立っているのだ。
「アンタ本当にメンタル強いよなあ……」
 感心、感心。しかしカインは何を褒められたのか理解出来ず、首を傾げた。
 まあいい、ともかく出発だ。街の脇を真っ直ぐに歩いて向かうはバアルの城。
 城を出るといつも通り眼下に街が一望出来る。遠目にもその街が普段より忙しなくザワついている様子が見て取れた。
 今日にも天使が攻めてくるという予告を聞いたためだろう。街の住人たちもバアルの予感がどれだけ正確か知っているのだ。
「みんなも、ちゃんと警戒してるんだな」
 カインが街を横目で見ながらポツリと溢した。
 いつ天使がやって来ても迎え撃てるよう、街の住人たちも準備に抜かりない。頼もしいことである。
「カインさん知ってる? 街のみんなは戦地に行く組と街を守る組に分かれるんだよ。戦えない人たちもいるからね。ちなみに俺らは街でお留守番な挙句に守られちゃう側の人だったんだけど、デイズなんか昔それで天使から自分を守ってくれたお兄さんに一目惚れしかけてさ、でもお兄さんが彼女持ちって知って5秒で諦めたっつー……」
「バズー!! 余計な話はしなくていいのよッ!!」
 話を遮ってデイズはバズーの頭を平手で叩いた。と、そんな雑談を交わしながら四人で歩いているうちにもうすぐバアルの城に着くという距離まで来た。
「はいはいはい、暴力はやめなさい。暴力は」
 なんだかカインがギャーギャー騒いで歩くバズーとデイズをあやしている様は実にお兄さんぽくてルシフェルには微笑ましく見える。
「はい、皆! 静粛に〜。着いたわよ。あんまり騒いでると今日ばっかりは怒られるかもしんないぞ〜」
 ルシフェルのこの言葉に後の三人がサッと静まり返る。全くどんだけバアルが恐いのやら。
「バアル、レヴァ君。来たよ〜」
 ルシフェルがノックすると間もなくドアが開いていつもと変わらぬ笑みを浮かべたバアルが丁重に城へと迎え入れてくれた。
「おはよう御座います。お待ちしていましたよ。今レヴァ君が頑張ってお料理してるところです。さあ、どうぞ」
 流石に魔王バアルは経験が違う、とルシフェルは思った。戦争を目前にしても一切の緊張もしていない、いつも通りの表情を保っている。いつか、自分もこんな風になれるのだろうか。
 バアルは前にカインを案内したのと同じ、屋上へと皆を案内してくれた。
「たまには空を見ながらのお食事なんてのもいいものでしょ。キッチンが近いのでここのが便利ですし」
 言いながら人数分の取り皿とグラスと椅子が並んだ準備万端の大きなテーブルを指してどうぞと手招きをするバアル。朝からの来客が嬉しいのか実に上機嫌だ。とてもこれから血みどろの戦地へ赴こうとする男の顔ではない。
「悪いね。色々と準備してもらっちゃって」
 兄の気遣いに感謝しつつ何処の位置の椅子に座ろうか目で探すルシフェル。
「俺、ここね! デイズこっち座りなよ」
 バズーは素早く一番端の椅子に座り込み、デイズに手招きをした。
「オッケ、じゃあ私はそこね!」
 弟の手招きにデイズは素直に頷き、向かい側へと座る。
(ヤツらはあそこに座ったか……)
 残る椅子は4つ。どうする、どうすればいい! 嗚呼、何故こんなにも悩むんだ! ルシフェルは椅子を選ぶだけのことで頭を抱えて悩み始めた。いやいや、椅子を選ぶだけと思うなかれ。何処に座って気持ちの良い朝食を楽しむかで今日一日の気分は左右されるのだ。ゆえにカインが隣で溜め息をついているが気にせず悩まなければならない。
「じゃあ私とレヴァ君は此処と此処で向かい合いますので、ルシフェルとカインどちらに座りますか?」
 さり気なくバアルがルシフェルを見かねて手を差し伸べる。
 ルシフェルはまた悩み始めた。空いているのは2つとも中央の椅子である。
 レヴァイアとバズーに挟まれての御飯……。両方ともに御飯をポロポロ溢しそうなキャラである。心配だ。一方はバアルとデイズ。こちらはルシフェルが御飯を溢したら拭いてくれるであろう頼れるキャラである。安心だ。
「決めた! アタシはバアルの隣ぃ! カインあっちね」
「あ〜……やっぱそう来たか」
 カインは既にルシフェルの考えを見抜いていたらしく、バズーの隣で待機していた。
「うん。賢い選択です。もう暫くお待ちくださいね。レヴァイアは食にこだわる人なので」
 みんなに紅茶を入れながらバアルが朗らかに微笑む。そして暫くが経ち、みんなが揃って食前のお茶を飲み終えカインが空腹に耐えかねイライラしてきているのが手に取るように伝わってきた時である、不意に「おーい」と奥の方から助けを求める声が響いた。
「誰か運ぶの手伝って〜!! こりゃ無理だ!! 六人分なんて運べないよ〜!!」
 待ちに待っていたレヴァイアの声である。
「あ〜あ……。すいません、私と、あと誰か一人手伝ってもらえませんか?」
 溜め息をつくバアルに向かってカインが「俺がやる」と名乗り出る。親切心というよりは早く飯にありつきたい一心でのことだ。
「早く〜!! 料理が冷めちゃうよ〜っ!!」
 急かすように、より一層大きな声でレヴァイアが助けを求める。
 そんなこんなでテーブルの上にやっと料理を並べ終わったわけだが、やり遂げたという満足気な表情のレヴァイアとは反対にバアルはガックリと肩を落としていた。何故ならば――――多い。あまりにも量が多いのである。
「成る程ね時間が掛かっていたわけですねー、全く。あのねレヴァ君、一体誰が朝からこんなに食べるんですか……。明らかに六人分じゃないでしょう、この量!」
 ひょっとしたら30人分はあるんじゃないか、バアルは大きなテーブル一杯に並んだ山盛りの料理を見渡して頭を抱えた。他の皆もこの量には流石に目を見開くしかない。
「えっ? ダメだなお前ら。これぐらい食べなくちゃ元気になれないぞ」
 みんなが少食過ぎるんだと言わんばかりに胸を張るレヴァイア。その表情に悪びれる様子はうかがえない。
「これぐらいって貴方……。え〜と、パンの山にデザートの山に肉とソーセージの山に目玉焼きの山……。みんな山じゃないですかっ! お山がいっぱい! 山脈いっぱい! アルプス万歳だ! これはこれぐらいとか言っていい量じゃありませんッ!」
 フォークの先をレヴァイアの方に向け抗議するバアル。レヴァイアはそれでも「いやいや、足りないくらいさ」と悪びれずにケラケラと笑う。
「どうでもいいけど……、もう食っていいか?」
 空腹が過ぎてゲッソリと窶れ始めたカインが二人の言い合いの隙間を見て静かに訴えた。
 と、まあ、出だしこそ大騒ぎだったのだが、いざ食事を始めたら静かになる男たち揃いゆえその後は和やかに食事は進み…………。
「……食べ終えちゃいましたね……。綺麗に全部……」
 バアルが空になった皿を眺めた後、苦笑いを浮かべてルシフェルを見つめた。
「……あっちの男三人の食欲。どうなってるんだろね……」
 ルシフェルも少し苦笑い気味でバアルを見つめ返す。そんな二人の会話をものともせずレヴァイアとカインとバズーの三人は呑気に食後の一服を堪能中だ。
「しっかし美味しかったあ! レヴァさんって料理上手いんだね!」
 煙を吐きながら幸せそうな表情でバズーがレヴァイアに話しかけた。そう、レヴァさん。顔を合わせた当初こそ『レヴァイア様』と、かしこまって呼んでいたバズーだが、いつの間にやらすっかり魔王相手に親しくなったバズーである。
「ああ、美味しかったなあ。まさかアンタがここまで料理上手とはねえ……。ツラを見ただけじゃ分かんないもんだな」
 カインも先程のイライラは何処へやら。至極上機嫌な面持ちレヴァイアの方に目を向けた。
「いっやあ、照れるなあ。みんなに喜んでもらえて何よりだよ!」
 いつもの真っ黒な煙草を片手に自分の料理を褒められたことでレヴァイアも上機嫌だ。と、そこへバアルがスッと静かに右手のひらを出した。
「レヴァイア。煙草一本ください」
 何かと思えば煙草の催促。バアルの意外な行動にカインとバズーが揃ってギョッと目を見開く。
「戦争前となると吸いたがるんだから。ほらよ」
 レヴァイアはさして驚きもせずジッポと煙草一本をひょいと相方に投げ渡した。
「たまにはいいでしょ。どうもありがとう」
 投げてもらったものを片手ですんなり受け取るとバアルは手馴れた風に煙草を口に咥えて火をつけ、美味しそうに煙を空に吐いた。そして目も向けずにヒョイとジッポを持ち主の手元に軽く投げ返す。本人にとっては何気ない行動だろうが、その綺麗な指先が織り成す一連の動作にはどうにも自然と見入ってしまう。現にレヴァイアを除いてこの場にいた者はみなバアルの手元に見入っていた。全く、何をさせても可憐で逐一絵になる男である。
(でもあの煙草って店主がレヴァイアしか吸えないとか言ってたような……)
 記憶違いでなければ確かにカインはそう聞いた。だがバアルは平然とそれを吸っている。
(と、いうことは、もしかしたら俺もイケるかも……?)
 もしもあれを難なく吹かすことが出来たらもうルシフェルに弱い弱いと馬鹿にされることもないはず。よし、イケる。やってやる。慣れが生じてきたカインは変な勇気を奮い立たせた。
 ちなみに当のバアルはただ普通に煙草が吸いたかっただけ、まさかそんなカインに変な勇気を与えたことなどつゆ知らず一人静かに席を立つと屋上の先端部分へと歩いて行って街を眺め始めてしまった。あの位置に立つと街を眼下に一望出来る。いつも通り振舞ってはいるが、今日は天使が攻めに来る。やはり魔界の統領としては何か思うところがあるのだろう。
「なあなあ、バアルって吸うんだな。なんか超意外なんだけど」
「そっか? アイツああ見えて貰い煙草が大好きだよ」
 カインとレヴァイアがポツリポツリと会話を始めた。
「でもさ、お前のそれってキツいんだよな? お前しか吸えないって聞いたもん! なのになんで平気なんだ?」
「さあねえ。知られてないだけでアイツも強いってこったな。……どう? カインも吸ってみる?」
 ズバリ、願ってもない誘いであった。
 妙に眩しい笑顔でレヴァイアが煙草を差し出す。お前には無理だと確信に満ちた悪戯っぽい笑みだ。しかしカインは今回こそ大丈夫だと踏んで躊躇うことなく一本頂いた。
(……こっちは男同士で仲良くやってるみたいだし、アタシはあっち行こうかな)
 今やレヴァイアとカインはすっかり打ち解けた風だし、食後のコーヒーを口にしながら双子は双子同士で「お腹いっぱいだ」と連呼しながら談笑をしている。ルシフェルは向こうで一人、静かに街を眺めているバアルの元へと歩み寄った。
 景色を眺めていたバアルがルシフェルに気付いてゆっくりと振り返る。
「おや。どうしました?」
「あっちは男同士で仲良くやってるし、バズーとデイズはお腹いっぱいでいまいち動けないみたいだし、つまんないの」
「そう」
 頬を膨らますルシフェルを見てバアルがクスクスと笑う。
「しかし今日は皆、多少の緊張はしていたでしょう? あっちのおチビちゃん二人なんて特に初めての戦いですからね。だから、レヴァ君はよく考えてる。皆の緊張を和らげるために朝からあんな量の御飯をせっせと作ってたんですよ。笑わせてやろうってね」
「そうだったの?」
 朝、カインはともかくとしてバズーとデイズはコチコチに緊張していた。そんな二人が今ではレヴァイアの煙草にチャレンジして玉砕し、凄まじく咳き込んでいるカインを見てゲタゲタ笑っている。ルシフェル自身も今日緊張していなかったと言えば嘘になる。なのに、いつの間にかいつも通りに振る舞うバアルとレヴァイアの雰囲気に呑まれて普通に料理を楽しんでいた。
「彼は偉いし賢い……。私なんかよりもずっと……」
 言いながらバアルが目を細める。その横顔を見てルシフェルは胸をドキリとさせた。
 やっぱり、彼が女性に見えて仕方がないのだ。特にうっとりと目を細めた時……。
 物心つき始めの時、何故彼が『お兄さん』なのかルシフェルには不思議でならなかった。女の人なのに男のフリをしてるとばかり思っていたのだ。そして何を思ったか、抱きかかえられて遊んでもらっていた時に彼の胸元を豪快に両手で触ったことがある。「無い!」と叫んで「そりゃそうですよ」とサラリ返されてしまった淡い思い出……。あれは幼いながら凄まじく失礼なことをしてしまったと今でも思う。本当にあの時は悪いことをした。
「改めてよく見ると……貴女、大きくなりましたね。ルシフェル」
 唐突に、バアルがルシフェルをマジマジと見つめた。
「え!? なななな、何よ、急にっ」
「ん〜、子供が成長するのって早いなあと思って」
 私も歳をとるわけだ、と笑いながらバアルは手に持っていた煙草を落として火種をヒールの先で踏み消した。
「思い出しますね。軽く抱っこ出来る程に小さかった頃の貴女を……。あ、そうだ、私の胸を鷲掴みにしたの覚えてます? ガシッと掴んでワッシワシ揉んでくれたことがあったんですが」
「う……っ」
 ズバリ、思い出していた直後であった。
「い、いや、アレは幼いながらに悪かった。謝るから忘れてちょうだいっ!」
 言うと、ルシフェルがしっかり覚えていてくれたことが嬉しかったのかバアルは怒るでもなしに「ハハハッ」と声を上げて楽しそうに笑った――――が、次の瞬間その笑いが止まった。ふと瞼の裏に敵将ラファエルの不敵な笑みが過ぎったせいである。
 嫌な予感が全身を駆け巡ったバアルは素早く後ろに振り返り、荒地の向こうへ目を凝らした。
「ちょ……。どうしたの!?」
 ルシフェルの問いにも暫く答えず、バアルは目を細めて遙か遠くを見つめるばかり。
「…………来た」
 異常に目の利くバアルには見えた。荒地に降り立った天使たちの姿が。
「来たって……。ヤツらが!?」
「間違いありません。ルシフェル、支度を」
 静かに告げるとバアルはテーブルを囲んで呑気に談笑を続けるみんなの方へと歩み寄った。
「皆さん、敵軍が来ましたよ。張り切って迎え撃ちましょう。レヴァ君、仲間に連絡を。『茨の丘に集合』と」
「了解!」
 茨の丘に集合、それだけ聞くとレヴァイアは走って屋上から元気良く飛び降りていった。話の早い男である。
「皆さん、準備は宜しいですか?」
「ああ」
 バアルの言葉にカインは迷わず頷いた。しかし、バズーは少し躊躇った。
「す、すいません……。急にドキドキしてきちゃって……。トトトトト、トイレどこッスか!? なんか緊張したら猛烈に尿意がッ!!」
「ちょっと! アンタがそんなこと言うからこっちまで伝染っちゃったじゃないの! ごめんなさいバアル様、私もトイレに行っておきたいですっ!」
 バズーの言葉にデイズも続く。それを見てカインも「じゃあ俺も」と続いた。
「一応、今のうちに行っとこうかな……。戦地じゃ呑気に立ちションとかしてらんねえだろし」
 すると、ルシフェルも続いた。
「あ〜っ! アタシも行く! なんかちょっと緊張してきちゃったもん!」
「……貴方たち……」
 バアルが「ハァ〜……」と大きく溜め息をついた。こんなんで大丈夫だろうか。いやしかしトイレに行きたいとか呑気に言えるくらいなら上々だろう。
「トイレの場所はこちらです。ついて来てください」
 言ってバアルは先を歩いた。ついでだから自分も用を足しておこうという軽い気持ちで。
 そうだ、トイレに行きたいとか呑気に言えるなら上々である。
「……ところで、茨の丘って何処だ?」
 用を足し終え、また全員がバルコニーに集合したところでカインがバアルに聞いた。
「ちょっと遠いです。歩いていくのは面倒ですから皆さん私のどこでもいいから掴まってください」
「はーい」
 揃って元気よく返事をし、一同はバアルの言葉に従って彼の羽織っている毛皮のコートの裾を握った。が、何故かカインだけはあろうことかバアルの大事なチャームポイントである耳のフサフサをギュッと握ってしまった。
「いー!? いいいいいいいい痛い〜っ!! 馬鹿!! そこはダメ!! ダメです!!」
 大声を出しながらバアルが今まで見せたことのないような恐ろしい顔をしてカインの手を振り払う。この光景を見てルシフェルがサーッと青ざめたことは言うまでもない。この男、いつか調子に乗りすぎて兄たちに殺されるんじゃないだろうか、そんな気がしてならない……。
「あっ、悪い。やっぱダメか」
 凍りついた周囲の空気など何処吹く風、カインは全く悪びれない顔でバアルの肩を握り直す。
 実を言うとあのフサフサには以前から一度触ってみたかった。念願叶って大満足。何気にフワフワしててとっても触り心地良かった……などと考えていた最中、瞬きをした一瞬の間に周りの情景が一変した。
「ええっ!?」
 カインが驚きの声を上げるのも無理はなかった。自分たちは今の今まで城の屋上にいたはずだ。なのにいつの間にか今や荒れ果てた茨の生い茂る丘にいる……。
 魔界は広い。街を少し離れてしまえば後は無人の荒れ地が広がるのみ。こんな茨の生い茂る丘があったことなどルシフェルも今の今まで知らなかった。
 此処は何処の高台だろう。目の前には足が竦むほどの断崖絶壁。向こう目を凝らすとぼやけた荒地の景色がよく見える。
「名付けて瞬間移動。天使だった時の名残とも言うべき能力です」
 それはもう高いところが恐いなんて感情は微塵も持ち合わせていないバアルは平然と崖の先端部分へと歩いて行く。何がなんだか分からず首を傾げてるカインは完全に無視だ。
「皆さん、此処からあちらを眺めてごらんなさい」
 ゆったりとバアルが崖の先の方角を指差した。
「なんだよ?」
 言われるがままカインとルシフェルはバアルの隣へ行き、言われた方向を見つめ……言葉を失った。
 白い渦が遠く霞んで見える。よく見るとそれは何千、いや何十万もの天使の群れであった。
「随分と数が多いこと。今回はいつもより少し本気みたいですね。フフッ、楽しくなりそうだ……」
 目が眩むほどの敵軍を見て慄くどころかバアルは不気味に微笑んでみせた。
 賑やかなのはいいことだ。戦争はこうでなければ楽しくない。



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