【16:鼻歌交じりに向かう戦地】
「おーいバアル、みんな来たぞー。あ、なんか今回は雑魚の量が多いなあ〜。少しだけ本気かもな、天使軍」
ルシフェルとカインが渦と見紛う圧倒的な天使軍の数に目を奪われている最中、レヴァイアが戦士たちを率いて音もなくバアルの隣に姿を現した。その手には愛用の武器フレイルを握っている。
フレイルとは鎖に繋いだ大きな鉄球に鋭利なトゲが何本も生えている見るからに重厚な武器である。これをまともに食らったらまず無事では済まない。ゆえに戦地にてこれを振り回すレヴァイアと目が合った者はその時点で死を覚悟するとさえ言われている。
「ご苦労様です。さて、では張り切って戦術を練りますか」
言ってバアルが仲間の方に振り返る。敵を前にしても落ち着き払っているあたりは流石としか言い様がない。これが王の貫禄なのだ。
「おーい、ちょっと待て。あっちはあんな渦になるほどの数なのに、こっちの軍は数百人程度じゃないか? ヤバくね?」
カインがバアルに問いかける。数も劣っているが今こうしてやってきた仲間は皆、天使軍の方へ目を向けながらもその多くが談笑に興じている。余裕ぶっこき過ぎ。緊張感がまるで無い。こんなんで大丈夫なのだろうか。と、そんなカインの不安をバアルはクスクス笑って跳ね除ける。
「敵数に臆することはありません。確かに一見すると目が眩む様な光景ですがヤツらは数合わせのただの肉人形に過ぎない。神が即行で創った肉人形などとても恐れるに足りない。こちらは少数精鋭なんですよ。個々の力は相当なものです。今までこれで優位に立ってきました。いざ戦いが始まれば分かると思いますよ」
絶対の自信を誇る笑みを向けられ、カインは成る程と頷いた。バアルが大丈夫というからには大丈夫なのだろう。初参戦のカインが口を挟む余地は無い。後ろで話を聞いていたルシフェルやバズーとデイズも同じく頷く。
「注意が必要とすれば、ラファエルただ一人。みんなもラファエルの顔は知っていますね? 神の絶対的な加護を受けた彼はこの私と互角どころかそれ以上の力の持ち主です。彼一人に我々はいつも苦戦を強いられてきた……。それでなくとも一応上級天使には皆、注意した方がいいでしょう。肉人形ばかりと思うなかれ。誰もが簡単な相手ではありません」
「バアル、ちょっといい?」
ふと、敵数を見定めていたレヴァイアが言葉を挟んだ。
「ラファエルの隣に今まで見たことのない白マスクに白マントの不審なヤツがいる。あれ誰だ? 知らない顔だ」
「白マスク?」
言われるがまま、バアルはレヴァイアの指差す方向に目を凝らした。遙か遠く、白い渦の向こうに上級天使の姿が確認出来る。肉眼では豆粒より小さい……しかしバアルの目にはしっかりと馴染みの宿敵であるラファエルとヨーフィ……その隣に見覚えのない白いマスクで顔を隠した白いマントの不気味な男の姿が見えた。
正体を見定めようとバアルが更に目を凝らす。しかし見れば見るほどに心当たりがない。
「あれは……。私にも分かりません。新しく生まれた天使かな。神が久々に出産を成功させたのやも。あの場にいるということは上級天使と思って間違いないはず。実力の程は未知数ですが警戒しましょう」
バアルの言葉に「分かった」と、後のメンバーが頷く。誰一人バアルの言葉に首を横に振らないあたり信頼の厚さがうかがえる。
「さてバアル、あっちの軍は縦長に並んでる。3つのグループに分かれて左右と中心から波状攻撃をしかけるのはどうだろ?」
レヴァイアが鋭い視線で敵を睨む。その隣でカインがギョッと目を見開いた。だが気付いているのかいないのかバアルは敵軍の方に目を向けたまま平然とした顔で「そうですね」と頷く。
「波状攻撃は状況で考えるとして、あちらの陣形から見て兵を3つに分けるのは賛成です」
「……カイン、レヴァイアはああ見えて戦い慣れてるから戦術にかけては天才的らしいよ。アタシの父さんも信頼してたくらいだからね」
ルシフェルがカインに耳打ちした。
「意外なことばっかりだ」
驚きを隠せず大袈裟に瞬きしてみせるカイン。何せ戦術を練るのはバアルの仕事だろうと勝手に決めつけていた。まさか普段脳天気そうなレヴァイアにこんなにも発言力があるとは思ってもいなかったのである。
成る程、魔王の冠は決して飾りではないのだ。
「バズー、デイズ。私にはまだ貴方たちの実力が分かりません。どれくらい頑張れそうですか?」
敵軍を見つめて口をあんぐり開けるばかりの子悪魔二人にバアルが問いかける。自分たちも戦いたいと名乗り出たからには小悪魔といえども立派に覚悟は決めていることだろう。しかし、無駄に命を散らすことなどあってはならない。それはバアルの主義に酷く反する行いである。
「う〜ん……。とりあえず、あの天使100人くらいなら一気に来られても余裕かな〜? 多分きっと多分!」
「そうね。大体それぐらいは絶対きっと頑張れます! ……ね?」
どう答えていいやら、バズーとデイズがおずおずと顔を見合わせる。だが、その『多分きっと』だの『絶対きっと』という煮え切らない返事にいつも微笑みを絶やさぬバアルが腰に手を当てて少し困ったような表情を浮かべてしまった。これは、ハッキリしてくれということだ。
「ああああっ、あの!! 足手まといにはなりません! 絶対に!!」
慌てふためき、バズーとデイズが口を揃える。するとバアルは若干疑った表情を見せつつも「まあいいか」と頷いた。
「分かりました。その言葉を信じましょう。……ところで、お二人はやはり一緒に行動出来た方がいいですか?」
「あ……、そりゃもち……んぐぐぐぐぐ!?」
言いかけたバズーの口をデイズが素早く手で塞ぐ。
「いえいえいえいえ別で全然オッケーでっす!! むしろ別で!!」
親指を立てて叫ぶデイズ。同時にバズーがデイズの手から逃れて「ぷはっ」と息を吐いた。
「ちょ、ちょっと待てよ、別だって!? ふざけんなよ、『お前が死んだら俺も死ぬ』んだぞ!! 分かってんのか!?」
「なによ、アンタって本当に馬鹿ね!! だからこそよ!! 一緒にいたらお互いがお互いを意識し過ぎて剣が鈍るわ!! それじゃダメよ、だから離れるの!! お互いに頑張るために、二人で生きる残るために!!」
このデイズの言葉に納得したのかバズーは鬼気迫った表情と固く握っていた拳を解いて「成る程」と頷いた。
「そっか。いいな、それ。バアルさん、すいません。別々でオッケーで〜す」
「分かりました。決まりですね」
言うとバアルは手馴れた風に指示を飛ばして軍のグループ分けを行った。彼の指示に迷いはない。流石である。
「では左にデイズ、右にバズー入ってください。中心はカインとレヴァイア、お願いします。まずは貴方たち二人が先陣を切ってください。中央が先に突っ込み、相手の陣形が崩れたところを左右から叩く。いいですね?」
王の指示に誰もが異議無しと頷く。
「私とルシフェルは此処で待機して暫く援護に徹し、戦況を見て前線に向かい敵将を狙います。……と、今回の作戦はこんな感じです。異議はありませんね? では皆さん、持ち場についてください。あちらもいよいよ準備万端なようですからね、張り切って迎え撃ちましょう」
「おおっ!!」
指揮官の言葉に悪魔たちは勇ましい雄叫びで応えて早速3つのグループに分かれ行動を開始した。「あらっ、もう移動!?」と流れに乗り遅れて立ち竦んでしまったバズーとデイズも面倒見の良さそうな悪魔に「こっちについておいで」と手を引かれ、お互いに手を振りながら無事それぞれ持ち場へと移動していった。
「さて……。私とルシフェルは此処からあちらの様子を伺います。レヴァイア、カイン、貴方たちのグループはこの崖の下へ」
「了解!」
バアルの指示にレヴァイアが意気揚々、任せろと親指を立てる。
「みんな、俺についてきな。カインは俺から絶対に離れないでね〜ん」
「気持ち悪い言い方すんなよ……」
肩を落としてカインはレヴァイアの方に目を向け……ギョッと目を見開いた。
「レヴァイアさん、ちょっと待て。なんでお前ったらそんな熱心に崖の下を覗き込んでいらっしゃるのかしら?」
ジーッとハンパじゃない高さの崖下を見つめるレヴァイア、その背中からは明らかに「ちゃっちゃと飛び降りて移動したいなあ、ウフフ」というオーラが出ている。勘弁願いたい。それだけは勘弁願いたい。城の高さ何個分かありそうなこんな高い崖からの飛び降りなんて魔王様には容易いことかもしれないが一応は人間であるカインからするとマジ勘弁である。しかし後ろに待機している中央突破担当の悪魔軍はさして驚いていない。嫌な予感……。
「えっ? なんでって飛び降りるからに決まってるじゃん。みんな一応羽生えてるから平気だし。さっき右と左のグループもあっちとあっちの崖からピョンピョン飛んでったぞ。見てなかったか?」
レヴァイアに言われ、そうなの? とカインが後ろに待機している悪魔軍に問うと、皆が皆「うん、そうだよ」と頷いてしまった。ならばと頼りのツッコミ担当ルシフェルとバアルに目を向けるが、二人の目は無言でカインに「郷に入っては郷に従え」と告げている。なんてこった誰も止めてくれない。
「……待て。待て待て待てちょっと待て!! そりゃお前らは羽があるからいいけど俺は間違いなく足の骨がボキッといく絶対いくっ!! それも普通の骨折じゃないぞきっと、骨がバリッと外にはみ出しちゃうような物凄くエグい骨折だぞ!!」
クールを気取ったカインが珍しく大声を張り上げる。別に怪我が恐いわけじゃない。なにせカインは痛覚がとっても鈍い。すると何が嫌ってみんながすんなり羽ばたいて可憐に着地する中、一人だけ無様に両足をボキリと骨折するのが嫌なのだ。そんなの最高に格好悪い。しかも出だしに負傷となればせっかく特攻を任されたにもかかわらず明らかにおくれをとる。そんなの底無しに格好悪い。
「あ、そういやお前って実は人間なんだっけ。すっかり忘れてた。んじゃあ俺が抱きかかえてあげよう! それで大丈夫だ! 任せろ!」
「ごめんなさいネ、どーせバケモノじみてますよ俺! って、なにぃ!?」
抱きかかえるとはどういうことだ……。そう困惑し、身体を硬直させているところをカインは有無を言わさぬ勢いでレヴァイアに抱えられてしまった。しかも、軽々とお姫様抱っこで、だ。
「嫌あああああああああああああああ!! はははは、恥ずかし〜〜っ!! 離せ馬鹿!! よりによってこの抱き方はやめろ〜〜!!」
ジタバタと腕の中で暴れるカイン。その姿は駄々をこねる子供以外の何者でもない。
「じゃあ自力で降りるか?」
レヴァイアが首を傾げる。これは……、仕方がない。大人しく従っておく他なさそうだ。カインは「好きにしろ」と嘆いてションボリ身体を預けた。
傍らでバアルが呼吸ままならぬほど笑っている。カインを気遣って必死に笑い声を殺してはいるが、ダダ漏れだ。つーかその隣のルシフェルなんては遠慮なしに腹を抱えて笑っている。
「ああああもう早く行こうよっ!! 早く!!」
一刻も早くこの状況から脱したいカインが声を張り上げる。それに応じて「はいはい」と頷くレヴァイア。まるで兄弟、我侭な弟をあやす兄のようである。
「じゃあ行くか! バアル、ルシフェル、行ってくるぜ!」
「ええ。行ってらっしゃい。ご武運を」
「行ってらっしゃ〜い。カインのこと宜しくね」
バアルとルシフェルが手を振る。
そうして二人に見送られ、さあ飛び降りるぞレヴァイアが背中に漆黒の羽を広げた時、ルシフェルが思い出したように「あっ」と叫んだ。
「カイン!」
「あんっ?」
抱きかかえられてる恥ずかしさか、声を掛けられたカインは気の抜けたような返事をしてルシフェルを見た。
「え〜っと……、死ぬなよな」
こんな言葉、面と向かって言うのはちょっと気恥ずかしい。でも伝えなければならない。ルシフェルは後悔をしたくなかった。
「当たり前じゃん。こんなところで死ぬかよ」
バツの悪そうなルシフェルを見てカインが不敵に微笑む。その眼差しは先ほどまで狼狽えていた色とはまるで違う、いつもルシフェルに向けている勝気なものだった。
しかし、なんと言えばいいか……。本来ならば最高にカッコイイ場面だったろう。なのに何処か様になり切らないのは、お姫様抱っこされてしまっているこの体勢が明らかに原因だ。
「っぬああああ!! 言っても全然カッコつかねーよ畜生!! もうヤダ、マジでヤダ!! 早く行こーよ!!」
「おおっ! はいはい、分かった分かった。早く行こうね、はいはい。分かったから大鎌を振り回さないの危ないから」
自覚があったのだろう。スイッチが入ったように再びジタバタ暴れ始めたカインをまた「はいはい」とレヴァイアがあやす。
そしてルシフェルが見守る中、カインを抱えたレヴァイアを先頭に中央突破担当の悪魔たちは次々と羽を広げて崖から勇ましく飛び降りていった。
飛び降りなど初体験なカインの「ぎゃああああああああ!!」という断末魔の悲鳴が辺りに木霊す……。
「だ、大丈夫かな……」
あまりにも盛大な悲鳴にルシフェルの心配は最高潮。思わず顔には引き攣った笑みが溢れてしまった。
「ま、まあ、きっと大丈夫でしょう。それにしても不似合いなカップルですこと。フフフッ」
これから戦争だというのに、バアルの笑いは暫く収まりそうにない。
「もお〜カインちゃんたら大人しい顔して積極的なんだから。そんなに強く抱きしめないでよねッ」
無事に地面に降り立ったところでレヴァイアは頬をポッと赤らめた。
「だああああ、気持ち悪いな畜生!! 赤くなんな!! こっちはスゲースゲー必死だったんだぞ!!」
声を荒げるカイン。彼は完全に恥ずかしさで取り乱していた。
「だからってこんな掴まり方されたら俺照れちゃうなあ〜」
……確かに。カインはレヴァイアの首の後ろに腕を回してガッシリと掴まっていた。アナタ、ワタシ恐いわっ、という台詞が似合ってしまう引っ付き方である。
「これはしょうがねえだろ!! しかもテメー羽がど〜たら言っておきながら直に落ちやがったじゃねえか!!」
そう、他の悪魔が羽を使ってゆっくり降下したのと違い、レヴァイアは直にそのままドンと落ちたのだ。それがどれほどの衝撃だったかは盛大に土の抉れたレヴァイアの足元を見れば一目瞭然。身体の頑丈さに絶対の自信があったからこその行動なのだろうが……。痛覚が鈍いとはいえ、落下に伴って物凄い衝撃を食らったカインは未だ少し放心状態であった。腰を少し痛めたような気がしなくもない。俺の脊髄は無事だろうか。一応、両手両足が無事に動くことを確認して安堵する。
こんなことなら、最初から自力で飛び降りた方がマシだったかも……。カインは深々と溜め息をついた。
「なんだよその溜め息ぃ〜。別に着地失敗してないし、いいじゃん」
レヴァイアは一切悪びれない。カインは「そういう問題じゃ……」と言いかけてまた溜め息をついた。なんかもう何を言っても通じなさそうだもんなあ、という諦めである。
「でもなあ、俺も恐かったんだぞ。お前の持ってる大鎌がプルプル動くから顔面ザックリ切られるかと思ったよ」
「そんなもん俺の恐怖に比べればなんでもねえよ絶対……! もういいから降ろしてくれ……。いや、降ろしてください……」
「あっ」
思い出したようにレヴァイアが声を上げる。地面に着地した後もレヴァイアはカインを抱きかかえたままだったのだ。降ろしてあげることをすっかり忘れていた。
「わーい、大地だ、嬉しいなああ〜」
やっとこさ開放され、カインは腰を拳でトントンと叩いた。なんかもう酷い目に遭ったがとにかく脊髄を痛めなかっただけ幸いだ。
「ん?」
ふと視線を感じてカインが後ろを振り向くと、待機していた悪魔たちが「ご愁傷様です」といった感じの憂いに満ちた目で自分を見ていることに気付いてしまった。成る程、この大将の豪快っぷりはよく知られていることなのだろう……。
「ああ〜、もう最悪っ。戦う前からスゲー疲れた!! 俺、死ぬかも〜……。ルシフェルすまねえ。コイツのせいだ……」
力無くその場に座り込んでカインがポツリ呟く。
「えっ? 何、俺のせい!? 何言ってんの。カインは俺が守るって言ったじゃないかあ〜」
レヴァイアが得意げに胸を叩く。うーむ、呟きを聞き逃さなかったのはいいが、どうにも通じていない。これでは意味が無い……。
「そうじゃなくて……。もういいよ馬鹿!! でもお前、馬鹿なだけじゃなくて一応凄いとこもあるんだな。さっきの戦術、感心しちまったよ」
「ああ、あれか。そんな褒めないでよ。あんなん適当に決まってるじゃん」
「そうか適当……ななな、なんだって!? またまたそんな御謙遜を」
「え? いや、マジで適当」
「へえ〜…………ぇええええええ!?」
レヴァイアのあっけらかんとした返事にカインは思わず叫びに近い声を上げた。
「だ〜ってどう戦術練ったって結局最後には全軍突破でドーンと突っ込んで壁になってる雑魚吹っ飛ばして敵将狙うだけだし。どんな戦術立てた所でやることは変わんないもん。だから適当でオッケー。いつもその日の気分で考えてるんだわさ」
ワハハッと笑ってレヴァイアはコートの胸ポケットから煙草を出して悠々火をつけ煙を吹かし始めてしまった。
「いいのか。そんなんでいいのか!?」
さっきまで抱いていた感心の気持ちが何処か遠くへ吹き飛んでいく。せっかく馬鹿なだけじゃないんだなって褒めたのに、だ。
「いいのいいの。みんなも異議無しって言ってたじゃん」
「そうだけど〜……。あのバアルがよくそんな作戦でオッケーしたな……」
「うん。アイツさ、ああ見えて結構男らしいんだよね。下手な細工よりもドッカーンってのが好きでさ」
「ドッカーンって……、飛び散ってるじゃーん。ダメだろ玉砕しちゃ」
カインの困りきったその言葉にレヴァイアは問題ないさと微笑む。
「玉砕はしないよ。バアルはなんだかんだで仲間を無駄に殺すことなんてしないから。適当に見えて色々考えてる……と、思うよ。うん、多分」
「いや、多分じゃヤバイだろ……」
あんなに真面目そうに見えて実は適当……。カインはバアルの意外な面を知った気がした。
「大丈夫だって。信じなよ。この作戦だって雑魚はお前らに任せた! って感じで一番危険なところには俺たちがドッカーンと攻めてく方法なんだ。だから、絶対に大丈夫!」
レヴァイアはそこで言葉を止め、眩しそうに目を細めて敵軍を見据えた。
「それに、みんなは俺が守るから……。どんなことをしてでも……! もう失うのは御免だから、絶対に大丈夫」
この、さっきまで冗談めかしていたとは思えない彼の静かな言葉には異常なまでの説得力があり、カインは暫く黙ってしまった。
適当、適当……。本当にとことん適当ならば下の者がついて来るはずがない。それは確かだろう。此処はバアルとレヴァイアの経験を頼りにするしかない。
「……そうだ。気になったんだが、突撃のタイミングはいつなんだ?」
「ああ、それはバアルとかルシフェルからそれ行けーってデッカい合図があるから待ってようぜ」
「デッカい合図……ね」
カインは頷いて答えると、怒号のような足音を立てて目の前に迫ってきた天使軍の渦を睨みつけた。
脳裏に、牢獄での屈辱が駆け巡る。この強い憎しみさえあれば、きっとそう簡単に負けはしない。こんな泥人形として生まれた身でも、やってやれる。
自分がどれだけやれるのか、この身体がどれだけもつのか、カインには全て未知数だった。
改めて先ほど盛大に落下してみせた崖に目を向ける。……目が眩むような高さだ。此処を落ちた……。ゾッとする。なのにレヴァイアに抱えられていたとはいえ無事だった。
もうこの身体は、まともな『人間』のものでは、ない。
大丈夫、やれる。
「そーいやカイン、ルシフェルから聞いたぞ。お前、身体が鈍いんだってな。それってホント?」
吸い終わった煙草をブーツでガリガリ踏み潰しながら唐突にレヴァイアがカインに問いかける。
「ああ、隠すことでもないから正直に言っとく。ホント」
「ふーん。確かめてもいい?」
言うが早いかレヴァイアはカインの手をとると、まるで枝を折るように容易く親指を無理な方向に曲げて関節をポキリと外してしまった。プラ〜ンと情けなく垂れ下がる親指……。しかしカインは無反応。普通なら痛いと喚き、のたうち回ってもいいはずの怪我。にもかかわらず全くの無反応である。
これは痛覚が鈍いどころの話ではない。殆ど麻痺してると言っていい。
「成る程、ホントみたいだな」
「……どうでもいいけどお前、これちゃんと戻してくれるんだろうな?」
これから戦争だっつーに親指プラプラ……。カインの気掛かりはその一点のみであった。
「もっちろん、大丈夫。関節さえはめ直しゃお前なら5秒で完治する程度の怪我だよ」
言うとレヴァイアはこれまた容易く親指の関節をポキッと元の位置にはめ直した。これもこれで痛いはずなのだが、やはりカインは無反応。もはや、疑う余地はなさそうだ。
「ホントに大丈夫かな〜。……あ、大丈夫そうだわ。良かった」
一応5秒待った後にカインは親指を動かしてみた。……特に違和感なし。本当に5秒で治ってしまった。
「悪い悪い。んでもマジもマジとはねえ。んじゃ、尚更お前、俺からあんま離れないようにな」
「は? なんで?」
「なんでって、ルシフェルから頼まれてんの。あの人、自分の身体に鈍感だからきっと無茶をする。だから見張ってて……ってね。お前、あの子にすっかり気に入られたな」
言うとレヴァイアはニヤニヤ笑いながら短くなった煙草を捨て、また次の煙草を口に咥えて火をつけた。
「あんのガキ……」
カインとしては、なんというか、あまり面白くない話である。無事に帰ったら余計な世話を焼くなとルシフェルに抗議しよう、そうしよう……と、いうことは、やれやれ、生きて帰らなければならない理由が、出来てしまった。
「バアル、みんな定位置についたみたいよ。そろそろ頃合いかな?」
ルシフェルはピアスを外しながら隣にいるバアルを見やった。「そうですね」と頷く彼の表情は尚も涼しげである。心臓をバクバク鳴らしている自分とはまるで正反対だ。
「んじゃ、いよいよかあ〜。緊張するなあ……」
骨をゴキゴキと軋ませて魔王の姿へと身体を変えながら苦笑い。力を解放すればこんな緊張止むだろうと思ったが読みは外れた。どうにも胸が跳ねて仕方がない。これでは女帝の冠が泣く。と、そんなルシフェルを横目に見てクスッとバアルが笑った。
「フフッ。その姿になると面白いくらいそっくりですね」
「え? そっくりって?」
誰に似てると言いたいのか想像ついたが、あえて聞き返した。
「貴女のお父さんと、お母さんに」
おっと、これは意外であった。
「うっそだあ。このガラの悪い見た目は全部パパだよ〜。ママはどこにもいないって」
普段背伸びして両親のことはお父さんお母さんと言ってはいるが、バアルの前だとついつい気を許してパパママという呼び方に戻ってしまうルシフェルである。
「いいえ。ちゃんと御両親にそっくりです。御両親が今も貴女の中にいて見守っていることがよく分かる……」
「アタシの中に……?」
ルシフェルは首を傾げた。自分の中に両親がいるとはどういうことだろう。受け継いだ力のことを指しているのだろうか。
「んとー……、よく分かんない!」
ルシフェルの開き直ったような返事にバアルは「申し訳ない」と言って茶目っ気たっぷりに微笑んだ。そこで会話は自然と途切れ――――暫くの間、二人は並んで静かに渦のような天使軍の群れを見つめた。アレと、これから戦うのだ。
「ルシフェル」
沈黙を破ったのはバアルの方であった。
「なに?」
「貴女のことは、私が。いえ、私たちが絶対に、命に代えても守ります」
ピンクとアクアブルーの瞳をキョトンと見開くルシフェルへは振り向かず、視線を前に向けたままバアルは静かだがしかししっかりと強い口調で告げた。
「バアル……。ありがとう」
ありがとう、これ以外に上手に返す言葉が見つからない。
この『守る』という言葉は最早バアル、レヴァイアにとって口癖に近いものとなっている。二人は常々ルシフェルに向かって『守る』と言う。もう何も失いたくはないと。
「……おや?」
何を見たやら、バアルが顎に手を当てて遠くに目を凝らす。
「どうしたの?」
「ええ。ラファエルがこっちをジーッと見て何やら言ってるんですよ」
これを聞いてルシフェルもラファエルの姿を目で探した。渦の向こう、ポツリと一人離れて立っているのが彼だろうか。米粒より小さく見えるこんな遠目にも彼を象徴する金色の長い髪が確認できる。と、いうことはあれがラファエルだ、間違いない。
「え〜っと……『こちらの突入準備は完了した。あえて聞くが、降伏する気はないか?』と聞いてますね」
読唇術、というヤツだ。バアルは相手の口の動きを見てどんなことを言っているのかが分かるのである。
「降伏……ね。バアル、どう答えてあげようか?」
確認するまでもないことだがルシフェルは一応バアルに答えを求めた。
「なに。私の返事は変わりませんよ。降伏する気などない生き延びるつもりもない。私の望みは変わらずただ一つ、神を殺すこと!!」
力強く言い切るとバアルは右手のひらを勢い良く空にかざした。すると赤色の空が一瞬にして黒く染まり、真っ黒な冷気が遙か上空で渦を巻くと瞬く間に黒光りする巨大な氷の塊へと変わって次の瞬間、ド派手に弾け四方八方に矢の如く飛び散った。
鋭い刃と化した無数の氷が天使軍の上に豪雨の勢いで降り注ぐ。空は元通りの赤色。眼下に見下ろせる天使軍の群れからは大きな悲鳴が木霊す。力の劣る天使ならばこの氷を避ける術は無い。早くも茨の丘に血肉の香りが充満した。全ては瞬きした一瞬の出来事である。
これがバアルの能力だ。彼は氷を自在に形成し操る氷使い。誰が言い出したか知らないが彼の『冷徹なる王』という異名の由来は此処にある。静かな表情を崩さぬまま鋭利に尖った氷を矢のように放ち相手を射抜いて仕留める。その姿は全てにおいて温度の無い男に見えるというわけだ。
「さあルシフェル、私に続きなさい!」
バアルの指示を受けてルシフェルは待ってましたとばかりに両手を組み、胸の奥に揺らめく炎を外に解き放たんと強く強く念じた。
すると遠く、天使軍が群れを成している場所に巨大な黒い炎の火柱がドンドンと花火のような音を立てて地面から次々と噴き出した。灼熱の真っ黒な炎に焼かれ、またも天使たちの大きな悲鳴が木霊す。
これは父から受け継いだ力だ。女帝ルシフェルは漆黒の炎を自在に操ることが出来るのである。
どちらも一瞬の出来事。ラファエルが遠目にも不機嫌に眉をひそめるのがルシフェルの目にも分かった。そして、ゆっくりと彼の口が動いたのも見えた。恐らく彼は「突入」と言ったのだろう。天使軍が一斉に動き始めた。圧倒的な数の天使たちが声を張り上げ地面を揺らし氾濫した川のように怒号を上げてこちらへ一気に押し寄せてくる。
だが、それがどうした。
「さあ、行け!! パーティの始まりだ!! 一緒に夢を見よう!!」
先手を打ってこちらのペースにしてしまえとバアルが悪魔軍に向かって大きな声を張り上げる。
その顔は普段静かな微笑を湛えて崩さない彼からは想像も出来ない、狂気で歪んだ不気味な笑みに満ちていた。しかしルシフェルは驚かない。それは、自分も心の底から天使というものを憎んでいるためである。
「なんじゃ、今の氷と炎は!? 恐っ!! 超恐い!! なに!? なんなの!? 何が起こったの!?」
カインは今まで見たことも無い情景に目を丸くし、慌てふためく天使軍と一緒に一人アワアワと震えた。
「ああ、合図が来たな。な〜に大丈夫。驚くことないさ。アレがルシフェルとバアルの能力なんだぜ。だから間違っても俺たちには当たらないよ。多分」
レヴァイアはニヤリと頬を持ち上げ、氷に身体を貫かれ炎に身を焼かれてのたうち回る天使軍を見つめた。
「あ、あれがアイツらの力だって?」
改めて、ルシフェルとバアルを怒らせたら恐いと思ったカインである。いやはや、本当に恐い……。と、その時、ゆっくり進軍していた天使たちが突然バネで弾かれたように声を張り上げてこちらに凄まじい速さで向かってきた。
戦闘開始、ということなのだろう。カインは大鎌をしっかりと握り直した。
「レヴァイア、来たぞ!!」
カインの言葉を受けてレヴァイアはフレイルを持った手を天使軍の方へ真っ直ぐ向けた。かかって来い、という無言のメッセージである。
「まっかせなさ〜い!! ちなみにこれが俺の能力ぅ〜!!」
レヴァイアの目が突然青く光った次の瞬間、巨大な黒い竜巻がカインの目の前に現れた。
「なにごと!?」
カインが戸惑いの声を上げている間にもその竜巻は物凄い勢いで前方に突進し、天使軍を紙のように上空へと巻き上げ、まるでトマトを微塵切りにでもするかように彼らの身体を容易く幾重にも切り裂いて荒地へとバラ撒いた。
本当に、この細かく風に切り刻まれ原型を失くして絶命した天使たちの亡骸が上空から荒地に次々と降り注ぐ様はトマトが潰れて空から降って来ているかのようである。エグい。とってもエグい。
そうして一直線に突進し好き放題に暴れ回ってから竜巻はゆっくりと姿を消した。あとには大きく抉れた大地と血の海が広がるのみである。
「うわっ、恐っ!!」
天使軍の群れを一瞬で血の海に姿を変えた魔王の能力、恐るべし。カインの背中を冷たい汗がスーッと流れていった。そりゃあもう、こんな男の手を初対面で粉砕したのかと思うと、ちょっとゾッとする。あの時、彼が本気で憤慨していたら自分がこのトマトのようになっていたわけである。知らないって恐ろしい。
「なんかそんだけ逐一驚いてくれるとやり甲斐があるなあ〜。でもカイン、いつまでも驚いてる場合じゃないぜ。なんたっていよいよお祭りの始まりだ!! さあ皆、突っ込むぜ!! 俺に続け!!」
レヴァイアの言葉に後ろで待機していた悪魔軍が一斉に「おお!!」と拳を振り上げて応えた。
「カイン、しっかり俺について来いよ!! 離れるなよ!! そんで絶対に死ぬんじゃないぜ!!」
「了解、大将!!」
二人は目を合わせて頷き合うと敵軍の波に向かい、先陣切って駆け出した。
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