【17:月も大地も血も赤く】
(血で血を洗うとは、まさにこういうことか)
カインは自分に飛び掛ってくる天使の首を次々と狩り、心臓を真っ二つに裂いて確実に絶命させていった。
鎌がどんどん血で濡れていく。服も返り血でビショビショだ。
それでも、笑いが止まらない。
「フハッ……。ハハハハハッ!!」
本当に、笑いが止まらない。
天使とはこんなにも弱いものだったのか。
(苦しめ苦しめ……。もっと苦しめ。生きたいと願いながら死ね。俺が味わってきた苦しみはこんなものじゃない! 死ね……、死ね、死ねっ、死ね! 死ね!! どいつもこいつも死ね!!)
声でない声で叫びながら大鎌を力の限り振り回す。自分の周りに広がっていく血と臓物の真っ赤な海。だが、まだ足りない、晴れない、こんなもので積年の恨みは消えない。もっともっと殺さなければ。もっともっともっともっと――――
「カイン!!」
「っ!?」
突然耳元で名前を呼ばれ腕を強く掴み止められたところでカインは我に返った。
振り向くとそこには不機嫌なレヴァイアの顔……。
「あんま離れるなって言っただろ!! こんな雑魚の群れ相手に張り切ってどうする!!」
瞬間、カインを取り囲んでいた天使たちがレヴァイアの起こした黒い風に巻かれてあっという間に切り裂かれた。
一瞬にして絶命した天使の身体がまた潰れたトマトのようにグチャグチャと音を立てて地面に落ちていく。
カインはその情景をぼんやり立ち尽くして見つめた。状況が飲み込めない。悪戯に息が上がって声すら出ない。
「ほら見ろ、言わんこっちゃねえ!! バテバテじゃん!! 何やってんだよ!!」
再びレヴァイアの怒鳴り声が響く。
どうやら、自分は怒られてるようだ。でも、なんで怒られてるのだろう? 疑問に思えどカインは何も言い返せなかった。声も出なければ返す言葉も見つからない。
「休み無しに雑魚ばっかムキになって一生懸命切り刻んでどうすんだって言ってんの!! 聞いてる!?」
言ってるレヴァイアの顔と身体にも少し返り血がついている。手に持ったフレイルも既に真っ赤。血塗れだ。しかしカインと違って彼は息切れをしていない。余裕の表情である。
「……俺、何してた……?」
カインは縋るような面持ちでレヴァイアを見つめた。どうしたことだろう、頭がぼんやりしている……。自分が何をしていたのかよく分からない。
「何って……。大丈夫かよ、お前」
眉をひそめレヴァイアはカインの顔をジッと覗き込んだ。
「……悪い。大丈夫だ……」
思い出した。飛び掛ってくる天使たちに応戦しているうち、いつの間にか興奮極まって相手を殺すことに無我夢中になってしまったのだ。
(そっか、戦場の雰囲気に食われてたわけだ……。情けねっ)
自分を失笑し、カインは頬についていた返り血をコートの袖でグイッと拭った。その隣でレヴァイアが「全く、お子ちゃまねー」とカインを茶化し、肩で溜め息する。
「今のような戦い方じゃ身が持たないぞ。お前はただの戦闘員じゃなしにこの俺と同じ場所に立ってんだぞ。雑魚はみんなに任せなきゃ。だって俺たちは上級天使の首を取らなきゃいけないんだぜ。無駄に体力消耗させたら負ける。そんなのラファエルの思う壺だ。何のために雑魚をこんだけ使ってくるのか考えれば簡単に分かることだろ。いいな、覚えとけ」
レヴァイアの言葉は正論そのものだった。現に周りでは悪魔軍が自分の役割をしっかりと理解し、一生懸命に雑魚ばかりを叩きのめしている。そこら中で流れる天使の血。見渡す限り悪魔軍が優勢。カインが無茶をする必要は、まったく無い。
「すまねえ。どうかしてたな……」
「あ……。いや、俺こそ言い方キツかった。ゴメンッ。お前、これが初参戦だもんな。慣れてなくて当たり前だ」
まさかカインがこんな素直に謝るとは思ってもなかったわけで……。もっと言い聞かせてやると意気込んでいたのにガクンと拍子抜けしてしまったレヴァイアはとりあえずニッコリ笑っておいた。
そりゃあカインだって素直に非を認めることもある。離れるなと言われていたのについ夢中になって勝手に突っ走ってしまった。あとからレヴァイアが「大変ウチの子が迷子になったわ!」とばかりに慌てて天使を掻き分け自分を探し追い掛けてきてくれたことは想像に難くない。これは、謝るべきだ。
「ところで俺らが狙うべき上級天使サマってのはどこら辺にいるんだ? 俺らから攻めてくのはマズいの?」
カインが聞くとレヴァイアは「うーん」と首を傾げた。
「そうさなー。雑魚が減ってくれば勝手に向こうから現れると思うよ。こりゃもう埒が明かないなーって思ったらいよいよ出てきてくれる、いっつもそんなパターン。無理に突っ込んでっても疲れるだけだから待っといた方が多分お得」
「またそんな適当な……」
多分、多分てそればっかり……。今度はカインが溜め息をついた。
「えーと、じゃあ……、どうすんだ? ただひたすら待つのか?」
するとレヴァイアは不敵に微笑んだ。
「カイン、俺はムキになるなとは言ったが、『暇つぶしするな』とは言ってないぜ?」
その時、カインは周りを殺気立った沢山の天使たちに囲まれていることに気が付いた。
「って、ことは?」
カインも不敵にニヤリと笑う。
「そうういうことっ!」
言うが早いかレヴァイアは自分たちの周りに黒い風が巻き起こした。また肉の裂けるような音が響き、風に身体を刻まれた天使たちが形を失って一斉に崩れ落ちる。彼の巻き起こす漆黒の風は見えない刃だ、触れるもの全てを容易く切り刻む……。
「カイン、肩鳴らし程度なら問題ねえぜ!! やっちまおう!! レッツ暇つぶしぃ!! 今度は俺から離れんなよ、探すの大変なんだからっ!!」
……やっぱりカインを見失った後、一生懸命に探してくれたようだ。
「了解!!」
目を合わせて頷き合い、二人は仲良く敵のド真ん中へと突っ込んで行った。
一方、援護係として崖の上に残ったルシフェルは気が気でなかった。どうにもカインが危なっかしくて落ち着かないのである。
「彼が、心配ですか?」
「え?」
バアルの声にルシフェルは慌てて顔を上げた。先程から遠くに小さく見える白髪の男を目で追うのに必死で他のことは何も考えていなかったのだ。
「あ……。うん……。そりゃ心配だよ。一応人間なんだもん、アイツ」
言いながら、またカインの姿を目で追う。
「大丈夫ですよ。レヴァイアが側についてますし彼自身そんなに弱くはないはず。雰囲気で分かります」
「雰囲気?」
「ええ。カインのあの勝気な目が全てを物語っているじゃありませんか。あの目を見れば強さの程が分かります。もう少し信じてもいいんじゃないですか? 拷問に何千年も耐えた人です、こんな戦場で簡単に散るとは思えませんよ」
「だといいけど……」
ルシフェルの心配は尽きない。本当なら自分が傍についていてあげたいくらいだ。レヴァイアに任せた方が絶対に確実ではある。だが、やはりいても立ってもいられない……。
「彼が好きなんですね」
バアルが茶化すようにクスッと笑う。
「す〜っ!? 嫌だ、ちょっと誤解しないでよ〜!!」
まさかそんな風に言われるとは思ってもみなかったルシフェルである。
「あら? 違うんですか? 傍目にはそう見えますけどねえ〜」
「なななな何言ってんのよ! 死んじゃったら悲しいってだけだもん! だから心配してるだけ! 第一、年齢的にも外見的にもアタシとアイツ全然釣り合わないじゃん! あんな無骨な男にこんな美少女、勿体無いわよ! 勿体無い!」
「アハハハハッ!」
必死に必死に否定をするルシフェルがおかしかったのかバアルが声を上げて笑う。
「そんな大丈夫ですって。年齢も貴方の父親よりは年下ですし。外見だってなかなか可愛いじゃありませんか」
「まあ年齢はいいとして……。あ〜んなにガラの悪いヤツのどこが可愛いってのよ!?」
「え〜? 可愛いですよ。パッチリとした赤いおめめに真っ白な髪、スラッとした長身……。フフッ、あんまり美味しそうだから最初お顔を見たときは取って食べようかと思ったくらいで」
言ってクスクスと笑うバアル。その笑みと取って食うという言葉の響きに戦慄してルシフェルはカチンと硬直した。
「ウフフフフ……って、冗談に決まってるじゃありませんか」
本気に受け取ってしまったルシフェルに向かって少々素になったバアルが声をかける。
「じょ、冗談? 本当に?」
怪しいものである。何せ、まったくもって冗談に聞こえなかった……。
「貴女は私をどんなイメージで見ているんです!? まあいいけど。……さあ、雑談はこのぐらいにしましょうか。そろそろ右と左の悪魔軍の方々にも攻めていただきましょう」
だからダーリンが気掛かりなのは分かるけどちゃんと戦況も見とくんだよ、と小声で付け加えてバアルは右手をまた先程と同じように敵軍の中心へゆっくり向けた。
「ちゃ、ちゃんと戦況も見とくよ大丈夫だよぅ……。嗚呼、真面目に頑張ろうと思ってたのに変なところで緊張しちゃった……」
ルシフェルはハァ〜……と肩で大きな溜め息をついた。
(アタシがカインのことを好きだって? そんなハズない……)
頭の中を色んな思考がグルグル駆け巡る。戦況を見ておけと言われたばかりなのに、いまいち集中出来ない……。
(そんなハズないもん……。アタシはパパ以上の良い男にしか振り向かないって決めているんだから。そう、パパよりも……って、ヤバイ。力はともかくとして性格的に上な人なら沢山いそうじゃないか……!? いや、しかし顔なら!! 外見なら!! ……ヤバイ。そうなるとバアルが遥かに勝っているような気がする!! あ、いやいやいや、ならば男らしいの基準でいこう。……ハッ!! なんてこと言うのよ、アタシ! それじゃまるでバアルが男らしくないみたいじゃん!! 嗚呼〜っ、バアルごめん!! そんなつもりじゃ……! 貴方は男の中の男よ! ただちょっと顔が女性的ってだけよ! 私はそんな貴方が大好きよ! でも〜どっちかっていうと男らしいだったらレヴァイアの方かな。……いやいやいや、なんか違う。彼は男らしいっていうか可愛い男の子タイプっていうか……。でもそれはそれでアタシとは釣り合うかも……って、駄目だわ! アタシったらなんてこと!! レヴァイアを子供扱いしてるみたいじゃん! キャー、ゴメンっ!! あ、じゃあそうなるとカインって結構適任なのかな? でもなあ、アタシみたいなガキに興味ないだろなあ〜……。しかもかなり面と向かって我儘言っちゃってるからアタシ性悪だと思われてる可能性高い……嗚呼……。ホントはただ甘えてるだけなんだけどなあ……。ん? そういえば……なんで、アタシアイツに甘えてるんだろ?)
グルグルグルグル巡る思考。なんでよりによってこんな大事な時に恋で悩まなければいけないのか。思わず深い溜め息が出てしまうルシフェルであった。
一方その頃、天使たちの頭上にはバアルの放った無数の鋭利な氷の刃がまた豪雨の如く降り注いでいた。本当に溜め息をつきたいのは彼らの方であろう。
「うわー。なんか今また氷が降ってきたね?」
デイズは自分より遥かに背の高い悪魔たちに囲まれながら、のんびり空を見上げていた。
まるで宝石が降り注いでいるようだ。赤い月の光を反射して煌めく氷の矢はまるで宝石と見紛うような美しさ……と思いきや、そんな解釈はトンデモないとばかりに天使たちの断末魔が轟く。うむ、間違っても自分は食らいたくない攻撃である。魔王バアル、恐るべし。
それにしても突入はいつなのだろう。中央のグループはもう意気揚々と突っ込んでいっている。なのに此処はまだ先頭にいる悪魔たちがちょいちょい飛び込んでくる天使に応戦して追い払っているだけだ。ちょっと退屈である。
堪らずアクビをしかけたその時、周りの悪魔たちが急に大声を上げて一斉に地鳴りを上げて突入を開始した。
「ん? えっ、えっ!? ちょちょちょちょ、ちょっと〜!?」
なんでいきなりそうなるの!? と、おくれをとったデイズは一人、焦った。
「あら、貴女なにやってるの? 今の氷が左右突入の合図よ、行かなきゃ!」
後ろから走ってきた親切そうな黒服のお姉さんが足を止めてデイズに優しく微笑む。
「え!? い、今の合図だったんですか!? あっちゃ〜、うっかりしてた! お姉さん、どうもありがと!!」
……と、元気良く頷いたものの今度は自分は何処に行くべきか分からないという有様。退屈してる場合ではなかった、ちゃんと近くの人に色々と聞いて確認しておくべきだった……。
「ひょっとして持ち場が分からないの? なら大丈夫よ。適当に突っ込んで行って片っ端から天使をブッ殺せばいいだけだから」
物騒な発言と共に眩しい笑顔でもってお姉さんはその細身の身体にはとても似つかわしくない大きな斧を掲げた。
「ブッコロ!? えっと、成る程! 分かった、ありがとう! よーし、頑張るぞー!」
改めて気合を入れ、デイズは短剣をきつく握り締めて天使ひしめく渦の中へと走っていった。
一方、普段はうっかり者の弟バズーはおくれをとることもなくしっかり周りに合わせて天使軍を攻めていた。
「デイズのヤツ、大丈夫かなあ……」
変なところ脳天気な姉を心配しながら、こちらへ引っ切りなしに向かってくる天使を次々と切り倒す。余裕、余裕。と、それはいいが本当に引っ切りなしだ。この幼い身体を見てコイツなら殺れると思われているのだろうか、やたらと狙われているのはきっと気のせいではない。今もまた一人斬りかかってきた。だが幼い見た目に反して上級悪魔の血を色濃く受け継ぐバズーの実力は侮れない。
雷を自在に操る力を生まれながらに持っている彼は自分の周囲に強力な電流を纏っている。それに気付かず剣を振り下ろしてしまった天使はまずバチンと音を立てて太刀が弾かれたことに驚き、次にその剣の切っ先を伝って身体へ強烈な電流が走り痺れて上手く動かなくなった手足に戸惑う。バズーはそこをすかさず突く。
一撃で心臓を貫いてやるのはせめてもの優しさ。この戦法でもう何人倒してやっただろうか――と、人数を勘定していた矢先、また一人飛び込んできた。俺ってば、人気者。満更でもないバズーである。
もっと頑張って他のみんなに楽をさせてあげよう。
バズーは全身により一層強力な稲妻を纏って敵陣深くに斬り込んでいった。見たままそのまま電光石火で片っ端から天使を切り刻み、心臓を抉る。俺に触れたらビリビリ来るぜ。誰も手ぇ出せないだろ、こんちくしょう。ああ、なんだかとっても楽しくなってきた。
そうして一人、大爆走。調子に乗ってしまった彼は敵陣深くに足を踏み入れ過ぎていたことなど気付きもしなかった。
「おーい、そこのガキ!!」
不意に何処からともなく聞こえた声。だが、まさか自分に向けられた言葉だとは思わずバズーは足を止めなかった。
「そこの調子に乗ってるガキ!!」
今度はさっきよりも近い距離から声が聞こえた。女……ではない、声変わり前の少年のような声だ。
(ガキ、もしかして俺のこと?)
足を止めて振り向くと、幼い声の持ち主として相応しいバズーと僅かも歳が離れてなさそうな少年と目が合った。
(誰……?)
首を傾げるバズーの目の前で白いマントを風に揺らしたその少年は不敵な笑みを顔いっぱいに浮かべてみせた。背は僅かにバズーより高いだろうか。金色の短髪に白い服――この風貌は明らかに天使、どう見ても悪ガキなバズーと違って絵画にそのまま収まっていそうなほどの美少年である。しかし何処か意地悪そうな感じを受ける。何故だろう。目付きが悪いせいだろうか、それともその口元に歪んだ笑みが溢れているせいだろうか……。まあいい。
「なんだよ、お前もガキじゃないか!」
なんというか、向こうにもなかなか可愛い戦士がいたものだ。バズーはこんな小さな身体で戦争に参加しているのは自分とデイズだけだと思っていた。
「俺に向かってガキだと? 失礼なヤツだな。俺こう見えて結構歳食ってんだぜ?」
言うと少年は腕を組んで顎を持ち上げた。なんだかとっても高圧的な態度である。
「俺だってそうだよ!! 見た目で判断なんて最低なヤツのすることだ! 撤回しろボケ!!」
「はあ!?」
少年は信じられないとでも言うように目をキョトンと大きく見開いた。
「ボケってか!? 口、悪っ!! つか、お前の言葉そのまま返してやるよ!! そっちだって俺のことガキって言ったじゃん、撤回しろ大ボケ!! 自分棚上げも最低なヤツのすることだぞ!!」
「フンッ、誰が撤回してやるもんか!!」
バズーは鼻で笑ってみせた。そして、疑問に思った。なんだこのやり取りは、と。そもそも何故彼は自分を呼び止めたのだろう。こうしてケンカを売るため? いや、だとしたら余計に呼び止める意図が掴めない。いきなり背後から斬りかかった方が効率的なはずだ。ならば何故……。
考え巡らし、視線を落とす。瞬間、バズーは目に飛び込んだ光景を見て「あ……」と、小さく悲鳴を上げた。
どうして、気付かなかったのか……。少年の足元は一面、飛び散った血で真っ赤。その上を両手両足切り取られて心臓を一突きされた悪魔の死体がいくつもゴロゴロと無造作に転がっている……。
慈悲も何もあったものではないこの悪魔たちの殺され方には見覚えがあった。いや、見覚えがあるどころではない。
これは、両親の殺され方そのものだ。
「お前……。その死体……」
バズーは震えながら少年を見つめた
「これ? ああ、俺がやった。なかなか粋だろ」
悪びれないを通り越し、あろうことか少年は肩を震わせてケラケラと笑ってみせた。
バズーは確信した。彼こそが両親の仇であると。いやしかし、あの強く気高かった両親がこんな幼い少年に敗れたなど、にわかに信じ難い……。
「あ。そうそう、俺の名はヨーフィ。覚えておけよ〜」
「ヨーフィ……」
ヨーフィ、その名を聞いてバズーは納得がいった。遥か昔から少年の姿を保っている悪名高い大天使。自称ラファエルの右腕、ヨーフィ。バズーも名前だけは知っていた。そうか、彼がそのヨーフィなのだ。
「俺の名はバズー。お前こそ覚えておけよ……!」
バズーは憎悪に顔を歪めてヨーフィを睨みつけた。
「おいおい。なんだよ、その顔。そんな睨むことないじゃん。俺はお前と戦いたくて声かけたんじゃないぜ〜? なんつーか、救ってやろうと思ってさ。どうよ。天界に来ない? 神様にゴメンナサイって土下座すればすぐにその堕天使した身体を浄化してもらえるよ」
バズーの気持ちなどそっちのけでヨーフィがニヤニヤと歯を見せて笑う。
天界に来い……。なんだってそんな勧誘をしてきたのかは考えたくもない。たんに悪魔の決意を鈍らせて困惑した顔が見たかったのだろう。それだけのために背後から奇襲するチャンスを失ってもバズーにわざわざ声をかけた。剣も持たずに、だ。
これはつまり、最初からバズーの腕を舐めていた、ということになる。不意打ちなどしなくても、コイツには勝てる。そう判断されたのだ。
「せっかくだけど、そのお誘いは断らせてもらうよ……」
バズーは震える手を握り、感情に任せて先を急いでしまいそうな身体を必死に抑えて言葉を紡いだ。
急いではいけない。怒ってはいけない。それでは相手の思う壺である。
「なんで? こんな荒れた世界にいたって良いことなんもないっしょ。俺と一緒に来なよ。友達になんない?」
何処まで本気なのやら、ヨーフィは両手を軽く広げておどけたようなポーズを見せた。しかしバズーにはそれを笑い飛ばすことも『友達になんない?』の言葉を信じることも出来なかった。そんな余裕など、微塵もない。
「悪いけど、俺はお前と友達になんかなれない!!」
「はあ?」
ヨーフィはパチパチと大袈裟に瞬きをしてみせた。一体何が気に食わないのか分からない、といった表情だ。
分からない。ならば結構、教えてやるまでである。
「だってお前は俺の両親を殺した……!! 間違いないよな、その殺し方!! お前は俺の父さんと母さんの両手両足を生きたまま切り落として散々弄んだ挙句に殺したんだ!!」
バズーは語気を強めた。しかしヨーフィは空に視線を向けて呑気に「ああ〜」と感心した風に唸るのみ。お前が怒ったところで何も恐くはないと暗に言う。
「成る程ね。そういう殺され方をしていたなら多分俺がやったんだろうな。多分つーか間違いないや。じゃあ友達は無理か。残念だなあ〜」
アハハッと、ヨーフィは軽快に笑ってみせた。反省も悪びれも彼には一切無いのだろう。
バズーは思った。成る程、これはこれでいい。同情の余地が一切無い相手ならば遠慮なく斬れる。
「だから、俺は……お前を殺さなきゃいけない……! 俺はお前を殺す……!」
殺す、という言葉は流石に胸に響くものがあったのか余裕の笑みを浮かべていたヨーフィが一瞬真顔になった。が、本当に一瞬の表情であった。
「アハハッ! 何言ってんだか。お前が俺を殺すとか冗談キッツ〜。絶対無理だし! やめておけよ、バズー。そりゃ俺が悪かったかもしれないけど得になんないことはすんなって。……んじゃ。俺はお前みたいな小さいガキ殺すほど鬼じゃないから見逃してやる。復讐なんて馬鹿なこと考えないで子供は大人しくお家に帰りな」
言うとヨーフィはバズーの返事も聞かずにバイバイと手を振りながら背中を向けて歩いて行ってしまった。
一体、どこまで馬鹿にすれば気が済むのか。背中まで向けられた。もう我慢ならない。
怒りが頂点に達したバズーは血が滲むほどに唇を強く噛み締め、大地を強く蹴ってヨーフィの背中めがけ凄まじい速さで突進した。
「……あーあ、帰れってちゃんと親切に警告してやったのに」
向かってくる殺気にいち早く気付いたヨーフィは肩で溜め息をしたのち、素早く振り返って何処からともなく取り出した愛用の剣を握って構えた。
突然、プシュッと小さく音を立ててデイズの腕から血が噴き出した。
「きゃっ!? いったあ〜〜い! 何!? アタシが切られたわけじゃないよね?」
四方八方をキョロキョロと見渡す。……うむ、射程距離には誰もいない。それはそうだ、そのはずだ、なにせ今さっき綺麗に片付けたばかりである。やはり自分が切られたわけではない。
と、いうことは、バズーだ。バズーが切られたのだ。
(あんにゃろめ、怪我するんじゃないわよ。アンタが怪我したらアタシも痛いんだからね!)
まあしかし、これくらいの傷ならば許容範囲だろう。
デイズは気を取り直して、またパッと目についた天使へと斬りかかった。
少しでも悪魔軍に貢献したい。そのためには一人でも多くの天使を倒さなければならない。
弟のバズーと同じくデイズも生まれながらに雷を自在に操る力を備えている。ゆえに戦法は殆ど一緒。天使が電流に身体の自由を奪われている隙に心臓へ短剣を突き立てる。
順調、順調。と、思いきや、今度は足から血が噴き出した。
「いっ……!! 何やってんのよ、アイツ! ふざけんじゃないわよ、もう!!」
ちゃんとこっちはバズーを気遣って極力怪我をしないように努力しているというのに。
また四方八方見渡してみるが、デイズに一撃を加えたような天使は見当たらない。と、いうことはやっぱりやっぱりまたバズーが切られたのだ。
ま、まあまあまだこの程度の傷ならば許容範囲ではある。あるのだが〜……、正直ちょっと腹が立ってきた――――次の瞬間、今度は背中に衝撃が走った。恐る恐る手を当てる……。背中に深く傷が出来ていたのが分かった。剣で斬られたような真っ直ぐな傷である。
「……バズー?」
一体どうしたのだろう、こんなに連続して怪我をするとは……。
嫌な予感がしてならない。激しい不安が込み上げる。
デイズはまた周囲を見渡した。どうにも胸騒ぎがする。バズーが、危ない。
これだけの怪我だ。上級天使と鉢合わせてしまった可能性がある。だとしたら一大事だ。バズー一人で上級天使に勝てるとはとても思えない。
バズーとデイズは一つの羽を二人で分け合ってるようなもの。ゆえに片翼では実力の半分しか出せないのだ。
(ゴメン、バズー……! やっぱり二人一緒に行動するべきだった。あの時、アタシが……変に照れたりなんかしたから!)
一人では何も出来ないと思われるのが嫌だ――そんなつまらない理由で別行動を選んでしまった。
常に共に行動することを運命づけられた双子。こんな運命、常々抗いたいと思っていた。しかし、やはり駄目なのだ。駄目なのだ……!
デイズは弾かれたように走り始めた。姉としての勘でバズーが何処にいるのかは大体分かる。急がなければならない。
(助けなきゃ……。助けなきゃ!)
そうして走っている間にも、デイズの手足にはどんどん傷が増えていった。
「雑魚が結構片付いてきましたね。順調、順調」
バアルが戦況を眺めながら朗らかに微笑む。
「そうだね。そろそろ上級天使が直接参加してくる頃かも」
共に戦況を見定めながらルシフェルは前線に目を凝らした。激しい砂埃やら何やらで最早誰が何処にいるやら……。みんなを完全に見失ってしまった。今頃カインは何処でどうしているのだろう。バズーとデイズも大丈夫だろうか、ちゃんと元気でやっているだろうか。
そうしてルシフェルが「見失った」と騒ぐたびに隣でバアルは冷静に「今はあの辺にいますね」と方角を指差して「元気そうですよ」などと仲間の状況を教えてくれた。彼の目の良さは相当なものだ。とても助かった。だが、やはり自分の目でちゃんと確かめたいものである。
こう考えると俺っち此処にいるよと言わんばかりにド派手な竜巻をドッカンドッカン巻き起こしてくれるレヴァイアって、ありがたい。あれじゃ敵さんにも当然のように居場所バレバレなんだろうが、そこはきっと自信の現れなのだろう。
「ルシフェル、私はもう頃合いとみて前線に向かいます。貴女はどうしますか?」
今のところ悪魔軍が優勢。しかし上級天使がいざ前線に出てきたら状況はまるで変わってしまう。数合わせの雑魚と違って神の加護を一身に受けた上級天使は圧倒的な強さを誇る。そんな彼らに対抗するにはこちらも総大将自らが出向くしかない。
「勿論、アタシも行くわ」
「本当にいいんですか? 危険ですよ? 無理しなくとも此処で援護に徹するのもまた一興かと思いますが」
「ううん。危険なのはちゃんと分かってる。でも行きたいの。大丈夫、ちゃんとやれるよ。アタシきっとやれる。バアル、信じて」
心配してくれるその気持ちは嬉しい。しかし女帝の地位を継いだからには、それ相応の働きをしたい。絶対に、逃げたくない。みんなが戦っている中、自分だけ安全地帯で胡坐をかいていたくはなかった。
「そうですか。分かりました」
ルシフェルの真っ直ぐな目を見て、この意思は固いと判断してくれたのだろう。バアルは優しげに微笑み、頷いてくれた。
「ですが、くれぐれもお気をつけて。何かあったら無理をせず、すぐに私の名を呼ぶこと。いいですね?」
言ってバアルは手のひらでそっとルシフェルの頭を撫でた。
正直、バアルは複雑だった。とうとうこの子を戦争に参加させてしまう申し訳なさと、立派に女帝としての責任を果たそうとしてくれる頼もしさ、簡潔に言葉では言い表せない様々な思いが交差し、頭の中を駆け巡る。
しかし、困惑の表情は極力押し殺した。自分が不安に駆られてしまっては始まらないからだ。
「うんっ、分かった! ヤバイと思ったらすぐに泣きを入れるからさ、大丈夫だよ!」
ニッと白い歯を見せてルシフェルは笑ってみせた。これは自分の緊張を解すためでもある。勿論バアルはそんなルシフェルの心など軽くお見通しだったのだが、追求はしないでおいた。女の子の可愛い強がりを指差すなんてナンセンス、と判断したのである。
「本当に大丈夫かな〜? ……なんちゃって。では私はお先に。ご武運を、ルシフェル」
「うん。バアルも気をつけてね」
「ルシフェ〜ル、私を誰だと思っているんです?」
勝気に微笑むとバアルはその場から音もなく姿を消した。
「誰って、そりゃ勿論泣く子も黙る無敵の魔王サマだと思ってますよっと」
ルシフェルは先程までバアルが立っていた場所に向けて笑みを溢した。
大丈夫、自分にはこんなにも頼りになる兄がついている。だから、大丈夫。そう何度も自分に言い聞かせ、爆発しそうな鼓動をなだめた。
――よし、行ける。
「さーて、一暴れしますかな!!」
思い切り背筋を伸ばしてからルシフェルは崖を勢い良く飛び降りた。
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