【18:崩れ落ちていく者たち】


「お〜い、レヴァイア〜っ。飽きてきたぜ。なんかもうキリがねえじゃん」
 カインは地べたにヤンキー座りして煙草を吹かしながらレヴァイアの起こす竜巻に飲まれホイホイ打ち上げられていく天使を眺めていた。レヴァイアがこうして軽く天使たちを蹴散らしてくれるお陰で全く出番がない。正直、退屈だった。
「そんなこと言っちゃいけないよカイン君! そろそろ上級天使が特攻してくる頃だ。もうちょっと待ってなって」
 しかし、そう言うレヴァイアもこうして延々天使を風に飛ばしていることに正直飽きていた。ゆえにカインの隣に座り込んで煙草を吸って暇つぶし。しかし悲観するなかれ。退屈、それつまり上手く体力を温存出来ているということだ。ならば上々。後はいつまでも焦らされていることへの苛立ちを抑えるだけ。こうして苛立たせることもまたラファエルの狙いである。その手には乗りたくない。ここで集中を切らしてしまったら相手の思う壺。相手は一瞬の隙も決して逃してはくれない。いつ来てもいいよう常に気を張っていなければ、やられる。
「なあ、レヴァイア。俺もそんな能力が欲しいよ」
 唐突にカインが呟いた。
「えっ? そんなって?」
 レヴァイアが煙を吹きながらチラリと目を向ける。
「竜巻とか起こせちゃうような能力だよ。俺もそういう特別な力があったらもっと役に立てたかもしれないのにって思ってさあ」
「はあ? なに言ってんだ。そんなん無くたってお前は充分強いよ。なんて言ったらいいかなー、あ、そうだ、人間じゃねえ!」
「それ、褒め言葉か?」
 カインは思わず苦笑いを浮かべた。何せ「一応自分は人間だ」という自負があるわけで。しかしレヴァイアは「褒め言葉だよ」と言って屈託なく笑う。
「だって見てて分かるもん! お前には間違いなく上級天使にも匹敵するくらいの力がある! だから大丈夫!」
 決してお世辞ではない。実際カインは上級天使にも匹敵する力を持っている。この身の丈近くある大鎌をヒラリヒラリと振り回し、いとも簡単に天使を切り裂く姿を見てレヴァイアは確信を持った。しかし、本人にその自覚は薄いようだ。
「そおか?」
 せっかく褒めてもらってるのに納得のいってない顔である。
「そう! だからいざ鉢合わせてもきっと楽勝だ! 自信を持てカイン!」
「まあ、お前がそう言ってくれるなら……」
「そうだ、俺がこう言ってるんだから間違いない!」
「お前どんだけ自分に自信あるんだよ!? まあいいけど……」
 と、そんな脳天気な会話を交わしながらレヴァイアとカインは同時に短くなった煙草を地面に落として火種を踏み消した。
「不安ならおウチに帰ってもいいんだぞ?」
 茶化すように意地悪くレヴァイアが笑う。だが、まさかそんな言葉にカインが頷くはずもない。
「殴るぞレヴァイア。今更恐いもんなんざ何もねぇよ俺には」
「そりゃ頼もしい。じゃあ、いっちょやるか?」
「ああ、そうだな」
 頷き合い、二人はゆっくり立ち上がって視線を真っ直ぐ前方へ向けた。そこにはレヴァイアの風をものともせずジッと静かに立っていた天使の姿があった。白いマスクで顔を隠し、ただただこちらに冷たい視線を送っている天使の姿が。
 レヴァイアの風を受けて平然としていられるのだ、なかなかの実力者と見て間違いはない。
「やあ、初めましてだね。俺はレヴァイア。アンタは?」
「僕の名は、アザゼル……」
 レヴァイアの問いに天使は静かに答えた。耳の良い二人でなければ聞き取れなかったかも分からない小さな声である。
「なんか、天使のくせに陰気じゃね?」
 カインがボソッとレヴァイアに耳打ちをする。
「でもラファエルなんてもっとも〜っと陰気だからなあ……。所詮、天使なんてこんなもんだよ」
 耳打ちを返しレヴァイアは不敵に笑ってみせた。やっと少し手応えのありそうな相手に出会えた喜びによる笑みである。
「さーてカイン、どうする? 二人で確実に行くか?」
「そうだなあ……」
 カインが考えを巡らせた、その時。後方から「助けて!!」と甲高い声が響き渡った。
「助けて!! レヴァイアさん、カインさん、お願い!!」
 縋るような少女の叫び声。只ならぬ雰囲気に振り向いたカインとレヴァイアは咄嗟に息を飲んだ。
「デイズ!?」
 カインが声を荒げる。
 声の主はデイズだった。全身を血で真っ赤に染め上げた酷い姿でもって走り寄ってきた彼女は今にも泣き出しそうな顔を二人に向け「助けて」と繰り返し絞り出すような声で訴える。
 これは、只事じゃない。
「デイズ!! どうした、その傷は!!」
 堪らず傷だらけの少女に駆け寄るレヴァイア。一方カインはこの隙やチャンスと見たアザゼルが奇襲をかけてこないよう目を光らせる。デイズのことはレヴァイアに任せよう。それがいい。
「バズー……、バズーが……バズーが……!」
「バズー? バズーがどうした。ちゃんと言え、分かんねーよ!」
 レヴァイアの眉間に皺が寄る。一体どれだけの距離を走ってきたのか酷く息を切らしたデイズは上手く言葉を紡ぐことが出来ない。しかし、ことは一刻を争う。デイズは必死に呼吸を整えた。
「あ、あのっ、バズーが……っ、バズーが殺されちゃうよお!! お願い助けて!!」
 言うとデイズはレヴァイアのコートを掴んでボロボロと涙を零した。
 これは、一刻の猶予もなさそうだ。
「強敵に当たっちまったか……。カイン、どうする?」
 レヴァイアはしっかりと目の前の天使から視線を逸らさずいるカインの背中に問いかけた。
「どーするも何も、行ってやれよレヴァイア。お前が行ってやった方が多分俺が行くより確実だ。それに〜……どうやらコイツは俺に用があるみたいだしな」
 事実、アザゼルは何か言いたげな目でカインだけをじっと静かに見つめている。幸いなことだ。レヴァイアが席を外すことは彼にとっても都合が良いらしい。
「そうか……」
 ルシフェルとの約束もあって出来るだけ別行動は避けたかったレヴァイアだが、仕方ない。ここはカインの腕を信じることにした。
「じゃあ俺が行こう。カイン、死ぬなよ!」
 言うとレヴァイアは手早くデイズを抱きかかえた。
「ひゃっ!?」
 照れと驚きでデイズは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。が、当のレヴァイアは特に気にする素振りなし。それどころじゃない、ということだ。
「デイズその足じゃ走るの大変だったろ。バズーの居場所は何処だ? 分かるか?」
「あ……。なんとなくですが分かります、大丈夫です。えっと……、あっち! あっちの方にいるはずです!」
 デイズの小さな手がバズーのいるであろう方向を指し示す。同時に『その方角で合っています。私は今、手が離せない。行ってあげてください』というバアルの声がレヴァイアの頭の中に響いた。何処からか知らないが彼もこの状況を察して気を配ってくれたようだ。
『分かった。お前もお前で何かあったらすぐに教えろよ!』
 レヴァイアは声にならない声で相棒に返事をすると、不安そうなデイズに微笑みかけた。
「向こうで良さそうだ。バズーは大丈夫! だから泣くな! さ、行くよ!」
「は、はい!」
 デイズが頷いたのを確認するとレヴァイアは黒い風を身に纏い、小さな手が指し示した方向へしっかりとデイズを胸に抱えたまま凄まじい速さで走り出した。
「か……かっこいい……!」
 こりゃ辛抱堪らん。デイズは弟の大ピンチは自分の大ピンチということも忘れ、勇ましい魔王の横顔に見入った。まあ、そんな余裕があるだけ良し。
「…………さて、と」
 横目に二人を見送ったカインは改めて目の前に立つ天使に目を向けた。
 あの二人が去るまで一切の手出しもせず待っていてくれたあたり礼儀があるのか、それとも魔王レヴァイアを恐れて悪戯に憤慨させまいとしただけなのかは分からないが彼が何一つ手を出さなかったことでとにかくカインは助かった。
「アザゼルって言ったな? お待たせして悪かったね。ちなみに俺はカイン、ど〜ぞよろしゅう」
 とりあえずの自己紹介をして大鎌を握り直す。俺になんの用ですか、と聞く必要は無さそうだ。アザゼルの右手にしっかりと握られた大剣が言わずとも全てを語っている。
 上級天使と本格的に剣を交えた経験は、正直一度も無い。一体どれだけやれるか……。だが、いざ上級天使と鉢合わせても大丈夫だと魔王レヴァイアからお墨付きをもらったのだ、それなりにはやれるはずである。
(大丈夫、やれる)
 せっかく牢獄から出られたのだ、こんなところであっさり死にたくはない。
「カイン……。白髪の大罪人……。そうか、君が、あのカインなのか……。憎しみだけを食べてここまで強くなるなんてね……」
 ボソボソボソボソと一人で喋ってアザゼルが感傷深そうに目を細める。
「なんだよ……、気持ちの悪いヤツだな!!」
 言うが早いかカインは大鎌を片手に素早く飛び掛った。これを見たアザゼルが静かに「さあ、来い」と大剣を構える。
(大丈夫、やれる!)
 大剣もろともアザゼルを粉砕する意気でカインは大鎌を力いっぱい振り下ろした。



「ハハッ、さんざっぱら粋がっておいてこの程度かよ!! 情けないなあ、バズー!! 情けないよ情けなーい!! 親の仇を目の前にして手も足も出ない気分はどんなもんだァ!?」
 歪んだ笑みに顔を崩したヨーフィが仰向けで地面に転がっているバズーの腹部の傷口を容赦無くサンダルの底で踏みつける。
「ゲホッ!!」
 バズーは盛大に血を吐き、ヨーフィの下で必死に身体を捩って足掻いた。このまま好き勝手にはさせたくない。だが、最早何をしても無駄な抵抗であった。
 両手足の腱を的確に切られて動けない。何も出来ない。こうなれば己の回復力に期待したいところだが、この傷は深すぎる。神の加護を受けた剣による傷はただでさえ治りが遅いというのに、だ。得意の稲妻も一切効果なし。全てヨーフィが放つ光の力に掻き消されてしまう。
 悔しいが、ヨーフィが言った通り、本当に手も足も出ない。
 認めたくはないが、絶望的だ。
「チク、ショウ……!」
 一応ヨーフィに多少の傷を負わせることは出来た。だが、もう既に何事もなかったかのように治って消えてしまった程度の傷である。力の差は明らかだった。言いようの無い悔しさが込み上げる。
 だが、屈してはいけない。それだけは絶対に避けなければならない。
 目に憎悪を宿してバズーはヨーフィを睨みつけた。
「ぁあ? なんだよ、その生意気な目はよ!!」
 気分を害したヨーフィが怒鳴りを上げて再びバズーの傷口を踏みつける。
「うあっ!? あああああ……ッ!!」
 少し、肉の裂ける音が聞こえた。出血が増していく。気が遠くなっていく……。
 しかしバズーの眼の色は決して曇ることがない。ヨーフィにはそれが気に入らない。
「生意気だよねー、ホント!」
 言うとヨーフィはバズーの顔すぐ真横に剣を突き立てた。
「謝りな。『ヨーフィ様、どうもすいません。命だけはお助けを』って、哀願しな」
 言いながらバズーをグリグリ踏みつけ、その痛みに喘ぐ顔を間近に覗き込むヨーフィ。彼はバズーのようなタイプがあまり好きではなかった。力も持たぬくせして一丁前に頑固な決意を胸に抱いている……、そういう相手を見ると無性に腹が立ってしまう。
 何故と聞かれたら上手くは説明出来ない。とにかく、腹が立つのだ。
「な、に……?」
 謝れと言われて素直に謝れるわけがない。何せ謝ってほしいのはこっちの方である――そんな心情を汲み取ってしまったのかヨーフィがまた傷口に足を振り下ろした。
「ぐああああ!!」
「ほら、謝れよ。そしたら命だ、け、は、助けてやる。言ったろ? 俺はそこまで鬼じゃないってなあ〜!」
 バズーの意志を圧し折りたい。圧し折って、幸福感に満たされたい。この屈強な意志を圧し折ることが出来たら、きっと凄く大きな喜びが待っている。そんな気がしてならないヨーフィは歪んだ笑みを強めてまた足を振り下ろした。
「あ……っ!」
 身体を突き抜けていく激痛。バズーは声を上げることもすらままならなくなってきた。
 死、というものが、いよいよ脳裏を過ぎる。
(俺、此処で死ぬのか……? デイズ、ゴメン。ドジった……。俺一人で敵う相手じゃなかったよ。ヤバイなあ、目が霞んできちゃった……)
「ホラ、どうした!! 早く謝れってんだよ!!」
 ぼやけた意識の中、ヨーフィの声だけが大きく響く。
 言われた通り謝れば本当に命だけは助けてくれるかもしれない。それは姉デイズを助けることにもなる。それでも、バズーは屈したくなかった。デイズを巻き添えにする結果となっても、ヨーフィにだけは頭を下げたくない。こんな相手に屈して、どの面下げてこの先を生きていけるというのだ。デイズもそんなことは決して望まないはずである。
 バズーは咄嗟に血の混じった唾をヨーフィの顔に吐きつけ、笑ってみせた。屈する意志はない、ということだ。
 吐かれた唾は避けようと思えば容易く避けることが出来ただろう。しかしヨーフィは避ることなく頬に受けてみせた。なんのためかは本人にも分からない。きっぱりとバズーに殺意を抱くためだろうか。ともかく一気に不機嫌となった彼は歪んだ笑みを消して汚れた頬を静かに腕で拭った。
「よく分かった。これがお前の答えなんだな。なら、お望みどーりパパママと同じ姿にして殺してやるよ!!」
 大声張り上げるとヨーフィは地面に刺していた剣を勢い良く抜き取って振りかぶった。
(あーあ……)
 きっと腕から順に切り落とされるのだろう。嫌な気分だ。どれほど痛いのか想像もつかない。
(お終い、か……)
 ジッと振り下ろされる剣の切っ先を見つめていても恐怖と痛みが悪戯に増すだけ。バズーは覚悟を決めて目を閉じた。
 ――――しかし、待てども待てども痛みは来ない。死ぬ間際になると痛覚って無くなるものなんだろうか?
 バズーが首を傾げかけた、その時である。
「バズー!!」
 聞き覚えのある声が頭上から聞こえた。大人の声だ、お父さんだろうか……。
(あ〜あ、天国の誰かが俺のこと呼んでるよ。やっべぇなあ……)
 自分は痛みを感じるまでもなく死んでしまった、ということなのだろうか。嗚呼、ますますの落胆…………しかし、この首筋に触れる大きな手の感触はとても鮮明だ。まるで、脈でも確かめているような……。
「おい、起きろ!! お前はまだ死んでない!!」
 死んでない――――その言葉にバズーはゆっくりと目を開けた。すると、間近に自分を覗き込んでいるレヴァイアと目が合った。
「レ……、レヴァイア、さん……? なんで……?」
「おっ、良かった起きたか!」
 レヴァイアが朗らかに微笑む。その腕の中には血塗れになって意識を失っているデイズの姿……。
 辛うじて身を起こすと、前方に白い服を血の赤に染めたヨーフィが苦虫を噛み潰したような顔をして特に傷が深かったらしい肩を押さえ弱々しく立っている姿が見えた。
 バズー相手に勝利を確信していたヨーフィは唐突にレヴァイアが起こした鋭利な突風を避けることが出来なかったのである。
「ったく、デイズが血ぃ吐きながらどんどん弱ってくから焦ったよ。こんなに急いだの久々だわ!」
 レヴァイアの言葉にバズーはようやく状況を飲み込めた。そうだ、助けてくれたのだ、魔王レヴァイアが直々に自分たちを助けてくれたのだ。
「いったぁ〜……。畜生、畜生!! こんなことしてただで済むと思うなよ!!」
 負け惜しみに満ちた声を上げるヨーフィ。当然レヴァイアは「だからどうした」と言わんばかりの余裕の表情である。
「じゃあ、かかって来いよ!! 俺様に挑んでみな、チビ!!」
 レヴァイアもレヴァイアで双子を可愛がってくれたヨーフィに怒り心頭、狂気に満ちた笑みでもって男らしく手招きをしてみせる。
「う……っ!」
 ヨーフィはあからさまに困惑してみせた。
 あちらは重傷を負った二人の子供を庇いながらの戦いを強いられるわけだが、しかしそのハンデがあったところで勝ち目があるかどうかは酷く怪しいものだ。なにせ相手は三大魔王の一人、中でも『獣王』の異名を持ち『破壊の化身』とまで言われている魔界最強の実力を誇る男。その武勇伝は嫌でも耳にしている。
 そうだ、これは、どう足掻いても絶、対、無、理。と、いうヤツだ。万に一つの勝ち目も、無い。
(こりゃ〜……逃げるが勝ちってヤツだぜ!)
 瞬時に判断したヨーフィは背中を見せて一目散に逃げていった。それはもう物凄い速さで逃げていった。
「あっ!! あんのガキ、逃げやがった!! しかもすんげぇ早い!!」
 思わず目を丸くしてしまったレヴァイアである。
 ヨーフィめ、その潔さたるや賛美に値するが、どうしてくれよう。散々偉そうにバズーを苦しめておいて手強い相手を前にしたらとっとと逃げる……、とても許せる態度ではない。これは追いかけて叱ってやらなければ。
「あ……。それよりもこっちが優先……、かな」
 レヴァイアに助けられた安堵感からかバズーとデイズの二人は完全に気を失ってしまっていた。出血も酷い。とてもこのままにしてはおけない。
(コイツらはちょっと城に置いてくるか……)
 本人たちはどう思うか分からないが、この傷だ。もう戦うことは出来ないだろう。仕方がない。
 レヴァイアは二人をそっと腕に抱え、その場から音もなく姿を消した。



「やっぱそれなりに強いみたいだな、お前……」
 カインはアザゼルを睨みつけながら血に濡れた手をコートで拭った。
 顔を一ヶ所、手足を数ヵ所斬られた。軽い傷と思うなかれ、相手は血管の太いところを確実に狙ってきている。上手く避けて場所を外していなければ出血多量で今頃どうなっていたか分からない。
 力任せなカインのやり方が功を奏してアザゼルの方が出血は多い。しかし本当に功を奏しているのかどうかは疑わしい。なにせ息が上がっているのはカインの方だ。向こうは涼しげな表情を保ったまま。肩を揺らしもしていない。
 考えなくても分かる。これは、アザゼルの方がカインよりも戦い方が上手いということだ。
「……カイン……」
 構えていた剣を下ろし、アザゼルが擦れたような声でカインに呼びかける。
「昔は黒く美しかった君の髪、どうしちゃったの……? なんなの今の髪の色……。すっかり褪せて、見る影もない……。哀れ、無残、時の流れって残酷……」
「はああああ!? てめえ、知ったような口聞いてんじゃねえよ!!」
 いきなりコンプレックスを突かれてカインは声を荒げた。彼の怒りは最もだ。初対面の相手に馴れ馴れしく髪の毛のことを言われたくはない。
「だって、あんなに黒くて美しかった髪の毛が、今や真っ白でパサパサ……」
「うるせえ、黙れ!!」
 アザゼルの嫌味なのかなんなのか、やたらと悲しそうな物言いにカインは語気を強めた。聞くに堪えない、ということである。しかしアザゼルは表情一つ変えない。
「カイン。もういいだろ。君は十分苦しんだはずだ。そろそろ安息の時を得てもいいんじゃないか……?」
「何が言いたい? とっとと苦しまずに死ねって言いたいわけか!?」
「違う違う。ねえカイン、神様に謝る気はないかな? 謝ろうよ、それが一番いい。僕と一緒においで。そうしたらもう苦しむことなんてない……。戦うこともない……。せっかく牢獄から解放されたのに今度はこんな荒れ果てた地に閉じ込められ、挙句には戦場の最前線に放り込まれて……。僕は君が不憫でならないよ……」
「不憫……か」
 アザゼルの言葉にカインは目を細めた。
(コイツ、なんなんだ……?)
 やたらと知った風な口をきく。顔に見覚えがないだけで何度か牢獄で顔合わせしているのだろうか……。記憶を探ってみるが、やはり心当たりは無い。
「どうなのカイン。女帝の下働きなんかで一生を終える気? 一つのコマとして死ぬまで働く気? そんなの、なんの意味も無いのに? よく考えて。君はそんなんで終わるような人じゃないよ。だから、僕と一緒においで。天界へ来れば全てが変わる。絶対に」
「………………」
 カインはあえて言い返さなかった。当たらずとも遠からず。否定しきれない部分があったからだ。
 しかし、分からない。何のために彼はこんな誘いを持ちかけるのか。なんでこんなにも知った風な口をきくのか……。一体自分の何を知っているのだろう、カインは不気味なものを感じた。
「君のことなら誰よりも知ってるさ。誰よりも……。さあ、答えを聞かせてよ。僕と一緒に、天界へ行こう?」
 アザゼルが無表情のままにカインへと歩み寄る。
 カインは言葉を探した。なんて言おうか……。なんと言えば……。
「あのさ、お誘いは嬉しいよ? 嬉しいけどさ、俺は、お前のことを知らない。それに……」
「それに?」
 アザゼルが首を傾げる。
「ああ、それに……」
 カインの瞼の裏に、真っ先にルシフェルの顔が過ぎった。
 ――ずっと私に仕えると、ずっと傍にいると誓って――
 どうして裏切れる。こんな罪人風情を頼った少女を。
「俺は……、神様に土下座するくらいなら死んだ方がマシだと思ってるんでね!!」
 容易く約束を違える男にだけは成り下がりたくない。カインは大鎌を構えてアザゼルめがけ走り出した。
「それが答えか……」
 アザゼルが深く溜め息をつく。
「なら、仕方が無いね……。生き長らえたところで君に待つのは苦痛のみ。いっそ一刻でも早く楽にしてあげる!!」
 素早く大剣を構えたアザゼルが小気味の良い炸裂音を轟かせてカインの第一撃を跳ね返す。その衝撃に体勢を崩したがゆえ一旦後方に飛び退いた後、二人は再び走り出してお互いの刃を振り下ろした。
 また荒れ地に甲高い炸裂音が響く。そして――――衝撃に押し負けたカインの手から大鎌が離れていった。
(しまった……!)
 舌打ちした時には既に手遅れ。大鎌は綺麗に空を切って結構な距離を飛んいき、地面にグッサリ突き刺さってしまった。
 急いで拾いに行こうと走るカインだが、アザゼルはそれを容易く許す相手ではない。
 カインが背中を向けた隙を突いてアザゼルは大剣を水平に振り、腰あたりへ斬りかかった。身体を真っ二つに裂いてやろうという思惑だったのだろう。そうはさせまいとカインは瞬時にその鋭利な切っ先を素手で掴んで止めた。
 殆ど左手が使い物にならなくなるが身体を真っ二つにされるよりはマシ。ほぼ切断されかかった手から血が噴き出し、滴る。だが、痛覚の鈍いカインは一切怯むことがない。そのことがアザゼルを一瞬動揺させた。この機を逃すカインではない。動揺ありがとうとばかりに隙を突いてカインはアザゼルのみぞおちにピンポイントで蹴りを食らわした。
 みぞおちの一番痛いところに重厚なブーツの先が食い込む。
「うっ!?」
 手応え大有り。クリティカルヒットである。
 何処を突かれたらどう痛いか熟知しているがゆえの的確な攻撃。拷問を受け続けた経験がこんなところで生きてくれた。
「ゴホッ!!」
 マスクの下で大きくえずき声を上げ、アザゼルはその場で腹を押さえて蹲った。相当なダメージだったのだろう、丸まった背中が小刻みに震えている。
 何はともあれ形勢逆転。カインは素早く大鎌を拾い、アザゼルの前に立ちはだかった。この機を逃してはならない。
「勝負あったな……!」
 カインが言うと、額に脂汗を浮かべたアザゼルが無言のままゆっくりと顔を上げた。
「……アンタたちは……、頭が悪い、な。敵わないと知ってて、何故諦めない……? 神に逆らったところで、それは無駄というもの……。さあ……、その黒く染まった羽に、白い輝きを取り戻したいだろう……? だから……、僕と一緒に来ればいい。それで……、それで全ては上手くいくのだから……!」
 苦しい息の下、尚もアザゼルは説得を試みる。何が彼をそこまでさせるのか、そこまでする意図がなんなのかは分からない。どうでもいい。とにかく聞く耳を持つわけにはいかない。
「俺は、白い羽なんかに興味はない!!」
 カインは躊躇いなく大鎌を振りかぶった。
「あ、そうか……。君そもそも羽持ってないしね……」
 アザゼルが覚悟を決めたように涼しげな目で自身の首めがけ振り下ろされる大きな刃を見つめる。そしていよいよ首に鎌が届こうとした……その時、アザゼルの目が大きく見開かれ驚愕の色に染まり、彼の顔に幾つかの赤い雫が飛び散って降り注いだ。
 ――なんだ?
 カインは何が起こったのか分らなかった。だが、暫くして腹部に『何か違和感』を感じ、次の瞬間、手から力が抜け、握っていた大鎌が地面へと落ちた。
 拾わなきゃ――――しかし、どんなにそうしようと思っても身体が全く言うことを聞かない。
「……?」
 嫌な予感がしてカインは違和感を覚えた腹部に目をやった。
 そして、『槍』が深々と刺さっていることに気付く。
 金色に光る槍が、背中から腹を貫いて、突き出している。
 カインは自分の目を疑った。こんなことがあるはずないと。しかし槍は現実、腹部から滴り落ちている大量の血も現実のものである。
(この槍は……!)
 考えるより先に答えは出ていた。
「アザゼル、何をちんたらやってるんです? こんな呪いで動いてるだけの泥人形に手間取ってどうするんですか」
 カインの背後から静かに響き渡る男とも女ともつかぬ透き通った声。
「ラ……ファ……エル……!」
 絶対の自信を持って名を呼ぶ。
 カインには覚えがあった。聞き間違うはずもない。確認に顔を振り返り見る必要もない。これは、紛れも無く天使軍の将ラファエルの声である。



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