【20:漆黒は光を蹴散らす】
大事な約束、と言葉途中に血を吐いて口元を赤く染めた王を見る敵将の目は、冷ややかだった。
「約束、ね。何を約束してしまったのか知らないが……バアル、私はそんな哀れな貴方の姿をもう見たくない」
本心うかがい知れない空々しい口調でラファエルがまたバアルに問いかける。
「別に、強制して見ろとは……誰も言ってない……!」
血をゴホゴホ吐きながらもバアルはまだ歯向かうことを止めない。媚びる気は微塵もないということだ。伊達に何千年もの間、敵対を続けていない。しかしラファエルは槍を構えながらもバアルの心臓を突くことを躊躇っているようだった。
その場に沈黙が流れる。
「ん……?」
暫くが経った頃、ふとラファエルは何かに気付いてバアルから視線を外し顔を上げた。すると……、見つめた方向から慌ただしい足音と何やら騒がしい声が近づいてきた。誰だ? 目を凝らす。……あれは、ヨーフィだ。
「ひやあああ〜〜!! ラファ兄〜〜助けて〜〜〜〜!!」
大声で叫び、怪我をしたのか頭部からピューピュー血を飛ばしながらヨーフィが凄まじい速さでこちらに向かって走ってくる。
なんだ? と、ラファエルが気を取られたその時、黒い突風がヨーフィとラファエルを襲った。
「待て、こんのクッソガキー!! 逃げるな、戦えハゲー!!」
突風と共に響き渡った声。その聞き間違うはずもない馴染み深い声を耳にしてバアルは弱々しく微笑みを溢し「助かりましたよ、レヴァイア……」と、小さな声でボソリ呟いた。
「わわわ、わー!! 酷いよ、俺ハゲじゃないよー!!」
相手を振り向く余裕も無し。ヨーフィは一目散に真っ直ぐ走り、ラファエルの横をもすり抜けていった。
「ラファ兄、俺じゃアイツに勝てない!! そんなわけでゴメン!!」
「は? お、おい、ちょっと待て!」
呆気に取られているラファエルをよそに、ヨーフィはダッシュの勢いそのままにサッとその場から姿を消してしまった。
「はは……、大した御友人をお持ちだ……」
痛む腹を押し、皮肉を込めてバアルが笑う。ラファエルはそれにムッとした表情を向けて答えたが、次の瞬間そんな余裕も失せたのか後ろに飛び退いて間合いを開けた。
「ヨーフィめ……。凄まじく厄介なヤツを案内してきたものだ……」
ラファエルの独り言に、近くにいたアザゼルも少し溜め息を漏らした。
「レヴァイアのヤツは行動が読めないからなぁ。警戒しろ。物凄く警戒しろ!」
数千年もの間、魔王レヴァイアと剣を交えてきたラファエル直々の警告である。念を押されたアザゼルは「そう言われても何をどう警戒したらいいの?」と戸惑いながらも頷いておいた。レヴァイアはその平凡な見た目とは裏腹に破壊神や、絶望の化身などの物騒な異名を数多く持つ魔界最強の男。天使からすれば僅かな油断も許されない相手である。
しかし警戒をされている当の本人は今日も通常運転、マイペースそのものだった。
「わ……、わ〜!! なんじゃあ、こりゃあ〜〜!?」
バアルとカインを間近に見るなりレヴァイアは大きな声で叫んだ。
「嗚呼……。あんまり大きな声を出さないでください……。傷にすんごく響きます……」
痛い痛いとボヤきながらバアルが脱力してみせる。先程までの鬼気迫る声から一変、いつもの温和な口調だ。カインの方はというと最早喋る力さえも失っていたが、心の中は言いようのない安心感と少しの無力感に溢れていた。状況が悪いことに変わりはない。しかしレヴァイアが駆けつけた途端に空気が変わった。それだけ魔王レヴァイアは『力強い存在』ということだ。
(俺とは大違いだなあ……)
人知れず溜め息をついてカインは敵将と対峙したレヴァイアの背中を見上げた。
「き、貴様ー!! このド変態っ!! すけべっ!! 俺のダチに青空拷問するなんて許せねえ!!」
怒り心頭、レヴァイアは鼻筋を立てて怒鳴りながら手に持っているフレイルをラファエルの方に向けた。
言ってることは無茶苦茶だが、自分たちのために怒ってくれている――カインとバアルは動けないながらに首を少し傾けて目を合わせ、微笑んだ。
「だ、誰がド変態だ馬鹿野郎!! なんだ、その青空拷問っていうのは!!」
真面目な性格が災いし、ラファエルも鼻筋を立てて返す。
「ぁあ!? 青空拷問ってのはお前がバアルやカインにしたような行為のことだ大馬鹿!! お空の下でやっていいことと悪いことがあるだろ!!」
「どういう理屈だ!? そもそも貴様、自分のが空の下でよっぽどなことをやってきてるクセに何を言う!!」
「ええい、うるさい!! 言い訳するなあああ!!」
再び怒鳴りつけてレヴァイアはフレイルを振り回しながらラファエルに飛び掛った。一度直撃したらそれだけで致命傷となる重厚な攻撃である。勿論、それを容易く食らうラファエルではない。彼は間一髪でレヴァイアの一撃を避けるとバアルの側までヒラリと飛び退いた。
「あっ、何する気だ変態!!」
レヴァイアがまたも大声で怒鳴った。
「フンッ! 私のことを変態などと言えないようにしてやる。いいか、お前が抵抗したら私はバアルを刺す。嫌ならジッと耐えることだな」
……この言葉を受けて、威勢の良かったレヴァイアがピタリと足を止めた。その背後にラファエルの目配せを受けて大剣を構えたアザゼルがゆっくりと近付く。
「友人のために嬲られるんだな! アハハハハハッ!」
ゾッとするようなラファエルの高笑いが響き渡る。カインが心の中で「セコイ!」と叫んだことは言うまでもない。人質を取るくらいするだろうと思ったが本当に取った。これはセコイ。ズルイ。
レヴァイアはジッとラファエルを汚いものを見るような目で睨んだまま身動きしない。その後ろで、アザゼルが静かに剣を振りかぶった。
駄目なのか――!
カインが「畜生」と小さな声で溢した、その時だった。
「俺、別にバアルが殺されても構わないんだけどな?」
「え?」
あっけらかんとしたレヴァイアの言葉にその場にいた全員が「え?」と声を出して唖然とし、凍りついた。今まさに剣を振り下ろそうとしていたアザゼルも然り。その中で当のバアルだけがクスクスと痛む腹を押して笑う。
「そんなわけで……抵抗させてもらっちゃうよッ!!」
レヴァイアは素早く振り返ってアザゼルにフレイルを叩き込んだ。いち早く気付くも防ぎ切ることが出来なかったアザゼルはその鋭利なトゲ付きの鉄球を横腹に受けて呻き声を上げながら地面へと崩れ落ちた。
「なんてヤツ……。これがお前の言う友人か!?」
ラファエルがバアルを見下ろすと、その目は一瞬にして驚愕の色に染まった。何故バアルが得意げに笑っているのか理解出来なかったのである。
「ええ……、私のことを誰よりも理解してくれている……大親友……ですよ」
ボソリ告げるとバアルはカッと目を力強く見開いた――瞬間、バアルの周囲を取り囲むように現れた無数の氷の刃がラファエル目掛けて飛びかかった。
ラファエルに氷が通じないことなど承知の上である。しかしこれだけの至近距離で氷を放てば隙くらいは作れる。案の定ラファエルは光を発して氷をいとも簡単に掻き消した、だが動揺した影響で僅かに体制を崩した。狙い通りである。
「いただき!!」
その機を逃すまいとレヴァイアはすかさず飛びかかり、ラファエルの腹部へフレイルを叩き込んだ。本当は確実に心臓を狙ったのだが紙一重で避けられた。流石は大天使長、といったところだ。
「ガハ……ッ!」
血を吐き、衝撃に吹き飛ばされたラファエルはそのままガリガリと地面を滑っていった。
「あ〜っ御免、前言撤回。俺バアルが殺されるとスッゲー困るんだよね。生活力が無いから」
言うとレヴァイアは「なっ?」とバアルに目配せをしてケラケラと笑った。無邪気な顔をして心にもないことを言った反省など微塵もうかがえない態度である。まあ当のバアルが満足気なのだからそれでいいのだろう。
向こうでラファエルが悔しそうに顔を上げ、大きく舌打ちをした。端正な顔が苦痛に歪んでいる。真っ白な服も一瞬で血の赤に染まった。かなりの痛手を負ったことは明白だ。
形勢逆転、というヤツである。
「な〜るほどな……」
この光景を見てカインは一人、納得していた。わざわざ声に出さずとも通じ合っている仲というのは素晴らしい。この状況下で「殺されても構わない」と真顔で言われても微塵も動揺せず相手を信頼するなど、そう簡単に出来ることではない。
(いいな……。親友……か……)
レヴァイアがやって来た途端に表情を明るくしたバアルは恐らく既にその時点で自分たちの勝利を確信していたに違いない。それだけ相棒に絶対の信頼を寄せているのだ。
自分も、いつか誰かにとってそんな存在になれるだろうか――――カインの胸がざわついた。いや、今はそんなことを考えている場合ではない。相手は大天使長ラファエル、腹を抉っただけで簡単に終わる相手ではない。現に彼は血の滴る腹を手で押さえて無理にも立ち上がろうとしている。まだだ、まだ終わらないとばかりに。
「貴様ら……!」
ラファエルが憤怒に染まった顔を上げた、その時だ。彼の足元から突如地面を裂いて黒い炎が勢い良く噴出した。
「なに!?」
戸惑う隙も惜しんでラファエルは素早く炎の中から飛び出すと倒れているアザゼルの元へと駆け寄り、急いでそのグッタリ項垂れている身体を抱き起こした。ことは一刻を争う。なにせ察してしまったのだ。巨大な力を受け継いだ幼い女帝の気配を……。
「おーい。皆、大丈……なんじゃあ、こりゃああ〜〜っ!?」
ルシフェルが急いで仲間の元に駆け寄るなりレヴァイアと同じようなリアクションをしてみせた。今ラファエルを包んでみせた真っ黒な炎の出現は他の誰でもない彼女の仕業である。
「あ、ル〜ちゃんもビックリした!! だよね、ビックリするよね!? 俺もビックリしたもん!!」
やったー同士がいた! と、はしゃぐレヴァイア。そんな場合じゃないだろという相方バアルの冷ややかな視線にはどうやら気付いていないらしい。
「うわっ、うっわ〜っ! なんてことすんのよ、このド変態!! 許さないからな!!」
ルシフェルは怒鳴りながらラファエルの足元に再び真っ黒な火柱を噴出させた。だが、ラファエルはアザゼルを抱きかかえたまま、またヒラリと飛び退いて容易く炎をかわす。
まだ幼いだけあって実に力任せな攻撃だ。威嚇にしかならない。かといって甘く見ては文字通り火傷をするだろう。相手はあのサタンの娘である。ラファエルは唇を噛んだ。
魔王が全員揃ってしまった。これだけの傷を負って彼らと張り合うのは無謀というものだろう。
「チッ、今回はここまでだ……。分が悪い……!」
悔しくないと言えば嘘になる。だが急ぐ必要も無理をする必要もない。あっさりと判断を下したラファエルはアザゼルと共に音もなくその場から姿を消した。そう、敵将が戦場から姿を消したのである。これはとても大きな意味を持つことであった……が、察しの足りぬ幼い女帝は純粋に敵将を逃してしまったことに悔しがった。自分たちがひとまずの勝利を収めたことなど知る由もなかったのである。
「あ〜〜っ!! 逃げた〜!! セコイ、ズルイ、そんで変態クソヤロー!!」
ルシフェルはあらん限りの声を出して空へと怒鳴った。本当に腹が立ったのだ。自分の姿を見るなり逃げ出した敵将の態度がどうにもこうにも気に入らなかった。
「嗚呼、ルシフェル……。そんな酷い言葉遣いをしないでください……」
バアルがレヴァイアに抱きかかえられながら苦しそうにボヤく。
「そんなこと言ったってぇ〜……」
頬をふくらませてみせるルシフェル。だが敵将が去ったとはいえ、こんな風にフザケている場合ではない。
「カイン!!」
我に返ってルシフェルは地面に倒れ伏したまま動かないカインの元へと駆け寄った。
「カイン、起きて!!」
もう一度呼びかけ肩を揺さぶってみる。しかし返事は無い。まさかと思い首筋に手を当てる。……幸い、脈はある。良かった、どうやら気を失ってるだけだ。血を失い過ぎたのだろう。
「お〜い、ルシフェル」
レヴァイアが困り顔で頭を掻く。どうやらバアルも気を失ってしまったようだ。抱えられた状態で目を閉じグッタリとうな垂れている。
「上級天使は逃げちまったが、まだ雑魚がチマチマと残ってる。んだから俺がバアルとカインを手当てするから〜……」
そこまで聞いて、ルシフェルはレヴァイアの言いたいことが分かった。
「いいよ。アタシが雑魚を一掃しておく。レヴァ君は二人をお願いね」
レヴァイアなら二人を軽々と担ぎ一瞬で移動が出来る。怪我の治療も手馴れている。悩むまでもなくルシフェルはこの場に残る決断をした。
「おお、話が早くて助かるよ。悪いな、任せたぜ」
ニッと歯を見せて微笑むとレヴァイアはカインも腕に抱え、スッとこの場から姿を消した。
一瞬で訪れた静寂。人気の消えた乾いた大地にバアルとカインの流した血の跡だけが生々しく残る。全く、酷いことをするものだ。…………向こうもこっちをそう思っているだろうが。
とにもかくにも一段落である。ルシフェルは肩で深く息をつき、後ろへと振り向いた。
「アンタ、もう出てきてもいいんじゃな〜い?」
呼ぶと「はーい」という呑気な返事と共に物陰に隠れていたミカエルが姿を現した。
「はわわわ〜、もうヒヤヒヤしちゃったん!! 助かったよ、女帝ちゃん!! 良かったあ、バアルさんが無事で!!」
微塵も敵とは思えぬ至極眩しい笑顔。本気でバアルを応援していた、ということなのだろう。
「ん〜ん。アタシこそ助かった。アンタが嘘つきでなくて良かったよ、ホント」
「い、嫌だなあ……。僕って嘘下手だからダメですもん」
「天使だけに?」
「そうそう、天使だけに!」
「成る程ね、つまり悪魔は嘘が上手と言いたいのね!? そういうイメージで見てるのね!?」
「えー!? そんなこと一言も言ってないじゃないですかあ僕〜!!」
と、ここまで言い合ったところで二人はお互いの顔を見合い、ハハハッと笑った。
「それじゃ、みんな続々と帰り始めてるから僕もここらで天界へ帰ります。またいつか、今度は敵同士でなく普通に会いたいですねん。もち、こんな殺伐とした場所でもなく」
ミカエルが正に天使といった風な柔らかな微笑みを浮かべる。温厚な人柄が滲み出た表情だ。天使がみんな彼みたいな心を持っていたら良かったのにとルシフェルは思った。
「ああ、ラファエルに虐められたらいつでも堕天して魔界においでよ。大歓迎だからさっ」
悪魔らしく意地悪な笑みでもって手を振る。なんだか別れがたい。けれど引き留めるわけにはいかない。ならばこうして笑ってサヨナラするのが一番だ。
「そ〜んな縁起の悪い〜! それでは!」
苦笑いを一つ零し、ミカエルは音もなく姿を消した。
天使というと志も何もなくただ神に従う者たちだと思っていた。だが、大切な友の為に身勝手な行動は出来ないという思いやりの心で天に留まるミカエルのような者もいる……。
「さて、と……」
一人残ったルシフェルはなんとなく煮え切らない思いを抱きつつも雑魚一掃のために砂埃の中へと歩き出した。
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