【22:生温かい床】
「アンタね!! 真面目な話をしてるってのに煙草なんか吸わないでよ!!」
「ま〜じめな話だからこそ吹かしたくなるんだよ〜う」
デイズの苦情にバズーは頬を膨らませた。仕方が無いだろう、愛煙家の性だと。
「何が真面目な話だからこそよ。全くもう!」
デイズはレヴァイアに抱きかかえられてからの記憶が途切れていた。気がついたら見知らぬ城の一室、この白い大きなベッドの上に寝ていたのだ。それも身体中に包帯を巻いた上半身、裸の状態で。しかし胸に大きな傷を負っていたことが幸いして大事なところは包帯でちゃんと隠れている、心配ない。自分よりも早く目覚めていたバズーから「此処はバアルさんの城。治療はレヴァさんがやってくれたんだよ」と教えてもらった。だから後で二人でお礼を言いに行こうねと言い合った。胸を見られたことは別に気にしない。なにせ相手は街の女の子たち皆の憧れなイケメン魔王様である。イケメンならオッケー。むしろ、見てください。見てくれてありがとう御座います。そんな意気である。
そうして上機嫌な目覚めを迎えた後、親の仇を見つけたというバズーの話を聞いていたのだった。
「で、相手はヨーフィって名乗ったのね。そいつ超有名なクソガキ天使よ!! くっやしい〜!!」
ベッドに座ったまま足をジタバタ。相手への憎しみも然ることながら、デイズは何も出来なかった自分が悔しかった。
「……悪い。俺が弱かったから……。お前にも怪我させちゃったし。ホント、ごめん……」
デイズと同じ箇所に包帯を巻いたバズーが手に持った灰皿に煙草を押し付けボソボソと呟く。その表情にはいつもの元気が微塵もうかがえない。
「ううん。今回はアタシが悪かった……。今度またそいつに会えたら二人がかりで意気揚々とブッ殺してやろうね!!」
目を血走らせ、デイズは力強く拳を握った。
「おおぉ……。そ、そうだね!!」
姉の勢いに少し圧倒されつつ、バズーも拳を握った。だが、またすぐに表情を曇らせた。
「でも……、アイツ……」
「なに? なんか気掛かりなの?」
「うん……。なんか、寂しそうな目ぇしてたんだ。友達いないのかな……。俺を勧誘したのだって、もしかしたら……」
「バズー、何言ってるの! あんなヤツに同情することないわよ!」
顔を俯かせたバズーにデイズは腹の底から怒鳴った。
「そうか……。そうだよな……。あっ」
バズーは何か思い出したように顔を上げた。
「なによ?」
「ああ……。うん……。バアルさんとカインさん大丈夫かな? あんなに、血塗れで……」
気掛かりいっぱいなバズーである。
バズーとデイズが目覚めて間も無くのことだ。廊下の物音に気付いて顔を出した時に血だらけの二人を抱えているレヴァイアと鉢合わせたのである。
不安げな目で見つめる双子にレヴァイアは「大丈夫だよ」と笑ってくれたが、その笑顔はやはり普段のそれとは違って少し曇ったものだった。
自分たちも手伝うと言ったのだが「お前らも怪我してるんだから無理しないでいいよ。気にせず休んでて」と断られ、そうしてバズーとデイズが治療のお礼を言う間もなくレヴァイアは廊下の向こうへと姿を消してしまった。
あれからもう3時間ほど経った。
「……大丈夫だよ、きっと」
デイズはボソリと呟いた。
ただ疲れて眠っているだけに決まってる。それでも顔を見ないとどうにも落ち着かないのは、無事に帰ってきて当たり前と思っていた両親が帰って来なかったという悲しい経験のせいだろうか……。
「また、足手まといになってしまいましたね……。面倒かけて、すいません……」
これが、半裸で腹部と手に包帯を巻き、顔の化粧を落として素顔を晒したバアルの目覚め第一声だった。
普段なら絶対に見せることの無い姿。化粧の無い彼の顔は少女のように可愛らしい……。これは今となると当人とレヴァイアしか知らないことだった。バアルは他人にすっぴん顔を見られるのを酷く嫌がるのである。その詳しい理由はレヴァイアにも分からない。もういいじゃん気にすんなと何度言おうとバアルはいつも「こんな女々しい顔を人に見られるの嫌だ」「化粧しないとシャキッとしない」「つーか死ねる」等々、到底理解出来ない理由を並べて決して譲らない。
やれやれ。長〜い付き合いではあるがレヴァイアにとってこの相棒は本当にミステリアス極まりない。そう言うと向こうも「それはこっちの台詞だ」と返してくるわけだが……。
「やぁ〜っと気がついたかと思ったら……。お前なあ〜っ」
はあ、とレヴァイアは溜め息ついてコーヒーを啜った。レヴァイア自身は特に大きな傷を負っていなかったため、手当ての形跡は無し。バアルが自分ばかりボロボロな様を見てネガティブになるのも分からなくはない。しかし毎回のことだが彼のネガティブは少々、度が過ぎている。
「お前は足手まといになんかなってねえよ。むしろ色々と助かったさ」
「どこがですか……。所詮はこのザマ……! 情けない……!」
バアルはベッドに寝そべったまま自分の髪を悔しげにグシャリと握った。手に巻かれた包帯からじわりと血が滲む。自身の長い爪が手の傷を広げてしまったようだ。
あーあ、始まってしまった……。
レヴァイアが「止せよ」と華奢な腕を掴んでやめさせると、不服だったのかバアルは弱々しくも唇を噛んでキッと睨みを利かせてきた。自分の手を傷付けて何が悪い、とでも言いたげな目である。
「お前……」
レヴァイアは悲しくなってしまった。無理もない。相棒にこんな顔をされては悲しくもなる。
「なんでそう毎回毎回、自分ばっか責めるんだよ。お前はちゃんとやってるよ。何が気に食わねぇ?」
「全てですよ……。私がしっかりしていれば、カインだってここまで傷を負わずに済んだでしょう……!?」
バアルが悔しげに目を細めて隣のベッドを見やる。そこには包帯まみれでグッスリと眠っているカインの姿があった。うなされるでもなく気持ち良さそうに眠っている。とても大怪我を負った男の寝顔とは思えない。これも痛覚が無いせいだろう。
「ありゃ絶対ラファエルのセコイやり方のせいだって。お前は悪くないよ」
レヴァイアが柔らかい口調で慰める。だがバアルは首を横に振った。
「いいえ。私はまた……ルシフェルの大切な人を死なせてしまうところだった……!」
「なーに言ってんだよ、守り切ったじゃねえか」
「……しかし、貴方があの時来てくれなかったら、確実に殺されていたはずです……」
全く、ああ言えばこう言う。レヴァイアは歯を食いしばると荒っぽくコーヒーカップをテーブルに置き、掴んでいたバアルの腕をポイと投げるように放した。
「レヴァイア……?」
俯きがちだったバアルが目をキョトンとさせて顔を上げた。それに合わせるようにレヴァイアはヒョイとそっぽを向く。反抗の意思表示、というヤツである。
「なんでもかんでも一人で背負い込みやがって! そんなゴチャゴチャ言うようなヤツ嫌いだ!」
言い切ってレヴァイアは破裂するんじゃないかというくらい頬を大きく膨らませた。
「いや……あの……。レヴァ君〜っ」
呆気にとられたバアルである。
「うっさいな〜! もう知らない! 俺にだって責任あるのにさ。自分ばっか責めてイジケるヤツなんか知らないっ!」
「じゃあ……今回は貴方も悪い」
こう言ってみるしかないのだろうか――戸惑い混じりにバアルが呟くと不貞腐れていたレヴァイアがそれはもうスイッチが入ったようにガクンと肩を落としてみせた。
「はい……。俺も悪いッス……」
「貴方ねえ〜……」
そうして思わず苦笑いを浮かべてしまったバアルを見てレヴァイアがニッと微笑む。
「だから自分ばっか責めるな。みんなを守ってるのはお前だけじゃねえぞ。俺をハブんじゃねってんだよ」
「レヴァ君……」
曇っていたバアルの表情に笑みが戻った。無茶苦茶な言い方ではあったが、それも彼なりの思い遣り。笑わせようとしてくれたのだろう。
そうだ、そうだった。確かに、皆を守っているのは『私』ではなく『私たち』である。
バアルはサタン亡き後で気負い過ぎていたことを自覚した。
「……ありがとう」
呟き、バアルは枕に頭を深く沈めた。
「えっ、なにが?」
本当は分かっているけど、と暗に言ってるような笑顔を返すレヴァイアであった。
そして彼は一応解決と判断し、バアルに背を向けて部屋の隅にあるタンスの中を物色し始めた。バアルとカインの二人に何か服を出してあげようと思ったのである。二人の着ていた服はあまりにも血みどろだったので現在クリーニング屋さんにて洗濯中なのだ。
背中に、王の視線を僅かだが感じる。
分かっている。バアルが弱みを見せるのは今や自分一人の前でだけ。愚痴やら弱音やら延々言われると腹も立つが、反面少し嬉しい気持ちもある――。
一方バアルは相方がそんな風にほくそ笑んでいることなどつゆ知らず。身体中の傷が疼き始めたために大人しくしていようとベッドに深く寝そべった。そして乱れた前髪を何気なく掻き上げたその時、彼はある『違和感』を覚えて目を見開いた。
「あれ〜? ……あの、レヴァ君。私の化粧、落としました?」
「へっ?」
バアルの問いかけにレヴァイアは顔を上げた。
「ああ、顔が血塗れだったから落としちゃったよ〜」
軽〜いお返事。しかしバアルにとって化粧を不用意に落とされたことは人生を揺るがす大問題。正に顔面蒼白である。
「なななななななんてこと〜!! だったらそんなことしていないで早く私の化粧品持ってきてくださ〜い!! 服なんてどうでもいいから化粧品〜!!」
弾かれたように上半身をベッドから起こしてバアルが声を張り上げる。動揺を隠す余裕も無いようで……普段、滅多に取り乱さない彼の貴重なお姿。冷徹なる王とは名ばかりに実はとっても表情豊かな王様である。
「え〜!? お前の化粧品いっぱいあるからどれ持ってくればいいのか分かんないよ〜」
「どれでもいいから、とにかく一式持ってきてー!! だって隣にカイン君がいるんですよ!? 起きちゃったらこの顔見られてしまうじゃありませんか!!」
「いいじゃん別に」
素っ気なく答えてレヴァイアはまたタンスに向き、服をゴソゴソと探り始めた。
「そんな冷たい……。私にとっては死活問題なのに……」
かといって自力で取りに行く元気も無し。このボロボロの両手で化粧するのも億劫か……。諦めついてバアルは再びベッドに倒れ込んだ。
「死活問題? なんで?」
服を見定めながらレヴァイアが問う。
「それは貴方……。こんな女々しい顔を見られてしまうなんて嫌ですよ」
「な〜んだそんなこと〜。大丈夫! 化粧してても誤魔化せてねえから」
「テメェ、ぶっ殺すぞ……!」
バアルのドスを効かせた低い声にレヴァイアは思わずピタッと身体を硬直させた。本気で彼を怒らせたら大変だ。からかうのはこの辺でやめておこう。
「ま、まあまあ。はい、コレ」
笑顔で誤魔化し、レヴァイアはメソメソ嘆いているバアルの腹の上にポンッと服を置いた。
「グスン、グスン……。あっ、どうもありがとう御座います」
「どう致しましぃ。カインの服はここに置いておくから、起きたら渡してやって」
言って服をテーブルの上に置こうとしたレヴァイアだったが、「もう起きてる」と答えた小さな声に気付いてカインに目を向けた。
気のせいではない。今、確かに聞こえた。寝ているとばかり思っていたカインの声が。
「カイン、目ぇ覚めたんか?」
ひょいと顔を覗き込む。すると気配を察し、カインはゆっくりと目を開けた。少し不機嫌そうな顔である。いや、ただ目付きが悪いだけ。いつもの顔だ。
「あんだけ隣で騒いでりゃ誰だって起きるっての……」
言いながらカインはおもむろに上半身を起こし、豪快にあくびをしながら髪の毛をボリボリと掻いた。
「アハハッ。どうもすいません」
笑って誤魔化すバアルである。
「あ、この包帯レヴァイアやってくれたのか?」
カインは自分の布団の上に「どうぞどうぞ」と衣服を置いてくれたレヴァイアを見やった。
「ああ、うん。悪いけど身体も勝手に拭かせてもらっちゃったよ〜」
なんのこたないさとばかりに軽く答えるレヴァイアである。
「そっか、ありがと…………うおおおおおお〜〜っ!?」
布団を捲りかけてカインは盛大な悲鳴を上げた。何事かとレヴァイアが目を見開く。
「ふふふ……服〜っ!! 俺の服は!?」
「えっ? 洗濯屋さんだけど……。だって血塗れだったから」
パチクリパチクリ瞬きをしながらレヴァイアが答える。
「なんだと!? えっとじゃあ……下着、は……?」
「だから洗濯屋さん。下着まで血でびっしょりだったから」
「……って、ことは……見たの!? 見ちゃった!?」
「え? ……ああ〜、うん。だから身体勝手に拭かせてもらったって言ったじゃん」
カインにとっては大問題だが、レヴァイアはだからなんだと言いたげな口調である。
「……見られた……」
なんかショック……。と、いうことでカインはガックリ肩を落とした。
「だって包帯巻き難いしベッド汚れたら困るしさ〜」
「そりゃそうだろうけど……」
「つか、お前ってあそこの毛も真っ白なのな」
「真っ白って言うなーッ!! 観察してんじゃねーよ馬鹿!! 全身の色素全部吹っ飛ぶくらい苦労したんです放っておいてくださいッ!!」
「アハハハッ。そんだけ元気よく喋れれば大丈夫だな。良かった良かった」
全く僅かも悪びれないレヴァイアであった。
「良くない!! 全然良くない!! つか、アンタ!! アンタなぁ、笑ってるけど自分はどうなんだよ、自分は!!」
隣でバアルが肩を震わせて笑いを必死に堪えていることに気付いてしまったカインである。
「私? 私は戦争の度に大怪我しちゃうんでね。ぶっちゃけ慣れました。貴方も慣れなさい」
このあっけらかんとした答えにカインは「慣れッスか、そうッスか……」と溜め息をついた。
「そもそも男同士でそんなん気にする必要もないでしょう」
「まあ……うん……。顔に似合わず男らしいな、アンタ」
「ありがとう、よく言われます。ちなみに私はあそこも銀髪です。見ますか? ちょっと薄いけど」
「なんの豆知識だよ、それ!! 見せんでいい見せんでいい!!」
なんかもう、酷い会話である。ルシフェルの無垢な目が無いとこんなにも言いたい放題なわけだ。普段の紳士面は嘘かよ……とカインは思った。
「あはははっ、あ……。俺こんなことしてる場合じゃなかったっ!」
レヴァイアが突然何かを思い出したように手をポンッと叩いた。
「はい?」
「ぁあ?」
バアルとカインが一斉に目を向ける。
「ああ、うん。お前らもう目ぇ覚めたことだし大丈夫だよな? 俺、ルシフェル迎えに行かなきゃ! アイツ、帰り道とか分からないだろうし」
途端、バアルはハッと我に返った。そりゃあもう、一番忘れちゃいけないものを忘れていたわけであるからして……。
「まずい! あれから何時間経ってます!?」
「えっと、……3時間は、経ってる、かも……?」
自分で言いながらレヴァイアはサーッと青ざめた。
「うわぁぁ……、まずい、ヤバイ。怒ってるかもしれませんね……」
「なんだ、アイツまだ帰ってきてなかったのか」
焦る魔王二人とは対照的に呑気な構えのカインである。
「レヴァイア、俺も行こうか?」
「え〜っ、いいよ。だってカイン怪我治ってないしスッポンポンじゃん。それはそれでル〜は喜ぶかもしんないけどさあ」
「馬鹿か!! このまま行くわけねぇだろッ!!」
「ヒヒヒッ。とにかく今は大人しくしてなって。あんま怒鳴ると傷が開くぞ、カイン。じゃあ俺、行ってくるから」
悪戯っぽく笑って、しかしレヴァイアは万が一のことを考えてか部屋の隅に置いておいた愛用のフレイルをひょいと持ち上げた。
「あ、そういえば……。レヴァイア、あのデイズとバズーのおチビちゃん二人はどうしました?」
バアルがふと思い出したようにレヴァイアに問いかける。
「ああ、一番右の部屋にいるよ。結構怪我しててな。俺いなくなるから面倒見てやってよ」
「分かりました。では後は私に任せて」
「ん。じゃーな!」
バアルが頷いたのを確認するとレヴァイアは手を振ってその場から音もなく姿を消した。
途端にシンと静まった部屋。
「…………さて……と」
うるさいのがいなくなって良かった、といった感じでバアルはレヴァイアの用意してくれた服に手を伸ばした。
「あっ、バアル……」
ふと、罰が悪そうにカインはバアルに目を向けた。……言わなければならないことがある。非常に言いづらいことだ。しかし言わなければ収まらない。
いつ言おういつ言おうとずっとタイミングをうかがっていたのだ。今がその時であろう。
バアルが服を掴もうとしていた手を止め「はい?」と朗らかな笑みで振り向く。彼のことだ、カインが何を言おうとしているのか既に察しているかもしれない。
「あ……。手ぇ大丈夫か?」
「えっ? ああ、全然大丈夫ですよ。指輪沢山つけていたんで上手くガード出来ました」
言うとバアルは「ほらね、大丈夫」とばかりに両手をグーに閉じたりパーに開いたりして見せた。
「ああ、うん……。そんで……、まあ……、今回はホントにありがとな。あと、ゴメン。俺のせいでそんな怪我させちまって……」
気まずい、とっても。なにせハッキリと口に出すのが苦手なカインである。頭の隅で「人にお礼を言うなんていつ振りだろうか」と考え巡らせたが心当たりがパッと浮かばない。それくらい滅多に御礼も謝罪も口にしない男なのだ。
「ハハッ。いえいえ、そんな」
まるで反省した悪ガキを微笑ましく見るような心境のバアルである。
「俺が、弱かったから……。アンタにそんな怪我させることに……」
カインは顔を俯かせてシーツをギュッと握り締めた。
戦い慣れていなかった、身体が牢獄にいた時と違った、あの槍は反則! と、言い訳はいくらでも浮かぶ。だが、それがどうした。何もかも自分の責任であることに変わりは無い。
正直、こんな気持ちになるくらいなら自分がもっと怪我した方がマシだった。最悪、死んでも構わなかった――――などと、身体を張って守ってくれたバアルには申し訳なくて口が裂けても言えないが、しかし、それが正直な思いだった。
包帯まみれのバアルを見て、痛みなど感じなくなったはずの胸がズキズキと疼く……。直接的な痛みじゃないぶんタチが悪い。
これがカインの唯一感じる『痛み』である。
よりによって、どんなにむず痒くても掻き毟ることの出来無い場所に痛覚が残ってしまった。
「ああ……。これは私が勝手に怪我をしたんです、気にしないでください」
バアルはニッコリと目を細め、カインの肩にポンと包帯だらけの手を優しく置いた。
「カイン、貴方は弱くなんかありませんよ」
お世辞ではない。実際カインはとても人間とは思えぬ力を発揮してくれた。弱いだなんてとんでもない話である。それに、気を失わなかったのが不思議なくらいなのだ。あのラファエルの一撃は心臓こそ外したものの急所を確実に抉っていた。挙句に槍を引き抜く際ラファエルはカインの背中を縦にバッサリ切り裂いて脊髄を完全に破壊していた。にもかかわらず、カインは立ち上がろうとしていたのである。自分がどれほどの重傷を負ったかも知らずに、まだ戦おうとしていた……。そんな男をどうして弱いと言えるだろうか。
「あれはラファエルがずる賢かった、それだけのこと。どうか悔やまないで」
しかしバアルにここまで言わせてもカインは顔を上げなかった。ただただ俯いて眉間に皺を寄せているその様は「俺のせいだ、俺のせいだ……!」と声にならない声で叫んでいるかのようである。
「カイン、私が勝手に飛び出して勝手に怪我をしたんです。貴方が気を病む必要はないんですよ」
バアルは尚も優しげに微笑む。これは彼の本心だった。全ては自分の余計な行動と力不足が原因。カインが落ち込む必要は、無い。
「でも……!」
カインにはとても「そうだね」などとは言えなかった。
やれやれ、人のことは言えないが彼もまたなかなかの頑固者である。バアルは深く溜め息をついた。
「カイン、貴方が私に謝る必要があるとすれば……、それは移動前に私の耳を引っ張ったことですよ」
「ぅえ!?」
ドキッとしてカインは素早く顔を上げた。その慌てっぷりを見てバアルがニヤ〜ッと笑う。
そう、バアルはしっかり根に持っていたのだ。戦地に移動する際、好奇心にかられたカインに耳をグイッと引っ張られたことを……。
「あれはねぇ……ラファエルにやられた傷なんか比にならないくらい痛かったんですよ〜。脳みそが耳から出ちゃうかと思うくらい頭にズキーンと響きました、は〜い」
バアルが目を異様にギラつかせた恐〜い笑みでもってカインに迫る。
「あ、あの……、その節はどうも……、すいませんでした……」
恐怖したカインは柄にも無く敬語を使って頭を下げた。
「謝ればよしです。その言葉に免じてツケは全てチャラに致しましょう。さっ、顔を上げてください」
「いやっ、あの……う〜っ……」
バアルに言われ、カインは仕方なく顔を上げた。なんか、よく分からないうちに無理矢理解決させられてしまった……。
(これでいいのだろうか……)
カインは心の中でしんみりと呟いた。
「いやあ今回の怪我なんて軽いもんですから。な〜にせ昔はお腹から内臓をズルズルッと引き摺り出されたこともあるくらいですからね」
あれは自分の身体ながらグロかったと笑うバアル。一方カインは「全っ然笑えねえ〜っ!!」と心の中で叫んだ。
グロ話なら誰にも負けないと思っていたカインではあるがバアルに優しい笑みで話されると、なかなかゾッと来る。流石は魔王。一枚上手であった。
「アンタね……」
カインは力無く呟いた。その反応が面白かったのかバアルがまた笑う。
「あははは。いやあ、長いこと戦ってると色んな目に遭うものです。あっ、ところでカイン君」
「……ん?」
「私は貴方のことをてっきりクールな方だと思っていたんですけど……、実はとっても明るい方だったんですね」
「えっと……、そいつぁどういう意味だ?」
いやホントにどういう意味なのだろう……。カインが戸惑っているとバアルはまた肩を震わせて笑った。
「失礼、なんでも御座いません。さーて、もう一眠りしようかな〜っと」
言うだけ言って満足気にバアルはベッドへ深く身体を沈めた。
(そりゃクールも崩れるさ。紐無しバンジーさせられるわなんだわって……)
いやはや、全くスリリングな一日であった。
「おやすみっ」
言ってカインはバアルと同じくベッドに身体を沈めて目を閉じた。が、ふと思い出したように目を開けた。
「なあ、バアル」
視線は天井に向けたまま、カインは静かに呼びかけた。
「なんです?」
「いや、大した用じゃないんだけど……。アンタ化粧してないとホントに女みたいだな〜と思ってさ。ずっとすっぴんでいればいいのに勿体ねぇな〜……………………あれ?」
返事が、無い。
見ると、バアルはまるで顔を隠すように寝返りを打ってカインに背中を向けていた。
「……それは言わないでください。グスン……」
視線を感じたのか物凄く落ち込んだ声が返って来た。
「なんだよ、褒めたのに……」
「褒めてない、それ褒めてない……」
フルフルと首を横に振るバアル。「すっぴんのが可愛い」は最強の褒め言葉だと思っていたカインにとって、この反応は意外そのものであった。が、これ以上の追求はしないことにした。ラファエルに向かって怒鳴り散らしていた、ドスのきいたバアルの声がまだ耳に残っていたからである。
あれは、迫力があってなかなか恐かった。
(バアルは怒らせないほうがいい……!)
カインが今回の戦争で一番強く学んだことである。
そんなこんなで会話は自然と途切れ、やがて二人はそのまま静かに寝息を立て始めた。
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