【24:君に向けて紡いだ言葉】


「ああ〜っ、疲れた〜! さっすがに俺疲れたよ〜〜っ!!」
「はいはい、今日は本当にお疲れ様でした。レヴァ君、一番頑張ってくださいましたからね」
「そーだろ、そーだろー!? もっと労ってよ〜!!」
 先程までバアルが寝ていたベッドにレヴァイアは大の字にグッタリと寝そべり、溜め息ついでに煙草の煙を盛大に吐いた。やっと迎えた至福の時間。仕事後の一服は美味い。
 いやはや本当にお疲れもお疲れだ。ルシフェルを抱えて城に戻ってきた彼はグッスリ眠ってる彼女をそっと隣の部屋のベッド寝かせつけると、やり遂げたとばかりにバアルたちのいる部屋へ入るなりバタンとベッドに倒れ込んだのである。頑丈な魔王といえど一日中バタバタと走り回っていたのだからダウンするのも無理はない。
 一方相方のバアルはというと安静にしていたことと魔王としての異常な回復力で既に身体の傷は殆ど癒えていた。まだ一応身体に若干の気怠さが残っているために格好はラフそのもの。半裸の包帯姿で座椅子に腰掛けながら紅茶片手に読書と完璧なリラックスモードである。ちなみにカインは未だベッドの上でグッスリと熟睡中だ。静かな寝息だけを漏らしピクリとも動かない。
「……コイツよく寝てんな。ずっとか?」
 レヴァイアもカインの熟睡具合に気付いたようだ。
「ええ。まるで電池が切れたようにずっとこのまんまです。よく寝る子だ。相当疲れたんでしょうね」
 一度は目を覚まして「全裸は落ち着かない」とかボヤきながらズボンをモゾモゾと穿いていたが、それっきりだ。カインはすぐまた眠りについて、それっきりこの通りピクリとも動かなくなった。どんなに身体を酷使しても浅い眠りにしかつけないバアルには少し羨ましい姿である。
「ところでチビたちは? なんか面倒見てやった?」
 疲れたと愚痴りつつ周りに気を配るのがレヴァイアの良いところだ。
「ああ、目覚めてちょっと経った頃に様子を見に行ったんですけど、二人とも静かに寝てましたよ」
「え〜!? アイツらもまだ寝てんの!? 若いっていいなあ〜」
「貴方も精神年齢は若いのにねえ。それにしても貴方ルシフェル迎えに行っただけなのに随分と帰り遅かったじゃないですか。何かあった?」
「ん? ああ〜、ちょっと、ね……」
 新しい煙草に火をつけ、天井を見据えたままフーッと煙を吹きながら答えるレヴァイア。しかしバアルは彼の濁し方に何か感じるものがあった。
 長い付き合いだ、彼が何か誤魔化そうとしていることなどすぐに分かる。
「もしかして、もしかすると、ルシフェルを泣かせた?」
「……えっ!?」
 先程までボーッと天井を眺めていたレヴァイアが背中を針で突かれたように飛び上がってバアルの方に振り向く。隠し通す気でいたがズバリ正解を言われて思わず素直に反応してしまったのだ。
「な〜んで分かったの!?」
「貴方が素直にものを言わない時は余程マズイことをした時くらいですから。成る程、泣かしたんですねえ〜」
 恐いくらい爽やかな笑顔を湛えるバアル。レヴァイアの背中にヒヤリと冷たい汗が流れる……。
「いや……あの……、意地悪したわけんじゃないよ、ちゃんとわけ有りなんだよ〜っ」
「ふぅん……。じゃあそのわけを聞かせてください。場合によっては……テメェのその熱い熱い煙草の火種を胸に押し付けんぞ」
 低い声で言うとバアルは手に持っていた本を静かに閉じた。
 これは、マズイ。
 根性焼きは嫌だとレヴァイアは慌てて煙草の火を消そうと上半身を起こした……が、残念ながら間に合わず、赤々とした火種を湛えた煙草をいとも容易くバアルに奪われてしまった。
「煙草を消しても解決しませんよ。貴方がまだこんな長い煙草を消そうとするなんてビックリ。そーんなに何があったか言いたくないんですか?」
 不気味な笑みでもってバアルがレヴァイアの顔を覗き込む。バアルがこんなに目をギラギラ光らせている時は本当にマズイ。
「っごごごご、ごめんなしゃいっ! 違います! 断じて違います!」
 レヴァイアは両手をパタパタ振って必死にこの場を誤魔化そうと試みた。だが、効果はなかったようだ。バアルは目を更にギラつかせてしまった。
「何が違うのかなァ、レヴァ君。女ァ泣かせといて無事でいられると思うなよ。ぁあ!! 分かってんのか!?」
 端正な顔を歪めた挙句にガラの悪い言葉を吐きながら、バアルは奪った煙草を口に咥えて煙を吐いた。バアルが珍しく煙草を吸う時は気まぐれが少々、あとの殆どはもっぱらイライラしている時である。今は明らかに後者だ。どうにもこうにも可愛い妹分であるルシフェルを泣かしたということに憤激しているらしい。
 このままでは本当に怪我させられてしまう。レヴァイアは恐怖のあまり、ついに口を開いた。
「じゃあ〜……言うよ。実はな……、俺はさっき、心に傷を負って悲しみに暮れていたアイツをこの胸に強く抱いたのサ」
 何を思ったか、前髪を軽く手で掻きあげ気取った風に報告するレヴァイア……。冗談めかしてこの場の空気をなだめたかったのかも分からないが、逆効果だったようだ。バアルは無言のまま手に持った煙草をレヴァイアの大きく開いた胸元へ押し付けにかかった。
「キャー!? やっ、やめてー!! 嘘です、冗談です熱いのは嫌いです許してえー!!」
 上擦った声で訴えてレヴァイアはバアルの腕を掴み迫り来る小さな灼熱をギリギリのところで止めた。
「へぇ〜、こんな時に冗談言うんですね〜。そっか、そっか〜。……死ね、クソガキ!!」
 制止もなんのその、バアルは尚も煙草を押し付けようと腕に渾身の力を込める。
 と、その時であり。二人の横から「お前らうるせぇよ」と冷めた声。見ると不機嫌そうに頭をボリボリ掻きながらカインが上半身をのっそりと起こしていた。二人が大騒ぎしていたせいで目が覚めてしまったのである。
「ほ、ほらっ!! バアルが騒ぐからカインが起きちゃったじゃん!!」
「人のせいにするんじゃありません!!」
 腕に力を込めたまま口論をする二人。その様子を見ているカインの目は冷ややかだ。
「アンタら何やってんの?」
 レヴァイアが服を洗濯屋へ持っていく前に気を利かせて抜いて枕元に置いといてくれた煙草に手を伸ばしながらカインが二人の顔を順に見やる。
「バッ、バアルが俺を襲ってくるんだよ〜!! 助けてカイ〜ン!!」
「あっ。俺のジッポ、オイル切れてんじゃん……。レヴァイア借りるぞ」
 叫ぶレヴァイアの声を耳に入れず、カインは彼のジッポを勝手に使って煙草に火をつけた。
「……で、なんだっけ? なんか言った?」
 プハ〜ッと煙を吐きながら改めて二人の顔を順に見やるカイン。良い意味でも悪い意味でも目上の者に媚びない男である。
「カイン……! 聞いてくださいよ……。このクソガキ、あろうことかルシフェルを泣かしたらしいんです!」
 腕に力を入れながらバアルが語気を強めた。
「ぁあ? 泣かした? おい、レヴァイアどういうことだよ」
 呑気に構えていたカインの表情が一変した。目付きの悪い彼は眉間に皺を寄せると一気に凄みが増す。
(敵が、増えた……)
 ガックリと肩を落とすレヴァイア。その様子にバアルが煙草を持った手を引き、ソファーへ深々と腰を下ろした。もうレヴァイアが観念したと見たのである。
「言わなきゃ……、駄目ッスかね?」
「当然だ」
 レヴァイアの問いにバアルとカインが揃って頷く。
「う〜……っ、恥ずかしいんだけどなあ〜……。しょ〜がないなあ」
 気まずそうに頭をボリボリと掻いた後、レヴァイアは正直に先程の出来事を語った。



 ――どれくらい寝ていたのだろう?
 ルシフェルはゆっくりと起き上がり、窓の外を見た。月明かりが暗くなっている……。と、いうことは少なくとも5時間はグッスリ寝てしまったようだ。そして軽く室内を見回すと、真正面の棚の上に置かれた装飾美しい時計がルシフェルの予想ピッタリだったことを無言で告げてくれた。
 しかし、戦争が終わったばかりでまだ気持ちが動揺しているのか、どうにも時間が経ったという実感が薄い。まだ外に出たら戦火が広がっているのではないかとさえルシフェルには思えた。
 だが、確かに自分の手で後片付けをやったのだ。命を落とした仲間を火葬し、旅立ちのはなむけとした。……今日の戦争はもう終わったのだ。
(あ、そういえば――)
 我に返るなりルシフェルの頭の中に様々な思いが過ぎった。
 まずバズーとデイズの二人はどうなったのか、無事でいるだろうか。その後レヴァイアを探してお礼を言わなくてはならない。好き勝手に喚き散らして糸が切れたように眠ってしまった自分を此処へ運んでくれたのは間違いなく彼だ。そしたらそしたでバアルに話がある。それからカインに――――
(カインに? カインには、なんだろう……)
 なんでもいい、とにかく顔が見たい。
 ルシフェルはベッドに腰掛けて考えを整理した。此処は見慣れたバアルの城の一室だ。きっとみんなもこの城のどこかにいるはず。
 耳を澄ますと微かに壁の向こうから喋り声が聞こえた。声からしてレヴァイアとバアルとカインである。隣の部屋にて野郎三人で何か大いに盛り上がってるようだ。
 はて、この中に割って入って良いものだろうかとルシフェルは少し躊躇した。だが、今行かなければどうにもならないと自身に活を入れて靴を履き立ち上がる。
(言わなくちゃ。ちゃんと今までのことを謝って、これからは素直になるって言わなくちゃ。でも……、言いにくい〜っ!! けど言わなくちゃいけないんだから言うんだ!! 勢いに任せればなんとかなる。そうだ、なんとかなるっ!!)
 一人頷きルシフェルがドアを開けて廊下へ出ると、微かにしか聞こえなかった男たちの賑やかな声がよーく響いてきた。一体なんの話でそんなに盛り上がっているのだろう……。いきなり部屋に飛び込む勇気のなかったルシフェルはその場で聞き耳を立てた。
「私はなんだかんだでメンソールが好きですね。喉がスースーして気持ちいいんですよ」
 これはバアルの声だ。
「え〜? メンソールって最近出来たばっかだし、ハッカ菓子みたいなもんでしょ。煙草としちゃ邪道だよ、邪道」
 この陽気な声はレヴァイアである。
「ふぅん、メンソールね。俺はまだ吸ったことないな」
 冷めたこの声はカインだ。
 まさかルシフェルは聞き耳を立てているなど夢にも思わず、今日一日の仕事を終えた彼らは呑気に煙草とコーヒー片手にティーン・エイジャーが口にするような話題で盛り上がっていた。
「ではカインも一度口にしてみてはどうです? 私はルシフェルに貰ったのを吸ったらハマりましてね。って、レヴァ君。邪道とはなんですか、邪道とはっ」
 バアルは自身のお気に入りである長細いメンソール煙草を咥えてレヴァイアをチラリと見やった。普段は貰い煙草が好きで貰ってばかりのバアルだが、極稀にこうしてちゃんと自分の煙草を手に取る。
「そんなスースーするヤツなんか煙草じゃないやいっ」
 普段バアルに対しては弱気一辺倒なレヴァイアが珍しく強気に出た。どうやら煙草に関してはこだわりが強いらしい。普段自分の煙草を半ば強引に奪っておきながら結局はメンソールが一番だと言われて若干腹を立てているようにも見える。そんなにスースーしたのが好きなら俺の煙草を吸うな、ということだ。
「ほほ〜う。じゃあ、俺のは?」
 やり取りを聞いていたカインが横から口を挟んだ。
「え〜……、カインのは弱すぎて味しないからどうにもなあ〜」
「ああ、そう……。俺はお前のが強すぎて味しねぇよ」
 弱い、という言葉にちょっとカチンと来たカインである。しかしなんだかんだでこの煙草が自分にとって一番美味い。自分が美味しい、これが一番! と、すぐに立ち直ることも忘れない。
「だってさぁ、今まで色んなの吸ってきたけどみ〜んな弱くて駄目だったんだよね。やっぱ俺はコレだなあ」
 言ってレヴァイアは煙を吐くと灰皿に短くなった煙草を押し付けた。男三人で何時間も煙草片手に語らっているため、既に灰皿には吸い殻が山のよう。しかしその半分以上がレヴァイアのものである。そしてとことんチェーンスモーカーの彼は今また新しい煙草を口に咥えて火をつけた。休みなし、である。
「も〜っ、少しは控えなさい。まったく一時間と禁煙出来ないんだから。貴方の御蔭で私の城がヤニ臭い」
 バアルが怪訝そうな顔でもって注意を促す。自分も少しは吸うが、とてもレヴァイアの比ではない。彼のチェーンスモーカーぶりは同居していて目に余る。
「お前がそう言うからたま〜に消臭剤バラ撒いて臭い飛ばしてるじゃ〜んっ。大目に見てよぉ〜っ」
「んなもん意味ないくらい延々吹かしてるクセに……。そうだ、今度ムリヤリ禁煙させてみましょうか」
「へ? 冗談っしょ……?」
 禁煙、という言葉にレヴァイアの顔が一気に青褪めた。
「至って本気です」
 こうしてバアルが真顔で本気、と言う時は本当に本気である。よってレヴァイアは血相を変えて俊足でガシッとバアルの腰に両腕を回し、縋り付いてみせた。
「なんですか。離さんか、ボケ」
 何しやがるとばかりにレヴァイアの額を手のひらでグイッと押しやるバアル。しかし必死も必死なレヴァイアは腕を離さない。
「離しません!! ボクは離しません!! 強制禁煙宣言を撤回してくださるまで離しません!!」
「ええい、暑苦しい!! 気安く触るでない、私を誰だと思っている!!」
「そ、それはもう偉い偉い王様、大魔王様、バアル様だと思っておりまする〜!!」
 額を押しやられ首を後ろに反らせながらもレヴァイアはバアルに必死で食らいつく。それだけ煙草好きな彼にとって禁煙強制なんてことは死活問題なのだ。
(コイツらホント仲良しだよなあ……)
 なんかじゃれ合い染みたことを始めた魔王二人を見て心の中でボソリ呟くカイン。と、その時、不意に足音が壁の向こうに聞こえた気がした彼は視線をじゃれ合う二人からドアへと移した。
 カインが気付くくらいだ、魔王二人も当然気付く。
「このやろっ」
 これで終いだとばかりにバアルはレヴァイアの額を手のひらで強めに叩いて退かせた。……バアルによる強めの平手だ、衝撃でバランスを崩したレヴァイアは後頭部をベッドの縁に強打して「イダッ!!」と短い悲鳴を上げた。だが、それ以上食い下がることはなく彼は強打した後頭部を擦りながら大人しく身を起こした。何故なら部屋のドアが開き、足音の主ルシフェルがひょいと顔を出したからである。
 男三人が会話を止め、一斉にこちらを向いたこの状況。ルシフェルは突入のタイミングを見誤ったと思い、言葉を詰まらせた。しかし、そんな心配は無用とばかりにバアルが微笑みかける。彼のことだ、ルシフェルが気まずさを感じたことなど軽く見通したのだろう。
「おはよう御座いますルシフェル。よく眠っていましたね」
 先程までの崩れた表情は何処へやら、朗らかに微笑むバアル。その微笑みはルシフェルの顔を綻ばせるに十分な優しさを持っていた。
「うん、おはよ。って、あれれ? なんかバアル可愛いんだけどっ!」
「可愛い?」
 ニッコニコ笑うルシフェルに首を傾げるバアル。なんか可愛いと言われても反応に困る――と、その時バアルはとてもとても大事なことを思い出して顔を青くした。
「ああああああ!! そういえばスッピンのままだった!! しまったー!!」
 いやはやリラックスし過ぎていたようだ。素顔を晒していることなどすっかり忘れていた。大失態である。ゆえにバアルはルシフェルの前にもかかわらず両手で頭を抱え派手に動揺してみせた。余裕が僅かもなかったのだ。それだけ彼本人にとって素顔を見せるというのはどうにも耐え難いことなのである。
「女の子みた〜い。わーいバアルのスッピン顔、初めて見ちゃったー。かっわい〜い!」
 可愛い、という言葉がバアルにとって褒め言葉でないことはルシフェルもよく知っている。彼の性格を思えば容易に分かることだ。それでも初めて目にした彼の素顔は正直言って可愛いの一言でしか表すことが出来ないほど、そして正直な感想をオブラートに包むことなどすっかり忘れてしまうくらい本当に可愛らしいものだったのである。
 しかし可愛いと言われると喜ぶどころかメンタルにダメージを受けてしまうバアルはやっぱりルシフェルの言葉に逐一痛みを感じ、胸を押さえて眉間に皺を寄せてしまった。
 バアルもこれがレヴァイア相手なら遠慮無く殴るなりしてムリヤリ黙らせることが出来るのだが、まさかルシフェルを叩くわけにはいかない。兄として、ここは我慢である。
 一方カインは呑気に笑っているルシフェルを見て首を傾げていた。
(コイツすっごい落ち込んでると思ったのに元気じゃん。どういうことだ? 空元気か?)
 想像と違う。荒れ地にてレヴァイアの胸で散々泣き、もう苦悩は綺麗サッパリ振り払ったのだろうか。いや別に然程心配などしてはいないが、一応は女帝の機嫌が気になるカインである。と、その時、ルシフェルとカインの目がパッタリ合った。
「あ……。カイン、怪我は、大丈夫?」
 ちょっぴり思い出したように、しかし心配そうな表情でもってルシフェルはカインに尋ねた。
「ああ、大丈夫。もう治った」
 簡潔に答えて頷くカイン。ルシフェルは続けて質問を投げかけようとしたが、やめておいた。本当に大丈夫かと念押して聞いたところで痛覚の無い彼は大丈夫と言い張るに決まっている。
「ん、大丈夫ならいいや。あっ、レヴァイア、さっきは、その……、ありがとね!」
「いえいえ、それほどでも」
 可愛いルシフェルの不器用な感謝の言葉に先程強打した後頭部を擦りながら笑顔を返しつつ、レヴァイアは内心ニヤリと笑った。いつもならこんなレヴァイアの様子を見れば「頭、どうしたの?」と興味津々に詮索を開始するルシフェルがどうしたことか今日は何も言わない。
 つまり、それどころではないのだ。
 どう見てもあからさまに落ち着きが無い。「どうしよう……。どうしよう……」という心の声が直に聞こえてくるようである。
 実際本当にルシフェルは今すぐにでも始めたい話を上手く切り出せず「なんか言い出せないなぁ……。どうしよう……」と、考えあぐねていた。
「ルシフェル、どうかしましたか?」
 落ち着かない様子のルシフェルにバアルがそっと声をかける。
「えっ? あ……、ううん、なんでもない。ところでバズーとデイズは?」
「チビちゃんたちでしたらこの階の一番端の部屋にいます。多分まだ寝てるでしょう。二人とも無事ですよ、安心してください」
「そっか。じゃあなんだかんだでみんな無事だったんだね、良かった」
 ホッと胸を撫で下ろすルシフェル。さて、仲間の安否確認は終わった。こうなるといよいよ話を切り出すタイミングかも分からない。しかし……、まだ何故か言い出せない。
「なあ、レヴァイア。俺たちがいたら邪魔にならねえ?」
 口篭ったルシフェルを見てカインは小さくレヴァイアに耳打ちした。なんだかんだで察しの良い気遣いの男である。
「だな。でもさ、いきなり俺らが揃って部屋から出るのもなんか変な気しねぇ?」
 わざとらしいにも程がある、と耳打ち返すレヴァイア。これは何か作戦を立てる必要がありそうだ。
「そうだな。じゃあ〜……、小便とか。部屋を出るにはトイレが一番だ。二人で連れション、これっきゃねぇぜ」
 ビシッと力強く親指を立てるカイン。しかしレヴァイアは難色を示した。
「え〜っ。それはちょっと年頃の男の子の俺としてはキツいなあ……」
 曖昧な言い方をしているが、とどのつまり却下ということである。
「馬鹿野郎、人を恥じらい無いみたいに言うなよ。俺だって年頃だっつーの。じゃあどうすんだよ〜」
 カインが少し声を荒げて耳打ちした――その時、この場で最も察しの良い男であるバアルがカインをチラリ見やって軽く微笑んでみせ、またルシフェルへと向き直った。任せろ、ということだ。彼のことである、ルシフェルが何か言いたげなこともとっくに察していたに違いない。
「よし、こういう場合はアイツに任そう。人の考えを読み取る嫌らしい男だから何かイイ策あるかも……」
 レヴァイアがカインに耳打ちした。しかし運悪く本人の耳にも聞こえていたようだ。バアルは視線をそのままに手を伸ばして無言でレヴァイアの脳天へプスリと爪の先を突き刺した。
「いた〜〜〜い!! 思い出が飛び出る〜!! 思い出が〜!!」
 頭蓋骨を貫通する勢いで深々と爪を突き立てられたレヴァイアはそれはもう激痛に唸って床をのた打ち回った。ちなみに彼が言う思い出とは『脳ミソ』のことである。
「お前さ……、いっつも一言多いんだよ……」
 なんだってわざわざいつも怒らせるようなことを言うのか……。あ〜あと溜め息つくカインである。
「えっ!? 何、何!? どうしたの!?」
 考え耽っていたルシフェルが突如響いたレヴァイアの悲鳴に目を丸くした。
「なんでもありませんよ。彼が急に騒ぐのはいつものことです」
 バアルが驚き慌てるルシフェルに向かってゆっくりと微笑んだ。
「なにはともあれ、ルシフェル。今日は本当にお疲れ様でした。大した怪我もなく安心しましたよ。良ければ今日はこのまま此処に泊まっていきませんか? おチビちゃんたちもまだまだ起きそうにありませんし」
「あ、ありがと。えっと、じゃあ御言葉に甘えちゃおっかな。なんか今から自分の家に歩いて帰るのダルいし。よし、泊まってく!」
 するとルシフェルを何より溺愛しているバアルはますます頬を持ち上げた。
「是非そうしてください。大歓迎ですよ。では早速夕食でも如何ですか。お腹空いたでしょう?」
「え? いや、その……」
 まだご飯を食べる気分ではない、その前に話したいことが…………と思ったルシフェルだったがグ〜ッとお腹の虫が正直に鳴いて答えてしまった。
「……なんてこった……!」
 色々とどうにも格好つかずルシフェルは恥ずかしくなってしまった。
「あはは。いえいえ、私もカインもお腹に穴を開けられていたので殆ど何も食べてなくてお腹ペコペコなんですよ。では決定ですね」
「は〜い、先生っ」
 今がタイミングとばかりにレヴァイアが手を上げた。その横で「オイオイ。お前は黙ってた方がいいんでないか?」とカインが訝しげな表情を彼に向けたが、残念ながら気付かれなかった。
「誰が先生ですか……。仕様が無いな。はい、レヴァイア君。なんですか」
 ツッコミ入れつつも素直に先生の如くレヴァイアを指差す、なんだかんだで付き合いの良いバアルである。
「ボク疲れてて御飯作る元気がありませんっ!」
 元気よく答えるレヴァイア。隣でカインがガクッと首を落とす。
「ほほぅ。成る程ね。じゃあ今日はお外で買ってきては如何でしょう」
 バアルが提案するとレヴァイアは「賛成っ」と笑顔で頷いた。
「パシリくらいなら余裕、余裕! でも、俺一人じゃ持ちきれないだろなあ〜……」
 わざとらしくレヴァイアがカインをチラリと見やった。手伝え、という断る隙が僅かもない無言の圧力である。
「どんだけ買うつもりなんだよ」
 やれやれ……、と思ったカインだったが、ふと彼らの意図に気付き、表情を改めた。そうだ、これなら自然と部屋を出ることが出来る。
「まあいいや。俺も一緒に行ってやるよ」
「おう、助かるよ! ありがと! あっ、俺の上着貸してやるから安心してな」
 寒がりなカインが薄着で外に出られないことをしっかり把握しているレヴァイアである。今なんて薄着どころかカインは上半身裸だ。いくらオープンな魔界の街でもこれでは歩き難い。寒がりなら尚更歩き難い。レヴァイアはちゃんと気遣える男である。
「体格似てるヤツがいると助かるぜ」
 では行くか、とカインはゆっくり立ち上がった。すると変なところ空気の読めないルシフェルが「待って」と口を挟んだ。
「アタシも行こうか? 手伝うよ」
「やあ、いいよ。お前まだ起きたばっかだろ。俺たちに任せてまだゆっくりしてな。此処でバアルのお茶にでも付き合ってやってよ」
「そお? 分かった」
 レヴァイアの意図に気付いていないルシフェルは「じゃあお茶の準備しよ〜」と呑気にテーブルの上にあったティーセットを手にとって紅茶の用意を始めた。
「お気をつけて。私は大人しくお留守番してますからね。宜しくお願いしますよ」
 バアルが微笑みながら何処から取り出したのかレヴァイアに数枚の金貨を手渡す。この魔王二人からしてみればなんの不思議もない行動が元は人間であるカインには違って見えた。
(なんだ!? さっきまで何も持ってなかったハズなのにどっから金貨なんぞ出した!? ポッケに手を突っ込む仕草すらなかったのに!!)
 それはもう驚きも驚きでレヴァイアの握る金貨を凝視する。
「オッケ。適当に美味しそうなのチョイスしてくるから待っててな。行ってきまーす! ……って、ななななななんだよカイン!! そんなに見つめたってこれは皆の御飯代だぞ!! お小遣いじゃないんだからあげないぞ!!」
 危ない危ない、と慌ててズボンのポケットに金貨を入れるレヴァイアである。
「ちょ、待て!! 誤解だ!! 人聞きの悪いヤツだな!!」
 ちょっと心外。カインはムスッとしてさっさとドアを開け廊下に出て行ってしまった。
「あ、怒っちゃった。冗談通じないんだから、もおお〜」
 後を追ってレヴァイアも廊下に向かい、ドアを閉めた。
「…………一応、成功か?」
 ドアが閉まったことを横目に確認してからカインがニヤリと笑い、身体に巻きつけていた包帯をスルスルと解いた。もう血止めの包帯は不要だ、何故なら傷は既に癒えている。
「多分ね。ああそうだカイン、コレな。素肌の上に着ても着心地サラサラなロングコートだよ〜。殆どサイズ一緒だから着れるだろ」
 レヴァイアが得意げに黒のロングコートを何もなかった空間から何処からともなく取り出した。
「なんてこった。流石は魔王……。手品も出来るのか……」
 カインは目を丸くしながらコートを手に取って、そしてふと思った。
「着心地サラサラだろうとなんだろうと俺お前じゃねーんだからコートの下にはちゃんとシャツ着たいんだけど……」
「え? そんなに着込んだら流石に暑くない?」
 いつも素肌の上に毛皮のコートを着て胸元を大きく晒しているレヴァイアは概念の違いに首を傾げた。



「よしよし、レヴァ君がいなくなって静かになりましたね」
 一人頷きながらバアルは自分の身体から解いた包帯をゴミ箱に入れ、何処からともなく取り出した黒のシャツを羽織った。まさかその後ろ姿を見ているルシフェルが「この裸の後ろ姿はどうにも少し筋肉質ってカンジの女にしか見えないなあ〜」と感心していることなど夢にも思ってはいない。彼女が自分に言いたくても言えずにいる話を抱えていることも勿論である。
(どう切り出せばいいかな……)
 ルシフェルは女性と見紛う兄の美しい背中を見つめながら悩んでいた。今がタイミングであることは明白だ。しかし始めの一言がどうしても出ない。
 その時、突如として頭の中に声が響いた。誰のものか考えるまでもない懐かしい声である。
『そんなビビることないぜー! アイツら細かいこと気にするようなキャラじゃねんだ、大丈夫! そもそも遠慮するような仲かよ! ほら、言っちまえ!』
 これは、懐かしい父の声、そして昔に言われた懐かしい言葉であった。
 ルシフェルが7つの時である、若干7歳ながら巨大な力を有する彼女は「私も役に立てるはずだ」と自らの意志で大人に交じり父に手を引かれて戦地へと赴いた。そして遠目からの援護を頼まれた……、しかしそれは別の言い方をすれば『危ないから離れてろ』と安全地帯での見学を言いつけられたようなものであった。
 ――子供とはいえ私は帝王サタンの娘だ。きっと立派に戦える――
 みんなが血を流し戦っている中、自分一人だけ安全地帯でヌクヌクとしているわけにはいかない。意を決したルシフェルは混乱に乗じ前線に飛び出した。そしてそこで自分よりも倍は身体の大きな天使たち相手に見事戦ってみせた。ほら出来る自分には出来る、そう過信した矢先、敵将ラファエルと鉢合わせた。……当然歯が立つわけもなく、呆気なく殺されそうになった。そこへ父サタンとバアルが慌て駆けつけ――二人はルシフェルを庇って重傷を負った。これ見よがしにラファエルはルシフェルの目の前で二人の内臓を抉った……。
 重傷を負いながらも無茶苦茶にサタンが抵抗をし、尚且つ危機を察したレヴァイアが間もなく加勢に入ったおかげであの時は事無きを得た。だが、ルシフェルの無謀な行動によって戦況は一気に不利へ傾いた。ルシフェルは仲間の力になるどころか大きな足手まといとなってしまったのである。
 戦争が終わった後、ルシフェル包帯まみれの身体でベッドに寝ていた父に泣きながら謝った。私のせいだ私のせいだと繰り返し頭を下げて謝った。
 ――そんなに泣くなよ。俺は大丈夫だしさ――!
 次からは気をつけろよと笑って、父は泣いて謝る娘の頭を大きな手で撫でた。父は簡単に娘を許してくれたのである。
 次にルシフェルはバアルへ謝りに向かった。だが、怪我を負ったバアルが担ぎ込まれたとされる部屋の前でルシフェルは足が震えて動けなくなった。
 子供心に察していた。責任感の強いバアルのことだ、混乱の最中だったとはいえ足元にいたルシフェルが勝手に飛び出したことに気付けなかった自分をさぞ責めているだろうと。
 自分の無策が彼の身体だけではなく心さえ傷つけた。
 ――どの面下げて、会えばいいのだ――
 今更ながら己の浅はかさを痛感し、城の廊下で立ち尽くして泣いた。声を殺して泣き、目を擦り続けた。最中、後から心配してやって来た父がルシフェルの肩を叩き、あの言葉をかけてくれたのである。そんなにビビることないぜと、満面の笑みで。
(そうだ、そうだった。思い出した。今と同じだ……。どうしてこんな大事なこと忘れていたんだろう)
 今も当時ルシフェルは恐かった。嫌われることが、親しい兄である彼の存在を失うことが。しかしそれで何も言えないというのは、間違っている。バアル自身もそんな扱いは望まない。
『お前は素直で良い子だからアイツ絶対に許してくれるって。ほら、大丈夫だから行けっ』
 また父の声が頭の中に聞こえた。
(うん、ありがとう)
 ルシフェルは声にならぬ声で呟き、「よし!」と自分に言い聞かすよう一人頷いた。
「ルシフェル?」
 指の傷が癒えたことを確認し、愛用の指輪をはめ直しながらバアルはやけに静かなルシフェルの様子に気付いて後ろを振り向いた。ちなみに、もう出掛ける予定も無いのに彼が指輪をはめ直す理由は無類の宝石好きだからである。彼は普段から指輪等を常に身につけておかないと調子が出ないそうだ。
「あ、ううん……、別に……」
 意を決したもののルシフェルは口篭った。代わりに目の前で宝石に夢中になっている華奢な背中にゆっくり歩み寄って……後は何を思う間もなく身体が勝手に動いてくれた。目に見えぬ誰かがそっと後押ししてくれたように。
「えっ? どうしたんですか?」
 バアルは突然のことに指輪を愛でていた手をピタリと止めた。なんの前触れもなくルシフェルが後ろからギュッと抱きつかれ、流石の彼も僅かに動揺の色を見せたのである。ルシフェルの人懐っこさはよく知っているが、最近こういったスキンシップはとんとご無沙汰であった。
「ごめんなさい。今まで本当にごめんなさい……! アタシやっと分かったんだ……。自分がみんなに向かって何をしてたか……!」
 思った通りのことを伝えよう――ルシフェルはバアルの背中に額を押し付け、大きな声で謝罪した。
「ルシフェル……」
 若干強ばっていたバアルの身体からふと力が抜けた。
「貴女は私に謝らなければならないことなど、何一つしてはいませんよ?」
 下手に振り返らず優しい声だけで相手をなだめようとするのが彼らしい、とルシフェルは思った。しかし、彼は自覚していたのだろうか。今、自分がその昔にまだ幼かったルシフェルが頭を下げた時とまったく同じ返事をしたことに。
 懐かしい気持ちに胸を押し潰されつつ、ルシフェルは擦りつけたままの頭を横に振った。
「あの時から……、アタシ二人とロクに目も合わせなかった。だってこの目の色は……バアルの親友を殺した証だから……。それに、アタシまだ謝ってなかった!! この手でバアルの親友を殺したこと、謝ってなかった!!」
 この左目の水色は母、右目の桃色は父の目の色。ルシフェルは、この両親を喰い染まってしまった目で真っ直ぐにバアルとレヴァイアの目を見つめ返すことが出来なかった。
 きっと二人は簡単に気付いていたことだろう、ルシフェルが意図的に目を逸らしていたことなど……。そしてルシフェルに見えぬところで傷付いていたはずだ。
 何もかもが、裏目に出ていた。それもそうだ、全て自分のためにしていたことだ。自分のことに精一杯でルシフェルは全く周りを見ていなかった。
 情けないにも程がある。
「うああああああああああ!!」
「ルシフェル……」
 泣き叫び始めたルシフェルの様子を察し、バアルは彼女の手を軽く解き朗らかな笑みを湛えて振り向いた。
「いいえ、貴女は殺してなんかいません。殺したのは私です。貴女の両親を守れなかった。私の無力が私の親友を殺してしまった。そして貴女を傷付けた……。謝らなければならないのは私の方です」
 優しい笑みのまま悲しみに目を細め、彼はルシフェルの頭をそっと手で撫でた。やはりだ、やはり彼は自分を責めていた。
「そんな、違う! 違うよ、殺したのは…………」
 私だ、と言いかけた言葉をルシフェルは飲み込んだ。バアルの澄んだ金色の瞳にジッと見つめられ、その無言の圧に言葉が詰まったのである。
「やめましょう、ルシフェル。それ以上言ってはいけない。こんな罪の受け止め合いなど貴女の両親は望まない。サタンもリリスも貴女の幸せを強く願っていました。だから、そんな受け止め方をしないであげてください。サタンとリリスは貴女の中で生きることを選んだ、それは貴女を想っての行動だったはずです。貴女の糧となること、それが貴女の幸せになると信じていた。違いますか?」
「……親父の馬鹿野郎……!」
 ルシフェルは唇を噛んだ。ルシフェルにとっての幸せは両親ともに自分の側にいることであった。糧となって欲しいなどと頼んだ覚えはないのである。
「ええ、アイツは馬鹿ですよ。馬鹿」
「え?」
 馬鹿、そのサラリと放たれたバアルの言葉にルシフェルは思わず顔を上げた。
「馬鹿なんですよ。無駄死にだけはしたくない、それが口癖でしたから。彼は貴女が生まれた時から恐いものが増えたと言っていた。いつ神が本気を出して魔界そのものを消滅させるか、まだ幼い貴女に矛先を向けるかと、貴女の存在に幸せを得ていた反動で常に色々なことを不安がっていました。貴女を失うことがとにかく怖かったのだと思います。貴女が死ぬくらいなら、自分が死ねばいい。そして願わくば自分で自分の身は守れる程度の力を貴女に与え残したい。だから彼はいざその時が来た際に迷わず自分の身を貴女に捧げた……。本人の口から聞いたわけではないのであくまでも推測ですが、サタンは貴女のことばかり案じていた親馬鹿でしたからね。遠くないはずですよ」
「バアル…………」
 アハハと少し影のある笑みを漏らしたバアルにルシフェルは返す言葉がなかった。父と何千年も行動を共にしてきた友人の言葉にはやはり、重みがある。一方のルシフェルは僅か13年しか父と時を共にしていない。バアルやレヴァイアともだ。生まれた時からの付き合いとはいえ、僅か13年……。これで、彼らの何が分かると言うのだろう。
「サタンは、自分に万が一のことがあったら娘を頼むと日頃から私たちに言っていました。私なんかを心から信用して己の命より大切な貴女を託してくれた……。勿論サタンに頼まれなくとも私たちは自主的に貴女を守る気満々でしたけどね」
 一通り話を終えて、バアルはいつも通りの朗らかな笑みをルシフェルに向けた。
「じゃあ、父さんとの約束が無くてもバアルはアタシを……? 何故……?」
 ルシフェルには分からなかった。何故、彼らがそこまでしてくれるのか。バアルとレヴァイアはルシフェルに向けて口を揃え「守る」と簡単に誓ってくれる。それはもう、あっさりと言ってのける。しかしあっさりとした物言いとは異なり、その度合は正直普通でない。彼らはいざとなれば平然と己の命を懸けてルシフェルを守ろうとする。
 何故?
 ルシフェルは自身の存在が彼らにとって命を懸けるほど大きなものとは、とても思えなかった。
 きっと、父サタンへの恩義なのだろう。だとしたら、尚更ルシフェルは弱い自分を責めなければならない。責めなければ……。
「私は私自身が命を懸けるに相応しいと思ったものにしか命を懸けない。胸を張りなさいルシフェル、貴女は私にとって私が命を懸けるに相応しい大きな存在なんですよ」
 何かを察したように、バアルが口を開いた。ルシフェルの胸に詰まっているものなど軽くお見通し、ということだ。しかしルシフェルの心は晴れなかった。
「でも、どうして? アタシそんな大したモンじゃないのに……」
 先程レヴァイアも答えてくれたが、バアルに聞いた方が確実だと思ったからだ。
「ん〜、何故どうしてと言われましても……。理屈は一切ありませんよ。ただただ可愛いからでしょうね、きっと」
 可愛いから――これは荒れ地にてレヴァイアが放った答えとほぼ一緒である。
「可愛いからって、そりゃ嬉しいけどさあ〜……。アタシの何処がそんなに可愛いのよ!? 見なさいよ、この通りトンデモないクソガキよ!?」
「それだけ自分を客観視出来ているなら結構、結構」
 バアルが笑顔で頷く。……頷いてくれたはいいがトンデモないクソガキという部分を否定されないのは少し複雑なルシフェルである。
「アハハッ。冗談ですよ。貴女は親友の愛娘、理屈抜きで私には目に入れても痛くない可愛い存在なんです。何故どうしてと聞かれてもこの想いは上手く言い表せない」
 不満に頬を膨らませていたルシフェルの頭を撫でてバアルは目を細めた。
「ルシフェル、私は貴女の親代わりにはなれません。サタンのように大きな手もないし、頼り甲斐もない男です。なのに貴女を守りたいだなんて豪語している……。全ては私の咎。ルシフェル、どうかこんな至らぬ男に気遣いして自分を責めないでください。私からのお願いです」
 これは、私の勝手でやっていることなのだから気を病むな、ということだ。ルシフェルが要らぬとどれだけ言っても止められるものではない。何故なら理屈ではなく、またバアル自身でも制御出来ないほどに身体が勝手に動いてしまうのだと。
「分かったよ、バアル。ありがとう」
 ルシフェルは頷き答えた。バアルとレヴァイアの二人はルシフェルの血を見たくないのだ。自身がどんな傷を負うことよりも耐え難いと思っているに違いない。だから上手く理由を言い表せなくとも己の身体を盾にしてまで守ろうとする……。
 それだけ、深く深く想ってくれているということだ。これを申し訳ないことと受け取っては、それこそ罪である。
「それでいい。私は、ただただ貴女の幸せだけを願っているんです。貴女の盾になれるなら本望。自分の身は二の次で正直どうでもいい感じですから、本当気にしないでくださいね」
「待って。どうして自分はどうでもいいの?」
 もう話すべきことは全て話したとばかりにベッドへ深く腰を下ろしたバアルにルシフェルは首を傾げた。バアルに自愛の心が欠けてることはよく知っている。しかし分かっていても、やはりハイそうですかとは素直に頷けない。
 するとバアルは床へ視線を落とした後、凛とした瞳で再びルシフェルを見つめた。
「私に望みがあるとするなら、それはこの星を粉々に砕いて全てを壊すことくらいです。そして貴女たちの幸せ。他に望みなど何もありはしません。私みたいな男を仲間だと言って頼ってくれた人がいた……、それだけで私はもう充分に望みを果たしました。ですから、あとはこの命をもって他の方々のお手伝いを出来ればと、そう思っているんです」
 言って、バアルは目を細め微笑んでみせた。この言葉に嘘偽りは微塵もないという笑みである。
「バアル……」
 こんな笑みを向けられては、もう敵わない。ルシフェルは微笑み返して彼の頑なな意志に感服した。
 天使に対する残酷な面を除けばバアルほど良い人なんていないんじゃないかとルシフェルは常々思ってきた。今日、その思いがまた深まった。
(この人は、本当にアタシなんかのことを深く想ってくれてるんだ)
 ルシフェルは心の中で誓った。この人を悲しませるようなことだけはするものか、と。
 最中、また父の声がどこからともなく聞こえた。
『ほ〜らな。簡単に許してくれただろ。だって俺の大親友だぜ。俺の側にいたヤツが細かいこと気にするわけねえじゃ〜ん。むしろアイツの場合な、謝ると『自分の勝手な思いやりで人を傷つけた』って思い詰めちゃうくらいなんだよ。どうだ底抜けに良いヤツだろ。ってわけだからアイツに細かく気遣うことなんかないない。え? その言い方はいくらなんでも酷いって? アハハハッ』
 死して尚、呑気な態度である……。
(うん、酷いよ。アンタ酷いよ……)
 ルシフェルは心の中で父に向かい、溜め息混じりに呟いた。しかし、同時に尊敬もした。全ては父が何を言おうと慕われる存在だったからこそである。こんなにもよく出来た友人を側に置いていた父は、やはり凄い――――そうしてルシフェルが物思いに耽っている最中ではあるが、一方のバアルは話を終えて一安心したこともあり、少し小腹が空いてきたことが気になり始めていた。
 何か、食べたい。そういえば食料調達に行った男二人は何をしているのだろうか。もうとっくに買い物を終えて戻ってきても良い頃である。
「レヴァイアとカイン、遅いですね……。私がお腹を空かせていることも忘れて呑気に寄り道でもしてるんでしょうか……。もういい、前言撤回します……。手伝いなんかするものか」
「え? バ、バアルどうしたの?」
 急にドスの利いた低い声を放ったバアルの様子を見てルシフェルは何事かと身構えた。
「いえ。ちょっとね……。ところでルシフェル、暇でしょう? 私とワインでも一緒に如何ですか。今日は大変な一日でしたからね、お酒でも飲んで気晴らししましょう、そうしましょう」
「ワイン? いいね! 大賛成!」
 バアルの誘いに喜んで賛同するルシフェル。困ったことに、この女帝は若干13歳にして既にお酒も煙草も大好きなのであった。



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