【25:闇が繋いだもの】
王と女帝がお腹を空かせて城で待っていることも忘れ、買い出しに出掛けたレヴァイアとカインの男二人組は至極呑気なものであった。なにせ買い物を終えた後、ふと目に入ったバーの賑やかさに惹かれてふらり入ってしまったのである。
「いっや〜、一仕事終わった後の酒ってのは美味いなあ、レヴァ君!」
「でしょでしょ、カイン君〜っ! 今日はご苦労様! ほらほら、もう一杯いっとこうぜい!」
飲み始めてまだ間もないが既にこんな具合だ。
戦争を一段落させた後だけに他の悪魔たちも集っており、オレンジ色の淡い照明灯る広い店内はなかなかの賑わいである。「俺は天使を何人殺した」だの「ダチが死んだ」だの「ラファエルと鉢合わせて死ぬかと思った」だの、そんな喜びと悲しみの混じった声が四方八方から木霊す。ガヤガヤしていて少し落ち着かないが、今日ばかりは仕方がない。みんなまだ戦争の興奮が冷めやらないのだ。
レヴァイア曰く、この店は魔界の中で最も大きなバー。開店から1000年以上も経つ老舗であり、お値段手頃ながら酒と料理の味はなかなか。ゆえに身分関係なく沢山の悪魔が此処に集う。魔王レヴァイアも例外ではない。街の住人たちとコミュニケーションを取るにこの店は丁度いい。酒の入った住人は気兼ねなくレヴァイアに声を掛けてくれる。現にカインの見ている前でレヴァイアは酒を片手に通り掛かる悪魔たちから肩を叩かれ「今日もカッコ良かったよ!」「助けてくれてありがとう御座いました!」等々、頻繁に声を掛けられている。
しかし「人気者だな」とカインが言うとレヴァイアは「いつもはもっとだよ」と返した。どうやら今日はカインが隣にいることで一応はみんな遠慮気味らしい。
(これでも遠慮気味なのか……)
レヴァイアの王としての支持の厚さをまた一つ知ったカインである。
そんなこんなで当初は寄り道にあまり気乗りしなかったカインもすっかり店の雰囲気と酒の味に飲み込まれ、早いもので飲み始めて既に1時間が経過した。そう、既に1時間。「1杯だけ! 1杯だけちょっと飲んでいこうぜ!」と言ったレヴァイアは意気揚々とカウンター席に座ってカインが止める間もなく次々とウイスキーを注文し続ける。とても、1杯どころではない。とはいえカインもカインで「バアルとルーシーに知れたら後が恐い!」と怯えた心は今や何処へ。お前がおかわりするなら俺もとレヴァイアに張り合って酒を飲み続ける始末である。
「しっかしなんだぁ、カイン君。君は〜お酒が〜強い〜ねえ?」
20杯以上もロックのウイスキーを飲んで酔いの回ったレヴァイアが舌足らずな口調でカインの肩をポンと叩く。頬を紅潮させ、目の据わったその表情は正に酔っぱらいである。
「いやあ〜、そんなこたぁねえよ。お前こそ流石の飲みっぷりじゃねえかぁ」
張り合って同量のアルコールを飲んだカインも同じくヘラヘラと舌足らずな口で笑いながらレヴァイアの肩を叩き返した。酔ったカインはクールのクの字もないくらいにニコニコとよく笑う。これは普段滅多に見られない表情である。
「ああ〜。そういえばカイン君、キミって俺たちにジェラシ〜とか感じな〜い? 今日の一件でよぉ〜」
マスターにお代わり頂戴とばかりにグラスを差し出しながらレヴァイアはカインに意地悪い笑みを向けた。……すぐさま空いたグラスを受け取っておかわりを差し出したマスターが一瞬カインに温かい目を向けた。「あーあ、絡まれてるねぇ」とでも言うように。
「ジェ〜ラ〜シィ〜!? なんのこったよ」
カインは大袈裟に歯を剥き出して威嚇の表情を向けてからグイッとウイスキーを呷った。
「分かってるくせにぃ〜。ル〜ちゃんに俺はハグしちゃったし、今頃はた〜ぶん城でもバアルがギュッとかやってるかも〜っ。正直どうな〜ん?」
「チッ。何がどうしてそれを俺が嫉妬すんだよ。ありえねぇ〜っ」
舌打ちついでにカインは煙草へ火をつけ煙を吹いた。
「何がどうしてって、どうして〜? 俺にはお前とル〜ル〜がラッブラブゥに見えるんだけどぉ〜?」
するとレヴァイアは茶化すようにニヤリと笑って肘でコツンとカインを小突いた。おかげでカインは言葉の内容と相まって開いた口が塞がらなくなり、咥えていた煙草を落としかけた。
「ラ、ラブぅ〜!? テメェの目は節穴か!! どこをどう見たらラブラブになるんだよ!? アイツぁ多分俺のことなんざ子分としか思ってねぇし俺もアイツのことはお猿さんとしか思ってないッ!!」
「お、お前、猿は酷いぞ猿はっ」
舌足らずな口調どこへやら、一瞬酔いの冷めたレヴァイアが目を見開く。しかしカインは「猿は猿だ」と言い張って頬を膨らませる。
「大体お前、なんで猿なんて言葉知ってんだよ!? 見たことあんの!?」
「おう、本屋で写真付きの動物図鑑を立ち読みして知った! 俺、博学!」
「ああ、うん、それはともかくまだ相思相愛にはなってねんだなァ〜。でもなカイン、あの子はキミによくワガママ言ってたりしてない?」
「ああ〜、言ってる言ってる。毎日すんげぇ言ってる。ワガママ過ぎて困るくらいスゲー言ってくる」
自身が放った『博学』という言葉を流されたことには特に拘らないカインである。
「フフフッ。それだよカイン君。あの子はオヤジ似の不器用さんでね。甘え方ってのが分からないんだ。甘え方イコール素直に行動することだと思ってる。だから、あの子のワガママはズバリ愛情表現なのサ!」
そこでレヴァイアは自信満々にビシッと人差し指を立てた。
「……えっと、オイオイ。マジ?」
また開いた口が塞がらなくなったカインである。
「マ〜ジマジ! 構って欲しくて甘えてんだよ。男なら分かってあげなせぇ」
「あげなせぇって、お前なあ……」
分かってあげなせぇと言われても、正直困る。カインから見ればルシフェルは遥かに歳の離れたただの小娘。どう頑張っても異性と意識するのは難しい。
「お前なあって、お前なあ鈍感な俺が勘付くくらいあからさまにアピールしてるんだぜ〜? あ〜んなにル〜ちゃんが親父以外に甘える姿なんざ見たことねえよ俺」
言うとレヴァイアはツマミのビーフジャーキーを囓り始めた。犬歯の鋭いレヴァイアの口元は妙に肉が似合う。と、まあ、そんなことはどうでもいい。
「アハハ……。しかしだねえ、レヴァ君。仮にそうだったとしても、なんで俺?」
もっと良い男はいくらでもいるはずだし出会ってからそんなに日も経っていないはずだし……。参ったなとカインは頭を掻いた。
「ああ、アイツ面食いだかんな。中身より顔。お前の顔が好みにドンピシャだったんだろ」
中身より、顔。苦悩するカインに向かってビーフジャーキーを噛み潰しながらレヴァイアがあっさり言い放った。
「ひっでぇ!! 中身関係無しかよ!! …………ん? でも裏を返せばそんだけ性格二の次なくらい美形ってことか? やったね! って、俺そんな美形か? いや、まさか。んなことないだろ、ないない」
「まったまたご謙遜を〜。あとさ、アイツ仏頂面で目付き悪くて不器用な野郎が好きな傾向にあると思うんだよね。自分の親父……、サタンの面影ってヤツでさ」
「成る程、仏頂面で目付き悪くて不器用……何一つ良いトコ無しじゃねえか!! 俺そんなか!? そんななのか!?」
喋り上手でない自覚はある、しかしカインとしてはそこまで周りにあからさまな冷たい態度を取ってるつもりなどなかった。
「まあまあまあ……。とにかくサタンと同じように顔恐くて性格不器用で根が良い人ってのに親しみあってついつい惹かれるんでないかな〜と俺は思うのよ。うん、多分絶対そう。俺の予感は絶対に当たってる!」
「そうッスか……」
何を言い返しても言い負けそうな気がしてカインはとりあえず頷いておくことにした。だが、まだ頷けない部分が一つある。
「なあ、俺って〜……不器用なの?」
まさか自分を不器用などと思ったことのないカインは疑り深くレヴァイアの顔を覗き込んだ。
「うん、不器用!! カイン君さ、気持ち表情に出すの苦手でしょ? 上手く笑えてないもん。俺見てるんだから〜」
「え〜?」
ズバリ即答されてカインはガクッと肩を落とした。上手く笑えていないとは痛いとこを突いてくれる。まさかレヴァイアにこんな観察力があるとは思わなかった。子供っぽく見えても中身はやはり大人だ。
「まあ〜、不器用なのは自覚してるさ。いいさいいさ。でもさ!! 仏頂面で目付き悪くて不器用で上手く笑えない顔だから好きってなんだよ!? つか根が良い人ってなんだよ!? 全然嬉しくな〜いッ!!」
そうだ、嬉しくない。正直、嬉しくない。カインは思い切ってレヴァイアに食って掛かった。
「えー? じゃあ何か、もっと単純にお前が絶世の美男子だから惚れられたって言った方が親切だったか〜?」
カインが必死な形相で食って掛かってるのも関わらず動じないレヴァイア。流石は魔王である。
「べ、別にそういうわけじゃねーけどッ!! 俺そんな美男子なんてキャラじゃねーし……!!」
「え〜? またまたまたご謙遜だなあ〜。お前はなかなかの美男子だと思うよ〜? ビシッと男らしいシラガ頭にウサギさんみたいな赤いお目々がキュートじゃ〜ん」
「シラガって言うな!! なんか響きが嫌な感じだから白髪(はくはつ)と言え、白髪と!! つかウサギさんみたいってなんだよ気持ち悪いな俺そんなキャラじゃねーし!!」
……と、大声張り上げたところでカインは「話が逸れた」と溜め息をついた。
「えっと、んでな、顔っつったって俺は初対面の時それはそれはひど〜い顔だったんだぞ?」
「あ〜、聞いた聞いた。お前ってば皺くちゃで薄汚れた髪ボーボーの干乾びた仙人みたいだったんだろ?」
「そうそう干乾びた仙人……、仙人!? しかも干乾び!? アイツそんな風に言ってたのか!! うわー、腹立つ!! 飲んでやる〜っ!! マスター、おかわり!!」
フィルター近くまで燃え尽きた煙草を勢い良く灰皿に押し付け、カインはマスターに向かってグラスを差し出した。
「まままままままあまあまあ。落ち着け、俺の言い方が悪かった!! でもさ、干乾びた仙人相手でも一目惚れに近いものがあったって言ってたよ?」
「一目惚れ?」
首を傾げると同時にウイスキーの注がれたグラスがカインの手に帰ってきた。ナイスタイミングとばかりにマスターへお礼を述べてから一口喉へ流し込む。
「へえ、一目惚れか〜、そうか〜。って、嘘だろ畜生。ありえねーだろ。干乾びた仙人姿だぞ!?」
「俺もそう思って追求してみたんだけどね、ルーシー曰くマジらしいよ。お前が干乾びてる状態の姿を見て一目惚れして、ちょいイケメンに戻った姿を見て完全骨抜きにされたってさ。あの子は本気だ!! とにかく幸せにしてやってくれい!!」
言い切ってレヴァイアは力強くカインの肩を掴んだ。が、とてもじゃないがカインには頷ける話ではない。
「コラー!! 俺の気持ちはどうなる!? 勝手に結婚させんなーっ!!」
「ああ分かる俺も男だ素直に頷けない気持ちはよく分かる!! けど心はもう決まってるんだよな!? お前はうんと包容力のあるヤツだ。その広い胸でか弱いアイツをガシッと包んでやってくれー!!」
「お前……、決めつけ甚だしい挙句よくもまあそんな恥ずかしいセリフ言えるなあ〜っ!!」
「いいさいいさ!! 俺が恥をかくことで若い二人が結ばれるなら安いもんだ、喜んで恥など捨ててやるー!!」
「ひぃ〜っ!! 気持ち悪いぞ! ガラにもねぇことこと言うんじゃねえ〜っ!!」
拒否反応を起こしたカインは頭を抱え仰け反った。レヴァイアが愛のキューピッドとなって結ばれる恋など嫌だ。なんか凄い嫌だ。相手が誰であろうと嫌だ。まあでも余程の美人なら考えてしまうが……。
(それにしても……、だな)
ルシフェルがカインの干乾びてる状態の姿を見て一目惚れし、ちょい戻った姿を見て完全骨抜きにされたというレヴァイアの話は本当だろうか。別に気にならないが正直少しばかり気になる……、ということは、つまり、気になるわけだ。
(冗談キツイ……。気にするな俺。相手が相手だ、わーいヤッターなんて喜べる話じゃねぇよ)
そうして酒を呷りながら考え込むカインの隣でレヴァイアは笑いながら煙草を吹かし始めた。
「チッ。楽しそうだな」
まるで人の不幸を楽しんでいる風な彼の態度にカインは舌打ちをした。
「ああ、失敬失敬。どうにも初々しいなあ〜と思って!」
初々しい……、これまた素直には受け取れない言葉である。
「おっ、お前にそこまでガキ扱いされる歳じゃないぞ俺!!」
「んっもうすぐ怒鳴る〜。ま、何かあったらさ俺で良ければいつでも相談に乗るよ」
「おう、ありがとよ! って、偉そうに言ってるけどテメーはテメーでまだ独身だろが」
先輩ヅラすんな、とダメージを与えるつもりでチョイスした言葉だった。だが、レヴァイアは「違いない」とただ笑うだけで悔しがる素振りなど微塵も見せてはくれなかった。一応はカインより少し上手なわけだ。
しかし一見咬み合っていないようで実はバッチリ波長が合ったらしいこの男二人はそのまま話に盛り上がり、ちょろっとだけ飲むつもりが気付けば結局3時間も飲み明かしてしまった。
「あ、そーいや腹空かせたヤツらが待ってるんだっけ」
ふとした拍子にレヴァイアが呟いた。そしてようやく任務を思い出し泥酔状態で城に戻った時……、彼らの酒臭さに空腹のバアルとルシフェルがどれほど憤慨したかは定かでない。
さて、カインの酔いも冷めた明け方近くのことである。
「変な気ぃ遣いやがって……」
カインは部屋の端にポツンと立ち尽くし、装飾美しい壁を見つめながらバアルとレヴァイアに心の中で愚痴った。食事も終わり一息ついた後、今日はどうぞ此処で寝てくださいと部屋に案内してもらったまではいい。いいのだが、何故ルシフェルと相部屋なのかッ!!
「他の部屋は少々散らかっていますので、此処が一番良いんですよ〜。どうぞ、ごゆ〜〜〜〜〜〜っくり」
バアルのわざとらしい笑みが目に焼き付いて離れない……。他の部屋が散らかっているなど、絶対に嘘だ。どう見ても綺麗好きそうなバアルが城を汚いままにしておくはずがない。
(アイツらこの手の話が好きそうだからな〜!! ああ畜生、仕組まれたッ!!)
後方の大きなベッドの上ではルシフェルが呑気に寝息を立てている。これは、どう見てもお子様の寝顔だ。とても恋愛対象ではない。それよりも、だ。カインは一体何処で寝ればいいのだろう。よりによってダブルベッドの部屋を押し付けてきたあたりもう悪意しか感じない。
(まさか隣に寝るわけには、いかないよな……)
ルシフェルは律儀にベッド半分カインのスペースを空けて寝てくれてはいるが、年頃の娘さんと堂々一緒のベッドに寝れるほどカインの肝は据わっていない。ただでさえ、眠気も無い……。窓の外は明け方近いがまだ夜の匂いを漂わせている。
(そういえば、風呂の場所を教えてもらったな)
暇だし行くか。予定を決めたカインは壁との睨めっこをやめ一人頷き、ドアノブを握った。その時である、カインの動きを察したようにルシフェルが寝返りを打って振り向き、薄っすらと目を開けた。
「あれ……? 何処行くの……?」
乱れた銀髪の隙間から寝ぼけ眼のオッドアイがカインを見つめる。
「ああ……。悪い、起こしちまって。眠気もねぇからちょっと風呂にでも入ってこよっかなと思ってさ」
「ううん、勝手に目が開いちゃっただけだから平気だよ。お風呂……。場所、分かる? 教えてあげよっか……?」
「大丈夫、覚えてる。行ってきまーす」
起き上がろうとしたルシフェルを制してカインはドアを開け、廊下へ出た。
どうにもヴァイアの話を聞いてから変な気分だった。いやはや、とことん厄介な娘の世話を任されてしまった。しかし、正直なところ若干満更でもない自分もいる。
(歳、なのかな。俺も)
肌寒さに肩を軽く擦り、カインは廊下を早足に歩いた。魔界という所は夜ともなるとかなり冷え込む。レヴァイアから借りた服を着込んではいるが、それでも肌寒い。なのに周りの悪魔たちは平然と半裸に近い服装で毎日を過ごしている……。やはり人間と悪魔では体感温度ってヤツが違うのだろう。……と、いうことは、だ。お風呂の温度設定の概念も違うわけだ。
なんだかカインは風呂の温度が気になってきた。いつもルシフェルの城の風呂は自分で勝手に温度を調整しているわけだが、所変われば勝手も変わることだろう。ヌルかったら嫌だな、と心配はこの一点に尽きる。
そういえば、
カインが入った後の風呂にルシフェルが入ると必ず「あっぢ〜!!」と悲鳴を上げる。そして風呂から出るなりカインの元へやって来て「出たら水で薄めとけっていつも言ってるだろが!! 全くどうして御年寄りってのはこう熱い湯が好きなのかしら!!」と頬を膨らます。そこでカインは毎度適当に平謝りをするわけだが、一度だけ「お前の親父はどんな温度で入ってたんだ」と聞いたことがあった。そしたら「そーいや灼熱設定で入ってたなあ」と教えてくれた。
そうか、そういえばサタンも熱い湯が好きだったのだ。うむ、湯加減の好みに人種は関係ないのかもしれない――などと、どうでもいいことを考えているうちにバアルの城ご自慢の大浴場へ到着した。派手好きなバアルのことだ、さぞかし豪勢な内装を誇っているに違いない。期待を大いに膨らませてカインはライオンを象った黄金のドアノブを押して脱衣場へと足を踏み入れた。
カインが部屋を出てから早30分が経った。特に騒ぎ声も聞こえないことから、彼は無事目的地に到着したのだろう。二度寝しようと思いきや軽く目の冴えてしまったルシフェルはベッドに寝転びながらボーッと細かく美しい細工の施された天井を見つめた。
こうしてボーッとしていると、また余計な思考がグルグル回り出す。
(お父さんは、何を考えていたんだろう……)
自分の身を食わす、そんな手段で娘を幸せに出来ると本気で思っていたはずはない。父サタンは豪快な印象とは裏腹に思慮深い一面も持ち合わせていた。娘の繊細な気質も当然把握していただろう。ならば、何故食わせたのか。魔王の身体は頑丈だ。治癒能力も高い。ゆえに大概の傷なら助かる見込みがある。心臓部を破られない限り死ぬことはないのだ。
にもかかわらず、父はもうダメだと言って娘に見を捧げた……。そうしなければならなかった理由はなんだ? そもそもルシフェルは両親が大怪我を負った理由すら分からない、何か見たとしても一切覚えていないのである。ならば頼れるのはバアルとレヴァイアの二人なのだが、彼らでさえ何も知らない何も見ていないという……。
普通に考えれば、敵将ラファエルにやられたとしか思えない。しかし、あれは槍による傷だっただろうか……?
グルグル巡る思考。血の赤に身体を染め上げて目の前に現れた父の姿が脳裏に甦る。しかし鮮明ではない。霞んでいる。己の朧気な記憶が憎い。どうしてこんな大事な場面の記憶が霞んでいるのか。どれだけ記憶に刻みたくない出来事だったとしても、これは逃げてはならないことだったのだ。それなのに――!
(でも、なんで逃げちゃダメだって気がするのかな……?)
ルシフェルはふと思った。後悔ばかりが先走っているが、逃げてはならなかったと強く自分を責めている理由は両親の散り際をこの目に焼き付けておきたかったという一点だけだろうか。どうも、違う気がしてならない。ならないが、どれだけ思い出そうとしても当時この目に見たはずの情景は朧気で、鮮明に思い出せるのは両親の安らかな寝顔と血の赤だけである。
いつもそう、いつもそうなのだ。
大丈夫、とルシフェルは自分に言い聞かせた。大丈夫、焦ることはない。いつか霧の晴れる日が必ず来る。だから大丈夫だ――――。
いつもと同じように諦めのついたルシフェルは肩の力を抜いて大きく息を吐いた。
仕方のないことだ。今は諦めるしかない。答えを出そうにもジグソーパズルが全然合わないのだ。まだまだ見つけていないピースがあまりに多すぎる。
「やーめた!!」
無駄に思考をグルグル巡らせたことで疲れを覚えたルシフェルはスッキリしない何かを振り払うように声を上げて身体を起こした。そして、ものぐさな動きでもってベッド脇のサイドテーブルに置かれたティーセットへ手を伸ばしバアル曰く安眠効果があるらしい調合ハーブティーを入れた湯気立つティーカップ片手に再びベッドの上へと戻った。
成る程、如何にもリラックス効果ありそうな良い香りだ。一口飲んでみると、味もやはりリラックス効果ありそうな爽やかな味である。そうして「このお茶いいなウチの城にも常備しようかな〜」とルシフェルが紅茶を楽しんでいる最中、部屋のドアが音を立てぬようゆっくりと開き、まだ若干の雫滴る濡れた頭にバスタオルを乗せ片手には飲みかけなミネラルウォーターの瓶を持った半裸のカインが戻ってきた。如何にも湯上がりホカホカな風貌である。寒がりな彼がこれだけ大胆な格好で廊下を歩いてきたあたり、さぞかし風呂でよく温まってきたのだろう。
「お帰り。いっつもお風呂は15分くらいでちゃっちゃと終わらせるアンタが今日は随分とゆっくりしてきたね。ひょっとしてうちのお風呂より快適だったん?」
だとしたらウチのお風呂もそろそろ改築とかしようかな、と呟いてルシフェルはまだ熱い紅茶にフーフー息をかけた。
「ああ、なんだ、まだ起きてたのか。確かにお前ん家の風呂よりだだっ広くて内装超ゴージャスで何処の神殿だコレって感じの風呂だったけどさ、ツイてねぇよ。ゆっくりしたかったのにレヴァイアと鉢合わせになっちまってさあ〜」
「ああ〜、じゃあ裸のお付き合いしてきたんだ?」
「そういうコトになるんでしょうか……。嗚呼、背中がまだなんか変な感じ……。あの野郎、風呂で顔合わせたら背中の流し合いは絶対の義務だ断っちゃいけねんだとかなんだとヌかしてムリヤリ俺の背中をガリガリと馬鹿力で擦りやがってさあ〜……!! んで痛覚無いくせにギャーギャー言うなとかってフザケやがって俺は痛くなくても一応触覚はあるんだっつーにガリガリガリガリ延々と!! しかもアイツの好みで風呂の湯がヌルいのなんのだ!! やっぱ風呂は熱くなきゃスッキリしねーよ!!」
ああ畜生めとカインは八つ当たりするようにガシガシと荒っぽく頭を拭いた。
「そ、そうか……。ちょ、ちょい、災難だったネ……」
「ああ!! 災難も災難だ!!」
ゆっくりしてきたと思いきや、不満タラッタラもタラッタラ……。レヴァイアからすれば歓迎の意を表してのことだったのだろうが、何せ彼は本当に馬鹿力の持ち主である。加減を間違えてしまったのだろう……。
幸い一通りの愚痴を溢してスッキリしたのかカインは間もなくいつものクールな表情を取り戻し、ルシフェルに背を向ける形でベッドにゆっくり腰掛けのんびり煙草を吸い始めた。この切り替えの速さは心から称賛に値すると一人頷くルシフェルである。
「で? お前はなんだ、すっかり目が冴えて眠れなくなっちまったのか?」
ルシフェルのことを気にかけるあたり、本当にもう落ち着いた様子のカインである。
「うん……。いっぱいワイン飲んだし御飯も食べたからベッドに寝転びさえすれば後はグッスリ昼過ぎまで寝られると思ったんだけどね」
「ふぅ〜ん。俺も暫くは駄目だなァ。風呂入ったけど全然眠くならねぇ。レヴァイアのヤツも今日はイマイチ寝苦しいからこの後バアルとまた酒飲むんだーとか言ってたな」
「じゃあバアルも何気に眠れないんだね……。って、あれれ? カイン寝れないなら二人に混ざって飲んでくればいいじゃーん」
「そう思ったんだけど、お前はしっかりお姫様のお守りをしてろってさ」
フンッとカインが鼻息を鳴らした。成る程、遊びたかったのにレヴァイアから部屋に戻れと言われてしまったわけだ。
ルシフェルの位置からは背中しか見えないが今のカインはさぞかし不満気な表情を浮かべているに違いない。
「アハハハッ! じゃあアタシに遠慮して戻ってきてくれたんだ? ありがと!」
「どーーいたしましてーー」
実に不満気な返事の仕方である。これは話を早く変えた方が良さそうだ。
「それにしても皆して寝れないのかあ。あんだけ大騒ぎした後だもんね。百戦錬磨のバアルとレヴァ君もそうなんだからアタシたちが寝れないのも納得」
「だな。レヴァイア曰く街の方もまだスゲー賑やかだそうだ。戦争の後ってのは毎度こうなんだってな。と、なると、あのチビどもは大したもんだ」
「ああ、バズーとデイズね! あの二人、羨ましいよ〜! どうしたらそんなに寝れるのってくらいず〜っと寝てるじゃん! マジ羨ましい!」
「そうだなあ〜。若いっていいよなあ」
「ちょっと、ちょっと。アタシが最年少なんだけど!」
「あれ? そうだったっけ?」
ずっとルシフェルに背中を向けていたカインが目を丸くして振り返った。とことん純粋な驚愕の表情……。「本当に忘れてたのか」とルシフェルは肩を落とした。しかし、同時に心の何処かで微笑ましくも思った。何故なら今見せてくれた目を丸くした驚愕の表情は、彼の少年の面影を色濃く残していたからだ。ゆえに、普段格好をつけて彼が隠している素の表情を垣間見た気がして嬉しかったのである。
彼が瞬間的に見せる素の表情はまだ充分に幼い。本人は「お前はガキ! 俺は大人!」と言い張るが、正直なところそうは思えない。身体だけ見ればそうだろう。紛うことなき子供と大人である。しかし肝心なのは中身だ。中身を察するにルシフェルにとってカインは色んな意味で一番自分から近い位置にいる存在と思えてならないのである。ルシフェルが彼に心惹かれる理由はそこだ。安易に父親の面影を見て側にいて欲しいと駄々をこねているわけではない、その父すら持っていなかったものを彼は、持っている――――と、まあ、こんなことを口に出して言ったら「ガキっぽくて悪かったな」と彼が憤慨することは容易に想像つく。黙っておこう。
それにしてもカインの返事は相変わらず基本、素っ気ない。おかげで会話はあっという間に途切れてしまった。
「…………なんか喋れよ」
静寂に耐えられなくなったルシフェルはハーブティーのおかわりを注ぎ終えた後カインの背中を見やって命令口調に呟いた。湿っていた髪もすっかり乾き火照った身体もようやく冷めた頃合いだったのだろう、彼はちょうど煙草を消してレヴァイアから借りた寝間着のシャツを着込んでいる最中であった。
「ネタがねぇよ」
これまた素っ気ない返事である。ひょっとしてアタシといるとつまらない? と少女が不安になるくらいに、素っ気ない。だがカインからしてみれば別に悪意は無いのだ。ただ、本当に喋ることが何もないと素直に述べているだけなのである。
シャツを着終えたカインは背後で女帝がイジケて頬を膨らませていることにも気付かず、新しい煙草に火をつけ煙草を吐いた後まだキンと冷えているミネラルウォーターを喉に流し込んだ。
――お前が干乾びてる状態の姿を見て一目惚れして、ちょいイケメンに戻った姿を見て完全骨抜きにされたってさ。あの子は本気だ――
気にしたくなどないはずのレヴァイアの言葉が何度も脳裏を過る。鬱陶しい。しかし悪い気はしない。悪い気しないのがまた鬱陶しい。なんだってこんな思いをしなければならないのか。
先程の風呂場でもレヴァイアに『この手の話』をされた。そして彼はルシフェルの真意を知りたければ試しに一度黙ってみろ。喋れって命令してきたら気がある証拠だ、気恥ずかしさで沈黙に耐えられないはずだからと言った。……だからといって確かめたさに狙って黙ったわけではないが、話の途切れついでに沈黙してみたら大当たりである。
(マジで俺にどーしろってんだよ……)
煙草の紫煙を燻らせながらカインは考え込んだ。レヴァイアとバアルは親と娘どころか先祖と子孫以上に歳の離れた自分とルシフェルが結ばれることを本気で願っているのだろうか。とてもそうは思えないが……。風呂場にて執拗に背中を擦られてる最中カインはレヴァイアに聞いてみた。何故こうもルシフェルのことに詳しいのか。甥っ子がいくら可愛いからといって観察し過ぎではないか。すると彼は言った、執拗に観察しなくても分かる。何故ならルシフェルの初恋の相手は他ならぬ自分だったからだ、と。だから彼女が行うであろうことが容易に想像つく、何故なら見覚えが多々あるからだ、と。まだ幼かったルシフェルは執拗にレヴァイアと手を繋ぎたがり、また沈黙が訪れれば気まずいから何か喋れと即座に命令してきたのだという……。
で、満更でもない気分だったのだが父サタンが「アイツはよせ!! レヴァイアだけはやめろ!!」と交際に猛反対。結果、破局に至ったそれがルシフェル4歳の時だそうだ。信用出来るような出来ないような微妙な話ではあるが、有り得なくはない。
当時4歳の彼女にとって何かと賑やかで笑顔絶えない彼は一緒にいて最も楽しい相手だったのだろう。
「ねえ、お風呂でレヴァ君とどんな話をしたの?」
思考を巡らすカインの頭に沈黙の気まずさに耐え兼ねたルシフェルの声が割って入った。まあいい。ちょうど我に返ってフィルター近くまで燃え尽きた煙草を灰皿に押し付けなければならなかったところだ。
「どんなって、そらどっちがデカいかって話で盛り上がったり〜……」
これは、わざとでもなんでもなく、本当にカインがありのままのことを正直に話した結果である。
「へえ〜。……ッバカー!!」
余計に気まずくなったルシフェルが顔を真っ赤にして叫んだ。
「あ? 俺は別にドコのデカさとは言ってねーよ? 一応ちゃんとボカしたぞ?」
「な……っ!?」
一切の悪びれが感じられないカインの態度にルシフェルは言葉を詰まらせた。確かに、明言はしていない。しかし風呂で鉢合わせた男二人が比べるものといえば、そこ一つしかないはずだ。
「つかテメ乳首透かした格好で俺の前を平気で歩くクセにチンチン話はアウトってなんだよ、基準がよく分かんねーなァ」
「あー!? 今はっきり言った!! 今チンチンってはっきり言ったチンチンって!! チンチンって!!」
それはもう鬼の首を取ったように大興奮でルシフェルがカインを指差す。
「おっ、お前、年頃の娘がチンチンチンチン連呼すんなよ、はしたねーなァ!!」
「なにさそんなに連呼してないじゃん!! もういい、バカ!!」
冷めてしまったハーブティーの残りを一気に飲み干しティーカップをサイドテーブルの上に手早く戻してルシフェルはベッドの中に潜り込んだ。が、やはり目は冴えに冴えてる。興奮して怒鳴り散らした後だ、余計である。とても眠れそうにはない。
「……なんか喋れ」
気を取り直し、ルシフェルは再び命令を下した。すると、もれなく鬼の形相を浮かべた白髪の男がこちらにゆっくりと振り向いた。
「テメさっき俺が喋ったらいきなり怒っただろうが!!」
「それは話があまりにも下品過ぎたからだい!!」
「うるっせぇな牢獄生活長くて歳の割に人生経験浅いんだよトークの引き出し少ねんだよそもそも育ちの悪い俺に上品なネタ期待すんじゃねーよ!! ったく、なんなんだよ、さっきから。大人しく寝やがれ」
「んっまあ、なんつー態度だよアタシからお小遣い貰って生活してるクセに! 大人しく寝たくても寝れないからこうして頼んでるんじゃないかあ〜っ」
……今カインが大きく溜め息をついた。これはやはり、ワガママなのだろうか。ルシフェルからすれば眠れるまで暇潰しに話をしたい、ただそれだけなのに溜め息をつかせてしまった。困らせるつもりは毛頭なかったのに、だ。
「じゃあ質問いい?」
不意にカインが意地悪い笑みでもってルシフェルを見やってきた。まるで傲慢に成り切れない娘をからかって嘲笑うかのように。
「質問? 別にいいよ」
「オッケー。じゃあズバリ聞くけど、お前の初恋相手がレヴァイアだったってマジなの?」
瞬間、ルシフェルの呼吸が止まった。時間にすると1秒にも満たない間ではあったが、確かに止まった。そして静止の後「うわー!!」という盛大な悲鳴を上げ、一気に顔を赤くした。それはもう身体から湯気の出そうな勢いだ。と、いうか、出てる。実際に身体から湯気が出ている。しかしカインは動じなかった。女帝ルシフェルは炎を操る、ゆえに自身が発熱しても不思議ではないとすぐに思ったわけだ。
「だーっだだだだだだだだ誰から聞いたー!?」
「ん〜? レヴァイア本人から。その反応からしてマジっぽいな」
「あんにゃろ〜!! 待って待ってカイン誤解しないでよ! そんなんアタシが4歳の時だもん!! レヴァ君が一番身近な遊び相手だったからなわけでありましてなんつーかそこまで深い意味で好きだったかどうか今となっては分からないっつーかなんつーかだから!!」
「お前、そんなに否定したらアイツ可哀相じゃね?」
まあ向こうも向こうでまさか若干4歳の少女から受けた愛の告白を深く受け止めてはいないだろうが。
ちなみにちょうどその頃、遠くの部屋で渦中のレヴァイア本人が盛大なくしゃみをし、バアルに笑われていたことなどルシフェルとカインにはは知る由もなかったわけだが、レヴァイアのくしゃみの原因は間違いなくこの二人である。
「次の質問。どうして俺を牢獄から出した? いい目をしていたって、理由は本当にそれだけ?」
「え?」
急に質問の内容が一変したことで頭が冷えたのかルシフェルの湯気が消えた。
「そうよ、そんだけ。あんな状況で仏頂面が出来るっつー図太さを見込んだの。アタシ大したもんでしょ」
「ああ、大した御趣味だ。幾ら心臓が図太そうだからって年頃の娘が干乾びかけの男を傍らに置いておきたいとは普通思わないだろーに」
「随分と自虐的なこと言うわねー。素直にアタシの見る目が高かったことを褒めてくれてもいいんじゃない? アンタの尋常じゃない眼力を見てこれは絶対に元はイケメンだって確信したんだ。アタシ凄〜い!!」
「イケメン……。ああ、ありがとよ……」
素っ気ない返事をしつつ、カインは自分の眼力に感謝していた。ギラギラさせといて良かった、でなければ危なく牢獄から出られないところであった……。
「お前さあ〜、ぶっちゃけ俺のことどう思ってるわけ?」
「へっ!?」
一気に確信へ迫ろうとするカインの言葉にルシフェルはあからさまに動揺してみせた。
「え〜……、分かんない」
ルシフェルはこう曖昧に答える他なかった。カインとしてはここで「別に」とか「なんとも思わない」と答えて欲しかったわけだが、なかなか上手くいかないものである。
「ほほう、さいでっか」
彼女の口からはっきり否定の言葉が出ればこれ以上バアルやレヴァイアに茶化されることはない――が、何故だろう正直なところ否定されたら否定されたで少し寂しい気持ちになりそうな自分もいる。なんだか、複雑な思いだ。
(なんかカイン疲れちゃった……。もうやめよ。そもそもこういうこと気にするキャラじゃねーだろ)
今日の結論が出た。もういい、今日は寝よう。無理矢理にでも寝よう。
「質問終了〜。なあ、そろそろ睡魔に来てもらえるよう大人しく寝転がろうぜ。もうすぐ朝になっちまう」
「ああ、うん。そうしよっか……」
このままこっ恥ずかしい質問をされるよりは黙って目を閉じておくが吉、ルシフェルは素直に提案を飲んだ。
「オッケ。んじゃオヤスミ」
「はい、オヤスミ…………って、待てい!!」
急ぎ飛び起き、ルシフェルは何も言わず枕一つ持ってベッドから離れて行こうとしたカインのシャツを掴んだ。
「あ? なんだよ?」
歩みを邪魔されたカインが咥え煙草でもって不機嫌に振り返る。
「なんだよじゃないよ、寝るんでしょ!? ドコ行くのよ!?」
「別に何処にも行かねーよ。俺ソファーでいいからテメー遠慮せずド真ん中に寝な」
「ヤダ!! アンタもちゃんとベッドで寝ろ!!」
「はぁあああああああ!?」
不機嫌さに顔をこれでもかと歪めてカインはルシフェルを睨んだ。
「ヤダよ隣にテメーなんざいたら寝苦しそうだもんっ!! ソファーで寝る!!」
「だぁああああああめぇえええええええ!! ダメったらダメー!!」
すると興奮が祟ってか、またルシフェルの身体からフツフツと湯気が立ち始めた。顔も真っ赤っ赤。このままではベッドごと火ダルマになりそうな勢いである。
「だあああああもう、うるっせぇな分かったよベッドで寝りゃいいんだろベッドで寝りゃあよ!! 寝てやるからその湯気を止めろ湯気を!!」
「わーい、やったあ!」
一気に機嫌を良くしたルシフェルは本当に湯気をピタリと止めてカインが寝れるよう端に寄り、ニコニコと毛布の中へ潜り込んだ。
なんつーかもう、仕方ない……。
諦めの境地でカインは吸いかけの煙草を灰皿に押し付けると小脇に抱えていた枕を元の位置に戻し、女帝の命令に従ってベッドの端も端に寝転んだ。
「ねえちょっと、そんな端じゃ落っこちちゃうよ?」
背中を向け極限まで自分から距離をおいた位置に寝転んだカインを見てルシフェルは眉間に皺を寄せた。
「……別に大丈夫」
本当に彼の返事は大概素っ気ない。
「ダメ!! 気になるからもうちょっとこっち来て!!」
「ぬぁああああああー!? なんっなんだよ全くよー!! 分かったよ寄るよ寄るよ寄ればいいんだろー!!」
執拗にシャツを引っ張られ、これでは堪らないと思ったカインは仕方なくベッドの真ん中に寄った。だが女帝の表情はまだ晴れない。
「よろしい! で、もうちょっとこっち向いて、腕はこう! よし! そのまま!」
ルシフェルは無理矢理にカインの身体を転がして仰向けにし左腕を捕まえ強引に腕枕をさせて意気揚々と寝転んだ。
「やったね、やっと寝れる!! 引っ付いてラブラブだ!! って、フザッケんなブス!!」
「ギャッ!?」
腕枕なんかしてたまるかとばかりにカインは勢い良く腕を引っこ抜き、後頭部を枕に強打したルシフェルの悲鳴もなんのその寝返りを打って元通り背中を向けてしまった。残念ながら大人しく従うカインではなかったということだ……。
「だっ、誰がブスだ誰がー!!」
「テメェだブス!! 大人しく寝れない女はブスだブス!!」
「ひ、酷い……!」
この猛烈な拒否り様……。最初から一か八かの可能性で挑戦したことだったが、やはりこの男、腕枕はしてくれないようだ。これ以上の無理強いはやめよう。度が過ぎると本気で怒らせてしまいそうだ。
「んっもう、分かったよ。ほんじゃ改めてオヤスミ……」
一緒のベッドで寝れるだけよし。ルシフェルは大人しく仰向けに寝そべって目を閉じた。
「ああ、おやすみ」
このカインの素っ気ない返事の後、終始騒々しかったこの部屋をやっと静寂が包んだ。……おかげで、ルシフェルは彼に本来伝えるべきだった言葉を思い出した。
「あ、あの、さ…………」
おずおずと話し掛ける。だが返事はない。されど寝息を立てている気配はなし。察するに彼はまた元気の有り余った小娘から変に突っ掛かられると思ってあえて反応をしないのだろう。まあいい。
「あの……、今日はお疲れ様。カインが無事で良かった、ホントに」
今日も共にいてくれることへの感謝。どうしてこの戦争が終わって真っ先に伝えるべきだった気持ちを今の今まで口に出さずいたのか自分が不思議でならない。
親しい者の存在を当たり前と思うなかれ……。両親を失って学んだことだ。教訓を生かしきれていない自分にルシフェルは落胆した。
「……そうやって相手を尊重するのは大事なことだけどよ」
背中を向けたままカインがポツリと溢した。
「人の顔を見るなり、もしかしたらこの人は明日に死んじまうかもしんねーって考えながらキリキリ胃を痛めて毎日毎日精一杯に接するのもどうかって思うよ。とりあえず俺はな」
「カイン……」
これは、小娘の心配事など軽くお見通し、ということだ。
「でも、今日は戦争の後だもん言いたいよ、無事に帰ってきてくれてありがとうって……」
「そうさな。俺もその言葉、まんまお前に返しといてやるよ」
「あら、ありがと」
捻くれた言い方ではあるが、ルシフェルには充分嬉しかった。こういう物言いからして、やっぱり彼は何処か、父サタンに似ている。照れ屋だった父は母から褒められるたび、顔を赤くしてツンとした態度をよく返していた。しかしそれが照れ隠しであることなど軽くお見通しだった母は父がどんなにツンとした返事をしても嬉しそうにしていた……。ただ、カインの場合はまだ照れてるのか本当にツンとしているのか確証持てないのが難点だ。
「寝る前に一つ教えてあげよっか。アタシまだ世界で一番好きな男の人お父さんなの。だから安心していいよ」
これは、安易に依存したりはしないという決意表明だった。自分勝手な目で彼の背中に亡き父の面影を重ね依存するなど、カイン当人からすれば迷惑極まりない話だろう。
(アタシと一緒にいることを、苦痛にだけは思われたくないもん……)
ルシフェルは、彼から嫌われたくなかった。
「へえ、そうかい。寝る前にもう一つ教えてくれよ。俺こないだバアルとレヴァイアからテメーの親父にちょっとキャラかぶってるって言われたんだよな。娘のお前から見てもそう思う?」
相も変わらず背中を向けたままカインがポツリと言った。
「うん、よく似てる。そっくり。……ん?」
何の気なしに答えてしまったが、気付いた時にはもう手遅れだった。世界で一番好きな男はお父さんだと明かした後、アンタはそのお父さんによく似てるそっくりと言ってしまった、これつまりアンタのことも好きよと宣言してしまったようなものである。
(しまったーーーー!!)
ルシフェルは心の中で激しく焦った。だが、一度放ってしまった言葉は引っ込まない。こうなればカインが言葉の意味に気付かないことを祈るばかりだ。なにせ間接的な言い方であった、もし彼が鈍感なら気付かない。が、残念ながらカインは鋭い男だ。声には出さないものの内心「当たっちまった。レヴァイアの予想が全部キレイに当たっちまったー!」としっかり驚愕していた。
「その言葉、ありがたく受け取っておくよ」
苦笑い混じりに言ってカインは静かに目を閉じた。なんかもう、今日はホントマジ寝とこうと。
「あ、ああ、うん、ありがたく受け取っといてっ」
少々挙動不審な返事をしてルシフェルも目を閉じた。……苦笑い具合からしてカインが気付いてしまったことは明白だ。目は閉じたものの、心中は決して穏やかではない。どうしたものか……。しかし幸いにも間もなく待ちに待っていた睡魔が訪れた。こうなれば心配事など二の次、まどろんでいく意識に身を任せるが吉だ。
「……なんか、アタシたちよく寝たね……」
「……ああ、すっご〜く、よく寝ちゃったね……」
バズーとデイズは二人並んで呆然と窓辺に立ち、朝の眩しい月明かりを見つめた。いやはや先ほど揃って時計を確認した時の衝撃たるや半端ではなかった。いくら戦争後で疲れていたとはいえ、途中で目覚めることもなくガッツリ12時間以上も寝てしまった。周りの大人たちは戦争の後片付けで大変だったろうに何を手伝うこともなくただ寝ていたのである。その甲斐あって身体中に刻まれていた傷は跡形もなく癒えたが、なんとも申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「とりあえず、顔洗ってご飯食べようか」
寝惚けていた頭が少し冴えてきたところでデイズが提案した。バズーが異議なしと頷き、部屋に添えつけの洗面台へ先に向かう。
寝続けたせいで喉もカラカラ。お腹もペコペコだ。とりあえずご飯を食べよう。全てはそれからだ。
部屋のテーブルの上には「起きたら遠慮せず食え」というメモと共にレヴァイアが用意してくれたと思われる山盛りの具だくさんサンドイッチと冷製ポタージュスープ、そしてアイスティーの入ったガラス製のポットがあった。いつ起きても美味しく食事出来るラインナップだ。気を遣ってくれたんだろう。
(メモの字ちょっと荒っぽいし、バアルさんは怪我をしていたからコレ用意してくれたの絶対レヴァさんだよね。って、ことは、これ、レヴァさんの作ったサンドイッチ……!)
デイズの脳裏に昨日のレヴァイアの勇姿が甦った。危機に瀕したデイズを抱きかかえ風を切って走り、圧倒的な力でクソガキ天使に一撃を与え弟を助けてくれたあの心強い姿が……。
「おいデイズ、まだ寝惚けてんのか? んなボーッと顔赤くしてどーした?」
「え!? あ…………」
突然バズーに顔を覗き込まれ、デイズの脳裏を駆け巡っていた映像はプツリと途絶えた。
「べ、別になんでもない!! えっと、アタシも顔洗おうっと!! バズー、紅茶とか用意しといて!!」
気恥ずかしさを誤魔化すようにデイズは早足に洗面台へ向かい、冷たい水で顔を洗った。しかし胸の高まりは静まらない。それはいざバズーとテーブルを囲んで食事を始めても変わらなかった。いつも通り弟と談笑しながらの食事。しかしサンドイッチを口に運ぶたび胸が高鳴る。無理もない、なにせこれは昨日あんなにも格好良かったレヴァイアが作ってくれたサンドイッチであるからして……。
嗚呼、なんかもうこれは、やっぱり、そういうことなんだろう。
デイズは己の中に芽生えてしまった厄介な感情を認め、バズーに悟られないようこっそり溜め息した。なにせ厄介だ。これは厄介にも程がある。相手は破壊神と謳われ魔界を担う魔王様、街の女の子みんなに憧れている存在、とてもじゃないがデイズとは吊り合わない。しかし――
(好きになっちゃったものは仕方ないわ! やったね、アタシもとうとう胸のトキメキを覚えちゃった! よりによって相手はあんなに格好良すぎる魔王様! こんなに素敵なことってないわ! ラッキーよ!)
「バズー、このカツサンド美味しいね! 衣がサックサクだよ!」
「ん? うんっ! あ、デイズたまごサンドはもう食った? からしマヨネーズが絶妙でマジヤベーよ! これ多分全部レヴァさんの手作りだよね? 料理出来る男っていいなあ〜。俺も頑張らなくちゃ!」
口いっぱいに食べ物を頬張っている最中いきなり話を振られても笑顔で応じるバズーは本当に良き弟である。
デイズが悩んだのはほんの一瞬。彼女は基本的に超ポジティブ思考なのだった。
空腹が幸いして朝食はあっという間に平らげた。さあ行動しよう。まずはレヴァイアに昨日に助けてもらったこと、城に運び込んで傷の手当てをしてくれたこと、こうして美味しい朝食を用意してくれたことのお礼を言わなければならない。そして次に、この城の主へ一泊させてもらったお礼を言おう。
「さ、行きましょ」
双子は頷き合って部屋を出た。もう朝だ、誰かしら起きているはず。すると予感的中、ちょうど二人の目の前を通りかかる人がいた。頭にバスタオルをすっぽり掛けているが、デイズたちの低い目線にはその隙間から銀の長い髪と綺麗な顔が見えた。背の高い女性だ。
(あれ? この人、誰?)
デイズは首を傾げてその長身の女性を見つめた。黒の柔らかそうなシャツとズボンのラフな格好。タオルをかぶっているのは風呂上りゆえのようだ、身体からは石鹸の香りが漂い、よく見ると髪も濡れている。
「あら、お早う御座います。二人ともよく寝ていましたね」
女性はバズーとデイズに気付くなり、目を細め朗らかな笑みで会釈をした。
「あ、はっ、はいっ」
女性の悪魔と思えぬ物腰の柔らかさに気圧され、デイズは思わず吃ってしまった。隣のバズーに至ってはただポカンと口を開けて女性を見上げるのみ。彼女、只者ではない。
「ところで二人とも、ご飯は食べましたか?」
「は、はいっ、あの、テーブルの上にあったサンドイッチを美味しくいただきましたっ。ね、バズー!」
「え!? あ、えっと、はい! 全部、食べた!」
どうにもこうにも気圧されて上手く喋れないこの双子。しかし相手は気にも留めていないのか朗らかな笑みを崩さない。
「そうですか、何よりです。傷もすっかり治ったようですし、安心しましたよ。私たちはこれから朝食です。まだ食べ足りないようでしたら、いらっしゃい。場所は昨日と同じテラスです。場所は分かりますか?」
「はいっ、大丈夫です分かりますっ」
「よろしい。ではまた」
言うと女性はヒールサンダルを鳴らして通路を真っ直ぐに歩き、突き当りを曲がって姿を消した。
「………………なあなあデイズあれ誰だ〜? すんげぇ美人だったね」
女性が去っていったタイミングを見計らってバズーは首を傾げた。
「さあ、分かんない……。誰だろう。なんか不思議な雰囲気の人だったけど……」
「あ、分かった! あんだけ美人で育ち良さそうな人だもん、バアルさんかレヴァさんの彼女とかじゃない?」
「彼女!? ままままままさか彼女ってわけでもないでしょ!! きっと臨時のお手伝いさんとかだよ多分きっと絶対そう思いたい!!」
普通に考えて男二人暮らしの城に見慣れぬ美しい女性となればバズーのようにガールフレンドである可能性を真っ先に探ることだろう。しかしトキメキを覚えたばかりのデイズはまだそういうことを想像したくなかった。相手が尋常じゃなく女の子にモテる男であると分かっていても、だ。
「デイズ?」
なんだか様子のおかしい姉を見てバズーは傾げていた首を更に深く傾げた。
「ん? ああ、なんでもない! とりあえずテラス行こ! レヴァさんやバアルさんたちにお礼言わなくちゃ!」
弟の無垢な瞳に見つめられ我に返ったデイズは「しっかりしろ」と自分に言い聞かせ、ニッコリと笑顔を作った。
「いやあ〜、朝風呂は気持ちがいいですね。サッパリしました。自慢のフサフサもピカピカのオレンジ色に戻ってリフレ〜ッシュ」
双子ちゃんから綺麗で背の高い女性と思われた人物はまだ生乾きの長い髪をタオルで拭きながらキッチンを覗き込み、奥で一人大張り切りなレヴァイアの背中に声をかけた。
腰巻きエプロンを身に付け、慣れた手つきで意気揚々と鍋の中に具材を投入している彼の姿は飲み明かして盛り上がり結局一睡もせず朝を迎えてしまったとは思えないほど元気に満ち溢れている。流石は破壊神。内に秘めた体力は尋常じゃない。
「そりゃ良かった。ところでルシフェルとかチビたちは起きたのかなあ〜? 飯どんくらい作りゃいいんだか分かんねーぞ、どーしよう?」
「朝まで大騒ぎしていたルシフェルはまだ眠っているようですが、チビちゃんたちは起きてましたよ。ちょうど通路で鉢合わせました。どれだけ寝惚けていたやら私が誰だか分らなかったみたいですけどね。滅多に見せないラフな格好してたせいかな?」
「えー? だからってお前みたいな濃いヤツ見て誰か分からないなんてことあるかな〜? …………あっ」
笑いながら振り返ったレヴァイアは相棒の顔を一目見て一瞬で全てを理解した。
「成る程な。その顔じゃあ分かんないかもしんねーよバアル。すっぴんだわタオル頭に被ってるからフサフサ見えないわって」
「え? あーっ!!」
綺麗で背の高い女性ことバアルはようやく自分が素顔のまま風呂上がりに通路を歩いてきてしまったことを知った。
「アハハッ、流石の王様も戦争を乗り越えた後は気が抜けちゃうわけだ。昨日珍しく半日くらいすっぴんで行動してたから鈍感になってたのかなー?」
言うとレヴァイアは首をまた前に向け、器用にフライパンを振って大きなホットケーキをひっくり返した。
「わ、笑いことじゃないですよ!! 嗚呼、朝ご飯の前に塗ってこなきゃ……」
「お風呂に入ってサッパリしたばっかなのに?」
「ええ勿論。人によっては眼鏡が顔の一部であるように私にとっては化粧が顔の一部ですからねっ」
「ふーん?」
と、言うしかレヴァイアに術はなかった。なにせ理解が出来ないからである。
「んで話戻すけどさ、俺は何人分の朝飯を作ればいいと思う?」
「ああ、私と貴方と初々しいカップルの四人分と気持ちちょっと多めってところでどうですか? チビちゃんたちはサンドイッチを食べたようですけど多分微妙に足りてないと思うんですよねえ」
答えながらバアルは冷蔵庫を開け、キンと冷えたミネラルウォーターの瓶を取り出した。
「了解。でもルールーとカーカーはちゃんと起きてくんのか〜? あんな明け方まで大声で言い合いしてたけど」
……ルシフェルとカインは知る由もないだろうが、実を言うと耳の良い魔王二人に昨晩の会話はほぼ筒抜けだったのである。聞いてたよ、と言えば揃って彼らが憤慨することは明らかゆえ黙っておくつもりだが。
「大丈夫、間もなく二人揃って部屋を出てきそうな気配がします。男女水入らずの爽やかな朝を邪魔したくなかったので自主的に起きてくれて良かった」
笑って、バアルは冷たいミネラルウォーターを渇いた喉に流し込んだ。
「よく言うよ。そんなん気にするキャラじゃないクセに」
卵を軽快に次々とボールの中へ割り入れながらレヴァイアが笑う。
「キャラじゃないのは貴方もでしょう。まさか貴方が愛のキューピッドを担うなんてねぇ。彼女の初恋を射止めた貴方が何故こんなお節介を? 可愛いルシフェルが他の男に目を向けようとしてるんですよ、悔しくはないんですか?」
「アハハハッ! 俺ん時は親父に恋路を裂かれたからなあ〜。元彼として、せめて次の恋では幸せになれよっていうせめてもの後押しさ!」
これはバアルの想像を超えたなかなかに生意気な返答であった。
「ほーら、やっぱり全然キャラじゃないわ!」
柄にもなく気取った態度を見せた相方を指差し、バアルはお腹を抱えて笑った。
「ん? 起きたか。おはようルーシー。テラスの方から煙が出てっぞ。レヴァイアが朝飯作ってくれてるんじゃねーかな」
カインは窓の外を見つめながら薄っすら目を開けたルシフェルに声をかけた。
「ん〜? んん……、朝ご飯……。起きなきゃ……」
殆ど睡眠時間は取れていないが朝ご飯と聞けば起きるしかない。ルシフェルは重たい目を擦り、身体を起こした。どうにもダルい。あまりにも睡眠時間が少なかったせいだ。しかし朝ご飯ならば起きなければ……。
「ルーシー、昨日っつーか寝る前のお前の言葉だけどさ」
「寝る前〜? ……えっ!? 寝る前の言葉!?」
カインの言葉にルシフェルはウトウトもう一度閉じようとしていた目を一瞬で覚ました。
すっかり忘れていた。眠りに入る前に自分が彼に向かって何を言ったのか――――。
恥ずかしさに身体が硬直してしまったルシフェルは目線だけをカインに向けた。なんだってこんな話を蒸し返したのやら、窓枠に腰を掛けて窓の向こうを見つめ続けている彼の表情は此処から上手くは窺えない。
暫くの静寂の後、カインは「なんつーかさぁ」と頭を掻きながらようやくこちらに向いた。想像とは違い、淡々とした穏やかな表情である。
「まあ、その、俺で良かったらずっと傍にいるよ。最初からそういう約束だったしな」
「カイン……!」
それは、つまり、そういうことなんだろうか。ルシフェルは自身の体温が急激に上昇していくのを感じた。
好きという告白の後に、ずっと傍にいると彼は返してくれたわけだ。つまり、それは――!
「あくまで父親代わりとしてな。似てるってことだしさ…………聞いてるかオイ!?」
この『あくまで父親代わりとして』という部分がとても重要なのである。しかしカインの思いとは裏腹にルシフェルはただただ顔を赤くして唖然とするばかりで既になんの音も耳に通していない風に見える。いや、見えるどころじゃない。これは、本当に何も聞いていない。
「あっ、あっ、アタシ先にテラス行ってるからー!!」
ルシフェルはベッドから勢い良く飛び出すと、戸惑うカインを置いて寝間着として借りたバアルのシャツ一枚しか羽織っていない姿でもって部屋を出て行ってしまった。
「……待て、ちょっと待てルーシー!! テメェぜってー誤解してんだろー!?」
早くに訂正しなければ大変なことになる。カインは慌てて後を追った。しかしこんな時に限って女帝の足は異様に早い。
結局、追いつくことは叶わず、ルシフェルを追った勢いでテラスに到着してしまったカインは早速話を耳にしてしまったと思われるバアル、レヴァイアの二人から不気味なほど眩い笑みを向けられ「おはよーう」と口を揃えて挨拶されてしまった。
「男の決断、恐れ入ったぜ!!」
レヴァイアが言うと、隣のバアルも頷いた。
「貴方なら、ルシフェルを受け入れてくれると私は信じていました」
そして「うんうん」と頷くレヴァイアとバアル。その後ろには照れて顔を赤くし、足をモジモジさせているルシフェルの姿……。
なんかもうこのまま押されて結婚までさせられそうな勢いである。
「違ーう!! あくまで父親代わりだー!!」
カインは腹の底から叫んだ。しかし「意地張っちゃってやーね」と照れるばかりの当事者ルシフェルは勿論のこと「またまた照れちゃってー」と魔王二人までわざとらしく聞く耳を持たない。
おかげでカインはこの日、腹の底から何度も「だっから、あくまで父親代わりだ!!」と叫ぶハメになった。大変な戦争があった後である、本当ならゆっくり休みたかったのだが……、予定通りにはいかないものだ。
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