【27:目覚めの時は今】


 今日も空にはいつもと変わらぬ赤い月が輝いている。空の色はやはり赤がいい。赤であるべきだ。カインは窓辺で煙草を吸いながら赤い空にゆっくりと流れる黒い雲を目で追った。そうして時間を潰していると、不意に目の端でベッドのシーツが蠢いたのが見えた。やっと女帝様のお目覚めだ。
「起きたか。おはよ。よく寝てたな」
「ん……? おはよ……」
 眠い目を擦りゆっくりと起き上がるルシフェル。乙女の部屋に男が乗り込んでいることには何も言及しない。何故なら同居を始めてからというもの、いつの間にやら自然とルシフェルを朝に起こすのはカインの仕事となっていたからだ。時間となればバズーとデイズを起こして朝食作りを命じ、仕上げにルシフェルを起こす、これが彼の日課。彼の仏頂面がみんなの目覚ましなのである。
 ゆえにルシフェルはもうヨダレを垂らして熟睡している顔や大股開いてグーグー寝ている姿を彼にどれだけ見られても恥じらわなくなった。良いんだか悪いんだか……、いやきっと悪い。悪いに決まってる。だがもう取り返しつかない……。
 さて、そんなことより今日の朝食はなんだろう――じゃなかった、まずは今日見た夢の報告をしよう。ルシフェルは窓枠に気怠く腰掛けているカインを見やった。
「あのさ毎度お馴染みだけど今日も変な夢を見た……。でも今日はちょっと変わり種」
「ふーん?」
 興味があるのかないのか判断つかない返事をしてカインが煙草の煙を吐く。しかし彼はいつもどれだけ気の無い返事をしてもしっかりとルシフェルの話を聞いてくれる。今日も悪態ついて部屋を出て行かないあたり話を聞いてくれる気ではあるようだ。
「なんかねー、三年前の出来事が走馬灯みたいにガーッと一気に流れてったのよ。ちょうどアンタと出会ったあたりの時期から破葬の光を見たあたりまで……。変な夢は多々見れどコレは初めてのパターンだわ」
「へぇ〜、走馬灯ねぇ。分かった、お前多分近々死ぬんだ」
 物凄くサラッと自然に暴言を吐くカインである。
「なんてこと言うんだ畜生ー!!」
 そりゃもうルシフェルの怒りはごもっともである。
「んな朝から大声出すなよ。半分冗談だって。三年前っつーと俺とお前が出会っちまうわバズーとデイズが乗り込んでくるわ戦争は起こるわ人間界消えるわミカエル家出してくるわって波瀾万丈な一年だったからな。単に印象強くて思い出しただけだろ」
「だといいけど……そうだね……って、おい。ちょっと待ちなよ。なんか一つ抜かしちゃならないこと抜かしてない?」
 足りない。大事な部分が明らかに足りない。そうしてルシフェルが頬を膨らませると、カインは意地悪く笑ってみせた。とどのつまり、わざと言わなかったわけだ。
「さ〜てねえ……。何かあったか?」
 ニヤニヤニヤニヤ……。ぶん殴りたくなるほどに意地の悪い笑みである。
「こんのやろう。言わせる気〜!?」
 もういい! と話を投げてルシフェルはベッドから出てネグリジェの上にカーディガンを羽織った。そして部屋の端にある洗面台で顔を洗い、銀細工の鏡を睨みながら寝癖を直す。それにしても……、どれだけ夢に入り込んでいたやら。つい先程まで完全に13歳の自分に戻っていたせいだ、ルシフェルは改めて今の自分を見つめた。
 両親を失ってドン底を知り仲間に支えられて希望を見た、あれから三年。目立って変わったところといえばまずポニーテールを揺らしていた長い髪をショートに切ったことだ。そして如何にも乙女乙女していた服の趣味が少しボーイッシュ気味になり、喋り方もそれに合わせて更に荒くなった。何故こんな変化があったのか、語ると少し長くなる。とにかくこれは今まさに後ろで呑気に煙草を吹かしている荒くれた同居人の影響だ。彼を真似て今までの弱い自分を吹っ切ろうとした結果である。
 しかしなんというか周りが見た目なに一つ変わらないせいで自分だけが歳を重ねた錯覚を覚える。遥か昔に身体の成長が止まった兄たちは勿論、バズーとデイズすら見た目に変化は僅かも無し。せめてイメチェンくらいすればいいと思うのだが、彼ら全員己のファッションが既に確立しているらしくそれも一切無し。
 牢獄にて費やしてしまった数千年にも及ぶ空白の時間を取り戻すように日々色んなことを覚えて楽しんでいるカインの姿も三年前から変わらない。店員に勧められるがままファッションを満喫し、今ではしっかり洒落っ気が出てピアスやら指輪やら身に付けるようになった。この頃は部屋で音楽レコードを聴くことにハマっている様子。良いことだ。
「よおルーシー、さっきの話はどーした? すっかりだんまり決め込んじゃってまあ〜」
 煙草を一本吸い終えたところでカインが妙に大人しく身なりを整え続けるルシフェルを茶化した。ニヤニヤとした腹の立つ顔がこっちを向いている。この男、相も変わらずふとした拍子に「俺は無口だ」と豪語するが、日を追う毎に口数多くなって今では立派な饒舌家だ。
(なんか変なとこばっか成長したわよね、アンタ……)
 茶化しに茶化され、ルシフェルは肩を落として髪をとかしていた櫛を化粧台にポイと投げた。
「んっもう、うるっさいねえ!! このアタシがアンタに可愛く告った年だよ!! うわ〜ん、畜生〜っ!! アタシはなんであの時こんなヤツに〜!!」
 なんだって朝からこんな思いをしなければならないのか、半ギレで言ってルシフェルは真っ赤な顔を両手で覆いながら勢い良く部屋から飛び出し、朝ご飯とバズー、デイズの待つリビングへ向かった。
 本当ならカインをこんなザマにしてやりたかったのだが、ずばり手痛いカウンターを受けてしまった。これ即ち彼にとってルシフェルから愛の告白を受けたことはただの笑い話であって照れなど微塵もないということなのか……。
「うわああああああああああん、馬鹿ー!!」
 忘れもしない、父親に似た人が好きと暗に、しかし確かな告白をしてしまったあの日。カインもオッケーしてくれたと早とちりし大喜びしたルシフェルだったが、その後あまりにもカインが必死に否定を続けたため、最終的には「そんなに嫌か!!」と大泣きしてその場に居合わせたバアルとレヴァイアを慌てさせてしまった思い出……。それでもカインは本当のところルシフェルの告白に満更でもなかったはずだと思っていた、思いたかった。
 それなのに、だ。
 ちゃっかりあの告白を機にますます仲が深まったのは確かだ。決して気のせいではない。しかし言動行動から察するにカインはルシフェルをせいぜい可愛い妹としか思っていない。それではダメなのだ。ルシフェルが望んでいる関係は父と娘でも兄と妹でもない。
(嗚呼、此処だけが三年前から全く進展無い……!)
 ルシフェルは湧き上がってどうにもならぬやるせない気持ちを振り払うため朝っぱらから「馬鹿馬鹿!! 大馬鹿!!」と大声でワンワン泣き喚きながら廊下を走り抜けて行った。
 一方、置いてきぼりを食らったカインは朝からルシフェルが元気満々なことにご満悦。いつも通りの朝に一安心である。
「逃〜げた逃げた。どうせ飯食うとこで鉢合わせすんのに。面白いヤツ」
 御機嫌な笑みを溢し、カインはネグリジェの裾をバタつかせて駆け抜けていった女帝の後をのんびり歩いて追った。



 ルシフェルが大泣きしながらやってきたことで一時騒然となったリビングではあるが、「まあ、いつものことね」とあまり気に留めず双子が支度をテキパキと進めたおかげで無事、爽やかな朝食の時間を迎えることが出来た。
 あれだけワンワン喚いていたルシフェル本人もテーブルの上が用意整ったとみるやモーニングコーヒーの香りと朝食の匂いにピタリと涙を止め、何事もなかったかのように席へ着いてケロッとした顔でもって食事開始。この切り替えもいつものことだ、もはや誰も気にしない。
「そーいや中身ともかくルーシーって見た目は大人っぽくなったよねー。それに比べて見た目そのまま中身ばかり大人になっていくアタシ……。ああ不公平だわ!! オカシイわ!! アタシ21歳なのに周りは未だ子供扱い!! ルーシーは16なのに若干大人扱い!! 悔しい〜っ!!」
 呑気にオムライスを頬張っていたルシフェルを見て突然にデイズが頭を抱えて叫んだ。
 三年前、この城に居候を始めた当初こそルシフェルを女帝として敬っていた双子ではあるが今ではすっかりお友達感覚だ。その証拠として普通に「ルーシー」と愛称で女帝を呼ぶ。カインがなんの脈略もなくパッと思いついた「ルーシー」の愛称がすっかり身近な人々に感染してしまった。彼ら双子がルシフェル様、と改まって女帝を呼んでいた昔が懐かしい……。と、それはともかく、なんだって急に絶叫されなきゃいけないのか。
「アタシから言わせればさあ……、な〜んでアンタたちはそんなにも成長しないわけ?」
 ルシフェルは頭を抱えているデイズと、御飯を口一杯に入れて喋れないバズーに問いかけた。ささやかな反撃である。
「そんなんアタシたちが知りたいッス……」
 デイズが深々と溜め息をついた。その隣でバズーが喋ろうと牛乳を一気飲みし、口の中のものを強引に流し込んだ。
「っぷは〜! 気にしないでいいよ、ルーシー。デイズってば昨日勇気を振り絞ってレヴァさんをデートに誘ったはいいけど『ゴメンこれからカインと飲みなんだ。また今度遊ぼうなー』って頭軽く撫でられてスカされたのまーだ引き摺ってるだけだから」
 瞬間、デイズの拳がバズーの脳天に打ち下ろされた。ゴンッと鈍い音がリビングに響き渡る……。
「イ……イデー!!」
 殴られた頭を押さえてバズーが激痛に声を張り上げた。同時にデイズも痛かったはずだが、痛みに対するリアクションは一切なし。それどころではないようだ。
「余計なこと言うんじゃないよ馬鹿ー!! うえーん、悔しいっ!! アタシがもっと色っぽいお姉さんだったらカインさんとの約束なんか放り投げてアタシとデートしてくれたはずよ絶対ー!! うえーん、色気の無いこの小さな身体が憎い〜!!」
 相当ショックだったのか、デイズは目をゴシゴシと擦って大泣きし始めてしまった。
「……そ、そんなこと言われてもな……」
 黙って話を聞いていたカインが口をポカーンと開けて喚くデイズを見やる。なんだか、とっても責められている気分だ……。いやしかし先に約束したのはカインであってモゴモゴモゴ……。
「デイズ〜。みっともないから泣くなよ、そんなことで〜」
 バズーがまだ痛む頭を撫でながら姉の姿に深い溜め息。本当なら大きな声で身の程を知れと言ってやりたいが、後が恐い。我慢するしか、ない。
「デイズ……。アンタ自分で言うほど大人になってないわよ……」
 見兼ねたルシフェルがボソッと呟く。流石は女帝、恐れることなく的確なツッコミを入れてくれる。しかしデイズ本人は喚くに夢中で聞いていなかったようだ。
「でも精神は年頃なのに身体はお子様ともなると悩むのも分からんでもないわねぇ。いいよなあカインは、若返りも老けもしない気楽な身分でさあ〜」
「……なんかムカツクんだけど」
 ルシフェルから暗に『お前は蚊帳の外』と言われた気がしてカインは眉をひそめた。物凄く恐い顔だ。これは謝っておいた方がいいと判断し、ルシフェルは「ごめーん」と軽く言ってまだ温かいコーヒーに口をつけた。目の前ではまだデイズが大声で嘆き、バズーが頭を押さえているが、まあ、放っておこう。いつものことだ。いつもの平和な朝の光景だ。
 ――こんなに平和でいいのか?
 人間界が破葬されて以来、バアルの言った通り天使軍の動きが全く無い。ゆえに丸三年、こんな風にのんびりとした日々を過ごしてきた。神に対し溢れ出る憎悪を隠しながら皆で笑って過ごしてきた。だが、神はいよいよ動き出す。人間界の破葬から三年も経った。次は魔界の番だ。
 平和な日々はもう間もなく終わりを迎える。「時は来た」と、神が大きな声で言う日は、近い。
(いつでもいいぞ。アタシたちの準備は整ってるんだ、いつでも来い――!)
「おい、ボーッとしながら飯食うなよ。溢したぞ」
 決意を胸に抱いたところで容赦無いカインの声が割り込んだ。
「なんだよ。今ちょっと…………ハッ! ホントだ、溢してる!」
 ルシフェルは素早くナフキンで溢したスープを拭き取った。良かった、染み込む前に拭き取れた。なにせ、あんまりランチマットを汚すとデイズが怒る。
「まだまだガキだなあ。中身といいおっぱいといい」
「アンタ魔界の明日を担う女帝サマに向かってちょっと失礼過ぎるわよ!!」
 言われるほど小さい乳ではない。ルシフェルは遺憾に頬を膨らませた。
 自分を「女帝です」と胸を張って言えるようになったのは両親を殺した罪悪感が薄れてきた証拠。しかし決して悪い意味ではない。これは、自分を責めようと両親は帰ってこない、ならば自分が女帝としてしっかり立とうという強い意志の表れだ。
 毎日毎日茶化してはいるが、ルシフェルを隣でずっと見てきたカインは彼女の成長をよく分かっている。本当なら「お前は大きくなったよ」と正直に言ってやりたいが、キャラじゃないから、言わない。
「ちょっと!! なんとか言いなさいよ!!」
「なんとか? じゃあ、アーアーアーアー。これでいいか?」
「いいわけないだろ、この白髪ジジイ!!」
「ったく、朝からうるっせぇなあ〜。ちょっと胸がちいせぇって言っただけなのに」
「もおおおお、なによその態度ー!!」
 案の定怒らせてしまったが、それでも言わない。で、そんなスカした態度のカインにルシフェルは更に激高するという悪循環だ。
「仲いいよねえ。ホント」
 二人のやり取りを見て、頭頂部の痛みが収まったバズーがコソッとデイズに耳打ち。
「そうね。羨ましいなあ〜。アタシも彼氏欲しいよぅ」
 こんな風に、毎朝レヴァイアと言い合いをしたい……デイズの夢がまた広がった。
「デイズ、ホントにこれが羨ましいの?」
 スカし続けていたカインが「キーキーうるっせぇんだよブス!!」と、とうとう声を荒げてしまったばっかりにルシフェルも本格的にスイッチが入り、なんとも激しい口論が始まってしまった。仲良しな光景ではあるが正直羨ましいとは思えないバズーである。
 まあしかしルシフェルとカインがこうして言い合いを繰り広げるのは今が平和な証拠。今日も爽やかな朝だ。



 一方、こちらはバアルの城。
「お〜い、ちょっとバアル起こして来いよ」
 朝食作り真っ最中のレヴァイアは大きなフライパンの上で大量のライスを器用にホイホイひっくり返しながら助手のミカエルに命令した。
「はーい。って、先輩それはちょっとイヤン! 何度も言ってるでしょ、バアル様ってば僕が起こしに行くと寝起き悪いのか殴りかかってくるんですよ〜!」
 棚からお皿を出したり紅茶を用意したり忙しなく動きながら訴えるミカエル。バアルの無防備な寝顔を拝むチャンスだと最初は大喜びでバアルを起こしに向かっていたミカエルだが、最近ではこの通りだ。寝起きのバアルはあまりに恐い。部屋へ向かう通路にどれだけ警戒しているやら結界がビシッと張られていたこともあれば、先程も言ったとおり部屋に入るなり殴りかかられたこともあり、遠慮してドアをノックするだけに留めても中から「コンコンコンコンうるさい!!」と怒鳴られたりする。最初だけかと思いきや三年経ってもこの調子。正直、もう、嫌だ。
「そっか、ま〜だお前にゃすっぴん顔とか見られたくねんだなぁアイツ」
「すっぴん顔なんて気にしなくていいのにぃ。……あ、まさかバアル様すっぴんだと眉が無かったり瞼が一重だったりするんスかね!? いやん!」
「い、いや、そんなことはないけど……。どーにもアイツって慣れない相手にすっぴん見せるのは嫌がるんだよなあ。普段俺に向かって晒してる感じでみんなにも見せちまえばいいのに」
「いいなあ先輩だけすっぴん見放題だなんて羨ましいっ!! 愛されてる証拠ざます。う〜っ、僕ちょっとジェラシー!!」
 ミカエルは嘆いた。憧れの人が自分に対しまだあまり心を開いてない現状に嘆いた。一体どうすればあの頑な極まりない心の壁を取り払うことが出来るのか――どれだけ考え悩めどいつも結論は出ない。と、いうか、悩む暇すらない。
「ま、いいや。じゃあ今日も俺が起こしに行くから先に飯作っちまおう。そこの皿取って〜」
「あ、はーい」
 この通り忙しくて悩む間もない。此処へ居候を始めて三年、バアルには心を開いてもらえずレヴァイアにはアレやコレやとこき使われる日々。こんなはずじゃなかった! が、それでも神の使いとして生きていた頃に比べれば幸せである。憧れの人と同じ屋根の下に暮らせる喜び、なんだかんだで良くしてくれる先輩レヴァイアの存在……。最初「裏切ったら殺す」と真顔で二人に言われた時はどうしようかと思ったが、彼らは凶悪な言動とは裏腹に優しい。ミカエルの家出は間違っていなかった。
(そもそも大天使である僕を軽く受け入れてくれたんだもんね、お手伝いくらい喜んでやらなきゃっ)
 言われた通り動きながらミカエルはレヴァイアの手元を見た。いつからかこの熟練した料理の腕を見ているうちに自然と彼を『先輩』と呼ぶようになったミカエルである。
「よーし、出来た。じゃあ俺アイツ起こしてくるから飯、皿に盛って運んどいて」
 言ってレヴァイアはミカエルが頷いたのを目の端で確認し、キッチンを出た。すると正面のテラスにまだベッドの中で寝息を立てているとばかり思っていたバアルがのんびり景色を眺め紅茶を飲んでいる姿があった。
「なんだよ、起きてるなら顔くらい出せよなー」
 腰巻きエプロンを外してレヴァイアが唇を尖らせる。
「あはは、すいません。お二人が私のいないところでどう仲良くやってるのか知りたかったんですよ。なにせ会話が想像つかなくて」
 ニッコリと微笑むバアル。そこへ山盛りの料理を乗せた皿を両手両腕に一枚づつ器用に抱えたミカエルがやってきた。
「あっ、バアルさん! おはよう御座います〜ん!」
「おはよう御座います。ところでミカエル君。誰がすっぴんだと眉が無いんです? 瞼が一重なんです?」
 ニヤ〜ッと若干の狂気を帯びた笑みでもってバアルはミカエルに詰め寄った。
「え? え? なななななな、なんの話でしょうか!?」
 まさかさっきの会話を本人が耳にしているなど夢にも思っていなかったミカエルはせっせとテーブルに料理を並べ、その場を誤魔化した。
「ほお〜。そうやって誤魔化すか。まあいいけどね、いいけどね。…………それにしても今日の朝食も美味しそうだ」
 色とりどりの料理を眺めてバアルが目を細める。
「当たり前だろ〜。誰が作ったと思ってんだ」
 コーヒーを用意しながらレヴァイアは得意げだ。
(それにしても……)
 バアルはふとまた景色に目を向けた。いつも通りの朝――――しかし何か胸騒ぎがする。この落ち着かない気分はなんだ。力を蓄えた神が沈黙を破ろうとしている予兆だろうか。
 ならば、喜ばしい。待ちに待った勝機の到来。今までの物事は余興。全てはこれから始まる。
(ラファエル、こちらの準備は整っているぞ)
 声にならぬ声で言ってバアルは遥か彼方にいる敵将を睨んだ。準備なら出来ている。あとは神の歯車をどれだけ自分たちが狂わしてやれるか、だ。
「バアル、コーヒーいれたぞー。飯にしようぜ」
 背後からレヴァイアの呼ぶ声。
「はい、いただきます」
 常に万全を期すためには腹ごしらえが肝心。バアルは意気揚々と食事の席についた。



「貴方の予感はよく当たる。しかし残念だ、肝心なところが読めていない」
 来たるべき日が近いことを察したのは流石だ、だがバアルの目は最も肝心な『結末』を見通せていない……。ラファエルは肩を落とした。だからこそ勝てるはずもない戦いに身を投じてしまったのだろうが……、残念だ。
 一つ大きく溜め息をついてラファエルはまた魔界のひび割れた大地を一人、踏み締めた。思い入れなど何一つありはしないが、もう間もなく消滅するこの地をふと歩きたくなったのである。
 此処は街から遥か離れた場所。大天使が降り立っても悪魔たちは察しない、と思ったが、目の良いバアルは例外だったようだ。案の定、途方も無い距離を挟んでジロリと睨まれてしまった。
 ならば、この声も聞こえるだろうか。
「バアル、この戦いに勝利するのは神だ。神なんだよ」
 言ってラファエルは不敵に微笑んだ。待ちに待っていたのはラファエルも同じ、この不毛な戦いにもうすぐ終止符が打たれると思うと嫌でも口角が持ち上がる。
(お前たちがどれだけ神の歯車を狂わせるか、大変楽しみだ)
 余裕の笑みばかりが溢れて堪らない。

 全ては、これから始まる。



――――第一章END――――



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