【01:毎日彼らは夢を見る】
――生まれてきた意味を何一つ与えられないままに私たちはこの地へと産み落とされた。
ゆえに疑問は尽きない。
何故生きなければならないのか。何故自分たちは産まれたのか。何故産まれなければならなかったのか。こんなただ押し付けられただけの生命を真っ当しなければならない理由が何処にある。
偉大なる神よ。貴方によって醜い肉塊に閉じ込められた私の魂は故郷へ帰りたいと泣いています。
その故郷が、何処にあるのかも分からないというのに――。
(そんな言葉を私に囁いたところで何がどうなるというんだ)
朧げな声に投げやりな反論をしたところでバアルは「おーい!」という相棒の陽気な声に目が覚めた。
(ああ、なんだ。私は夢を見ていたのか……)
先程まで耳にしていた声の正体を知って安堵したバアルは一度は開けた目を再び閉じた。
「あ、こら寝るなって! 起きなさーい!! 王様、起きてくださーい! ったくもう、お前ってば本当に最近朝弱いなあ。起〜きて! 起きてってばあああああ〜〜〜〜!!」
二度寝なんか許しませんよとばかりに耳元へ放たれる大きな声。バアルは堪らず眉間に皺を刻んで「うるせぇな、畜生……。だりぃ……。寝る……」と低い声で答えた。
「こ、怖っ!! そんなこと言わないで起きてってば〜。お前が起きてくんなきゃ朝飯のメニューが決まらなーい!! 勝手に適当なもん作っちゃっていいのかー!?」
……それは良いわけがない。バアルの健やかな一日はこちらのリクエスト通りに作られたレヴァイアの朝食から始まるのである。
「飯……。分かった。分かりました、起きるよ……。ぁあ〜、ねむっ。なんか変な夢を見たし起きたら起きたで変な男が何故か勝手に私の部屋に踏み込んでくれちゃってるし……」
眠気に食い気が勝ったバアルは寝乱れた長い銀髪を掻き上げながら半身をベッドから起こしてシャツにジーンズというオフのスタイルに身を包んだレヴァイアを見やった。
此処は入り組んだ城の頂上にあるバアルの私室であり彼が素顔で気兼ねなく過ごせる数少ない場所だ。広々とした間取りに金と紫を基調とした家具がキッチリと配置され装飾鮮やかな天井には大きな大きなシャンデリア、端にある大きなドレッサーの上には沢山の化粧品と指輪などの宝石が無防備に並んでいる。豪華絢爛という言葉がこれほど似合う部屋も他にない。
「誰が変な男だ誰が。失礼しちゃうぜ。そんなこと言うなら自力で起きやがれ」
「出来たら苦労しません。……それはなに?」
不意にレヴァイアが手にしていたコップの中身が気になったバアルである。
「これ? 搾りたての果汁たっぷりオレンジジュースでーす。お前の分も作ってあるよ。飲みたかったらちゃっちゃと食堂へいらっしゃーい」
「はーい。あっ、そうだ。ミカエルはもう起きてますか?」
「ん〜? もちろん起きてるよ」
だったらどーしたのといった感じなレヴァイアの態度である。
「そう……。それじゃ化けようかな……」
どうにも付き合いの長いレヴァイア以外に素顔を見せるのは抵抗がある。バアルは気怠そうにベッドから降りてドレッサーの方を見やった。するとレヴァイアから「待った」と肩を叩かれた。
「朝っぱらからのメイクの必要はないよ。ミカエルのヤツ散歩してくるとか言って出掛けてったから」
「散歩? 私に朝の挨拶もなければ朝食も食べずにですか?」
ミカエルはとてもアクティブな天使だ、しかしバアルにおはようの一言もなく出掛けて行くことは滅多にない。
「ああ。アイツなりに気ぃ使ったんじゃないのかなあ。たまには素顔で朝をってね」
「あっら〜……。悪いことしちゃったなあ。でもこの顔は譲れないし。う〜ん……」
気を使わせて申し訳ないが素顔はどうにも見せられないジレンマである。レヴァイアはそうして頭を抱えたバアルを見て我慢出来ずクスッと吹き出してしまった。
「あっ!? テメ笑ったな!! 私は真剣に悩んでるんですよ真剣にっ!!」
バアルは先程まで襲ってきていた睡魔を吹き飛ばして大声で抗議した。
「プクククッ! いや、わりぃわりぃ。お前の気持ちは分からないでもないんだけどさあ」
「ケッ! 素顔で何処にでも出かけられるお前になにが分かるもんかっ!」
なんだか普段の敬語口調は何処へやらなバアルである。
「いや〜、ちゃんと分かるさあ」
「何を」
バアルの言葉にレヴァイアはおちゃらけ一色だった表情を殺して静かな笑みを浮かべ「なんでって、お互い『自分のことを誰よりも嫌悪してる仲』じゃねぇか」と溢した。朝から嫌な話だ。これにはバアルも真顔にならざる得なかった。
「やめろ、それは言いっこなしってヤツだろうが」
「そうでした! ところで朝ご飯は何が食べたい?」
空気を変えましょうと言わんばかりの話題転換。まあいいだろう。バアルは気を取り直して自分が今なにを食べたいか考えを巡らせた。
「ん〜、じゃあ卵な気分だから半熟のベーコンエッグと焼きたてのクロワッサンと後はお任せします。よろしく」
「了解! 変な夢を見たとか言うから心配したけど、そうやって朝飯のリクエストが出来るなら結構だ」
「ええ、自分でも安心しました。そういう貴方はどう?」
「俺?」
問い返された途端、レヴァイアは妙に口篭って天井に目を泳がせた。
「ん〜、まあお前と一緒に朝食を食える程度には元気だよ」
「そう」
ならば一安心――と言えたらどれだけ楽だろう。バアルはレヴァイアの誤魔化すような笑顔から咄嗟に目を逸らしてしまった。
ああ、まただ。びっしょりと血に塗れた自分の両手と頬を伝う生温い涙の感触で今ルシフェルは自分が今なんの夢を見ているのかすぐに分かってしまった。
口の中は血の味でいっぱいだ。もう間違いない、また親を喰らった時のことを夢に見てるのだ。なんで最近こう同じ夢ばかり見るのだろう。
(見たくない。こんな楽しくない夢は見たくない――!)
瞬間、願いが通じたのか目の前の景色が一変した。
一体今度はどんな夢が始まったのだろうか。父サタンが真上から言い様のない悲しみを帯びたような目でこちらをじっと覗き込んでいる。
(パパ……!)
夢とはいえ久々に父と対面できた喜び。だが微笑みたくても口角が上がらない。父に触れたくて手を伸ばそうとしても何故か身体は糸が切れたように全く動かない。
どうして指先一つ動かないのか。酷く憂いを帯びている父に手を差し伸べたいのに出来ない。声の一つも出ない。その悔しさに唇を噛むことすら敵わない。視線すら父のショッキングピンクの瞳を真っ直ぐに見つめるばかりで僅かも動かせない。
背中には屈強な腕の感触。父が腕を回してこの小さな身体を抱きかかえてくれていることが分かる。
なのに不思議だ、どうしてこんなにも不安なのだろう……。
ルシフェルが疑問に頭を支配される中、目の前の父がゆっくりと口を開いた。
『リリン、お前を今日から独りにしちまうことを許してくれ。でも大丈夫。俺の他にもお前を守ってくれる奴はいっぱいいる。俺もさ、姿形は無くなるけどお前のことはこれからもずっと側で見守っているから。だから、大丈夫だ。心配いらねーよ』
言い切って悲しげな笑みを娘に零したのち父は内に込み上げる何かを押し殺すように眉間に皺を寄せて目を強く閉じ、僅かな間を置いて一気にギョロリと狂気に光った目を剥いた。これは彼が戦地にて天使にのみ向けてきた哀れみと殺気を混同させた独特の目だ。
(パパ……?)
ルシフェルの背筋に言い様のない悪寒が走った。なにせ理解を超える状況だ。何故こんな恐ろしい瞳を娘である自分に向けてくるのか理由が全く想像つかない。
殺される――――咄嗟にそう感じた。
なんなんだコレは。こんな思い出は存在しない。父にこんな視線で射抜かれたことは一度たりとも無い。ならばこれは『純粋になんの脈絡もない夢と言える夢そのもの』なんだろうか。だとしたら余計に見る必要のないものだ、悪戯に鮮明なこともあって質が悪い。
早く目覚めて逃げてしまいたい。楽しくない夢は苦痛でしかない。
(怖い。怖いよ、パパ。やめてよ、そんな目で見ないで。そんな目で見ないでよ――!)
視線一つ動かせない中でルシフェルは狂気に満ちた父に縋った。こんな状況だ、頼ったところで無駄かもしれない。それでも父ならばと願ったのだ。
この娘の気持ちを知ってか知らずか父は狂気を湛えたまま鋭利な牙を有した口を大きく開けた。この牙で父が稀に天使の手足を噛み千切っていたことを思い出す。
(まさか……。嘘でしょ)
嫌な予感は的中。父が牙を剥き出したままルシフェルの視界の下へと顔を沈めていった次の瞬間、今まで経験したことのない強い痛みが首に走った。
見えずとも分かる。噛み付かれたのだ。
(痛い!! 痛いよパパやめて!! 痛いよ――!!)
声にならぬ声で叫ぶ。しかし父は牙を離そうとしない。
なんでこんな酷い夢を見なければならないのか。
痛い、苦しい、喉に血が詰まって息が出来ない、わけが分からない。不気味なことにこれほどの狂気に取り憑かれながらも父サタンは慈しむようにルシフェルの髪を撫で、小さな身体を優しく抱きかかえ続けている。意味が分からない。痛めつけるのか優しくするのかどちらかにして欲しい。
(こんな夢、見たくない!!)
父の漆黒の髪を見つめて強く訴えた。
(パパごめんなさい!! もう弱音なんか吐かないから助けて!! こんな夢は嫌だ!! 嫌だよ!! こんな夢を見るくらいならアタシが、アタシがパパを食べてる夢を見た方がいい!! 食べられるのは嫌だ、いつも通りアタシがパパを食べる!! だから……っ、だから――!!)
「う……っうあああああああああーーっ!!」
ようやく声を出すことが叶った。身体も動く。目を閉じることも出来る。ならばとルシフェルは両手を振り回して父に抵抗した。すると「やめろ」と言わんばかりに額にコツンと何かが優しく当たった。温度と感触からして男の手の甲だ。父の手だろうか。
「あ……っあ……!! 嫌!! 嫌あああああああー!!」
もう痛い思いはしたくない。ルシフェルは固く目を閉じたまま我武者羅に抵抗を続けた。すると額に乗せられていた男の手が離れ……、頬をペチッと叩いてきた。冷たい手だ。……おかしい。父の手はいつも暖かかった。こんなに冷たくはない。これは父の手ではない。
「大丈夫! 夢だ、夢。起きろ」
聞き覚えのある低い声。嗅ぎ慣れたコーヒーと煙草の香り。我に返ったルシフェルはそっと瞼を開いて頬に当たっていた手から先を目で追った。
「あ……。カイン……?」
若干呆れたような顔でもってこちらを見下ろすカインの顔を確認し、ようやくルシフェルは悪夢から開放されたことに気付いて安堵の息を吐いた。ヒヤリと一気に現実へ引き戻してくれる彼の冷たい手はルシフェルにとって一番の目覚ましである。
「おはよ。ま〜たいつもの夢か?」
言ってカインは手慣れた風にルシフェルの顔へタオルを掛けてそのまま上から片手でガシガシと汗を拭ってくれた。
「む、むぎゅっ。いや、なんだか、ふぎゅっ。いつもと、ちょっと、違う夢だった。ふぎっ」
顔を手で掻き回されているような状況ゆえに途切れ途切れな喋り方になるのは仕方がない。
「そっか。なーんか最近やたらその症状酷いよな。この間の走馬灯といい今日の暴れっぷりといい……。お前近々死ぬんじゃねーの」
投げやりな口振りでもってカインはルシフェルの顔から退けたタオルを軽く畳んでベッドの縁に掛けた。
「ええええええ縁起でもないこと言わないでよバカ!! 冗談じゃないよー!!」
いや本当に冗談と思えず顔面蒼白なルシフェルである。その本気のリアクションが面白かったのかカインは「ヒヒヒッ」と意地悪い笑みを零して満足気だ。
「ム〜ッ!! そっちこそ死ぬんじゃないの!? 血が通ってないんじゃないかってくらい今日も手がキンキンに冷え過ぎなんですけどッ!!」
「あー? 不治の低体温症な俺に言わせればお前らが異常に暑がり過ぎなんだよ」
突っぱねつつも気にしたのかカインは両手を擦り合わせた。彼はこういうところが可愛い。悪夢による精神ダメージは何処へやらルシフェルは満面の笑みを浮かべた。
「どれどれ、少しは温まった? ……冷たっ!」
何度も何度も擦り合わせていたカインの手に触れてビックリ、少しも温まっていない。
「これは良くないね! 寝起きでホッカホカなアタシが温めてあげましょう! はーいゴシゴシ〜」
悪戯っぽく笑ってルシフェルはカインの手を両手でワシワシモミモミした。徐々に温まっていく大きな手。カインも戸惑いがちに大袈裟な瞬きはするものの嫌がっている素振りはない。
「流石だな火柱女。お前の手ぇ熱すぎだわ」
「オホホホッ。って、誰が火柱女だ誰がッ!!」
しれっとした顔で失礼な発言をするのがカインという男だ。
「お前だ、お前。つーかモミ過ぎ。そろそろやめとけ。つーか今すぐやめとけ」
「あらあら、なによ今日に限ってウブな反応しちゃって。ウッヒッヒッ」
カインが僅かに目を泳がせたことに気付いてルシフェルは勝ち気な態度に出た。何故ならこれは照れたら負けな遊びだ。当のカインも知らぬそんなルールをいつ決めたと言われれば答えられないがとにかく照れた方が負けなのだ。
「か、仮にも年頃な娘が変態オヤジみてーな声を出すんじゃねーよ!! とにかくもうやめなさい悪いこた言わねーから!!」
不意にカインが後ろを振り返る。すると「そうだよ僕の目の前で朝からイチャイチャしないでよっ」という第三者の声が響いた。……まさか。
「ど、どちら様か、いらっしゃるの? ……っああああああああああー!?」
そーっと起き上がってカインの見つめる方向を覗き込んだルシフェルは絶叫した。何故なら視線の先に鮮やかな水色の長い髪を有した天使ミカエルが顔を赤らめて何やら分厚い本を両手に抱えカチンコチンに強張った状態で椅子に座っている姿があったからだ。
なんてこった。見られてしまった。カインにだけ許していた寝起きの有り様を見られてしまった――!
「色々とすまねぇなミカエル。コイツ本当に酷いだろ、朝から叫ぶわセクハラするわってよ」
「アハハ……。 いえいえ、可愛らしいじゃないですかん。カイン頼りにされてるんだねん。そんなわけでルーシーちゃん、おっはよ〜」
岩のように固まったルシフェルに平然と手を振るミカエルである。
「おう、おっはよ〜……じゃないよ!! なに乙女の部屋に堂々と断りもなく踏み込んでくれちゃってんだよミカちゃん畜生め性別不詳な顔してるからって許されないぞゴルァアアアア!!」
キャミソールにボクサーパンツというほぼ下着そのままな格好だったルシフェルは胸元を両腕で隠して顔を真っ赤にした。
「ひいいいい!? ごめんなさーい!! でもこれには深いようで浅くて、でも深いようなわけがありまして!!」
「どっちだよ!? ともかく野郎のクセして何事だコノヤロー!!」
恥ずかしいやら何やらで叫ぶしかないルシフェル。流石に見兼ねたのか「まあいいじゃねーか」とカインがなだめに入った。
「んな気にすんなよ。お前はお前で女としての色気は皆無だしミカエルはミカエルでこんなヨンヨン言ってるあたり男らしい思考持ってそうには見えねーだろ。同性としてカウントしとけ」
これカインとしては最善の提案をしたつもりだ。だが……。
「ああ〜、確かにミカちゃんは男らしくないしアタシも女らしくないから仲間じゃん寝起き見られても気にすることなかったわ〜……なんて納得いくわけないでしょッ!! バカなこと言ってんじゃないよカイン!!」
ますます怒り心頭なルシフェル。続いてミカエルも「酷ーい!!」と声を上げた。
「ちょっとカイン!! 僕がヨンヨン言ってるのは確かだけど男らしくないって酷すぎますん!! 謝ってー!! 謝ってくださいいいん!!」
そういえば憧れのバアル様と同じくミカエルもミカエルで中性的な格好をしておきながら男らしさの度合いを指摘されるとしっかり怒る子だった。そしてカインはカインでいまいち反省というものを知らない男。
「えー? だってお前、本当にポコチンついてるのか怪しいんだよなあ〜」
今回もこの態度である。何故カインがこう火に油を注ぐのが好きなのかルシフェルはいつも疑問なのだった。
「なんてこと言うんだテメェ畜生!! ちゃんとついてるよ失礼な!! 疑うなら見せてやろうか!?」
本をテーブルに置いて勢い良く立ち上がるミカエル。一応は男の子だけあって彼の負けん気は相当なものだ。止めないと本当にポロリしかねない。
「朝から下品な真似はやめなさあああああい!! で、ミカちゃんアタシのお部屋でなーにしてんの? 今日はレヴァ君のお手伝いしなくていいの?」
こういう時はサラッと話題転換するに限る。ついでにルシフェルは今日何故ミカエルが朝から此処へ遊びに来ているのか理由を知りたかった。
「ガルルルルッ!! ん? ああ、今日はお手伝いが早くに終わっちゃったのん。だから僕と同じく早起きかつ暇してたカインちゃん捕まえーの字が読めないから教えてくれって言われたのでそのままお城にお邪魔しました〜ん!」
ミカエルは聡明な青年なだけあって怒りを引き摺ることなく表情をコロッと変えてルシフェルの問いに笑顔で応じてくれた。その横でカインが「そういうことにしといてやるか」と小声でボソリ。どういうことだろう、ちょっと気になるがルシフェルは無闇に追求するのは野暮と判断して話を続けた。
「なーるほど。で、そのままアタシの部屋にまで堂々と入ったわけね」
「だあああって僕ってば読書大好きなんだよねーって言ったらカインちゃんが『そんじゃあルーシーのお部屋には本がやたらいっぱい揃ってるから好きなの読めよー』って勧めてくれたからあああ〜、そいつぁありがたいやと思ってだね……!」
「そんなわけでミカエルが懇切丁寧に一冊の本を俺に音読してくれたんだわ。俺今日スゲー賢くなった気がする!」
言ってビシッと得意げに親指を立てたカインからは一切の悪気も感じられない。
「うわ〜ん、やっぱりどうあってもアンタら二人は乙女に対する配慮が足りてなあああああい!! ……ま、いっか。で、なーに読んでたの?」
勝手にミカエルを招き入れたカインもカインだわ遠慮無く足を踏み入れたミカエルもミカエルなわけだが、これは二人が女帝を全くもって僅かも女扱いしていないから出来たことである。ゆえにルシフェルは諦めの気持ちが先行して彼らを責める気などすっかり失せてしまった。
(悔しい限りですお父様ぁぁぁぁぁ……!)
嘆くルシフェルを他所にカインは元いた場所であろうミカエルの隣の椅子に腰を下ろして「本のタイトルなんだっけ?」と首を傾げてまだ湯気の立っているマグカップに口をつけた。
「んっもう何度言っても忘れちゃうんだから〜ん。『天上の記憶』って本だよん。僕の憧れバアル様の著書なり〜! バアル様は文章も素敵です、トキメキまっする!」
ミカエルが満面の笑みで本を掲げた。
「バアル様が昔に本を書いたってことだけは知っていたんだけど今じゃどの店も取り扱ってないし図書館へ行っても最重要書物だから簡単には見せないよん言われるし本人に見せてってお願いしたら物置きの超奥底にあるから引っ張り出すの面倒臭い言われるしで諦めてたんだけど此処の本棚見てビックリよん! まさかルーシーが持ってたなんて僕マジ大感激ん! こんな貴重な本を持ってるなんて流石は腐っても女帝ちゃんですねん、ルーシー!」
いまいち褒めてない。
「アタシ腐ってないわよ失礼ねッ!! ちなみにその本、読んでもいいけどバアルには読んだこと内緒にしといた方がいいよ。本人にとっては黒歴史な一冊らしいから」
「黒歴史? なんで?」
カインがパチパチと瞬きをした。
「それ数千年前バアルが神様をどうやって倒そうか考えてる時に書いてたメモが元らしいのよ。で、天地創造の光景を知る博学な人が本気で書いたメモだから価値ありまくりで売れるんじゃないかってレヴァ君が言ったもんだからヨッシャ売ってみよう売上げで宝石いっぱい買おうってことで書籍化していっぱい売れたはいいけど、よくよく読み返したら神様に呪われたせいで記憶欠けまくりなこととか自分の無知をわざわざ大衆に晒してしまったようなもんじゃないかと気付いちゃって巷で好評な一冊だったにもかかわらず販売三ヶ月で回収騒ぎ起こして絶版させるに至ったんだそうな」
とどのつまり本人にしか分かり得ないプライドによって封印された悲しい本なんだよと得意気に語るルシフェル。聞いたミカエルは「成る程カッコイイ!!」と目を輝かせ隣でカインは「今の話の何処に感動する要素があった?」と眉間に皺を寄せた。
「なーんかアイツもよく分かんねー男だなあ……。で、その絶版本をなんでお前はこんな無造作に本棚へ並べてたわけ?」
「ああ。10年くらい前かな、バアルが『未来の女帝様にだけ特別に恥を晒してあげましょう、この世界の仕組みをお勉強するために読みなさい』ってプレゼントしてくれたんだよ〜ん。アタシが持つ人徳の賜物ね! そ〜れをアンタら勝手に人の部屋へ乗り込んで勝手に読みやがってコノヤロー!!」
改めて怒り心頭。これはマズいと思ったのかミカエルとカインは瞬時にルシフェルから目を逸らして「さーて、どこまで読んだっけか」と仲良く本を覗き込んだ。
「っと、その前にカインちゃん。さっき教えたこの字の読み方は覚えてる?」
ミカエルがページ内の一点を指差す。するとカインは「えーと……」と唸ってモゲるんじゃないかと思うほどに首を大きく傾げた。
「えーーーーと……、忘れた」
「あ〜ん、またなの〜ん? この字のこと忘れるの五回目ですわん。可哀想だからそろそろ覚えてあげてよん」
「んなコト言ったって覚え難い形してるコイツが悪いんだよ俺は悪くねぇ」
どうやら勉強の成果は無さそうだ。
(そんなことだろうと思ったぜ〜)
ルシフェルも文盲なカインを心配して何度も勉学に励むことを勧めてきたわけだが彼は全くと言っていいほど関心を示さず、挙げ句「読み書きなんか出来なくたって生きていける」と毎度開き直ってきたのである。実際彼は脱獄してからの三年間、読み書きが出来ないことの不便さなど僅かも感じさせず悠々自適に暮らしてきたがそれは周りの親切あってのこと。やっぱりもうちょっとは頑張ってもらいたいものだが……。
「ん? なに人の顔ジッと見てやがんだよ」
視線に気付いたカインがルシフェルを見やってムッと顔をしかめた。
「え? あ、別になんでもなーい! ただコーヒー美味しそうだなーと思って! アタシの分もよろしく!」
適当に誤魔化してルシフェルは部屋の端に備え付けてある洗面台で顔を洗った。寝起きに冷たい水で顔を洗う快感たるや尋常ではない。背後ではカインが返事こそしなかったが言われた通りにコーヒーを用意してくれているのが音で分かる。
「で、本どこまで読んだっけか?」
今日も文字を学ぶことをあっさり諦めたのかカインはちゃっちゃと話を変えてしまった。そんな彼の態度にも嫌な顔一つせず応じるミカエルは本当に根の優しい青年である。
「えーとねん、それがルーシーの悲鳴にビックリしちゃってどこまで読んだか全く分かんなくなっちゃったのよねん僕! 申し訳ないのですん……」
「なーんだ、しょーがねぇな。まあ気にすんな。俺なんか全然ビックリしなかったのに気付けば本の内容全部頭からスッポ抜けてんぜ。ヤッベー、なんも覚えてねーわ」
「それ物凄〜く駄目じゃないのん!! 僕が一生懸命に本を音読したあの一時間はなんだったのよ酷いわあああ!! もうちょっと学ぶ努力をしなさいカインちゃんッ!!」
やれやれな会話だ。
「うちのカインちゃんがスイマセンねぇ」
軽く詫びつつ、朝の支度をひと通り完了させたルシフェルが満を持してテーブルの輪に加わった。顔を洗って寝癖を直しただけ、すっぴん顔でキャミソールにホットパンツという先程と殆どあまり変わりない姿だがボクサーパンツ剥き出しとは気分が違う。わざわざ椅子を移動させて真横にピッタリとルシフェルが座ったことを確認するなりカインが無言で湯気立つコーヒーカップを差し出してくれたことも気分が良い。本当に寝起きの不機嫌っぷりは何処へやら、今日も女帝は御機嫌だ。
「アハハハッ! いえいえ、どう致しましてん。えーと、じゃあカインちゃんなんにも覚えてないことだしまた最初から読もうかなあ。冒頭に書かれてる天地創造の過程は何度読んでもワクワクするしね! 天地創造いいなあ、僕も直に見てみたかったもんだにょい」
「もんだにょいって、なんだにょい」
意気揚々と本のページを捲るミカエルにカインが真顔でツッコミを入れた。
「あ、そういえばミカちゃんとカインって歳あんまり変わらないんだっけ? 二人ともレヴァ君やバアルと違って数千年も生きてるように全く見えない不思議だにょい……」
ミルクと砂糖の塩梅バッチリなコーヒーを飲みながらルシフェルがボソリ。
「そりゃ若々しいって褒めの意味なのかガキっぽいって悪口なのかどっちだ?」
カインが眉間に皺を寄せた。
「ルーシーってそういえば目上の人を殆ど敬わないよねん……。お嬢様育ちって恐いわん……」
ミカエルも同じく眉間に皺。
「そうやってすぐムキになるところが数千歳に見えないんだよキミたちはっ!!」
今更ながら16歳にして数千歳の男たちと対等に話の出来る自分を少し凄いと思ってしまったルシフェルである。っと、それはともかく彼らはすぐムキになる自覚があったらしく反論を諦めて何事もなかったように「えーと」と唸りながら本に視線を落としてしまった。その逃げ方がまた子供っぽいわけだがもう追求するのはやめておこう。キリがない。
「いいよね、天地創造の過程って。神様が行った唯一の善行じゃないかなん」
言いながらミカエルはカップに紅茶のおかわりと沢山のミルクを注ぎ、角砂糖を4つも落とした。
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