【02:天上の記憶】
この世界は物質の源である創造主によって形作られ、終わりの概念であるレヴァイアと始まりの概念であるサタンによって動かされている。この三人の神が何処からやって来て如何にして此処に集うに至ったかは誰も分からない、本人たちも知らない。ともかく創造主はこの世界に生まれ落ちて瞼を開いた瞬間に虚無の『終わり』を悟って『希望』を見出した瞬間にこの世界は生まれた。
己が瞼を開いた瞬間に虚無の終わりを悟った創造主は虚無を終わらせてくれた概念であるレヴァイアを慈しむあまり世界の半分を覆い尽くすほどの巨大な身体と寝床となる大地を与えるに至り、レヴァイアを目視したことで大きな希望を見出した創造主は始まりの概念であるサタンに美しい青年の身体を与え空に光を灯すに至った。これが世界に天と地が創られた過程である。
本の冒頭に記されていたこの天地創造の話は悪魔と天使ならばどんな小さい子供でも早々に親や兄弟から語り聞かされ知っている。当然ルシフェルも例外ではない。天地創造を担った神に実の父と尊敬する兄が含まれているのだから尚更だ。
「確かにルーシーの親父とレヴァイアに身体を与えて純粋に天地創造してた頃はマシな頭持ってたっぽいよな神様。で、サタンの美しさを見て更なる希望を見出した神はサタンによく似た最初の天使『ミカエル』を創り上げたはいいけどその『ミカエル』がヨンヨンうるさ過ぎたせいで神様は頭がおかしくなった、と」
真顔でこういう冗談を言うのがカインの恐いところである。
「ムッキー!! 中途半端に本の内容覚えすぎなり!! 僕の『パパ』が世界で三番目に生まれた過程は合ってるけどパパはヨンヨン言ってませんでしゅ!!」
「そういえばミカちゃんもアタシと同じでパパの名前継いでるんだったね。パパどんな人だったの? あんまり話に聞いたことないんだけど」
旧ミカエルは勇敢な戦士だったという評判こそ残っているがその人となりを記した文献は皆無だった。ゆえに父や兄たちに詳細を尋ねてみたこともあったが「ガミガミうるさいヤツだったとしか言い様がない」としか教えてくれない始末。相当に仲の悪かったことが窺える……。息子はこんなにも温厚な不思議ちゃんなのにお父さんは一体どんな男だったのだろう、とっても気になる。
「ん? ん〜、直接会ったことないから僕もなんとも言えないんだけど結構なイケメンゴリマッチョでもって性格は相当なゲス野郎だったみたいだよん。だからぶっちゃけあんまり語りたくないにゃん!」
「あらまあ……」
なにそれ余計に気になる……と、ルシフェルは思ったがミカエルはもう何も答えてくれそうにない。語りたくないというのだから語らせては可哀想だ、もうこの質問はやめよう。
「ハハハッ。親がいたらいたで色々と面倒臭そうだなあ。俺なんて気楽なもんだぜ」
神様が捏ね上げた泥に魂を宿されることでなんの因果も背負わず生まれたカイン、ホッと一息……といきたかったが人類最初の人間であるからして因果が無いなんてことは有り得ない。
「いや、お兄さんも相当アレだと思いますよん僕……」
ルシフェルの手前、口に出して言いはしなかったが博学なミカエルはカインが希望の神であるサタンを模して創られた人間であることを知っている。気楽と言ってのけた本人も実はそれを知っている。
「なんか、俺らって実はスゲェ複雑な関係だったりする?」
サタンの娘ルシフェルとサタンに似せて創られた天使ミカエルの息子とサタンを模して創られた人間が一つのテーブルに集っていることに改めてカインは運命の悪戯を感じてしまった……。
「まあ、でもほら僕らみんな元を辿れば神様から始まってますからねん、色んなご縁で繋がっちゃってるのは仕方ないなり。気にせんとこう、そうしよう。パパは性悪ゴリマッチョでも僕は僕だっちゃ!」
どうだ僕イイこと言った! と目を輝かすミカエル。これにルシフェルも強く頷いた。
「そうともミカちゃん!! だからアタシもアタシだしカインもカインよ! アタシはアンタが大好きだけど決してパパの面影を追ってるわけじゃないってこと理解しといてよね! 模して創られただけあってそりゃあパッと見はよく似てるけどさ」
「知ってたのかいッ!!」
気を遣った意味無し。カインとミカエルが同時に声を上げた。
「だって有名な話じゃーん。とにかく安心してよ、天使はどうだか知らないけど悪魔は血縁濃すぎてみんな顔似てるから相手の容姿が誰の肉親に似てるだのなんだのって全然気にしないタチだから」
「何をどう安心すりゃいいんだかよく分かんねーけど一応ありがとよ……。ミカエル、本の続き読もうぜ〜」
ちゃっちゃと話題を変えられてしまった。残念、ルシフェルの気持ちはイマイチ彼に伝わっていないようだ……。
「いいけどカインちゃん僕のパパの次に生まれたのが誰かは覚えてるかな〜?」
「あ? バアルとラファエルと名前を抹消された女神の三人だろ、性別って概念の基板になったって言われてる天使たちだ確か。あとは知らん」
「そうそう当たり〜。って可哀想なこと言うんじゃないよん! 次に生まれたのカインちゃんが毎日お世話になってる煙草屋さんだよっ! んで次はバズーとデイズちゃんのパパとママですんっ!」
その後も彼らは暫く歴史の勉強で盛り上がった。たまにはこうしてこの世界の仕組みに改めて思いを馳せるのも悪くはない。
バアルの著書には本当に沢山の知識が詰まっていた。創造主が目を覚ました瞬間にレヴァイアと闇と大地が生まれたのを皮切りにサタンと光と空が生まれ、次にバアルたちと共に水、煙草屋と緑、バズーとデイズの両親アスタロトとアスタロテと動物たちが生まれたという天地創造の過程や、その天地創造時に誕生した上級天使たちが火や水や風などそれぞれ異なった能力を身に宿しているのはまだ創造に不慣れだった創造主が直々に身を削って肉体を与えた為であり、その力の代償として後に生まれる中級以下の天使たちと違い彼らは肉体と魂の癒着が弱く自身の存在を保つため常に気を張っていなければならないこと。彼らが瞬時に身体を任意の場所へ移動出来るのも魂と肉体の癒着が弱いためだということ。
創造主が狂ってしまったのは時の流れと共に育った子供たちが順に自身の元を離れていく寂しさと創っても創っても順に枯れ落ちてしまう創造物を見続けたためであり、後に人間界が創造され初期の人間たちが全て失敗作に終わったのを機に創造主が手抜きで短命な泥人形ばかりを量産したのは創造主がこの星に沢山の命を行き来させることにより始まりと終わりの概念であるサタンとレヴァイアに大きな負担を掛けて追い詰めることが目的だったという事実。そして、物質の源である創造主が死ねばこの世界は基板を失って滅びる――ゆえに、この戦いは創造主を殺すのではなく物言わぬ大地にすることが目標だということも。
創造主を倒すだけの単純な戦いなら決着をつけることは容易い。だが、それでは駄目なのだ。ゆえに天使と悪魔はお互いの精神を削り合い肉眼では見えない血を流し合ってきた。
本の最後にはこう記されている。『精神を削り合う戦いなのだ、勝算はやはり終わりと始まりの概念を味方につけたこちらにある。長い戦いにおいてこの世界における死を全て自分の痛みとして受け止めてしまうレヴァイアの負担は相当なものだ。だが決して潰えない希望はこちらにある。サタンは一度も夢を諦めたことがない。夢を諦めない希望の神サタンの存在がある限り私もレヴァイアも決して死にはしない。この戦いには必ず勝てる』と。
「ってゆーか俺ちょっと思ったんだけど、これ全部バアル本人の口から直接聞いた方が早い話だったんじゃねーの?」
ひと通り歴史の勉強を終えたところでカインが素朴な疑問を口にした。が――
「カインちゃん、自分が読み書きの勉強したかったってことすっかり忘れてるね!? 歴史の勉強はオマケだよオマケ! 本題は文字の読み書き! んっもう結局僕に全部音読させて一つも文字読めるようにならなかったチミ酷いぃい〜ん!」
「彼はそういう男よ。アタシの日頃の苦労が分かったでしょミカちゃん……」
大いに嘆きながら地団駄を踏むミカエルにルシフェルは強く同情した。
「そもそもバアルはこの本で書いてること以外は基本的に教えてくれないと思うよ」
「なんで?」
素直に首を傾げる勉強嫌いなくせに知的好奇心だけは旺盛なカインである。
「さあねぇ。とにかく天使だった頃のことは大雑把にしか教えてくれないの。パパやレヴァ君もそう。あんまり思い出したくないのかな。パパが反逆起こす前の天界って相当酷い有り様だったらしいから」
するとカインは「有り得ねーな」とバッサリ切り捨てるような言葉を放った。
「な、なにがっ」
予想もしていなかった暴言だ。ルシフェルは目をまん丸く見開いてミカエルに目配せした。一緒に反論をして欲しかったのだ。けれどもミカエルは視線を落としたまま黙って紅茶をスプーンでかき混ぜるばかり。カインに同意見ということだろう。
「なんでって、今や女帝として反逆の筆頭に立ってるお前には全てを知る権利が絶対にあるだろうが。それを自分が思い出したくないから教えないなんて有り得ねーわ……って、俺が思うくらいだ、向こうも分かってんだろうな」
「そうですよん。決して礼儀を欠くような方々ではありませんもの。だから思い出したくないんじゃなくて今は教えるタイミングじゃないって判断なんだと思うよルーシー。申し訳ないことに僕も僕でみんなに言ってないことまだいっぱいありますなり。タイミングが無くてねん」
「そっか……」
口振りは軽いがミカエルの目はいつになく真剣だ。だがそれを平然と茶化すのがカインという男である。
「大丈夫、言われなくとも俺はお前が男色だってことにもう気付いてるぜ」
「そうかい? って、ちょっと待て僕はノーマルだあああああああああああッ!!」
やれやれ。
「えー? あんだけバアル様バアル様ってキャピキャピしといてよく言うぜ。つーか俺なんか逆に自分の話をしたくて仕方ねーんだけど……」
何故かみんな嫌がるんだよなとボヤくカイン。
「アンタの話はエグいんだよ!!」
自覚が無さそうなのでルシフェルは改めて釘を刺しておいた。これにミカエルも同意して「うん、エグいエグい」と頷いてくれた。そう、カインの話は冗談抜きでエグくて聞くに堪えないのだ。どうしても途中で耳を塞いでしまう。
バアルたちが過去の詳細を語らぬ理由はこれだとルシフェルは確信していた。
まだこの子には受け止められないと判断してのことに違いないのだ。礼儀を重んじる彼らがルシフェルに秘密を持つ理由はそれしかない。ルシフェルもルシフェルで受け止める自信が無い。だから彼らに「昔なにがあったのか」と自分から尋ねることもない。
現に今もミカエルとカインに詳細を聞けずにいる。なんだかんだで彼らも揃って数千年生きているのだルシフェルの想像も絶する沢山の思い出を抱えているだろう。思うにカインもエグい話は悠々と語ってくれるが肝心な部分はまだ上手い具合に隠しているはずだ。
分かっている、でも聞けない。受け止める自信がない。
(でも、受け止める自信なんていつ湧くんだろ……?)
こんなのズカズカと踏み込むのは無礼だと自分に言い聞かせてただ逃げてるだけじゃないだろうか。仮にも悪魔たちを従えて反逆の筆頭に立っている女帝ともあろうものがこんな有り様でいいのか。
もどかしい。
頭では何もかも分かっているのにやはり詳細を尋ねる気は起きない。情けないにも程がある。どうしたものか……。
「カインちゃんの思い出は聞く必要ないですん。エグいばっかりで中身が無いんですもん」
「お前それ一番の暴言だぞ畜生!! ……ん? なーにボ〜ッとしてんだ?」
ミカエルとの談笑の最中カインが急に大人しくなってしまったルシフェルに気付いた。
「え? あ、なんでもない。ちょっと目を開けたまま二度寝してただけ」
っと、下手にも程がある誤魔化しを述べたところでバルコニーに面している換気のために開け放たれていた窓をノックする音が聞こえた。城の玄関ドアではなくいきなり窓にやってきての丁重なノック……。振り返るまでもなく誰がやって来たか分かるというものだ。
「おはようございます。若者三人が集って朝から歴史のお勉強とは感心、感心。でも読んでいる本がちょ〜っと私としては気に入りませんねぇ。その本は一度読んだら燃やしといてってお願いしたでしょうルシフェル」
やっぱりバアルだった。朝も早くから化粧バッチリ、開け放たれた窓から堂々の侵入である。基本的には上品な彼だがこの城へきちんと玄関から入ってきたことは殆どない。とはいえルシフェルとしてはこうして彼が気軽に訪ねてきてくれることが嬉しいのでちゃんと双方合意の上である。
「だ〜ってコレ凄く面白い本だもん、勿体無くて燃やせないよお〜」
「えー? そう言ってくれるのは嬉しいけれど……」
言ってルシフェルには微笑んだ彼だが一転カインとミカエルには「よくも読んでくれたな」と言わんばかりの殺気立った視線を向けた。恐い。
「ごごごごごごごめんなさあああああああああい!!」
「すまん!! 悪気はない!!」
静かな王の迫力を前にして慌てて謝るミカエルとカイン。幸いバアルは大人なので読まれてしまったものは仕方ないと最初から諦め半分でいたのか大きな溜め息を一つ漏らすに留まった。
「つーかコレ知識いっぱい詰まったいい本じゃねーか、何がそこまで気に入らねんだよ」
「何がってところどころ知識が欠けていることは勿論、何よりサタンとレヴァイアを褒めて書きすぎたのが気に入りません。後から気付いたんだよね褒めすぎてたことに! ああ嫌だ、まるでこの私が彼らに頼りきってたみたいで心底気に入らない!」
「酷いッ!!」
若者三人が声を揃えた。そんなまさか自分の著書を毛嫌いしている理由が友達を褒めて書き過ぎたことだったとは……。
(難儀な男だなあ。この本ってアンタが神様にどうやって勝とうか考えてる時の走り書きメモが元なんだから普段は黙っといてる本音が出ちまったんだろ)
いやしかしこれを口に出して言う勇気はカインにはなかった。理由は簡単、バアルが恐いからである。
「っていうか、何してんだテメェは」
カインは自分を盾にしてバアルから少し隠れているミカエルを見やった。
「いや、えっと……、な〜んとなく……」
バアルに気を遣って出てきたミカエルとしては妙に顔合わせが気まずかったのだろう。
「ところでバアル、一人? 珍しいね、どうしたの?」
「ああ、レヴァ君が朝食後に二度寝を始めてしまったから暇でね。サンドイッチを作ってきたので朝食の足しに如何ですか。料理など久しぶりだったので調子に乗って沢山作りすぎちゃったんですけど」
言ってバアルは何処からともなく相当な大きさのバスケットバッグを取り出した。
「わーお! 食べる食べる! ありがとう! 大丈夫、それくらい余裕で食べ切っちゃうよ!」
なんたってバアルの手料理はとても貴重だ。ルシフェル大はしゃぎである。
「あ、そーいや腹減ったな。今日の朝飯はなんだろ。ミカエルもいるって知ってアイツら喜んでたからいつもより頑張ってんじゃねーかな」
言われて気付いたがそろそろ朝食の時間だ。それはもう今頃は双子がキッチンで張り切っていることだろう。カインは急にお腹が減ってしまった。
「とりあえずコーンスープの匂いはしましたよ。サンドイッチに合いそうで良かった良かった」
「つーかアンタ料理出来たんだな」
あまりの珍しさにカインは思わず暴言スレスレの発言をしてしまった。
「アハハッ。ええ、レヴァ君のが上手なので普段は任せっきりですが私も一応それなりには。……ミカエルは確か玉子サンドが好きでしたね? 多めに作ったから遠慮無くどうぞ。私からのささやかなお礼です」
「なんと!!」
憧れのバアル様が滅多にない手料理を作って持ってきてくれた理由を察してミカエルはこれでもかと目を輝かせた。
「うわああああああん!! ありがとうございますん憧れの貴方様ああああー!!」
「ホホホッ、でもこれっきりになさい。私は気を遣われるのがあまり得意でないんだ。頼みましたよ」
「はいですー!!」
「な、なに? どうしたの?」
今にも泣き出しそうなミカエルを見て事情を全く知らないルシフェルはひたすら首を傾げた。
「憧れの人が作ってくれたサンドイッチ食えるってんだから感激するだろ、そりゃ。愛されてるなバアル」
「はて、喜んでいいんだかなんだか……。まあいいや、では私はこれで。そのバスケット忘れずに持って帰ってきなさいねミカエル」
「はーい!! ってバアル様もう帰っちゃうんですかん?」
「もう朝ご飯食べちゃったからってお茶くらいは飲んでいってよ〜」
ミカエルに続いてルシフェルもバアルを引き止めにかかった。だが彼は「そのお気持ちだけで」と嬉しそうに笑いはしたものの誘いには乗らなかった。
「普段サボッていたツケで仕事が溜まっちゃってるんですよ、気持ちだけありがたく受け取っておきます」
「へえ、珍しい」
カインがボソリ。
「なーんだ、仕事あるんじゃ仕方ないなあ……。分かった、そんじゃまたね! サンドイッチありがたく頂きまーす!」
仕事ならば無理には引き止められない。渋々納得のルシフェル。ミカエルも「分かりましたん」と少し残念そうに頷いた。
「ええ、またね」
軽く手を振ってバアルはあっさりと音も無く姿を消してしまった。これこそが先程の本で学んだ生まれが上級天使である者だけの力。肉体と魂の癒着が弱いという欠点こそあれどやっぱり目の当たりにすると便利そうで堪らない。
「いいなあ瞬間移動。ミカちゃんも出来るんでしょ? 超羨ましいんだけど」
「何をおっしゃいます!! 僕にはバアル様の寵愛を受けているルーシーの立場のが余程羨ましい!! ああもうこうしてはいられない、早くバアル様のサンドイッチ食べたいから朝ご飯の準備手伝ってきましゅ〜!!」
「え!? ちょ、ちょっと――」
ルシフェルが引き留める間もなくミカエルはその場から一瞬で姿を消してしまった。やっぱりやっぱり便利そうで堪らないったら堪らない。
「やれやれ。俺らは真っ当に徒歩で移動しようぜルーシー」
言いながらカインはミカエルに遠慮して今の今まで我慢していた煙草を取り出して美味しそうに吸い始めた。
「だ、だねっ」
頷いてルシフェルはカップに残っていた冷めたコーヒーを一気に喉へ流し込んだ。
「……で、また何か悩み事か?」
不意にカインの目が真剣味を帯びた。先程ルシフェルが沈黙したことに違和感を覚えたためだ。
「ん? ううん、別になんでもないっ」
つい咄嗟に誤魔化してしまった。するとカインは若干納得行かない顔をしながらも「そんならいい」と言ってルシフェルから視線を逸らした。無理には聞かない、という優しさだ。
悪いことをしてしまった。せっかく心配してくれたのに……。これはどう頑張っても強がり切れそうにない。ルシフェルは正直に先程沈黙したわけを話すことにした。
「嘘、なんでもなくない。アタシってまだなんにも知らない16歳のガキなんだなって思って気分が凄く沈んだの」
「ほお〜、自覚があるなら結構だ。それで何を悩む必要があるんだか?」
「あ、あるよ。だってなんにも知らないガキなんだよ? なんにも知らないのに反逆の筆頭に立ってるってちょっと情けないよ……」
「じゃあ立たなきゃいんじゃね?」
「な……!?」
身も蓋もない言葉だ。ルシフェルは開いた口が塞がらなくなった。
「なに言ってんのさ!! アタシにはパパから継いだ力があるんだもん、魔界が破葬されそうだってのに何もしないわけにはいかないよ!!」
「そんじゃ悩む必要ねぇじゃん。神の傍若無人っぷりを理解してるんだから無知でもねぇしこの世界の成り行きを黙って見てられないって反逆の筆頭に立つ理由として充分だろ」
「あ……っ」
反論の余地が、無い。堪らずルシフェルは床に視線を落として口をつぐんでしまった。
「どうしてお前はそうも自信が無いんだ?」
フーッと煙を天井に向けて吐いてカインは短くなった煙草を灰皿に押し付けた後ルシフェルの肩を優しく叩いた。
「ついさっきの自分の言葉を思い出すんだな。誰と何を比べて落ち込んだんだか知らねーけど、お前はお前だろうが。自信を持てよ。俺がお前の歳ん頃なんざ牢獄でただ痛い痛いって泣き喚いてただけだったぜ。それに比べりゃ充分よくやってる。大丈夫だよ」
「カイン……」
彼の「大丈夫」という言葉ほどルシフェルにとって心強いものはない。
「うん! ありがと!」
「どう致しまして。はい、元気が出たところで飯食いに行こう飯食いに。ぼちぼち出来上がる頃だと思うんだよね」
「はーい! って、なにその投げやりな言い方ッ! アンタさてはアタシのこと面倒臭いって思ってるね!?」
「あ? また落ち込まれたら面倒臭いからそんなことないって言っとく」
否定しているようで否定していない……。しかしカインはルシフェルにそれを指摘する間も与えずさっさと部屋を出て行ってしまった。
「あっ! ちょ、ちょっと待ってよお!」
慌てて後を追ってルシフェルはカインの手を握った。
「あんだよ、家の中でまでベタベタしてくんなブス」
「いやん、そんな邪険にしないでよお〜。つかブスって酷いッ!!」
なんというか、いつもこんな具合ゆえにカインの発言はどこまでが本音でどこからが冗談なのかいつも受け取り方に迷う。だが先程の「自信を持て」「大丈夫」という言葉は間違いなく本音として受け取っていい。出会ってから三年間ずっと彼を熱心に見つめ続けてきただけあって変なところ不器用な彼は嘘で人を褒めることはないとルシフェルは知っている。ついでに本気で人を貶すことも殆どないとも知っている。
「なんちゃって、フフッ。分かってるのよアタシ、アンタの言うブスって『本当は可愛いと思ってるぜ』って意味が込められてることっ」
頬を赤らめてカインの手をニギニギ。するとカインは顔をこれでもかと引き攣らせた。
「なんでそういう無駄なとこだけは前向きなんだよテメェ……!」
「え? なにが?」
自覚に欠けるルシフェルである。
「なにが、じゃねぇよ普段からその病的ポジティブ発揮しとけって話だよ!!」
と、そこへ朝食の準備を整えてルシフェルとカインを呼びに双子が駆けてきた。
「おはようございまあああーす!! 朝ご飯が出来ましたよー!! って、わお!!」
駆け寄るなりルシフェルとカインが手を繋いでいることに気付いてバズー赤面。
「おはようございまーす!! バアルさんの差し入れとミカエルさんが手伝ってくれたおかげで今日は朝から豪華ですよー!! って、わーお!!」
姉のデイズも同じく顔を赤くした。そして双子揃って初々しいカップルに「朝から御馳走様でっす!!」とペコリ頭を下げてみせた。
「違あああああああああう!! 勝手にこのブスが俺の手を握ってきやがったんだ!! 繋ぎたくて繋いだんじゃなーい!!」
再び声を張り上げるカイン。しかしルシフェルはメゲない。
「やだダーリンたら照れちゃって」
妙に身体をくねらせながらこの発言である。カイン顔面蒼白。双子は何故か「良きかな良きかな」とウンウン頷く始末。
「あーもうヤダああああああああああ!! 逃げる!! お先に!!」
誰も味方してくれないことを悟ってカインはルシフェルの手を振り払うと物凄い早さで食堂へ向かって廊下を真っ直ぐ走っていった。が、これを黙って見送るルシフェルではない。
「あっ、待ってよ照れ屋なダーリーーーーン!!」
流石は女帝という感じの駿足を無駄に発揮して彼女もまた物凄い速さで廊下を走り去っていった。先程までの落ち込みは何処へやら、なんだかんだで呑気な娘である。
「やれやれ……」
残された双子は静かに顔を見合わせて「ホント、仲イイよねあの二人」と笑い合った。
さあ、楽しい一日の始まりだ。美味しい朝ご飯を食べて今日も元気いっぱいに生きよう。
ルシフェルに、嘘をついてしまった。
バアルは城へ帰宅するなりレヴァイアの部屋を訪ねた。モノクロ基調で統一されたインテリアが目を引く如何にも多趣味な男が住んでいますよといった感じの部屋だ。悠々と座れる大きなソファーに沢山の酒瓶が並んだテーブル、端には使い古した蓄音機棚と乱雑にディスプレイされた山盛りのレコードがあり壁には愛用のギターが掛けられ彼の好きな映画のポスターも数枚か貼られている。見てるだけでうるさい部屋だ。そこで部屋の主は備え付けのトイレに向かって屈み込み苦しげな呻きを上げて嘔吐を続けていた。
人間界が破葬されてからというもの彼はずっとこうなのだ。最近は特に酷い。三年前の強烈なボディーブローが今になってジワジワと効いてきたせいだ。
「レヴァイア……、ごめん。帰ってきてしまった」
なんとも言えない気持ちを押し殺してバアルは嘔吐を続ける彼の丸まった大きな背中を手で擦った。
私がいたら遠慮無く転がり回れないだろう――そう考えて強がりな彼を気遣い一度は城を空けたものの、やはり放っておくことなど出来なかった。大切な友が悶え苦しんでいると知りながら笑顔でお茶を飲めるほど器用ではない。幸いレヴァイアはバアルを拒絶せず無言で受けれてくれた。僅かに救われた気分である。
破葬の影響で終わりの概念である彼には幾千億もの死が一気に伸し掛かってしまった。おかげで彼は毎晩のように突然の死を迎えた人々の悲鳴を夢で聞いてはパニックを起こし、嘔吐を繰り返している。
(マズいな……。これじゃ創造主の狙い通りだ……)
沢山の命が死ねばレヴァイアにこうして多大な負担が掛かることを創造主は知っていた。あの破葬は煩わしい人間を消滅させることは勿論、こうしてレヴァイアを追い詰める何よりの手段でもあったわけだ。
しかし追い詰められたレヴァイアがもし自我を失えばどうなるかも創造主は知っているはず……。戦況を一気に転がす為とはいえ酷い諸刃の剣を振り回してくれたものだ。創造主に余裕が無くなったことの表れでもあるわけだが、素直に喜ぶことなどとても出来やしない。
吐けるだけ吐いてようやく少しばかり落ち着いたレヴァイアがトイレから顔を上げて床にドスンと尻もちをつきバアルに寄り掛かった。
「頭……、ゴチャゴチャする……。気持ち悪い……」
言いながら虚ろな視線を床に落とすレヴァイアの身体をバアルはただ支えることしか出来ない。
無力な自分が情けなかった。
「少し落ち着いたらルシフェルのところへ遊びに行くのはどうでしょう。可愛いあの子の顔を見ればどんな痛みも吹き飛ぶってものですよ」
「ああ……、そうだな。構ってもらおうかな、ルーシーに……」
虚ろだったレヴァイアの表情に僅かだが笑みが戻った。彼にとってサタンとリリスが命懸けで残してくれたルシフェルの存在はそれだけ大きなものなのだ。もちろん、バアルにとっても。
(何も悲観することはない。こちらにはルシフェルという決して潰えない希望があるんだ。大丈夫)
バアルは己に言い聞かせた。
「それがいいよ。あとで会いに行きましょう、一緒に」
きっと楽しいはずだから――ささやかな希望を胸にバアルは破壊神とは名ばかりにこの世界で起こる一つ一つの死を自分の痛みとしてまともに受け取ってしまう不器用な男の肩を暫く力強い手で支え続けた。
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