【06:帰っておいで(2)】


 城に帰るとサタンはすぐにリリスを椅子に座らせ、さぞ恐い思いをしたであろう彼女のために温かいハーブティーを振る舞った。もう大丈夫だよ、安心していいというメッセージである。
 意図を察したのかリリスは「ありがとう」と微笑んで素直にハーブティーを一口飲んでくれた。だが、一口だけだ。彼女はそれっきり手をつけず、すぐにカップを置いてしまった。
「どうした? あっ、ひょっとしてハーブの塩梅イマイチだった?」
 視線を落として物憂げな表情を浮かべるリリスを心配して声をかける。すると彼女はそれに返事するように肩で深く溜め息をついた。
「……サタンさん……、私って、クソ女なんですか……?」
「は?」
 あまりに突拍子もない質問を受けてサタンは思わず間の抜けた声を上げてしまった。
「私って、カインさんからサタンさんに寝返ったクソ女で、しかも男に媚を売らなきゃ生きていけない役立たずの泥人形なんですか……?」
「なんだそりゃ。アイツらにそう言われたのか?」
 サタンが聞くとリリスは静かに頷いて答えた。
「わ、私、凄く悔しくて……! でも、本当のことだから言い返せなくて……! 自分が媚を売ってるかは分かんないけど、でも、でも私……っ、私、色んな人が苦しんでるのに、そういうのなんにも知らなくて、ただ貴方の親切に甘えて貴方の側でヌクヌク暮らしてた、こういうの凄くいけないことだと思う……!」
 震えた声。リリスの目から大粒の涙が次々と零れ落ちる。
「で、でも、だからって私、サタンさんたちと一緒じゃなきゃ絶対に生きていけないし、一人じゃ何も出来ることが見当たらない……! だから、本当に私って役立たずの泥人形だったんだって……、そう気付いちゃって……! サ、サタンさん……、私……っ、なんの役にも立たないのにどうして生きてるんでしょう……!?」
「バーーーーカ!!」
 サタンはその大きな手でリリスの頭をペチンと軽く叩いた。
「痛っ! ………………え? ……バカ、ですか……?」
 涙が溢れる目を必死に擦っていたリリスがキョトンとした顔を上げた。
「そうだよ、バカ。一人じゃ生きていけねーから媚を売ってる、上等じゃねーか。生きてく上で大事なことだ。神ですら上手に出来なかったことをお前はしっかりやれてんだよ。何も悔しがることなんかない。恥じるどころか誇っていい」
「そう、なんですか……? でも……あの人たちの言葉にこうして傷ついたってことは、やっぱり後ろめたいことがあるからだと思うんです……」
「それもバカだな。心無い言葉は文字通り『心の無い言葉』なんだよ。中身スッカラカンの空っぽ。ただの脅かしの空砲だ。真に受けるだけ無駄」
 クソ女、役立たずの泥人形……、リリスが生まれて初めて他人からぶつけられた暴言だ。初めてなのだからそのまんま真正面に受け止め心を痛めてしまうのも無理はない。しかし、だからこそサタンはあえて軽く笑い飛ばした。気にするだけ無駄なことと教えるためにである。
「でも……っ! でも…………」
 気にするだけ無駄なことと頭のどこかでは分かっている、だがやはりショックなものはショックだったのだと訴えるようにリリスはまた目を擦った。
「アイツらはただ、お前が羨ましかったんだよ」
 言い聞かせるようにサタンは先程引っ叩いたリリスの頭を優しく撫でた。
「私が羨ましかった……?」
「そっ。死ぬことを選択しちまった自分たちと違って、上手に生きてるお前が羨ましかったんだよ」
「……じゃあ、やっぱり私、あの人たちに嫌われてたんですね……」
「それはまた違うな」
 肩を落としたリリスに向かってサタンは断言してみせた。
「ありゃこれから先もきっと長く生きてくお前の心にどんな手段を使ってでも自分たちの存在を残したかっただけだ。去ってく者のせめてもの抵抗だよ。アイツら死にたいくらい自棄になってたんだ、無意識に名を残したい気持ちを我慢出来なかったんだろ。どんなに優しいヤツだって無意味に生きて無意味に死にたかねーもんな。だから嫌われてたわけじゃない。たまたまアイツらと最後に目が合ったのがお前だったってだけ」
「そう……ですか……」
 と、リリスはふと何かを思い出したように「あっ」と声を上げた。
「なんか、今の聞いてカインさんが俺のことは忘れろって私に何度も言ってたこと思い出しちゃいました……。あの人、本当に私のことだけ考えてくれたんですね……」
「ああ、アイツはマジで超ド級の優しいヤツなんだろな。流石、お前の夫になる予定だった男だけあるわ」
 サタンは意地悪く笑ってみせた。
「ちょっ!? や、やめてください、そんな恥ずかしい!! だっ、大体カインさんは私なんか妻にしたくないかもしれないし、ええとええとええと……」
「おっ、ピッタリ泣き止んだな。カインの名前出したら一瞬とか、効果てきめん過ぎて妬いちゃうぜ俺!」
「な……っ!」
 本当にピタリと涙が止まってしまったことが恥ずかしくてリリスは顔を真っ赤にしてカチンと硬直した。そして硬直してしまったことがこれまた恥ずかしくて更に顔が赤くなってしまった……。
「アハハハッ! つーか今更恥らうってなんだよ。あんだけ私の夫となるはずだった人を探してるんです〜って大声で俺らに言いまくってたクセして」
「そ、そうなんですよね……。夫が夫が〜言いながらワタワタしてたんですよね、私……。なんでそんなことが出来たんでしょう、今となっては分かりません……」
 嗚呼、穴があったら入りたい……。いつからか分からないが、ふと気が付くと以前は恥ずかしげもなく出来たことが出来なくなっていた。今の話もそうだが、普通にサタンとの初対面で自分が全裸だったことも今となっては信じられない。挙句にあの日は城に帰った後どうやって身体を洗えばいいのか分からず裸のまま風呂場から出て行ってサタンの度肝を抜いてしまった。そして洗い方が分からないから洗ってくれと頼んで…………嗚呼……。あの時はサタンが慌てふためいて口に含んでいたお茶を全て吹き出したことを不思議に思ったものだが、今なら納得である。まだ恥じらいの感情が芽生えていなかったとはいえ、とんでもないことをしてしまった……。
「アハハハッ! とにかく、だ。お前は自分を卑下する必要なんか無い! 分かったか!」
 言ってサタンはリリスの頭をガシガシと撫でた。
「わああああっ。えっと、えっと……。はい……」
 なんだか無理矢理言いくるめられてしまった感が拭えないリリスである。
「なに? なんか納得いかない?」
 如何にも御不満なリリスの顔を見てサタンが笑う。
「え? いや、あの……。えっと…………」
「じゃあ、お前が安心出来るように幾らでも言ってやる。まず、媚を売れるのはいいことだ。誰だって一人じゃ生きていけない。それは神でさえも例外じゃない。だからこの世界は生まれた。分かるだろ?」
 首を傾げるリリスを納得させようとサタンは言葉を続けた。
「神でさえそうなんだ、俺だってそうさ。俺が一人で生きていける男ならまずお前を拾いはしなかった。そうだろ?」
「……はい……」
 確かにそうだ、一人で生きていけるなら誰かを助ける必要なんて無い……。
「俺はバアルとレヴァイアと街の皆とお前がいなきゃ立ってらんねんだ。だから一緒にいたくて嫌われないよう毎日一生懸命に媚を売ってる。それって悪いことか?」
「ううん、悪くない……」
 そうだ、悪くない。嫌われないためには相手に優しくしなければならない。他者を思い遣ることは決して悪いことではない。
「じゃあ、お前だって何も悪くない」
「……っ、はい……!」
 再びリリスの目から涙が零れた。泣くつもりなど毛頭なかったのだがサタンの言葉を聞くうち目の奥が熱くなり、その熱がとうとう堪え切れず涙となって外に溢れてしまったのである。
「リリス、お前はちゃんと自分が一人じゃ生きていけないことも、自分の見えないところで誰かが傷ついてることも知ってる。そんでそれに心を痛める優しさを持ってる……。誇りに思っていいことだよ。その気持ち、いつまでも忘れないでくれ。んで俺にはそんなお前が必要なんだよ。そうやって俺より色んなもの見えるお前がさ。自覚ないだろーけど凄く大切なことなんだぜ、それ。だからお前は役立たずの泥人形でもない。分かったか、バカ。この俺にどこまで言わせる気だよ」
 バカ、と口では言っているがリリスを見つめるサタンの眼差しはとても温かだ。その目を見ているだけで彼の穏やかな心が伝わってくる。
「はい……! 変なこと言ってごめんなさい、サタン……。ありがとう……!」
 リリスにはただただ頷くことしか出来なかった。
「いいよ、分かればよろしい。お前は生きるために必要な当たり前のことをしてるだけ、だから何も悔やむな。つかコレって目標通りいってる証じゃん。まず当たり前のことが出来るようになりたかったんだろ?」
「あ……、そういえば……」
 指摘された瞬間、リリスは以前バアルに言われた言葉を思い出した。
 ――リリス、貴女は牢獄に一人残った彼を将来迎えに行くために数千年先まで生きると決めたんでしょう? なら、生きるために必要なことはちゃんとやらないと。落ち込むのもいい、部屋に篭って一人で考え込むのもいい、好きなようにしていい。でも、どんな時も怠ってはいけないことがある。分かるよね――?
 そうだ、そうだった。思い出した……。
 ――ねえリリス、独り善がりに突っ走って馬鹿をやらかすのは私だけで充分。だから貴女はしっかりと周りを見て、しっかり見極めて、しっかり頼りなさい――
 あの時のバアルの言葉が再び胸に突き刺さる。
 そうだ、この言葉を受けて既に答えは出ていたはずだ。みんなと一緒にしっかり生きよう……。それなのにあんな暴言の一つで簡単に心乱されてしまったことが、本当に情けない。
「サタンさん、私……っ、もっと強くなりたい……!」
 溢れ出る涙を必死に手で拭いながらリリスは声を振り絞った。
 強くなりたい。強くなって、何があっても乱れない心が欲しい……。リリスは面倒ばかりかけてしまう自分が許せなかった。だが、それでも尚リリスを見つめるサタンの眼差しは優しい。
「ったく、お前は本当に可愛い女だな!!」
 満面の笑みでもってサタンの大きな手がグシャグシャとリリスの頭を撫でくり回す。まるで小動物を愛でるような手つきである。
「うわあああああああっ。も、もおおっ、わ、私は真剣に悩んでるのに〜!」
「ヒヒヒッ! 見てて飽きないって褒めてんだよ、喜べ! おかげで俺はお前と会ってから毎日が楽しくてしょーがねー! だからお前はとにかく俺らの側で俺らのために笑って生きろ!」
「サタンさん……!」
 頭をグシャグシャにされてる最中でもリリスは聞き逃さなかった。どさくさに紛れてさり気なく放たれた言葉……。言ったサタン自身は恐らくその重みに気付いていなかっただろう。しかし、その言葉はリリスが『今まさに生きる意味を具体的に得ることが出来たほどに大きな力を持っていた』。聞き逃すはずがない。
「つか、そうしてくんないと俺カインに顔向け出来ねーし! ヤダよ俺あんなおっかない目付きした男の恨み買うなんて!」
「サタンさん……! って、なっ、なんでまたそこでカインさんの名前が出てくるんですかああああっ!!」
「あっ!? また一瞬で泣き止んだな。よしよし…………じゃねーや。本気でジェラシーだぜコレ……。俺のが絶対いい男なのに何故だ……?」
「い、いや、あの…………っもおおおおお、やめてよ〜!!」
 なんかもう恥ずかしさで叫ぶしかないリリスであった。
「お取り込み中かーい?」
 突然その場の空気を一変させるように脳天気な声が横から割って入ってきた。こんな風に乱入出来る男は世界広しといえども一人しかいない。街の片付けを終えて意気揚々とやって来たサタンの弟分レヴァイアである。
「あっ、テメ最悪のタイミングだよ! これからスゲー素敵なことする予定だったのに!」
「へえ〜。そうは見えないけどね」
 言いながらレヴァイアは椅子に座ると一言「お茶!」とサタンに告げた。
「はあ!? キミお兄ちゃんに向かってそんなデッカい態度とっていいわけ!? 茶ぐらい自分で入れろクソが!」
「ぁあ!? 雑用引き受けてやったでしょーが! お茶、お茶! 喉渇いた! お茶!」
「な、なんだよ妙に不機嫌だなオイッ!」
 ヤケにふてぶてしい弟分の態度にサタンは顔を歪めた。するとお茶が出てこないことに不満なのかレヴァイアの口からそれはもう大きな大きな溜め息が飛び出した。
「あの後バアルも寄り道したいトコがあるからっていなくなっちまったもんだから雑用はともかく街の皆さんの愚痴も俺一人で聞く羽目になっちゃったんだよねー。いつまでこんなこと続くんだーとか、どうにかしてくださいよーとかあああ〜」
 くどくどくどくど……。な、成る程、機嫌が悪いわけである……。
「ええ、そうです。僕は、兄ちゃんが、リリスに、いい顔をしてる間も、街の、皆さんの、愚痴を、一人で、一生懸命、聞いて、いました。なのに、兄ちゃんは、労いの言葉もなければ、お茶すら……」
「はいレヴァ君、お茶ですよ〜! お兄ちゃんが心を込めて入れたお茶ですよ〜! 熱いから気をつけて飲むんだぜ! あ、お菓子も食べるかい!? お兄ちゃんこないだ街の人からクッキー貰ったのヨ!」
 レヴァイアの言葉を遮ってサタンは熱々のお茶とクッキーを素早く差し出した。全面的に自分の非を認めたのである。しかし弟分の怒りは収まらない。
「なんだよ急に媚を売りやがって、このクソ男が!」
「ええっ!? いえいえいえ、トンデモ御座いません! 僕、媚なんて売っておりません! これは正真正銘の真心で御座います!」
 首をブンブン振ってこれが誠意であることを訴えるサタン。しかしレヴァイアは「どーだか!」と頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。
「媚……?」
 二人のやり取りをただただ目を丸くして見守っていたリリスが一人ポツンと呟いた。
「成る程、これが『媚を売る』ということなのね……。媚を売るって謝りながら素早くお茶を出すことだったんだ……。確かにサタンさんはいつもよくこうやってワタワタしながらバアルさんやレヴァさんにお茶を出してる……。でも私はこんな素早い動きした覚えないんだけどなあ〜……。なんで媚を売ってるクソ女なんて言われたのかしら……」
 媚を売るという言葉の意味を実際目の前にしてもなんだかイマイチ納得いかない……。しかしサタン曰く誇っていいくらいしっかりやれてるというのだから自覚は無くとも出来ているのだろう。まあ、それならそれでいいや! という結論に達し、リリスは未だ不機嫌なレヴァイアと、そんな彼に頭をペコペコ下げながら必死にお菓子を勧めるサタンを交互に見やった。
 こうやっていつも楽しそうに言い争いをしている二人と同じようなことを自分も知らず識らず出来ているというならば何よりだ。確かに誇れることである。
 と、そうして一人で満足気に頷くリリスの目の前に今度はバアルが音もなく姿を現した。一足遅れての合流である。言い争いをしていたサタンとレヴァイアが同時に振り向き、「遅かったじゃないか」と声を揃えた。
「ええ、少し寄り道をしていたものだから。っと、まあそんなことよりちょっと聞いてください。確証のある凄い情報を手に入れたんですよ私」
 言ってバアルは自信満々に満面の笑みを浮かべた。
「確証のある凄い情報? なんだよ、それ」
 サタンが聞くと、バアルは自信満々の笑みを崩して更に白い歯を惜しみなく晒した。
「ニヒヒッ。聞いて驚きなさい。なんと後日、神は此処魔界へ333億3333万の天使を送り込んで来るそうです。御冗談と思うなかれ、私に向かって嘘をつけない敵将ラファエル本人から得た確かな情報ですよ! ヤッホー! 私の予想大当たりぃ〜!」
「さ、333億3333万ーッ!?」
 驚愕で顔を青くしたサタンとレヴァイアが声を揃えて絶叫した。
「え? え? どうしたんですか?」
 状況の飲み込めないリリスが絶叫したっきりカチンと硬直してしまった二人を戸惑いの目で交互に見つめる。
「ああリリス、簡単に言えば後日に大規模な戦争というかお祭りというか大量殺戮というか、なんかもう凄いことが起こるんですよオホホホホ〜ッ!! もうどーしましょうオホホホホホッ!!」
「なんでそんな喜んじゃってんだよ、お前〜!!」
 笑いが止まらない様子のバアルに向かってサタンが声を振り絞ってツッコミを入れた。いやしかしバアルも悪気はないのだ。決して戦争やら殺戮が大好き過ぎて舞い上がっているわけではない。ただ――なんかもう考えれば考えるほどに自分たちの状況が不利過ぎて今は笑うしかなかったのである。



 さて、333億3333万という天文学的な数字を耳にして思わず我を忘れたが、そもそも神を敵に回すという時点で大いなる無茶をした彼らである。いつ何が起こっても不思議ではないという覚悟は常に胸の中にあり、おかげで大した時間は要さず冷静さを取り戻すことが出来た。
 そうだ、よくよく考えなくとも神が相手なのだ。目玉が飛び出す程の圧倒的な力で押してくるのは当然のことである。
「さーて、冗談抜きにどうするかね」
 サタンがバアルとレヴァイアの顔を順に見渡す。
「どうするって回避出来ない戦いだもん、どう上手くお出迎えするかだよな。だって謝る気なんか無いだろ俺ら」
 レヴァイアの言葉に残りの二人が「勿論だ」と迷わず頷く。
「アレに謝るくらいなら死んでやりますよ私は。それに、相手が333億33しゃっあぁあああ畜生め舌噛んじまった!! ……ま、とにかく相手がどれだけ頭数を揃えようと貴方たち二つの希望はこちらにあるんです。決して負けるはずはないと私も街の住人たちも思っています。恐れることはない」
「ああ、そうだな。俺にはどんな軍勢よりも舌を噛んだお前の顔の方が余程恐い……」
 バアルの言葉にレヴァイアが続いた。実際バアルが「畜生!」と声を荒げた時の形相は鬼そのものであった。レヴァイアにとってこれ以上に恐いものは無い……。
「悪かったね顔が恐くて! と、も、か、く、ここからは真面目に話しますが、これは単なる窮地ではなく大きなチャンスやも。貴方たちも勘付いているとは思うが大きな争いが起これば神の気が少なからず乱れることは必須。上手く行けば結界が薄れて私たちは天界の場所を思い出せるかもしれない。いや、こちらから赴かなくても戦局によっては神自らが魔界に姿を現さないとも限らない。何はともあれ我々が盛大な歓迎をすれば世界は良い方向に傾く気がしてなりません」
「いいね、希望が漲ってきた」
 サタンがニヤリと不敵に微笑む。と、その時「あのぅ……」と今の今まで黙って話を聞いていたリリスが野菜を切る手を止めておずおずと会話に割って入った。
「あの、気になったんですけど……。その話って、手元でピザ作りながらしていい話なんですか? なんか違うような気がするんですけど〜……」
 言おうか言うまいか迷ったが、リリスは魔王三人が三人とも真面目な顔で難しい話をしながらも手元はせっせとピザ作りに励んでいる違和感にとうとう耐えられなくなった。
「ああ、何はともあれ腹が減ってたら何も始まらねーからな」
 ピザ生地をめん棒で器用に伸ばしながらサタンが答える。そして彼が「なあ?」と振ると生地に手際良くピザソースを塗りつけているバアルと具材をバランス良く並べてチーズを振って仕上げているレヴァイアも「うん」と迷わず頷いた。
「リリスはとにかく野菜を切ってちょーだいな。盛り付ける分が無くなりそうだよん」
「あ、はい!」
 師匠レヴァイアに言われ、リリスは再び野菜を切り始めた。サタンは生地を伸ばす係、バアルはソースを塗りつける係、レヴァイアは盛り付けと仕上げ、リリスは野菜を切る係と役割分担はバッチリである。いやしかし、どうなんだろう……。これでいいのかというリリスの疑問は晴れない。
「あの……、私も話に入れてもらえませんか……? 此処で大きな争いが起きるというなら私も無関係ではないはずです。私にも分かるように教えてください」
 この言葉に魔王三人が手を止めて顔を見合わせた。
 訪れた一瞬の沈黙。彼らは目だけで会話が出来る。どうしようかと視線のみで相談したのだろう。そして――――結論が出たらしい。サタンがおもむろにリリスを真っ直ぐ見つめた。
「じゃあ、何を話す前にまず確認しなきゃいけないことがある。いいか?」
 言うサタンの限りなく赤に近い桃色の目はいつもと違って全く冗談の色が無い。真剣な話、ということだ。ならばこちらも真剣に応じなければならない。リリスは覚悟を決めて深く頷いた。
「よし。この世界がどんな場所かボチボチ分かってきた頃合いに遅かれ早かれ確認しようと思ってたんだ、ちょーどいいや。聞きたいことは一つ。お前が俺らにこのまま賛同するのかどうか。一度賛同したら命懸けなきゃならなくなる。代わりに俺らは仲間として今後は何でも話すよ。まだ迷ってるなら話はお預けだ。お前は天使と悪魔どっちにとっても部外者。この争いに首を突っ込むことはない。安全な場所から見てて欲しい。で、もし反対だとしたら、それはそれでいいと思う。俺らに義理を感じたからって考えを染める必要は……」
「私はサタンさんたちの考えに賛成です」
 みなまで聞く必要無しとばかりにリリスはサタンの言葉を遮った。
「いいのか? ラファエルなら今からだってお前をちゃんと天界に迎えてくれるはず……」
「いいえ、細長い天使さんのお迎えは必要ありません。私は何がなんでもサタンさんたちの考えに賛成です」
 すると言い張るリリスの横でバアルがクスリと笑った。
「サタン、もういいでしょう。彼女の意志はしっかりと固いようだ。……ありがとうリリス、もう充分です。貴女は今日から正式に私たちと共に戦っていく仲間だ。よろしくね」
 しつこく確認してゴメンと小声で告げ、バアルが朗らかに微笑む。
「い、いえ、こちらこそ、ありがとう御座います!」
 そうして一礼した後、リリスはまたサタンに向き直った。彼はまだ決意を疑っているのか少し不服そうだ。ならば、しっかりと伝えなければならない。
「あのっ、サタンさんは哀しいことばかりのこの世界を壊そうとしているんでしょう? だから神様に反抗したって、前にそう話してくれたの覚えてます。壊すって、パッと聞くと恐い響きだけど、でも私、哀しいことを壊すのは悪いことじゃないと思う……。今日の、あの荒れた天使さんたちの顔を見て一層そう思った。このままじゃ駄目、何か変えなきゃいけないって……。サタンさんの言う『壊す』ってそういう意味なんでしょ?」
 しかしリリスの問いに何故かサタンは目を伏せて答えようとしない。代わりにレヴァイアが感心したように唸った。
「哀しいことを壊すのは悪いことじゃない、か……。兄貴、彼女はしっかり本質を分かってる。これ以上の反対は守り切る自信が無い表れって思われても仕方ないぜ?」
 意地悪く笑うレヴァイア。すると流石に黙ってられなくなったのかサタンは勢い良く顔を上げた。
「だっ、だだだだだだだ誰が自信無いって!? お、俺はただリリスの気持ちをちゃんと確認しようとだな!!」
 ワタワタワタワタ……。あからさまに動揺したサタンの姿に「これは図星だな」と横で見ていたバアルがこっそり頷く。
「なんと言われても私はサタンさんたちについて行きます! そのために命を懸ける覚悟も出来てます! だって私、どんなに神様が恐くても自分の気持ち考え曲げたくないから……! 脅しに屈して自分に嘘をついて生きていくの嫌だから……! 足、引っ張っちゃうかもしれないけど……、でも頑張りますから。サタンさんの側にずっといたいから、頑張ります。私、命懸けてもサタンさんの側にいたいんです!」
「ぅえ!?」
 シリアスなムードが一転、サタンのこの素っ頓狂な声で全てが崩壊した。ついつい動揺してしまった男心である。だがこれは恐らく、いや絶対にサタンが期待している程の深い意味を持っての発言ではない。だが、そうと分かっていても、である。
「兄ちゃん、身体から湯気出てるぞ」
 顔を真っ赤にして体温をグングン上昇させているサタンをレヴァイアが笑う。
「ついでだから貴方の身体でピザ焼きましょうか。窯を温める手間が省けますね」
 バアルも続けて笑う。
 炎使いのサタンは感情が高ぶるとついうっかり体温が高くなって身体から湯気が出てしまう。心を隠せない不便な仕様だ。そこがお前の良い所と声を揃えてバアルとレヴァイアは笑う。……というか、いつも笑われている。
「うるさい馬鹿どもー!! ったく。……ありがとなリリス。その選択を後悔させないためにも頑張るよ俺ら。なあバアル、レヴァイア」
「ええ。勿論です」
「言わずもがな! だぜ」
 サタンの呼び掛けに二人が迷わず頷く。
「皆さん……。私も、頑張ります!」
 リリスは胸の奥が熱くなるのを感じた。じんわりと胸の奥が熱い……。これが『喜び』というものだと誰に教わるでもなく知っている。彼らと共にいる時だけ味わえるものだ。自分は彼らといると喜べる、ならば共に戦うことに迷いなどあるはずがない。リリスの決意は既に誰の手にも動かせないほどに固いものとなっていた。
「ああ、頑張ろう。よし、そうと決まれば後は早く腹ごしらえ! お前らちゃんと手ぇ動かせ、手を!」
 言うが早いかまた張り切ってサタンはピザ生地を伸ばし始めた。……そんな張り切る彼の耳には「アンタが一番手ぇ止まってたクセに」というレヴァイアのボヤキなど届かなかった。
 そうして仲良くピザ作りをしながら、リリスは魔王三人の口から改めて神の考えが暴走を始め世界が荒れたために自分たちが反逆を決意した経緯や、その反逆に失敗してこの地に落とされたこと、天界に攻め入りたくても攻め入れない事情、神の力がどれだけ膨大か、その神をやっと倒したとしてもその先に何が待ち受けているかは分からないということ、しかし恐れることはない、何故なら二つの希望はこちらにある、という話を簡単に聞いた。
「俺たちの目的はとにかく神を倒すことにある。神を倒して……、その後はぶっちゃけ運任せ。何せ誰も世界の終わりを見たことがないからな。どうなるか予想もつかないんだ。でも『二つの希望はこっちにあるから良い方に転ぶはずだ』ってみんな口を揃えてるから、まあ俺もハッピーエンドになるって信じといてるクチだ」
 ひと通り話し終えてサタンは苦笑いをした。結局結論は曖昧で運任せなのだ。苦笑いをするしかない。しかし幸いにもリリスの関心が向いたのはそこではなかった。
「その『二つの希望』って、なんですか?」
 そう、結論よりもまず一番に引っ掛かったのはそこだった。二つの希望……。先程もバアルが言っていた言葉だ。一体何を意味するのかとリリスは首を傾げた。
「それは私が話しましょうか。二つの希望とはハッキリ申し上げるとサタン、レヴァイアのことです。神がこの星を構築している『物質全ての源』であるように、サタンは『希望と始まりの源』、レヴァイアは『絶望と終わりの源』なんですよ。二人とも普段フニャフニャのアホンダラで全くそんな威厳が無いから信じられないかもしれませんが、本当です。こんなに普段はアレなのに実はちゃんと凄いんですよ」
 ……なんだか褒めてるんだか馬鹿にしてるんだか全く分からない説明の仕方である。しかし間違ってはいないのでサタンとレヴァイアは黙ってバアルに任せることにした。自分たちではどう話していいやら分からないからだ。
「え? え? えっと、それってつまりどういうこと?」
 あまりにサラッと想像していなかったことを告げられ、リリスはどうしたらいいやらまん丸く見開いた目を何度も瞬きさせた。
「どういうことと言われても、そういうこと! としか言えないんだなあ私にも。とにかく彼らも神と同じ『絶対の存在』なんです。絶対の存在とは『普通の方法では絶対に殺すことの出来ない存在』という意味ね。神でさえも彼らを殺す術は知らない。この世界から生と死の概念を無くせないように。実際に私は神がレヴァイアを殺せなかった場面をこの目に見たことが……。失礼、嫌な思い出をほじくったね」
「いや、気にしないよ」
 頭を下げるバアルにレヴァイアは苦笑いで返した。
「ところで、どうだいリリっちゃん。話、分かった?」
「え? えっと、ちょっとまだよく分からない……。サタンさんとレヴァさんも実は神様の一人ってこと?」
 リリスは戸惑いを隠せなかった。彼らが魔界を統治している存在であることは知っている。だが、神となればまた次元が違う。
「そういう言い方をしても差し支えないですね。この星に生を受けた神はまず何も存在しない暗闇に『絶望』して孤独の『終わり』を願った。そして生まれたのがレヴァ君。次に神はレヴァ君の誕生に『希望』を覚え、新たな『始まり』を願った。そして生まれたのがサタン。こうしてこの星の基盤となる物質と始まりと終わりの流れが完成した……。基盤となる存在なのだから本当は二人のことも『神』と呼んでもいいのかも。でもなんかそれムカつくからこの野郎どもに向かって私は呼び捨てを貫きます」
「なんでだよ!!」
 サタンとレヴァイアが声を揃えた。
「ふーんだ、どーせ私なんか基盤が形作られた後に生まれたただの賑やかしですよーだ。なんにも持ってないよーだ」
「あっ、またそーやってすぐイジケる! んも〜、アンタのおかげで俺らまとまってるんだからさ! そんな顔しないでちょーだいよ!」
 唇を尖らせてそっぽ向いてしまったバアルを見てサタンは肩を落とした。バアルはたまにこうして劣等感を口にする……。貴方あっての俺たちですと何度も言ってるのに、だ。気持ちは分からなくもないが、やれやれである。
「あー……。だけどリリス、俺もレヴァも自覚ねーんだ。そんな大層な役目背負ってるって自覚がさ。でも神は物質を創ることは出来てもその生や死は自在に操れない。なのに今日も常に何処かで何かが始まって何かが終わってる……。これって俺ら知らねー間にしっかり仕事してる証拠らしい」
「ああ、おかげで俺は子供の頃とか花が枯れて散るたびに『お前のせいだー!』って色んな人に八つ当たりされたもんだよ。うん……。よりによって終わりなんか司っちゃったせいで昔は貧乏くじばっかりだったなあああ……」
 いつになくどんよりとしたレヴァイアの声……。
「えええ!? そ、そんな切ない思い出早く忘れなさい早くっ!!」
 嫌〜な思い出が蘇ってしまったのか、それこそ絶望に満ちた顔でもって項垂れてしまったレヴァイアを慌てふためいて必死に励ますサタン。いやはや先程から大忙しだ。
「あ、あの、えっと、説明ありがとう御座います! おかげで私ちゃんと分かりましたよ、二人が凄いってこと! そしてそのお二人と肩を並べているバアルさんも凄いってこと、ちゃんと分かりました!」
 リリスが満面の笑みで三人の男を見渡した。いやはや、すっかり彼女は彼らにとっての太陽である。サタンはもとより気分の荒んでいたバアルとレヴァイアもこの曇りなき笑顔を向けられては堪らない。不貞腐れた顔はどこへやら、ただただ照れ笑いである。
「リリス、貴女もこちらの勝利を信じてくださいね」
 バアルが朗らかに微笑む。
「物質は所詮、物質です。物質は絶対ではありません。いつかは必ず朽ちるように出来ている。反対に生と死、終わりと始まりの理は決して揺るがない。これこそ絶対のものです。だから私はこの戦いに必ず勝てると信じている。貴女も、信じてくれますね?」
「はい、勿論です!」
 迷いなくリリスは頷いてみせた。
「リリス……。ありがとう!」
 こんな風に真っ直ぐ『信じる』と言われるとやはり嬉しいものがある。サタンはリリスの手を力強く握った後、レヴァイアと頷き合った。
 頑張らなければならない。
 正直全くプレッシャーではないと言ったら嘘になる、だが先頭に立って反乱を起こした時から何もかも覚悟していることだ。いや、そもそも生まれた時から定められていたことだ。自分たちは常に期待を向けられる立場にある……。だからどうした、応えればいいだけのことだ。こうして自分たちの力を信じてくれる人たちのためならば333億3333万の軍勢も喜んで相手にしてみせよう。
「ふと考えたんですが」
 バアルがポツリ呟く。
「物質と終わりと始まりが3つに分かれたこの仕様は神という一つの存在に全てを任せてはいけないという更に大いなる存在の思し召しだと思いませんか。そんな風に思えてならないんです」
「そりゃ神様の神様がいるんじゃないかってこと?」
 レヴァイアが言うとバアルは「その通り」と頷いた。
「あり得ないとは断言出来ねーな。なにせ夜空には星がいっぱい……。あの中に神様の神様の住んでる星がマジであるかも……、なんつって! でも、もし本当にいたら文句言うよ俺。こんなザマになってる我が子と孫たちを放っておくとは何事だ! ってな」
 言ってサタンはアハハッと笑った。
「いえいえ、ひょっとしたら自立させようと思って敢えて今は心を鬼にして見守ってるのかもしれませんよ。そんで私たちが勝利した時に満を持してちゃっかり出て来るんです、お前たちぃいいい〜よくやったぁああ〜成長したなぁああ〜、ご褒美になにかあげようぅぅぅぅ〜って」
「なにかあげようぅぅぅぅ〜ってのがまた曖昧だなオイッ!」
「そりゃ神様の神様が用意するご褒美ですもん、きっと私たちの想像も及ばない凄いものだと思うんで」
「だからって、なにかあげようぅぅぅぅ〜は、ねーわ! 大体なんなのその声!」
 よく分からない声色を交えて語るバアルをレヴァイアが笑う。その傍らで彼らの会話を聞いていたリリスは思った。彼らは本当に夢を追っているのだなと。でなければこんな楽しげに星の彼方を想像して語り合うはずがない。
 良かった。彼らを信じると決めた自分の意志に、間違いはない。
 そして神様の神様から貰うご褒美は何にするかを話し合っているうち、待ちに待ったピザが焼き上がった。チーズに隠れた具材がどのピザにどう乗ってるか全く分からない闇鍋仕様ではあるが、レヴァイアが仕上げただけあって立派な出来栄えである。「この具は案外イケるな」「何が入ってるのか分からないけどコレ美味しい」「やっぱ大根とニンジンは無茶だったか……」「私が変なものばっか買っちゃったせいでゴメンナサイ……」などなど思い思いの感想を述べながら四人は仲良くテーブルを囲んでお酒を片手にピザを頬張った。ちなみにリリスだけは未だお酒に馴染めずお茶片手である。
「よっしゃ! ちょっと腹が満たされたとこで後日やって来るであろう333億3333万のお客さんを迎えるための作戦タ〜イム!」
 明らかに酔っ払ったテンションでサタンが声高らかに告げる。
「えーとね、まず俺とレヴァイアが最前線で突っ込んでくのは決定だろ。バアルは頭と目が良いから敵将らしく味方陣営の奥で待機! そっから戦況を見定めて援護と指示を頼む。あと腕っ節に自信のある住人には一緒に出迎え手伝ってもらってー、自信のないヤツらはそのまま街で待機! 結界張って街を守っておいてもらおう。これでどーだ〜?」
 自信満々、といった感じである。
「ふむ貴方にしては的確な指示じゃないですか。異議なーし」
 バアルが言うと、レヴァイアも「なーし!」と続いた。
「オッケィ! ではこれにて作戦タイム終了〜! あとはお客さんが来るのを待ちましょお!」
「了解でーす」
 サタンの言葉にバアルとレヴァイアが声を揃えて頷く。と、本当に彼らはそれっきりピタリと戦いの話題を終え、またこのピザの具は合ってるだとかコレは流石に凶悪だとかの雑談に興じ始めた。
「……ええええ!? もう終わり〜!? それだけ!?」
 黙って話を聞いていたリリスが思わず声を荒げた。なんというか、そういうことにはまるで素人であるリリスの目から見てもこの作戦会議はあまりにあまりに大雑把なものと感じたのである。
「おう、こんだけだ! 頭数以外相手がどう来るか分かんねーからな! 後はその場のノリだ!」
 キッパリ言い切るサタンである。
「えっとじゃあ難しいことは言いっこ無しって感じで……?」
「ああ、その通り! な?」
 サタンが目配せするとバアルとレヴァイアがピザを食べながらも即行で頷いた。まあ、彼ら三人が三人ともそう言うなら、これでいいのだろう。これは自信の表れと思わなくもない。
「な、成る程……。あっ、サタンさん、私はどうすればいいんですか? その作戦、私の名前がどこにもない」
「ああ、ゴメン。リリスは危ないから街で待機な。街のみんなと一緒に固まって行動してくれ」
「成る程。嫌です!」
「ん、いい返事だ……って、あれ?」
 今なんて言った? と確認するような目でサタンがリリスを見つめる。
「待機なんて嫌です! 私も皆さんと一緒に天使さんをお出迎えします!」
 改めて声を大にして訴える。と、サタンの顔色が変わった。
「ちょ、駄目だよスッゲー危ないんだから! だってリリスは戦えないだろ?」
「そんなの、やってみなくちゃ分かりません! 決め付け良くない! 私は皆さんが戦っているのに待ってるだけなんて嫌です! 一緒に戦います!」
「そうは言っても……、なあ?」
 助けてくださいと言わんばかりの目でサタンはバアルとレヴァイアを見やった。
「ええ。リリスがそこまで言うんです、仕方がありませんね。私たちと一緒に行動してもらいましょう」
「だな。それがいいよ」
「そうだろ、そうだろ〜? ……ん?」
 予想していた、答えと、違う。
「ありがとう御座います! 私、足を引っ張らないように頑張ります!」
 戸惑うサタンとは裏腹にリリスはとても嬉しそうだ。
「ちょちょちょちょっ!! お前ら何言っちゃってんわけ!?」
 サタンは改めて二人の顔を見やった。まさかリリスに賛同するとは夢にも思っていなかったのである。
「私たちは大真面目ですよ。貴方とリリスが親しい仲ということは既に天使たちの間にも知れている話です。と、いうことは想像がつくでしょう? 向こうは優位に立つためリリスを問答無用で狙ってきますよ。街にいても安全とは言い難い」
 バアルが言うと隣のレヴァイアも「その通り」とピザを頬張りながら頷いた。
「だったら俺らの側にいてもらった方が断然安全かなって思うわけだよ」
「え〜!? …………まあ、でも、一理あるか……」
「俺らの目の届かないところで何かあった方が困るだろ? …………側に置いてやりなよ。守り損なったら後悔するぞ」
 茶化し半分だった態度が一変、いつになく静かな声で告げてレヴァイアはサタンの胸を拳で軽く小突いた。
 ――守り損なったら後悔するぞ――
 これは過去に悔いを残すレヴァイアだからこそ言える言葉である。事情を全て知るバアルが隣でそっと顔を伏せた……。
「や、やめろよ、お前が言うとズッシリ来る〜!!」
「ヒヒヒッ! 同じ思いをしたくなかったらしっかり頑張れっつー俺からの親身なアドバイスだよ。さあ、どうする?」
「どうするって……」
 サタンは再びリリスを見やった。そこには、意志を曲げるつもりなど毛頭ないと言わんばかりに真っ直ぐ見つめ返すリリスの青い瞳があった。最早、何を言ってもとても聞きそうにはない。
「……仕方ないな……。分かった! リリスも一緒に行こう。その代わり絶対に俺たちから離れないこと、勝手に無茶しないこと! この二つ守ってもらうぞ。いいな?」
 言うと、不安そうだったリリスの表情がパッと輝いた。
「はい! ありがとう御座います!」
「ったく……」
 これだけ元気に返事されては敵わない。サタンは苦笑いするしかなかった。
 まあいい。自分がしっかり守ってやれば良い話である。た、多分……。
 その後、和やかに食事は進み、お皿の上にあった何枚ものピザは跡形もなくみんなの腹の中へ。そしてお茶を飲みながら少しの食休みを終えた後「ではそろそろ……」と告げてバアル、レヴァイアの二人は同時に席を立った。
「今日も楽しかったです。気をつけて帰ってくださいねバアルさん、レヴァさん」
 玄関ドアまで二人を見送ってリリスがペコリと頭を下げる。
「こちらこそ! また一緒にお料理しようねリリッちゃん!」
 レヴァイアは可愛い弟子が出来て本当に嬉しそうだ。
「暫くは油断ならない日々を過ごす羽目になりそうだ、何かあったらすぐに声をかけてください。では、おやすみ」
「ああ。そっちこそ何かあったらすぐ知らせてくれよ。じゃーな」
 ラファエルが言っていた『後日』とは明日か明後日か明明後日か……。日にちが特定出来ない以上油断は出来ない。常に気を張っておく必要があるとサタンとバアルは頷き合った。
 そうしてそれぞれ思い思いの挨拶を交わし、バアルとレヴァイアはサタンの城を後にした。
「アイツの城は全室禁煙なのが欠点だよなあ〜」
 ボソッと愚痴ってレヴァイアは夜道を歩きながら早速煙草に火をつけた。
「匂いが籠もるから本当は私の城もそうしたいんだってことをお忘れなく」
 チクリと刺すバアル。すると言い返す言葉が見つからなかったのかレヴァイアはただ苦笑いをした。
「俺、歩いて帰るよ。なんとなくそんな気分でさ。……お前は?」
「お供します。お邪魔でなければ」
 言ってバアルがニヤリ笑うとレヴァイアは「滅相もない」とまた苦笑いをした。
 冷たい風が酔った身体に気持ちいい。そしてふと見上げた夜空には無数の星が輝いている。あの星のどこかに神様の神様が本当にいたりするんだろうか……。気になるが確かめる術は無い。
 天界に住んでいた頃、一度だけ空はどこまで続いているのか知りたくて一直線に上を目指して飛んでみたことがある。しかし羽ばたけど羽ばたけど空の終わりは見えなかった。やがて果ての見えない何処までも続く青に恐怖して大地に戻ってきた、今となっては良い思い出である。
「レヴァ君、この頃のサタンをどう思う?」
 唐突にバアルが口を開いた。
「どうって?」
 空に向かって紫煙を吐きながらレヴァイアが答える。
「ええ、この頃ネガティブ過ぎるのが気になるんです。今日だって色んな決断を渋っていた。らしくないにも程がある」
 同行したいというリリスの言葉に渋ってみせたのが良い例だ。今のサタンは何処か自信に欠けている。
「ああ……」
 そういえば……、とレヴァイアは視線を落とした。
「無理ねーさ。反乱に失敗してから挫折続きだ。そんなで少しも参らない方が逆に心配になるっつーの。普通の感覚じゃないってことだもんよ」
「それはそうかもしれませんが……」
 やはり心配なものは心配なのだ。あんなに弱気なサタンの姿をバアルは今まで見たことがない。だが、レヴァイアはだからどうしたと言わんばかりの落ち着き様だ。
「バアル。俺たちが後ろを向いていた時にアイツは一人でずっと前を向いてみんなを引っ張ってくれた。行動しよう、何かを変えようって。そのアイツが今後ろを向いてるっていうなら恩を返す良い機会じゃないか。今度は俺らが引っ張る番なんだよ」
「レヴァイア……」
 バアルが目を丸くした。
「なんか貴方も貴方で、らしくないですね。心配だなあ〜。大丈夫かな、こんな時に攻め入られて……」
「酷いな、お前!! 大丈夫だよ、任せとけ!! 俺がちゃんとみんな守ってみせる!! 勿論、お前のこともな。なんちゃって真顔で言っちゃったヤダ恥ずかしい〜っ!!」
 どれだけ照れたやらレヴァイアは赤くなった頬を両手で押さえると内股気味の不気味なフォームでもって突然逃げるように前方へ猛ダッシュして行ってしまった。
「え〜!? 走り方キモッ!! ちょ、待ってよレヴァ君〜!!」
 絶句した後バアルはすぐに逃げた相方を俊足で追いかけた。そしてレヴァイアがこの調子なら何が起きても大丈夫だと一人、笑った。



「なんだか今日はいつになく沢山のことを学びました」
 サタンと二人並んでお茶を飲みながらリリスは深く息を吐いた。いやはや本当に様々な知識が一気に頭の中に入ってきて驚き通しの一日であった。
「ああ、色んな話が急に出てきたからビックリしたろ。ごめんな、ややこしいから少しずつ伝えてくつもりだったんだけどさ……」
 バツが悪そうにサタンが頭を掻く。しかし神が本格的に行動を開始し、333億3333万の敵が攻め来るとなるとゆっくりしていられない。なにせ彼女の命に関わることである。早急に身の振り方を決断してもらう必要があった。
「いえ、大丈夫! 私、お勉強大好き!」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。あ、あと俺のことをただの男と見るか魔王と見るか神様として見るかはリリスの自由だけど、とりあえず俺は俺だからさ! 今までどーり頼むぜ」
「はい、勿論です!」
 リリスが元気良く頷くとサタンは苦笑いで返した。とりあえず俺は俺……。思えばサタンとレヴァイアはリリスに対して自己紹介の時に名を名乗ることしかしなかった。今日聞いた世界の終わりと始まりを司っていることは勿論、身分すら口にしなかったのである。横にいたバアルに彼らは一応この魔界を治めている王様なんだよと補足してもらえなかったらいつ気が付いたか分からない。
 きっと名乗らなかったということは、そういう目で見て欲しくないという気持ちの表れだ。彼らは自分が神として崇められることを望んでいない。
「あの、ところで今日のお話で一つ気付いたことがあるんですけど……」
 聞いて良いのかどうか迷ったが、このままでは気になって眠れそうにない。リリスは思い切って尋ねることにした。
「気付いたこと?」
「ええ。神様はまず何も存在しない暗闇に『絶望』したからレヴァさんが生まれて、次に『希望』を感じてサタンさんが生まれたんですよね? コレで合ってますよね?」
「ああ、大丈夫だよ。それで合ってる」
「あの……、だったらレヴァさんのがお兄ちゃんですよね? なんで逆なのかなって〜思って」
 レヴァイアはサタンを兄と呼び、サタンはレヴァイアを弟と呼ぶ。しかし今日の話を聞けば生まれた時間はレヴァイアのが先とのこと。これは一体……。
「おお! そっか、よく気が付いたな!」
 感心したように頷いた後サタンは「つか普通は気が付くか……」と自分に小声でツッコミを入れた。
「レヴァイア、一回生まれ直してんだよ。最初ちょっと生活してくのに不便な身体で生まれちまったもんだからさ。まだ頭がまともだった神の腹の中に入って何年もかけて今の身体に治してもらって、その間に俺のが歳をとったから兄貴ってわけ」
「な、なんかそれも凄い話……!」
 また一つ凄い知識を得てしまった。
「あれで結構苦労してんだよ、レヴァイアも」
「そうだったんだ……。そういうの見せないあたりがカッコイイですね」
「ありがとう! 俺も実を言うと見せてないだけで色々と苦労…………あっ、じゃあ言っちゃ駄目じゃんッ!!」
 自分で自分にツッコミを入れてサタンは頭を抱えた。
「さ、さて、そろそろ寝る準備すっか! 今日は疲れただろリリス。風呂沸かしてやっからゆっくり温まってくれな」
「あ……。はいっ、ありがとう御座います」
 まるで逃げるようにサタンはさっさと行ってしまった。まだ色々と聞きたいことはあったのだが、今日はもうやめておこう。あまり根掘り葉掘り聞くのは良くないことだ。
 だが、正直な気持ちを言うと、リリスはもっと知りたかった。
 反乱の理由や、堕天してからのこと、これからのこと、今サタンが何を思い何を感じているのか……。
 反乱の理由も堕天してからのことも大まかな話は聞いている。だが、足りない。この狂った世界を壊すために反乱を決意した……、反乱の理由はそれだけだろうか。
 きっと違う。
 それに至るまでに色々な光景を目にし、悩み、迷ったはずだ。しかしサタンはその経過を自ら語ろうとはしない。いざこちらから聞けば彼のことだ、嫌な顔一つせず親切に教えてくれるだろう。だが、聞いていいものかどうか……。これはサタンに対する遠慮ではなく、彼の思いを全て受け止めることが自分に出来るかどうかの迷いであった。
 絶対の力を誇る神に反逆を決意したのだ、そこには相当な思いがあったことだろう。安易に聞いて良いものではない。受け止め損なったら非礼にも程がある。
(でも私、いつか知りたい)
 リリスは冷めた紅茶をジッと見つめた。
(サタン……。私は貴方が今まで何を見て何を感じてきたのか、その全てを知りたい――)
 何故そう思うのかは分からない。だが、確かな気持ちだ。
 手の届かない存在であって欲しくない。
 常にこちらへ背中を向け一歩先を颯爽と歩いているサタンの横に、いつか並びたい。並んで共に歩きたい。
 彼に追いつくことが出来たら、同時にバアルやレヴァイアにも追いつけるはずである。
 ただ後ろに下がって守ってもらうだけの立場にありたくない。彼らと一緒に戦うことの出来る本当の仲間になりたい。
(泥人形だってちゃんと役に立てるってこと、証明するからね。カイン……)
 リリスは湯気の消えたカップをギュッと握り締めた。



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