【07:繋いだ手と手】


 ――どうすればいいのでしょうか、私は貴方のことを知れば知るほど好きになっていく――


 激しい戦争を終えて三日が過ぎ、街は一見すると何事もなかったかのように平穏を取り戻していた。
 しかし、やはり以前とは違う。
 66人の帰らぬ仲間がいること、333億3333万の相手軍勢を目の当たりにし、悪魔たちの心の中に改めて神に対する大きな反抗心や恐怖が芽生えたこと――その一つ一つを言葉にすればキリがない。
 そして此処にも一人、あの日の傷を忘れられない者がいる。
「手合わせだ、レヴァイア!! 私はあの野郎に一太刀も入れることが叶わなかった自分に腹が立って仕方ない!!」
 城の広々とした裏庭の真ん中にてバアルはやる気満々の身軽な服装でもって自力の氷で地面に作った分厚いリングの上に立ち、渋るレヴァイアへ向けて執拗に手招きを続けていた。
「ヤ、ヤダよ〜! こんな朝も早くからな〜んでお前とレスリングしなきゃいけないんだよ〜!」
 ついさっき朝食を終えたばかり。レヴァイアとしては戦争による慌ただしさも一段落したことだし今日はのんびりしたいというのが本音である。
 だが、その意志を伝えたところで簡単に引き下がるバアルではない。
「うるさい黙れお前に拒否権は無い。いいから来い。せっかくリングまで用意したんだ、ちゃっちゃと来い!!」
 苛立った様子でバアルが尖ったヒールのつま先でガツガツと闘技場リングの表面を蹴っぱる。ちなみにこの氷のリングは地面に直接触れて土で身体を汚すことを嫌がったバアルが30秒で作り上げたものである。足が滑り難いようしっかり表面にギザギザ加工もされている親切設計……と、それはともかく、これはちょっと断り切れそうにない。レヴァイアは大きく肩で溜め息をついた。
「あーもー、分かった、分かったよ〜! 相手すればいいんでしょ? やりますよお〜っ!」
 渋々も渋々に邪魔になりそうな飾りで巻いてるマントを外し適当な樹の枝に引っ掛けてリングへと上がる。一度言い出したらなかなか聞かない相方の気質はよく知っている。そして突っぱねたら突っぱねたで後が恐ろしい。やれやれである。
「それでよし! さあ始めましょう! 手加減は要りませんよ、私も手加減しませんしね!」
 やっと要求に応じてもらえたことにバアルは顔をにんまりさせた。嬉しそうだ……。
「へぇへぇ……。しょーがねぇな。ほら、どっからでもかかって来い」
 トントンと軽くジャンプをして身体を解し準備オッケーとレヴァイアが片手で手招きした――瞬間、バアルは待ってましたとばかりに俊足でこちらの懐に飛び込み、頭に目掛けて盛大な蹴りを放ってきた。
「うおっ!?」
 不意打ちにも程があり咄嗟に避けるのは無理と判断して頭への直撃だけは避けようと右腕を盾にする。
「っ!」
 一撃を防いだレヴァイアの右腕に僅かだが痺れが走った。どうやら、本当にこの王様は手加減をしてくれないらしい。
「いい蹴りだけど、ちょっと大振り過ぎかな」
 早口に欠点を指摘し、レヴァイアは一撃を防いだ右腕に力を込めてそのままバアルの足を振り払った刹那、若干体勢を崩してがら空きになった腹へ掌打を食らわせた。これが天使相手の殺し合いであれば爪を尖らせて腹を貫き大きな風穴を開けるか拳を叩き込んで内臓を破壊するなりしたものだが、やはり手加減無しと言われても友人にそれをするのは大いに気が咎める。
 それでも腹にレヴァイアの掌打だ、今朝美味しく食べた朝飯が無駄にならぬよう加減したとはいえ、なかなかの衝撃。バアルは「ぐぇっ」と低く呻いて腹を抱えうずくまった。
「すぐに腹をがら空きにするのも良くないな。そこ一発食らえば動けなくなっちまうんだから…………うわっ!?」
 話し途中でバアルが素早く拳を振り上げてきた。食らう寸前に手のひらでパンと叩き払ったが、まだまだ引かぬとばかりにバアルは足を踏み込み直して何度も何度も拳を打ち込んでくる。
「ひっ、人のっ、話は、最後まで聞きなさいよっ!!」
 打ち込まれる拳を全て叩き払いながら訴える。しかしバアルは完全に無視を決め込んでいよいよレヴァイアが僅かに体勢を崩したところに風を切るような回し蹴りを放った。が、レヴァイアはそれを腰落として首を不自然に曲げたかなり無理な体勢で避け、ついでにバアルへ足払いをかけて彼が膝をついている隙に後方へ飛び退いた。
 いやはや忙しい忙しい。ちょっと距離を開けて一休み……したかったのだが、一撃も与えられないことに憤慨したバアルが「この野郎……!」と舌打ちし、殺気を放ってとうとう岩をも切り裂く爪を鋭く尖らせて向かってきたから、さあ大変である。
「ちょっ!? お前、爪は無しだろ爪は!! 俺っ、丸腰なんですけどっ!!」
 ビュンビュン風を切って襲い掛かってくる鋭利な爪の太刀を紙一重で避けながら猛抗議。しかしバアルは止まらない。これは本気も本気だ。ちょっとヤバイ。怪我させられそうである。
「ったくも〜!!」
 仕方なくレヴァイアは精神を集中させ爪の軌道を読むと大振りに放たれた一撃の隙を逃さずバアルの手首を捕まえ、そのまま彼の身体を思い切りぶん投げて氷のリングに背中から叩きつけた。
 普通なら腕を取られたくらいで素直に背中を打つバアルではない。しかしレヴァイアの投げはあまりに早く、回避も出来なければ受け身もとれなかった。
「うっ!? うああっ!? 痛っ!!」
 強打した背中を押さえてバアルが呻く。やっと大人しくなった。ホッと一息のレヴァイアである。しかし――
「悔しい、もう一回だ」
 寝そべったまま、ジーーーーッとこちらを見てバアルが一言。
「え? まだやるの?」
 一応の一応に確認をしてみる。するとバアルは迷いなく頷いた。
「当たり前だ。これっぽっちで終われるか!」
 言ってゆっくりと起き上がり、続行になんの支障もありませんとばかりに大きく伸びをして片腕を回してみせる。
 そう、この王様は頑ななだけでなく酷い負けず嫌いでもあるのだった。
「はーい……」
 拒否権の無いレヴァイアは頷くしかなかった。
 そうして、そのまま、何回戦、休みなく付き合わされただろうか……。
 漂っていた朝の空気はすっかり過ぎ去り、頭上で眩しさを増した月がそろそろお昼ご飯の美味しい時間ですよと告げている。
 しかし、王様はまだ御満足しない。
「バアル〜、俺もう疲れた腹減った〜っ!!」
「ゼェ……ゼェ……! ま、まだまだ! 勝ち逃げは許さないぞレヴァイア……!」
 レヴァイアより遥かに息が上がっているにもかかわらず、引く気配無し。言葉からも分かるように彼は自分が勝つまで続ける気だ。
「冗談じゃないよ、もおおおお〜っ!!」
 そうレヴァイアが溜め息するのとバアルが鋭利な爪を剥き出しにして向かってきたのはほぼ同時のことだった。
「不意打ちとは卑怯なりー!!」
 叫びながら手を払い除ける。一応、修行の成果あってかバアルの攻撃は直線的なものから随分と変則的で読み難いものへと進化した。彼は元の頭が良い、己の手という最も扱い易く軽い武器を振るう利点をレヴァイアとのやり取りの中で更に見つけたようだ。
(こりゃ避けるのも楽じゃなくなってきたなー)
 思った矢先、左頬を僅かに切られた。挙句、一瞬動揺したところへ全体重を掛け勢い良く飛び掛ってきたバアルの両脚に首を絡め取られ、そのまま前方へ遠心力に引っ張られる形でグルッと一回転しレヴァイアは背中から床に叩き伏せられてしまった。見事なヘッドシザーズ・ホイップが決まったのである。
「わはははは!! 取った取ったー!!」
 高笑いしながらバアルがレヴァイアの首を両脚でグリグリと締め上げる。
「ぐぇぇぇぇぇ!! ま、参った参った参った……!!」
 これは敵わないと踏んで床をタップするレヴァイア。すると尚のことバアルは高らかに笑い上げた。
「そうか参ったか!! では私の勝ちだな、バンザーイ!! …………などと容易く喜ぶと思ったかレヴァイア!! ふざけやがってー!!」
 上機嫌から一転、憤怒の表情で怒鳴り上げてバアルは首を締める力を強めた。
「ぐえっ!? な、ななななな何が……!?」
「何がじゃない、よくも私相手に手加減なんぞしてくれたな!! わざと負けるとは何事だ!! 舐めやがってー!!」
 益々を持って首を締める力が強くなっていく。いよいよ息が出来ない。
「ちょっ、ぐるじぃ!! ホントにぐるじぃ!! か、勝っても怒るなんて酷い〜……ッ!!」
 本気で床をタップしながらジタバタジタバタ暴れるレヴァイア。逃がさないとばかりに脚へ渾身の力を込めるバアル。と、そこへキョトン顔のサタンとリリスがやって来た。
「え? え? あの、何してるんですか?」
 戸惑って目をパチクリさせるリリス。その隣でサタンが大きな溜め息をつく。
「お前らっていつも仲良いなあ〜。いい歳した兄ちゃん二人でなーにやってんだか」
 言って、いつものことだから気にしないでとサタンはリリスに説明をした。
「おや、誰かと思えばヤギ頭のサタンと私の足掻き苦しむ姿に濃厚なエロスを感じたリリスではありませんか。こんにちは。何って武芸の稽古です、そうとしか見えないでしょう。まさかこの様もエロく見えるとでも?」
 尚もレヴァイアを締め上げながら毒気たっぷりの挨拶をしてバアルが微笑む。しかしその微笑み、明らかに目が笑っていない。
「えーん、ごめんなさーい!! 悪気はなかったんですううう!!」
「き、機嫌わるっ!! なんか知らねーけど機嫌わるっ!! つか、レヴァイア離してやれよ、泡吹いてんじゃねーか可哀想に!!」
 嘆きながら頭をペコペコ下げるリリスと、なんかもう色んな意味で絶句のサタンである。バアルはそんな二人を見て「フンッ」と唇を尖らせると、さも仕方なさそ〜〜に脚を離して窒息しかけのレヴァイアを解放した。
「ッ……ゲッホゲッホッ!! し、死ぬかと思った……。っもお〜、聞いてよ二人とも!! バアルってば時間経つにつれて悔しさが増していく〜とか言って昨日の夜から大荒れでさあ〜!!」
 かくかくしかじかと詳細を語るレヴァイア、その隣でバアルがこれでもかと頬を膨らます。
「だ〜って悔しいものは悔しいんだから仕方ないッ!!」
「ほらね、この通りだよっ!! ずっとこんななんだよ、八つ当たりされる俺の身になってよ兄ちゃ〜ん!!」
 ピーピーギャーギャー騒ぐ二人……。これはちょっとタイミング悪い時に訪れてしまったやもしれない。
「ま、まあまあまあまあ落ち着け落ち着け! 特にバアル、お前は俺らの中で唯一のクールビューティーなんだから落ち着け!」
「そうですよ、そんなにカッカするバアルさんなんてバアルさんらしくないですよ!」
 サタンとリリスで必死のフォロー。すると我に返ったのかバアルは「それもそうだ」と頷いた。
「そういえば私は冷静かつ美しいのがウリでしたね。いけないいけない。さて、お二人さん、どんな御用で此処へ?」
「え? えっと、どんな御用と言われましても〜……」
 戸惑うリリス。そりゃいきなり王の仮面を被って紳士に振舞われても困る。しかしサタンにとってバアルの素早い切り替えはいつもの光景だ。
「普通〜に昼飯一緒に食おうぜって誘いに来たんだよ。暇ならどっか食いに行こ」
 ポカンと立ち尽くすリリスに代わって要件を伝える。するとバアル、レヴァイア二人の目の色が変わった。
「そういえば妙にお腹が空いてきたような気が。よし、行きましょう。何を食べようか」
 先程までの不機嫌な顔は何処へやら。バアルが呑気にお腹を撫でる。全くこの王様は……と隣で溜め息するレヴァイアのことなどお構いなしだ。
「やっと昼飯時だってことに気付いてくれたかバアルさんや……。もち俺も行く! けど、その前にちょっと汗掻いちまったからシャワー浴びてくるわ。すぐ済ますから待っててくれる?」
「おう、勿論!」
 サタンが頷くとバアルも思い出したように「あっ、私もシャワー」と手を上げた。
「じゃあ、ちゃっちゃっと済ませてくるから先に街行って店の目星つけといてよ」
「私もちゃっちゃっと済ませてきまーす。と、その前に、レヴァ君、私の動き少しは良くなりました? 言いたいことがあったら正直に言って欲しい。直したい」
 枝に引っ掛けておいたマントを取って意気揚々歩き去ろうとしたレヴァイアにバアルが尋ねる。
「言いたいこと? そうさなあ〜……」
 はて、どう言ったものか……。レヴァイアは考え巡らすために煙草を口に咥えて火をつけた。彼が正直に言って欲しいと言うからには正直に言うべきなんだろう。
「動きは確かに良くなったよ。けど、自分のこと棚上げでアドバイスすっとお前は俺の目にも明らかなくらい自分のこととなると少し興奮しやすいのがちょっとな。もっと冷静に立ち回れるようにならねーとその隙突かれるかも」
 まんま思った通りのことを伝える。するとバアルは盛大に顔を歪めて「チッ」と大きく舌打ちをした。
「もっと冷静に、ね……。分かった、努力する」
 不貞腐れたバアルはレヴァイアの咥えていた火をつけたばかりの煙草を引ったくると慣れた手つきで煙を吹かしながら早足に去って行った。相当に苛立っている御様子だ。
 そして背後に残された氷のリングはまるで彼の怒りを代弁するようにパンと弾いたような音を立てその場で粉々に飛び散り跡形もなく消え去った。
「やれやれ、正直に言えってゆ〜から言っただけなのに」
 新しい煙草を取り出して口に咥え、レヴァイアは苦笑いを零した。
「アハハッ。お前も大変だなあ〜」
 サタンもつられて苦笑い。
「バアルさん本当に不機嫌……。あんなにプリプリしてるトコ初めて見ました……」
 リリスは普段クールな彼が感情を剥き出しにしていることにただただ戸惑った。しかし当のレヴァイアはどこか余裕だ。なに、いつものことだからである。
「可愛い女の子が見てる前でラファにボロ負けしたのが相当悔しかったみたいだよ。ああ見えて可愛いとこあるだろ?」
 リリスへ向けて屈託のない笑み。そんな笑顔で可愛いだろと聞かれては「そうですね」と同じく笑顔で返すしかない。
「って、あれ? じゃあバアルさんが落ち込んじゃった原因、ひょっとして私……!?」
 リリスの背中に嫌〜な汗が流れた……。自分がジッと見ていたせいでバアルを落ち込ませてしまったとすれば申し訳がないにも程がある。
「アハハハッ! やだな、それは無い無い! 大丈夫! 悪いのはラファエルだっての! つか、あんま心配要らないよアイツあれで立ち直りも早いから! じゃ、後でね!」
 言うとレヴァイアは小走りにバアルを追い掛けていった。朝から王様の八つ当たりを一身に受けていたにもかかわらず元気なものである。
「本当に仲が良いんですね、あのお二人」
 なんだか微笑ましくなってしまったリリスである。
「ああ。パッと見はトンデモなくチグハグなのに不思議なもんだよなあ」
 サタンまでニヤニヤしてしまった。
 さて、そんな具合に二人から笑われている間にレヴァイアはようやくバアルに追いついたわけだが、覗き込んだ顔の眉間には相変わらず深い皺が刻まれていた。
「いっつまでもそんな顔しないでよおお〜っ」
「あ? 煙が目に染みてるだけだ気にするな」
 気にするな、と言われてもその口調が既に不機嫌ぷりを表している……。これは下手に声をかけるより暫くそっとしておいた方がいいかもしれない。
 思った矢先「レヴァ君」と名を呼んでバアルから話を振ってきた。だが、様子から察するにあまり良い話ではなさそうだ。
「なに?」
 聞くと、バアルは煙を吐いて深々と溜め息をついた。
「もう二度と私への加護を弱めてくれるなよ。負けも怪我も二度と御免だ」
「加護って……」
 やはり、予想通り良い話ではなかった。
「お前、それ簡単に言うけどさあ〜」
「心配無用。貴方にどれだけ加護されても私は化け物になどならない。私はどうあっても私だ。この意志、確かに伝えましたよ」
 言うとバアルは目を合わせないまま逃げるように瞬き一瞬で姿を消してしまった。自室のシャワー室へ手早く向かったのだろう。まあ、それはいいとして、だ。
 加護、と簡単に言うが、これは相手をひたすらに想うことで成立する謂わば『願い』のようなもの。レヴァイアの中で力は授けたいが自分のような化け物にはなって欲しくないという思いと、しかし彼の無事を祈るならば力を授けなければならないという葛藤と迷いがある以上、効果が薄れるのは必然であった。
 ならばどうすればいいのか――その答えを見つけない限り、絶望の化身の加護といえど気休め程度の効果しか生まれない。
「んっとに、人の気も知らねーで勝手なことばっかり言いやがって……」
 一層、何かが肩にズンと伸し掛かった気がして苦笑い。
 ひょっとしたらバアルは、自分に対してだけでなくレヴァイアにも怒っていたのかもしれない。そう考えると今日の手合わせも『こんなに弱い私を見てどう思う』というメッセージだったように見えてくる。あの稽古の最中の鬼気迫るような目を思えば尚更……。
 レヴァイアは煙草を一気に吸い込むと重たくなった気分諸共どっか飛んで行けとばかりに空へ向かって勢い良く煙を吐いた。しかし、気分はあまり晴れなかった。



 今まさに食べたいものを一つに絞るというのは簡単そうで実は難しい。サタンとリリスは大賑わいの街の大通りにて良い匂いを外まで漂わせる飲食店を順に眺めては「此処もいいな」「こっちも美味しそう」とこっちにフラフラあっちにフラフラ優柔不断な状態に陥っていた。
「決まらねーな!! よし、リリスお前が決めなさい。そうしなさい」
 基本的に短気なこの男、とうとう投げやりになった。
「まあっ! こんな時ばっかり私に振るんだから!」
 しかし店を決めないことには仕方がないので改めて大通りを見渡す。そして、ふとリリスはあることに気が付いた。
「サタンさん、皆さんはどうして手を繋いでいるんですか?」
「手?」
 サタンが聞くとリリスは「ほら、あっちにもこっちにも」と目で手を繋いで歩く男女二人組みを次々に指した。男女が寄り添い歩く理由が分からない彼女にはこれがとても不思議な光景に見えたのだ。
「ああ、どーしてだろな」
 理由は分からなくもないが改めて聞かれるとなんと答えていいやらなサタンは笑って誤魔化した。下手に「ラブラブだからだよ」と答えようものなら「ラブラブってなんですか」と更に追求されそうで恐い。ここは誤魔化しておいた方がいい。
「サタンさんでも分からないの? うーん…………。あっ、分かった!」
 リリスが手をポンと叩いて目を輝かす。
「迷子防止だ! きっとそうですよ!」
「えー? それは無いだろ。みんながみんなお前みたいなドジじゃあるまいし」
「あっ、酷〜いっ!」
 ニヤニヤと意地悪く笑うサタンに向かってリリスは頬を膨らませた。なんだかんだでまだ仕草は子供である。
「ヒヒヒッ! つか迷子防止なら俺らこそ手ぇ繋いでおかなくちゃいけないんじゃね? 繋ぐか?」
「え? あ…………。はいっ」
 にこやかに差し出された大きな手。応じて握った瞬間、リリスの胸が跳ね上がった。
(あ、あれ……? 私、どうしたんだろう……)
 跳ね上がった胸がそのままの勢いでバクバクと激しい鼓動を刻み続ける。なんだか、心臓が爆発しそうだ。また顔が燃えるように熱くなっていく……。そして先程まで難なく見ることのできたサタンの顔が何故か見れなくなってしまった。見ようとすると何故だか胸がより一層跳ね上がるのである。
 胸が苦しい、顔が熱い、恥ずかしい、しかしこの温かい手は離したくないジレンマ。リリスはどうしたらいいか分からず俯いてしまった。
「ん? どした? 恥ずかしいか?」
 あまり周りを気にするタイプとも思えぬリリスの意外な反応にサタンは首を傾げた。
「えっ!? い、いえ! えっと……、サタンさんの手、温かいです……」
「そっか? んな露出激しい服着てっから冷えるんだぞ、お前」
 朗らかに笑ってサタンはリリスの手をギュッと握り直した。温かいって感想を漏らしたということは少し肌寒かったんだろな、と。胸元露わで脚も深く入ったスリットから大胆に覗けるノースリーブドレスを着て元気に歩き回っているリリスが寒がっているわけはないのだが、彼は自分のこととなると少し鈍い。
「あ、いえ、あの、あの……。あ、ありがとう御座います。えっと、じゃあこのままもう少し歩きましょ」
「ああ。ちゃんと食いたいもん探せよリリス」
 そうして二人で手を繋いだまま歩いた。暫くして、ふとリリスは発見した。手を繋いだ時は寄り添った方が歩き易いことを。ゆえに胸が爆発すること覚悟でサタンに引っ付き歩く。対してリリスはちょっと寒がっていると思い込んでるサタンは寄り添う彼女を抵抗なく受け入れた。本当に、鈍い。
(ど、ど、どうしよう……。どうしよう……)
 最早、通りの景色など上の空のリリスには見えていなかった。胸が苦しい、顔が熱い、気を緩めたら何故か今にも泣きそうだ。だが、そんな無茶苦茶な状況なれど今を幸せに感じる不思議……。
 また、あの日の光景が脳裏に過ぎる。
 鬼気迫る顔で叫び自分を庇って槍を受けたあの姿。それとは対照的に翌朝見せてくれた無防備な寝顔……。
(私、あれから貴方のことで頭がいっぱいなんです……)
 意を決して頭半分背の高いサタンの顔を見上げる。
(……カ、カッコイイ……!)
 即行撃沈だ。本当にリリスはあれ以来サタンが格好良く見えて仕方がない。と、そこへ背後から不意に「あっ、手ぇ繋いでる!」と茶化す声。振り向くとニヤニヤ笑いながらこちらを見ているレヴァイアとバアルの姿があった。
「ええ!? いやっ、あのっ、これはっ、その……!」
 慌てふためくリリス。対照的にサタンは余裕でただケラケラと笑う。後ろめたいことなど何もないとでも言うように。
「ただの迷子防止だよ! ところでお前ら食いたいもんないか? 俺ら決まらなくてさ〜」
「な〜んだ、目星ついてないのかよ〜。じゃあ俺の意見でいい?」
 目星付いてないならこっちのものだとばかりにレヴァイアが目を輝かせる。
「貴方のことだからどーせ肉料理一択でしょ? でも私は賛成ですよ、運動したらお腹が空いちゃったからガッツリ食べたい気分でしてね。向こうに最近出来たばかりのステーキとワインの美味しいお店があるんです、そこで如何ですか?」
 シャワー済ませたばかりだというのにもう化粧バッチリなバアルが向こうの道を指差す。隣では自分が言いたかったことを全て言われてしまったレヴァイアが肩を落としているが、まあ、そっとしておこう。とにかくあれこれ迷っていたサタンやリリスと違ってこの二人は見事なくらいの即決だ。特に異議もないので頷き答え、サタンとリリスは素直について行くことにした。
「お前って何気に情報早いよなぁ〜。向こうにそんな店あったっけ?」
 感心感心と頷くサタン。
「ええ、私ったら人気者だから街を歩いているだけで色んな話が聞けるんですよ。……あれあれあれ? と、いうことは?」
 新しい店を知らないお前さんは不人気者といったニュアンスでバアルが薄ら笑いする。
「お前まだ機嫌悪いわけ〜!?」
 まだ言葉にどこかトゲのある王様にガックリと肩を落とす一同。
 しかし心配は無用。彼は王だけあって表の顔は紳士に通すのが主義である。よってバアルは店に着いた途端に意地悪くニヤニヤ笑っていた顔を引き締め、先程まで不機嫌だったことなど誰も察し得ない物腰で店主と丁重な挨拶を交わした。この切り替えの器用さは一体どこから来るのか、それはサタンにもレヴァイアにも分からない。
 それにしてもバアルが行こうと名指ししただけあって落ち着いた雰囲気の良い店だ。広々とした店内にてカウンター脇の少女が弾くハープの心地良い音色が響く。
 昼時だけあって他にも何組かのお客の姿がある。全員、サタンらの姿を確認すると食事の手を止めて会釈をした。彼らはみな上級貴族だ。リリスには未だ知る由もないがこの店、実はとても高級なところである。
「腹減った腹減った〜! なーに食べよっかな! って、ステーキ屋だけあってステーキしかねーな」
 店主に通された席に一番乗りで座ってレヴァイアは早速メニューを開いた。どんなに落ち着いた雰囲気の店に足を運ぼうと彼はいつも通りである。
「可哀想なこと言うなよ、ちゃんとサラダもあるじゃねーか」
「そうそう、デザートとワインもありますよ。あ、ワイン、ボトルで頼んでみんなで飲みましょうよ」
 同じく席に座ってメニューを開いたサタン、バアルが順に言う。
(あ、私も食べたいもの決めなくちゃ……)
 席に座った際サタンと繋いでいた手が離れてしまったことを残念に思っている間に一歩遅れてしまったリリスも気を取り直してメニューを開く。そして――――隣同士で座れたし手なら店を出たらまた繋いでもらおうなんて呑気に考えていたことが全て吹っ飛ぶ程の衝撃を受けた。
「あ、あのっ、あのっ、このお店、凄く高くないですか……?」
 完璧に数字を読めるようになり最近では金銭感覚もしっかり身に付けたリリスにとってこのメニューに記載されている値段はかなり衝撃的なものであった。彼女は此処がようやく超高級な店であることを知ったのである。
 いやしかし今の今までリリスの口からそんな言葉が飛び出たことなど無かっただけに後の男三人の方が衝撃を受けた。それはもう、ポカーンである。
「きゅ、急にどーしたのリリッちゃん、いつもそんなこと言わないじゃんか」
 レヴァイアの言葉はご尤もだ。
「は、はいっ、そうなんですけど……。全く目を向けたことなかったのに今日は何故か値段にちゃんと目がいっちゃったというか……」
 この店の高級っぷりにも驚きだが何より今の今まで値段というものを一切気にしなかった自分にビックリなリリスである。
「ん〜〜、また一つ成長したってことかもしれませんね。良きかな良きかな」
 ウンウンと微笑み頷くバアル。その顔は「これは喜んでいいことだよ」とリリスに伝えてくれた。だが、サタンだけはどうもイマイチ不服そうな様子である。
「だからってさぁ、んな貧乏っちぃこと言うなよリリス!! 俺、帝王だよ!? バアルは王様でレヴァイアは猫畜生なケダモノだよ!? もっと堂々としてくれよなあ〜っ!! ここは王様の奢りなわけだしさ」
「ちょっとお兄様!! 俺だけランクが桁違いに低い響きなの気のせいかしら!?」
「私がいつ奢ると言った!? あとどうでもいいけど他の席で食事してる人いるんだからあんまり騒ぎすぎないのっ! 全くもう品がないんだからっ」
 リリスを置いてきぼりでワイワイガヤガヤ騒ぐ男三人。これは長くなりそうだ。止めなければ……。
「あ、あの〜、えっと、とどのつまり私はどうしたらいいんでしょう?」
 おずおずと手を上げて結論を求めてみた。すると、
「遠慮すんな!!」
 男三人が声を揃えた……。うむ。彼らがそう言うのなら、そうするべきだろう。
「はっ、はいっ! 分かりました。じゃあ私、今日もお腹いっぱい食べます!」
 そうしてリリスがにっこり笑顔で素直に頷くと、男三人も「それで良し」と笑顔で頷き答え、それっきり口論は途絶えた。リリスの笑顔が彼らにとってすっかり大きな癒しとなっていた証拠である。
 そうして和やかに食事は進み、サタンとレヴァイアが分厚いステーキを飲み込むように10枚も平らげたり、あんなに機嫌の悪かったバアルがフルーツとワインですっかり御機嫌になった様を見てリリスはとても微笑ましく思った。そして、彼らと出会えた幸運に心から感謝した。
 逆に、あのまま大人しく人間界に身を置いていたらと思うと少しゾッとする。
 ――――楽しい時間ほど早く過ぎるのは何故だろう。
 食事を終えた後そのまま四人はショッピングにハシゴし、夕食も一緒に街で済ませることにした。
「夕食は何にしましょうか」
 サタンとレヴァイアに大好きな宝石を買ってもらって朝の不機嫌ぷりなど跡形も無くなったバアルが歩きながら言う。
「ん〜と、美味しいものならなんでもいいかなー……」
 相方の御機嫌担ぎにと思わぬ出費を強いられたレヴァイアが肩を落としながら言うと、隣で「貧乏っちぃこと言わないなら奢って奢って」と上手い具合に丸め込まれて高額な宝石を奢る羽目になったサタンも同じくグッタリした様子で頷いた。
「俺は貧乏っちぃこと言わないから何でもドンと来いだぜぇ〜……」
「皆さん、何でもいいんですか? それはそれで困ったなあ〜」
 サタンと手を繋ぎながら今日一日ショッピングを楽しんだリリスは二人の様子を尻目にとっても御機嫌だ。
「本当に何でもいいんですか? 遠慮しないでください、夕食は気分が良いので私が奢りますよ」
 高らかに笑うバアル。そりゃあれだけ高額な宝石を買わせたのだから夕食くらい奢ってくれてもバチは当たらないぜ……と、サタン、レヴァイアが声にならぬ声で嘆く。
 中央通りには色んな食事処が揃っている。目移りしているのは自分たちだけではない。夕食時だけあって通り過ぎていく人々はみな揃って「何を食べようか」という話をしている。
 リリスは思った。これを『平和』と呼ぶのだろう。毎日がこうあればいいのに、と。
 ちなみに夕食は結局ピザとパスタに落ち着いた。折角の奢りなのだからもっと高価なものを選べば良かったのにとリリスが聞くとサタン曰く、贅沢とは金額関係なしにその時一番食べたいものを食べるのが贅沢なのだそうだ。
 本当に、今日は何事も無く終わった。
「血の流れない日なんて珍しいですね」
「全くだな」
「なんかこれはこれで不気味かも。嵐の前触れじゃないことを祈ろうか」
 別れ際、男三人が苦笑いを交わした。



 その夜、リリスはまたもベッドの中で眠れずにいた。寝る準備を済ませサタンに「オヤスミ」といつも通り頭を撫でられてベッドに潜り込んだものの、どれだけ時間が経っても目は冴えたまま。遊び疲れているはずなのに眠気が少しも来ない。
 目を閉じるたび、サタンのあの日の姿がまた瞼の裏に蘇る。荒々しくも優しく身をていして自分を庇ってくれた、あの姿が…………。
(こりゃ駄目だあああ〜っ!!)
 リリスはベッドから身を起こした。駄目だ、全く眠れそうにない。
 そういえば……。ひょっとしたら今日もサタンは隣の部屋で夜更かしをしているだろうか。
 ――会いたい――
 思い立ったら即行動。リリスは自室を出てサタンの部屋のドアをノックした。すると案の定まだ起きていた彼はすんなりドアを開けてくれた。チラリと覗ける部屋のテーブルの上にはいつも通り数本のお酒の瓶と大量の書物……。
「どーした眠れないのか?」
 ネグリジェ姿で部屋にやって来たリリスを見てサタンが首を傾げる。
「はい、なんか目が冴えちゃって……」
「へえ〜。珍しっ!」
 笑うながらサタンが言う。この頃のリリスは夜ともなると毎日グッスリ眠っていた、よって彼から言わせればどういう風の吹き回しかと思ったのである。
「エヘヘッ。あの、だから、邪魔じゃなければ、一緒に、いたいなって……思って……。あの、私、邪魔かなあ?」
「んなわけねーだろって。いいよ、寝れないならおいで」
「やった! ありがとう御座いますっ!」
 嫌がる素振り一切無くサタンはリリスを部屋へと招き入れた。
「なんかさ、あの日からあんまり寝れてないみたいだな。やっぱ色々とショックだったか?」
「えっ!?」
 あの日とは、先日の戦争のことだ。あの日を境にリリスは毎晩寝苦しい夜を過ごしている。ゆえにサタンは彼女が凄惨な光景を目の当たりにしたために心を痛めて眠れないと考えた。しかしショックを受けてないといえば嘘になるが実際のところは、言わずもがな。彼はリリスが自分に対して恋心を抱き始めていたことは勿論、そこまで図太い女性とも思っていなかったのである。
「い、いえっ! それは、その、大丈夫、です! 心配かけてごめんなさい」
 誤解させてしまったことを大変申し訳なく感じたリリス。しかしちゃっかり「やっぱりこの人は優しい!」とトキメくことも忘れない。
「そっか? 悩んでることあったらちゃんと言えよ?」
 言いながらサタンは元いた場所のソファーに座ってリリスのために温かいハーブティーをいれた。
「はいっ、分かりました!」
「ん、いい返事だ」
 優しげに細められた目……。リリスの胸がまた高鳴る。
「あ……。あの、サタンさん。コレいつも何を読んでるんですか?」
 意気揚々とサタンの隣に引っ付いてソファーに座り美味しいハーブティーに舌鼓も打って御満悦なリリスは常々疑問に思っていたことを口にしてみた。
「ああ、コレ? こっちの山は今までの世界の動向を記録した本で、こっちは世界の仕組みの予想を書き記したものってトコかな」
 言ってサタンは書物をパラパラと開いてその内の一ページを文字の読み書きを覚えたばかりのリリスに見せた。そこにはサタンらが魔界に落とされた日や、それから如何にしてこの街を作り上げたかが事細かに書かれていた。
「凄い……! こういうの全部記録してるの!?」
「あ、いや、俺じゃねーよ。こういうの記すの大好きなヤツがいてさ。そいつが全部こうやって本にまとめてくれてるんだわ」
 言いながらパラパラと捲られる書物の全てのページには読むだけでも疲れそうなくらいに沢山の文字がギッシリと刻まれている。
「で、俺はコレ読みながら、これからどうするかとか、この世界がなんで生まれたのか、どういう仕組みなのか、何をすれば一番いい結末に辿り着けるのかって考えてみてるわけ」
 俺が考えたところでどーしょもないかもしんないけど、と苦笑いしてサタンはお酒を一口飲んだ。
「貴方は……」
 彼が毎晩毎晩、夜遅くまでこうしてこの世界のことを考えていたと思うとリリスは言葉に詰まった。自分が呑気に寝入っている間も、彼はこうして世界のことを案じていた……。
「貴方は……、本当に、優しい人なんですね」
 相当の思い遣りがなければこんなことは出来ないはずである。
「どーだか? そもそもの発端は俺だからな、どーにかして責任を取りたいだけかも」
「でもそれってやっぱり皆のことを考えてる証拠ですよ」
「そうかな?」
 笑ってサタンは一つの書物を読み始めた。横から覗いてみたがこの書物の文字は少し小難しくてリリスには上手く読むことが出来ない。
「何か、私にお手伝い出来ることってないですか……?」
 これは考えなしに自然と口から出た言葉であった。リリスにとってサタン一人が思い悩んでいるということは、何か嫌なものである。手伝えることがあるなら手伝いたい、そんな思いを察したサタンが顔を上げてリリスに向かい、ニッと笑ってみせた。
「大丈夫、リリスがそうやって応援してくれるだけで俺、頑張れるから」
 嘘偽りなど微塵もうかがえない笑顔でサタンは言い切った。
「リリスのおかげで俺、救われたんだよ」
「私のおかげ……?」
 心当たりが、何もない。一体自分が何をしたのかとリリスは目を丸くした。
「気付いてないのか? お前が毎日楽しそうに生きてるだけで俺、救われてるんだぜ」
 笑ってサタンはツンとリリスの額を指で突っついた。
「イテッ。あ、でも、それお礼を言うの私の方ですっ。私が毎日幸せなのは皆さんのおかげですから」
「リリス」
 名を呼び、サタンはおもむろにリリスを片手で抱き寄せた。
「サタンさん……?」
 嬉しいが恥ずかしい。突然の抱擁にリリスは顔から火を噴きかけた。
「俺な、此処に堕ちてから反乱に失敗したこと毎日悔やんでばっかだったんだけどさ。スッゲー勝手な考えなのもこういうこと話すの柄じゃねーことも承知の上で言うけど、あの時……反乱に失敗したから俺はリリスに会えたんだろうから……、最近これはこれで良かったんじゃないかって、そう思えてきたんだ。だから、ありがとう」
 ありがとう――静かに言ってサタンはリリスをより強く抱き寄せ、額と額をくっつけた。
「サタンさん……!」
 リリスは思わず涙が溢れそうになった。
「やっぱり、お礼を言うのは私の方です。私が生きることで貴方が喜んでくれる、こんなに嬉しいことってないですよ。私、それだけでこれからもずっと生きていけます」
 本当に、こんなに嬉しいことはない。
「あれ? 俺らってひょっとして相思相愛?」
 至近距離でなんの気なさそうに放たれたサタンの言葉。
「ひぇっ!?」
 鼓動跳ね上がったリリスは思わず顔をとことん真っ赤にして素っ頓狂な声を上げてしまった。その反応がおかしかったのかサタンがケラケラと笑う。
「アハハッ! さて、夜更かし大好きな俺はともかく、お前はちゃんと寝ろリリス。明日もいつも通りの時間に起こすぞ」
 ガシガシと大きな手がリリスの頭を撫でる。
「はいっ、努力します!」
 言ったものの、こんなに胸が高鳴っているのだ。まだ暫くは眠れそうにない。
 ちなみに、隣のサタンは平静を装いつつも『リリスが俺を見るたびに顔を赤くしてるんだけど、これってひょっとして脈ありか!?』と幾ら鈍感な彼でもいよいよ手応えを感じ部屋の窓から遠くに小さく見える城の主へ向けて声にならぬ声でちゃっかり相談を始めていた。



 ラファエルはその日、神から突然の呼び出しを受けて神殿へと赴いた。また先日の戦争のことでクドクド言われるのではないかと思うと気が重い。しかし神の呼び出しは絶対である。
 そうして気乗りしないながらも神殿の通路を進み、いよいよラファエルは七色のカーテンが輝き揺らめく真っ白な空間へと足を踏み入れた。
「主よ、お呼びですか」
『よく来たラファエル。跪かずとも良い。こちらへ参れ』
 創造主の、幾重ものエコーが重なったような独特の声が響く。こちらへ、というのはカーテンの中へ入って来いということだ。
「分かりました。では失礼致します」
 一礼し、カーテンを捲って中へ……。カーテンを捲った先は果てのない真っ白な空間、その中央に沢山の宝石で彩った玉座に腰を下ろした眩い創造主の姿、そして今日はその創造主の側に見慣れぬ12人の水色髪の、年の頃は10歳前後と思しき少年たちの姿があった。それぞれ創造主の胸元に抱かれていたり足元に擦りついていたり床にまで伸びた金色の髪に手ぐしをしていたりと気侭な様子だ。
「この子供たちは?」
 ラファエルは見慣れぬ子供たちの顔を順に眺めた。みな、よく似た顔をしている。
「彼らが今日貴方を呼び出した理由です。忌まわしき破壊神に挑み散った勇敢なる天使と私との間に授かり、貴方の血を栄養として生まれた子供たちですよ。心当たりあるでしょう?」
 本来の声色で言って創造主は朗らかに微笑んだ。
 七色のカーテンは結界の役割を担っている。ゆえに創造主に許され中へ足を踏み入れた者だけはその美しく眩い姿を目にし、本来の柔らかな声色も耳にすることが出来るのである。
「ああ、あの男の子供ですか」
 言われてみれば瓜二つ、ラファエルはこの顔に見覚えがあった。
「ええ。サタンらによる悍ましい反乱が少し落ち着いた後に産み、今日まで私の手の届くこの場所で大切に育んできました。ですが、そろそろ外に出す頃合いと思いましてね。皆とても良い子なのであまり貴方に面倒をかけることは無いと思うのですが、なにせまだ目覚めたばかりの子供……。少しだけ気にかけてあげてください」
「分かりました。…………ん?」
 ふとラファエルは玉座の影に隠れてオドオドとしている少年の一人に目が留まった。彼だけ、大っぴらに主に甘えている他の少年たちとは明らかに一線を画している。
(態度だけじゃない、見た目もだな……)
 他の少年たちは短髪、しかし彼は水色の髪を腰近くまで長く伸ばしている。クリッとした大きな目も相俟って一見すると女の子のようだ。
「おや、またそんなところに隠れているの? 怖くないから出ておいで」
 気付いた創造主が優しく手を差し伸べて彼を玉座の前へと誘導する。
「さあ、ラファエルに挨拶してごらんなさい。彼は貴方たちに自らの血を分け与えただけでなく、今日から貴方たちが生涯に渡ってお世話になる人です。きちんと目を見て挨拶してごらんなさい」
 主に言われ、少年は目を泳がせながらラファエルを見上げた。
「ぼっ、僕……、僕っ、僕の、名前、は……、『ミカエル』、です……。ミカエルです」
 上手く名前が言えたことに安堵してか少年はやっと笑顔を見せた。
「よく言えたな。初めましてミカエル。私はラファエル。今日から貴方を守護します」
 朗らかにラファエルはミカエルの小さな手と握手を交わした。そして一転、疑問に満ちた目を創造主に向けた。
「主よ、彼がミカエルでいいんですか?」
 ミカエルとは『神に似たもの』という崇高な称号を意味する名だ。どう見てもこの12人の中で最も頼りなく見える彼にはこの称号少し荷が重いのではないか――ラファエルはそう思ったのである。
「疑問に思いますか? ですが、彼こそ『神に似たもの』の称号を掲げミカエルを名乗るに相応しい子です。今はまだ頼りなく見えますが将来は必ずや勇敢なる戦士となって貴方の隣に立つことでしょう」
 言って創造主は目を細め、ミカエルの頭を優しく撫でた。
 まあ、いまいち納得はいかないが神がそう言うのだからそうなのだろう。ラファエルは黙って頷いておくことにした。
「あっ、また神サマったらミカエルだけ褒めてズルイ〜!!」
 腕に抱かれていた一人が頬を膨らませて、あろうことか創造主の豊満な胸を手のひらでペチペチと叩き始めた。すると後に続けとばかりに他の子供たちも「ズルイ、ズルイ〜!」と声を上げて創造主の足をポカポカと……。
「おっ、お前たち、なんてことを……!」
 いやはや子供とはいえ恐れ知らずにも程がある。ラファエルはサッと血の気が引いた。だが幸いなことに創造主は子供たちに纏わり付かれて憤慨するどころかウッハウハの上機嫌。心配は要らなかったようである。
「フフッ、みんな甘えん坊さんですね」
「キャハッ! わーい!」
 順に創造主の大きな手に頭を撫でられ、キャッキャと喜びの声を上げる少年たち。しかしミカエルだけは輪に加わらず、ボーッと立ってその様子を眺めている。
(やはり彼だけは何処か異質だな。主がミカエルの名を与えただけあるかもしれない……)
 そうしてミカエルの顔を見つめているうちラファエルは思った。彼らは本当に破壊神レヴァイアの牙に掛かって散ったあの男に瓜二つであると。
「我が主」
「ん? どうしました、ラファエル」
 創造主が子供たちを愛でていた手を止めて顔を上げる。キャッキャはしゃいでいた子供たちも空気を察して口をつぐみ、ラファエルの方へと振り向いた。
 振り向いた顔を一望し、やはり彼ら全員あの男にほぼ瓜二つであることを確認する。
 似てる、本当によく似ている。
「たった今、私にこの先の見えぬ戦局を打破する良き案が浮かびました」
 確信をもってラファエルは不敵に微笑んだ。



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