【09:綺麗なものが綺麗な理由】


――狂ったこの世で狂うなら気は確かだ、という言葉がある。頷くしかない。誰かが踏み躙られてやっと成り立つこの世界において命一つ一つの終わりをしっかりと嘆く心を持っていた創造主の頭が狂うのは必然だったのだろう。彼もまた、優し過ぎたのだ――


 見渡す限りの緑の草原に桃色の美しい花が一輪ポツンと咲いた。この世界にもっと彩りをと創造を始めて数日、待ち望んでいた花がやっと一輪だけ咲いたのだ。
 もっともっと沢山の花が咲き誇ってくれたらどれほど美しいことか。
 一輪の花に感銘を受け頭の中に一面の花畑を想像すると間もなくその光景は現実のものとなって目の前に広がった。
 なんて素晴らしい――。
 地平線の向こうまで敷き詰められた色鮮やかな花々が陽の光を浴びて輝く様は創造通り、いいや想像していた以上の美しさ。
 頭に描いた景色を瞬く間に現実と出来る己の力に改めて感謝をした。
 しかし、花を彩っていた空の陽はやがて陰ってしまった。
 真っ暗な夜の訪れ。こればかりはどうにもならない。何故かは分からないが頭の中に鮮やかな昼間の景色をどれだけ思い浮かべても空だけはどうしても操れないのだ。
 花々の輝きはあっという間に失せてしまった。それだけではない、脆い花々は夜の闇に当てられて瞬く間に枯れ始めてしまった。
 助けたい。だが為す術は無し。
 せっかく咲いたのに、咲いたばかりなのに……。
 瑞々しく咲き誇っていた花が目の前であっという間に枯れ落ち、砂となって僅かな風に流され散っていく。
 無情だ。あまりに無情だ。
「……誰だ……?」
 落胆したこの心を茶化すように一人の人影がポツンと現れ、枯れた花々を見下ろしてニヤリと笑った。卑しく白い歯を見せてニヤリと。
 何故笑う。何がおかしい。せっかく咲いた花が枯れてしまったんだぞ、何故笑う――!
 怒りに任せて影に詰め寄ると相手は気配に気付き顔を上げて卑しい笑みそのままにこちらを向いた。
「レヴァイア……!」
 影の正体は、終わりをもたらす者だった。
 ああ、そうか。ならば闇に飲まれた花が散っていった様を見て笑っていた理由にも納得がいく。なにせレヴァイアとはそういう男だ。終わりの訪れを喜ぶ男だ。
 だが、それにしても酷い。何故咲いたばかりの花をここまで無残に枯らしてしまったのか。
「お前さえ、お前さえいなければ……!」
 無情だ。本当に『終わり』というものは無情だ。
 ふつふつと湧き上がる怒り。もう黙ってはいられない。しかし思い立って破壊神に掴み掛かろうとしたその時、出鼻をくじくように彼の側に新たな小さい影が現れた。
 真っ白なベールを顔半分隠すほど目深に被ったその姿……、小さな影の正体は水の女神ジブリールだった。慰めに来てくれたのだろうか。いや、違う。破壊神を真似るように彼女もまた闇夜に浮かぶような白い歯を見せてこちらを蔑むように微笑むと「行こう」とレヴァイアに告げて背を向けた。
 そうだ、そうだった。何を血迷ったか破壊神を盲信し始めた彼女が優しい言葉で慰めをくれるはずなどない……。分かっていたことだ。しかし、だからといって笑うのはあんまりではないか。
「待て! お前たち待て!」
 せめて文句の一つは言ってやりたかった。しかし引き止めるこの声は届かなかったのだろうか。二人は何事もなかったように手を繋いで闇の向こうへと歩き去って行ってしまった。こうして打ちひしがれた生みの親を一人残し、砂と化した花を平然と踏みつけて。
 だが、落胆している暇はなかった。いつの間にかに花だけでなく足元の草原さえも濃い闇に当てられて色褪せ始めてしまったのだ。このままではたった一晩の間に花だけでなく草も全て枯れてしまう。
 孤独を悔やんでいる暇はない。また創らなければ。枯れるよりも早く草や花を創らなければこの世界そのものが芯から枯れ果ててしまう。
 星の明かりだけを頼りに創造を練る。だが、焦りが失敗を生んだのだろう。慌てて創造をした結果、美しい花は一輪も咲かなかった。辺り一面を覆った草花は闇夜に映える歪な形状のものばかり。頭の中で描いたものとはまるで違う景色が目の前に広がってしまった。
 違う。こんなんじゃない。創りたかったのはこんな悍ましい景色じゃない。
 早く元通りの綺麗な景色を創造しなければ――!
 焦りがどんどん鼓動を加速させていく。身体が嫌な熱を持っていく。視界が歪んでいく……。
「大丈夫だよ神様。焦らずゆっくりと。次こそ上手くいくさ」
「え……?」
 唐突に聞こえた低く柔らかい声に振り向くとそこには正に夜の闇にも負けず光り輝く一等星のように眩い金色の光を纏ったサタン……、いや『ルシファー』の姿があった。この眩いオーラと金色の髪と瞳は彼が身体の色を闇に染める以前の姿だ。『明けの明星』の名を持つに相応しかった頃の彼だ。
「もう一度創ってみなよ。しっかり深呼吸してからさ」
 告げる彼の笑顔は本当に眩く、嘘偽りがない。なんと心強い励ましだろうか。
 本当に、次はちゃんと出来る気がする。
「ああ、そうだな……! もう一度……!」
 気を取り直してもう一度。しかし願い虚しく……、足元に生まれたのはこれまで以上に歪な形をした醜い花だった。
 失敗。
 けれどルシファーの表情はひたすら眩い笑顔から変わらない。
「大丈夫、また創ればいい。次だ、次。失敗の後はよりイイもんが作れるさ」
「あ、ああ。そうだな、次こそは……!」
 しかし、また失敗した。生まれたのはやはり酷く歪な花。それでもルシファーは表情を変えない。
「アハハッ! 大丈夫だって。この世には三度目の正直って言葉があるんだ。次だよ次!」
「そう、だな……。二度の失敗くらいで挫けていたら良いものは生まれない」
 心強い後押しを受けて何度も何度もやり直した。しかし何度試しても失敗、失敗、失敗。それでもルシファーの表情は――。
「大丈夫、大丈夫! 次だ、次。次こそ、だぜ!」
「お前……!」
 そうだ、思い出した。どうして忘れていたのか。悪意の無い笑顔にすっかり騙されていた。そうだそうだった『この男は酷く無責任なのだ』。ゆえに『その言葉には力強さこそあれど、なんの根拠も意味も無い』。
 やっと気付いた。悪戯に希望を抱かされ、その手のひらで踊らされていたことに。
「あれ? なに怒ってんの? ほら、次! やってみようぜ! こんだけ難産なんだ、今度は枯れない花なんかも創れるかもしんねーぜ!」
 相も変わらぬ悪意の無い笑顔。だが憎めない、憎みきれない。彼の厄介なところはこれだ、この心の底から憎めないことだ。彼を憎んでしまったら自分の中の何かが終わってしまうという漠然とした恐怖に思考が麻痺してしまう。ゆえに、憎めない。
「ん?」
 まるで誰かに名を呼ばれたような反応で不意にルシファーが何処かへ振り向いた。ぼんやりしていたこちらには聞こえなかったが彼には何か聞こえたんだろうか。同じ方向を見やると不気味な草原の向こうから闇夜にも埋もれることなくくっきりと見て取れる親しげな笑顔でもって「遊ぼうぜ!」と彼を手招く天使たちの姿があった。
「おーう! 分かった、今行く! 悪いな神様、呼ばれちまったから俺もう行くわ!」
「お、おい……」
 伸ばした手は届かず。レヴァイア同様、彼もまた引き留める間もなく足早に去って行ってしまった。
(嗚呼、独りだ……)
 誰も助けてくれない。そう溜め息している間にも大地の干ばつは進み、歪な草花すら枯れていく。草木が枯れ消え剥き出しになった水気のない大地にひび割れが広がっていく。
(嗚呼、なんてことだ!)
 溜め息している間はない。創らなければ。創り続けなければこの世界は形を失ってしまう――!
 この世界を崩壊させるわけにはいかない。ゆえに無心で創造をした。闇の向こうから聞こえる無邪気な子供たちの声を聞きながら、大地が枯れ果てる速度に負けぬよう必死に創造を続けた。なんでもいいからこの世界を形作らなければならない。でないと全てを失ってしまう。遠くに聞こえる子供たちの声すら消えてしまう。そうして無我夢中に創造を続けるうち朝が来た。朝が来たことによって我に返った。
 なんでもいいからと創造を行った結果は、やはり酷いものだった。辺り一面に広がった歪な草花が陽の光に照らされ、その不気味さに拍車をかける。人の歯を生やした花や目玉のような実を付けた木や捻じ曲がった手足のような草……。
 違う、違う、違う、こんなものが創りたかったんじゃない。
 朝の訪れに目を覚ました子供たちが歪な花畑を見て「うわあ〜」と引き攣った笑みを浮かべた。だが、それだけだ。神を責めるでも称えるでもなし、子供たちはみんな一笑いしたあと何事もなかったようにいつも通り遊び始めた。失敗に挫けたこちらに目もくれず、ただいつも通りに野原を走り回る。不気味とはいえ腹を痛めて創造をしたばかりの花々を悪意の無い小さな足で踏みつけながら。
(お前たちがそうして遊び回れるのは私が苦しんだおかげなんだぞ)
 決して感謝しろとは言わない。だが、もう少しくらいは目を向けて欲しい。こんなささやかな願いすら叶えてくれない子供たちに少し落胆をする。それでも創造の失敗を責められないだけマシと割り切り創造を続ける。ひたすら頭の中に美しい花畑を思い描いて……。願い通じたのかやっと美しい花が咲いた。だが、どうしたことか今しがた朝を迎えたばかりの空が陰り、突如として夜の空気を纏った。
「そんな、どうして……!」
 嫌な予感は的中。咲いたばかりの花がまたも闇に飲まれ枯れていく。
「だ、駄目だ……! やっと咲いたばかりなのに……!」
 身を屈め慌てて手を差し伸べるも救うことは叶わず、枯れ落ちた花は昨日と同じく砂と化し風に吹かれて手の隙間から流れていった。
「仕方ないさ。物事には必ず終わりがあるんだ」
 頭上から響いた冷徹な声。顔を上げると悍ましい笑みを湛えたレヴァイアと目が合った。
「大丈夫、次だ、次こそは」
 続けざまに放たれた無情な励まし。チラリと視線を右に滑らすと無垢な笑みを湛えたルシファーと目が合った。
「わ、私は悪くない……! 私はただ、枯れない花を創りたかっただけだ……! それだけなんだ……!」
 絶望と希望が二人仲良く並んで真上からこちらを見下ろしている。
 お前たちさえこの世にいなければ――!
 嫌でも胸に込み上げる希望。無情に訪れる終わり。何故こんな辛い思いをしなければならないのか。
「お前たちはそんなに私が憎いのか……!?」
 問いかけるが二人は無言のまま背を向けレヴァイアはまたジブリールと、ルシファーは大勢の友人たちと共に何処かへ歩き去って行った。
 また独り、取り残された。
 落胆する間もなく夜の闇がまた草花を容赦なく枯らし、大地を殺していく。まるで、お前に迷う間などないんだ早く創造をするんだと急かすように。
「理不尽、だ。こんなの、理不尽じゃないか……!」
 ――独りだ、独りぼっちだ。あの二人には大きな救いがあって私には何もない。何も、何も、何も――!
 しかし世界を崩壊させるわけにはいかない。世界の崩壊は己の死を意味する。死ぬのは怖い。どうにも怖い。死は本当の終わりだ。絶対の孤独だ。無限に続く闇だ。死んだら何も見えない何も聞こえない何にも触れることも出来ない絶対の孤独と無限の闇が待っている。こうして不気味な花にすら会えなくなる。遠くに聞こえる子供たちの声すら聞こえなくなる。そんなの嫌だ、絶対に嫌だ。ゆえに世の理不尽に胸を引き裂かれても創造は続けなければならない。しかし創れども創れども可愛い子供たちは次から次へと崩れていく……。創っても創っても崩れていく……。だが創り続けなければ死んでしまう。この手を止めてしまったら死んでしまう。嫌だ死にたくない独りは嫌だ絶対に嫌だ、なのに壊れていく、創っても創っても創っても創っても創っても。

(嗚呼、誰か、助けてくれ。誰か――!)

「我が主!!」
「うっ!?」
 間近に声をかけると神は跳ね上がるように瞼を開いた。今の今まで悪い夢でも見ていたのだろうか。相当に寝ぼけているらしく神は此処が何処か確かめるように自身が作り上げた真っ白な空間へ視線を一通り泳がせた後、様子を覗き込むラファエルと目を合わせた。
「許可無くカーテン内に踏み入ったことをお許し下さい。貴方様のうなされている声が聞こえましたので……」
「ああ、そう、か……。今のは夢、か……。いや、ありがとう、ラファエル」
 特にお咎めも無く、神はただ自身を戒めるように己の眉間を指で摘んで顔をしかめた。
 ラファエルは耳が良い。しかしカーテン内の声はそう容易く外へ漏れないようになっている。基本的にお告げ以外の神の声は全く届かぬ仕様だ。ところが先程はっきりと夢にうなされている声が聞こえてしまった。よってラファエルは故意か無意識かは分からないがとにかく神が助けを求めていると判断し、こうして駆けつけたのである。
 ラファエルは己の読みが正しかったことに安堵した。
「謝るのは私です……。申し訳ない。座ったまま少しうたた寝をしてしまったらしい……。
 創っても創っても創った物が壊れていく、いつもの夢だ。よく見る夢ではあるけれど、どうにも慣れない……。見るたびに酷い気分になる」
 これだから眠るのはあまり好きじゃない、とも愚痴って神は黄金で作られ色とりどりの宝石がはめ込まれた玉座に深々と座り直し溜め息をついて固く握り締めていた手を開いた。するとそこには無数の脚を蠢かせる形容し難い虫の姿があった。
「あーあ、気晴らしに花畑を舞う美しい蝶を創ろうとしていたはずなのに失敗だ。ダメですね。虫作りすら失敗するようでは……」
 あからさまに肩を落として神はすぐにこの気持ち悪い虫を手のひらから消し去った。虫の行き先はきっと魔界だろう。手元に置くのは嫌だ、かといってせっかく生まれた命を無下にも出来ない。ゆえの魔界送り。いつものことだ。こうして創造を失敗するたび神が色々とポイ捨てしているせいで近頃は無駄に魔界ばかり色んな生命で賑やかになってしまっている気がしなくもないが……、ラファエルは黙っておくことにした。
「先日の疲れがまだ尾を引いているのでしょう。どうぞまだご無理はなさらず、ゆっくり休んでください」
「そうだな」
 あの戦いから既に7日も経った。身体の傷はとっくに跡形も無い。むしろ即日あっさり治った。だが……、ずっとこの温室に逃げ込んでいた神にとってあの狂気に満ちた獣の目や地の底に落ちてもなお濁ることを知らない希望の光は刺激が強すぎたのだろう。ラファエルは改めて作戦の失敗を悔やんだ。多少の無茶は覚悟の上であったが、それでも、もう少しは良い結果が得られると思ったのだ。戦争の終結には至らずとも、姉が戻ってくる程度の結果は……。
 いや、やめよう。過ぎたことを悔やむのは。
「そうだなって、本当に休む気あります?」
 神の場合ただ息を吸っているだけの時間を過ごすことは安らぎにならないとラファエルは知っている。どうにも神は創造主らしくなんでもいいから常に創っていないと安らげない性分なのだ。
「とりあえず、貴方に迷惑をかけないよう努めますよ」
 やっぱりだ。これは失敗しても凹まず済むような簡単な創造を楽しんでおきます宣言である。
「ハハッ、何をおっしゃいます」
 笑って返すと神もつられたのか人形のように強張っていた顔をようやく綻ばせた。こういう顔が出来るなら一安心だ。
「ところでラファエル、一つ聞いてもいいですか」
「はい、なんでしょう?」
「貴方には、ちゃんと『救い』がありますか?」
 それはとても唐突な問いだった。
「救い、ですか?」
 突然救いはあるかと聞かれてもどう答えたものか。真っ先に媚を売って『貴方様こそ救いです』と答えることを考えたが、何か違う気がする。察するに今、神が欲しい答えはこれではない。よって質問の意図が理解出来ずラファエルは首を傾げた。
「そう、救いです。私は友と離れ此処に一人で残った貴方が心配でなりません。しゃんと新たな友はいますか? 楽しみはありますか? 救いはありますか? 足りぬものがあるならどうか正直に言っておくれ」
 言いながら神はキョトンと目を丸くしたラファエルの長い髪をサラリと指先で撫でた。
「我が主……。急に、どうされたんですか?」
「お前は私にとって最も大切な存在だ。私にはお前しかいない。だからどうかお前だけは壊れずにいて欲しい。辛い時は辛いと言って欲しい。なのにお前はいつも私に何も言わない……」
 成る程、純粋に心配してのことだったようだ。ラファエルは主に笑みを向けた。
「我が主、私が何も言わないのは充実した毎日を送っているからですよ。不満が無いから何も言わないのです。ですから心配は要りません」
「そうですか? それならいいのですが」
 少しばかり煮え切らない反応だ。こちらが強がっていると思っているのかもしれない。しかし眼差しを逸らさなかったことで想いは通じたようだ。
「分かりました。お前がそう言うなら信じましょう。なにはともあれ心配をかけて申し訳なかったね。私はもう大丈夫です。今日も天界の皆をよろしくお願いします」
「勿論です。あ、そうそう」
 ふと思い出し、踵を返しかけたところでラファエルが足を止めた。
「昨日に作って子供たちに渡したお菓子、とても美味しいと評判ですよ。みんな喜んでおりました」
「おや、本当ですか? ならばこれに調子づいて暫くはお菓子作りに励もうかな」
 半分冗談めかしての言葉である。だが、ここは乗っておこう。
「それがよろしい。また呼んでいただければ喜んでお手伝いしますよ」
 言ってラファエルは背中に神の温かい眼差しを受けながら神殿を後にした。



 天界は神が悪夢にうなされていたことなど物ともせず今日も変わらぬ眩い太陽に照らされていた。時刻は正午の一歩手前。市場にはお昼のご飯をどうするかと献立に悩みながら食材を物色する天使たちで賑わい、木々に囲まれた公園では子供たちのはしゃぐ声が木霊している。水色髪の天使ミカエルはその輪から一歩離れたところで真っ白なベンチに座り、風に揺れる草花をぼんやりと見つめていた。そんな彼の姿を見つけて兄弟の一人がふと溜め息する。ミカエルはどうにも何を考えているか分からない変わり者だ。しかし一応は血肉を分けた兄弟。水色の物珍しい髪と瞳を持つ同士でもある。放ってはおけない。よって、ポツンと離れたミカエルの元へ追いかけっこに疲れたタイミングで一人、水色髪の少年が近付いた。
「なあミカエル、本当に遊ばないしクッキーも要らないのか?」
 遊ぼうと誘っても乗ってこなければ神からご褒美に与えられたクッキーの山分けすら遠慮したミカエルに他の兄弟たちは愛想を尽かしてしまった。これは少し気分の悪い事態である。せっかくの兄弟なのだ、みんな仲良く揃っていたい。何故そう思うのかと聞かれたら理由は上手く答えられないが、とにかく兄弟が揃わないと少し気分が悪いのだ。
 しかしこの輪を重んじる少年の気持ちは今回も通じなかった。
「うん……。僕は、いいよ。追いかけっことかあんまり好きじゃないしクッキーも、えっと、僕は何もしてないから……」
「んっもー! またそんなことを言う! お前もうちょっと協調性ってヤツを学べよ!」
 この野郎め今日という今日はガッツリと説教をして心を改めさせてやる――と、思った彼だったが他の兄弟に「おーい! ボール遊びしようぜー!」と声をかけられた瞬間、気持ちはカチッと遊び一色に切り替わってしまった。ミカエルの説教ならいつでも出来る、だが今日のボール遊びは今日しか出来ない。何故なら今日という日は今日しかないからだ。嫌なことは後回しにして唯一無二の今を楽しもう! という無邪気な考えである。
「おーう、今行く! じゃなミカエル! お前も気が向いたら来いよ!」
「うん……、誘ってくれてありがとう。またね」
 走り去っていく兄弟の背中をミカエルは手を振りながら見送った。……本当は分かっているのだ、仲間外れを無くそうとしてくれている彼の考えこそ正しく間違っているのは自分の方だと。
 だが、譲れない。追いかけっこなどしたくないし、何もしていないのにご褒美のクッキーを分けてもらうわけにもいかない。そんなの申し訳が立たない。どうしたらいいのだ、輪に入ろうとしない自分の存在は害悪だ。息を吸っているだけで自分は彼らに不快な思いをさせている……。
 溜め息をついた丁度その時、草を踏み締める足音がミカエルの間近に聞こえた。
「あ、ラファさん……」
 振り向くとそこには今日も麗しい大天使長の姿があった。全身を纏う崇高な威厳に合わせ陽の光を浴びて輝く腰より長い金色の髪をそよ風に泳がせ凛と立っている姿は同じ天使であるミカエルも思わず見惚れる美しさである。
「お前、みんなと遊ぶのは嫌いか?」
 耳の良い大天使長にはつい先程のミカエルと兄弟の会話が容易く聞こえていたのだろう。誤魔化しの通じない相手である。ミカエルは素直に自分の気持ちを吐くことにした。
「みんなと遊ぶのは嫌いじゃない、です。でも追いかけっことボール遊びは嫌い。追いかけっこは誰かが追いかける役をやらなきゃいけないしボール遊びは誰かが負けなきゃいけない……。僕そういうの好きじゃない……」
 ミカエルは自分が勝つのも負けるのも嫌いだった。何がなんでもとにかく嫌いなのだ。
 生まれた時からふと気を抜くと脳裏に泣きじゃくっている美しい女性の姿が過ってしまう。ミカエルの視線の主に下敷かれて泣きじゃくっている女性の姿だ。これは察するに父親の記憶。勝つとはどういうことか、負けるとはどういうことかをこの光景に無理やり学ばされた。だからどちらも嫌いなのだ。しかし、こんな誰にも言えない事情までは流石の大天使も察してはくれなかったらしい。
「ほーう、随分と『かったるい思想』をお持ちだなァ」
 バッサリ言われてしまった。しかも腰に手を当て顎を軽く持ち上げた侮辱の視線付きである。
「そんな言い方しなくたって……」
 あんまりだ。だが言い訳は出来ない。なにせ仰るとおりだからだ。自分でも自分が面倒臭いと思う。現に兄弟へ不快感を与える自覚を持ちながらも輪には決して入らず、だが一人でいるのは嫌で賑やかな声に惹かれ公園にイソイソとやって来ているミカエルに言い訳の余地は一切無い。
 勝つも負けるも嫌などっちつかずの思想もまた卑怯。頭では分かっていた。
「ミカエル、私にちょっとついて来い」
「え?」
 侮辱してきたと思いきや突然の手招きである。すぐにハイ分かりましたとは返せなかった。
「お前、物凄〜く暇なんだろ? ちょっと頼まれろ。私について来い」
 言うと返事も聞かずにラファエルはその場から一足先に音もなく姿を消してしまった。
「え? えええ? ちょ、ちょっと待ってぇぇぇええええ!」
 何はともあれ大天使長からのお誘いである。無視するわけにはいかない。ミカエルは仕方なく彼の気配を探り、その場から姿を消して追いかけた。
 一体、何を頼まれるのやら。
 辿り着いた先は真っ白な鳩や馬やウサギといった動物たちが集まって優雅に佇んでいる人里を離れた広大な草原だった。木々にはリスなどの小動物の姿もある。どうやら此処は彼ら動物たちの土地らしい。みんなラファエルによく懐いているようだ、彼が近付いても警戒する様子は全く無い。それどころか甘えて擦り寄っている。「よしよし」と馬を撫でるラファエルの手つきも慣れたものだ。
「頼みというのは彼らのことだ。どうにもこうにも食うことしか頭にない連中でね。飯の時間ともなると毎回大騒ぎしやがる。そんな慌てずとも全員分の飯はちゃんとあるぞって言ってやってんのに聞きやしない」
 こんな具合にね、とラファエルは何処からともなく取り出した革袋から一掴みしたヒマワリの種をパッと辺りに撒いてみせた。すると先程まで穏やかに過ごしていた動物たちが眼の色を変えて集まりそんなに慌てなきゃいけないものなのかいとお尋ねしたくなるような姿を晒して我先にと種を奪い合うようにガツガツ食べ始めた。食事というより殆ど喧嘩である。
「あーあーあー……」
 いや本当にミカエルとしては「あーあ」と眉間に皺を寄せる他ない光景である。
「なぁ、この通りなんだよ。だからお前のかったるい思想を少し彼らにお裾分けしてやってくれないか。彼らにこそお前の思想が必要だと思うんだよ。暇してるならいいだろう?」
「ラファさん……! はい! やってみます!」
 兄弟と遊べないなら彼らと遊ぶのはどうか、というラファエルの提案を理解したミカエルは早速「みんな喧嘩しちゃダメだよ!」とヒマワリの種に夢中な動物たちの中へと入っていった。が、ちょっといきなり深く入り込みすぎただろうか。「なんだお前は誰だお前は」という警戒の目でもって動物たちは一斉にミカエルは全身をついばみ始めた。
「ひいいいい!? 痛い痛いくすぐったいやめてー!!」
 こんなにガスガスと全身を突かれては幾ら動物好きのミカエルでも厳しい。しかしこの攻撃には全く敵意が無い。早速彼らは動物特有の鋭い勘でもって温厚なミカエルの性格を見抜いて気を許してくれたのだ。……それならこのついばみ攻撃をもうやめてくれてもいいだろうに何故続けるのか。様子を見ていたラファエルが「あはは!」と声を上げて笑った。
「どうだ、仲良く出来そうか? 私は何かと忙しいしぶっちゃけ面倒臭いから出来ることなら今日から毎日彼らのことをお前が見てやってくれるとありがたい。勝つも負けるも関係なし、腹さえ満たせれば幸せという単純な奴らだ、引き受けてくれ」
 常日頃からミカエルが無垢な動物たちとだけは心通わせていることをラファエルはちゃんと見て知っていたのだ。
「うんっ! 僕やります! やらせてください!」
 良い友達を得た喜びに押され満面の笑みで頷いたミカエルである。今日この日から何処か陰りを帯びていた彼の表情は一変した。だが、まさか自分がそのまま数千年の長きに渡り天界の動物お世話係を担うことになるとは露ほども思っていなかったことだろう。
 一方ラファエルも読みを当てて問題児であったミカエルがしっかりと居場所を得たことに安堵していた。
(変わり者とはいえ所詮は子供だな)
 この天界に友は一人もいなくなってしまったが救いならある。子供たちの無垢な笑顔がそれだ。
「ん?」
 動物たちと戯れているミカエルに気を取られていた刹那、ふとラファエルの足元に今まで見たこともない淡い水色の花が咲いた。どうやら久々に神の創造が上手くいったらしい。それでこそ慰めた甲斐もあったというものである。



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