【10:想いが届きますように(1)】
この世界はとても脆く儚い。ゆえに明日が存在する保証はどこにもない、躊躇している暇などない、ひたすらに時間が惜しい。しかし、失敗を恐れて足は一向に前へ進まない。
気ばかり焦ってピクリとも動かない身体。
止まらぬ冷や汗。
嫌な想像ばかりが頭の中を埋め尽くす。
一体どうすればいいのか、助けを乞うと「どちらにせよ後悔だけはするな」と先人は言った。「立ち止まるべきか意地でも進むべきかの答えは己にしか出せないのだから」と。
そうだ、結局全ては自分自身にかかっているのだ。世界が脆かろうがなんだろうがそんなの答えが出せない自分を庇うための言い訳だ――。
あの壮絶な戦いから7日が経った。魔界を午後の穏やかな空気が包む中サタン、バアル、レヴァイアの三人は今後の方針を定めるためにバアルの城へ集まり謁見の間にて紅茶とお菓子を話のお供にテーブルを囲んでいた。和やかな雰囲気ではあるが魔界の今後を左右する大事な話し合いだ。とても参加出来そうにないと自己判断したリリスは現在一人で街にお出掛け中である。いつもなんにでも同席したがる彼女にしては珍しい判断だったがサタンは彼女の選択を尊重し、あえて引き留めることも理由を深く聞くこともしなかった。
それにしても……。話をしながら先の戦争での色々な出来事に改めて憤りが込み上げてしまったのか終始バアルが酷く不機嫌そうでとても恐い。物凄く恐い。話し合いをしながら気が気でないサタンである。隣でレヴァイアも若干怯え気味だ。
「とりあえず、貴方たちに加護をされていた指輪さえも跡形なく粉砕したくらいだ。空間の壁は想像以上に強力と思っていい」
不機嫌そうな声でもってバアルが改めてお気に入りの指輪を無くしてしまった両手を顔の位置まで上げて二人に見せた。
大嫌いな神様に身体を触られるわ手足は千切られるわ獣な相方をあんなにされるわ挙げ句に大事な指輪は全部失くすわその他モロモロと本当に散々な目に遭った彼だ、あれこれ思い出して怒りを蒸し返すのも無理はない。だがその右手中指にはちゃっかり先日レヴァイアに買ってもらった新しい黄金の指輪が光っている。かなりの大きさを誇るアメジストの指輪だ……。お値段の予想がついたサタンがチラリ目配せするとレヴァイアは「王様が少しでも機嫌よくなってくれるなら安いもんさ」と遠い目をしてしみじみ呟いた。そんな彼の両耳には先日サタンがプレゼントしたサファイアのピアスが揺れている。
(いい歳の野郎どもがお互いに宝石のプレゼントし合いってよく考えると面白い光景だなあ。って、アレ?)
ふとサタンは気付いた。俺だけ誰からも何も貰ってない!! と。
「キミたち、何をコソコソ話しているんです?」
バアルの眉間にゆっくりと皺が寄る。
「い、いえいえ別に……!」
視線を逸らしてサタンはその場を誤魔化すように紅茶を飲んだ。
「で、バアルは結界にぶつかるくらい天界に近付いたわけだけど、それでも場所はイマイチ掴めなかったらしいぜサタン」
気を取り直して話を続けるレヴァイア。バアルもそれに頷いて答えた。
「ええ、あれだけ接近して私の目を使っても結局天界の場所は掴めなかった。つまり私はただ壁に激突してスゲェ痛い思いをした挙げ句に指輪を全て失くしただけっつーね。やり切れませんよ全く、大損にも程がある……!」
思い出せば思い出すほど腹が立つ。しかし今ここで怒りを込み上げても事態は一切好転しない……。バアルは気を取り直すために「はあ〜っ」と肩で大きく息を吐いて装飾鮮やかな天井を仰いだ。
「なんなら天界に連れていかれるのも悪くない、折れたふりして神の寝首を掻いてやろうとも考えたんだけどなあ〜。あの壁は相当な代物ですよ。心の底から降伏しておかないととても通れたものじゃない。流石、必死も必死になって屈強に作り過ぎたせいで神自身も全く制御出来てないだけある。天界に持って帰りたくて仕方ない私すら派手に弾いたのが笑えますね」
ここでバアルは二人の顔を交互に見やった。
「それだけ神は貴方たち二人が恐くて仕方ないわけだ。僅かも受け入れるつもりはない、絶対に近付かないでってことですね」
「ひでぇ話だ」
サタンとレヴァイアが仲良く声を揃えた。分かってはいるがそこまで徹底して拒否されるというのはやはり気持ちの良いものではない。
「でも悪いことばかりじゃないですよ。あの壁はヤツの心の弱さそのものと判明したんだ。このまま追い詰めればいつか必ず崩れてくれる。それが分かっただけでも今回の戦いは充分な手応えを残せた」
そうだ、派手な手応えこそ無かったが成果は充分にあった。壁の強度を知ることが出来たのは勿論のこと神に対してバアルは断固拒否の姿勢を貫きレヴァイアは圧倒的な力で恐怖を植え付けサタンは決して諦めない強い心を見せつけた――あの場でこちら側は誰一人として間違った行動をしなかったのである。神が目には見えない身体の芯に深い傷を負ったことは想像に難くない。
「んだけど、とどのつまり俺らは相も変わらずまたタイミングを待つ他ないってことか」
サタンが言うとバアルは静かに頷いた。
「そうなりますね。貴方たち二人がどうにかなったら分からないけれど」
「そんなお前、縁起でもない!」
すかさずサタンが突っ込むとバアルは「冗談ですよ」と笑った。
「ではやはり現状維持だ。こちらから攻め入る手立ては無し。解決の突破口も未だ見えず。当面はまた向こう次第ですね。その際に隙を突いて天界へ乗り込めれば上々、出来なければ神を此処まで引き摺り降ろす方法を狙う、と。全て今まで通りですよ」
「つっても、あの野郎がまた降りてくることはあるかねぇ」
慣れた手つきで煙草に火をつけレヴァイアが煙を吐く。彼の言う『あの野郎』とは確実に神を指しての言葉だ。
(しれっとした顔でよく言うぜ、テメェ)
サタンは察していた。レヴァイアが神を散々殴りつけた理由はサタンに決断の間を与えあの場を上手く収める為と世界中に己の絶対的な力を誇示する為ともう一つ、神へ警告をする為だ。レヴァイアは神を痛い目に遭わせることで『二度とジブリールに手を出すな』と強く脅したのである。
もう悪戯に神がこの地へ降臨することはないだろう。悪戯には。
一見すると直情型と思いきや実はしっかり考えて行動しているのがレヴァイアの怖いところである。
「向こうの気持ちなど関係ない。いざとなれば嫌でも引き摺り降ろしてやる」
当の元・女神様は何も気付いていないのかこの態度……と、それはともかく、これは神と神の戦いだ、勝算には大きなリスクが伴う。それこそ今回の一件が良い例だ。次に神が勇気を持ってこちらの前に現れる時が今から楽しみでならない。
「そう出来ればいいけどな。なにはともあれ今回の戦いはいい手応えが残った。あとは、とにかく後悔しないよう日々を精一杯に生きとこうぜ。なぁ?」
なぁ、とレヴァイアが少し意地悪い笑みをサタンに向けた。お前、早く決断するならしろよという感じの目だ。
「み、見ないでっ! そんな目で俺を見ないで……っ!」
なにせ心残りに邪魔をされて好機を逃したサタンである。今でこそ正しい判断だったと胸を張りはするが、やっぱりちょっと一応の罪悪感やら照れ臭いやら色んな感情が湧き出て落ち着かない。
「まあ、なんにせよ……」
仕切り直すように長い髪を掻き上げてバアルは二人を交互に見やった。
「当初の予想以上に長引きそうですね、この戦いは」
「そうだな」
全て覚悟の上だった。だが…………。いや、やめよう。サタンは一瞬過った迷いを振り切ってレヴァイアが今朝に焼き上げたばかりというクッキーをポンと口に放り込んだ。
神を倒すだけの単純な戦いなら決着をつけることは容易い。しかしそれでは駄目なのだ。これはお互いの精神を削り合い肉眼では見えない血を流し合う戦いである。長い時間を要することは最初から覚悟していた。そうだ、覚悟していたのだ。
なにはともあれ現状維持。手応えはあった。焦る必要は何もない。何故なら時折天界から邪魔は入れど魔界での仲間と過ごす毎日はとても楽しい。焦る必要などこちらには何もない。
結局、話し合いはいつもの結論に達した。が、こうして三人が集まって「まだ戦い続ける」といつもの結論を出すことに意義がある。決意の固さはそれぞれの決して濁らぬ双眸を見れば一目瞭然。誰一人として意志が揺らいでいないというのは理屈抜きに心強いものだ。と、それはさて置きサタンが口へ放り込んで噛み締めたこのクッキーだが……。
「美味いッ!!」
美味すぎる。ゆえに真面目な話し合いの最中だが思わず叫んでしまった。しかしバアルは憤慨するどころか「美味しいよね」と笑顔で同意をし、レヴァイアはレヴァイアで「当たり前だろ。俺が作ったんだからな!」と得意気に胸を張った。ノリの良い仲間たちである。
「あ、そういえば言うの忘れてたけど」
甘いモノを食べて頭の働きが良くなったんだろうか。サタンはふと大事な話を思い出した。二人の目が「なに?」とサタンへ向く。
「ああ。レヴァイア、お前んトコにリリスを案内した天使『ミカエル』って名前のガキだってよ」
これはリリスが二人に遠慮をしてサタンにだけ明かした話だった。なにせ事情が事情。ミカエルという名を二人に聞かせるべきか否か迷ってのことである。そして決断を託されたサタンは臆す必要なしとあっさり判断した。この二人は繊細なようで図太い。案の定ほんの一瞬だけ表情を強張らせはしたが特に気分を害した様子もなくレヴァイアとバアルはただ「へえ〜」と関心の声を上げるに留まった。
「ミカエル、ねぇ……。あのガキは親父や他の兄弟と違ってこっちに敵意を持ってない不思議な天使だったな。おかげで上手く気配を察せなかった」
溜め息がちに言ってレヴァイアは吸い終えて短くなった煙草を灰皿に押し付けた。たとえ結界を張っていようと神経を研ぎ澄ませた破壊神の目を逃れるのは容易なことではない。それだけミカエルという少年は特異な存在だったということだ。
「貴方が気配を察せないというのは相当だな。それと、行動も気になるが名前を継いでいるのも気になりますね。ミカエルという名でなければただの気が小さい少年で片付けられるけども」
バアルはバアルで眉間に皺を寄せながら考え深そうに顎へ手を当てた。いやはや二人揃って予想以上にあっさりした反応である。過去の幻影よりも今を生きるミカエルという少年の方が気になるのだろう。その気持ちは分からんでもない。確かにレヴァイアを探して荒れ地を彷徨っていた際にリリスを敵ながら手助けしたミカエルという少年は気になる存在だ。思い出すまでもなくリリスが血の雨降りしきる荒れ地へ一人で歩を進めていったあの日のことはよく覚えているサタンである。仲間の気配を察することの出来ないリリスが広大な荒れ地を闇雲に彷徨うのは明らかに無謀。ゆえにサタンはリリスが途方に暮れたタイミングで助けに行くつもりでいた。ところが探っていたリリスの行方が突如察せなくなり冷や汗して神経を研ぎ澄ませた次の瞬間ポツンとレヴァイアの近くへ彼女が移動してしまったことに気付いて……正直、驚いた。リリスが突如として瞬間移動を身に付けるわけもなし、まさか天使があの場へ手助けに現れるとは夢にも思っていなかったことである。
「まあ〜、また嫌でも会うだろ。それにしても野郎、地味に子沢山だな。えーっと、息子が全部で12人か……」
記憶を頼りにレヴァイアはミカエルの子供の人数を指折り数えた。
「あれ全員すくすくとお育ちになったら厄介な相手になりますね。戦場で鉢合わせたら優先的にブッ殺しましょう、そうしましょう」
一人うんうんと頷くバアルである。
「なにやら物騒ですなバアルさんや」
サタンが言うとバアルは更に力強く頷いた。
「そりゃあもう。我が黒歴史を知る者を下手に生かしてはおけません。なにせ厄介だ……! 物凄く厄介だ……!」
「まあ〜、ねぇ」
その気持ちも、分からんでもない。しかし可哀想な話である。バアルではなくミカエルの子供たちのことだ。もちろんバアルも可哀想なのだが……。子供たちに父親の記憶を継がせるなど残酷なことをしたものである。神は良かれと思ってやったのかもしれないが、おかげで彼らは無垢な状態で生まれてくることが出来なかったのだ。生まれながらに夢も何もないこの世の残酷な面、主に父親の業と女の悲鳴と破壊神の我を失った眼を知っているなど可哀想にも程がある。
(これも、俺が革命に失敗したせいで起こったことなんだよな……)
一体彼らがどんな気持ちを抱いて生まれてきたのかサタンには想像も出来ない。少なくともレヴァイアと面と向かった彼らの態度は微塵の子供らしさもなかった。
と、このタイミングで開け放たれた窓から金色の目をした一羽のカラスがやって来てレヴァイアの肩に止まった。彼はいつもバアルの使いとして働いているカラスたちのリーダーだ。なんとも言えない威厳といい大きなアレクサンドライトをぶら下げたゴールドのネックレスを付けているのが何よりの目印である。そのカラスが何やら物欲しそうな目でレヴァイアを見つめている。
「んー? またお小遣いよこせっての? しょーがないなあ」
苦笑いしたレヴァイアが何処からともなく取り出した銀貨を天井へ向けて指で弾くとカラスは器用にそれをクチバシで受け止めペコリと律儀にお辞儀をしたのち、来た時と同じ開け放たれた窓から外へと飛び立って行った。
「お前、カラスに金をせびられるってどーなんだよ」
一連の流れを見ていたサタンがニヤニヤと笑う。
「しょーがないだろ、バアルを泣かせたってことでアイツ未だに不機嫌なんだよ〜。銀貨一枚で喜んでくれるなら安いもんだ」
「ホホホッ、彼をあんまり怒らせると目玉を突かれますからね。御機嫌はとっておくに限りますよ」
バアルの追い打ち口撃にわざと泣かせたわけじゃないのに〜とレヴァイアは嘆いた。
「一途だよなあ、アイツ。つーかバアルってマジ変なヤツにばっかスゲー好かれるよな。神にレヴァにカラスってどんな顔ぶれなんだっつー話だぜ」
「俺カウントされてんの!?」
サタンの言葉に目を丸くするレヴァイア。バアルもすぐに「失礼な!!」と声を荒らげた。
「変なヤツばっかに好かれるとは何事ですか!! ちゃんとまともな人からも好意を寄せてもらってますよ私!! 多分きっと多分……」
実のところ本人もこれに関しては若干自信に欠けているのだった。「俺まともじゃないの!?」と横で盛大に相棒が嘆いていることもお構いなしに溜め息である。
「ワハハハハッ!! あ、ところで話は変わるけど」
笑うだけ笑ってちゃっちゃと話を切り替えるサタン。横でレヴァイアが「俺の心を乱すだけ乱してもう話変えちゃうの!?」と怒っていることなどお構いなしだ。
「なんです?」
一人で煮え切らない様子のレヴァイアと違ってバアルはもういつもの澄ました表情である。
「ああ、神様がまーた変なモン捨てたみたいなんだよね。ほれ、今朝見つかった新種の虫さん」
言ってサタンはいつの間に手にしていたやら沢山の足がウゴウゴと蠢く形容し難い姿の虫を指で摘んで二人に見せた。すると……。
「おおー、なにそれ食べれるかな?」
先程までの形相は何処へやら興味津々に身を乗り出すレヴァイア。一方バアルは即座に「ぎゃあああああああああ!!」の大絶叫である。
「なんだそれ気持ち悪いッ!! お前ふざっけんな、ウチにそんな虫連れてくるんじゃないよ馬鹿ー!!」
そういえば美しいものを愛する彼は当時こんな感じに足をウゴウゴさせた虫があまり得意でないのだった。
「えー? 食べれるかどうかはともかくよく見ると結構カワイイぞコイツ。一生懸命に沢山ある足をワタワタさせちゃってさあ」
サタンは全く悪びれない。悪びれないどころか「よく見てみろよ」と指に摘んでいるその虫を更にバアルへ近付けた。
「うあああああああ!? こっち向けんな馬鹿!! 早く捨てろ今すぐ捨てろ窓の外にポイしろ早くー!! 捨てないとブッ殺すぞサタンッ!!」
バアルの口からドスの聞いた声で『ブッ殺す』という言葉が飛び出したらそれは本気も本気で怒っているサインである。サタンは「アハハッ、悪かった! 悪かったよ!」と笑って言われた通り虫さんを音もなく荒れ地の彼方へ消し去った。もっとよく虫を観察したかったレヴァイアは「ポイされちゃった……」とガッカリ。……本当にガッカリしたのか肩を落としながら席に深く座り直すなり溜め息がちに煙草を吸い始めてしまった。
「ああ全くもう嫌な汗かいた!! あとは早くその手を洗え!! そのままの手でうちの家具やらティーカップやら触ったら脳味噌ほじくるぞ!!」
「はいはい、ちゃんと洗いますよ」
笑ってサタンは席を立ち、部屋の端に鎮座している装飾細やかな手洗い器で石鹸も駆使し入念に手を洗った。
「俺が聞いたところによるとあの虫以外にも今まで見たことない新しい虫さんが何匹か荒れ地で目撃されてるらしいんだわ。生物学を嗜む野郎どもはそれはもう大歓喜してたぜ。まっ、それはともかくあのウゴウゴ具合から察するに神様の創作作業はただいま絶不調みたいだな。どっかの誰かさんが馬鹿力でぶちかましたボディーブローがまーだ効いてんのかも」
手を泡立てながら語るサタン。
「はて、誰のボディーブローやら?」
自覚しているくせにレヴァイアは敢えて目を逸らした。
「お前のだよ、お前の!! ……こんだけ洗えばいいだろバアルさんや」
「ふむ。いいでしょう。席に戻りなさい」
しっかりタオルで水気を拭いた手の平を見せるサタンをチラリと確認してバアルはティーカップを優雅に口へ運んだ。
「ちなみに、私が聞いたところでは6本足の豚やら乳が10個もある牛なんかが遥か南にあるお化け木の大森林で発見されたそうで。ちゃんと魂入りの畜生だそうだからアレも神の失敗作として捨てられたんでしょうね。ですが魂入りだけあって第一発見者の男が試しに潰して食べてみたらロテの作る家畜よりも正直大変に美味だったそうです。なので乱獲制限をして暫く自然繁殖させてみることにしました。頃合いになったら私たちも食べてみましょうね」
「へえ〜、そりゃ初耳だ! 楽しみだな!」
サタンが言うとレヴァイアも乗り気な様子で「そん時は裏庭でバーベキューでもするか!」と白い歯を見せた。バアルも「バーベキューかあ。いいですね、大賛成」と笑顔を見せる。……二人のその表情にサタンはなんとも言えない安堵を得た。
(なんつーか、やっぱいいな。こういうの)
親しい面子で揃って未来の展望を語らうのはどうにも理屈抜きに楽しい。口を開けば自然とこれからのことばかり話している今の状況が幸せで堪らない。そのうち裏庭でバーベキューしようとか、そんなちょっとした予定を仲間と作れることが本当に幸せで堪らないのだ。
やはり神と対峙したレヴァイアを止めた判断は正しかった、そう思いたい。本来、生きることは楽しいことであるはずなのだから。そうでなくてはならないのだから。
「決まりだな! さーてと、俺オシッコ」
ちょうど話の区切りも良いことだし、ということで吸い終えた煙草を灰皿に押し付けレヴァイアはその場から音もなく姿を消した。
「オシッコって言うなよ……」
ツッコミが間に合わず、ポツンと空いた椅子に向かってバアルが呟く。
「アハハッ! まあなんつーか、すっかり元通りか?」
色々とあった後だけあってサタンは未だレヴァイアの様子を気にかけていた。なにせ不安定な男だ。塞ぎ込むと長くなる。
「ああ。一昨日とか夢見が悪かったらしく寝起きに嘔吐していたからね。元通り元気だよ。心配は要らない」
本当になんのことはないさといった感じで淡々とバアルは答えた。前々から「レヴァイアは毎晩悪夢によって嘔吐するくらいで丁度いい、吐きもしなくなったらお終いだ」と言い切る彼らしい答えである……が、サタンとしてはそんなのやっぱり心配だ。
「そ、それ元気って言えるのか?」
「ええ、元気な証拠です。彼が夢見の悪さに飛び起きるのはいつものこと。死人の全てを背負っているんだから無理もない。逆に彼は気分が荒れているとそれをなんとも思わないんです。死人の顔も見えなければ声も聞こえ難くなるとのこと。だから吐くくらいで丁度いい」
とはいえ側にいる身としてはやはり正直なところ気持ちの良いものではないのだろう。なんのことはないといった態度を貫くバアルだがテーブルの上に置きっぱなしされていたレヴァイアの煙草をさり気なく一本くすねて吸い始めたあたり感情の揺れ具合が表れている。なにせ感情が揺れると彼はもっぱら煙草に手を伸ばす。やれやれ、こちらに心配かけまいとしてくれているんだろうが、どうにも彼は嘘が下手だ。しかしそこを追求するのは野暮というもの。サタンは彼の気遣いを受け取ることにした。
「なんか、いつも何も出来なくてマジすまねぇな」
「とんでもない。貴方にはいつもなんでもしてもらってるって認識ですよ私の方は。にもかかわらず申し訳ない気分でいるというのなら寂しくなってしまった私の手に指輪の一つでもプレゼントしてくれてはどうでしょう。そしたら貴方は何か出来て嬉しい私は指輪貰えて嬉しい、お互い幸せ。完璧です」
何かにつけて宝石を強請るこの男である。
「な〜に言ってんだか! ま、よろしく頼むぜバアル」
「もちろん。ところでそういう貴方の夢見はどうなんです? レヴァイアはもとより創造主もよく夢見の悪さにはうなされていた。貴方は最近どう?」
「俺ぇ〜?」
サタンは思い当たる節を探って視線を泳がせた。
破壊の神も創造の神も己の定めを押し付けられるような夢を見てはよくうなされている。しかもその頻度は年々増している。ならば希望の神である自分はどうだろうか……。
「うーん、相変わらず繰り返しよく見る夢ならあるなぁ。前に話したことあるだろ、スゲー数の天使やら悪魔やらが俺に縋ってくるあの夢」
サタンに向かって『助けてくれ』『どうにかしてくれ』『救ってくれ』と悲痛な面持ちで懇願しながら雪崩のように人々が縋り付いてくる夢だ。そしてサタンが僅かでも戸惑うと彼らは表情を一変させ『どうした救ってくれないのか』『裏切り者』『よくも騙したな』『お前の見せる夢は嘘ばかりだ』と罵りを始めるのである。やがてその心無い言葉の雨に耐えなくなったサタンが耳を塞いで声を張り上げると、夢は終わり目が覚める。必ずだ。必ずそのタイミングで目が覚める。
期待は裏切られた瞬間に絶望へと変わる――そう暗示させるような夢だ。サタンはこの夢を生まれた頃から繰り返し何度も見せられてきた。まるで自分で自分を脅すように。
「でも夢見が悪いってことはないねぇ。むしろ身が引き締まって良い気分になる。こうならないように頑張らなきゃ! ってさ!」
するとバアルは感心するどころか重たい溜め息をつき「貴方も貴方で病的だなあ」と頭を抱えてしまった。
「びょ、病的とか言うなよお前、失礼だな!! 俺だって一応落ち込むことはあるぞ失礼だなっ!!」
「でも貴方の落ち込みってもっぱら一晩寝ただけで治る代物でしょ?」
「う、うん、まあ、そうだけど……」
モゴモゴモゴ……。仰るとおりというヤツだ。悠々と吸い終わった煙草を消すバアルに返す言葉が見つからない。するとバアルがこちらを向いて「でも、それでこそだ」と爽やかに微笑んだ。
「貴方の折れない姿を見てるとこっちまで元気になりますよ。この戦いはやっぱり勝てますね」
「なんでさ?」
「何故って、この戦いは精神の削り合いですからそれはもう絶対に有利ですよ。なにせ貴方は決して折れない、レヴァイアも私が決して折らせない、しかし自ら内に篭った創造主が圧し折れるのは確実に時間の問題だ。ヤツは一人ぼっちだもの。孤独は心を必ず圧し折る。それも容易くね」
「言い切れるのかバアル。その自信に根拠は?」
無いはずは無いがサタンはあえて聞くことにした。
「ある。精神面になんの問題も無ければ創造主が私に縋るはずは無い。あの不器用なラファエル一人に創造主が扱い切れるものか」
強い確信の込められた笑みを湛え、バアルはサタンを真っ直ぐに見つめた。
「私も私で決してヤツの愛玩人形にはならない。ね、既にこちらの勝利は確定だ」
彼の強固な意志もまた戦局を大きく左右する一矢。彼の挫けぬ心を前に神は日々確実に心を痛め続ける。それはいつか必ず向こうに大きな隙を生じさせるはずである。
「お前も到底折れそうにはないな」
「もちろん。なにせ折れる理由が無い」
その強気な笑みにサタンは安堵した。彼の口からこんなにも力強い言葉を聞けたのだ。今日の話し合いはやはり無駄にはならなかった。
「お前もそれでこそだよ。そっちこそ夢見はどうなんだって聞こうと思ってたんだけど、その様子なら心配ないかな?」
「ええ、おかげ様で毎日快眠です。こう見えて立ち直り早いですよ私」
「そうみたいだな! ま、何かあったらアイツだけじゃなしに俺のこともちゃんと頼ってくだせぇよ王様」
「もちろんです。今回、多大な心配をかけた自覚はありますから」
曇りのない笑みだ。そこへ頃合いを見計らったようにレヴァイアが戻ってきた。
「お帰りなさいレヴァ君」
「おお長かったな、デッカい方か?」
「おう、スゲェの出たぜ! って、違うよ! 席を外しついでに紅茶のおかわり作ってきたのっ!」
ほらっ! とレヴァイアは湯気を立てている大きなティーポットをサタンらに見せつけ、順にカップへおかわりを注いだ。「汚い話はやめなさい」とバアルにボソッと呟かれたが聞こえないフリしたサタンとレヴァイアである。
「ところで、そろそろ今日の話し合いの総括を改めて兄貴の口からお願いしたい感じなんだが」
手元を見つめたままレヴァイアが聞く。暗黙の了解で結論は出ているがリーダーの口からしっかり明言してもらわないことには終われない。
「オッケー」
言ってサタンはバアルとレヴァイアを交互に見やり、勝ち気な笑みを浮かべた。
「反逆を続行する理由は山ほどあれど降伏する理由は一つも無しってことで堂々と胸を張って現状維持!! これが今回の結論だ!!」
グッと拳を握って迷わず言い切る。その意外性も何もない答えにバアルは「ですよね」と顔を綻ばせて小さく頷き、レヴァイアも同じく「予想通りだ」と笑って淡々とおかわりを注ぎ終えたティーポットをテーブルに置き、席についた。
サタンとしてはもうちょっとは大きなリアクションをして欲しかった気もするが、まあいい。二人のこの淡白なリアクションはそれだけサタンが折れないものと信じてくれている証拠であり、また彼らも同じ目標を真っ直ぐに見ているという証だ。
(一時はどうなることかと思ったけど)
改めて大きな山場を越えた実感を抱くサタンである。向こうも今度こそ痛手を負い決定的な攻め手を失った。良くも悪くも暫くは平穏な日々を過ごせそうだ。
(待てよ……)
そうとも暫くは平穏な日々が続きそうなわけであるからして……、ひょっとすると今こそが『タイミング』だろうか。
サタンは顔を上げ、淹れたての紅茶に舌鼓を打つバアルと優雅に煙草の煙を吹かすレヴァイアを順に見つめた。
「あ〜……、あの、さ、話し合いの結論出たことだしさ、ちょっと全然関係ない相談してもいいかな……?」
意を決しサタンは話を切り出した。二人の目が一斉にこちらを向く。
振り向かせておいてやっぱ内緒! なんてことはこの二人には通じない。言い出したが最後だ、もう後戻りは出来ない。言おう。言い切ろう。サタンは軽く呼吸を整えた。
「お、俺こないだの一件もあって毎日を極力悔いなく生きようって決めたんだよね。いざという時に決断を迷わないよーにさ! で、気持ちはもうバッチリ決まってるだけど言葉が決まらねーっつーか、つまりはぶっちゃけリリスにプロポーズしようと思うんだけど、なんて言ったらいいのか分かんねんだよね!! だから、その〜……、なんて言えばいいと思う!?」
「へ?」
あまりに唐突な相談。バアルとレヴァイアは目を剥いたまま硬直してしまった。
ちょっといきなり過ぎて話を飲み込んでもらえなかったっぽい。サタンはもう一度質問を繰り返すことにした。
「ええと、だから、プロポーズの言葉をだな……!」
冗談でもなんでもなくコレは真面目な相談なのである。どうか二人には理解していただきたい。すると願い通じたのかまずバアルが「えーと……」と頬を人差し指で軽く掻きながら沈黙を破った。
「レヴァ君、この紅茶にはお酒でも入っていたのかい?」
……残念。全然サタンの願いは通じていなかった。
「え!? い、いや、入れたつもりはないんだけど俺ひょっとして紅茶の葉と間違えてなんかヤバイ葉っぱ煮出しちゃったかな…………」
「お前ら失礼だなッ!! 俺は本気も本気で相談してんだよッ!!」
マジマジと紅茶を見つめる二人に怒鳴り上げるサタン。するとやっと本気と信じてもらえたのか二人は顔を見合わせた後サタンに目を向け……、あろうことかゲラゲラと笑い出した。
「ひゃーっひゃひゃひゃひゃっ!! プロポーズの仕方が分かんないってお前そんな童貞でもあるまいに〜!! あひゃひゃひゃひゃっ!!」
レヴァイアがサタンを指差して笑いに笑う。
「そうですよそうですよ今更ウブなフリしたって手遅れですよ手遅れ〜!! アハハハハハッ!!」
本来はこういう場をなだめる立場にあるバアルも便乗して笑いに笑った。あんまりである。しかしサタンは怒れなかった。怒れば彼らから協力を得られなくなってしまう。ここは我慢だ。
「い、いいさ笑え笑うがいい!! そうだよ確かに俺は童貞じゃなしにしっかり汚れ済みの男だよッ!! 身体は汚れに汚れてますわよ、ええそれはもう!! でも結婚まで本気に考えちまったのは今回が初めてだもんッ!! プロポーズの仕方とか分かんないんだよマジもマジでー!!」
格好悪いのは百も承知でサタンは尚も必死に縋った。それもこれもプロポーズを絶対に失敗したくないからだ。笑われようがなんだろうが二人には是非とも力になってもらいたかった。
「え? プロポーズって付き合ってください〜じゃなくて結婚してください〜の方? もうそこまで行っちゃうの?」
笑ってばかりいたバアルが大きな目をパチクリと瞬きさせた。少し思っていたことと予想が違ったようだ。一方、既に話を知っているレヴァイアは納得の表情である。と、いうことはつまり事情を全て察した上で彼はサタンを笑ったことになるが、まあいい。そんなことはまあいい。今はそれよりも力を借りる方が優先である。
「おうよ!! 行くぜ行っちゃうぜ俺!! なんたってもう決めちまったんだ!! けど、その、気持ちは決まったんだけど言葉が決まらないってヤツでさ……。リリスになんて言えばいいのかお前らも一緒に考えてくれると助かるんだけど……」
本当に、この胸に溢れて止まない気持ちは本物なのだがそれを上手く伝える言葉が見つからないのである。本当に真面目な相談なのだ。それをバアルは未だ笑い続けレヴァイアに至ってはサタンを指して「プロポーズ童貞」とポツリ呟き一人で盛大に吹き出す始末である。……が、まあいいまあいい。怒ってる場合ではないのだ本当に。
「いいよもう童貞だろうが女たらしだろうがタマ無しだろうが絶倫バカだろうが好きに呼んでくれていいから力を貸してよーッ!!」
なんかもう何を言われても悔しいという気持ちすら湧かないほどに追い詰められているサタンなのである。
「レヴァ君、どうにもこうにも本気なようだから茶化したら可哀想ですよ」
「えー? でも言葉が浮かばないなんてことある〜? ドーンと言っちゃえばいいだけじゃん。豪華な指輪を渡してさ、結婚してください! って」
「それじゃ単純過ぎると思ったから私たちに相談してるんでしょ」
ねえ、とバアルに目配せされサタンは素直に頷いて答えた。いやはや全くもってその通り。結婚してくださいと直球を投げる案はもちろん浮かんだ。だが「これだけで伝わり切るだろうか」と考え始めたらもう駄目だった。まるで底なし沼に足を入れてしまった気分……。考えても考えても正解は出ず、仕舞いにはこうして恥を忍んで相談するに至ってしまった。
「でも兄貴が妙に凝ったこと言うのもキャラじゃない気がするなぁ俺。リリッちゃんもリリッちゃんで真っ直ぐな子だから『これから毎朝俺のためにポタージュスープを作ってください』とか遠回しなプロポーズしても普通にスープ飲みたいだけって解釈されそうだし……」
「うん、分かる」
レヴァイアの言葉にバアルが深く頷く。
少しは凝ったことが言いたい。しかし伝わらなければ意味が無い。……難しい。
「なあレヴァイア、そんなお前は女神様にどんなプロポーズしたんだよ」
サタンが据わった目をして尋ねた瞬間煙草に火をつけたレヴァイアはゴホッと煙にむせ返り、カップに口をつけていたバアルはブッと紅茶を吹き出した。
「ゲッホゲホ!! お、俺!? い、いや、俺は……」
「どんなプロポーズしたんスか先輩教えてくださいよ〜お願いしますよ〜……! なにせ俺ってばちゃんとした恋は経験の無い童貞なんで!!」
起死回生とばかりに素早くレヴァイアの隣に移動し逃げられぬよう肩を掴んで凄むサタンである。
「いいいいいいやいやいやいやいやいやいやいやいや俺は結婚のプロポーズなんてしたことないし……!」
早口に言って首を横に振るレヴァイア。側でバアルも「サタンやめたげて!」と顔面蒼白だ。だがサタンは引かない。
「そうだった、お前は結婚してなかったな……! じゃあお付き合いする時に何を言ったのか教えてくれよ……! 何も言ってないってこたねーだろ、ぁあ? 男と女が無言で何もかも通じ合うわけねーもんなぁ、おい!」
「いやぁ、でもそれが俺と女神様に限ってはマジで気付いたらそういう関係になってた感じであるからしてモゴモゴモゴ……」
「そんな真面目に答えなくていい、真面目に!!」
狼狽するレヴァイアの様子を見てバアルが声を荒らげた。
「王様、邪魔をしないでください!! これは俺の人生が左右される大事な話なんでっす!! ってことでレヴァ、ホントのホントにプロポーズの言葉は無いのか!? それっぽいこと何も言ってないのか!?」
グリグリグリグリとレヴァイアの頭に頭を擦りつけて尚も迫るサタンである。
「イテテテ……! えーと〜……、あ、そういえば」
何か思い当たる言葉を思い出したレヴァイア。だがバアルがそれを言わせるわけもなく。
「サタン貴様いい加減にしろー!!」
「ひいいい!? ごめんなさーい!!」
王の尋常ではない物凄い剣幕に今の今まで強気に迫っていたサタンがとうとう折れた。
バアルが不機嫌になった以上、相談話の継続は不可能に近い。案の定その後はただの罵り合い……というか一方的にサタンとレヴァイアがバアルに「お前ら揃いも揃ってデリカシーが無いんだよ!!」と罵られる感じだったのだが、とにかく話はそんな方向へと進んでしまいそれはそれでなかなかに楽しかったわけだが肝心の話は出来ず仕舞い。「ところで俺はどうプロポーズすればいいんですかね」と聞いてもバアルとレヴァイアは「とにかく真正面からぶつかれ! ぶつかれば伝わる!」といった無責任なアドバイスしかくれず、結局良いプロポーズの言葉は見つからなかった。
やれやれ、相当な覚悟でもって恥を忍んで相談を持ちかけたのに酷い結果である。
サタンの苦悩などつゆ知らず、この日リリスはロトとロテの家に訪れていた。料理上手なロテからレヴァイアとはまた違った教えをもらって知識をより深める目的である。全てはサタンの胃袋を捕まえたいが為。ロテと揃って髪を後ろにまとめ上げ頭にバンダナを巻いてキッチンにて朝から談笑をしながらのお料理三昧。教えを得るというか普通に遊んでいる感じだ。時折「美女二人が作った料理を食える俺ってば幸せ過ぎ!」と意気揚々つまみ食いに現れるロトの存在も良いアクセントである。彼は好き嫌いが無く余程炭に近い料理でなければなんでも美味しい美味しいと食べてくれる。現に乙女二人が遊びながら作った大量の昼食も彼は全て美味しい美味しいと笑顔のままにペロリと平らげてしまった。あんな旦那さんがいたら嫌でも料理上手になっちゃうよなあ〜と微笑ましく思ったリリスである。その感想を正直に伝えたところロテには「あら、サッちゃんだって好き嫌いなくなんでも美味しい美味しいって食べてくれるでしょ」と笑われてしまった。うむ、確かにサタンもまたなんでも美味しい美味しいと食べてくれる。ゆえにリリスもヤル気が出てこうして今日なんてはサタンに別行動を申し出てまでロテの元を訪れたぐらいであるからして……。
でもサタンはまだリリスの夫ではない。そう『まだ』だ。ま、だ、夫では、ないのだ。
「ロテさん、ちょっと聞いてもいいですか?」
オヤツにアップルパイを作ろうとパイ生地を練りながらリリスは隣のロテを見やった。
「はぁい、何かしら?」
「私サタンさんのことが好きで好きで堪らないのでそろそろロテさんみたいに結婚をしたいんですけど結婚って具体的にどうすれば出来るんですか? っていうか結婚ってそもそもなんですか? ロテさんはどうやってロトさんと結婚したんですか?」
「へ!?」
軽快にリンゴの皮をナイフで剥いていたロテが手を止めて顔を赤くし、目を見開いた。しかしリリスとしては突然の話ではない。前々から考えていたことだ。そもそもこの魔界へは夫となるべき人を探しにやって来た。そしてサタンと出会い彼を知れば知るほどに恋焦がれ、やがて焦がれるだけでなく『俺にとってお前の存在は何よりの救いだ』と言ってくれた彼の側こそが自分の居場所であると思うようになった。自分の存在が彼の力になる、こんなに嬉しいことはない。彼のために出来ることがあればなんでもやりたい……だが湧き上がるのはこんな綺麗な感情ばかりではなかった。彼を想えば想うほど胸の中にドス黒いものも生まれた。それがリリスを酷く足踏みさせた。
――私はもう貴方だけを見ている。だからどうか貴方も私だけを見て欲しい――
つまるところ願いはこの一点。だから困る。こんな欲望に満ちた目で見ていることを本人に知られたらどう思われるだろうか……。
もしも彼に見限られたら、という恐怖が頭の中を掻き乱し足を引っ張る。だが、こうして迷いに迷っているからこそ晴れて彼と夫婦になれたならこの一切の迷いを振り切って今まで以上に頑張れる私は強くなれるという確信がリリスにはあった。
よってタイミングを図って人妻先輩であるロテにアドバイスを貰おうと思ったわけだが、……そのロテの様子がなんだかおかしい。
「え、えっと……そ、そおねぇ〜……。結婚てのはつまりその〜……簡単に言うと生涯アナタしか愛しません! ってお互いにしっかり誓い合うことだから、揃ってそういう気持ちだったら出来るわけよ! んで私たちは夫婦ですって名乗ることで横から手出ししないでください邪魔しないでくださいって周りにアピールも出来るわけ!」
「成る程……。じゃあロテさんとロトさんはしっかりお互いそう誓い合ったんですね?」
何故だか視線を天井に泳がせて語るロテの仕草を不思議に思いながらリリスは尚も追求した。
「まあね! あ、でも誓い合ったとかそういうことはちょっと恥ずかしいから詳しくは聞かないでね……!」
「え? 恥ずかしいことなんですか? どうして?」
首傾げの止まらぬリリスである。
「なーによリリッちゃんだって具体的にサッちゃんのドコが好きって聞いたら顔を赤くしてモゴつくじゃないの! そういうことよ!」
言われた瞬間リリスは火が出るんじゃないかというくらい自身の顔が熱くなったのを感じた。サタンのことを考えるとどうにも照れる。そこに深い意味や具体的な理由は無い。と、いうことは、そういうことなのだ。理屈ではないのだ。
「そ、そういうことですか……」
やっと納得がいきました……。と、そこへ「おうおう、ガールズトークが弾んでるね」と笑いながらまたロトが姿を現し先程焼き上がったばかりのパウンドケーキを目敏く見つけて早速手掴みで口の中に一切れ放り込み「美味い!」と大きく頷いた。「だから手で食べるな手で!」とロテに注意されても知らん顔だ。
「生地フワッフワで焼き上がりもバッチリだよコレ! すっげー美味い!」
「やん、ありがとう御座います!」
殿方に料理を褒められるのは無条件で嬉しいものである。おかげさまでリリスは朝からずっと良い気分だ。しかし一方のロテは若干冷ややかである。
「アンタ今日は一日中ずっと食ってるわね〜」
「え〜? お前らだって一日中ずっと飯作ってるじゃんか。料理は食べられてこそだぜ!」
この妙に説得力のある旦那の言葉にロテは「まあ、確かにそうか」と頷いてしまった。
「だろ〜! ところでなにリリッちゃん、サタン様と結婚したいの?」
ちゃっかり話を聞いていたっぽいロトが紅茶を入れながら興味津々といった感じの笑顔でもってリリスを見つめた。
「はい、それはもう! でも方法が全く分からないんです。お互いに誓い合えばいいならまずは私からサタンさんに結婚してくださいってお願いしてみればいいのかな?」
「いやいやいや、そりゃ駄目だリリッちゃん! そういうのは男の方に言わせてやらないと! 特にサタン様はあんな性格だからリリッちゃんから言われたら一生悔しがりそうだ」
ロトが言うとロテも「そうね、リリッちゃんから言うのはマズイわ」と頷く。
「男の方に言わす、ですか……。じゃあロテさんとロトさんもご結婚の際はロトさんから話を切り出したんですか?」
「あ……」
そうだ、つまりはそう白状してしまったようなものだ。ピンポイントで痛いところを突かれたロトである。リリスの無垢な笑みからは悪意など僅かも見えないがしかしその質問はかなり照れ恥ずかしい。
「そうよロトから。いきなり大草原のド真ん中にある大きな木の下にアタシを呼びつけてさァ、いつもと様子が違うからどうしたのかなーって思ったらなんの前触れもなく『絶対後悔させないから俺と一緒になってくれー!』ってド直球なプロポーズしてきたの」
「なにそれ素敵!」
堪らず目を輝かせてしまったリリスである。
「あーー、馬鹿ー!! 言うヤツがあるか馬鹿ー!! 俺の黒歴史をそのまんまバラすヤツがあるか馬鹿あああああああー!!」
ロトの顔が火を噴く勢いで赤くなった。しかしロテは「いいじゃん、自慢したかったんだも〜ん」と全く悪びれない。
「ってゆーか黒歴史ってなによ! アンタ、アタシとの結婚を後悔してるわけ!?」
「そ、そうじゃねーよ馬鹿!! ホントに馬鹿だな!! お前との結婚を後悔なんかしてるわけねーだろ!! 俺はただ、なんつーか、もうちょっと良いプロポースの仕方あっただろなあとかどうしても思っちゃうわけであって……!」
「アンタ……!」
モゴつく夫を見てロテまで顔が赤くなった。ただ茶化すだけだったつもりがトンだ仕返しを受けた形だ。そんなこんなで赤い顔を見合わせていた双子夫婦だがリリスの澄んだ瞳にジーッと見つめられていることに気付くと二人揃って我に返り、ゴホンとわざとらしく咳払いをした。が、既に手遅れ。リリスは一部始終を見てしまった。
「いいなあいいなあ! 何を後悔することがありますかロトさん! 私もそんな直球なプロポーズを受けたいです!」
本当に憧れてしまったリリスは両手を握って天井を見上げ自分の世界に陶酔し、サタンに直球のプロポーズを受けている自分の姿を想像した。ちなみに彼女が脳内で描くサタンの姿は美化120%どころの話ではない。あのどう見ても底抜けにガラの悪い黒髪の男がどうしたことかリリスの目にはひたすら美しくも凛々しい王子様として映っているのである。
「ハ、ハハハ……。えっと、じゃあリリッちゃんは妙に凝ったプロポーズよりもド直球のがお好みで?」
未だ気恥ずかしさが抜けぬ歪な笑顔でもってロトが問うとリリスは迷わず「はい!」と頷いた。
「それはもう! サタンさんみたいな真っ直ぐな方にそのまんま真っ直ぐ迫られたら堪りません私! その勢いに押されて私も勇気が出て素直に頷けると思いますし!」
眼をキラッキラに輝かせながらの答えである。
「そうだよねぇ、あのサッちゃんが妙に凝ったことしても似合わないしねぇ」
照れを一掃し調子を取り戻したロテが笑いながらウンウン頷く。
「そういうわけじゃないですけど、でもプロポーズは真っ直ぐな方がいいなあ。私ちょっと鈍いところあるから凝った演出とか気付いてあげられないかもしれないし、そしたら凄く悪いし〜……」
ちゃんと自分の鈍さを少しは自覚しているリリスである。これを聞いたロトは「成る程ねぇ」と眉を上げた。
『だ、そうですよサッちゃん』
リサーチ完了。声にならぬ声で帝王に結果を報告するロトである。
『身体を張ったナイスなリサーチありがとよ! この恩は忘れないぜ!』
すかさず返事する帝王。ロトはリリスに会話を悟られぬよう努めて自然な動作で温かい紅茶を女性陣に振る舞いながらこっそりニヤリと微笑んだ。女性陣はこの耳に届かないやり取りを知る由もないだろう。双子の姉であり妻であるロテすら気付いている素振りはなく、相変わらずリリスとガールズトークを楽しんでいる。
「それにしてもリリッちゃん魔界に来てサッちゃんと出会って一月半ってとこでしょ? もう結婚なんて大きな決断しちゃっていいの?」
一応の心配をしてロテがリリスの澄んだ青い瞳を覗き込む。
「はい! もう私、決めたんです! 絶対に絶対にこれからもずっとサタンさんの側にいたいなって。他の選択肢はあり得ません」
嘘偽りの僅かも見えない満面の笑みと真っ直ぐな目……。彼女の意志はどこまでも本物だ。
「凄いなあ〜。流石あのバアル様……つーか『ジブちゃん』がリリッちゃんを目に掛けるわけだよ。ジブちゃんなんてこの世に生まれて僅か三秒でレヴァ様に恋したらしいから! これ、ここだけの話ネ」
怒られる、つーか殺されちゃうから! と付け足して笑うロテ。
ジブちゃん……、ジブリールのことだろう。過去に親しい間柄だったことが窺える呼び方だ。リリスは「勿論です」と頷いた。
「似たもの同士、ということでしょうか。私も本当のことを言えば出会ってすぐにサタンさんをカッコイイと思いましたから」
頬を赤らめながら語るリリス。不思議と横で聞いてるロトまで気恥ずかしい……。
『ほぼ一目惚れだってさ』
気恥ずかしさを殺して懸命の報告。そんなことはつゆ知らずリリスは呑気に「それにしてもロテさん、バアルさんの正体を知ってて以前に交際を申し込んだんですか?」と首を傾げ、ロテはロテで「だってあの通りの凄いイケメン美人だもん、過去なんか関係なしに迫るでしょそりゃ」と何故か得意げ。やれやれ、気楽で羨ましい限りだ。
『嗚呼、色んな意味で、報告、超大変。んっもうコレ高くつきますよぉ、ホントに身体張ったんだから!』
なんたって自身のプロポーズの言葉を暴露されてまでサタンに助力したロトである。
『オッケィ、今度高くて美味い酒を死ぬほど飲ませてやるよ! 任務ご苦労であった!』
と、いうことでリリスのいる双子夫婦の牧場へ神経を研ぎ澄ませていたサタンは横でこちらのやり取りを察しクスクスと声を殺して笑っていたレヴァイアに視線を戻した。
此処は街一番の老舗バー。まだ昼間だが悪魔に昼夜は関係ない、そもそも魔界に昼は無い、ということで夕刻一歩手前な店内は酒に酔った悪魔たちで大いに賑わっている。サタンらは一応魔王様ということで此処の一番良い席に通されたが身分などあってないようなものであるからして側を通り過ぎて行く悪魔たちは二人に気付くなり揃って「あ、どうもこんにちは!」などと気軽に声をかけていく。妙に強張った顔をして酒を飲むサタンの様子など気にも留めずに……。
城での話し合いを終えたサタンはレヴァイアだけを呼び出し宝石店にて指輪の下見に付き合ってもらったのである。ロトから報告が来たのは下見を終えたあと付き合わせたお礼にとこうしてバーに立ち寄ってレヴァイアに酒を奢っていた最中のことだった。
ちなみにバアルはというと城での話し合いのあと「そうだ口紅の新色が出たんだった! 手足吹っ飛んでも頑張った自分へのご褒美に買ってこよう!」と高らかに宣言して新作コスメを買いに高級化粧品店へ一人向かったので今は完全別行動中である。サタンもサタンで彼を引き留めることはなかった。何故ならバアルは宝石を見ると理性を失い「買って! これ買って!」と連呼してこっちに物凄い勢いで迫ってくる。とどのつまり彼がいると指輪の下見どころではなくなるわけであるからして……。正直、何を言うまでもなく自主的に別行動をしてくれてとっても助かった。
それはともかくロトからの報告である。成る程、プロポーズは真っ直ぐな方がお好みとは良い情報を得た。
「ええと……、彼女は、真っ直ぐな言い方が、いい、そう、です」
グラスの中で半身をウイスキーに浸し暖色系の仄暗い照明を浴びて静かに輝く氷を見つめながら呟くサタン。その辿々しい言い方にもう我慢ならないといった感じでレヴァイアが「ブハッ!」と吹き出した。
「ヒヒヒッ! ロト可哀想! プロポーズの言葉バラされてマジ可哀想! お前ホント高い酒奢ってやれよ! じゃなきゃ浮かばれねーよアイツ!」
「おう! なにはともあれ俺のプロポーズが無事に成功したらな!」
言い切ってサタンは焼けつくような高アルコール度の酒をグイッと喉に流し込んだ。
「お前まさか失敗したら何もしてやらない気!?」
即座に突っ込まれてしまった。いやしかし失敗とはなんだ失敗とは。それは今一番聞きたくない言葉である。
「滅多なこと言うもんじゃないよレヴァ君! 俺は失敗した時のことなんか考えないぜ! 頭にあるのは輝かしい未来だけだ!」
「言うのはタダだな。実際の行動はコソコソした根回りばっかりだぜ今のところ。超カッコ悪〜い」
「う……っ!」
非常に、痛いところを突かれてしまった。だが仕方ないのだ、それだけ失敗したくないことなのだ。今回の件に関しては臆病なくらいで丁度いいのだ。
「そ、それつまりこの俺が珍しく慎重に行動してるってことだ! この俺が慎重に行動してるからにはやっぱり絶対に輝かしい未来しかないんだ!!」
大いに開き直ってグッと拳を握るサタン。レヴァイアも「おお、いいね! カッコ悪いけどカッコイイぞ! その意気だ!」と笑顔で頷く――が、正直に言うと今のは虚勢だ。やっぱりやっぱり本当は凄く恐い。失敗予想ばかりが頭を過ぎる。
「っ恐いよお恐いよお〜!! 失敗したらどおしよおおおお〜っ!! んっもうなにこれ神様に反逆を決意した時以上っつーかむしろ比べ物にならないくらいスゲェ恐いよおおおおお〜!!」
サタンは今にも泣きそうな勢いでレヴァイアへ向かって身を乗り出した。
「えー!? お前そんなこと言ったら神様泣くぞ!! つーか今さっきまでの勢いどーしたよ! なんか今日のお前ってば俺のこと全然言えないくらい情緒不安定だぞ!!」
本当に今日のサタンは喜怒哀楽の振れ幅が半端ではない。情緒不安定にも程がある。
「だってだってだって台詞噛んだらどうしようとか、そもそも向こうにその気がなかったらどうしようとかぁぁぁあああぁぁああ〜……!!」
「大丈夫だって! ちょっとくらい失敗した方がいい思い出になるし、大体あれでリリッちゃんにその気がないなんてこと有り得ないだろ! 脈ありも脈ありっつーかアレで脈が無いわけがないって! お前だって『手応えしかないワハハハハッ』て毎日言ってたじゃねーか! なーにを今更そんなビビることがあんだよ!」
「馬鹿野郎、女は小宇宙ってお前が言ったんだろうが!! こっちの予想もしないことをするのが女って生き物なんだろ先輩〜!!」
「ええいゴチャゴチャ言うな!! とにかくドーンとぶつかりやがれ!!」
「ギャアッ!?」
レヴァイアからいきなり頭を片手で鷲掴みにされてサタンはガツンと強烈な頭突きをされてしまった。痛い。凄く痛い。石頭同士のぶつかり合いでかなり鈍い音がした。あとなんだか今の衝撃で酒が一気に身体を回ってしまった気がする。いや気のせいじゃない。
「痛いよレヴァ君〜!! なんか一気にアルコールが身体に回ったよおおおお!!」
目がグルグル回る……。
「お兄ちゃんがあんまりにも焦れったいからだよ! 気合入れだ、気合入れ!」
「痛い思いしただけで気合が入ったら苦労しないよおおおお!!」
一応、店内は相当に賑わっているので魔王二人がこれだけ大声で騒いでも支障はない。
「そんなことないって。困った時は頭突きに限る! ……すいませーん、おかわり。あとチーズとナッツ追加で」
なんの悪びれもなく店員を呼びつけてウイスキーをおかわりするレヴァイア……。サタンもズンズン痛む額を押さえながら「俺も〜」と便乗して酒のおかわりを頼んだ。すぐに「はい」と朗らかに返事したギャルソン姿の店員が空のグラスを持って去り、程なく並々とウイスキーの注がれたグラス二つとお洒落な小皿に盛られたナッツとチーズを持って戻ってきた。
「どうぞ、ごゆっくり」
「はいよ、どうもー。…………とりあえず先輩としてはガチで後悔するな、としか言えないよサタン」
店員が去って行ったタイミングでレヴァイアがボソリと呟く。
「そればっかりぃ〜っ」
口を尖らせ、イジケた気持ちを誤魔化すようにサタンはウイスキーを喉に流し込んだ。注がれたばかりで氷に薄まっていないウイスキーは美味い。しかしこの胸に込み上げて止まらない不安を消してくれるほどの効果は無かった。
「もうちょっとは親身になってよおおおお。もし俺が大失敗して絶望に飲まれたらこの世界終わるんだよレヴァ君!!」
不安過ぎて柄にもないことを言ってしまった。
「なんかそれ迷惑だからお兄ちゃんには慎ましく独り身でいてほしいかも〜」
呆れたような目でボソリ呟くレヴァイア。予想以上の冷たい反応である。
「あ〜っ!! お前そんなこと言える立場かよ!! しょっちゅう恋愛絡みのトラウマで全世界巻き込んでの大騒動起こしてるクセに!! こないだの戦争がいい例だこの猫畜生が!!」
「うわああああ!! それ言うなよおおおおおおおお!!」
物凄〜く痛いところを突かれてしまったレヴァイアである。だが冗談抜きでサタンとレヴァイアの感情の揺れは世界に影響を及ぼしてしまう。プロポーズが失敗したら大変だぞ、だから真剣に相談乗ってくれ、というサタンの要求はある意味正しい。ゆえに一瞬激高したレヴァイアだが「ったくもう」と舌打ちしてすぐに気を取り直してくれた。
「一応ちゃんと親身になってやってるつもりだよ俺っ! なのにお前ってヤツは!」
「だ〜〜ってええええ〜〜…………」
サタンはますます口を尖らせた。
「だって〜じゃないよ! ったく、散々デッカいことやってきたくせに自分のこととなるとウジウジしちゃって踏ん切りが付かないんだからっ」
口に放り込んだナッツを咀嚼しながらレヴァイアが意地悪く笑う。しかし本当のところ悪意は無い。なんだかんだで真剣に悩むサタンの姿が可愛いからだ。
「此処は明日が必ず来るとは限らない世界だよサタン。かと言って焦って失敗したら元も子もない。じゃあどうすりゃいいのかって言ったら後悔しない方を自分で選ぶしか無いわけだ」
「後悔しない方……。それが分かんないから悩んでるんじゃないかぁぁぁぁぁ」
嘆いてサタンはテーブルに突っ伏してしまった。これではただのたち悪い酔っ払いである。しかしレヴァイアは咎めることなく笑って済ませた。
「ヒヒヒッ! そんなもん俺にだって分かんねーよ! 分かるヤツなんかいねーよ! でもお前の衝動的な行動はいつだって正しい。だから自信を持ってさ、リリスに向かって胸に秘めてるもん全部は吐いちまえって。とりあえず明日、特注した婚約指輪を店で受け取ってからな」
言ってレヴァイアは背中を丸めてしまったサタンを軽く笑い、ウイスキーを一口飲んでから煙草を口に咥えた。いやはや悪くない気分だ。こんなにも心細そうな兄の可愛げたっぷりな姿など滅多に見れるものではない。
レヴァイアはフーッと煙草の煙を天井に向けて吹いて「ちなみに……」と、何やら思い出したように呟いた。
「ここだけの話にしといて欲しいんだけど。……『お前がいないと駄目なんだ』って頭を下げたよ、俺はね」
これはレヴァイアが今の今まで決して誰にも明かさなかった話である。
「へぇ〜。いいじゃん可愛いじゃん」
まるで息を吹き返したようにサタンは顔を上げてニヤリと笑ってみせた。現金な男だ。予想通りにも程がある反応。ゆえにレヴァイアは咎めることなく笑い返した。
「そお〜? ロマンもへったくれもなけりゃカッコ良さの欠片もないプロポーズだろコレ。だけど何故か成功したんだなあ〜。ってことで俺が成功したんだ、お前も上手くいくよ」
「だな! お前に出来て俺に出来ないはずがない!」
コイツよか上手くはやれる、という目安を得て自信が出たサタン。大変失礼なノリである。しかしお人好しのレヴァイアは「元気になったなら何よりだ」という寛大な心で彼を笑って許した。
「アッハハハハッ! そうそう、お前はなんだって俺より上手くやるさ」
「だよな! よし!」
力強く頷いてサタンは景気付けにウイスキーをグイッと煽った。と、そんな彼に突然横からヒンヤリと冷たい腕が伸びてきた。
「話の結論が出たところで指輪の下見に私を省いた言い訳を聞きましょうかサタン」
「イデデデデ!! へ?」
肉が千切れるんじゃないかという勢いで肩をギュウと掴まれたサタンが咄嗟に振り向くとそこにはいつの間にやって来たやら冷徹な笑みを浮かべるバアルの顔があった。
「ひっ、ひいいいいいいいいい!!」
思わず盛大な悲鳴を上げてしまったサタンである。
「おお、バアル。いいコスメは買えたかい?」
動揺しまくりのサタンと違ってレヴァイアは平然とした対応だ。後ろめたいことが何もないがゆえである。
「ええ、見てくださいこの発色の良い口紅にラメ入りのマスカラ! 上がる上がる輝く輝く! 睫毛が上がると気分も上がります」
得意気に自身の銀色の長い睫毛を指差すバアル。一方サタンは未だ身体の震えを止められずにいた。
「そ、そうだ! お前自分からコスメ買いに行くって別行動したんじゃん! だから別に省いてなんかないよ俺! なのにそんな省くとかアナタ人聞きの悪い!」
「へえ〜。よく言うわ。この私が貴方からコイツ邪魔だなーみたいな感じにチラチラと視線向けられていたことに気付かないとでも?」
……そうだ、そうだった。バアルはとても鋭い男なのだった。
「い、いや、あの、その……っああ!! もうこんな時間だリリス迎えに行かなきゃ!! はいレヴァ君これお酒のお金ね!! ためになる話を色々とありがとう!! じゃ!!」
酷く慌てながらレヴァイアの手に金貨を大雑把に何枚か渡すとサタンはそのまま有無を言わさずサッと姿を消して逃げ出した。
「あ!! 待てサタンまだ話は終わって…………っあの野郎〜!!」
文句を言い切る前に逃げられてしまった。畜生め、この矛先を失った憤りを一体どうすればいいのだ。バアルは派手に鼻筋を立てて歯を食い縛った。
「あのヤギ頭め今度会ったら許さん!! ……アンタもアンタで笑いすぎだ!!」
「アハハハハハハッ!! ッイテ!!」
腹を抱えて笑っていたレヴァイアの頭を容赦なく手のひらで叩くバアル。どれだけ力を込めたやらバチーンと良い音が響いた。が、店内は相変わらずの賑わいである。多少の物騒な音が響き渡っても問題は無い。
「えーん、痛いよ〜!! まあそうカッカしないでほら、サタンのヤツすげぇ気前よくお金置いてってくれたよ。遠慮無く使わせてもらおうぜぇ」
ほら、と手のひらに握らされた金貨を見せるレヴァイア。確かに物凄い気前の良さだ。パニクッていたとはいえ店で一番高い酒を何本も飲んでも余裕でお釣りが来るというか下手したらバアルが前々から狙っていた指輪が買えてしまう勢いの金額である。
「確かに素晴らしい気前の良さですね。じゃ、せっかくだから飲んでいこうかな。気は早いけど帝王のご婚約を祝して」
気を良くしたバアルは改めて先程までサタンがいた位置に深く座り直すと店員をサラリと手招きして「いつもの」とスマートな注文をした。……いつもの、それはこの店で一番高い酒だ。
「ホントに気が早いな。なんつって俺も頭の中はどんだけデッカいウエディングケーキ作ってやろうかってことでいっぱいだけど」
「仕方がない。なにせサタンのプロポーズが成功しないわけがないですからね。万が一にもリリスが断ったら私はまた何も信じられなくなりそうだ」
苦笑いのバアルである。しかしそんな顔をするのも仕方がない。なにせバアルもレヴァイアもサタンとリリスの幸せを願ってやまないのだ。どうかあの二人だけは打算も何もなく純粋にお互い恋焦がれての至上の結末を迎えて欲しい。友の幸せな顔を見るのは何よりの喜びだ。同時に友の沈んだ顔を見るのは何より哀しい。ゆえに幸せであって欲しい。どうかいつまでも幸せであって欲しい。サタンがかつてジブリールとレヴァイアの幸せを強く願ってくれたように、こちらも負けじとただただ純粋に彼の幸せを願って止まない。
そうして二人が思いを馳せていた最中、不意にバアルのカラスが他の客がドアを開けた隙を見計らって優雅に羽ばたきながらテーブルの上にやって来た。
「いらっしゃいませー」
カラス相手にもしっかり挨拶する店員。魔界の店はもっぱら大らかである。ゆえに動物の来店も大歓迎だ。相手がバアルのペットならば尚更である。
「お前、良いもん食ってきたな。身体からステーキの匂いがするぜ」
レヴァイアが言うとカラスは誤魔化すようにそっぽを向いたのち、目敏く見つけたナッツをくちばしで器用に摘み食いした。
「ってゆーか、食事の時くらい人型の姿になったらどうです?」
『いえ、私にはこの姿が性に合っていますから』
バアルの指摘に彼はバアルとレヴァイアにしか聞き取れない声で答えた。
『食事ついでにリリスさんの様子を見てきました。今回の一件、私に出来ることは何かありますか?』
「ん〜、今回の件は当人同士でどうにかしてもらうしかないものですからね。遠くから見守ってあげるだけで十分だと思いますよ。……しかし珍しいですね、貴方が自主的に誰かを気遣うなんて」
『当然です、貴方様の御友人は私の友人でもあります』
なんたってこのカラスは一途である。やり取りを静観していたレヴァイアがニヤリと笑った。
「バアルさあ、いっそそいつと結婚したらどう? ひたすら一途な良い子じゃん」
瞬間、これを気の利かない一言と判断した当のカラスはレヴァイアの頭に素早く乗っかると鋭いくちばしでつむじを何度も何度もガスガス突いた。
「いだだだだだだだ!! なんだよ応援したげたのに!! ハゲるハゲる、やめてー!!」
「アハハッ! ざまーみろ、変なこと言うからだ!」
お酒が入って気分の高揚していたバアルが大きな声で笑い上げた。
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