【10:想いが届きますように(2)】
悪夢にうなされることもなく朝を迎えて気持ち良く目覚めることは何よりの贅沢だと友が教えてくれた。良い夢を見る確率も明日に平穏な朝が来る可能性も決して高くはない。夜に眠り何事もない朝が訪れるという当たり前に思っていることは実は小さな奇跡の繰り返しなのだそうだ。
よーし、そんじゃせっかく訪れた今日を悔いなく生きよう。これをやらねば後悔すると思ったことはすぐにやってしまおう。また、いざという時に迷わぬよう……。
(まさかこの俺が迷いを抱くなんて)
やれやれ弱くなったものだ。創造主に反旗を翻した時の自分はもっと強かった気がする。
いや、違う。
決して強くはなかった。あれは強さじゃない。あれはただ『無知』だっただけだ。
あの時は失う怖さを知らなかった。死ぬ怖さも知らなかった。そうだ、ただ知らなかっただけなんだ。あんな無知ゆえの無謀は強さでもなんでもない。
(俺は確かに『傲慢だった』な……)
神やラファエルから幾度と無く投げつけられた『お前は傲慢過ぎる』という罵りの言葉が耳に蘇る。
いっそ毎日ゲロを吐くほどの悪夢でもなんでも見せて欲しい。苦しむことで何が償えるわけでもないが無闇に陽気でい続けるよりマシだ――なんて苦悩するのが自分に課せられた業かも分からないと最近になって思うようになった。とはいえ、こんなものは業のうちに入らない。
(結局俺は、何も悩んでないんだな)
自問自答の甲斐なくサタンは今日も爽やかな目覚めを迎えた。まあいい。今日は自身の運命を揺るがすとても大きな出来事がある。っていうか自らそれを起こす。ゆえにこれくらい爽やかな目覚めであって丁度いい。むしろ足りないくらいだ。
気を引き締めると同時にリリスの「サタンさん、おはようございます。朝ご飯が出来ましたよ」という元気な声とドアをノックする音が部屋に響いた。丁度いいにも程があるタイミングだ。
「ああ、今行くよ!」
返事をしてサタンは目を開き、ベッドから起き上がった。
さあ、大事な大事な一日の始まりだ。
今日から日替わりで交互に料理当番をしようと言い出したリリスが作った朝食はサタンの大好物であるデミグラスソースのオムライスだった。朝から大好物を食べられるとは幸先が良い。はやる気持ちを押さえてまず真っ先に口をつけたお茶も熱すぎない絶妙な温度であった。何もかもが幸先良い。
肝心のオムライスもひとくち食べてすぐに「美味い!」と声を上げるほどに美味しかった。昨日ロテに一日中料理を習っただけあってまた腕を上げたのだろう。それにしてもこれはバターライスにふんわり卵が乗っかってよく煮込んだデミグラスソースのかかっている手の込んだ料理だ。リリスは何も言わないが料理担当初日ということで張り切って早起きし作ったのだろう。なのに彼女は「口に合って良かった」と微笑むだけで多くを語らない。
純粋に、愛おしいと思えた。
やっぱり今日にこの胸に秘めた想いを伝えよう。今日だ、今日こそがタイミングだ。先延ばししても自分が苦しいだけである。また明日もこんな悶々とした気分を味わうのであれば今日に失敗を恐れず挑んだ方がいい。
プロポーズの際もしもリリスに「愛しているとはつまりどういうことか」「愛とはなんぞや」的なことを聞かれたら答えには確実に詰まる。だが、この気持ちは本物だ、本物なのだ。全く上手く言葉で説明することは出来ないがとにかく本物なのである。
「リリス、今日なにか予定はあるか?」
隣で食事に夢中なリリスに聞くと彼女はすぐに顔を上げて期待に目を輝かせた。サタンが予定を聞く理由などほぼ一つしかないからだ。
「私は何もありません。サタンさんは?」
「俺もな〜い。ってことで午後から一緒に街へ遊びに行かないか。レヴァイアがこないだオープンしたばっかだっつー美味いケーキの店を教えてくれたんだわ。お前、甘いもん好きだろ?」
「はい、大好き! じゃあ朝食が終わったら早速支度を始めよ〜っと」
……嬉しそうだ。これだけ嬉しそうにしてくれると誘い甲斐があるなんてもんじゃない。こっちとしても嬉しくなる。
なにはともあれ出掛ける口実もすんなり作れた。何もかもが幸先良い。
(よし決めた、絶対に今日だ。今日プロポーズしてやる……!)
決意を固めたサタンは動揺を隠していつも通りの笑顔を保ちながら朝食の後片付けをリリスと談笑しながら済ませた後、こっそり音もなく城を抜け出した。向かった先は昨日に指輪を注文した宝石店である。
店の前に着くと一足先にレヴァイアが煙草を吸いながら待っていてくれた。一人で受け取りに行くのが気恥ずかしいからとサタンは彼に同行をお願いしといたのである。こんな頼みを「しょーがねぇなー」と笑って引き受けてくれる友を持てたことに感謝だ。
「おはよ。待たせちゃったか?」
聞くとレヴァイアはやけに目をパチパチと瞬きさせながら妙に裏返った甲高い声で「いいえ今さっき来たばかりよアナタ。デートの待ち合わせが宝石店の前だなんて意味深ね」と返してきた。どうやら女の子を演じているようだ。
「そーだろそーだろ。……今日バアルは?」
「ああ、空気読んでちゃんとお留守番だよ。相当ふて腐れてたけどね」
笑ってレヴァイアは吸い終えた煙草を路肩の灰皿にポイと投げ入れた。
「アハハハハッ! んじゃ手土産の一つでもお前に持たせた方が良さそうだな」
城にポツンと一人で眉間に酷く皺を寄せながら紅茶を飲んでいるバアルの姿が目に浮かぶ。宝石を見たら我を忘れてしまうことを自覚しての判断だろうが、ちょっと悪いことをしてしまった気分だ。
「気にすんなよ、昨日お前のゴチでアイツも散々美味い酒を飲んだわけだし! さっ、行こ」
「ああ」
二人が店内に入ると何やら手元で筆記作業をしていた女性店員が待ってましたとばかりに顔を上げ「いらっしゃいませ! 出来上がっていますよサタン様!」とすぐに後ろの棚から金の装飾美しいジュエリーボックスを取り出し「確認していただいてよろしいですか?」と微笑んだ。
「はい、よろしいです!」
既に緊張しているのかサタンの様子がおかしい。だが店員もレヴァイアも大人なので茶化さずにおいてあげた。
「では」
では、と前置きして丁寧に開かれたジュエリーボックスの中には注文通り薔薇を象った漆黒のオニキスに煌めくダイヤモンドをちりばめたゴールドリングがあった。
「おお〜! 見事なもんだな! 綺麗だ!」
リングを覗き込んで目を輝かすレヴァイア。だがサタンの反応は少し違った。
「み、見事だけど、やっぱり薔薇のリングなんて、ちょっと俺が差し出すもんにしちゃキザ過ぎないだろか……」
「今更ぁあああああああ〜!?」
そりゃあもう思わず声を荒らげてしまったレヴァイアである。店員さんも「えー?」と目を丸くして困惑の表情だ。
「ったく踏ん切りつかないにも程があるぞお前!! 昨日は即座に薔薇いいね最高だねって言ってたじゃねーかこのアンポンタン!! 大丈夫だよ、キザ過ぎてキモいとかなんとか言われたら俺にアドバイス貰って作ったって言えばいいよっ!!」
「そ、そう? つーかリリスにキザ過ぎてキモいとか言われたら俺その時点で立ち直れなくなりそうなんだけど……」
嫌な想像が頭を駆け巡って顔面蒼白なサタンである。
「大丈夫!! 大丈夫ったら大丈夫!!」
「そ、そう……?」
実際本当にこのリングはレヴァイアに沢山のアドバイスを貰いながら注文したものだ。どんな指輪にしようかと目を回し続けるサタンを見兼ねた彼が酒場でよく鉢合わせる女友達から得た情報だと前置きして「プロポーズリングなんだから薔薇の形なんかどうだ。薔薇の花言葉は『あなたに尽くします、あなたを愛します』だっていうから告白して差し出すのにピッタリだよ」と全くキャラじゃない知識を披露してくれたおかげで出来上がったものなのである。
「でもでもお前にアドバイス貰って注文したんだって話もなかなかちょっとカッコ悪い気が……!」
「んじゃ最初から俺に頼らず自分で指輪選べば良かっただろーが! もう手遅れだよ! はーい、お会計〜!」
言うが早いかレヴァイアはサタンの胸ポケットから金貨の入った皮の巾着袋をヒョイと抜き取って勝手に会計を済ませてしまった。ちゃんとお金を貰えて店員さんもホッと一安心の表情である。が、一方のサタンは最早、顔面蒼白を越えて土気色の形相だ。
「レ、レヴァイア……、俺もう既に緊張で吐きそう……! まさかプロポーズがこんなにも緊張するもんだとは夢にも思ってなかったぜ……!」
「えー!? 情けないなあ!! 絶対に此処で吐くなよ我慢しろよッ!!」
「アハハハッ。頑張ってくださいサタン様! サタン様の幸せは私たちみんなの幸せでもあるんですから!」
店員さんが笑顔で応援してくれた。だがサタン様の幸せは私たちみんなの幸せと言われてジュエリーボックスを受け取った当の本人はますます顔を青くした。
「俺の幸せはみんなの幸せ……、ってことは俺の不幸はみんなの不幸……? お、俺、ますます失敗出来ない……!」
もう顔が土気色どころの騒ぎではない。血の気を失った白い肌に紫色の血管が浮き上がり気付けば頭には角が生え手の爪も酷く伸びている。これつまり彼が負に飲まれかけている兆候である。店員さんも周りのお客さんもドン引きだ。
「負のオーラ半端ねぇなオイ!! しっかりしてよマジで!! ……えっと、見事な指輪をありがとうね! ではではお騒がせしましたああああー!!」
これ以上此処にいてはいけないと判断し、レヴァイアは手に持ったジュエリーボックスを虚ろな目で見つめ続けるサタンの襟首を掴んでこの場を音もなく後にした。
彼が咄嗟に向かった先は自身の住む城の広大な裏庭である。此処なら人目を気にせず話し込めると踏んだのだ。
「はい、お座り!」
強い口調で言ってレヴァイアは白目を剥きながら負のオーラを放ち続けるサタンをベンチに座らせた。するとこの帝王め背中の骨が抜けたようにダルンダルンな座り方をしなさった。やれやれ常に力強く仲間たちを導いてきた男とは思えぬ姿だ。
「レヴァイア……、俺、恐い……」
それは今にも風で消えそうなくらい弱々しい声だった。
「恐い恐いってお前……。じゃあプロポーズやめといたら?」
「いや、そしたらそしたで明日もまたこうやって苦悩するんだ俺……」
「そんなら腹をくくるしかねーなあ」
「分かってるよ……。でも………………恐いいいいいい!! レヴァイア俺は恐いいいいいいいい!!」
とうとうサタンは盛大に泣き出してしまった。こうなるともう厄介である。
「だああああ!! 泣くな泣いたって何も解決しねーぞゴルァ!!」
口で何を言っても通じそうにない状況だ。仕方なくレヴァイアはサタンの頭を鷲掴みにして思い切り頭突きを食らわした。気合を入れるためである。が、石頭同士の盛大なぶつかり合いであるからして閑静な庭に尋常じゃない炸裂音が木霊した。ついでにサタンの「いだあああああああああ!!」という悲鳴と木々に留まって休んでいた沢山のカラスたちが驚いて一斉に飛び立っていく羽音も響き渡った。
当然、敷地内でこれだけ騒いでいたら城の主が黙っているわけはない。
「あああもう帰ってきたと思ったらなんですかウルサイったらありゃしない!!」
案の定、憤怒の表情を湛えたバアルが腰より長い銀髪を若干振り乱して二人の前に一瞬で姿を現した。レヴァイアにとっては好都合である。
「丁度いいとこに来たなバアル!! どーにもこーにもサタンがウジウジウジウジしちゃって仕方ないんだよ、お前からも強く言ってやってよ〜!!」
「成る程、分かった! ならば私からも気合を贈ろう!」
既に事態を把握していたバアルの行動は早かった。
「えっ!? ちょ、ちょっと待っ――!」
制止する間もなく再び響く尋常ではない炸裂音。待てと叫んだ甲斐なくサタンはバアルからも額が割れんばかりの強力な頭突きを食らってしまった。王様も王様でまた凄い石頭。サタンは本当に額が割れそうになった。血が出なかったことは奇跡である。
「いってぇえええええ!! 畜生お前らただ単に俺をボコしたいだけだろッ!!」
「そんなこたない。実際お前ったら元気になったじゃん」
レヴァイアからの淡々としたツッコミ。
「え? あ、言われてみれば確かに……」
先程まで湯水の如く湧き出し続けていた負のオーラは何処へやら。サタンは知らず識らず痛みと怒りで不安を打ち消すことに成功したようだ。頭のツノも綺麗に引っ込んだ。「叩けば直るって貴方、壊れかけのカラクリ人形みたいですね」とバアルに溜め息されたが気にしない気にしない。せっかくこうして我に返ったのである。細かいことは気にしない。
「わ、わははははは!! 直った直った〜!! ありがとうよ二人共!! おかげ様でいつものカッコイイ俺が戻ってきたぜ多分!!」
「多分かい!! ったく、あんまりにも踏ん切りつかないようならそのリング私が貰っちゃいますよ。どんなんか見せて」
「ああ、見るだけならいいよ。でもあげないよ!」
忠告してからジュエリーボックスを手渡すとバアルは「わーい!」と何故か嬉しそうに受け取って中身を確認した。何か嫌〜な予感がしたのでサタンはすぐに「お前のじゃないぞ!」と改めて忠告したが、はてこの声は聞こえたのか否か。側に立つレヴァイアも心配そうではあるがそれも気にせずバアルの目は煌めくリングに釘付けである。
「へえ〜、本当に薔薇の形だ! 洒落てるじゃないですか!」
「俺のアドバイスだよ〜ん。薔薇の花言葉は『あなたに尽くします、あなたを愛します』だって教えてあげたんだ!」
「流石はレヴァ君。このケダモノ女ったらしめ死ねばいいのに。…………あれ? ちょっと待てよ……」
レヴァイアの得意げな表情を見た後、バアルは小首を傾げた。
「レヴァ君、それは赤い薔薇の花言葉だ。薔薇は色によって花言葉が違うんですよ。これはオニキスで作った黒い薔薇だから花言葉は『あなたの全ては私のもの』と『嫉妬』と『憎しみ』と『永遠の呪い』と……」
「お前ホント死ねばいいのにーっ!!」
バアルの言葉を遮ってサタンがレヴァイアに怒鳴り上げた。
「ひいいいいいっ!! ごめんなさーい!! で、でもほら解釈を変えれば同じような意味じゃないか! むしろ愛より深いぜ! これはこれでイイじゃないか!!」
「何を言うかテメェ!! よし、分かった。やっぱそのリングはバアルにあげよう。貰ってくれたまえ」
こりゃ違うリングを買い直して日を改めた方がいいかなあとサタンは頭を掻いた。
「おや、貴方が私の美貌に嫉妬しつつ私に対して永遠に呪いたいくらい独占欲を燃やしてくれていたとは知らなんだ照れる。けど、待ちなさいサタン。私の話をちゃんと聞きなさい。黒薔薇の花言葉には『永遠の愛』っていうのも含まれているんですよ」
「永遠の愛……?」
サタンとレヴァイアが揃って目を丸くする。
「そう、永遠の愛。だから花言葉の意味を私なりにまとめると『あなたの全ては私のものだ、醜い感情が隠せないほどに強く愛するよ永遠に』って感じかな。これ下手なオブラートに包んで甘い言い方するよりも心に響く気がしますよ。私だったら意中の相手にこんなドス黒く深い愛を向けられたらゾクゾクして高ぶっちゃう、フフフフ……ッ!」
「あわわわわ!?」
何を思ったやら突然目を剥いて鼻息を荒くし始めたバアルにサタンとレヴァイアは堪らず震え上がった。幸い王様はすぐに「おっと、いけない」と我に返ってはくれたが……。
「ま、まあ、黒薔薇の花言葉もそんなに悪くないってのは分かったよ……。リリスもお前みたいにゾクゾクしてくれりゃいいけど……」
相変わらずサタンの歯切れは悪い。が、なかなかどうして正直黒い薔薇も悪くないと思えた。
「ぶっちゃけ赤い薔薇よりも黒い薔薇の花言葉の方が自分の気持ちに当てはまるんでしょうサタン。そりゃそうだろうなあ」
王様はみなまで言わずともお見通しといった感じである。横でレヴァイアもニヤリと笑う。
「いいねいいね、この踏ん切りつかない男の背中をもっと押してやってよ王様」
「了解した」
頷くとバアルは軽く腰を落とし、まるで悪戯した後の子供をそっと諭すような優しげな表情でサタンの顔を覗き込んだ。
「いいかいサタン、貴方に限っては無理にカッコつける必要なんてないんですよ。女性は駄目なところのある男の方が好きなんです。それゆえ完璧過ぎる私には未だに彼女がいない。しかし貴方はこの際だからはっきり言うけど生まれてから今日に至るまで私が知る限り僅かもカッコ良かったことがない。だからモテる。リリスもそんな貴方が好き。ね、大丈夫」
大丈夫、と言い切ってサタンの肩を叩くバアル。本人はこれでしっかり励ましたつもりである。しかしサタンの受け止め方は違った。
「お前それ俺のことただ馬鹿にしてるだけじゃねーか!!」
怒りの形相だ。ツノまで飛び出た。そりゃそうだ。自分が格好良くない自覚はあれどこんな言い方をされては腹も立つというもの。だがバアルは確信に満ちた笑みを消さなかった。
「とんでもない、ちゃんと褒めてます。貴方の魅力は、いつだって気取ることなく我武者羅で泥臭くて情に脆くて自分本位なくせに繊細で気遣い屋さんで嘘が下手なところなんですよ」
「バアル……」
即座に引っ込むツノ。サタンは不意に『貴方は不器用で嘘が下手だ。だから信じられる』と前にバアルから言われたことを思い出した。この疑り深く警戒心の強いバアルがそんな理由から自分を心底信用してくれているのだと知ってとても嬉しかったのを覚えている。
(そうだ、俺は嘘がどーしようもなく下手なんだ……)
どうして見失っていたのだろう。格好良くスマートなプロポーズをしたいと頭をフル回転させて策を考えても考えても全く答えが導き出せないのは当然のことだった。何故ならそれは『自分にはどう足掻いても絶対に出来ないこと』だったからだ。
バアルの隣でレヴァイアも「よく言ってくれた」とウンウン頷いている。
「そうそう、兄ちゃんはカッコ良くないからカッコイイんだよ。自分でもしょっちゅう俺ってばカッコ悪い〜って言ってるじゃんか。だからカッコイイんだよ!!」
「レヴァイア……! お前はちょっと何を言ってるのか分からないな!」
まあ、ありのままで勝負するのが一番だということを言ってくれてるに違いない。兎にも角にもサタンは目が覚めた思いだった。
(そうだ、俺はこれでいいんだ――!)
「よし……! バアル、ありがとう……!」
サタンは勢い良く立ち上がるとバアルの手をしっかりと握ってその目を真っ直ぐに見つめた。
「本当にありがとう……! 俺お前が欲しい!! 好きだ、結婚してくれ!!」
それは彼の突然過ぎる直球の告白であった。なんということでしょう。
「まあ、サタン……! って、どさくさに紛れて私でプロポーズの予行練習すんな!」
けれど、こんなすぐ分かる嘘にちょっと一瞬だけ目を輝かせてしまったバアルである。勿論それは結婚を期待してのことではなくこのオニキスとダイヤのリングを貰えると思ってのこと。横で察したレヴァイアは「お前そんなにその指輪が欲しいのか」と呆れて溜め息だ。
「チッ、バレたか」
当のサタンはこの舌打ちである。
「分かるさ、アンタが私にプロポーズなんかするわけないもんねっ!! でも、そんな冗談言えるくらいだからもうしっかり腹は決まったのかな?」
「ああ、おかげさんで! もう大丈夫!」
「なら、惜しいけどこれはお返ししましょう」
本当に少し名残惜しそうな顔をしてバアルはジュエリーボックスをサタンの手に返した。本当に本当に名残惜しそうに。
「そんな顔すんなよ、どーせお前にはサイズ合わねんだからコレ! そんなに新しい指輪欲しいなら隣の相棒に強請りなさいよ隣の相棒にっ!」
「俺ぇ!?」
突然矛先を向けられて顔を青くするレヴァイアである。
「そう、お前!! つーかさっきツッコミ損ねたけどお前一体女神様に昔なにしたんだよ!! ドス黒く深い愛を向けられたらゾクゾクしちゃうなんて普通じゃねーぞ!!」
「えー!? い、いや別に俺は何も……! 普通〜に大事にしてたつもりだけど……!」
「普通に大事んされた女がこんなんなるかよ!! お前相当エグいことしたろ絶対!!」
こんなんなるか、とバアルを指すサタン。一方的にまくし立てられてレヴァイアはいい迷惑だ。
「し、してないよおおお〜っ!! 誤解だ誤解ぃいいい!! 彼女は生まれつき頭がちょっと残念だったんですうううう!!」
「んん!? 誰の頭が残念だと!? ってゆーか待て!! 私とジブリールは無関係だサタン!!」
二人の言い争いにバアルも割って入った。なにせ聞き捨てならない言葉が多すぎたのだ。こうなったらもう大変、王様も口論に入るとなると収集が全くつかなくなる。と、その時、城へやって来た予想もしていなかった気配を察して三人は口を同時につぐんだ。
「…………どうやら私を訪ねてきたようですね。レヴァ君あとは頼んだよ。そのヤギ頭がまた喚き倒さないように面倒を見といて」
「はーい! 任せて!」
この返事を確認してバアルはこの場から音もなく姿を消した。
「……今日の僕はお二人にとって大きな子供という認識なんでしょうか?」
しょんぼりと肩を落としてサタンがボヤく。
「そのとーりです仔ヤギちゃん。まだデートの待ち合わせまで時間ありまくりだろ、野郎二人で仲良くお茶でもして時間潰すかい? デートの予行練習も兼ねてさ!」
ニヤニヤニヤニヤ。今日はとことんレヴァイアが優勢だ。
「お前じゃ練習になんねーよおおおおおっ! ま、でも行くか! お兄ちゃん僕は美味しいコーヒーが飲みたいでーす」
「コーヒーね、オッケー」
行き先の目星をつけた二人は仲良くその場から姿を消した。
サタンがバアルの城の庭で大騒ぎする少し前、いつの間にやらサタンが何も告げずに出掛けたことに気付いたリリスは「んっもう、出掛ける時は必ず一声かけてって言ってるのに!」と頬を膨らませながらデートに備えてめかし込み、まだ約束の時間まで相当の猶予があると判断して一人で出掛けることにした。一人で留守番をするのはつまらないし博学な人に是非とも相談したいことがあったからだ。
「あら?」
城を出るとまるで見計らったようにバアルの飼っているカラスが優雅に空を飛んでやって来て側の柵に止まった。
「貴方はバアルさん家のカラスさんですね?」
見覚えがあった。彼はいつもバアルの遣いとして魔界の空を飛び回っているカラスの一羽だ。大きなアレクサンドライトをぶら下げたゴールドのネックレスを付けているのが何よりの目印である。
なんの用があって此処に来たのだろうか。首を傾げていると不意に『どちらへ行かれるのですか?』と低く透き通った物凄く良い声が頭の中に聞こえた。
「え? 誰?」
四方八方を見渡すが今この場にはリリスの他にカラスしかいない。と、いうことは、そういうことなのだろうか。
「今のは、ひょっとして貴方の声?」
まじまじとカラスを見つめながら問いかけてみる。すると先程と同じ声で『そうです』と返された。
「え? っえええええ!? あ、貴方喋れたんですか!?」
カァカァと鳴いている姿しか知らなかったリリスはそれはもう驚いた。……こんな反応は容易く予想の範囲だったのか当のカラスは涼しげである。
『驚かれるのも無理はありませんね。今の今まで貴女には声を掛けることがありませんでしたから。……もし鳥と話すのに抵抗あるようでしたら姿を変えましょう』
言うとカラスは柵を軽く飛び立った次の瞬間、褐色の肌をした黒髪長身の男となってリリスの前に立った。胸元に届くほどの長い黒髪に黒尽くめの格好、そして何処か淡々とした表情と切れ長の鋭い目つきに金色の瞳、首には相変わらずのネックレス……一応はどことなくカラスの面影がある。
「ええええええええ!? なんとまあ……!」
リリスは驚くと同時に好奇心で目を輝かせた。いやはや不思議だらけの魔界は本当に楽しいところだなあと。
「今の今まで名乗りもしなかったことをお詫びします。改めまして、私は『ライム』と申します。今後お見知り置きくださいませ」
淡々とした表情のまま今度は頭の中にではなくハッキリと耳に聞こえる声で言われた。
「あ、はいっ。よろしくライムさん。あの、でも、なんで今日いきなり私に声をかける気になってくださったんですか?」
今の今まで一声もかけてくれなかったのに、と少し肩を落としてリリスは尋ねた。
「私の全てはバアル様のものです。ゆえに私の身も心も声もバアル様のもの。バアル様の主であるレヴァイア様は私にとっても主、バアル様の友人であるサタン様は私にとっても友人です。そして貴女様は新たにバアル様の御友人となられた方だ。バアル様が貴女に身の上を語った時からいつお声を掛けようかとタイミングを図っておりました」
なんだか少し凄いことを言っているが、それよりも何よりも友人として認められた喜びの方が勝った。
「まあ……。ありがとう、嬉しいです! ……あの、じゃあ貴方もバアルさんのことはよくご存知で?」
「勿論です。何もかも知っています。あの方が女神だった頃からずっとお側におりましたので」
語った瞬間、無表情だった彼の目が僅かに微笑んだ。こりゃ相当に一途だ。
「なんか凄いですね……! どうしてそんなに尽くしてるんですか?」
「鳥だけあって単純な理由ですよ。生まれて間もなくあの方の歌声に心を奪われましてね、生き甲斐を得た喜びですぐに私は私の全てをあの方に捧げると己に誓ったのです」
「凄い男気に溢れてますね! あれ? えっと、でも貴方って本当に鳥なんですか?」
はて鳥の姿が本物なのか今現在の人の姿が本物なのか、普通に会話をしているうちに分からなくなってきたリリスである。
「鳥です。姿形がどうあろうと私は鳥です」
「そ、そうですか」
なんだか煮え切らないが本人が己を鳥と言うのなら鳥なのだろう。
「でも普段から人の姿をしていた方が何かと便利なんじゃないですか?」
「便利だろうとは思います。ですが便利過ぎる人の姿をしていると色んな欲が出てしまうので滅多なことではこの姿は晒さないことにしています」
「なんともストイックな……! あ、あともう一つ聞いていいですか? ……こないだの戦争の時とか血の雨ザーザーで大変だった時とか貴方どこで何をしてました?」
これだけストイックに一途ならば戦争時はどんな働きをしているのだろうかという素朴な疑問である。基本的に恐れ知らずなリリスはズケズケとなんでも聞ける子であった。幸いライムは相変わらずの無表情。怒りの色は窺えない。
「私はバアル様の加護を得ているとはいえ所詮は鳥なので戦争の役には立ちません。なのでいつも留守番です。私はペットなので家を守るのが仕事ですから当然ですね。あと先日の雨が降った時はバアル様に『いつ神が此処へ来るか分からないから離れていろ』と言われたので離れていました。主に離れていろと言われたら従うしかありません。私なんて神にかかれば一瞬でただの焼き鳥にされてしまいますからね。身を案じてくださったのでしょう」
「裏で活躍されていたのですね。あれ? そういえばライムさんの他にもバアルさん沢山カラス飼ってますよね。あの方々も本当は人の姿になれるんですか?」
「彼らは神から生まれた私の弟分です。言葉は少々喋りますが鳥っぽさ強めに生まれたので人型にはなれません」
「鳥っぽさ強め!? ああ、えっと、あと〜……」
「まだ何か聞きますか?」
「あ……。ご、ごめんなさい! 私ったら質問ばかりしちゃって……! もう大丈夫です!」
どうにもこうにも好奇心をそそるライムの出現に我を忘れていたリリスは彼に首を傾げられてようやく失礼を働いていたことに気付き、頭を下げた。
「なら良かった。そうだ、私からも一ついいですか?」
「はい、なんでしょう?」
するとライムは無表情のままにジーッとリリスの目を覗き込んできた。
「もう二度と我が君の化粧を無理に剥いだりヒール靴を脱がせないでください。暫くずっと不機嫌でレヴァイア様が凄く大変そうでした」
「うっ」
これはリリスの胸にグサッと何かが突き刺さる言葉だった。
「はいいい……。あれは本当に良かれと思ってしたことだったんですけど見事なまでに大失敗でしたね、反省してます……」
「自覚があるなら結構です。ところで私の読みが外れていなければ貴女はこれから我が君の下を訪ねようとしていたのではありませんか?」
「どうして分かったんですか? その通りです。バアルさんと少し話がしたくて」
「カラスの勘です。では私が向こうの城まで送りましょう。今日より何かお申し付けがありましたら私の名を呼んでください。ちょうど暇だったら応じます」
ちょうど暇だったら、と前置きするあたり優先順位の低さが窺えるが、まあいい。親切は素直に受け取るべきだ。
「あははは。ありがとう、助かります!」
「どう致しまして。ではお手を」
「はい」
差し出された大きな手を握った瞬間に景色は一変。リリスはバアルの城の大きな玄関扉前に立っていた。裏庭にて大騒ぎしていた魔王三人が一斉に口をつぐんだのもこの時である。
「バアル様、お客様です」
ライムがコンコンと扉をノックする。……間もなく彼だけに聞こえる声で返事があったのだろう。「バアル様は謁見の間におられるようです。案内致します」と言われリリスはそのままライムに手を握られて瞬時にいつもながら豪華絢爛な謁見の間へ通された。
「ようこそリリス。貴女が一人で私個人を訪ねてくるなんて珍しいね」
優雅な手つきで自らテーブルに紅茶の用意をしていたバアルが何度味わっても未だ瞬間移動に慣れずパチパチと瞬きを繰り返すリリスを見やって微笑む。……まさかつい先程までこの紳士が裏庭にて大声を張り上げていたことなどリリスは知る由もない。
「エヘヘ〜、こんにちは! 急になんだかバアルさんと是非二人でお話がしたい気分になっちゃったんです! ……あの、でも今って忙しかったりします? あとレヴァさんは今日一緒じゃないんですか?」
「王様稼業は案外気儘なのでご心配なく。レヴァ君なら街へ遊びに行っています。私と二人で話がしたいというのなら丁度良かった。アイツがいると絶対にうるさいからね」
(またそんな心にもないこと言って〜)
あの人のいない城になんか帰らないと泣いていた彼の姿を鮮明に覚えているだけにリリスは思わずニヤケてしまった。
「そんな心にもないことを言って、とでも?」
「え!? い、いえ、いえいえいえいえ! そんなトンデモない!」
余裕めいた表情でもって見事に見透かされてしまった。決して忘れていたわけではないがバアルが物凄〜く鋭い男であったことを改めて思い出したリリスである。
「ま、いいけれどね。いいけれどね、ええ。……ライム君、ご苦労様でした。貴方がリリスを迎えに行くとは思いませんでしたよ」
「何をおっしゃいます。貴方の御友人は私にとっても友人。今日は当然のことをしたまでです」
瞬間、今の今まで無表情を保っていたライムの顔に笑みが零れた。
「あっ、酷い! 貴方、私の前ではひたすら無表情だったのに!」
態度が違うじゃないかと抗議するリリス。するとライムは「そんなことないです」と素っ気なく返し「では私はこれで」とバアルに一礼したのち一瞬で元のカラス姿となって開け放たれていた窓から街の方角へと飛んでいった。
「ああ! 逃げたー!」
「まあまあ。彼、実は結構な人見知りなんです。あれでも頑張ってお話をした方ですよ。仲良くしてあげてください。さあ、掛けて」
バアルが来客用の椅子を手で指す。素直に掛けると隣に座ったバアルに紅茶とカラフルなドライフルーツ入りの焼き菓子を差し出された。美味しそうだ。紅茶もとても良い匂いがする。それにバアルが玉座ではなく隣に座ってくれたのは対等に話をしてくれるということだ。すっかり心を開いてもらえた気がしてリリスは顔を綻ばせた。
「美味しそう! いただきます!」
早速パクリと一口。……これは美味い!
「遠慮無くどうぞ。お菓子はレヴァ君のお手製です。今朝焼いてくれたんですよ。それで、私に話とは?」
こちらの笑みに気付いているのかいないのか、バアルは表情を変えずに紅茶を一口飲んだ。
「ふぁ? あ、ふぁい! あ、ひょっと待って……」
呑気に早速焼き菓子に舌鼓を打っていたリリスである。紅茶を飲んで喉リフレッシュ。自分が喋れる状態になったことを確認してクスクスと笑うバアルを見つめた。
「あ、あの……、笑わないで聞いてくださいね。あの、私サタンさんと結婚したいんですけどロテさんとロトさんに相談したら私から告白するのはダメって言われちゃったんです。でもひたすら待つのってちょっと辛いな〜と思って……、えっと、私どうしたらいいと思います?」
真顔での相談。にもかかわらず聞いたバアルは吹き出した。
「あー!! 笑わないでって言ったじゃないですかー!!」
「んふふふふ……! 失礼、あまりにも可愛らしい相談だったものだから……!」
そうしてひとしきり笑ったのち、バアルは優しい眼差しでリリスを見つめた。
「リリスは本気でサタンのお嫁さんになりたいようですね。彼を愛して止まないって感じだ」
「はい! ……多分」
「多分?」
急に歯切れが悪くなったリリスにバアルは小さく首を傾げた。
「いや、あの、『愛』っていうのが私よく分からないんです。……バアルさんは愛ってなんだと思います?」
胸に抱いたこの想いは本物だ。しかし恥ずかしながらこれが『愛』なのかと聞かれたら未だによく分からない。しかしバアルは迷わず「度し難い病です」と答えた。
「私は、愛とはお互いがお互いの存在に対して心をズタズタに引き裂き合う質の悪い依存症に掛かっていること、という認識です」
「あわわわわ……!」
この男、微笑みながら恐いことを言う。だが頷ける回答だ。頷ける。……が、リリスはイマイチ煮え切らなかった。
「バアルさん、私は……それ少し違うと思います。上手く言えないけど、そうじゃなくて、なんていうか、私は愛って無心にお互いがお互いを支え合っていくことじゃないかなって……」
「なんだ、自分なりの答えをしっかり持っているじゃないですか。ならばそれが貴女にとっての愛の在り方ですよリリス。私の解釈に異議を唱えたんだ、今さっきの答えが自分にとって絶対に譲れないものと思って間違いない。そのまま真っ直ぐ貫きなさい。誰に何を言われようと曲げることなく」
「バアルさん……。はい! ありがとうございます!」
やはり彼と話をすると今まで気付かなかった自分の一面に嫌でも気付かされる。今日、彼を頼って良かった。
「でもバアルさんの解釈、ちょっと心配です……。だってそれレヴァさんとずっと傷つけ合ってるってことですよね?」
「はい? どうして? 向こうはどうだか知りませんが私はあんなヤツ愛してませんよ」
本気で心配したのにこの返事……。リリスは頬を膨らませた。
「んっもう、ジブちゃんの嘘つきっ!!」
我慢できずに飛び出してしまった言葉だった。
「この馬鹿女!! 私をジブちゃん言うな!!」
先程まで紳士の表情を湛えていたバアルが声を荒らげた。が、どこか冗談半分な感じだ。本気で怒っている様子はない。彼が本気で激高したならばリリスは今頃平手の一発や二発は軽く受けているはずである。ならばとリリスは更に頬を膨らませて応じた。冗談には冗談を返そうと思ってのことだ。
「馬鹿って言った酷いっ。バアルさんはレヴァさんと御結婚されないんですか?」
「へ? しませんよ、あんなのと」
「ぶう……!」
尚もはぐらかすバアルの態度に納得いかないリリス。こりゃしつこそうだ。少し折れてあげようとバアルは紅茶を飲みながら判断した。
「お互い型にはまるのは嫌いな性分ですしね。これでいいですか?」
「はい!」
やっと具体的な回答を得ることが出来てリリス満足。でもまだ少し煮え切らない。
「まさかレヴァさんの女遊びを許しているのは御自身も遊ばれているから、じゃないでしょうね?」
相当に突っ込んだ話をしている。にもかかわらずバアルが笑うばかりで憤慨しないのはリリスの人徳によるものだ。
「アハハハッ! そこは想像に任せますよ。でもねリリス、あまりレヴァ君を悪く言わないであげてください。彼は自分から女を漁ったことは一度もないんですよ。いつも向こうから寄ってきちゃうんだなあ〜」
ニヤニヤしながら語るバアルである。それがリリスには理解出来ない。もしもサタンが、と考えたら感情の爆発を我慢出来そうにないからだ。
「そこをビシッと断るのが男ってものじゃないんですか?」
「もしもレヴァイアが断ったら彼女たちは次にサタンを頼りますよ。貴女にとって面白くないことになりますね」
「サタンさんに……? どうしてです? そうとは限らないじゃないですか」
するとバアルは目を逸らして「分かってねぇなあ、お子様だなあ」と崩した言葉でボヤくと何処からともなく取り出した既に火がついている状態の真新しいレヴァイアの煙草を口に運んだ。察するに他の誰にも聞こえない声で遠くにいるレヴァイアに煙草を要求したのだろう。
フーッと天井へ向けて煙を吹いたのち、バアルは再びリリスへ向いた。
「彼女たちがレヴァ君に縋るのは何故か、分かる?」
言ってバアルは再び煙を深く吸い込んだ。
「え? えっと、加護を貰いたいからと純粋に遊びたいから、かな? レヴァさん本人がそんな感じに言ってましたし……、あとレヴァさんカッコイイからとにかくお近付きになりたいのかなとか」
「ん〜、カッコイイかどうかはともかく大体当たってます。でも一番大事な理由が抜けている」
まるで心の中の余裕を表すように、彼の口から吹かれた煙が優雅に天井へ上っていく。
「一番大事な理由?」
「どんな生き方をしようが私たちがこの世界に生まれて死んだという事実は決して揺るがない。終わりの概念である彼は基本的に死者の顔を忘れないんですよ。サタンは逆にこの世界に生まれた者の顔を忘れない。これ本人たち全く言いふらしてないことなんですが皆さん本能的に察してるんでしょうね」
「……あの、それと女遊びとどんな関係が……?」
戸惑いがちに尋ねるとバアルはゆっくり口角を持ち上げた。
「分からない? 彼らは決して忘れないんだ、だから彼女たちは硬派なサタンではなく軽いレヴァイアを選んで縋って彼をベッドに誘って快楽に溺れつつ喘いで乱れて必死に己の姿を彼の目に焼き付けるんです。『何があっても私を決して忘れないで』、と」
瞬間、リリスの全身に鳥肌が立った。
「彼女たちは自分がこの世界で確かに生きていたという証を色濃く刻みたいんです。まあ、誰だってそうですよね。誰にも知られずに生きて死にたくはない。それじゃなんの為の生だったのか分からない」
「そんな……」
まさかそんな事実が隠れているとは夢にも思わなかった。バアルの話が本当ならば彼はサタンに矛先が向かぬよう女たちの要求を一手に引き受けていたことになる。それをリリスは知らなかったとはいえ『遊びは良くない!』と頭ごなしに叱っていたのだ。ゾッとする。何故レヴァイアは本当のことを話してくれなかったのだろう……。いや待て彼はしっかり言っていた『向こうから誘ってくるんだ、俺から何かしたことは今の今まで一度もないよ!! それに俺は遊べて楽しい、向こうは俺の加護が貰えて嬉しいっつー双方ちゃんとメリットあってのことだぜ!? 女の敵どころか女の味方だよ!! 兄貴が女遊び一切しない男だからな!! 代わりに俺が加護を振り撒いてるわけだ、いいことなんだよコレは魔界全体の戦力の底上げになるし!!』と。それをただの言い訳だと受け取ったこちらに非がある。
なんてことだ、これは容易く「止めた方がいい」などとリリスが言える次元の話ではない。しかしそれでも、それでも――。
「なんつって、双方やっぱ肉欲を満たすのが一番の目的だと思うけどね。我々悪魔は基本的にエッチなことが大好きですから」
このバアルの元も子もない発言は思考をグルグルと巡らせていたリリスをガクリと脱力させるに十分な威力を持っていた。
「う〜……。とにかくバアルさん本当にいいんですかそれで! 私はやっぱりいかなる理由があろうともお身体で遊ぶのは良くないと思うんですが……!」
「そう? 私は大歓迎ですよ。双方が遊びと割り切っていることですし鬱憤を溜めやすい彼にとって娯楽は多ければ多いほど良い。まあ、『正妻の余裕』というヤツです」
「なんとまあ……!」
リリスの言葉を引用して朗らかな笑みを湛えるバアルにリリスは彼が冗談を言ったのか本音を言ったのか判断に迷った。どちらにせよ本人がここまで言い張るとなるともう第三者が口を挟む余地はなさそうだ。だが、やっぱりどうしても物凄く心配だ。当の本人は呑気に「ってゆーかいつの間にか私がヤキモチ焼く前提で話が進んでる……」と眉間に皺を刻んでいるが……。それでも、もう口を挟めそうにはない。無理にでも納得しておこう。
「ああそうだリリス。彼の名誉の為に一応の補足しとくけど、彼は言うほど色狂いではないし女をこの城に連れ込んだことだってただの一度もない。だから心配は要らないよ。……ところで何故私が恋愛相談に来た貴女へこんな話をしたか分かりますか?」
言いながらバアルは吸い終えた煙草を綺麗なガラス製の灰皿に押し付けた。
そうだ、そういえばリリスは恋愛相談に来たのだ。それがどうしてこんな話になったのか。こういう流れにしてしまったのはリリスの方ではあるのだが、はてさて……。
「えっと、レヴァさんの浮気は正義ってことを私に伝えようとしてくださったから、では?」
……答えた瞬間、バアルは笑みをこぼしながら目を逸らして自身のカップとリリスのカップに湯気立つ紅茶のおかわりを注いだ。その表情から察するにリリスの答えはどうやら違ったようだ。
「リリスの恋愛観は真っ当だよ。ネジ曲がっているのは間違いなく私の方だ。でもね、誰になんと言われようと私は私の思想を正解だと思っているし実際私は幸せな毎日を送っている。こんな風にこの世界には色んな思想があるから面白い。この世界はデコボコなんだよリリス」
言いながらバアルはフォークで焼き菓子を切った。意図したことではないだろうが滑らかながらもデコボコな断面が何か言いたげにこちらを向いている。
「幸せな者がいれば不幸な者もいて泣く者がいれば笑う者もいる。その理不尽に憤りながらも相反する色んな形のものが混在しデコボコを埋め合うことでこの世界は機能している。サタンとレヴァイアはそんなデコとボコの最たる存在ですよ。実際彼らは何かと見事なまでに正反対でしょう。そして今までのことを思えばリリスはジブちゃんと正反対だ。それつまり貴女はサタンとの相性バッチリってことですよ。絶対良い夫婦になれると断言出来ます。悩むことなんて何一つありません、ひたすら自信を持って過ごしなさい」
「へっ!?」
まさかこのタイミングでそんな言葉をもらえるとは思ってもなかったリリスは驚いたやら気恥ずかしいやらで一気に顔を赤くした。
「あれ? 意味通じませんでした?」
意地の悪い笑みだ。
「いや、あの……、ってゆーかバアルさんそれ暗に自分とレヴァさん相性バッチリって認めちゃってるじゃないですか……!」
サタンとレヴァイアは何かと正反対、リリスとジブリールも何かと正反対。で、レヴァイアとジブリールが相性良かったのだからその正反対カップルなサタンとリリスも相性が良いはずだ、それにこの世界はデコボコ。相反する男女の在り方は必ず存在する――という理屈である。物凄く強引な説である挙句、何気に彼は自分と彼の相性を遠回しに明言なさった。
「いいえ、これは私ではなく昔に彼と付き合っていたジブちゃんの話です。私は王様、ジブちゃんではありません」
否定の仕方も強引だ……。
「んっもう、ややこしいんだから〜! それに励まし方が物凄く遠回しですよおっ!」
「申し訳ない、私は外堀をジワジワ埋めてから相手がぐうの音も出ないタイミングで心の臓を貫くタイプでしてね。とにかく恋愛観が破綻しているジブちゃんがあんなヤバイ男と付き合って幸せだったくらいだ、真っ当な貴女が真っ当な男を愛して幸せになれないわけがない。だから、大丈夫ですよ」
「バアルさん……」
言われてまた気付かされる。彼の言い分はとても強引だ。だが妙に納得出来るし一言一句がとても温かく胸に響く……。向けてくる眼差しも優しい。
「私が言うのもなんですが、こんな私の友人でいてくれるだけあってサタンは本当に良い男ですよ。ひたすら純粋で不器用で真っ直ぐで豪快、でも繊細で嘘が下手だ。まず浮気の心配は生涯ないと思っていい。しっかり幸せになりなさいリリス。決して行動を急く必要はないよ。貴女ほどの良い女が隣で毎日微笑んでいたら地団駄を踏む間もなく向こうから必ず告白してくれる」
「っ……」
堪らずリリスは声を詰まらせた。本当に、どうして彼はこんなにも心の琴線に触れる言葉をくれるのだろう。心の何処かで『欲しい』と思っていた言葉を的確に与えてくれる。しかも、お世辞の色を一切塗らずに。
「バアルさん……! あの、怒らないで聞いてください。私、こないだのレヴァさんとバアルさんを見て正直、恋するのが恐くなりました。でもその反面、凄く凄く憧れたんです……! 二人がいつも凛としているのはお互いがお互いを大切にし合っていることを絶対に自覚しているからなんだって、それが凄く羨ましくて、憧れて止まなくなって……! 私も、サタンさんにとってそんな存在になりたいし、私もサタンさんに大切にされて強くなりたいって、生意気にも、考えてしまいました……! だから、私……!」
話しながらリリスは何故か泣きそうになった。
「彼との婚約を本気で考えるようになった、と?」
バアルが切れ長の目を優しげに細めた。
「はい……! その通りです……!」
頷き答える。するとバアルは「ならば恥を晒した甲斐もあったというものだ」とますます目を細めた。
「ってゆーか、あんなザマの私たちに憧れるなんて貴女もなかなかマニアックですね。全く、何が生意気なものか。とても嬉しいよ、私の痴態をそんな風に受け取ってもらえて」
「あ……」
リリスは不意にゆっくりと身を乗り出たバアルの両手に強く抱き締められた。
「リリス。私は今、貴女に会えて良かったと心の底から感じている。本当に貴女の幸せを願って止まない。貴女の幸せは私の幸せでもありますからね。どうかもっともっと貴女の幸せのために私の今までがあったのだと思わせてください。そうしたら私ももう少しは自分のことを許してやれる気がする……。だから、しっかり幸せになりなさい。ってゆーか、なってもらわなくちゃ困る! 頼みましたよ」
「っ…………ありがとう……!」
ここまで自分に託してくれるのかと思うと危うく涙腺が決壊しかけた。彼がこんなにも弱さと強さを混在させた男だとは初対面時には夢にも思わなかったことだ。そもそも初対面時は彼の性別を誤解していたわけなのだが……。それにしても良い匂いだ。今、彼の長い髪から香る甘く心地良い匂いをリリスは何故か『懐かしい』と思った。本当に、何故かは分からないのだが。
「バアルさんだって幸せにならなきゃダメです! よし、今度また私がデートセッティングしますね!」
本気の提案である。しかしバアルは急に冷めた声で「そりゃご遠慮しとく」と低い声で告げるとリリスをあっさり両手から離してしまった。これ一応リリスとしては親切以外の何ものでもない提案だっただけに即行の却下はなかなかにショックであった。
同時刻、街のオープンカフェにてのんびりサタンと向い合ってコーヒーを飲んでいたレヴァイアが今まさに火をつけたばかりの煙草を何処からともなく現れた手に一瞬で口から奪われ「またか」と空を見上げたことなどリリスは知る由もないだろう。
「アハハハッ!! 随分と荒れてるなあバアル!! リ、リリスが迷惑かけてなきゃいいけど……」
笑いつつもなんだか心配になってきたサタンである。一体向こうではどんな会話が繰り広げられているのだろう。「貴方は聞かない方がいい」と声にならぬ声でバアルに告げられたきり向こうの話し声は一切サタンの耳に聞こえなくなってしまった。一方レヴァイアは全てを把握している様子。コーヒーに舌鼓を打ちながらのどうでもいい雑談の合間に「向こうはどうなの?」と尋ねれば「バアルが苦戦してる」だの「俺の要らん情報ばっか与えてやがる」だの「リリスちゃんは本当に面白い子だ」と大雑把な報告だけは聞かせてくれた。
「大丈夫、楽しそうだよ一応」
言ってレヴァイアは改めて煙草を咥えてマッチで火をつけ美味しそうに煙を吸って吐いた。
「一応ってのが恐いわ!! ……それ吸ったら気分が落ち着くんだっけ?」
それ、と煙草を見るサタン。どうにもこうにもやっぱりどうしても落ち着かないのだ。緊張に強張るサタンの気晴らしの雑談に嫌な顔ひとつせず付き合ってくれる弟分の存在がありがたくて仕方がない。
「やめときなって、お前さんには似合わないから。つーか、まだソワソワしてんの?」
「なにさ馬鹿にして!! お前はソワソワもゾワゾワもプルプルもしなかったのかよ!?」
「ああ、全然だな。ソワソワもゾワゾワもプルプルもする必要なかったからね」
「そりゃまた可愛げのねぇお話だこと!」
プーッと頬を膨らませてサタンはレヴァイアから目を逸らした。周りにはサタンの緊張など知る由もない住人たちが赤い月の下でコーヒーを飲みながら和やかに会話を弾ませている。
「アハハッ!! 可愛げない俺がなんとかなったんだ、可愛いお兄ちゃまが上手くいかないわけがないよ。……ぼちぼちリリッちゃんとの待ち合わせの時間かな? 今、城を出たみたいだよ」
時計など見なくとも完璧な体内時計が備わっている彼らは常に時間を把握している。特にレヴァイアの腹時計は正確だ。
「ああ、もう時間か。んじゃ迎えに行くかな。暇つぶしに付き合ってくれてありがとよレヴァ」
「どう致しまして! ……頑張れよ」
「おう!!」
満面の笑みで頷くサタン。この様子ならもう心配は要らないはずだ。レヴァイアは吸い終わった煙草を灰皿に押し付けて「じゃーな」と軽く手を振ったのち、バアルの城へと一瞬で帰宅した。するとちょうど謁見の間にてリリスの見送りを終えたバアルが改めて一息つこうとお茶の準備をしている姿があった。
「良いタイミングで帰ってきてくれたね。私にお茶を入れてくれませんか、自分で自分に振る舞うお茶はどうにも美味しくない」
言うなり彼はこちらの返事も待たずにティーワゴンから離れて玉座に深々と座ってしまった。まあ断るつもりなど毛頭なかったわけだが。
「了解しやした! それにしてもお前、煙草吸いすぎぃ〜」
「仕方ないでしょ、無い頭を絞りまくって疲れたんだよ。誰かに恋愛指南できるくらいなら私は今頃お前なんぞの横にはいないって話だ」
「アハハハハッ!! 違いないや!!」
反論の余地はないと判断して笑っておいたレヴァイアである。
「あ、そうそう。あとどうでもいいけどリリッちゃんに俺の変な話ばっかり吹き込むのやめてくださいよお〜」
「兄を助ける為と思いなさい。色々とアレな貴方の話をすればサタンの良さが嫌でも引き立ちますからね」
……酷い話だ。
「俺もロトと一緒に高い酒を兄貴に強請ろうかな……」
じゃないと割に合わない。全く合わない。不満に顔を歪めつつレヴァイアはバアルにハーブティーを振る舞った。お疲れ具合を考慮してリラックス効果のあるハーブを使用した紅茶である。狙いはピッタリだったのか淡々としていたバアルはカップを受け取るなり「おお、良い匂いだ」と顔を綻ばせた。と、そこで彼は何やら思い出したように「そういえば」とパチパチ瞬きをしてレヴァイアを見やった。
「貴方、本当は黒い薔薇の花言葉を最初から知ってたんじゃないんですか?」
どうにも指輪の一件が気になっていたバアルである。
「さてねぇ。俺がそんな似合わない知識持ってたと思う?」
「思うから言っている。私に誤魔化しは通じないぞレヴァイア」
「なにそれ鋭すぎるのも困りものだぜ〜」
別に強く隠すことでもない。あっさり観念してレヴァイアは「ワハハ」と笑った。
「だ〜って仕方ないじゃん。アイツが真顔で赤い薔薇を差し出してキザな台詞吐くとこ想像したら鳥肌立つなんてもんじゃなかったからしっかり正直なお気持ちを言わせたかったんだよね。リリッちゃんもその方が嬉しいだろうし!」
「成る程。同感だ」
賢明な判断だと称賛するようなバアルの笑みだった。
それにしても……。現在リリスとケーキ屋さんで可愛らしいデートを楽しんでいるサタン当人はもとよりバアルとレヴァイアにとっても今日は大変な一日となってしまった。何故ならこっちの都合など度外視で緊張高まったサタンがひたすら「吐きそう」「ゲロ吐きそう」「耳から生クリーム出そう」といった実に汚い実況を始めてくれたからである。
爽やかな午後。そろそろ昼食時だ。お腹も空いてきた。しかしサタンの汚い実況は止まない。
「紅茶が不味くなるわボケが!!」
とうとうバアルが床に視線を向けたまま鼻筋立てて声を上げた。これでは食事はもちろん国政の仕事をしようと思っても集中出来ない。むかつく。ゆえに本当ならばケーキ屋さんに直接乗り込んで緊張にブルブル震えたサタンの頭を一発や二発殴りたいところだが状況が状況だけに我慢するしかない。今日はサタンにとって本当に本当に大事な日なのだ。でも今日ずっと彼のこんな嘆きを聞くのかと思うと気分は滅入る。それはもう物凄く滅入る。
「んな緊張してる時に甘ったるいもん食うからだよ馬鹿!! アホ!! ヤギ!!」
温厚なレヴァイアですら我慢の限界を迎えてしまった。しかしサタンは『だってだってだって〜っ!』と声にならぬ声で嘆くばかり。全く姿勢を改めようとしない。しかもこれでリリスには「ケーキ美味いな!」と平静を装った顔をしっかり向けているのだからズルい。
「野郎、ジブリールをブリっ子呼ばわりしておきながら自分はそれか……!! 変なとこばっか器用でマジむかつく!! もういい、レヴァイア結界を張れ!! 野郎の声など微塵も届かないよう分厚く頼む!!」
さぞかし緊張していることだろうから愚痴や弱音くらい聞いてやろうと思ってはいたのだが気が変わった。というより向こうがそうさせた。
「バアルさん俺の前じゃ彼女の名前は禁句だってこだわりはドコ行ったんだってツッコミはさて置き結界には大賛成だぜ!! バッチリ張ってやる!!」
『わあああああああ!! 待って俺を一人にしないでー!!』
サタン渾身の叫びが二人の頭の中に響く。
「一人じゃねーだろリリスと楽しくデートしてんだろッ!!」
バアルとレヴァイアが同時に怒鳴り上げる。するとまたサタンは歯切れ悪く『でもでもでもぉ〜』とゴネ始めた。やれやれ全くどうしようもない。
「……今度、私に宝石を奢ってくださいね。石の大きな指輪がいいなあ」
「俺は美味しいお酒と美味しいお肉が食べたいなあ〜」
相手の懐事情を一切考慮しない好き勝手なリクエストをする二人。だが今回ばかりはどうにも立場の弱いサタンは『はい! 喜んで!』と即座に答えてみせた。やれやれ、本当にどうしようもない。
まあ、いい。これはこれでそのうち必ず良い思い出になる。
それからどれだけ汚い実況を聞き続けただろうか。そのうち『タイミングが来た!』とだけ告げてサタンは気配そのものを断ってしまった。いよいよプロポーズをするに違いない。
「肝心なとこだけ壁で仕切るか。そんな都合の良いことは許しませんよーだ」
玉座に腰を下ろしたまま少し遅い昼食として半熟のベーコンエッグと色鮮やかな野菜を乗せたブルスケッタに舌鼓を打っていたバアルが意地悪い笑みを溢した。彼の言いたいことはその表情から容易に察することが出来る。一足先に軽い食事を終えて横でのんびりコーヒーを飲んでいたレヴァイアは顔を上げ「もちろん。しっかり覗いてみせるさ」と自信たっぷりに頷いてみせた。
「サタンはプロポーズのことで頭がいっぱいだ。必ず隙はある!」
「頼もしいぞレヴァイア」
彼らは汚い実況だけ大人しく聞いてやれるほど親切ではないということだ。
「ヘッヘッヘッ。案の定、綻びだらけだぜ」
集中力の欠けたサタンの結界では他の目は欺けても破壊神までは欺けない。レヴァイアはニヤニヤと笑いながら荒れ地の向こうへ精神を集中させた。
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